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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

短編ホラー

窓硝子

作者: 壱原 一

父母は子育てが雑な質で、子たる自分は面識のない年配夫婦の元へ預けられたことがある。


父母と夫婦の関係は今もって知れない。子供を預ける位の関係だったと一概に言えないのが我が親の嘆かわしいところだ。


ともあれ夫婦は預けられた子供を寛大に迎え入れてくれた。親の言う事を鵜呑みにする年頃だったので、こちらも殊更に恐縮せず、遠い親戚の家へお邪魔している程度の心持ちで子供なりに行儀よく過ごしていた。


旦那さんはむすっと皺深く、酒焼けで赤らんだ顔をしていて、奥さんはほっそりと青白く、物悲しく恨めしげな影が差していた。


お宅は住宅街の最中にありながら、深山幽谷にうがつあなぐらのように重苦しい静けさが凝っていて、子供がそれを物ともせず、つたない行儀をつくろいながら「アニメ見たい」「オムライス食べたい」と騒ぐのが、夫婦が子供を預かる目的で、預けられた子供の特権、また課せられた使命だと、当時の己は直感していたように思う。


そんな訳で夫婦と自分は総じて穏当に過ごしていたものの、夫婦はほぼ家に籠もり切りだったので、数日で活力が有り余り、夜ねられなくなってしまった。


子供らしいいじらしさを誇示するなら、父母や我が家が恋しくて、いつ迎えに来てくれるのか、もしかしてずっとこのままなのか、寂しく不安だったとも言える。


何にせよ寝静まった余所のお宅で気を紛らわせる術もなく、あてがわれた部屋のカーテンをめくり、外を眺めて暇つぶしをするようになった。


窓の向こうは小さな庭で、ブロック塀に囲われていた。塀を隔てて街灯があり、ちょっと安っぽい月光よろしく青白く庭を照らしていて、壁や天井を見飽きた子供には十分な楽しみだった。


昼よりずっと暗い色の樹木や花、塀の上部の透かし飾りや浮かんだ苔や飛び交う羽虫が、僅かな光を貪欲に吸って伸び上がるような陰影を描き、却って生き生きと躍動的にさえ感じられる。


ぼけっと口を開けて見惚れる自分の姿が、ほぼ透過して窓硝子に映り込み、まるで自分が庭の夜景に溶け込むようで、眠れずにいる所在の無さから離れられるのも快かったのだろう。


そうして夜の庭を眺めだして2、3日経った晩、窓硝子に映る半透明の自分の隣に、同じ年頃の子供がそわそわ嬉しそうな笑顔を浮かべて屈んでいるように見えて、咄嗟に真横を確認した。


真横には誰もいない。部屋の戸が開け閉めされた気配はなかったし、潜めるような場所もない。


自分の姿がぶれて見えたかなと窓硝子に目を戻すと、果たして自分とは似ても似つかない面立ちの子供が、やはり口をもぞもぞ、瞳をきらきらさせた友好的な表情で、窓硝子を見る自分を見詰め返している。


以前、掛け布団の裾から小さな男女が滑り降りてきて、上唇を糸切はさみで暖簾状に切られる悪夢を見て、夜中に父母を揺すり起こし叱られた経験があって、どうせこれもまた夢だろうと、自分は驚かなかった。


ぼけっと子供を見たままの自分に対し、子供はいよいよ意気込んで、窓硝子に映り込んだこちらの肩をぽんぽんと叩いた。


庭に目を向け、庭を指差し、それから自身を指差して、その手で己の前髪を掴み、露にさせた額を、とん(・・)と窓硝子にくっつけた。


鼻もくっつけ、瞼も頬も唇もくっつけ、全力でおどけているのかと思えば、それにしては押し付けすぎている。


無理に曲げられた鼻の穴からつうっと筋が垂れ、よれた瞼の隙間で目が潤んで涙が落ち、もごもご動いてめくれた唇から歯と歯茎が覗き、唾液がこぼれはじめる。


「離れたら?」と思って手を浮かすも、窓硝子に映る像なので触れられない。困っている内に子供はすっと窓硝子から遠退き、次にはとんでもない勢いで、音はなく「がつん」と衝突した。


がつん。がつん。がつん。がつん。


瞬く間に繰り返しぶつかって、子供が映る窓硝子も子供の顔も濡れてゆく。


子供は頭上に両手を掲げ、まだ自身の前髪を握っているかに見えて、実のところ、それらの手は、子供の前髪を握り締めて打ち振るう大人の手に弱々しく縋っていた。


子供の後ろに大人が立って子供を窓硝子にぶつけている。


凝視すると、更に後ろで別の大人が立ち尽くしている。


そのうち子供は叩かれた虫のようになり、だんだん動かなくなって、打ち振るうのを止めた大人に前髪を離され、支えられて揺さぶられ、がくんがくんとぶらついて、それからひしと抱き締められた。


立ち尽くしていた大人が駆け寄り、抱き締められた子供の両頬や頭をしきりに撫で、間もなく抱き締めている大人の顔や肩や背中をばんばん叩きまくって、相手から横取りせんばかりに子供を掻き抱いて前後に揺れた。


やがて子供を抱き締めている大人が立ち上がり、掻き抱いていた大人も立ち上がる。


窓硝子に向けて歩き出し、足が大写しになって窓硝子を越えて消え、後には元の通りの、もにょもにょはにかむ子供が残った。


自身を指差し、庭を指差して、くしゅっと唇を噛み締めてくすぐったそうに笑い、唇の前に人差し指を立ててぎゅうっと押し当てた。


どれほど子育てが雑でも、他に比ぶるものはなく、父母こそ己と世の全ての年頃だったので、子供が何を言わんとしたのか直ぐに分かった。


いっぱい抱き締めて撫でてくれて、もうしないごめんねと謝ってくれて、以来ずっと傍に居てくれている。


いいでしょ内緒ねと言われたと分かり、いいなぁ分かったと言う顔をした自分が、窓硝子に映るのを見た。


*


翌朝父母が迎えに来て、後は相応の修羅場を演じつつ、どうにか成人して距離を置いている。


それなりに世間を知った今、あの子の無上のしあわせに水を差す思いが全く過らないことはない。


けれど当時ほんとうに羨んで、望ましく感じた気持ちもまた、己のどこか根深いところで否定できずにいる。



終.

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― 新着の感想 ―
[良い点] 惨いですねぇ。悲しく、切ない。救いのないバッドエンドではありますが、それはそれ。ホラーを見に来ている私からすれば至上の喜び。あなた様のお陰でまた一つ脳が揺れました。誠にありがとうございます…
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