純血、落日の中に
**2033年4月29日 午前0時22分 PR基地 廃棄物搬入口通路**
壁際に横たわる**カルノス**の呼吸は、かすかで不規則になっていた。冷たいコンクリートの床は、彼の体から流れ出た深紅の血の海で染まっていた。緑褐色の原始的なプロトフェザーは血と埃で固まり、胸部の鱗は無数の弾痕でひび割れ、その隙間からなおも血がにじみ出ている。細長い吻から漏れる息は白く、次第に弱くなっていった。
**アキラ**と**リュウ**は、カルノスの頭部の左右に静かにうずくまっていた。彼らの虹色の冠羽は萎み、全身の廓羽も逆立つことなく、重く垂れていた。アキラは左前肢の第I指(親指)をわずかに伸ばし、カルノスの首元の鱗にそっと触れた。リュウは右目を細め、カルノスの大きな眼球の動きを注視していた。二人とも複雑な警戒音は発せず、ただ沈黙の中で見守る。
**トビ**はリュウの背中から降り、震える小さな足で慎重にカルノスの肩の上へと歩み寄った。彼は首をかしげ、茶褐色の羽毛をふわっと膨らませながら、カルノスの顔をじっと見つめた。トビの小さな嘴が微かに開き、警戒音を発したい衝動を抑えているようだった。
**ブルーアイ**は少し離れた位置から、群れを率いる者としての威厳を保ちつつ、静かに見守っていた。彼は四肢をしっかりと立て、頭部を低く保ち、両耳を前方に向けていた。ロックとシエラはブルーアイの斜め後方に控え、同様に沈黙を守る。RSFフレームは機能を停止し、冷たくなっていた。
カルノスの左目が、ゆっくりと焦点を合わせ始めた。苦痛と朦朧とした意識の中、彼の視線がまず**アキラ**へ向く。アキラの青紫に輝く冠羽、左前肢に残る白黒の縞模様の廓羽…。次に視線が右へ滑り、**リュウ**の姿を捉える。リュウの警戒した瞳、右肩の羽毛の流れ…。そして最後に、自分の肩の上という至近距離にいる小さな存在、**トビ**へと視線が落ちた。トビの茶色の羽毛、震える小さな体、大きく見開かれた瞳…。
その視線には、これまで一度も見せたことのないものが宿っていた。獲物を狙う捕食者の鋭さも、未知への警戒心も、恐怖すらもなかった。ただ、深い疲労と、奇妙なほどの…**平穏**。長い睫毛に覆われた大きな眼球が、ゆっくりと三者の姿を追い、微かに潤んでいるようにさえ見えた。細長い吻の先端が、ほんのわずか、わずかに持ち上がった。それは笑顔には程遠いが、少なくとも威嚇ではない、初めての表情だった。
「…」カルノスの喉の奥で、かすかな空気の音がした。言葉にはならないが、それは何かを伝えようとする最後の意思のように聞こえた。
その時、頭上から影が差した。**プテロス**だった。彼は損傷した右翼を引きずりながらも、ケイとソラの支えで何とか歩み寄ってきていた。プテロスはカルノスの前に立つと、巨大な骨質トサカと虹色の綿羽を逆立て、大きく息を吸い込んだ。そして、彼は痛みをこらえながらも、破れた右翼をできる限り広げ、左翼を大きく大きく伸ばした! 翼膜が風を切る音がした。それは飛翔の準備姿勢ではなく、亡骸を覆い包み、守るかのような、荘厳な見舞いのポーズだった。彼の大きな目は、カルノスの顔をじっと見つめ、その最期を静かに見届けようとしている。
カルノスの視線が、かすかに上を向いた。プテロスの広げた翼のシルエット、トサカの輪郭が、彼の曇りかけた視界に映った。彼の胸の動きが、さらに浅く、さらに遅くなっていった。最後の息を吐き出すように、細長い吻から深いため息ともつぶやきともつかない音が漏れた。そして、その大きな体の緊張がふっと抜け、四肢が微かに弛緩した。
**アキラ**が首を深く垂れた。彼の左前肢が、無意識に自分の胸の羽毛を掻く。**リュウ**は細く鋭い警戒音を一度だけ発し、すぐに口を閉じた。**トビ**はカルノスの肩の上で小さく「キィ…」と鳴き、そのままうずくまった。**ブルーアイ**はゆっくりと一歩前に出て、鼻面をわずかに上げ、遠吠えにも似た低く長い哀悼の唸り声を静かに響かせた。ロックとシエラがそれに続く。
プテロスは翼をゆっくりと畳んだ。翼膜の裂傷から、また少し体液が滲んだ。
* * *
その静寂を破ったのは、基地外からの轟音だった。重低音のエンジン音とヘリコプターのローター音が急速に近づく。
**国際合同部隊**が到着した。
装甲車両が基地の正門を突破し、特殊部隊員が降り立つ。ヘリコプターからは狙撃手と降下部隊が展開された。戦闘は一方的で短かった。中枢を制圧され、指導者を拘束されたPR残党は、組織的な抵抗を続ける意志も能力も失っていた。部隊員が廃棄物搬入口へと進入してきた。
ジャビールが部隊指揮官に状況を簡潔に報告した。ソラはカルノスの亡骸の傍らに立ち、ポーチの中のサンプル採取キットを無意識に握りしめていた。彼女の目は、崩壊した培養槽の中の、完全に黒ずんで機能を停止した**プロトタイプ**へと向いていた。
「…あの生体組織」ソラが呟くように言った。彼女はカルノスの亡骸を見つめ、次にプロトタイプを見た。「どちらも、誰かの手で『作られた』もの。でも、カルノスは…彼は、最後に『絆』を選んだ」
彼女の視線が、アキラ、リュウ、トビ、プテロス、ブルーアイへと移る。種も形も異なる者たちが、カルノスの周りに静かに集まっていた。
部隊の医療班がカルノスの元へ駆け寄ろうとしたが、ソラは手を上げて止めた。「…もう、いいんです。彼を、静かに看取らせてください」
ソラは跪き、改めてカルノスの大きな頭に手を置いた。冷たくなり始めていた。彼女はポーチからタブレットを取り出す。画面には、カルノスの頭部に装着されていた**培養網膜カメラ付き脳波モニタリング装置**から取得した、最期の瞬間のデータが保存されていた。視覚データ(可視光と紫外線の複合情報)、脳波パターン…。
「このデータを解析する」ソラの声には決意が込められていた。「カルノスが最後に何を見て、何を感じたのか…。捕食者である彼が、なぜあの瞬間、ソラを守る選択をしたのか。その『感情』や『意思』の痕跡を、このデータから読み解く」
彼女はタブレットを握りしめ、続けた。
「そして、この技術は…本来あるべき場所へ戻さなければ」。彼女の目は、プロトタイプの残骸へと向かった。「視覚を失った人々へ光を取り戻すために。決して…」彼女の声が詰まった。「決して、再び殺戮の道具として使われてはいけない」
ソラは立ち上がった。窓の外では、カムチャツカの荒涼とした大地に、真紅の夕日(実際には深夜だが、心象として)が沈みかけているように感じられた。長い戦いの終わりだった。PRの国際拠点は制圧され、組織は壊滅的な打撃を受けた。しかし、「純血」を掲げる思想そのものが消えたわけではなかった。
ソラは仲間たちを見渡した。ジャビールが部隊指揮官と話し、ケイがトビを抱きしめ、アキラとリュウが並んで落日を見つめている。プテロスは翼を痛そうに畳み、ブルーアイが静かに見守る。
犠牲は大きかった。しかし、ここにいる者たちの絆は、多様性の尊さを静かに、しかし力強く物語っていた。ソラは、ポーチの中のサンプルとタブレットの重みを感じながら、新たな決意を胸に刻んだ。カルノスの最期が教えてくれたことを、決して無駄にはしないと。