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第二十話 魔人城の不法侵入者

「――飛ばすぞ、しっかり掴まってろ!」

 アビスの号令と共に、幌馬車が光に包まれた。

 セレスによる長距離転移魔法『空間跳躍(ワープ)』である。

 本来なら大陸を跨ぐほどの移動は、魔力の消費が激しすぎて不可能に近い。

 だが、今は違う。

 アビスが自身の膨大な魔力をセレスに供給(という名の無理やり注入)しているため、馬車は物理法則を無視して空間のトンネルを突き進んでいた。

「ひぃぃぃぃっ! 速すぎるよぉぉぉぉ!」

 テトが御者台にしがみついて悲鳴を上げる。

 景色など見えない。流れる星屑のような光の中を、馬車は弾丸のごとく疾走していた。「アビス様! 魔力供給が多すぎます! 私の回路が焼き切れますわ!」

「甘えるな。壊れたら治してやるから回せ」

「はうぅっ! 鬼畜! 素敵!」

 セレスが鼻血を出しながら杖を振るう。

 馬車内では、リディアが窓にへばりついて目を輝かせていた。

「わあ、アビスさんのお城に行くの、久しぶりですね! 私、お城を占拠してた『浄化者(ピュリファイア)』のボス……えっと、初代勇者さん?を倒しに行った時以来ですよ!」

「……フン。思い出すだけで虫唾が走る」

 アビスは腕を組み、忌々しげに吐き捨てた。

「あの時は、あの初代勇者(時代遅れの骨董品)が、俺様の城を趣味の悪い『真っ白な神殿』に改装しやがっていたんだったな。どいつもこいつも、人の家に勝手に上がり込んで、インテリアを弄り回しやがって……」

 アビスの目には、過去の屈辱と、これからの「掃除」への殺意が宿っていた。

 彼にとって魔王城はただの拠点ではない。

 自身の美学を詰め込んだ、安眠のための聖域なのだ。

「今回は徹底的にやるぞ。壁紙一枚残さず、俺様色に染め直してやる」


 ◇


 数時間後。

 空間の裂け目を抜け、馬車はドスンと大地に着地した。

 砂煙が舞い上がる。

「着いたぞ。ここが大陸の中央……俺様の領地だ」

 アビスが馬車を降りる。

 リディアたちも続いて外に出た。

 かつての世界の敵、魔王アビスが支配していた「死の大地」。

 草木一本生えない荒野と、常に雷雲が垂れ込める闇の世界――。


 のはずだった。


「……え?」

 リディアが目を丸くした。

「アビスさん……ここ、本当にお城ですか?」

 目の前に広がっていたのは、荒野ではなかった。

 極彩色に輝く、見たこともない植物と結晶のジャングルだった。

 地面からは、ルビーのように赤い草が生い茂り、木々はエメラルドの葉を繁らせている。

 空には黄金色の雲が流れ、そこからダイヤモンドの雨が降っているかと思えば、遠くの火山からは虹色のマグマが噴き出している。

 暑いのか寒いのかも分からない。

 熱帯の湿気と、極寒の冷気が入り混じった、カオスな大気が渦巻いている。

「な、なんだこれ……!?」

 テトが絶句する。

「目がチカチカするぞ! ここ、魔界っていうか……おもちゃ箱をひっくり返したみたいだ!」

「……四属性の魔力が混ざり合い、環境そのものが変異しています」

 セレスが青ざめた顔で計測する。

「火の活性、木の成長、土の硬化、氷の結晶化……。それらが無秩序に発生し、とんでもない生態系を作り上げていますわ!」

 アビスは、無言で立ち尽くしていた。

 彼が愛した「静寂と闇の世界」は見る影もない。

 あるのは、けばけばしくて、騒がしくて、悪趣味極まりない「魔力のゴミ捨て場」だった。

「……」

 アビスのこめかみに、青筋がピキリと浮かんだ。

「俺様の……シックで洗練されたモノトーンの庭が……。なんだこの、小学生の塗り絵みたいな配色は……」

 怒りで声が震えている。

 彼にとって、この光景は「世界征服の失敗」などより遥かに屈辱的な、「美意識への冒涜」だった。

「全部消し去ってやる。だがその前に、大元を断たないとすぐに元に戻ってしまうな。行くぞ。犯人は城にいる。……あそこだ」

 アビスが指差した先。

 極彩色の森の向こうに、かつての居城――『魔人城(アビス・キャッスル)』がそびえ立っていた。

 だが、その城もまた、無惨な姿になっていた。

 漆黒だった外壁は、金色の苔と氷の蔦に覆われ、尖塔の先からはピンク色の炎が噴き出している。

 もはや「魔人城」というより、「悪趣味なテーマパークの城」だ。

「ぶっ……!」

 テトが思わず吹き出した。

「ご、ごめんアビスさん! なんか……可愛い城になっちゃってるね!」

「笑うな。殺すぞ」

 アビスは殺意の波動を撒き散らしながら、ジャングルへと足を踏み入れた。

 邪魔な極彩色の植物を、歩くだけで黒い粒子に変えて消滅させていく。


 ◇


 城門の前までたどり着いた一行。

 そこには、かつてアビスが配置していた「ガーゴイルの石像」があったが、今はなぜかファンシーな花の首飾りをつけられ、ポーズも心なしか楽しげに見える。

「……ナメてんのか」

 アビスが石像を粉砕した。


 ドォォォォン!!


 城門を魔力で吹き飛ばし、中へと侵入する。

 城内もまた、カオスだった。

 廊下は溶岩でできた川が流れ、天井からは氷柱が下がり、壁からは植物のツルが伸びて道を塞いでいる。

「すごいですねー! アスレチックみたいです!」

 リディアだけが楽しそうに、溶岩の川を飛び越え、氷柱をへし折って進んでいく。

「玉座の間だ。地脈のエネルギーは、全てあそこに集まっている」

 アビスは迷うことなく最深部を目指す。

 そして、ついに「玉座の間」の大扉の前に立った。

 扉の隙間から、圧倒的な魔力の奔流と、何かが咀嚼するような「グチャッ……グチャッ……」という不快な音が漏れ聞こえてくる。

「……いるな」

 アビスが扉に手をかけた。

「開けるぞ。不法侵入者への、退去勧告だ」


 ギギギギギ……!!


 重厚な扉が開かれた。

 その向こう側。

 かつてアビスが座り、世界を見下ろしていた「漆黒の玉座」があった場所。

 そこに、「それ」はいた。

「…………ア、アァ……?」

 それは、不定形の怪物だった。

 大きさは二十メートルほど。

 体はスライムのようにドロドロとしており、その表面には炎が燃え、岩が浮き、氷が張り付き、植物が生えている。

 四つの属性を無理やりミキサーにかけて固めたような、醜悪なエネルギーの塊。

 そして、その中心には、巨大な「口」だけがあった。

『ハラ……ヘッタ……』

『モット……ヨコセ……』

『ウマイ……マズイ……ウマイ……!』

 怪物は、玉座の間にある柱や装飾品を、触手で手当たり次第に掴んでは、その巨大な口に放り込んでいた。

 アビスのお気に入りだった、黒曜石の彫像も。

 最高級の魔獣皮で作ったソファも。

 すべてが、怪物の胃袋へと消えていく。

「ああっ!? 私たちの思い出の場所が!」

 リディアが叫ぶ。

 アビスは、静かに一歩前に出た。

 その顔からは、感情が抜け落ちていた。

 あまりの怒りに、一周回って冷静になったのだ。

「……おい」

 アビスの声が、広間に響いた。

 怪物の動きが止まる。

 その身体にある無数の目玉(魔力の塊)が、一斉にアビスを向いた。

「俺様の城で、勝手にビュッフェを開いているのはテメエか?」

『……オマエ……ダレ……?』

『ウマソウ……』

『オマエ……クウ……!』

 怪物が、アビスを見て涎を垂らした。

 アビスの持つ、底なしの魔力。

 それこそが、この怪物にとって最高の「メインディッシュ」に見えたのだ。


 ズズズズズ……!


 怪物が身体を膨張させ、アビスたちを飲み込もうと襲いかかってくる。

「……そうか。俺様を食うか」

 アビスは、口の端を吊り上げ、凶悪に笑った。

 その瞬間、城全体が震えるほどの殺気が爆発した。

「いい度胸だ。だが、あいにくだったな。――この城の『捕食者』は、俺様一人だ」

 アビスが右手を掲げると、虚空から巨大な「漆黒のフォーク」が出現した。

 そして左手には「漆黒のナイフ」。

「テメエは食う側じゃない。食われる側だ」

 アビスは、怪物――『暴食の化身(マナ・イーター)』を見据え、宣言した。

「火、木、土、氷……。俺様が各地で味わい損ねた『フルコース』の残り物。テメエの中に全部詰まっていることは分かっている。……責任を持って、骨の髄まで味わい尽くしてやるから覚悟しろ」

 最後の戦い。

 それは、世界を救うための聖戦ではない。

 最強の魔人による、史上最大にして最凶の「お食事会」の始まりだった。

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