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第十二話 収穫の時

 ズシン! ズシン……ッ!!


 『超大型・小麦ゴーレム』が動くたびに、大聖堂の床が悲鳴を上げ、亀裂が走る。

 全長二十メートル。

 黄金の小麦が圧縮されて岩石のような硬度を持ち、さらにバザルトの残留魔力が血管のように張り巡らされた、文字通りの怪物だ。


「ブオオオオオオオオッ!!」


 ゴーレムが咆哮を上げ、丸太のような腕を振り上げた。

 その拳一つで、馬車など容易くぺしゃんこにできる質量がある。

「あーはっはっは! 潰れなさい! 塵になりなさい! これが神の鉄槌よぉぉぉっ!!」

 聖女マリアンヌが、狂喜の表情で叫ぶ。

 彼女の操作に合わせて、ゴーレムの拳がリディアたちを目掛けて振り下ろされた。


 ヒュゴォォォォォッ!!


 空気を圧縮し、爆音を立てて迫る死の鉄塊。

 だが、その直下にいる一行の反応は、マリアンヌの予想とは大きく異なっていた。

「うわぁ……! すごい密度です! あれだけの小麦が詰まってるなんて、食べごたえありそうですね!」

 リディアは、恐怖するどころか涎を垂らして目を輝かせていた。

「ふむ……魔力密度は高いですが、構造が雑ですわね。繋ぎの魔力が不均一。あれでは食感が悪そうです」

 セレスは眼鏡を押し上げ、冷静にグルメレポーターのような分析をしている。

 そして、アビスは。

 ポケットに手を突っ込んだまま、呆れ果てたように吐き捨てた。

「……まったくだ。あんな『ダマ』だらけの生地でパンを焼こうなんざ、小麦への冒涜だぞ」


 ドォォォォォォォォン!!


 ゴーレムの拳が地面に激突した。

 凄まじい衝撃波が聖堂内を吹き荒れ、砂煙が舞い上がる。

 マリアンヌは勝利を確信し、高笑いを上げた。

「見たか! これが聖女の力……」

「――おい」

 砂煙の中から、冷ややかな声が響いた。 マリアンヌの笑いが凍りつく。

「な……?」

 煙が晴れると、そこには傷一つないアビスの姿があった。

 彼は、振り下ろされたゴーレムの巨大な拳を、左手の人差し指一本で受け止めていたのだ。

 いや、受け止めたのではない。

 アビスの掌とゴーレムの拳の間には、わずかな隙間(魔力の壁)があり、物理的に触れてすらいない。

「嘘……!? あれは重量数百トンの質量攻撃よ!? それを片手で……!?」

「重い? 軽い? くだらん」

 アビスは退屈そうに鼻を鳴らした。

「俺様にとって、こんなものは『散らかった粉』でしかねえ」

 アビスの深紅の瞳が、ギラリと怪しく光った。

「テメエ、さっき俺様は言ったよな? 『品質改良』しろ、と」

「ひッ……!?」

 マリアンヌが後ずさる。

 アビスから放たれる殺気が、ゴーレムの威圧感を遥かに凌駕していたからだ。

「よく見ておけ。 これが『調理(リメイク)』だ」

 アビスが、かざしていた左手を、ゆっくりと握り込んだ。

 ただそれだけの動作。

 だが、その瞬間、世界に異変が起きた。


 ギチチチチチチチチッ……!!


 ゴーレムの巨体が、見えない巨大なミキサーに放り込まれたかのように、激しく振動し始めたのだ。

「ブ、ブオオオオオッ!?」

 ゴーレムが苦悶の声を上げる。

 その体表面から、ボロボロと岩石の外殻が剥がれ落ちていく。

「な、何をしているの!? 私のゴーレムが…!?」

「不純物を取り除いているんだよ」

 アビスは淡々と言った。

「バザルトの魔力(岩石成分)と、テメエの妄執。それらが小麦の味を邪魔している。だから……分解・抽出・再構築してやる」

 アビスの指先から、漆黒の魔力が糸のように伸び、ゴーレムの全身に絡みついた。

 それは破壊の魔法ではない。

 究極の繊細さを持った、錬金術に近い『精製』のプロセスだ。

「分離せよ。土は土へ。魔力は大地へ。そして、純粋なる恵みだけがここに残れ」


 パァァァァァァァァン!!


 アビスが指を弾いた瞬間。

 二十メートルの巨体が、音もなく弾け飛んだ。

 だが、それは爆発ではない。

 ゴーレムを構成していた岩石や不純物が一瞬で消滅し、残された純粋な小麦成分だけがキラキラと輝く、真っ白な粉雪となって降り注いだのだ。

「き、綺麗……」

 リディアが思わず声を漏らす。

 それは、ただの小麦粉ではなかった。

 アビスの魔力によって不純物が極限まで取り除かれ、一粒一粒がダイヤモンドダストのように輝く、至高の『超微粒子小麦粉』だった。


 サラサラサラ……。


 聖堂内に、優しく小麦粉の雪が積もっていく。

 その粉からは、バザルトの禍々しい気配も、人を狂わせる闘争本能も消え失せ、ただただ芳醇で、甘く優しい香りが漂っていた。

「あ……あぁ……」

 マリアンヌは、その場にへたり込んだ。

 自分の最強の切り札が、一瞬にして「食材」に変えられた。

 その圧倒的な実力差と、降り注ぐ粉のあまりの美しさに、戦意どころか自我すらも崩壊しかけていた。

「馬鹿な……こんな、神の御業のようなことが……。貴方は、一体……」

「ただの通りすがりの美食家だ」

 アビスは、手のひらに落ちてきた粉を指で舐め、満足げに頷いた。

「……悪くない。雑味は消えた。これなら、最高のパスタが打てるだろう」

 彼はマリアンヌを見下ろした。

 もはや彼女に敵意はない。

 あるのは、絶対者への畏怖だけだ。

「おい、聖女崩れ」

「は、はいぃっ……!」

「テメエの作ったゴーレムは不味かったが、素材集めだけは評価してやる。……死にたくなければ、この粉を使って、今すぐ最高の麺を打て。俺様が監修してやる」

「へ……? め、麺……ですか?」

 マリアンヌは涙目で聞き返した。

 世界征服の野望が潰えた直後に、製麺を命じられるとは夢にも思わなかっただろう。

「そうだ。拒否権はねえぞ。……さっさと手を動かせ。俺様は腹が減ってるんだ」


 ◇


 数時間後。

 『大地教団』の本部は、即席の巨大青空レストランへと変貌していた。

 アビスが精製した「究極の小麦粉」は、聖堂の屋根が吹き飛んだことで街全体にも降り注ぎ、その浄化作用によって、暴走していた市民たちも正気を取り戻していた。

 そして今、広場には長机が並べられ、湯気を立てる大皿料理が次々と運ばれていた。

「さあ、食べなさい! お詫びの印です!」

 マリアンヌ(エプロン姿)が、必死の形相でパスタを配っている。

 彼女はアビスのスパルタ指導の下、泣きながら麺を打ち、茹で上げさせられているのだ。

「うわぁ~! 美味しそうですぅ~!」

 リディアがフォークを構える。

 目の前にあるのは、黄金色に輝くフィットチーネ。

 ソースはシンプルに、卵とチーズ、そしてアビスが前の遺跡で手に入れた『伝説のスパイス(黒胡椒)』をたっぷりと効かせた、特製カルボナーラだ。

「いっただっきまーす!!」

 リディアが麺を啜り込む。

「んんん~~~っ!!」

 彼女が目を見開いて絶叫した。

「な、なんですかこの食感! モチモチなのに、歯切れが良くて……噛むたびに小麦の甘みが爆発します! 濃厚なソースと絡んで……幸せの味がしますぅ~!」

「へへっ、こっちのパンも最高だぜ!」

 いつの間にか復活したテトも、両手にパンを持ってかぶりついている。

「さっきまでの変な高揚感はないけど、食べると体の芯から元気が湧いてくる感じだ! やっぱ、飯はこうでなくっちゃな!」

 市民たちも、涙を流しながらパスタを啜っていた。

「うめぇ……! なんだこれ、涙が止まらねぇ!」

「体が……浄化されていくようだ……!」

 それはまさに、本物の「聖女の奇跡」のような光景だった。

 その様子を、アビスはワイングラスを片手に優雅に眺めていた。

「……フン。まあ、合格点だな」

 アビスも一口、パスタを口に運ぶ。

 完璧なアルデンテ。

 小麦本来のポテンシャルが、彼の魔力による精製で極限まで引き出されている。

「アビス様、お代わりはいかがですか?」

 横からセレスが、甲斐甲斐しく新しい皿を差し出す。

 彼女の手帳には『アビス様、エプロン姿の女性を指導する姿もまた一興。しかし私のエプロン姿の方が似合うはず』などと書き込まれている。

「……セレス、テメエは食わねえのか?」

「はい! 私はアビス様が召し上がっているお姿を見るだけで、胸もお腹もいっぱいですので!」

「……勝手にしろ」

 アビスは呆れつつも、この騒がしくも平和な食事を楽しんでいた。

「……あの、アビス様」

 仕事が一段落したマリアンヌが、おずおずと近づいてきた。

 彼女の憑き物は完全に落ち、今はただの疲れ切った、しかし充実感のある顔をしたパン屋の娘のようだった。

「その……命を助けていただき、ありがとうございました。私、目が覚めました。力による支配なんて、虚しいだけですね。みんながこうして、笑顔で私の作ったものを食べてくれる……これ以上の喜びはありません」

「勘違いするな」

 アビスは冷たく切り捨てた。

「俺様はテメエを助けたわけじゃねえ。テメエには、今後一生かけて、この街で美味い小麦を作り続ける『義務』があるだけだ。もしまた不味い小麦を作ったり、妙な野心を抱いたりしてみろ……」

 アビスの瞳がギラリと光る。

「その時は、テメエ自身を小麦粉に変えてやるからな」

「ひぃっ!? は、はいぃっ! 一生美味しいパンを焼き続けますぅぅ!」

 マリアンヌは直立不動で敬礼した。

 恐怖による支配ではあるが、結果としてこの街は、大陸一の美食都市として生まれ変わることになるだろう。


 ◇


 翌朝。

 黄金の小麦畑に見送られながら、一行は再び馬車に乗り込んだ。

 荷台には、マリアンヌから貢納された大量の「究極小麦粉」と「乾燥パスタ」が積まれている。

「いやー、いい街でしたね!」

 リディアが満面の笑みで振り返る。

「お土産もたくさんもらえましたし、大満足です!」

「俺はもう粉はこりごりだけどな……」

 テトが苦笑いしながら手綱を振るう。

 アビスは地図を広げた。

 東の蒸気都市、南のジャングル、そして西の穀倉地帯。

 三つのエリアを制覇し、残る目的地はあと一つ。

「次は北だ」

 アビスの指が、大陸北部の極寒地帯を指し示す。

 そこは、かつて『氷の四天王』リュミエールが支配していた、閉ざされた雪の世界。

「セレス、北の情報はどうなっている」

「はい、アビス様!」

 セレスが天井から降りてくる。

「北の旧リュミエール領は……壊滅状態のまま、沈黙しています」

 セレスは珍しく真面目な顔で眼鏡を直した。

「数年前、アビス様がリュミエールを討伐された際、抑圧されていた感情が逆流し、住民全員が精神崩壊を起こして街は大混乱に陥りましたよね? その後、暴徒と化した住民たちによって街は機能不全に陥っていたのですが……。何年か前に急激に気温が低下し、狂乱した住民ごと、街全体が巨大な『氷の棺』に閉ざされてしまったとのことです」

「……ほう。あの発狂した動物園が、冷凍保存されたってわけか」

 アビスは興味深そうに目を細めた。

「恐らく、主を失った魔力炉が暴走したか、あるいは何者かが『これ以上の崩壊』を止めるために強引に凍らせたか……。いずれにせよ、現在の北の地は、時が止まった死の世界です。」

「……ほう。迷惑な置き土産だな」

 アビスは呆れたように鼻を鳴らした。

「ですが、悪いニュースだけではありません! その極限状態の中で、唯一稼働している施設があり、そこで『永遠に溶けない奇跡のアイスクリーム』が作られているという情報も……!」

「……アイスクリーム、か」

 アビスの眉がピクリと動いた。

 東の蒸気都市でとろける特濃ミルクプリンを味わい、南のジャングルで極上のスパイス肉を食らい、そしてこの西の地で濃厚なカルボナーラを堪能した。

 腹は満たされた。

 だが、こってりとした脂と旨味が舌に残っている。

「……肉とパスタで重くなった舌を洗うには、冷たくて甘い氷菓子しかねえな」

 アビスは口元を拭いながら、不敵に笑った。

「いいだろう。 その『永遠のアイス』とやら、俺様の舌で確かめてやる。……溶けない氷なんざ、俺様の熱い抱擁(物理破壊)で溶かしてやるからな」

 アビスは北の空を見上げた。

 目指すは極寒の地。。

 凍てつく大地と、究極の「お口直し」が待つ、新たな戦場へ――!

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