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空からの訪問者、プテロス


**2033年4月18日 午後3時22分 山岳バイオステーション「種間共生研究センター」上空及び周辺森林**


春の陽光が、センターの巨大なガラスドーム群を暖めていた。全天候型超高効率太陽電池モジュールは、雲一つない青空の下、最大効率(>45%)で光子を貪欲に捕捉し、施設全体のエネルギー需要を賄っていた。その表面は、ナノ構造化された超撥水・親油性コーティングにより、埃一つなく、光を乱反射することなく透過させていた。ドーム内部では、**ソラ**が培養網膜カメラのプロトタイプ制御卓に向かっていた。彼女の左目のARディスプレイには、低照度試験室から送られてくる、微弱光下での培養網膜オルガノイドの神経節細胞活動データ(スパイク列)が流れていた。


「…量子ドット増感層の効果は確認できた。赤外域の感度向上は明らかだ」ソラは顎に左手を当てながら、右手人差し指でARウィンドウ内の波形を拡大表示させた。しかし、眉間の皺は深かった。「でも、このノイズ…ハヴァース管由来の電気的干渉か? それとも、オルガノイド内部の灌流圧変動が神経活動に影響しているのか…」


彼女の思考は、制御卓のメインモニターに突然表示された警告メッセージで遮られた。

`<< 外部監視ドローン #07: 異常挙動検出 >> 軌道逸脱 / 高度急降下 / 自律制御信号不安定`


「なんだ?」ソラは即座に右手でタッチスクリーンをスワイプし、該当ドローンのカメラ映像と位置情報を呼び出した。上空約300メートルからの映像には、ステーション西側の森林と、その上空を悠然と旋回する一つの生物の影が映っていた。


* * *


澄み切った青空を背景に、**プテロス**は巨大な翼を広げ、優雅な弧を描いていた。翼竜類のオス個体。全長(翼開長)約4メートル。細長い頭部の先端には鋭い角質の嘴、その上には骨質のトサカが突き出ており、そこから虹色の綿羽が風になびいていた。彼の体幹部は比較的コンパクトで、癒合した胸椎ノタリウムが頑丈な支柱となり、飛行に必要な筋肉を支えていた。前眼窩窓と鼻孔が融合した大きな開口部が頭部側面にあり、軽量化を図っていた。後肢は短く、地上歩行には不向きなプロポーションだ。


彼の最大の特徴は、何と言ってもその翼だ。長く伸びた前肢の第4指(薬指に相当)が、細長い第4中手骨と指骨によってさらに伸長し、そこから胴体、後肢の付け根まで張られた薄く頑丈な皮膜プロパタギウムが、巨大な一枚翼を形成していた。第I〜III指は、皮膜の前縁付近で小さく独立し、翼の微調整や地上での移動補助に使われる。尾は短く退化しており、飛行時の方向安定性は主に頭部と首の動きで調整している。


プテロスは、右翼をわずかに下げ、左翼を上げることで、ゆっくりと右旋回していた。大きな眼窩に収まる眼球は、ネオルニトサウルスに匹敵する優れた視覚(高解像度、広視野、優れた動体視力)を持ち、地上の微細な動きから遠方の山並みまでを鮮明に捉えていた。彼は今、ステーション周辺の上昇気流を捉え、ほとんど羽ばたかずに高度を維持していた。喉の奥から、満足げな低い「グゥルル…」という音が漏れた。自由な飛翔こそが、彼の存在意義だった。


突然、プテロスの右目が鋭く光った。視界の隅、高度約500メートルを水平飛行する、小さな金属製の物体を捉えた。人間のドローンだ。しかし、その飛行軌道がおかしい。通常の監視パターンから外れ、不自然なジグザグ運動を始め、しかも急加速で自分の旋回コースに突っ込んでくる!


プテロスの脳は瞬時に危険を察知した。飛行制御を司る小脳が高速で指令を出し、体幹部の筋肉が反応する。彼はノタリウムを軸に体を素早く左に捻り、右翼を大きく上方に、左翼を下方に傾け(バンク)、急激な左旋回による回避行動を取ろうとした。同時に、短い尾を振り、頭を下げて抵抗を減らす。


しかし、遅すぎた。


「ビィーーーーン!!」


甲高いプロペラ音とともに、**PRの偵察ドローン**が、プテロスの回避行動を予測するかのように、さらに軌道を修正して突っ込んできた! ドローンは小型で敏捷、表面には迷彩塗装が施され、レーダー反射断面積を小さくする設計になっている。その先端には高感度カメラと、おそらく通信妨害装置が搭載されていた。


**ドガッ! バキッ!**


鈍い衝撃音と、皮膜が裂ける不気味な音が空中に響いた。ドローンの頑丈なプロペラガードが、プテロスの右翼の前縁、第4指の付け根付近の皮膜を直撃したのだ!


「ギャオオオッ!!!」


プテロスは苦悶の悲鳴とも咆哮ともつかない鋭い叫び声を上げた。右翼の激痛とバランスの急激な喪失が彼を襲う。破れた皮膜が風を切り裂く異音を立て、揚力を大きく損なった。彼の体は制御を失い、不気味な右回転スピンに入った。頭部のトサカと虹色の綿羽が乱れ、短い尾も無力に揺れる。優れた視覚と平衡感覚を持ってしても、この突然の損傷とスピンからの回復は困難だった。


「…っ!」ソラはモニター上の映像を固唾を飲んで見守っていた。プテロスがスピンしながら、高度を急速に失い、ステーション西側の森林めがけて墜落していく! ドローンは衝突後、何事もなかったかのように上昇を再開し、雲間に消えていった。


「墜落位置、推定セクターW-3! 緊急対応チーム、直ちに出動を!」ソラは制御卓の通信機に左手を伸ばし、緊急指令を発しながら、右手で墜落推定地点の詳細マップを呼び出した。彼女の心臓は高鳴っていた。あのドローンの動き…偶然の事故とは思えなかった。


* * *


ステーションから西に約400メートル、鬱蒼とした針広混交林の中。**トビ**は、太いモミの木の中程の枝に止まり、嘴で左翼の付け根あたりの羽毛を丁寧に整えていた(グルーミング)。彼の小さな冠羽はリラックスして寝かせられていた。突然、頭上で聞いた衝突音と、続く苦悶の叫び声に、全身の羽毛を逆立てた!


「キッ!?」トビは首を真上に向け、小さな目を大きく見開いた。視界は木々の葉に遮られていたが、彼の優れた聴覚が、何か大きなものが不規則に空気を切り裂きながら落下してくる音を捉えた。方向は…ほぼ真上だ!


恐怖がトビを襲った。彼は反射的に枝から飛び立とうと、右足で枝を蹴り、両翼(前肢)を広げた。しかし、落下してくるものの影が急速に大きくなる。間に合わない!


トビは咄嗟に判断を変えた。飛び立つのではなく、隠れるのだ。彼は広げた翼を素早く畳み、体をできるだけ小さく丸めると、枝の茂みの最も深い部分へ、頭から飛び込んだ! 体を左に捻り、右翼で頭部を覆うようにした。落下物が自分のすぐ横の枝に激突する轟音と、木の葉や小枝がはじき飛ばされる音を感じた。


**ドサッ! バキバキッ!!**


地響きのような衝撃が足元から伝わってきた。トビは震えながら、ゆっくりと茂みから首を伸ばした。下を見下ろす。約5メートル下の地面、シダの茂みの中に、白と茶褐色の巨大な塊がもがいている。あの翼竜だ! トビはすぐに認識した。センターで時折、巨大ドームの上空を飛んでいるのを見かけたことがある。


プテロスの状態は明らかに悪かった。彼は地面で必死にもがいているが、右翼が不自然に折れ曲がり、翼膜には大きな裂傷が走っている。裂け目からは、薄い体液が滲み出ていた。頭部の骨質のトサカは無事だったが、虹色の綿羽が乱れ、泥と落ち葉で汚れていた。彼は首を無理やり起こし、痛みと恐怖で大きく見開かれた目で周囲を見回していた。喉の奥から「ヒィ…ヒィ…」という浅く速い、苦しげな呼吸音が漏れていた。短い尾を痙攣させるように震わせていた。飛べない翼竜は、極度の無力感と恐怖に苛まれている。


トビは恐怖と好奇心が入り混じった感情に揺れていた。警戒心は強く、木から降りることは危険だと本能が叫んでいる。しかし、あの巨大な翼竜が、今はただ痛そうにもがいている姿に、奇妙な親近感を覚えた。自分も森で一人きりになった時の孤独と恐怖を思い出したのだ。


(…助けを呼ばなきゃ。ケイか、リュウか…)


トビは決断した。彼は慎重に茂みから抜け出し、翼を広げた。一度、墜落したプテロスを一瞥し、その大きな目が自分を見上げているのを感じた。トビは強く羽ばたき、枝から飛び立つと、ステーションのある東方向へ、全速力で飛び始めた。彼の小さな体は、木々の間を縫うように巧みに飛翔し、心臓は恐怖と使命感で激しく鼓動していた。


* * *


**同日 午後3時41分 墜落現場**


「プテロス! 大丈夫? 動かないでね!」


**ケイ**の声が震えていた。彼女はトビの警告(甲高い警戒音と複雑な飛翔パターン)を受け、**ジャビール**と緊急対応チームを率いて駆けつけた。現場は惨憺たる状態だった。プテロスの墜落衝撃で、若い木が数本折れ、シダの茂みが大きくへこんでいた。プテロスはその中心で、苦しそうに息をしていた。右翼の損傷は近くで見るとさらに深刻だった。翼膜の裂傷は長さ30センチ以上に及び、その下にある伸長した第4指の骨にもひびが入っている可能性があった。


「ケイ、危ない! 近づきすぎないで!」**ジャビール**がケイの左腕を優しく掴み、彼女を少し後ろに引いた。30代のシリア難民男性、筋骨隆々の体格だが、今は緊張した面持ちだ。「パニックになって、思わず噛みつくかもしれない。まずは鎮静剤だ」


ジャビールは、獣医師を目指すチームの若い隊員に合図を送った。隊員は吹き矢を慎重に構え、プテロスの太もも付近の筋肉を狙った。プテロスは彼らの動きを恐怖に満ちた目で追い、首を上げて威嚇しようとしたが、痛みで力なく頭を落とした。


「フッ!」


吹き矢が命中した。プテロスの体が一瞬硬直し、そして次第に力が抜けていった。苦しそうな呼吸も少し落ち着いた。ケイはハルオから教わった知識を思い出しながら、ジャビールに言った。


「ジャビール、翼を固定しなきゃ。あの裂けた皮膜…無理に動かすと、さらに破れるかもしれない。それに、骨も…」


「ああ」ジャビールは頷き、救急キットを開けた。「軽量の樹脂製スプリントと、伸縮性のある保護ネットを使う。とにかく、移動中の二次損傷を防ぐのが先決だ」彼は慎重にプテロスの右翼に近づき、損傷箇所を注意深く観察した。プロパタギウム(翼膜)の裂け目から微かに血が滲んでいる。「…ケイ、消毒液と圧迫パッドをくれ。まずは止血だ」


ケイは手早くジャビールに物品を渡した。彼女の目は、鎮静されてもなお痛そうに震えるプテロスの大きな体と、恐怖で潤んだその大きな目から離せなかった。トビが近くの木の枝に止まり、心配そうにジッと見守っている。


* * *


**同日 午後4時15分 ステーション 隔離治療室**


プテロスは、広い隔離室の中央に設けられた柔らかいマットの上に横たえられていた。右翼は、ジャビールたちの手当てにより、伸縮性のある保護ネットで体幹部に沿って固定され、裂傷部には清潔なパッドが当てられていた。鎮静剤の効果はまだ残っているが、意識は戻りかけていた。彼はゆっくりと重い瞼を開け、ぼんやりとした目で天井を見つめた。喉の奥で弱々しい「クゥ…」という声がした。


ガラス越しの観察室から、**ソラ**と**ハルオ**がその様子を見守っていた。ソラは、プテロスの治療記録と、墜落時の外部カメラ映像を表示するタブレットを両手で持ち、熱心にスクロールしていた。


「…衝突の瞬間、ドローンのプロペラガードが右翼前縁を直撃。プロパタギウムの損傷は深刻ですが、伸長した第4指の主要な骨には明らかな骨折はなさそうです。不幸中の幸いでした」ソラはタブレットをハルオの方へ少し傾けて見せた。


ハルオは車椅子でモニターに近づき、細い目を凝らして映像を確認した。「うむ…翼竜類の飛行は、この伸長した第4指と、そこから張られるプロパタギウムに大きく依存している。この損傷が治癒しても、かつてのような滑空性能は…難しいかもしれんな」ハルオの声には、生物学者としての現実的な見解と、傷ついた生命への憐れみが入り混じっていた。彼はソラのタブレットから目を離し、治療室のプテロスを見つめた。「彼のノタリウム(癒合胸椎)や、頭骨の軽量化構造…本当によくできた飛行マシンなのに」


「ハルオさん」ソラの声が少し興奮を含んでいた。「墜落前のプテロスの動き、映像をスローモーションで見てください」彼女はタブレットを操作し、衝突直前の数秒間を再生した。プテロスがドローンを発見し、急激なバンク(左旋回)で回避しようとする動きだ。「彼の頭部の動き。ドローンを発見した瞬間、首を素早く右に捻って注視し、その後、回避行動に移っています。その反応時間…並大抵ではありません」


ソラはタブレットを置き、自分のARディスプレイを操作した。培養網膜カメラの開発データが表示される。「私たちのプロトタイプは、低照度と動体追跡に苦労しています。でも、彼の視覚システム…ネオルニトサウルスに匹敵するかそれ以上の解像度と動体視力を持ちながら、飛翔という高速移動に最適化されている。その神経回路、特に視覚情報と運動制御の統合処理の仕組み…もし解明できれば…」


「ソラ」ハルオの声は優しくも、わずかに警告を含んでいた。「その好奇心はわかる。だが、彼は傷ついた生き物だ。今必要なのは、治療と静養だ。『プロメテウスの目』の件もある。技術の追求が、再び彼のような生命を危険に晒す道具を生み出してはならない」


ソラはハッとしたように口を閉じた。ハルオの言う通りだった。彼女はモニター越しのプテロスを見つめ直した。鎮静から完全に覚めつつある巨大な翼竜は、固定された右翼の違和感と痛みに苛まれ、不安そうに首を持ち上げ、周囲を見回していた。その大きな目には、恐怖と困惑が映っている。


「…はい」ソラは深く息を吸った。「まずは彼の回復が最優先です。でも」彼女は治療室の様子を記録しているカメラ映像を指さした。「許可が得られれば、治療中の彼の自然な行動観察…特に視覚と環境認識の関係を、非侵襲的に記録させてもらえないでしょうか? あのドローンが意図的に衝突したのなら、彼らがステーションの警戒網を掻い潜り、プテロスという『目』を潰しに来た可能性もあります。彼らが恐れるのは、優れた感覚器官そのものなのかもしれません」


ハルオは黙考し、うなずいた。「…非侵襲的で、治療の妨げにならない範囲ならな。慎重に進めてもらおう」


その時、治療室のプテロスが突然、首を左に鋭く振った。固定された体のまま、入り口のドアを凝視している。ドアが開き、**ケイ**が慎重に中に入ってきた。彼女の手には、小さな容器に入った水と、柔らかく刻んだ果物リンゴがあった。プテロスの大きな目がケイを追う。恐怖の色はまだ濃いが、ケイがゆっくりと近づき、低く優しい声で話しかけると、彼の緊張がわずかに解けていくのが見て取れた。


ソラはその光景を見ながら、ハルオの言葉を噛みしめた。技術と生命の間にある、危うくも深淵な溝を。そして、ガラス越しにケイとプテロスを見守るトビの小さな姿に、種を超えたケアの可能性を感じた。しかし、彼女のARディスプレイの端には、墜落現場で回収されたドローンの破片の拡大画像が表示されていた。その破片の内側に、三本の赤い線が入った、不気味な紋章が微かに刻印されていた。

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