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極寒の砦


「海影」は、荒波が岩礁に砕ける轟音を背に、海底から静かに浮上した。ハッチが開き、**オホーツク海**の冷気が鉄の棺桶のような船内に流れ込んだ。それは氷点下の息吹だった。**ジャビール**が真っ先に降り立ち、迷彩服の襟を立てた。吐く息が白く固まり、すぐに顎鬚に霜を結んだ。


「動き続けろ。止まれば即凍傷だ」ジャビールの声は、寒さで歯がガチガチ震えるのを必死に抑えている。


**ブルーアイ**がジャビールの右斜め後方から飛び降りた。足裏の肉球が凍った砂利の上に着地するや否や、頭部のRSFフレームを左右に振った。アンテナが微かに震え、周囲の電波環境をスキャンする。部下の**ロック**と**シエラ**が左右に散開し、低姿勢で警戒態勢を取った。


「グルル…(強い妨害電波。基地方向から)」ブルーアイが警告の唸り声を上げ、首を断崖の方向へ向けた。


**カルノス**はハッチからよろめくように降りた。彼の鱗と原始的な緑褐色のプロトフェザーは、極寒に弱い。全身が明らかに震えていた。細長い吻を上げ、鼻の穴をひくひく動かし、雪と鉄と火薬の混ざった匂いを嗅ぎ分けている。オピストプビック(後傾)の恥骨を持つ後肢は踏ん張っていたが、寒さで動きが鈍っていた。彼は本能で風下を探し、岩陰の少し温もる場所を見つけ、うずくまるように身を伏せた。


**アキラ**と**リュウ**は、優れた平衡感覚で不安定な岩場を軽やかに移動した。全身の廓羽をふわっと逆立て、羽毛間に空気の層を作って断熱効果を高めていた。しかし、彼らの嘴の先端や足先は露出しており、凍えそうな冷気を感じている。虹色の冠羽は警戒で最大限に立てられ、青紫の構造色が朝日に微かに輝いた。二人は並んで首を上げ、断崖の頂上を凝視した。優れた視覚(四色型色覚)が、岩肌の微妙な色合いの違いや、人工物の直線的な輪郭を捉えようとしている。


**トビ**はリュウの背から飛び立ち、冷たい風に流されるように近くの岩の割れ目へと滑り込んだ。小さな体は震え、茶褐色の羽毛をできるだけ膨らませていた。警戒音を上げたいのを必死にこらえている。


* * *


**プテロス**の巨大な体がハッチから現れた。彼は凍てつく風に触れると、首を大きく後ろに反らせ、苦悶の表情を浮かべた。固定された右翼のスプリントが、冷気で金属部が収縮し、よりきつく締め付けるようだった。本来、飛翔生物は寒冷適応が高いが、負傷と拘束は致命的なハンデだ。


「プテロス、ここで」**ソラ**が震える声で呼びかけた。彼女は開けた岩陰に防水シートを敷き、携帯型診断装置を取り出した。**ケイ**がプテロスの左側に立ち、不安そうにその大きな翼を見つめていた。


ソラは素早くスプリントの固定バンドを外し、内部の状態を確認した。伸長した第4指(翼指)のひびは安定していたが、翼膜の裂傷部の保護シートが寒さで硬化している。「筋肉補助装置を再装着する。AGIに寒冷地モードを設定する」ソラがケイに指示し、自身は軽量の**AGI制御型筋肉補助装置**を取り出した。それはチタン合金とカーボンファイバー製の骨格に、微小アクチュエーターと筋電センサーが組み込まれたものだ。


「痛くないよ、すぐ終わるから」ケイがプテロスの首の付け根を優しく撫でながら囁いた。プテロスは大きな目を細め、ソラの手元を見つめていた。ソラは装置をプテロスの右翼基部に密着させ、生体適合性ゲルで皮膚とセンサーの接触を確保した。次に、肩と上腕部の主要な飛翔筋(大胸筋、三角筋、上腕三頭筋)の位置に、小型の筋電センサーパッドを貼り付けた。


「…起動」ソラがタブレットでコマンドを送信。装置のエッジが青白く点滅した。AGIがプテロスの筋肉の微弱な活動電位を読み取り、学習済みの飛翔パターンと照合を始める。「リハーサルモード、寒冷地設定。推力補正、マイナス15%」


プテロスの右翼が突然、微かに痙攣した。装置が筋肉への微弱な刺激でフィードバックを行い、神経-機械インターフェースの調整を始めたのだ。プテロスは驚いて首を右に振ったが、ケイの手が優しく押さえた。


「大丈夫、大丈夫…」


数分後、調整は完了した。ソラが最後に、プテロスの首に**培養網膜カメラ付き脳波モニタリング装置**のハーネスを装着した。カメラレンズがプテロスの視線方向を向くよう調整する。


「行くぞ、プテロス」ソラがタブレットを掲げ、モニターに映るプテロスの視界映像(まだ地上の岩場)を確認した。「高度は控えめに。偵察が目的だ」


プテロスは深く息を吸い込んだ。凍てつく空気が肺を刺す。彼は強力な後肢で岩場を蹴り、左翼を大きく広げてバランスを取りつつ、体を持ち上げた! 同時に、右翼基部の筋肉補助装置が作動する。微小アクチュエーターが、損傷した筋肉に代わって滑らかに収縮し、翼を支える骨格を補助した。固定された右翼は動かないが、装置が姿勢制御を支援する。


「グオォ…!」苦しげな声と共に、プテロスは凍てついた大気の中へ舞い上がった! 左翼は力強く羽ばたき、右側は装置の推力と左翼の揚力で補われる。氷点下の空気は密度が高く、通常より揚力が得やすい反面、翼膜や筋肉への負担は増す。プテロスの呼吸が白い跡を描きながら、断崖の頂上へと向かって上昇していった。


* * *


**同日 午前7時45分 断崖上 PR基地上空**


高度約300メートル。気温はさらに低下し、摂氏マイナス15度を下回っていた。**プテロス**は、筋肉補助装置の推力と巧みな左翼の羽ばたきで、ゆっくりとした旋回を続けていた。寒さで翼膜がカサカサと音を立て、感覚が鈍るのを感じた。頭部の骨質トサカと虹色の綿羽には、細かい氷の結晶が付着していた。


『プテロス、心拍数上昇。筋肉負荷、許容範囲内。継続可能』ソラの声が、ハーネス内蔵のマイクロスピーカーから微かに聞こえた。


プテロスの**優れた視覚**が、眼下の基地をくまなく捉えていた。**培養網膜カメラ**がその視界をほぼリアルタイムでソラのタブレットに送信している。映像は生体特有の高ダイナミックレンジを活かし、陰影の深い雪原と、人工構造物のコントラストを鮮明に映し出していた。


* **基地構造:** 旧ソ連時代のレーダー基地跡を増改築したもの。分厚いコンクリート製のドーム群が、風雪に削られた岩肌に半ば埋もれている。中央の巨大な格納庫状の建物が目立ち、その周囲に兵舎、通信塔、そして監視塔が配置されていた。

* **警戒配置:** 監視塔の頂上には、長距離カメラと赤外線センサーを備えた監視ポスト。外周には二重の有刺鉄線フェンス、その内側に定期的に巡回する二人一組の歩哨。雪上には、最新鋭の無人警戒車両(小型タンクのような形状)の轍がくっきりと残っていた。

* **弱点:** 北東側の崖下。波の浸食で岩盤が崩落しかけている箇所。フェンスが歪み、監視塔からの死角となっている。格納庫の裏側には、老朽化した廃棄物搬出口(大型の金属ハッチ)があり、換気用のダクトが地表へと伸びている。


プテロスは大きな目を細め、特に監視塔と無人警戒車両の動きを追った。彼は体を左に傾け(バンク)、旋回半径を小さくし、特定のポイントを凝視する。その視線の動きに連動して、培養網膜カメラの焦点がAI補正により自動調整され、ソラのモニターに拡大映像が送られる。無人警戒車両の砲塔の形状、監視塔の監視カメラの向き…。


突然、プテロスの視界が大きく揺れた! 監視塔から発射された**対ドローン用の電磁パルス砲**の見えない衝撃波が、上空をかすめたのだ。筋肉補助装置が一瞬、ノイズで誤動作し、プテロスは高度を大きく落とした!


「ガッ!」プテロスが必死に左翼を羽ばたき、装置の推力も最大に上げて体勢を立て直す。頭部ハーネスの脳波モニターに、一瞬のパニックを示す乱れが記録された。


『プテロス! 高度を下げろ! 彼らは空中目標を警戒している!』ソラの声が焦りを含む。


プテロスは旋回をやめ、体を水平に保ち、滑空に移行した。筋肉補助装置が右翼の姿勢を微調整し、左翼だけで揚力を維持する。高度を下げつつ、岩陰を縫うように基地の北東側、崩落危険区域へと向かう。彼の目が、歪んだフェンスと、その奥の廃棄物搬出口ハッチを捉えた。ハッチの錆びた隙間から、微かな機械油の匂いと…温かい排気の気配が漂っているのを、鋭敏な感覚で感じ取った。


* * *


**同日 午前8時00分 断崖下 岩陰**


ソラのタブレットには、プテロスが最後に送信した、廃棄物搬出口ハッチの拡大映像が映し出されていた。**ジャビール**がその映像を熱心に見つめ、右手で岩壁の粗い表面をなぞった。


「…ここだ」ジャビールが低く言った。「岩盤の崩落が進み、フェンスの基礎が緩んでいる。さらに、この換気ダクト」彼は映像のダクトを指さした。「地表出口は小さいが、内部は広いはずだ。旧ソ連時代の基地は、核シェルター級の頑丈な地下構造を持つ」


**ケイ**がプテロスの帰還を待ちわびるように空を見上げていた。**アキラ**と**リュウ**は並んで岩陰に座り、お互いの体を軽く寄せ合って暖を取っていた。冠羽は警戒を維持しているが、寒さで少し萎んでいる。**トビ**はリュウの背中に潜り込み、小さな体を丸めていた。


「問題は警戒だ」**ブルーアイ**が首を右に振り、断崖の上を睨みつけた。「監視塔、無人車両、歩哨…侵入経路は死角でも、内部は厳戒態勢だろう。あの電磁パルスは、空中だけでなく、地上の電子機器も無力化する可能性が高い」


**カルノス**は震えながらも、ソラのタブレットに映る基地の映像を興味深そうに覗き込んでいた。鼻面をわずかに動かし、映像からは感じられない、実際の基地の匂い(鉄、油、人間の汗)を想像しているようだった。彼の傷ついた右後肢が、寒さでうずいている。


その時、風を切る音が頭上に近づいた。**プテロス**が、筋肉補助装置の推力でかろうじて高度を保ちながら、彼らの潜む岩陰へと降下してきた。着地は重く、凍った地面が軋んだ。彼は大きく息を吐き、白い蒸気の柱を上げた。左翼は疲労で震え、右翼の筋肉補助装置が微かに唸りを立てていた。虹色の綿羽に付いた氷が、朝日にきらめいた。


ソラがすぐに駆け寄り、プテロスの首のハーネスを外すと同時に、筋肉補助装置の状態をタブレットで確認した。「…限界だ。酷使はできない」ソラの声には悔しさがにじむ。


プテロスはケイに寄りかかり、大きな目を閉じた。しかし、彼の偵察は決定的な成果をもたらしていた。ソラのタブレットには、廃棄物搬出口ハッチの詳細な映像と、換気ダクトの推定経路図が表示されていた。


ジャビールが仲間たちを見渡した。アキラ、リュウ、トビ、ブルーアイ、震えるカルノス、そして疲弊したプテロス。極寒の地で、種も立場も超えたチームが、一つの目標を共有していた。


「今夜だ」ジャビールの声は静かだが、鋼のように硬かった。「月が沈んだ直後、北東の崖下から侵入する。プテロスが見つけた『穴』から」


奪われた「瞳」は、あのコンクリートと鉄の巨塊の奥深くにあった。極寒の砦への挑戦は、刻一刻と近づいていた。

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