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第十七話 氷点下の調理場

 白銀城(シャトー・ド・ブラン)の最奥。

 案内された「厨房」は、リディアたちが想像していたような、温かみのある調理場とは程遠い場所だった。


 プシュゥゥゥ……。


 重厚な氷の扉が開くと、そこには巨大な実験室のような空間が広がっていた。

 壁も床も、すべてが抗菌作用のある特殊な氷で覆われ、天井には無数の氷柱(つらら)がシャンデリアのように下がっている。

 部屋の中央には、クリスタルガラスで作られたベルトコンベアが走り、その周囲を数十体のメイド人形たちが、機械的な正確さで動き回っていた。


 カシャン、カシャン、カシャン……。


 ビーカーに液体を注ぐ者。

 巨大なフラスコを振る者。

 謎の粉末を天秤で計量する者。

 そこには「料理」という概念はなく、あるのは冷徹な「化学実験」の光景だった。

「うわぁ……。なんか、病院みたいですね」

 リディアが寒さに鼻を啜りながら呟く。

「いい匂いが全然しません。消毒液みたいな匂いがします」

「室温マイナス二十度……。食材の鮮度を保つには最適ですが、これでは発酵も熟成も起きませんわね」

 セレスが眼鏡を白く曇らせながら、興味深そうに周囲を観察している。

「アビス様、あそこを見てください。あのメイドたちが扱っている液体……『龍の涙』と呼ばれる超低温の魔力水ですわ。あれをベースにアイスを作っているようです」

「……フン。味気ない工場だ」

 アビスは、ポケットに手を突っ込んだまま、ずかずかと厨房の中央へと進んでいく。

 彼が通ると、作業中のメイド人形たちが一斉に手を止め、無機質な瞳で彼を追った。

「ようこそ、氷点下の調理場(キッチン)ヘ」

 調理場の責任者らしき、一際装飾の多いメイド人形が進み出てきた。

 胸元には『料理長』のプレート。

 だが、その手には包丁ではなく、試験管と温度計が握られている。

「私ハ、統括管理ユニット『ソルベ』。コノ場所デ、市民ヲ鎮静化サセルタメノ『完全食品』ヲ製造シテイマス」

 ソルベと名乗ったメイドは、アビスの前に恭しく銀色のトレイを差し出した。

 そこには、小さなガラスの器に入った、真っ白なペースト状の物体が乗っていた。

「コレガ、現在開発中ノ『エターナル・アイスクリーム(試作型989番)』デス。成分分析、栄養価、冷却効率、全テニオイテ完璧デスガ……ナゼカ、完成ニ至リマセン」

「……ほう」

 アビスはトレイを見下ろした。

 見た目は、確かにアイスクリームだ。

 きめ細かく、純白に輝き、冷気を漂わせている。

「試食ヲ、許可シマス。外部ノ味覚データヲ採取シ、改良ニ役立テマス」

「わあ! ありがとうございます!」

 リディアが目を輝かせて飛びついた。

「いただきまーす!」

 彼女はスプーンでたっぷりすくうと、パクりと口に入れた。

「ん……!」

 リディアの動きが止まった。

「どうだ姉ちゃん、美味いか?」

 テトが期待を込めて尋ねる。

 リディアは数秒間沈黙し、コクリと飲み込むと、微妙な顔で首を傾げた。

「……冷たいです」

「そりゃアイスだからな」

「いえ、そうじゃなくて……。味が、ないんです。甘いような気もするんですけど、舌に乗せた瞬間、冷たすぎて味が分からなくなるというか……。あと、なんか砂みたいにジャリジャリします」

「砂……?」

 テトも横から指ですくって舐めてみた。

「うわ、本当だ。甘みはあるけど、なんか薬っぽい。それに、食感が最悪だ。口の中で溶けないで、ずっと氷の粒が残ってる感じ」

「成分ハ完璧デス」

 ソルベが平坦な声で反論する。

「糖度15%、乳脂肪分8%、魔力濃度Sランク。計算上、コレ以上ノスイーツハ存在シマセン」

「……計算、か」

 アビスが鼻で笑った。

 彼はスプーンを手に取ると、アイスの表面を軽く撫でた。

 そして、すくうことなく、スプーンをトレイに戻した。

「食う価値もねえ」

 カラン、とスプーンが冷たい音を立てる。

「……理解不能。ナゼ、食ベズニ判断スルノデスか?」

「目で見れば分かる。 テメエら、アイスクリームを何だと思っている?」

 アビスの瞳が、氷点下の厨房よりも冷たく光った。

「これはただの『凍った砂糖水』だ。空気(エア)が含まれていない。アイスの滑らかさとは、脂肪球と氷結晶、そして空気が絶妙なバランスで乳化(エマルジョン)することで生まれる奇跡だ。テメエらは、効率を優先するあまり、ただ材料を混ぜて急冷しただけだろ。だから結晶が肥大化し、ジャリジャリした食感になる」

 アビスは、ソルベの胸ぐら(エプロン)を指先で掴み、引き寄せた。

「それに、一番の問題は温度だ。マイナス二十度? ……ぬるいな」

「……否定シマス。コレハ人体ガ摂取可能ナ限界温度デス。コレ以上下ゲルト、内臓ガ凍結シマス」

「馬鹿が。物理的な温度の話じゃねえ」

 アビスは指先で、ソルベの額(冷たい人工皮膚)を弾いた。

「『(パッション)』が足りねえと言ってるんだ」

 アビスの言葉に、メイドたち全員が停止した。

 処理落ちしたような沈黙が流れる。

「熱……? 理解不能。我々ノ目的ハ『冷却』デス。熱ハ、市民ヲ暴走サセル原因デス。排除スベキ不純物デス」

「それが間違いだっつってんだよ、ポンコツ」

 アビスは呆れ果ててため息をついた。

「いいか? 今、外で凍ってる連中は、感情が爆発してオーバーヒートしてる状態だ。それを無理やり氷で冷やしても、中身は熱いままなんだよ。だから氷が溶けない。本当に鎮火させたいなら、心から満足させて『鎮める』必要がある」

 アビスは、失敗作のアイスを指差した。

「甘味とは、脳への報酬だ。濃厚な乳脂肪のコク、鼻に抜けるバニラの香り、そして舌の上で儚く消える口溶け……。その多幸感こそが、暴走した精神を優しく包み込み、クールダウンさせるんだ。ただ冷たいだけの餌なんか食わせても、余計にストレスが溜まるだけだぞ」

「多幸感……。精神的充足……」

 ソルベの目が激しく点滅する。

「データ照合……。該当スル成分……『愛』?」

「……ケッ。そんな曖昧な言葉で片付けるな」

 アビスは不敵に笑い、黒いコートを翻した。

「だが、まあ近い。 テメエらに足りない残り2%。それは『極上のコク』と、それを繋ぎ止める『魂の甘み』だ」

「セレス!」

「はいっ! アビス様!」

 待ってましたとばかりに、セレスがノートを広げて飛び出してくる。

 彼女はすでにエプロン姿(持参)に着替えていた。

「準備はいいか。俺様による『特別調理実習』を始める」

「はっ! 光栄の極みです! アビス様のエプロン姿……想像するだけで鼻血が……! あ、失礼しました。アビス様用エプロンはこちらです!」

 セレスが恭しく差し出したのは、漆黒のシルクで作られた特注のエプロンだった。

 アビスはそれを無造作に身につける。

 ただのエプロンなのに、彼が着るとまるで王のマントのように見えた。

「かっこいい……! 料理の魔人様ですね!」

 リディアが拍手する。

「ソルベ、調理場を借りるぞ。テメエらの作ったゴミを、至高のデザートに作り変えてやる」

「……了解シマシタ。オ手並ミ拝見シマス」

 ソルベは半信半疑のまま、場所を譲った。

 アビスはまず、材料のチェックから始めた。

 巨大な冷凍庫を開ける。

「……チッ。ミルクも砂糖も、全部カチコチに凍ってやがる。これじゃあ風味が死ぬわけだ」

 この極寒の地では、通常の食材保管ですら難しい。

 すべての分子が活動を停止しようとする世界だ。

「セレス、火だ。この冷凍庫の中身を、一瞬で『常温』に戻せ。ただし、沸騰させるなよ」

「お任せください! 『微細熱操作(マイクロ・ヒート)』!」

 セレスが杖を振ると、冷凍庫の中のミルクタンクが、内側からほのかに光り輝いた。

 精密な魔力操作によって、分子振動だけを加速させ、品質を落とさずに解凍する神業だ。

「よし。次は攪拌だ」

 アビスはボウルにミルクと卵黄、砂糖を入れ、泡立て器を構えた。

「テト、回せ」

「えっ、俺!?」

「テメエの『手先の早さ』を使え。……西の教会で、パンツを盗んだ時の速度で混ぜろ」

「なんであんな恥ずかしい特技をここで蒸し返すんだよ……!?」

 テトは泣き言を言いつつも、ボウルに向かった。

 黄金小麦の副作用は消えているが、盗賊としての手首の柔軟性は健在だ。


 シャカシャカシャカシャカシャカッ!!


 目にも止まらぬ高速攪拌。

 空気がたっぷりと混ざり込み、液体がフワフワのクリーム状に変化していく。

「いいぞ。空気を含ませることで、断熱効果と口溶けの良さが生まれる。……だが」

 アビスは、出来上がったアイスの素(アングレーズソース)を味見し、眉をひそめた。

「まだ足りねえ」

「え? 十分美味しいですよ?」

 横から盗み食いしたリディアが目を丸くする。

「甘くて濃厚で……」

「凡人の舌ならそれでいいだろうな。だが、この街の連中は『精神崩壊』してるんだ。並の甘さじゃ、奴らの脳みそには届かねえ。もっと強烈な、魂を震わせるような『魔性の甘み』が必要だ」

 アビスは天井を見上げた。

 氷の天井の向こう。

 遥か上空に揺らめく、あの光の帯を。

「……砂糖じゃ無理だ。この極寒の世界でも凍らず、輝き続ける、究極のエネルギー体……」

 アビスはニヤリと笑った。

「『オーロラ』だ」

「は……?」

 全員の声がハモった。

 ソルベの電子音が裏返る。

「オーロラ……? 天空ニ発生スル、魔力発光現象ノコトデスカ? アレハ食材デハアリマセン」

「黙れ。俺様が食うと言ったら、それは食材だ」

 アビスは窓の方へと歩き出した。

「あのオーロラは、リュミエールの魔力が大気中のマナと反応して生まれた、高純度の魔力蜜(ネクター)だ。あれを採取して濃縮すれば、砂糖の数千倍の甘みと、精神安定作用を持つ『幻のシロップ』になる」

「そ、空にある光を食べるんですか!?」

 リディアが驚愕する。

「そうだ。だが、あれは高い所にある。……リディア、テメエの出番だ」

「えっ!?」

「俺様をあそこまで運べ。一番高い塔のてっぺんから、さらに空へ跳べ。俺様が直接、あの光を『狩る』」

「む、無茶苦茶だ……!」

 テトが叫ぶ。

「あんな高いところ、気温はマイナス百度以下だよ!?」

「だからこそだ。極限の寒さの中でしか味わえない、極上の甘味。……フン、燃えてきたぜ」

 アビスの瞳に、料理人(シェフ)としての、そして狩人としての炎が宿った。

「行くぞ。 天空のシロップ狩りだ」

 アビスはエプロンをなびかせ、バルコニーへと飛び出した。

 その背中を見て、セレスが恍惚の表情で手帳に書き殴る。

『アビス様、ついに自然現象すら食材認定。空を食らう魔人……素敵! 私もオーロラになって吸われたい!』

 メイド人形たちは、理解不能な行動をとる「特別顧問」の後ろ姿を、ただ呆然と見送るしかなかった。

 だが、彼女たちの演算回路の片隅に、微かな期待の数値が生まれ始めていた。

 この理不尽な魔人なら、本当に「奇跡」を起こせるかもしれない、と。

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