第二十一話 カオスな晩餐会
『ギョオオオオオオオオッ!!』
玉座の間を揺るがす咆哮と共に、怪物が動いた。
暴食の化身――四つの地脈が融合して生まれたエネルギーの塊が、その不定形の巨体を波打たせる。
バヂチチチチッ……!!
怪物の全身から、デタラメな魔力が噴き出した。
炎が凍りつき、岩が溶け、雷が芽吹く。
物理法則を無視したカオスな嵐が、玉座の間を埋め尽くす。
「うわぁっ!? なんですかこれ!」
リディアが聖剣で炎の鞭を弾きながら叫ぶ。
「アビスさん! こんなのちまちま戦ってられません! アビスさんの魔法で、ドカンと一発で消し飛ばしちゃってくださいよ!」
リディアの叫びはもっともだった。
世界最強の魔人アビスならば、こんな怪物、指先一つで塵にできるはずだ。
だが。
「……馬鹿かテメエは」
アビスは、飛んでくる岩石を素手で払い落としながら、冷たく言い放った。
「こいつは、大陸全土から集まった地脈エネルギーの塊だぞ? いわば、超高密度の『魔力爆弾』だ。俺様が本気で吹き飛ばしてみろ。誘爆して、この城はおろか、周辺の土地ごと地図から消滅するぞ」
「ええっ!? そ、そうなんですか!?」
リディアが青ざめる。
「俺様の城を更地にする気か。……ったく、これだから破壊しか能のない脳筋は困る」
アビスは、忌々しげに怪物を見上げた。
倒すだけなら容易い。
だが、「城を守りながら処理する」となると話は別だ。
エネルギーを暴発させず、安全に消滅させる方法はただ一つ。
――アビス自身が、その魔力を取り込むこと。
「だが……」
アビスは顔をしかめた。
「あの見た目を見ろ。火と水と土と木が、ミキサーにかけられた生ゴミのように混ざり合っていやがる。あんな濁った魔力をそのまま食ってみろ。腹を壊すわ」
美食家であるアビスにとって、生ゴミのような混沌を口にするのは拷問に等しい。
「……セレス」
「はっ! ここに!」
後方で結界を展開していたセレスが即答する。
「分析しろ。こいつを『解体』して、純粋な四つの素材に戻す手順をだ」
「承知いたしました!」
セレスが杖を掲げ、高速で魔力解析を行う。
「……出ました! 現在、怪物の核を中心に、四属性が高速で循環しています。物理的な結合部である『土』と『木』を同時に切断し、その瞬間に内部の『火』と『氷』を魔力干渉で分離させれば……バラせます!」
「ほう。面倒な手順だな」
アビスは、漆黒のナイフとフォーク(魔力製)を出現させた。
その瞳が、獲物を狙う捕食者の鋭さを帯びる。
「だが、やるしかないか。不味い飯を食わされるよりはマシだ」
アビスが一歩踏み出す。
その瞬間、彼の体から放たれた覇気が、玉座の間の空気を支配した。
「総員、聞け! これより、この汚らしい塊を『解体』する」
アビスの声が、絶対的な命令として響く。
「これは戦闘ではない。ただの『調理の下ごしらえ』だ。リディア、テト! テメエらは俺様の『調理器具』になれ!」
「ちょ、調理器具!?」
「そうだ。 リディア、テメエは『まな板』だ! 正面で奴の注意を引きつけ、動きを固定しろ!」
「まな板!? 扱いひどくないですか!?」
「文句を言うな! テメエは頑丈さだけが取り柄なんだよ!」
「テト! テメエは『皮むき器』だ! 足元をチョロチョロ動き回って、奴の表面の硬い装甲を削ぎ落とせ!」
「ピーラーかよ! 地味だなあ!」
「セレス! テメエは『食器』だ! 分離した魔力が再融合しないよう、結界で隔離・保存しろ!」
「ボウル……! アビス様に注がれる器……! 興奮してきましたわ!」
それぞれの役割が与えられた。
アビスは、右手のナイフを構え、怪物を見据えた。
「さあ、調理開始だ。……3分で終わらせるぞ」
◇
戦いは、一方的だった。
いや、それはもはや戦いとは呼べなかった。
熟練のシェフによる、鮮やかな解体ショーだった。
「こっちですよー! ほらほら、まな板ですよー!」
リディアが聖剣を盾にし、怪物の触手攻撃を全て受け止める。
勇者の防御力は伊達ではない。
どんな攻撃を受けても「痛っ! でも平気!」で済ませてしまう彼女は、最強のデコイだった。
その隙に、テトが疾走する。
「皮むき、皮むきっと!」
彼の短剣が、怪物の関節部分にある岩や蔦を正確に切り裂く。
致命傷は与えられないが、アビスが刃を通すための「道」を作るには十分だった。
そして。
「……遅い」
アビスが動いた。
黒いコートを翻し、空間転移のような速度で懐に潜り込む。
ヒュンッ!!
漆黒のナイフが一閃。
怪物の巨体が、上下にズレた。
だが、ただ斬っただけではない。
その断面からは、血の代わりに「土」と「木」の魔力が分離して溢れ出した。
「まずは一品目……『大地のテリーヌ』」
アビスが左手をかざすと、溢れ出た土と木のエネルギーが渦を巻き、小さなキューブ状に圧縮された。
怪物の構成要素の半分が、一瞬で奪い取られたのだ。
『ギィッ!? ガァァァァァッ!?』
怪物が悲鳴を上げる。
体が半分になり、バランスを崩して倒れ込む。
残ったのは、核にある「火」と「氷」のエネルギーだけ。
「セレス、回収しろ」
「はっ! いただきます!」
セレスが結界を展開し、アビスが切り出したエネルギーキューブを空中でキャッチする。
「……どれ、味見だ」
アビスは、圧縮された魔力の塊を、フォークで突き刺して口へと運んだ。
「……ふむ」
アビスは、目を閉じて味わった。
「西の穀倉地帯の土の滋味と、南のジャングルの野生味……。少し泥臭いが、噛めば噛むほど深いコクが出る。歯ごたえも悪くない」
ゴクンッ。
アビスが飲み込むと、彼の体から黄金色と緑色のオーラが立ち昇った。
土の堅牢さと、木の再生力を取り込んだのだ。
体の一部を食われた怪物が、恐怖と怒りで震える。
残るは、核にある「火」と「氷」のエネルギーだけ。
「さあ、次はスープだ」
アビスが舌なめずりをする。
怪物は本能的に悟った。
目の前の男は、自分を「敵」として見ていない。
純粋に、食事として「味わおう」としているのだと。
捕食者が、被食者へと転落した瞬間だった。
『イヤダ……! クワレタクナイ……!』
怪物が暴走する。
残った火と氷の魔力を暴発させ、自爆覚悟の全方位放射を放とうとしたのだ。
赤と青の光が混ざり合い、紫色に輝く超高熱のプラズマが膨れ上がる。
「あっ! アビスさん! あれ、自爆しますよ! お城が!」
リディアが叫ぶ。
「……チッ。最後の最後まで、手を煩わせる奴だ」
アビスは、膨張するエネルギーの塊を見ても、眉一つ動かさなかった。
「爆発? させるかよ」
アビスは、巨大なスプーン(のような形状の闇)を出現させた。
「火力が強すぎるなら、冷ませばいいだけだ」
アビスの左手が輝く。
「――『絶対零度』」
パキィィィィィン……!!
アビスが軽く手を振ると、暴走しかけていたプラズマの塊が、一瞬で氷の球体の中に閉じ込められた。
爆発のエネルギーごと凍結させ、その衝撃を「旨味」として封じ込める神業。
「……よし。 これで、火と氷が喧嘩せずに馴染んだな」
目の前には、巨大な氷の球体に閉じ込められた、赤と青のマーブル模様のエネルギー体が浮かんでいた。
「二品目……『炎と氷の冷製ポタージュ』」
アビスはスプーンを振るい、その巨大な球体から、とろりと濃厚な魔力をすくい上げた。
そして、優雅に口へと運ぶ。
「……熱くて、冷たい。 相反する二つが、俺様の口の中で溶け合い、喉を焼き、そして冷やしていく……」
アビスは恍惚の表情で飲み込んだ。
「……美味い」
その一言と共に、怪物の核となっていた魔力は完全にアビスの一部となった。
残されたのは、魔力を失って崩れ落ちる、ただの黒い煤だけ。
「ごちそうさま」
アビスがナプキンで口元を拭うと、玉座の間に静寂が戻った。
極彩色だったジャングルや、ファンシーな装飾も、魔力の供給を断たれて急速に色あせ、元の黒い石造りの城へと戻っていく。
「す、すごいです……」
リディアが聖剣を下ろして呆然とする。
「本当に、お料理するみたいに倒しちゃいました……」
「これがアビス様の『解体ショー』……! 感動で涙が止まりません!」
セレスが泣きながら拍手している。
「ふぅ……。なんとか城も無事みたいだな」
テトがへたり込む。
アビスは、元のシックな黒に戻った玉座を満足げに撫でた。
そして、ドカッと腰を下ろし、足を組む。
「掃除完了だ。……フン。少しはマシな空気になったな」
グゥ〜〜〜……。
突然、間の抜けた音が響いた。
アビスのお腹からではない。
リディアのお腹からだ。
「あはは……。 アビスさんが美味しそうに食べてるのを見てたら、お腹空いちゃいました」
リディアが照れくさそうに頭をかく。
「……呆れた奴だ」
アビスは溜息をついたが、その表情はどこか柔らかかった。
彼は指を鳴らし、虚空から収納魔法を開いた。
「仕方ない。まだ『デザート』が残っているしな」
アビスが取り出したのは、北の地で作ったアイスの残りと、各地で集めた食材たち。
「テメエらも働いた分、報酬はやる。……最後の仕上げだ。この城で、真の『祝勝会』を始めるぞ」
魔王城の玉座の間。
かつて世界を恐怖させたその場所で、今、世界で一番甘くて平和なパーティーが始まろうとしていた。




