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第二十二話 食後の余韻と、魔王の選択

 大陸の中央、魔人領。

 かつて世界を恐怖のどん底に叩き落とした「魔人城(アビス・キャッスル)」の玉座の間は、今、甘美な香りと穏やかな空気に包まれていた。

 先ほどまでの激闘――暴食の化身との「解体ショー」の余韻が残る中、アビスたちは、瓦礫を撤去して急ごしらえで作ったテーブルを囲んでいた。

 そこにあるのは、戦いの傷跡ではなく、平和な食卓の風景だ。

「んん〜っ! 美味しいぃぃ……!」

 リディアが頬に手を当て、とろけるような笑顔を見せる。

 彼女の目の前にあるのは、アビスが即興で作り上げた『大陸周遊・スペシャルデザートプレート』だ。

 メインとなるのは、北の極寒の地で手に入れた「オーロラのアイスクリーム」。

 その脇には、東の蒸気都市の地熱で完熟させた「溶岩焼きフルーツ」が添えられ、南のジャングルで採取した「幻惑カカオ」の濃厚なソースがたっぷりとかけられている。

 さらに、トッピングとして散りばめられているのは、西の穀倉地帯の黄金小麦で焼いた「筋肉クッキー」を砕いたものだ。

「すごい……! 四つの地域の味が、口の中で喧嘩しないで、一つのハーモニーを奏でてます!」

 リディアがスプーンを動かす手が止まらない。

「東のフルーツの熱さと、北のアイスの冷たさ。南のソースのほろ苦さと、西のクッキーの香ばしさ……。まるで、私たちの旅の思い出が全部詰まってるみたいです!」

「……悔しいけど、めちゃくちゃ美味いな」

 テトも、ガツガツと皿を空にしている。

「俺、魔人様の料理なんて初めて食ったけど……これ、王都の三ツ星レストランのシェフでも作れないぜ? 甘いのにくどくないし、いくらでも腹に入る!」

「当然ですわ」

 セレスは、一口食べるごとに恍惚の表情で天を仰いでいる。

「アビス様の魔力が練り込まれたスイーツ……。これはもはや『食べる聖遺物(レリック)』。消化するのが恐れ多い……! 胃袋ごとホルマリン漬けにして保存したい……!」

「汚ねえこと言うな、変態」

 アビスは、上座の玉座に座り、ワイングラス(中身は最高級のぶどうジュース)を揺らしていた。

 彼自身はデザートを口にしていない。

 先ほどの「メインディッシュ(暴食の化身の魔力)」でお腹いっぱいだからだ。

「……フン。これくらい造作もない」

 アビスは満足げに、皿を空にしていく「下僕《人間》ども」を見下ろした。

「四つの素材は、それぞれが強烈な個性を持っていた。だが、適切な下処理と、絶妙なバランスで組み合わせれば、互いを高め合う極上の食事になる。……料理も、世界征服も、理屈は同じだ」

 アビスの言葉に、リディアの手が止まった。

 彼女は、綺麗になった皿をテーブルに置くと、少し寂しげな瞳でアビスを見つめた。

「世界征服……か」

 リディアがぽつりと呟く。

「そういえば、これで終わりなんですよね」

 その言葉に、場の空気がふっと静まり返った。

 テトとセレスも顔を上げ、アビスを見る。

「……何がだ?」

 アビスが怪訝そうに眉を寄せる。

「だって、アビスさんの『お口直し』の旅は完了しましたし……」

 リディアが視線を泳がせる。

「それに、ここはアビスさんのお城(お家)です。四天王もいなくなったし、不法侵入していた怪物もアビスさんが食べちゃったし……。もう、アビスさんがここを出ていく理由は、ないんじゃないかなって」

 リディアの言葉は、旅の終わりを意味していた。

 今回の旅は、アビスが「不味い飯(人間の作ったもの)に飽きたから、美味いものを食いに行く」という動機で始まった。

 そして今、彼は最高の料理を堪能し、自分の城を取り戻した。

 ならば、これ以上リディアたちと行動を共にする義理はない。

 魔人は魔人城へ。

 勇者は隠れ里へ。

 本来あるべき、「敵対する二人の距離」に戻る時が来たのだ。

「……アビスさん」

 リディアが立ち上がり、玉座のアビスに向き直った。

 その顔には、寂しさを隠して、無理やり作った精一杯の笑顔があった。

「今まで、ありがとうございました! アビスさんと一緒に旅ができて、すごく楽しかったです! 美味しいものもたくさん食べられたし、世界の危機も救えちゃいましたし! ……ポチさんの時のふわふわな毛並みも、この姿のかっこいいアビスさんも、私、大好きでした!」

「姉ちゃん……」

 テトが気まずそうに下を向く。

 彼にとっても、この旅は人生の転機だった。

 セレスも、いつもの奇行を潜め、真剣な眼差しで主の決断を待っている。

 アビスは、無言だった。

 彼はグラスを置き、肘掛けに頬杖をついて、リディアを見下ろしていた。

(……帰れ、か)

 アビスは心の中で反芻する。

 確かに、リディアの言う通りだ。

 邪魔な四天王は消え、地脈の乱れも正され、城の掃除も終わった。

 ここには、彼が求めていた「静寂」と「最強の座」がある。

 もう、あの騒がしい勇者の家に居候し、安っぽいドッグフード(高級品だがアビスにとっては餌)を食べ、屈辱的な芸(お手)をさせられる必要はない。

 ここで「我は魔人に戻る。貴様らは消えろ」と告げれば、全ては終わる。

 本来の、孤高の魔人に戻れるのだ。

 アビスは玉座の背もたれに深く体を預けた。

 ひんやりとした黒曜石の感触。

 誰もいない、広すぎる広間。

 絶対的な支配者の孤独。

 それは、彼がかつて愛した「完璧な世界」だったはずだ。


 だが。


(……なんだ、この椅子は)

 アビスは眉をひそめた。

(……硬い)

 玉座が、やけに硬く感じる。

 冷たくて、座り心地が悪い。

 以前はこれが至高の座だと思っていたのに、今はなぜか、リディアの家の安物のソファや、彼女の膝の上(ポチ公モード時)のぬくもりが、無性に思い出される。

 それに、この広間もだ。

 静かすぎる。

 誰も騒がず、誰も笑わず、誰も「ご飯まだですかー?」と間抜けな声を出さない。

 ただシーンとしているだけの空間。

(……味気ねえな)

 アビスは、リディアたちの皿を見た。

 空になった皿。

 満足そうな顔。

 「美味しい」という言葉。

 それらが、先ほど食べた「暴食の化身」の味よりも、妙に鮮烈に記憶に残っている。

 ただ食べるだけではない。

 「誰かと食べる」という行為が、料理の味を完成させるスパイスになっていたことに、この魔人は薄々気づき始めていた。


 アビスは、ゆっくりと口を開いた。

「……おい、リディア」

「は、はいっ!」

 リディアが背筋を伸ばす。最後のお別れの言葉だと覚悟して。

「テメエは一つ、勘違いをしている」

 アビスが玉座から立ち上がり、階段を降りていく。

 カツン、カツンと足音が響く。

 リディアの目の前まで歩み寄り、彼女を見下ろす。

「勘違い……ですか?」

「ああ。 誰が『掃除完了』だと言った?」

「え?」

 アビスは、部屋の隅――天井の梁のあたりを指差した。

「見ろ。あそこにまだ、クモの巣が残っている」

「は?」

 リディアたちが視線を向ける。

 そこには、言われてみればあるような、ないような、小さなクモの巣があった。

「それに、この床だ」

 アビスはつま先で床をコンコンと叩いた。

「先ほどの戦闘でついた傷、そして焦げ跡。さらに、あの化け物が垂れ流した粘液の臭いが、微粒子レベルで染み付いている。……臭い。臭すぎる。こんなドブのような環境で、俺様が安眠できると思っているのか?」

「え、えっと……?」

 リディアが混乱する。

 アビスほどの魔法があれば、そんな汚れは一瞬で消せるはずだ。

 現に、先ほどまで瓦礫だらけだった場所をテーブルセッティングできるのだから。

「つまりだ」

 アビスは腕を組み、傲然と言い放った。

「この城は、まだ住める状態じゃねえ。 完全な消臭と修復、そして俺様の美学に基づくリノベーションが完了するまで……そうだな、最低でも百年はかかる」

「ひゃ、百年!?」

 テトが素っ頓狂な声を上げる。

「ただの掃除に百年もかかるわけないだろ!」

「黙れ凡骨。魔王城の『清浄』の定義は、テメエらの基準とは違うんだよ。分子レベルでの殺菌が必要なんだ」

 アビスは鼻を鳴らし、リディアに向き直った。

「というわけだ、リディア。俺様の城(ここ)は、まだ工事中だ。完成するまでの間……仕方がないから、テメエの家を『仮宿』として使ってやる」

「え……?」

 リディアが目をぱちくりさせる。

 そして、次第にその意味を理解し、顔が輝き始めた。

「それって……つまり……!」

「勘違いするなよ。あくまで『仕方なく』だ。それに、テメエにはまだ、俺様への借りが残っている」

 アビスはニヤリと笑った。

「今回の旅で、俺様はテメエらに最高のフルコースを振る舞ってやった。その代金(対価)を、まだ回収していないからな」

「対価……ですか?」

「ああ。テメエの残りの人生すべてを使って、俺様をもてなせ。美味い飯と、フカフカの寝床と、適度なブラッシングでな。……それが、飼い主(下僕)の義務だろう?」

 その言葉を聞いた瞬間。 リディアの瞳から、涙が溢れ出した。

「……っ! はいっ! 喜んで払います! リボ払いでも分割払いでも、一生かけてお支払いしますぅぅぅ!」

 リディアが感極まってアビスに飛びついた。

 抱きつかれた衝撃で、アビスが少しよろめく。

「おい、離れろ! 鼻水をつけるな!」

「うわぁぁぁん! アビスさん大好きですぅぅぅ!」

「わーい! また一緒だね!」

 テトも便乗して抱きついてくる。

「アビス様ぁぁぁ! 尊いです! そのツンデレムーブ、最高です!」

 セレスも奇声を上げて突撃してくる。

「ええい、鬱陶しい!」


 ボンッ!!


 白い煙が上がり、アビスの姿が消えた。

 煙の中から現れたのは、黒い毛並みの小さな子犬――ポメラニアンのような姿の「ポチ」だった。

「ワン!(……ったく、騒がしい奴らだ)」

 犬アビスは、やれやれと首を振った。

 だが、その尻尾は、本人の意思に反してパタパタと揺れていた。


 ◇


 城を出ると、外には夕焼けが広がっていた。

 極彩色だったジャングルは消え、元の荒涼とした大地に戻っていたが、その地平線の彼方には、かつて見たことのない美しい虹がかかっていた。

 四つの地脈が正常化し、世界が安定した証だ。

「さあ、帰りましょうか!」

 リディアが伸びをする。

「お母さんとお父さんが心配してるかもしれません」

「そうだな。土産話も山ほどあるし」

 テトがリュックを背負い直す。

 彼にとっても、リディアの家は今や大切な「帰る場所」だ。

「アビス様、帰りは私が抱っこして差し上げますわ!」

 セレスが涎を垂らして手を伸ばす。

「ワン(お断りだ。リディア、俺様を運べ)」

 アビスは短い鳴き声で命じると、リディアの前に座り込んだ。

 リディアは嬉しそうに微笑み、アビスを抱き上げる。

「はいはい、分かりましたよ、ご主人様?」

 一行は、夕日に向かって歩き出した。 魔王城を背に、人間の住む里へ。

 世界を揺るがす地脈の暴走は止まり、四天王による支配も終わった。

 大陸には平和が戻り、各地で新しい「食」の文化が芽吹き始めていることだろう。

 だが、彼らの「美味しいもの」を求める旅は、まだまだ終わらない。

 世界には、まだ見ぬ食材と、解決すべきトラブルが山ほど待っているのだから。

(……フン。まあ、悪くない食後感だ)

 リディアの腕の中で、アビスは目を閉じた。

 心地よい揺れと、慣れ親しんだ体温に包まれて、最強の魔人は眠りに落ちる。

 今日見た夢の続きは、また明日の朝ごはんの時にでも見るとしよう。


 最恐魔人と勇者の、美味しくて騒がしい旅路はまだ続くことだろう。

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