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第十三話 変態魔術師の献身

 西の穀倉地帯を離れ、北へと続く街道を進むこと数日。

 風景は徐々に荒涼としたものになり、風には冷気が混じり始めていた。

 針葉樹の森を抜ける一本道を、幌馬車がガタゴトと進んでいく。

「……おい、セレス」

「はいっ! アビス様!」

 馬車の中で、アビスがこめかみを押さえながら声をかけた。

 すると、アビスの足元――床板に張り付いて土下座のような体勢をとっていたセレスが、バッと顔を上げた。

「なぜテメエは、さっきから俺様のブーツを磨いているんだ?」

「アビス様の麗しいおみ足が、埃まみれになるなど許されませんから! 舐めて綺麗にしようかと思いましたが、流石にそれは不敬かと思い、私の髪の毛で磨かせていただいております!」

「……汚ねえよ。やめろ」

 アビスは無慈悲にセレスの顔面を足裏で踏みつけた。

「はうっ! ご褒美ありがとうございます!」

 セレスが悶絶する。

 御者台で手綱を握るテトは、背後から聞こえる会話に深い溜め息をついた。

(……この人、本当に『人類最強』なんだよな? ただの変態にしか見えないんだけど)

 新しく仲間になったセレスことセレスティアは、確かに有能だった。

 魔法の知識は底なしだし、敵の気配察知も完璧だ。

 だが、アビスに対する忠誠心(執着心?)が強すぎて、方向性が完全におかしい。

 「アビス様の呼吸した二酸化炭素を吸いたい」と言い出した時は、リディアですら引いていた。

「あー、お腹空きましたねー」

 リディアが呑気な声を上げた。

「アビスさん、そろそろお昼にしませんか?」

「……そうだな。丁度、少し開けた場所がある」

 アビスは窓の外を見た。

 街道脇に、清流が流れる河原が見えていた。


 ◇


 馬車を停め、昼食の準備が始まった。

 ここでもセレスの暴走は止まらない。

「アビス様! 直ちに焚き火の準備をいたします! この辺りの湿った木々を一瞬で乾燥させ、最適な火力にて……! 『紅蓮の劫火(ヘル・フレア)』ッ!!」

「やめろ! 山火事になるだろ!」

 テトが慌てて止めた。

 セレスは杖の先に極大の火球(戦略級魔法)を作り出していたのだ。

 小枝に火をつけるために。

「え? でも、アビス様をお待たせするわけには……」

「マッチでいいんだよ! 普通にやれ普通に!」

「普通……? 魔法使いにとっての普通とは、魔力効率を最大化することでは?」

「アンタの普通は世間の異常なんだよ!」

 テトは頭を抱えた。

 この天才魔術師、日常生活のIQが著しく低い。

 あるいは、魔術に特化しすぎて常識が欠落している。

「……チッ。騒がしい奴らだ」

 アビスは呆れつつ、河原の石に腰を下ろした。

「おいセレス。火遊びしてる暇があったら、食材を調達してこい。この辺りの森からは、なかなか美味そうな獣の気配がする」

「はっ! 仰せのままに!」

 セレスは敬礼すると、風のように森の中へと消えていった。


 数分後。


 ズドォォォォォォン!!


 森の奥で爆発音が響き、木々がなぎ倒された。

 鳥たちが一斉に飛び立つ。

「……何をしたんですか、あの人」

 リディアがパチクリと瞬きをする。

「狩りだろ。……たぶんな」

 アビスは動じない。


 さらに数分後。

 森の中から、ズズズ……ズズズ……と何かを引きずる音が聞こえてきた。

 現れたのは、満面の笑みを浮かべたセレス。

 そして、彼女が片手で引きずっているのは――。

「と、獲ってまいりましたアビス様!この森の生態系の頂点、『暴君熊(タイラント・ベア)』です!」

 それは、全長五メートルはある巨大な熊だった。

 鋼のような剛毛に覆われ、爪は短剣のように鋭い。

 並の冒険者パーティなら全滅必至のAランクモンスターである。

 それが、白目を剥いて伸びていた。

 外傷はゼロ。

 脳震盪を一撃で与えて気絶させたらしい。

「うわぁ……大きいですね! クマ鍋ですか!?」

 リディアが歓声を上げる。

「……ほう」

 アビスが熊の死骸に近づき、その肉質を確認するように太もも辺りを触った。

「悪くない。冬眠前で脂が乗ってる。それに、こいつはただの熊じゃねえ。木の実や蜂蜜を主食にしている個体だ。肉に臭みがなく、ほのかに甘い香りがする」

「さすがアビス様! お目が高い! さあ、どう調理いたしましょうか! 丸焼きにして、私が口移しで……」

「黙れ」

 アビスはセレスを無視し、懐からナイフを取り出した。

「このサイズだ。煮込みには時間がかかる。今日はシンプルに『ステーキ』だ」


 ◇


 アビスの手際(解体ショー)は鮮やかだった。

 巨大な熊を一瞬で解体し、最も脂の乗ったロース肉を分厚く切り出す。

 そして、前の街で手に入れた「究極小麦粉」を薄くまぶし、熱した鉄板の上へ。


 ジュワァァァァァァァッ!!


 森に、暴力的なまでに食欲をそそる音が響き渡る。

 肉の焼ける香ばしい匂いと、溶け出した脂の甘い香り。

「ソースは、この森で採れたベリーを使う」

 アビスは、リディアが集めてきた酸味のある木の実(クランベリーの一種)を鍋で煮詰め、赤ワインと醤油、そして蜂蜜を加えて特製ソースを作った。

 熊肉の脂は濃厚だが、ベリーの酸味がそれを中和し、さっぱりと食べられるはずだ。

「完成だ。『森の王者のハニー・ステーキ、ベリーソース添え』」

 ドン、と皿が置かれる。

 表面はカリッと狐色に焼かれ、中は鮮やかなロゼ色。

 そこにとろりとした赤いソースがかかっている。

 野生の荒々しさと、一流レストランのような繊細さが同居する一皿だ。

「いっただっきまーす!」

 リディアがナイフを入れる。

 スッ……。

 驚くほど柔らかい。

 ナイフが重みだけで沈んでいく。

 切り分けた肉を口に運ぶと――。

「んん~~っ!! 柔らかぁぁい!!」

 リディアが頬を押さえて身悶えする。

「脂がすっごく甘いです! でも全然しつこくない! 噛むと肉汁がジュワッて溢れてきて……そこにこの酸っぱいソースが絡んで……! 野生の味がします! 熊さんありがとう!」

 テトも大口で頬張る。

「へえ、熊って硬いイメージあったけど、これは別格だな!」

 アビスも一切れ口に運び、満足げに頷いた。

「……やはりな。強い魔物ほど、魔力を蓄えるために良質な餌を食っている。この熊は、森一番の美食家だったというわけだ」

 そんな中、セレスだけは涙を流しながら、皿に向かって合掌していた。

「アビス様の手料理……! 尊い……! これを体内に入れるなんて恐れ多い……! いっそホルマリン漬けにして永久保存を……」

「食わねえなら捨てるぞ」

「食べますぅぅっ!!」

 セレスは慌てて肉にかぶりつき、「はふぅっ」と変な声を上げた。


 ◇


 食後のコーヒータイム。

 アビスは川面を眺めながら優雅にカップを傾け、リディアは満腹で昼寝をしていた。

 テトは皿洗いをしながら、隣で食器を拭いているセレスに話しかけた。

「……なあ、セレスさん」

「なんですの、少年」

 セレスは眼鏡を光らせた。

「アンタさ、魔法の腕はすごいし、『深淵の探求者(アビス・シーカー)』なんて二つ名もあるんだろ? なんで、あんな……アビスの旦那みたいなのに付き従ってるんだ? もっといい待遇の国とか、あるんじゃないの?」

 テトの素朴な疑問だった。

 彼女ほどの実力者なら、どの国の王宮魔術師にだってなれるはずだ。

 それを、こんな旅の「下僕」扱いでいいのかと。

 セレスは手を止め、ふっと笑った。

 その表情は、いつもの狂気じみたものではなく、どこか理知的な「探求者」の顔だった。

「……待遇? 地位? そんなもの、何の価値もありませんわ」

 彼女はアビスの背中を見つめた。

「私はね、世界の真理(深淵)を知りたいのです。魔法とは何か。この世界の(ことわり)とは何か。それを突き詰めていけば、必ず『壁』にぶつかります。人の身では決して超えられない、理不尽な壁に」

 セレスは自分の杖を愛おしそうに撫でた。

「ですが、あの方は違う。壁を壊すのでもなく、乗り越えるのでもなく……そもそも『壁など存在しない』かのように振る舞う。(ルール)の外側にいる存在。それこそが、私が追い求めていた『深淵(アビス)』そのものなのです」

 彼女の頬が紅潮し、またいつもの恍惚とした表情に戻る。

「だから私は、あの方の全てを観測したい! あの方が世界をどう料理し、どう咀嚼するのか! その特等席にいるためなら、下僕だろうが足拭きマットだろうが喜んでなりますわ!」

「……あ、うん。結局変態ってことね」

 テトは真顔で納得した。

 高尚な理由があるようだが、結論としては「推し活」なのだ。

「おい、いつまで喋ってる。行くぞ」

 アビスが立ち上がった。

「風が変わった。……この先から、空気が『北』になるぞ」

 その言葉通り、森の向こうに見える山脈の上には、鉛色の分厚い雲が垂れ込めていた。

 ここから先は、生物を拒絶する極寒の世界。

「セレス、防寒の結界を張れ。俺様は寒がりじゃねえが、アイスを食う前に風邪を引いちゃ味が分からなくなる」

「はいっ! 完璧な温度調整を提供いたします!」

 一行は再び馬車に乗り込んだ。

 目指すは雪の壁の向こう。

 時が止まった氷の都と、そこで待つ「奇跡のアイス」へ。

 だが、彼らはまだ知らない。

 その氷の都に入るためには、アビスですら「面倒くさい」と顔をしかめる、厄介な『関所』があることを。

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