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第十八話 天空のシロップ狩り

 白銀城(シャトー・ド・ブラン)の最上層。

 氷で覆われた尖塔の頂上は、生命の存在を許さない死の世界だった。

 気温はマイナス七十度。

 吐く息すら瞬時に凍りつき、ダイヤモンドダストとなって散っていく。

 そんな極限の場所に、二つの人影があった。

「うわぁ……! 高いですねアビスさん! 街が豆粒みたいです!」

 リディアが、強風に赤髪をなびかせながら、眼下に広がる白銀の世界を見下ろして歓声を上げた。

 彼女は防寒具など着ていない。

 アビスの魔力でコーティングされた『保温結界』と、自身の異常な生命力だけで、この極寒に耐えているのだ。

「……はしゃぐな。落ちても知らんぞ」

 その隣。

 漆黒のコートをはためかせ、アビスが腕を組んで立っていた。

 彼の視線は下ではなく、遥か頭上――空を覆う巨大なドーム状の結界と、そのさらに上空に揺らめく「光の帯」に向けられていた。

 オーロラ。

 エメラルドグリーン、紫、深紅。

 様々な色が混ざり合い、生き物のようにうねりながら夜空を焦がしている。

 地上から見れば幻想的な光景だが、この距離で見ると、それは圧倒的な「魔力の奔流」だった。

「……なるほどな。近くで見るとよく分かる。あれはただの発光現象じゃねえ。リュミエールの死後、行き場を失った膨大な魔力が大気中のマナと反応し、一種の『超高密度エネルギー体』に変質してやがる」

 アビスは舌なめずりをした。

「純粋で、強大で、そして何より……甘そうだ」

「甘そう……ですか?」

 リディアが空を見上げて首を傾げる。

「私には、綺麗なカーテンにしか見えませんけど……」

「凡人の目にはな。だが、俺様の『魔眼』には見える。あの光の中に凝縮された、極上の魔力糖分がな。……あれを煮詰めれば、砂糖なんぞ比較にならねえ、魂をトロけさせるシロップになる」

「へぇー! じゃあ、飛んで採りに行くんですね!」

 リディアが無邪気に言う。

「アビスさんなら、空くらいひとっ飛びですよね?」

「飛ぶこと自体は造作もない。だが、問題はあいつの『性質』だ」

 アビスは忌々しげにオーロラを睨んだ。

「あれは純粋な光属性の魔力だ。対して、俺様は深淵の闇。俺様が不用意に近づけば、消滅して霧散しちまう。繊細な食材なんだよ」

「あらら、じゃあどうするんですか?」

「だから、テメエを連れてきたんだ」

 アビスはリディアの方を向き、ニヤリと笑った。

「リディア。テメエは勇者だ。その身体には、無駄に膨大で、暑苦しいほどの『生命力(光の魔力)』が詰まっている」

「え? 褒められてます?」

「事実を言っただけだ。いいか、あの空に浮かぶオーロラは、主を失って飢えている。そんな腹ペコの獣の前に、テメエみたいな極上の『エサ』がぶら下がっていたら……どうすると思う?」

 リディアはポカンとして、それからポンと手を叩いた。

「あ! 食べに来るってことですか!?」

「そうだ。つまり、これは『オーロラの一本釣り』だ。テメエは釣り針につけるミミズ……じゃなくて、最高級のルアーになれ」

「ミミズは嫌ですけど、ルアーなら任せてください! 要するに、目立てばいいんですね!」

 リディアはガッツポーズをとると、塔の縁に立った。

 そして、深呼吸をする。

「すぅぅぅぅぅ…………」

 彼女の全身から、黄金色のオーラが噴き出した。

 勇者の『闘気(オーラ)』の全開放。

 それは、夜の闇を切り裂く灯台のように、あるいは猛吹雪の中で燃え盛る篝火のように、強烈な存在感を放った。

「おーい! オーロラさーん! こっちですよー! 美味しいですよー!」

 リディアが手を振って叫ぶ。

 その瞬間。


 ギィィィィィィィン……!!


 上空の光の帯が、ビクリと反応した。

 ゆらゆらと揺らめいていた光が、突如として鎌首をもたげる大蛇のように形を変える。

 そして、リディアの放つ生命の輝きに引き寄せられるように――


 ズゴオォォォォォォォォッ!!


 落下してきた。

 音速を超える速度で、光の奔流が塔の頂上へ向かって急降下してくる。

 それは幻想的な光景などではない。

 直径数百メートルの、極太のレーザー砲撃だ。

「わわっ!? ちょ、ちょっと勢い良すぎませんか!?」

 リディアが慌てる。

 直撃すれば、勇者といえどただでは済まない。

 街ごと消し飛ぶエネルギー量だ。

「いい食いつきだ」

 アビスが一歩前に出た。

 彼は右手を掲げ、迫りくる光の滝を真正面から受け止める構えをとった。

 その掌に、底なしの漆黒の闇が渦巻く。

 ――『万食の顎(グラトニー・ジョーズ)』。


 ガプンッ!!


 アビスの手から放たれた闇が、巨大な捕食植物の花のように展開し、落下してきたオーロラを「呑み込んだ」。

 光と闇の激突。

 本来なら対消滅するはずの両者だが、アビスの魔力制御はそれを許さない。

 闇の檻の中で、光のエネルギーを逃さず、壊さず、ただひたすらに「圧縮」していく。

「暴れるなよ。無駄な抵抗は味を落とす」


 ギィィ……キュゥゥゥ……


 オーロラが断末魔のような音を立てて身をよじる。

 だが、アビスの魔力からは逃れられない。

 数キロメートルにも及ぶ巨大な光の帯が、アビスの手のひらの上で、みるみるうちに小さく凝縮されていく。

 気体から液体へ。

 エネルギーから物質へ。

 アビスの理不尽な魔力操作(調理)によって、自然現象が強制的に「食材」へと変えられていく。

「凝縮しろ。光を捨て、熱を捨て、ただ純粋な『甘み』だけを残せ」


 バヂチチチチッ!


 アビスの手の中で火花が散る。

 そして、最後の光が吸い込まれた瞬間。


 ポンッ。


 軽快な音と共に、アビスの手の上には、虹色に輝く粘度の高い液体が浮かんでいた。

 大きさはバスケットボールほど。

 あれほど巨大だったオーロラが、すべてこの一塊に濃縮されたのだ。

「とったどー! ……ですね!」

 リディアが拍手する。

「すごいですアビスさん! 本当に空を捕まえちゃいました!」

「……フン。これくらい造作もない。さあ、帰るぞリディア。アイスが溶ける前に仕上げだ」

「はいっ!」

 二人はアビスの転移魔法で、一瞬にして城のバルコニーへと帰還した。


 ◇


 調理場に戻ると、そこは異様な静寂に包まれていた。

 セレス、テト、そしてメイド人形のソルベたちが、ポカンと口を開けて待っていたからだ。

 窓の外、空にあったはずのオーロラが消滅し、星空だけが広がっているのを見た直後だった。

「あ、アビス様……? まさか本当に……空を……?」

 セレスが震える声で尋ねる。

「ああ、釣ってきたぞ」

 アビスは、虹色に輝く液体が入った巨大な瓶を、ドンとテーブルに置いた。

 瓶の中で、光の液体が生き物のように揺らめいている。

「こ、これが……オーロラ……?」

 テトがおっかなびっくり覗き込む。

「すげぇ……。光ってるのに、ドロっとしてる。なんか甘い匂いがするぞ」

「成分分析……不能。魔力濃度、測定限界ヲ突破。コレハ……物質デスカ?」

 ソルベが混乱してショート寸前になっている。

「御託はいい。仕上げるぞ」

 アビスは、泡立てておいたアイスのベース(アングレーズソース)のボウルを引き寄せた。

 そして、瓶の蓋を開け、虹色のシロップをゆっくりと垂らした。

 トロリ……。

 輝く液体が、白いクリームの中に落ちる。

 その瞬間、ボウルの中からパァッ!と光が溢れ出した。

「うわっ、眩しっ!」

「混ぜろ、テト!」

「う、うん!」

 テトが再び高速で攪拌する。

 虹色のシロップがクリーム全体に馴染んでいくにつれ、不思議な現象が起きた。

 ただのクリームだったものが、まるで宝石を溶かし込んだかのような、真珠色の輝きを放ち始めたのだ。

 そして、調理場全体に、花畑のような、優しく甘い香りが充満した。

「い、いい匂いです……!」

 リディアがうっとりとした顔になる。

「匂いを嗅いだだけで、なんか幸せな気分になります……」

「……よし。 最後は冷却だ。ソルベ、テメエらの出番だ。この部屋の全冷却機能を使って、一気に冷やし固めろ! ただし、氷の結晶を作るな。液体のまま固めるイメージだ!」

「……了解シマシタ。全力冷却、開始!」

 ソルベの号令と共に、メイド人形たちが一斉に冷気を噴射した。

 室温がさらに下がる。マイナス五十度。

 だが、アビスの作ったクリームは凍りつかない。

 冷気の中でゆっくりと粘度を増し、シルクのような滑らかさを保ったまま、固まっていく。

「……完成だ」

 数分後。

 アビスが手を挙げ、冷却を止めさせた。

 ボウルの中には、真珠色に輝くソフトクリーム状の物体が出来上がっていた。

 『究極・エターナル・アイスクリーム(アビス・スペシャル)』。

「さあ、味見だ。 リディア、口を開けろ」

 アビスがスプーンですくい、リディアに差し出す。

「は、はいっ! あーん!」

 リディアがパクリと口に含む。

 その瞬間。


 カッ……。


 リディアの瞳から、ポロポロと涙が溢れ出した。

「え……?」

 テトが驚く。

「ね、姉ちゃん? どうしたの? 不味かった? 辛かった?」

「ううん……違うの……」

 リディアは泣きながら、夢見心地で微笑んだ。

「美味しい……。すごく美味しいのに、懐かしい味がするの。子供の頃、お母さんに抱っこされた時みたいな……温かくて、安心する味……。冷たいのに、心がポカポカするような……」

 彼女の体から、黄金色の光の粒子が立ち昇る。

 それは、勇者の過剰な闘争心が浄化され、純粋な生命力へと還元されている証拠だった。

「……成功だな」

 アビスは満足げに頷いた。

「オーロラに含まれるリュミエールの魔力……それは奴がこの国を守ろうとした『庇護の意思』そのものだ。その成分が、食べた者の不安や興奮を優しく包み込み、中和する。これなら、あの住民たちの暴走も止まるだろう」

「ス、スゴイ……」

 ソルベが震える手でボウルに触れた。

「数値デハ表セナイ……コレガ『味』? コレガ『料理』ナノデスカ……?」

「そうだ、ポンコツ。 料理とは化学じゃねえ。魔法だ」

 アビスはエプロンを外し、コートを羽織り直した。

「さあ、配給の時間だ。このアイスを量産し、街中にバラ撒け。……凍りついたこの街を、甘い夢から覚ましてやる」


 ◇


 数時間後。

 白銀城(シャトー・ド・ブラン)のバルコニーから、眼下の街を見下ろすアビスたちの姿があった。

 メイド人形たちが、量産されたアイスクリーム(アビスの作った原液を種として培養したもの)を持って街へ飛び出していった。

 凍りついた住民たちの口に、スプーンでアイスを含ませていく。

 変化は劇的だった。


 パリン……パリン……。


 アイスを口にした住民の表面を覆っていた氷が、次々と砕け散っていく。

 そして、怒りや興奮で歪んでいた彼らの表情が、安らかなものへと変わっていく。

「あ……れ……? 俺は一体……?」

「なんか……すっげえいい夢を見てた気がする……」

「腹減ったなぁ……。ていうか、口の中がめちゃくちゃ美味いぞ……」

 住民たちが次々と正気を取り戻し、その場に座り込んでアイスの余韻に浸り始めた。

 街を覆っていた殺伐とした狂気(ハイ状態)が消え、穏やかな空気が満ちていく。

 さらに。


 ゴゴゴゴゴゴ……。


 街全体を覆っていた巨大な結界ドームにも、変化が現れた。

 動力源だったオーロラがアビスに食われたことで、維持ができなくなったのだ。


 パァァァァァァァン!!


 盛大な音と共に、氷のドームが光の粒子となって崩壊した。

 久しぶりに降り注ぐ直射日光。

 そして、凍りついていた街路樹や建物も、魔法が解けたように氷が溶け、本来の色彩を取り戻していく。

「綺麗……。氷が溶けて、花が咲いていくみたいです」

 リディアがバルコニーの手すりに身を乗り出し、感嘆の声を漏らす。

「ふん。やっとただの街に戻ったか」

 アビスは、ワイングラス(中身は溶けたオーロラシロップのソーダ割り)を揺らしながら、つまらなそうに言った。

「これで心置きなく、静かな寝床と食事が確保できる。……おい、セレス。部屋を手配しろ。この城で一番ふかふかのベッドだ」

「はいっ! すでに最高級のスイートを確保済みですわ! もちろん、アビス様専用の『膝枕』も準備万端です!」

 セレスが自分の太ももをパンパンと叩く。

「……テメエの太ももなんぞ固くて寝られん。テト、代われ」

「ええっ!? 俺!? 俺の足こそゴツゴツしてるよ!?」

「いいから貸せ。俺様は疲れたんだ」

 アビスは強引にテトの太ももに頭を乗せ、バルコニーのベンチで横になった。

 オーロラ狩りとアイス作りで、多少は魔力を使ったのだ。

 少しの休息くらい許されるだろう。

「くぅ……。アビス様の寝顔……尊い……。テトさん、場所代わってください。金貨百枚出します」

「金貨は欲しいけど、無理だよ!」

「ふふふ、平和ですねぇ」

 リディアは、蘇った街並みと、騒がしい仲間たちを見て、幸せそうに微笑んだ。

 諸国を巡る「美食」ミッションは、これにて完了――。


 かに思えた。


 だが。

 彼らはまだ気づいていなかった。

 アビスたちが東西南北四つの地域すべてを巡り、それぞれの土地の地脈の源を完璧に「掃除」してしまったことで、溢れ出した膨大なエネルギーが、大陸の中央へ向かって流入し始めていることを。


 ドクン……ドクン……。


 遥か南、旧魔人(アビス)城。

 主のいない玉座の間で、限界を超えた魔力の塊が、産声を上げるように不気味な鼓動を打ち始めていた。

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