第十五話 極寒のキャンプ
セレスの極大魔法によって関所を突破した一行だったが、その先に待っていたのは、想像を絶する地獄だった。
旧リュミエール領。
そこは、通常の自然現象ではなく、魔力によって強制的に気温を下げられた「死の世界」だったのだ。
ヒュゴォォォォォォッ!!
視界ゼロのホワイトアウト。
風速五十メートルを超える暴風雪が、馬車を横転させんばかりに吹き荒れる。
気温はマイナス四十度にまで低下していた。
「だ、だめだ姉ちゃん! 前が見えない!」
テトが叫ぶ。
「それに馬たちが限界だ! 魔導馬車だけど、駆動系が凍りついて動かなくなっちまう!」
車内では、リディアがガタガタと震えながら、膝の上の黒い小犬を抱きしめていた。
「アビスさん……あったかい……。でも、このままじゃ私たち、カチコチの冷凍食品になっちゃいますぅ……」
「ワン(……チッ。リュミエールの残留魔力が強すぎるな)」
犬アビスは不機嫌に鼻を鳴らした。
関所は入口に過ぎなかった。
この領地全体が、侵入者を拒む結界となっているのだ。
無理に進めば遭難する。
「ワン(セレス。一時停止だ。馬車ごと埋まれ)」
アビス(犬)が短い鳴き声で指示を出すと、セレスは即座に理解した。
「はっ! 野営ですね! 愛の巣……いえ、完璧なシェルターをご用意いたします!」
◇
数分後。
風を避けるため、岩陰の雪だまりに巨大な「かまくら」が完成していた。
セレスが魔法で雪を圧縮し、内側を熱で硬化させた特製の雪洞だ。
中は意外なほど広かったが、それでも四人(一匹含む)が入れば肩が触れ合う距離だ。
中央には魔法のランプが置かれ、オレンジ色の光が氷の壁に反射している。
「ふぅ……生き返りました」
リディアがフードを脱ぎ、ほっと息を吐く。
「外は凄かったですね。鼻毛が凍るかと思いました」
「姉ちゃん、勇者なんだから鼻毛とか言わないでよ……」
テトも青ざめた顔で手を擦り合わせている。
アビス(犬)は、リディアとセレスの間に陣取り、丸くなっていた。
ここが一番暖かい場所(特等席)だからだ。
「はうぅ……! 幸せ……!」
セレスが顔を赤らめ、隣の犬アビスを凝視している。
「外は地獄、中は天国。そして隣には至高の獣……。この密室空間、酸素がアビス様の匂いで満たされていく……! 深呼吸! 深呼吸しなければ!」
スーハースーハーと荒い呼吸をするセレスを、アビスは鬱陶しそうに尻尾でペシッと叩いた。
「ワン(静かにしろ。酸素が減る)」
「ありがとうございます!」
その時。
グゥ~……。
リディアのお腹が、可愛らしい音を立てた。
「あはは……。寒さで体力を消耗したみたいで、お腹が空いちゃいました」
「そういえば、夕飯がまだだったね」
テトが荷物袋から鍋を取り出した。
「外じゃ無理だったけど、ここなら火が使える。乾燥肉と干し野菜があるから、シチューでも作るよ。少しでも温かいものを腹に入れないとね」
「わあ、お願いしますテトくん! 私、お腹と背中がくっつきそうです!」
テトの手際で、すぐにコトコトと煮える音が響き始めた。
塩漬け肉の旨味と、香草の香りが充満する。
「できたぞ。熱いから気をつけてな」
木のお椀によそわれたシチュー。
具材は戻した干し肉と根菜だけのシンプルなものだが、極寒の地では何よりの御馳走だ。
「はふっ、はふっ……ん~っ! 美味しい~!」
リディアが顔をほころばせる。
「体が中から温まります……。生き返る心地です……」
「ワン(……少し塩気が強いな)」
リディアから少しお裾分けをもらった犬アビスは、ペロリと舐めて感想を漏らした。
「保存食だから仕方ねえだろ。文句言うなよな」
テトが苦笑いする。
鍋が空になる頃には、全員の体も十分に暖まっていた。
だが、保存食特有の塩気と脂っぽさが口に残り、喉が乾くのも事実だった。
「ふぅ、ごちそうさまでした。……でも、なんか冷たいお水が飲みたくなっちゃいましたね」
リディアが呟く。
「ワン(……だな)」
アビスが立ち上がり、出口の方へと歩き出した。
「アビスさん? どこ行くんですか?」
「ワン(口直しだ。俺様がデザートを調達してくる)」
アビスは外に出ると、ポンッと白い煙を上げて人間形態に戻った。
吹き荒れる吹雪の中、黒いコートをはためかせて立つ姿は、まさに魔人の風格。
「……ちょうどいい『食材』が、向こうから歩いてきている」
アビスの視線の先。
吹雪の向こうから、青白い光を放つ複数の影が現れた。
「アォォォォォン……ッ!!」
猛々しい遠吠えと共に現れたのは、全身が透き通るような氷で構成された狼たちだった。
『氷晶狼』。
ただの動物ではない。
この土地の魔力が吹雪と結びついて生まれた、精霊に近い魔法生物だ。
実体のない風のような身体を、硬質な氷の鎧で覆い、滑るように雪原を駆けてくる。
その双眸は青白く輝き、獲物を瞬時に凍結させる殺意に満ちていた。
「グルルルルッ……!!」
群れのボスらしき巨大な個体が、アビスに飛びかかってきた。
その牙はダイヤモンドよりも硬く、触れるもの全てを粉砕する。
だが、アビスは動じない。
ポケットから出した手を、無造作に振るっただけ。
パァンッ!!
乾いた音がして、狼の首が吹き飛んだ……わけではない。
アビスの手刀が狼の胴体を綺麗に切断し、同時にその魔力構成を「調理」していた。
「……硬いな。だが、純度は高い」
アビスは、切断された狼の体(氷の塊)を手に取った。
精霊の依り代となっていたその氷は、不純物が一切ない、自然界には存在し得ないほどの透明度を誇っていた。
「魔力で構成された氷か。肉は食えんが、これなら最高のロックアイスになる」
アビスは指先で氷を削り、粉雪のような状態にした。
それを一口舐める。
「……ほう。ほのかにミントのような清涼感がある。精霊の魔力がスパイスになっているな。これは天然のフレーバーアイスだ」
アビスはニヤリと笑い、かまくらの中に声をかけた。
「おい、リディア。皿を出せ。デザートの時間だ」
◇
数分後。
かまくらの中では、奇妙な食事会が開かれていた。
メニューは『クリスタル・ウルフの天然かき氷』。
アビスが倒した氷晶狼の氷を細かく削り、旅の途中で手に入れたフルーツのシロップや、練乳(ミルクプリンの材料の残り)をかけたものだ。
「うわぁ~! 冷たくて美味しいです!」
リディアがスプーンを口に運び、目を輝かせる。
「口の中でふわっと溶けて……ミントの香りが鼻に抜けます! 外は寒いのに、暖かい部屋で冷たいアイスを食べるのって、最高の贅沢ですね!」
「不思議な味だな。氷なのに甘みがある」
テトもサクサクと氷を崩している。
「魔獣を食うなんて発想、普通はないけどな……」
「アビス様が削り出した氷……。それはもはや聖遺物……」
セレスは氷を不用意に溶かさないように、一匙ずつ慎重に舌に乗せて味わっていた。
「んっ……冷たい……熱い……! アビス様の魔力が、舌の上で弾けて……!」
「……さっさと食え。溶けるぞ」
アビスは再び犬の姿(ポチ公モード)に戻り、リディアの膝の上で丸まっていた。
自分は魔獣の氷など食わない。
なぜなら体が冷えるからだ。
人には食わせておいて、自分は温かい場所で惰眠を貪る。
それが魔人の流儀。
外では猛吹雪が吹き荒れているが、かまくらの中は和やかだった。
氷の魔獣すらもデザートに変えてしまうアビスがいれば、この死の世界も、ただの巨大な冷蔵庫に過ぎないのかもしれない。
「ワン(明日は街に着く)」
リディアの膝の上で、犬アビスが呟いた。
「ワン(あそこには、これより上等なアイスがあるらしい。……せいぜい腹を空かせておけよ)」
夜が更けていく。
かまくらの外では、オーロラが揺らめき、彼らの行く手を静かに見下ろしていた。




