第十一話 大地の聖女
ハーベスト・シティの中央広場。
そこで繰り広げられた一方的な蹂躙劇――教団最強の幹部が「視線一つ」で爆散した光景は、広場にいた数千の信徒たちを沈黙させるのに十分すぎた。
アビスが教会へ向かって一歩踏み出すたびに、信徒たちは左右に割れ、道を開ける。
誰もがガタガタと震え、目を合わせることすらできない。
恐怖は、狂信をも凌駕していた。
「……チッ。どいつもこいつも、魔力酔いで目がイッてやがる」
アビスは左右に並ぶ信徒たちを冷ややかに見回した。
彼らの肌は一様に土気色に変色し、筋肉が異常に隆起している。
黄金小麦に含まれるバザルトの残留魔力を過剰摂取した結果だ。
「アビス様、測定しました」
背後からセレスが小走りでついてくる。
「この街の空気中にも、微細な小麦の粉塵が漂っています。呼吸するだけで軽度の興奮状態になる濃度ですわ」
「なるほどな。街全体が巨大な阿片窟ってわけか。……臭えはずだ」
アビスは不快げに鼻を覆った。
小麦の香ばしい匂いに混じって、欲望と狂気が発酵したような、甘ったるい腐臭が漂っている。
それは、彼の愛する「食」の香りではない。
「行きましょう、アビスさん! 元凶の『聖女』さんを懲らしめて、美味しいパン作りを再開させるんです!」
リディアが拳を握りしめて先陣を切る。
テトだけが、周囲の異様な殺気に涙目になりながら、へっぴり腰でついてきていた。
「ね、ねえ……本当に殴り込みに行くの? 俺たちだけで?」
「何言ってんのテトくん。私たちにはアビスさんがいるじゃない!」
「そうだけどさぁ……!」
◇
教団本部である大聖堂。 その巨大な扉を、リディアが物理(筋肉)で押し開けた。
ギギギギ……ズドォォン!!
「あ、勢い余って、扉を壊しちゃいました。てへ」
「何が『てへ』だ。似合わねーんだよ、テメエみたいな筋肉馬鹿には」
「ひどーい! 私だって乙女なのに!」
リディアの抗議をアビスは華麗にスルーする。
「それより、人を呼べ」
「あ、はい! たのもおー!!」
リディアの元気な声が響き渡る。
聖堂の内部は、外見以上に悪趣味な空間だった。
壁一面に金箔が貼られ、祭壇には純金で作られた巨大な「小麦の穂」の像が鎮座している。
ステンドグラスからは極彩色の光が差し込み、焚かれている香炉からは、精神を高揚させる薬草の煙が立ち上っていた。
「……成金趣味ここに極まれり、だな」
アビスが侮蔑の色を隠そうともせずに呟いた。
その聖堂の最奥。
一段高くなった祭壇の上に、豪華な玉座があり、一人の女がふんぞり返っていた。
年齢は二十代半ばほど。
派手な金色のドレスを纏い、黄金の冠を被っている。
顔立ちは美しいが、その瞳は黄金色に怪しく輝き、焦点が定まっていない。
そして何より異様なのは、彼女の周囲にだけ、重力に逆らって無数の小麦の粒が浮遊し、衛星のように回転していることだった。
「……あらあら。賑やかだと思ったら、招かれざる客ね」
女が、気だるげに頬杖をついたまま口を開いた。
その声は、聖堂全体にビリビリと響いた。
拡声魔法だ。
「ようこそ、私の楽園へ。私は『大地の聖女』マリアンヌ。偉大なる大地の神の声を聴き、その力を管理する唯一の巫女よ」
「聖女、ねえ」
アビスは鼻で笑い、カツカツと足音を立てて祭壇へと歩み寄った。
彼から放たれる漆黒の覇気に、周囲に控えていた近衛兵たちが威圧されて動けない。
「おい女。単刀直入に言うぞ。テメエが配っているその小麦……品質改良しろ」
「……は?」
マリアンヌがキョトンとした。
「ひ、品質改良……?」
「そうだ。味はいい。認めてやる。 だが、食べた人間を戦闘狂に変える副作用が邪魔だ。今すぐその余計な魔力を取り除いて、純粋な食材として流通させろ。そうすれば、テメエがここでどんな『おままごと』をしていようが、見逃してやる」
アビスの要求は、あまりにも斜め上だった。
世界平和のためでも、人々を救うためでもない。
ただ「美味いパンを静かに食いたい」という、個人的なワガママ。
マリアンヌの顔が引きつった。
彼女はプライドを傷つけられたように、黄金の目を吊り上げた。
「……おままごと、ですって? この私が作り上げた、最強の軍団を……新世界の秩序を、おままごとですって!?」
彼女が立ち上がると、浮遊していた小麦粒が激しく回転し始めた。
「愚かな男! この力は神の祝福なのよ! 人々は力を求めている! 弱者は強者を、強者は更なる高みを! 私はその願いを叶えてあげているだけ! 見てご覧なさい、この素晴らしい力を!」
マリアンヌが手を掲げると、聖堂の天井から巨大なコンテナが出現した。
中には、黄金色に輝く微粉末が詰まっている。
「これは『超高濃度・黄金小麦粉』。通常の小麦の百倍の魔力を濃縮した、最強の強化剤よ! これを浴びれば、凡人ですら一騎当千の戦士に生まれ変わるわ!」
彼女の視線が、アビスの隣にいるリディアに向けられた。
「そこの赤髪の娘……素晴らしい肉体ね。溢れんばかりの生命力、鋼のような筋肉……。貴女、私の最高傑作になりなさい。この粉を浴びて、私と共に世界を征服しましょう!」
「えっ、私ですか?」
リディアがきょとんと自分を指差す。
「お断りします! 世界征服より、美味しいご飯の方が大事ですから!」
「あらそう。なら、無理やりにでも従わせてあげるわ!」
マリアンヌが指を弾いた。
天井のコンテナの底が開き、黄金の粉末が滝のように降り注いだ。
狙いはリディアだ。
「危ないっ!」
とっさに動いたのは、アビスでもリディアでもなかった。
恐怖で震えていたはずの少年、テトだった。
「姉ちゃん、避けろぉぉぉっ!!」
テトはリディアを突き飛ばした。
だが、その代償として――。
ドサァァァァァァッ!!
大量の『超高濃度・黄金小麦粉』が、テトの頭上から彼を直撃した。
視界が黄金の粉塵で埋め尽くされる。
「テ、テトくん!?」
リディアが悲鳴を上げる。
粉塵の中、テトの咳き込む声が聞こえた。
「ゲホッ、ゴホッ……! う、うわぁ……口の中がパサパサする……。粉っぽい……水……水をくれ……」
「あら、ハズレね」
マリアンヌがつまらなそうに鼻を鳴らした。
「そんな貧弱な子供が浴びても、魔力許容量を超えて破裂するのがオチよ。掃除の手間が増えたわ」
粉塵が晴れていく。
そこには、全身金粉まみれになったテトが、ゆらりと立ち尽くしていた。
白目を剥き、口からよだれを垂らしている。
ピクリとも動かない。
「テト……君?」
リディアが眉をひそめた。
その時。
ドクンッ!!
テトの心臓が、大太鼓のような音を立てた。
次の瞬間。
カッッッ!!
テトの全身から、目も眩むような黄金のオーラが噴出した。
「う、うおおおおおおおおおおおおっ!!!」
テトが絶叫した。
だが、その声はいつもの情けない少年のものではない。
野太く、そして自信に満ち溢れた、狂戦士の咆哮だった。
「ち、力が……! 力が湧いてくるぜェェェッ!! 見える! 見えるぞ! 世界が止まって見える!!」
テトがバッと顔を上げた。
その瞳は黄金色に輝き、全身の筋肉がパンプアップし、服がパツパツに張り詰めている。
元スリの貧弱な少年は消え去っていた。
そこにいたのは、黄金の粉を全身に纏った『覚醒テト(一時的)』だった。
「な、なんですって!?」
マリアンヌが驚愕する。
「あの濃度の魔力を浴びて、自我を保っている!? その子供、どれだけ『器』が空っぽだったのよ!?」
「アビス様! 解析しました!」
セレスが冷静に解説を入れる。
「テトさんは元々、魔力回路がほぼゼロの『無能』でした。そのため、急激な魔力の流入に対する拒絶反応が起きず、スポンジのように全て吸収してしまったようです! 言わば、空っぽの胃袋に最高級ステーキを詰め込んだ状態ですわ!」
「要するに、ただのバカ食いか」
アビスは呆れた。
「ヒャッハー!! 今の俺は誰にも止められねえ!!」
覚醒テトが地面を蹴った。
ドンッ!!
衝撃波で床の石畳が砕け散る。
テトの姿が消えた。
いや、速すぎて目に見えないのだ。
バザルトの魔力が、テトの特技である「手先の早さ」と「逃げ足」に過剰反応し、超高速機動を実現させていた。
「速い!」
近衛兵たちが反応する間もなかった。
シュバババババババッ!!
風が吹き抜けた直後。
数十人の近衛兵たちが、一斉に悲鳴を上げた。
「あ、あれっ!? 剣がない!?」
「鎧のベルトが外れてる!?」
「パンツがないぞ!?」
一瞬にして、兵士たちの武装(と下着)が剥ぎ取られていた。
広場の隅に、奪い取った武器とパンツの山が出現し、その頂上にテトが仁王立ちしていた。
「へへっ! どうだ! 今の俺にかかれば、竜の鱗だって盗んでみせるぜ!」
テトはドヤ顔で鼻の下をこすった。
すごい。
確かにすごい能力だ。
だが、やっていることは「超高速スリ」であり、あまりにもセコかった。
「……しょぼい」
アビスがボソリと呟いた。
「せっかく力を得ても、やることはコソ泥か。性根までは変わらんようだな」
「な、舐めるな小僧!!」
マリアンヌが杖を振り上げた。
「近衛兵団、一斉攻撃! そのコソ泥をミンチにしなさい!」
パンツを奪われた兵士たちが、怒りの形相でテトに殺到する。
だが、テトは笑っていた。
「無駄無駄無駄ァ! 残像だぜッ!」
テトは黄金の軌跡を残しながら、聖堂内を縦横無尽に駆け巡った。
壁を走り、シャンデリアを飛び移り、兵士たちの攻撃を紙一重で回避しながら、次々と服を剥ぎ取っていく。
聖堂は一瞬にして、パンツ一丁の男たちが右往左往する地獄絵図と化した。
「き……気持ち悪い!!」
リディアが顔を覆う。
「テトくん、なんで服ばっかり盗むの!? 変態なの!?」
「違うよ姉ちゃん! 武装解除だよ! 一番効率的なんだよ!」
テトは叫びながらも止まらない。
魔力の過剰摂取によるハイ状態。
ブレーキが壊れた暴走機関車だ。
「ええい、鬱陶しいチョロネズミね!」
マリアンヌが業を煮やして叫んだ。
「私が直接潰してやるわ!」
彼女は浮遊する小麦粒を操り、弾丸のように射出した。
黄金の散弾がテトを襲う。
「っとと! 危ねえ!」
テトは驚異的な反射神経で回避するが、徐々に追い詰められていく。
所詮は付け焼き刃の力。
本職の魔法使い(しかも魔力増強中)には分が悪い。
「そこよ!」
マリアンヌが床から巨大な小麦の蔦を出現させ、テトの足を絡め取った。
「うわっ!? し、しまった!」
テトが転倒する。
黄金の粉末が舞い散り、彼の体の輝きが少し弱まった。
魔力切れが近いのだ。
「死になさい、下等生物!」
マリアンヌが巨大な岩石の槍を生成し、動けないテトに向けて投擲しようとした。
その瞬間。
「……おい」
戦場に、冷ややかな声が割り込んだ。
「いつまで茶番を見せられるんだ、俺様は」
アビスだった。
彼はあくびを噛み殺しながら、マリアンヌとテトの間に割って入った。
「ア、アビスの旦那!?」
「どきなさい! でなければ、貴方も串刺しよ!」
マリアンヌは構わず岩石の槍を放った。
バザルトの加護を受けた、城壁をも貫く必殺の一撃。
だが、アビスは視線すら向けなかった。
ただ、迫りくる槍に向けて、左手を無造作にかざしただけ。
――パァン。
軽い音がして、岩石の槍が「小麦粉」に変わった。
サラサラと白い粉になって崩れ落ちる。
「……は?」
マリアンヌが呆然とした。
「な、何をしたの……? 私の『大地の槍』を……?」
「物質構成を書き換えただけだ」
アビスは退屈そうに言った。
「岩も小麦も、元を辿れば同じ大地の元素だろ? テメエが使っているのは、所詮バザルトの残滓だ。 構成が雑すぎて、書き換えるのもあくびが出る」
アビスは足元の小麦粉(元・岩石槍)を踏みしめ、マリアンヌを見据えた。
「さて、聖女ごっこは終わりだ。テメエには聞きたいことが山ほどある。このふざけた麦の栽培法と、品種改良の手順……そして、俺様の時間を無駄にした詫び料についてな」
「ふ、ふざけるな……ッ!」
マリアンヌが後ずさる。
本能が叫んでいる。
この黒服の男は、自分とは「格」が違う。
バザルトの魔力を借りているだけの自分と、自身の魔力だけで世界をねじ伏せる魔人。
その絶望的な差に、彼女の精神が軋みを上げる。
「認めない……私は選ばれた聖女……! この私が、こんな無名の男に負けるはずがない!」
マリアンヌは狂乱し、祭壇の奥にあるレバーに手をかけた。
「こうなったら、あれを使うしかないわ! バザルト様が遺した、最強の遺産! 目覚めよ、大地の守護神!」
ガガガガガガガ……ッ!!
聖堂の床が割れ、地響きと共に「それ」が姿を現した。
全長二十メートル。
全身が黄金の小麦と、巨大な岩石で構成された巨人。
『超大型・小麦ゴーレム』。
かつてバザルトが使役していたアース・ゴーレムの核を、マリアンヌが小麦で培養・強化した怪物である。
「ブオオオオオオオオッ!!」
ゴーレムが咆哮すると、聖堂の屋根が吹き飛んだ。
「あはははは! 見なさい、この圧倒的な威容! これぞ神の化身! 貴方たちごとき、踏み潰してくれるわ!」
マリアンヌが高笑いする。
リディアが口を開けて見上げる。
「うわぁ、大きいですね……! でも、なんか美味しそうです!」
テトは魔力切れで白目になり、泡を吹いて倒れていた。
セレスは「巨大な的ですわね」と冷静にメモを取っている。
そして、アビスは。
見上げるような巨体を見据え、心底うんざりしたように吐き捨てた。
「……デカいだけで、中身がスカスカのパンだな。不味そうだ」
アビスの右手から、どす黒い魔力が立ち昇る。
黄金の国での戦いは、最終局面へと突入しようとしていた。




