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プロメテウスの目、起動


**2033年4月28日 午後11時42分 PR基地 北東側 廃棄物搬出口ハッチ付近**

月が厚い雲の陰に沈み、断崖下は漆黒の闇に包まれた。気温は摂氏マイナス20度を下回り、吐く息は空中で微細な氷の結晶となり、衣服や羽毛に白く積もった。凍った岩肌は死神の肌のように滑らかで冷たかった。闇は濃密だが、完全な暗黒ではない。星明りが雪原にわずかな青白い輝きを落とし、遠くの監視塔の警戒灯がかすかな赤い点として見えた。


**ブルーアイ**は歪んだ有刺鉄線フェンスの影にうずくまり、額から後頭部にかけての金属フレームを微かに震わせていた。RSF装置が起動し、フレームの接合部から青白い放電光がちらついた。彼は首を低く垂れ、両耳を後方へピンと立てた。喉の奥から低い唸り声が漏れる。

「ヴゥ…(全周波数帯、ジャミング開始)」

部下の**ロック**(右斜め後方)と**シエラ**(左斜め前方)が三角形の陣形を組み、ブルーアイのジャミングを補助する。三匹の頭部フレームが同期して発する不可視の電波の壁が、基地の外部通信と監視カメラの映像伝送路を寸断した。監視塔のカメラのレンズが、突然、無意味なノイズパターンを映し出す。


「今だ!」**ジャビール**の声は凍りついた空気を切り裂いた。彼は右手に油圧カッターを握りしめ、歪んだフェンスの基部へと駆け寄った。凍結した金属は脆い。火花と軋む音と共に、有刺鉄線が切り裂かれる。その隙間から**カルノス**が滑るように潜り込んだ。


カルノスは震えを必死に抑え、細長い吻を地面すれすれに動かした。鼻孔を激しくひくひくさせ、凍てつく空気中を漂うかすかな匂いを嗅ぎ分ける。油。鉄錆。そして…微かに温かい排気ガス。彼は左後肢を軸に体を右へ旋回させ、岩壁の根元にある半ば雪に埋もれた金属グレーチングへと鼻面を向けた。そこが通気口の地表出口だ。彼は短い前肢(後肢の約1/3の長さ)を伸ばし、右前肢の頑丈な第2指と第3指(長さほぼ同じ)でグレーチングの格子を引っかいた。が、凍結で固定されびくともしない。彼は喉の奥で不満げなうなり声を上げ、首を振った。


**アキラ**と**リュウ**が影のようにカルノスの両脇に滑り込んだ。二人の虹色の冠羽は最大限に逆立ち、闇の中で微かな構造色を放つ。彼らは首を伸ばし、大きな眼窩を収めた眼球を細め、複雑な網膜が持つ**四色型色覚**(紫外線、青、緑、赤に感度)と優れた光感度を駆使して周囲を精査した。星明りや遠くの警戒灯のわずかな光を最大限に利用し、視界を構成する。雪に埋もれた配線の被膜が放つ僅かな**紫外線の反射**、グレーチングの錆びた縁が月光を反射する角度、コンクリート壁の凹凸…。アキラは左目をわずかに閉じ、右目をグレーチングの右上隅の歪んだ溶接部分(紫外線を弱く反射)に焦点を合わせた。リュウは逆に首を左に傾け、左上隅の緩んだボルト(わずかな金属光沢)を凝視した。死角だ。彼らの視界には赤外線の熱源は映らないが、微光と紫外線特性が地形を浮かび上がらせる。


「ここだ」**ソラ**が囁いた。彼女はジャビールの左後方から油圧ジャッキを差し出した。ジャビールはうなずき、素早くジャッキをグレーチングの歪んだ枠に設置した。レバーを引く鈍い音。金属が呻き、氷が砕ける。グレーチングがわずかに浮き上がった。


「トビ、お願い!」ケイの声が震えた。彼女は寒さでガタガタ震える体を必死に抑えていた。


**トビ**はリュウの背中から飛び立った。小さな体は警戒で硬直しているが、任務を理解している。彼はリュウの左肩を蹴り、狭いグレーチングの隙間へと一直線に飛び込んだ! 翼をぴたりと体に付け、茶褐色の羽毛が壁をかすめた。内部は真っ暗で、冷たい金属の匂いと埃、そして機械油の強烈な臭いが充満していた。トビは細い換気ダクトの中を、羽ばたきではなく、鋭い鉤爪(第II趾の大きな爪)を壁面に引っ掛けながら進んだ。彼の優れた**暗視能力**が、ダクトの屈曲や分岐をかすかな光の差で捉える。


* * *


**同日 午後11時58分 換気ダクト内部**


トビはダクトの分岐点で立ち止まった。右のルートは温風と機械音が響き、左は静かで冷たい。彼は小さな頭を右に傾け、耳孔を広げた。人間の声と、何か液体が泡立つような…有機的な音が聞こえる。危険の匂いだ。トビは迷わず右のルートを選んだ。細い身をくねらせてさらに奥へ進む。やがて、ダクトの終点にある金属格子の向こうに、青白く不気味に輝く光が見えた。


その光景に、トビの全身の羽毛が逆立った。


**中枢研究室**。広大な空間の中央に、円筒形の透明な培養槽が鎮座していた。中には、ソラたちが奪われた**培養網膜プロトタイプ**が浮かんでいる。だが、それは最早「プロトタイプ」の面影はなかった。無数の光ファイバーケーブルと電極が、培養槽から伸び、周囲のコンピュータラックや、壁際に整列した**ドローン群**へと接続されていた。ドローンは戦闘用の四軸型で、機体下部に小型のレーザー照射装置と弾薬ポッドを備えている。プロトタイプの生体組織は明らかに過負荷に陥っていた。本来は淡いピンク色の網膜オルガノイドが不気味な紫色に変色し、内部の毛細血管が腫れ上がっている。培養液も濁り、微細な気泡が激しく発生していた。


「…起動シーケンス、最終段階。神経符号化パターンのドローン群への転送、95%完了」

監視台に立つPR技術者の声が、ダクト越しにトビの鋭い聴覚に届いた。技術者の背後には、筋骨隆々の戦闘服姿の**カミヤ日本支部長**が腕を組み、冷ややかに進捗を見守っている。


トビは恐怖に駆られ、ダクトを逆戻りしようとした。その時だ。


**ガシャン!**


地上のグレーチングが外れる鈍い音が響いた。ジャミングの隙を突いたのか、監視台の警報ランプが突然、赤く点滅した!


「侵入者! 区画C7、廃棄物搬出口!」技術者の叫び声。


カミヤが即座に腰の無線機を掴み、左手で拳を高く掲げた。「全員、戦闘配置!『目』の起動を優先せよ! 侵入者は殲滅しろ!」


* * *


**同日 午後11時59分 廃棄物搬入口**


ジャビールが外したグレーチングの隙間から、**カルノス**が真っ先に這い入った。低い天井のコンクリート通路に着地すると、彼は直ちに体を伏せ、細長い吻を上げて空気を嗅いだ。戦闘靴の匂い。火薬。汗。そして…強烈な腐敗臭(プロトタイプの冒された組織からか)。彼は警戒のため、短い前肢を体の下に引き、後肢を踏ん張る姿勢を取った。


**アキラ**と**リュウ**が続いた。二人は瞬時に左右に分かれ、壁際に身を隠した。羽毛を逆立てて体を小さく見せ、眼球だけを動かして通路の奥を凝視する。彼らの**四色型色覚**が、通路の奥から漏れる人工照明のわずかな光(主に可視光の青・緑成分)を最大限に活用し、影の輪郭や動きを捉えようとする。リュウが左前肢をわずかに上げ、鋭い鉤爪(第II指の鎌状爪)で前方左側の監視カメラレンズの**紫外線反射**の方向を静かに指し示した。アキラはそれを見て、右目を細め、首をうなずくように縦に振った。赤外線は見えないが、人工物の材質が反射する特定の波長が手がかりとなる。


**ソラ**がジャビールに支えられて降りた。彼女は直ちにタブレットを開き、ブルーアイのRSFジャミングが内部でも有効か確認する。画面にはノイズが走るが、かろうじて接続は保たれていた。「監視カメラは無力化…だが、人間の目は健在よ」ソラの声は緊張で硬い。


**ケイ**がトビを抱きかかえて降りた。トビは全身を震わせ、ケイの上着に顔を埋めた。彼は小さな嘴を開け、警戒音を発しようとしたが、恐怖で声が出ない。


「トビが…中を見た」ケイが震える声で報告する。「真ん中に、変な機械が…プテロスのカメラみたいなのが、ドローンにつながってて…紫色になってる!」


ソラの顔色が青ざめた。「組織が壊死しかけている…! 起動は目前だ!」


その言葉と同時に、通路の奥から複数の足音と怒声が響いてきた。警備兵だ! 彼らのヘッドマウントの暗視装置(可視光増幅型)が、微かな緑色の光を放っている。


「遮蔽物!」ジャビールが叫び、油圧カッターを捨て、代わりに携帯していたコンパクトなサブマシンガンを構えた。彼は左膝を床につき、右肩をコンクリート壁に預けて射撃姿勢を取った。


**ブルーアイ**が最後に降りた。彼は直ちにロックとシエラを左右に展開させ、自らは通路中央に位置取り、頭を低く構えた。RSFフレームが微かに発熱し、周囲の空気がゆらめいている。


「来るぞ!」ジャビールが警告する。


通路の曲がり角から、三人のPR兵士が現れた! アサルトライフルを構え、暗視装置のレンズが微かな緑光を放つ。


「発見! 射…!」


兵士の叫びは、**リュウ**の鋭い咆哮で遮られた! リュウは左後肢で壁を蹴り、体を右斜め前方へと放り出した! 空中で体をひねり、右前肢の特大の鎌状爪を完全に伸展させる。爪は兵士の一人が持つライフルの銃身を狙い、金属を切り裂く鈍い音を立てて命中した! ライフルは真っ二つに折れた!


「なに?! こいつめ…!」別の兵士がリュウへ銃口を向ける。


その瞬間、**カルノス**が動いた! 彼は驚異的な瞬発力で前方へ躍り出る。左後肢を軸に体を右に回転させ、短いながらも筋肉質な右前肢を伸ばした。第2指と第3指の頑丈な爪を、兵士の防弾チョッキの隙間へと突き立てる! 爪が肉に食い込む感触。兵士の悲鳴が通路に響いた。カルノスは爪を40度ほど回転させて致命傷を与え、次の標的へと視線を移した。


「撃て! 撃て!」残る兵士がパニックに陥り、無差別に引き金を引く!


銃声が轟く! 弾丸がコンクリートの壁や床を跳ねる!


**アキラ**が低い姿勢で壁伝いに疾走した! 彼は弾道を予測するかのようにジグザグに動き、一発の弾丸が左前肢の廓羽をかすめるのを避けた。彼の標的は兵士の足元だ。強力な後肢で跳躍し、空中で体を回転させ、長い尾をムチのようにしならせて兵士の足首を払った! 兵士はバランスを崩し倒れ込む。


「シェイクダウン!」**ジャビール**が叫び、倒れた兵士めがけて正確な三点バーストを放った。兵士は動かなくなった。


**ブルーアイ**は動かなかった。彼のRSFジャミングが、兵士たちの無線通信と、おそらく近距離の照準システムに干渉していた。ロックとシエラが威嚇の吠え声を上げ、兵士たちの注意を引きつける。


銃撃戦の騒音が収まるよりも早く、**ソラ**がタブレットを操作していた。「トビの見た場所は…この先だ! 早く!」彼女はケイの手を引き、カルノスが開けた血路を駆け抜けた。アキラとリュウがすぐに追従し、ジャビールとブルーアイ群れが後衛を固めた。


* * *


**4月29日 午前0時03分 中枢研究室前**


重厚な防爆扉がわずかに開いていた。内部から漏れる青白い光と、機械の駆動音、そして…有機組織が冒される異臭が漂う。


ソラが息を詰めて扉の隙間から中を覗いた。その光景に、彼女は思わずタブレットを握りしめる左手に力を込めた。


**カミヤ支部長**が培養槽の前で腕を組み、冷然と起動プロセスを見守っている。技術者たちが焦りながらも最後の調整をコンソールで行っている。壁際のドローン群の光学センサーが、不気味に青く点灯し始めていた。培養槽の中のプロトタイプは、紫色がさらに濃くなり、一部の組織が崩れ始めている!


「…起動シーケンス完了。『プロメテウスの目』、作動可能状態」技術者の報告が響く。


カミヤの口元が歪んだ。「よし…! まずはこの施設内の『不純物』を掃除してもらおう!」


ソラは背後の仲間たちに目をやり、深く息を吸い込んだ。ジャビールが無言でうなずく。アキラとリュウは全身の羽毛を逆立て、鎌状爪を完全に展開した。カルノスは低いうなり声を上げ、獲物を狙うように研究室内部を凝視する。トビはケイの懐で縮こまった。ブルーアイのRSFフレームが、最大出力への切り替えを示す赤い光を放ち始めた。


奪還か、破壊か。プロメテウスの目が開かんとする刹那、戦いの火蓋が切って落とされた。

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