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捕食者、群れに加わる


**2033年4月22日 午前5時38分 山岳バイオステーション「種間共生研究センター」西側エントランス付近**


戦場は混沌の坩堝と化していた。煙幕は幾分薄れ、夜明けの微かな光が不気味に漂う白煙を照らし出していたが、視界は依然として悪かった。銃声、叫び声、金属の軋み音が入り混じり、センタードームのバリアが発する青白い火花が断続的に闇を引き裂く。**カルノス**の咆哮が、その喧騒を圧倒した。彼は左肩の鱗を銃弾に掠められ、黒ずんだ血を滲ませながらも、狂暴性は衰えていなかった。小さな目は血走り、PR兵士たちを獲物と見做す捕食者の冷徹な光を宿していた。


「目標B-2、制圧! カルノスに注意!」警備隊のリーダーが無線で叫んだが、その声は煙と轟音にかき消された。カルノスは低い姿勢で、強靭な後肢で地面を蹴り、次の標的となる兵士のグループめがけて突進しようとしていた。その進路の真上、折れた枝にしがみつく**トビ**がいた。トビは恐怖で体が硬直し、逃げることも鳴くこともできなかった。下で繰り広げられる死の争いに、小さな体が震えていた。


「トビ! 逃げろ!」**リュウ**の鋭い鳴き声が響いた。リュウは煙の陰から飛び出し、トビのいる位置を一瞬で把握していた。彼の優れた視覚(残存する紫外線と高コントラスト感度)が、煙の中でもトビの小さなシルエットを捉えていた。


トビが動けない。その刹那、一人のPR兵が、カルノスの動きを遮る遮蔽物を探し、トビの止まる木の幹を狙って身を寄せようと、右斜め前方から走り込んできた! 兵士はトビの存在に全く気づいておらず、銃口はあくまで地上の脅威(カルノスや警備隊)を探っていたが、その動きがトビを直接危険に晒す位置だった。


「キィーッ!」トビの悲鳴にも似た警戒音が上がった。


「離れろ!」リュウが咆哮した。彼は全速力で駆け出した。強靭な後肢が土煙を上げ、長い尾を硬直化させてバランスを取りながら、驚異的な加速でトビと兵士の間に割って入ろうとする! リュウの狙いは、トビを庇い、兵士を押しのけることだった。特大の鎌状爪は、あくまで牽制のため、兵士の眼前で威嚇的に振りかざされた。


しかし、カルノスの動きは予測を超えていた。リュウがトビの前に飛び込もうとしたまさにその瞬間、カルノスは突進の軌道をわずかに左に修正し、同じ兵士を真っ向から狙っていた! リュウの進路とカルノスの進路が、兵士の一点で交差しようとしていた。リュウがカルノスの真正面に飛び込む形になる!


「リュウ!」**アキラ**の警告の鳴き声が遅れた。


リュウはカルノスの巨大な体躯が目前に迫るのを視界の左端で捉えた。本能的な恐怖が走ったが、体勢を変える余裕はなかった。彼は咄嗟に首を右に捻り、胴体を左に流してカルノスの直撃をかわそうとしつつ、トビを守る姿勢を崩さなかった。鎌状爪は兵士への牽制から、カルノスの顔面への牽制へと軌道を無理やり変えた!


カルノスは、突然視界に飛び込んできたリュウの姿に、一瞬、動作を止めた。細長い吻がわずかに開き、鋭い歯が剥かれた。その小さな目が、目前で必死に体勢を変えようとするリュウを凝視した。煙と火薬の匂い、血の匂いの中に、リュウの独特の体臭(羽毛、土、そして仲間のケイやアキラの匂いが混ざったもの)が、かすかに混じっている。その匂いは、この数日、隔離檻の外で何度も嗅いだものだ。


その凝視は一瞬に過ぎなかったが、カルノスの脳裏で何かが切り替わった。彼はリュウを「獲物」ではなく、「邪魔者」ですらなく、奇妙に「既知の存在」として認識したようだった。咆哮の代わりに「グゥッ」という短い唸り声を上げると、カルノスは突進の勢いを利用し、体をわずかに右に流した! リュウの体をかすめるように通過し、そのまま、リュウが牽制しようとしていたPR兵に牙を向けた!


「な、なにを!?」兵士が絶叫する間もなく、カルノスの強力な顎が兵士の腕を捉えた! 防弾チョッキは肩の部分を引き裂かれ、兵士は悲鳴とともに地面に叩きつけられた。カルノスは獲物を確保したわけではなく、一撃で無力化すると、すぐに興味を失い、次の脅威を嗅ぎ回り始めた。


リュウはその場に呆然と立ち尽くした。カルノスの巨体が通り過ぎた風圧が羽毛を揺らした。トビは木の上で震え、無事だったが、恐怖の余り動けなかった。


* * *


「…今だ!」**アキラ**が状況を即座に把握した。彼はカルノスの攻撃パターンが、単純な突進と嗅覚に依存していることを見抜いていた。また、リュウを攻撃しなかったことの意味を鋭く感じ取っていた。アキラはカルノスの左斜め後方から、複雑な警戒音を発した。それは高音と低音を組み合わせた、特定のリズムを持つ鳴き声だった。


「キィーッ! キッ、キッ ― ウゥゥ…」


同時に、アキラは自身の長い尾を、特定のパターンで動かした。尾の基部を右に振り、次に素早く左に振り返し、最後に硬直化させて斜め右上に突き出す動きだ。それは、カルノスの注意を引くと同時に、「脅威」の方向を示す合図だった。アキラの狙いは、カルノスの右前方、バリアの死角から近づいてくる新たなPR兵の小隊だった。


カルノスは首を素早く左に振り、アキラの鳴き声と尾の動きを捉えた。彼の小さな頭はわずかに傾き、理解しようとしているようだった。鼻孔がひくひくと動き、アキラが示す方向から漂う、確かに「新しい」人間の匂いを嗅ぎ分けた。


「ガァ!」短い咆哮を一つ上げると、カルノスはアキラが示した方向へ、爆発的な加速で突進した! その動きは、警備隊の射線を外し、PR兵の意表を突く完璧なタイミングだった。兵士たちは突然現れた原始の巨獣にパニックに陥り、統制が乱れた。


「右前方、敵混乱! 制圧せよ!」警備隊リーダーがアキラの合図とカルノスの動きを即座に理解し、命令を下した。


奇妙な連携が生まれていた。アキラが尾と鳴き声で脅威の位置を伝え、カルノスがその方向へ突進して敵陣をかく乱する。リュウも回復し、アキラの右側で、カルノスの動きを補助するように、別の方向を威嚇し、敵の注意を分散させた。カルノスは完全に制御されているわけではなかったが、アキラの指示をある程度理解し、群れ(ステーション)の「共通の敵」に対して行動しているように見えた。


* * *


戦場の端、通信妨害の影響が少ない高台の木陰で、**ブルーアイ**が鋭い目を光らせていた。彼は頭部のRSFフレームをわずかに左に傾け、カルノスとアキラの連携行動を監視する。部下のロックとシエラが左右を固めている。


「グルル…(あの大蜥蜴、動きが変わったな)」ブルーアイが低く唸った。彼の優れた観察力と、AGI支援による戦況分析機能が、カルノスの行動変化を「脅威」から「監視対象」へとランク付けしていた。「シエラ、右翼を警戒。ロック、あの暴れん坊が味方に牙を向けたら、即座に制止行動を取れ」


「了解」二頭が短く応えた。ブルーアイの群れは、カルノスという危険因子を決して見逃さなかった。


* * *


**同日 午前6時15分 中央シェルター内**


戦闘の音が次第に遠のいていた。PRの第一波は、ドローン群の喪失、通信妨害、そしてカルノスの暴走とアキラたちの連携による混乱で、後退を余儀なくされていた。シェルター内には、緊張の余韻と、鎮痛剤の匂いが漂う。**プテロス**は特設のマットに戻され、AGI制御型筋肉補助装置を外されていた。固定された翼は無事だったが、飛行と監視による疲労が、大きな目に影を落としていた。**カルノス**は、鎮静剤を打たれこそしなかったが、ブルーアイの群れに半ば包囲される形で、シェルターの隅に追いやられていた。彼は低く唸りながらも、さすがに激しい戦闘の後の疲労と、ブルーアイたちの威圧感に押され、大人しくなっていた。左肩の掠り傷は手当てされ、新しい包帯が巻かれている。


**ハルオ**が車椅子でカルノスの前にいた。少し距離を置き、慎重に観察している。


「…見たか、ソラ」ハルオが呟くように言った。「彼の骨盤帯、特に坐骨の動き。攻撃態勢から静止への移行時に、明らかな躊躇が見られた。これは単なる疲労以上のものだ」


**ソラ**は制御卓のモニター群を見つめていた。一つはカルノスの脳波と頭部カメラ映像(戦闘中の記録再生)、もう一つはプテロスの上空カメラが捉えた、リュウを庇うアキラと、それに反応したカルノスの動きを捉えた映像だ。


「はい」ソラの声には驚きと興奮が混じっていた。「リュウが飛び込んだ瞬間、カルノスの脳波パターンに明確な変化が現れています。特に扁桃体の活動が急低下し、代わりに前頭前野の一部が活性化しています。これは…脅威認識から、対象の再評価への切り替えを示唆しています」


ソラはARディスプレイを操作し、カルノスの脳波と、アキラが尾と鳴き声で指示を出した時のデータを重ね合わせた。「そしてアキラが合図を出した時の反応。嗅覚野の活性化が顕著です。彼はアキラの合図を『音と視覚のパターン』としてだけでなく、『アキラという個体の出す合図』として嗅覚情報と統合して認識し、行動した可能性が高い」


ハルオは深くうなずいた。「アロサウルス上科は群れを形成しないと言われるが、個体間の認識能力はあったのだろう。特に、同じ空間を長く共有した個体に対しては」ハルオは車椅子をカルノスの方へ少し近づけた。カルノスはハルオを睨みつけたが、攻撃姿勢にはならなかった。「彼らは、複雑な社会性は持たなくとも、『見知った存在』と『脅威』を区別する認知能力は十分に持ち合わせている。今回の連携は偶然ではなく、限定的ながらも『共闘』と呼べるものだった」


ソラはモニターに映るカルノスの映像を見つめながら、ため息をついた。「でも、この『共闘』を再現し、制御するのは容易ではありません。脳波モニタリングで予兆は捉えられても、彼の本能を完全にコントロールする手段はないのですから」


「その通りだ」ハルオの表情は厳しかった。「隔離は不可能でも、完全な自由は危険すぎる。ブルーアイの監視は続けてもらわねばならんな」ハルオはシェルターの反対側、プテロスの元でカルノスの傷の手当てを手伝うケイと、天井の配管からそれを見下ろすトビの姿を見た。「だが、今日という日は…種の壁を越えた、新たな『群れ』の可能性を、ほんの一瞬だけ見せてくれた。それを無駄にはできん」


ソラはうなずき、モニターのデータを保存する操作を始めた。カルノスの脳波パターン、アキラの合図、リュウの犠牲的行動…これらのデータは、単なる研究対象を超える意味を持ち始めていた。それは、捕食者と被食者、異なる時代の生命が、脅威の前で紡ぎ出した、予想外の共鳴の記録だった。シェルターの隅で、カルノスが大きくあくびをした。その口元には、深い疲労と、どこか満たされたような安堵の表情が一瞬浮かんでいた。

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