第十六話 銀白の都と、凍れる狂騒
一夜明けて、吹雪は嘘のように止んでいた。
空には、突き抜けるような蒼穹が広がっている。
極寒の澄んだ空気の中、一行はセレスの魔法で保護された馬車に乗り込み、雪原をひた走っていた。
「見えてきましたよ、アビスさん! 懐かしいですね!」
御者台でリディアが声を弾ませた。
彼女が指差す先。
雪原の果てに、かつて訪れたリュミエール領の首都があるはずだった。
だが。
「……なんですか、あれ?」
リディアの声が裏返った。
街があるはずの場所には、巨大な半透明のドーム状の結界が覆いかぶさり、内部を完全に外界から隔絶していたのだ。
太陽の光を反射してギラギラと輝くその姿は、巨大な氷の牢獄のようだ。
「へえ、すっげぇ……! 街全体が氷の中に閉じ込められてるのか?」
テトも身を乗り出して絶句する。
馬車から顔を出したアビス(人間形態)は、その異様な光景を見て、不快げに鼻を鳴らした。
「……趣味の悪いスノードームだ」
アビスが吐き捨てる。
「以前来た時は、ただの石造りの堅苦しい街だったはずだがな。……リュミエールが死んで、管理システムが暴走した成れの果てか」
◇
馬車は、ドームの表面に開いた裂け目(セレスが魔法でこじ開けた入口)をくぐり、都市の中へと入っていく。
ドームの内部に入った瞬間、風が止んだ。
そこは、時が止まっていた。
かつてリディアたちが歩いた石畳の道も、レンガ造りの建物も、街路樹も。
その全てが、分厚い透明な氷によってコーティングされ、硝子細工のような姿に変貌していた。
「うわぁ……。地面も壁も、全部カチコチです」
リディアが氷に覆われた建物の壁をコンコンと叩く。
氷の奥には、以前泊まった宿屋の看板が透けて見えていた。
「氷でできた街……じゃなくて、普通の街が丸ごと凍らされてるんだな」
テトが身震いする。
「こんなの、どうやったらできるんだよ。一瞬で凍らせないとこうはならないだろ?」
そして何より異様なのは――そこにいる「人々」だった。
「ひッ……!?」
テトが短い悲鳴を上げた。
道の至る所に、住民たちがいた。
だが、彼らはピクリとも動かない。
まるで精巧な蝋人形のように、生きたまま、その動作の一瞬を氷の中に閉じ込められているのだ。
パン屋の店先では、店主がパン生地を空中に放り上げた瞬間のまま凍っている。
酒場の前では、男たちがジョッキを掲げて乾杯しようとした姿勢で固まっている。
そして、彼らの表情は一様に――「異常なほどの笑顔」か「血管が切れそうなほどの激怒」で歪んでいた。
「な、なんだこれ……」
テトが青ざめた顔で呟く。
「みんな、笑ってる……? いや、怒ってるのか? 顔を真っ赤にして叫んでるポーズのまま、凍ってるぞ……」
「……これが、『感情の逆流』の末路ですわ」
セレスが眼鏡を直し、冷静に、しかし沈痛な面持ちで解説する。
「数年前、アビス様がリュミエールを討伐し、彼が敷いていた『感情抑制の支配』が解かれた際、それまで抑圧されていた人々の心が一気に爆発しました。喜び、怒り、悲しみ、快楽……。 それらが制御不能な濁流となって溢れ出し、人々は精神崩壊を起こしたのです」
セレスは、顔を真っ赤にして拳を振り上げている男の氷像を指差した。
「見てください。このまま放置すれば、彼は興奮で脳の血管が切れて死んでいたでしょう。……この街を覆う氷は、そんな彼らを物理的に『冷却』し、強制的に生命活動を停止させることで、死から守っているのです」
「守っている……? これが?」
リディアが悲しげに眉を寄せた。
「まるで、氷の棺桶じゃないですか……」
「……緊急避難措置だな」
アビスがつまらなそうに鼻を鳴らした。
「リュミエールは死んだ。だが、奴が作り上げた都市管理システムは生きていたんだろ。主を失い、暴走する市民たちを見て、システムが導き出した最適解。それが『全市民の冷凍保存』ってわけだ」
アビスは、凍りついた街並みを冷徹に見回した。
かつて自分が歩いた、整然とした街並み。
潔癖症で、完璧主義だったリュミエールの気質を反映したその街は今、見るも無残な氷の廃墟と化している。
「……あいつなら、こんな雑な保存方法は選ばなかっただろうな。美しくねえ」
その時。
キィィィィィィィン……。
頭上から、耳鳴りのような高い音が響いた。
「わあ、空を見てください!」
リディアが指差す。
結界ドームの天井付近に、突如として鮮やかな光の帯が現れた。
エメラルドグリーン、紫、そして深い青。
揺らめく光のカーテン――オーロラだ。
「高濃度の魔力光です」
セレスが目を細めた。
「あのオーロラが、この都市の凍結結界を維持しているエネルギー源……。おそらく、発生源はあそこですわ」
セレスの視線の先。
街の最北端、かつてリュミエールが居城としていた、高くそびえ立つ尖塔を持つ城。
今は氷に覆われ、白銀に輝いている。
「あそこに行けば、この氷を溶かす方法……そして、アビス様所望の『アイスクリーム』があるはずです」
「……行くぞ」
アビスが歩き出した。
その背中には、有無を言わせぬ支配者の覇気が漂っている。
◇
一行は馬車を降り、徒歩で城へと向かった。
凍りついた人々を縫うように進む。
まるで博物館の展示物の中を歩いているような、奇妙な感覚だ。
城門の前に辿り着いた時だった。
ガシャン……ガシャン……。
規則正しい金属音が響き、城門の左右から何かが現れた。
それは、人間の女性の形をしていた。
だが、肌は陶器のように白く、関節部分は銀色の球体で繋がれている。
身に纏っているのは、氷の繊維で織られたメイド服。
リュミエールが生前に作り上げた最高傑作、自律思考型自動人形のメイドたちだ。
「侵入者ヲ、確認」
「生体反応、アリ」
「体温、高スギマス。規定値ヲ超エテイマス」
二体のメイド人形が、無機質な硝子玉のような瞳で一行を見下ろした。
彼女たちの手には、巨大な氷のモップと、銀色の盆が握られている。
だが、そこから放たれている殺気は、熟練の戦士以上だった。
「当都市デハ、感情ノ高ブリハ禁止サレテイマス」
「興奮ハ、破滅ヲ招キマス」
「速ヤカニ、冷却処理ヲ行イマス」
メイドたちが盆を掲げた。
瞬間、周囲の大気が凍りついた。
「うわっ!? くるぞ!」
テトが短剣を構える。
「あらあら、せっかくのお客様に対して、いきなり冷却スプレーですか?」
セレスが一歩前に出た。
その手には愛用の杖が握られている。
「生憎ですが、私の『情熱(アビス様への愛)』は絶対零度でも冷やせませんよ? ……掃除されるのは、あなた達の方です」
セレスの杖先に、紅い炎が灯る。
メイドたちの目が赤く点滅した。
「脅威レベル、A」
「排除行動ヲ開始」
「氷結葬送、開始シマス」
ヒュッ!!
メイドのモップから、猛烈な冷気がビームのように射出された。
セレスが炎の壁で防ぐ。
ジュウウウウウウッ!!
炎と氷が衝突し、大量の蒸気が視界を奪う。
「リディアさん! テトさん! 下がっていてください! この程度の鉄くず、私がスクラップにして……」
「――待て」
その時。
戦場に、場違いなほど気だるげな声が響いた。
アビスだった。
彼はあくびを噛み殺しながら、セレスの前に出た。
「アビス様!?」
「下がってろ、変態。……こいつらは壊すな」
アビスは、蒸気の中からトコトコと歩み出るメイドたちを見据えた。
彼女たちの動きには、殺意こそあれど、どこか「守る」ための悲壮さが滲んでいた。
「対象、高エネルギー体」
「脅威レベル、測定不能」
「……排除、不可能?」
アビスを認識した瞬間、メイドたちの動きが止まった。
彼女たちの思考回路が、目の前の魔人の存在感にエラーを起こしかけているようだ。
「おい、ポンコツ人形ども」
アビスが傲然と見下ろす。
「主人が死んで数年……よく留守を守ったな。だが、その『過剰な冷房』設定は少し効きすぎだ。……それに」
アビスは鼻をヒクつかせた。
「城の奥から、甘ったるい匂いがするぞ。テメエら、そこで何を作っている?」
メイド人形たちが顔を見合わせた。
その無機質な表情に、僅かな動揺が走ったように見えた。
「……質問ニ、回答シマス」
一体のメイドが一歩進み出た。
「我々ハ、暴走シタ市民ヲ救済スルタメノ『鎮静剤』ヲ開発中デス」
「コードネーム、『エターナル・アイスクリーム』」
「現在、完成率98%デ停滞中。……最後ノ素材ガ、不足シテイマス」
「……98%だと?」
アビスの眉がピクリと動いた。
「つまり、あと一歩で完成するってわけか。面白い」
アビスはニヤリと笑った。
「なら、話は早い。その残り2%……この俺様が埋めてやる。厨房へ案内しろ」
アビスの有無を言わせぬ命令。
それは、かつてリュミエールが発していた支配者の波動と同じものだった。
メイドたちは抵抗判定を試みるも、即座に服従を選択した。
「……承知シマシタ」
「黒イお客様ヲ、特別顧問トシテ招キ入レマス」
城門が、ギギギ……と重々しい音を立てて開き始めた。
その奥から、冷気と共に、濃厚なバニラの香りが漂ってくる。
「さあ、行くぞ」
アビスは振り返り、リディアたちに言った。
「凍った街を溶かす鍵は、アイスクリームの中にあるらしい。……デザートの時間だ」
一行は、メイドたちに先導され、白銀城の奥深くへと足を踏み入れた。
そこには、冷酷な機械仕掛けの料理人たちと、未完成の「奇跡」が待っていた。




