第六十八話 幾年の記憶を越えて
毅然と強がってみたものの、さすがにこれは……。
「ふっ……はああああああ!!!」
――ゴオオオオオオオオオオオオオ……。
制御を失ったゴーレムがまた一体、ロベリアの剣の兇刃を前に物言わぬ物体と化して地上へ墜ちた。
落下の衝撃で生じた轟音が耳を劈き、濛々と立ち込める土煙が風圧で煽られ辺りを灰色に染める。戦闘の凄惨な光景はこれまで何度も目にして慣れてきたはずだが、此処は人の血が流れない戦場という現実を鑑みても、一方的な殺戮と言っても差し支えないくらい地獄絵図的な景色が広がっていた。
「これで三十体目! まったく切りがないな……さすがの私もうんざりしてくるぞ」
そう口にする割には、態度や表情が嬉々として見えるのは俺の気のせいだろうか。
魔術が通用しない敵を相手に、「ならば物理で殴る」という単純明解な発想を可能にしてみせる人なのだ。俺は今一度、彼女に対する評価を改め直さなければならないかもしれない。
「弱点を看破すれば、連中も所詮は数だけだ。君は私が必ず守るから、自分の役目をしかと努めるがいい」
「……ああ」
ロベリアの言葉に俺は首肯する。
一騎当千の彼女にそう断言されれば、それ以上に心強いものはない。もっとも俺が何とかできなければそれで何もかも終わりなのだが。
幻想の鎖、グレイプニル。時の賢者の協力を受けて俺が放った特大の魔術は、光の拘束具となって空に突き出た巨神の腕に幾重にも絡み付いている。
お陰で奴が封印の檻を破って“こちらの世界”に踏み入れる事態はなんとか防げているが……こんな力が拮抗した状態ではいずれ時間の問題だろう。見たところ向こうは無尽蔵に力が有り余っている様子で、俺の方はというと魔力の枯渇という危険性とも戦いながらの必死の抵抗だ。古代魔道士も結局は魔道士。魔力が無ければ魔術は使えないし、魔力が尽きればこの光の鎖だって消えてなくなってしまう。
「そうなったら……今度こそあいつを止められない」
巨人の神はこの大地に解き放たれ、本能の赴くままに破壊の限りを尽くすだろう。まだそうなると決まったわけではないが、あんなデカブツの封印が解かれたその後がどうなるかなんて想像に難くない。
責任重大なんてものじゃない。プレッシャーのあまり冷や汗が仮面に隠れた顔を滴り落ち、ストレスで胃がきりきりと痛み始める。
駄目だ余計な事は考えるな。
俺は頭を振ってネガティブな思考を追い払い、発動中の光の鎖にさらに魔力を込めた。
魔力の増幅は即ち魔術の強化となる。より頑強になったグレイプニルの鎖がきりきりと巨神の腕を締め付けて押し返そうとした。が、
――こいつ、どんなに怪力なんだよ…!
それに抗うように巨神の方も岩山のようにごつごつとした腕を激しく振り回す。俺はそれに振り回されるしかない。
例えるなら綱引き。一見して互いに均衡しているようで、一つでも力の加減に変化が生じれば崩れるように力関係が一変する。
強い力量の作用ほど、不安定なものはない。少しでも気を緩めれば最後、圧倒的な力の奔流に飲まれるのが簡単に予想できる。
「けどこっちはそれ以上に…!」
いやマジ無理。
足場をずるずる引き摺られ、さすがの俺も自分の筋力に限界を感じ始める。
これでは魔力の枯渇以前の問題だ。上空では今も尚ロベリアが縦横無尽に飛び跳ねながら飛来するゴーレムを一挙に引き受けてくれている。
流れるように敵の懐に飛び込み、無駄のない動きで確実に敵の急所を捉えて堕とす。魔法には無敵を誇る人形兵器も、弱点の稼動装置を破壊されれば一溜まりもないのだろう。光る球体のようなそれはゴーレムの心臓部と思わしき箇所に必ず一つ埋め込まれているようで、ロベリアはこれに狙いを定めて一体ずつ処理しているようだった。
だが、それでもまだ多勢に無勢。数限りなく増え続ける敵を前に、さすがの月華姫も手こずり始める。
このままじゃ駄目だ。けどどうすりゃいい。名案なんて思い浮かばない。俺に助言をくれるショタ声の精神体は、相も変わらず応答が無いままだ。俺に戦う術をくれた時の賢者もプレッシャーだけとことん植え付けてさっさと居なくなってしまった。
まさに八方塞り。いや、待て。考えろ……何か手段はあるはずだろ…。今の俺は古代魔道士だぞ。これまでだって多くの修羅場を潜ってきたはずだ。命を落とす程の危険な目にもあってきた。けどそれでも、必死に生に縋って生きてきたじゃないか。
沢山の助けがあった。思わぬ奇跡があった。頼もしい助けがあった。
それ全部が運命だというのなら、今回もそうだと信じたいって思うだろ。
ごーん、と大地を揺さぶる轟音が響く。
落石だ。いや違う、ゴーレムだ。また一体、ロベリアに脳天をかち割られたストーンゴーレムが、巨躯の制御を失って地面に身を投げた。
割と付近に落ちたために落下の衝撃で風が起こり、ローブが風圧で煽られる。
その時、俺は確かに目にした。
風で舞い上がったローブ、その胸元にきらりと光る銀のブローチが。
(もし人の手に負えない一大事が起こったのなら、そのブローチを掴んで祈りなさいな。どんなに遠く離れていようとも、ワタクシたちがすぐさま助けに駆けつけますわよ?)
すっと頭の中がこれまで以上にクリアになる。
何故、今まで忘れていたのだろう。何故、すぐに気付かなかったのだろう。
魔術円陣が解かれ、この街に魔力という概念が復活した今、俺は魔術という最強の武器を再び手にしたはずだ。ロベリアが振るう魔法剣はそもそも魔力としての意味を成していないが、それでも彼女に握られた黒いそれは新鮮な空気に喜びを感じるように力強く鳴動している。
考えれば自ずと分かったはずだったのに。魔法の世界という無限の可能性。その世界だからこそ映える力と手段。全部ひっくるめて考えれば良かった。
俺にはまだ、抗うための力が残っている。
「頼む皆……力を貸してくれ……!」
ブローチを握り締めて助けを求める。
別に声に出さずとも良かったが、それでも震える声を絞り出して願う。
何度も自分達を救ってくれたその存在に、藁にも縋る思いで全てを賭ける。
来るか? いや、来ないか? 来て貰わなければ困る。もう自分では成す術がない。そうだよ他力本願だよ。この期に及んでさらに開き直ってやる。
俺の願いに応えるようにブローチが温かな光を発する。やがて『そいつら』は突然にやってきた。
『『『きたああああああああ!!!』』』
頭が割れんばかりの大音声。
右から左から前から後ろから。果ては上から下からも、その場に唐突に出現した連中は一斉に歓声を上げる。
俺は驚きのあまり言葉を失っていた。
彼らの大声にではない。いや、それも勿論驚いたが、何より彼らが揃って大集合した事、そして自分の声がこんなにもすぐに聞き届けられた事に驚きを隠せない。
周囲何処を見回しても、人、人、人、人の大混雑。地面に埋まっている者もいれば、空に浮かんでいる者もいる。いつか見た光景……老若男女様々な種族の姿で現れた彼らは、あの時と何も変わってはいなかった。
『御機嫌よう、仮面の王子様。といっても、昨日お会いしたばかりだけれど』
その舞踏会の踊り子である絡糸の狂い人形は、この状況でも自分のペースを崩さず妖艶な微笑を浮かべる。
『異変はデュルパンからでも察しておりました。皆さん、貴方に呼ばれるのをずっと待っていたんですのよ?』
「マリー嬢…」
その余裕を感じさせる態度が、張り詰めた緊張と恐怖を押さえ込んでくれる。なんというか……母性愛? 今この人に「よく頑張りましたね」と褒められたら泣きながら豊満なバストに飛び込んでいく自信がある。それほどまでに安心感が広がった。
「俺……すまない。何も出来なくて……だから…」
――助けて欲しい。
そう言い切る前に、支離滅裂の俺の懇願はマリー嬢の指で塞がれ遮られてしまう。
皆まで言うな、と。そう言外に含まれた彼女の意思を知る事ができて、俺は堪らず大きく息を吐き出した。気が緩み、幻想の鎖の拘束が一時的に弱まる。暴れる巨神を抑え付ける体力もほとんど残っていないにも関わらず、俺には不思議と絶望感はなかった。
守護妖精達は待っている。この舞台を用意した俺が、舞踏会の主催者として、彼らに最高のパーティーを提供するのを。
俺に小さく手を振る双子のロッタとアネッタ。自慢の髭を撫でながら偉そうに胸を張る紳士のジェームス。艶やかな髪を上品に払い、艶かしい笑顔でくるりと回るマリオネット。
皆が俺の合図を待っていた。
開かれる舞台幕を、会場の扉を、今か今かと待ち侘びる賓客達に、俺が言うべき事はただ一つだ。
「……宜しく、頼む」
次の瞬間、世界が煌いた。
召使、鉱山夫、兵士、貴族、あらゆる身分の装いに身を包む古都の守護妖精達は、俺の一言を合図に一斉に空へ舞い上がった。
『さぁ、第二楽章の始まりですわよ!』
追想の舞踏演劇場。
廃墟と化したアロンダイトの空に、妖精達の奏でる歌と演奏が響き渡り、華麗な踊りが披露される。
恐らく俺以外にその姿は見えていないだろう。それでも彼らは歌と踊りを止めない。ただ愉快に舞踏を刻み続ける。
真っ先に飛び出していったモノクロの双子姉妹は手近にいたウッドゴーレムに二人で飛び乗った。俺があっと声を上げる間もなく、子供の遊具となったゴーレムはこちらに向っていた進路を急速変更する。そのゴーレムの後ろに続いていた別のゴーレムも、さらにその後ろをついていたゴーレムも、そのまた別のゴーレムも、先頭を行く双子姫を旗頭に次々と離れていく。
変化は彼女達だけじゃない。マリオネットやジェームス、他の妖精に触れられた人形兵器が揃って同じ方向を目指し始めたのだ。
その矛先はただ一点、上空高くの巨神の腕を目掛けていた。
「キリヤ!」
俺の名前を呼ぶ声が聞こえて、そちらに視線を向ける。
すぐ傍の地面に降り立ったロベリアが、剣を握ったまま俺の隣に並んだ。ゴーレムが突然戦いを放棄したために、異変を察してこっちに戻ってきたのだろう。つい今までゴーレムと激しい戦いを繰り広げていた所為か、彼女の顔には玉汗が滲み、長い銀髪もぼさぼさに痛んでしまっている。逆に言えば見て分かる変化とはその程度で、体力の方はまだまだ有り余っている様子だった。
「ゴーレムの様子が何かおかしい…。奴ら、君の魔術を根本から絶つ気ではあるまいか」
油断無く険しい視線を空に送るロベリアは、突然離れていったゴーレムに不信感を抱いているようだった。今の彼女には妖精の姿が見えていないはずだし、ゴーレムの挙動が何か良からぬ前兆だと疑うのも当然だろう。
「いや、違う。あれは妖精のお陰だ…」
ロベリアが驚いた表情で俺を見つめる。
「妖精? それはあれか、私達の野営地脱出を手伝ってくれた、君に懐いていた双子の彼女達か?」 「ああ…。その子達も含めて、大勢いる。彼らが手を貸してくれている」
「キリヤには見えているのか?」
「ああ」
話している間にも、妖精に率いられたゴーレム達は巨神の腕目掛けて上昇していく。魔術が通用しない連中を一体どうやって操っているのか、ろくに魔術の仕組みも理解できない俺が知る由もないが、ピロでさえ詳しく知らない謎に包まれた存在なのだから、妖精だけに可能なやり方があるのだろう。
「災厄の復活阻止、勝算はあるか?」
ロベリアに顔を覗きこまれ、思わずどきりと身体を硬直させる。
仮面を付けているから顔を見られる心配はないはずだが、心の内面を見透かされているようで妙に落ち着かない。
それでも、しっかり彼女の顔を見て俺は答えるよう努める。
「……分からない。だが、絶対にやってみせる」
あんな化け物を封じ込めるだなんて途方もない事のように思えるが……それでも、あの少女は俺にしかできないと言った。使命だからやる。それもある。だが、それだけじゃない。
「守るんだ……絶対に」
「キリヤ……」
ロベリアはしばらく黙って俺の顔を見つめていたが、覚悟は揺るがないのだと悟ってくれたのか、うんと一度頷いて俺の肩に手を置いた。
不意に触れられてびくりと震える。それでも避けようとしなかったのは、俺自身が他人との接触に抵抗を感じなくなっているからだろう。
「何処まで力になれるか分からないが、私も共に。魔力でも何でも、存分に使うといい」
「ありがとう、ロベリア…」
快活に笑う銀髪の皇女に、俺もまた笑う。
ちゃんと笑えてただろうか。変な顔になってなかったかな。そんな事を考えてしまうあたり、俺まだ相当余裕あるんじゃないだろうか。
『キリヤ王子、準備はよろしくて?』
姿は見えず、マリオネットの声だけが俺の頭の中に響く。
これから何をするのか、妖精の思念が意識を通して俺に伝えられる。
宜しく頼む。
そう伝えた瞬間、空中に集まった人形兵器が一斉に光を放った。
空の裂け目から飛び出した巨神の腕を取り囲むように、妖精にリードされたゴーレム達が円状に空中で停止する。
妖精達にとってゴーレムとは使役対象でも僕でもなく、ダンスパートナーでしかない。歌を謳い、楽器を奏で、リズムを刻みながら華麗にダンスを披露する。
操っているわけでも手懐けているわけでもない。マリオネットが使う追想の舞踏演劇場とはつまり、その者の奥底の記憶に触れる奇跡の技。ゴーレムはただ魅了され、それに共鳴しているだけに過ぎない。
ゴーレムを作った職人や魔道士、贄となった者、殺戮された人々、ゴーレムの記憶に宿るありとあらゆる魂が共鳴し、気の遠くなるような長い時を経て形を成す。
それが真に完成した時、『人形兵器』は『自動人形』に生まれ変わる。
兵器としてではなく、あらゆる種族と共存し助け合っていたかつての姿に。
『準備はよろしくて?』
マリオネットの問いかけに、仮面の王子の返答が届く。
それが合図だった。
数十ものゴーレム達が一斉に眩い光を放ち、アロンダイトの空を明るく照らし出した。何百、何千、何万という光の粒子が放出、拡散する。
その一つ一つが全て、ゴーレムの中に眠っていた数多の魂だ。
飛び出した光の粒子はうねりながら大きな光の柱へ変貌し、巨神の腕へ殺到する。
災厄という名のミュージカルに終止符を打つために、彼らは戦いの終焉を飾る。
「あれは本当に、さっきまで私が戦っていたゴーレムなのか…?」
ロベリアの疑問はもっともだろう。
驚愕と困惑が入り混じった表情を浮かべて、無双の戦乙女は上空で光を放つゴーレムを見上げる。
いや、もはやゴーレムと称して良いのかすら判断に困る。それはさっきまでの殺戮兵器と同じ外見を維持していながらも、漂うオーラがまったくの別物だったためだ。
一種の神々しさ、と喩えた方が適切だろうか。それらに備わる本来あるべき姿…その本性がついに解き放たれて、待ってましたとばかりに役目を全うしようとしているかのようだ。
ゴーレムから溢れ出した光の粒子は個々が意思を持つかのように空を舞い、裂け目から飛び出した巨神の腕に突撃する。
集まった光の粒はやがて大きな光の柱となり、やがて一極化した強い力で巨神を圧倒し始めた。
グオオオオン、と巨神が低く轟く恐ろしい咆哮を上げる。
雲が裂け、大気が鳴動する。一瞬殴られたのかと勘違いしてしまう程、その猛りは腹の底にまで響く程重く圧し掛かってきたが、それが奴にとっての最後の悪足掻きなのだと悟ると然程恐怖は感じなかった。
『さあ、そろそろ招かれざるお客様にお帰りいただきませんこと? 舞台の幕を下ろす役目はキリヤ王子、貴方様に委ねられているのですから』
この場に似つかわしくない、マリオネットの愉快な声が頭の中に響く。
彼女はこんな状況でも平常運転だ。それは冷静でもなんでもなく、彼女自身がそういう人格者だからだろう。狂った人形師に操られる絡糸の狂人形。彼女のその在り方は、たとえ世界が滅亡の危機に陥っても決して変わる事はあるまい。
すぐ隣にいるロベリアと目配せして、俺は幻想の鎖に力を込めた。
いい加減この悲劇を終わらせるために。俺は自らの意思で大きな力を使う。
トーテム山の時のように暴走していた自分じゃない。守りたいと思う物のために、俺自身がそうしたいと願って使う力だ。
「グレイプニル、封印しろ……!」
鎖が一際眩い光を放つ。
巨神の腕や指の拘束がさらに強まり、そのまま裂け目にずるずると押し込んでいく。
不足する分の魔力は、ロベリアから補給させてもらった。肩に乗せられた手を介して魔力がどくどくと湧き水のように体内に入ってくる。今の俺は水を得た魚と同じ。魔力の供給によってより強固な拘束具となったグレイプニルはもはやどんなに激しい抵抗にも微動だにしない。
グオオオオン、ともう一度巨神が嘶いた。だが先程より響かない。
あれまで頑なに食い下がっていた巨神の腕は、鎖と光の柱に押されるまま裂け目の異空間へと戻されて見えなくなっていた。
自然の摂理を取り戻そうと、異空間の穴がゆっくりと閉じられていく。本来この世界あってはならないものを無くすために、そこから出てきたものを送り返そうと世界が適応する。当然、“異端”の端くれであるゴーレムも同じだ。巨神の後を追うように、閉じていく裂け目目掛けて次々と飛んでいく。ロベリアが破壊したゴーレムの残骸も、掃除機で除去される塵芥のように空のそこへ吸い込まれていった。
まさか俺まで異端扱いされて吸い込まれたりしないよな、とちょっと危機感を抱いたりもしたが、よくよく考えてみれば俺は時の賢者に召喚された身なんだよな。招かれざる異端者という意味では一致しないので心配は杞憂だと信じたい。というか俺のこの世界での定義って一体…。
そうこう考えているうちに、空の裂け目は完全に遮断された。
いや、この場合無くなったという方が正しいか。どちらにせよ、手こずった巨神の封印に成功したのは間違いないだろう。
後はただ、水を打ったような静けさがあるだけだ。
「終わった…のか…」
なんというか現実味がない。呆気なさ過ぎる最後に溜息すら出ない。快晴の穏やかな空を見上げながら、俺はへたり込む衝動を堪えてなんとかその場に踏みとどまった。
さすがに魔力を消耗し過ぎた。正直立っているだけでも辛い。過度な魔力の消耗は直接的に生命力への負担に繋がるのだから当然だが、こんなになるまで魔術を発動してようやく封印できる巨神が改めて恐ろしくなる。
体育の授業で持久走やらされた後が大体こんな感じだ。俺は人並みに運動できる方だと自負しているが、如何せん持続的な体力が備わっておらなんだ。目標の半分を切る頃には大抵バテ始めるからな…。
「恐ろしい力だな…」
俺の隣ではロベリアが呆然と呟いている。
彼女も相当魔力を吸われたはずだが、割と平気そうだ。俺も同調して言葉を返す。
「確かに。また復活されたら、さすがに手に負えない」
「……いや、私が言いたいのはそっちではなくてだな…」
「?」
要領を得ないロベリアの反応に首を傾げる。
彼女も話す気はないのか、「なんでもない」と言葉を続けるとそれっきりその話題は口にしなくなった。なんだ? 巨神じゃなくて妖精の方か。確かにあいつらの力が無かったらまず無理だったもんな。妖精様様だ。
そしてその肝心なMVPの面々はというと、驚いた事にまだ舞踏会の“余興”に勤しんでいた。
空中で歌と踊りを披露する彼女達を見上げて俺は苦笑する。いろんな意味で自由な守護妖精は、たとえ会場が変わっても例外はないようだ。
「さて、普通なら此処で勝利を讃え合うべきなのだろうが…」
依然として剣を鞘に戻そうとしないロベリアは、俺をまっすぐに見つめて小さく肩を竦める。
「まだ、厄介な敵を一人残していそうなのでな」
「ああ……」
まだ戦いは終わっていない。
そう言わんとする彼女の言葉を理解して、俺も肯定を示す。
実際、巨神とゴーレムが封印されてからも俺の感知範囲にひしひしと反応していた。
どう考えても人間のものではない範疇を越えた魔力反応。それが王城の頂上付近から絶え間なく流れ続けてきているのだ。
思い当たる節は一つだけ。恐らく、あの巨神をこの世界に呼び込んだ張本人。そして――
「全ての元凶…」
「うむ。この一連の事件を引き起こした首謀者、そいつをこれから討ちに行く」
そう言って王城を見上げるロベリアの横顔は毅然とした固い覚悟に満ちていた。
行くなと止めても、きっと彼女は言う事を聞かないだろう。一軍の指揮官としての任務を放棄してまでこの街に乗り込んだのだ。このまま戻ればどんな処罰が下されるのか、俺には分りようもない。けれどそれは、彼女が皇族という立場を鑑みても決して軽いものではないはずだ。
いずれにせよ罪は免れない。ならば、と。彼女はたとえ刺し違えてでも目的の敵を討とうと考えているのだろうか。それとも必ず討てるという自信があるのか。自信は勝算とは違う。ゴーレムの大群と渡り合ったロベリアの強さは確かに本物だが、必ず上手くいくという保障はない。少なくとも一人で立ち向かう限り、その不安要素は常に彼女に付きまとう。
――だから俺も、決意しないといけない。
俺は背後を振り返った。
城壁の陰に隠すようにして、ひっそりと横たわるセレスの華奢な身体が見える。
「ごめんセレス。もう少しだけ待っていてくれるか…?」
視線を前に戻すと、俺を見つめるロベリアと目が合った。
彼女は真剣な顔でこちらをじっと見つめていたが、俺が黙って頷くと、ふっと目を細めて柔和な笑みを浮かべた。
「……良いのか?」
「そういう約束だった。最後まで君と一緒に、戦う…」
「恩に着る。ありがとう」
「礼なら勝った後に」
「勝つさ。私と君が一緒ならな」
不敵な笑みに若干の喜色を乗せて、彼女は自信満々にそう告げた。
何故断言できるのか。不安で仕方の無い俺からすれば、その沸いてくる彼女の自信の出所が謎だったが。
「とにかく、最善を尽くす…」
それでも俺なりに期待に応えてみたい。
巨神との綱引きで負担のかかった肉体を魔術で再生させる。
これで体力面の問題は解決。後は高等魔術の使用で大量に消費した魔力の回復だが、こればかりは時間をかけないといけないのでどうしようもない。引き続き妖精達にバックアップをお願いしよう。
楽しそうにはしゃぐ妖精達を見上げて声をかける。
ロベリアは空に向って突然喋り出した俺をぎょっとした表情で見ていたが、真っ先に近づいてきたロッタとアネッタが具現化すると納得したように表情を緩めた。
「ああ、君達だったのか…。姿を自在に消せるというのは便利なものだな」
ロベリアの感心にロッタは『にしし』と変な笑い声を上げる。
『でしょー? まぁ実際は姿を消してるんじゃなくて、見せてるだけなんだけどね。私達は仲間以外の生物には基本見れないようになってるから』
巨神封印に尽力した双子の妖精はくるりと回転しながら俺達の傍に降り立った。
アネッタは俺の腰にぽふんと抱きついてこちらを見上げ、反対にロッタはロベリアの持つ魔剣を興味津々に覗き込む。
『お兄ちゃん、呼んだ?』
「ああ…うん。実は、ちょっと厄介な敵……悪い奴がまだ城の屋上に残っていてな。そこまで俺達を連れて行って欲しいんだ」
ここから階段で登って向う事もできるが、さすがに道のりが遠過ぎて大幅な時間ロスを否めない。ならば妖精に瞬間移動で直接連れて行ってもらおうと思いついたわけだが、俺の事情説明に二人は可愛らしく首を傾げてみせた。
『連れて行くだけで良いの?』
「ほかに何かできるのか?」
『撹乱くらいはできましてよ?』
俺の質問に答えたのは双子ではない。
遅れて降りてきたマリオネットが、ふわりとドレススカートを翻して地面に降り立つ。
初対面のロベリアは「むっ」と顔を顰めて怪訝な視線を寄越したが、マリー嬢はにこりと微笑を浮かべて受け流すだけだった。俺の近くに居たから仕方なく姿を見せた。そんな本音が彼女の態度から簡単に見て取れる。ジェームスとは反対で、彼女は自分と相応の美貌の同性には徹底して冷たいようだ。
「撹乱、というと……?」
『その不届き者の前に姿を現して妨害……あるいは、声で脅かして動揺を誘う、といった所かしら? 所詮は子供騙し、大したお役には立てそうにありませんけれど…』
――それでも良いのであれば。
そう告げるマリー嬢の瞳を受けて、俺は頷く。たとえ気休めであれ、無いよりは良いだろう。
ロベリアとも目配せして意思の疎通をしていると、紳士妖精のジェームスが軽快に降りてきた。
『作戦は決まったであるか? うむ、ならば勇ましく羽ばたくが良い若人らよ。セレス嬢は我輩に任せておけ。なんとかしてみせよう』
相変わらず芝居がかった台詞が耳にこそばゆい。
ここは大人しく彼にお嬢を任せるべきか。さすがに遺体相手に良からぬ事をしたりしないだろうが、そこは彼が自称する紳士としての務めを信じるとしよう。
「セレスをよろしく頼む…」
『うむ。任せなさい』
なんだろう。ジェームスが格好良く見える。
マリオネットが母性なら彼は父性の体現か。ロベリアに向かって「戦いの後は我輩と一曲踊りませんか?」なんてナンパしてなかったら思わず親父と呼んで涙ぐんでいたところだった。
「よ、妖精というのは変わり者ばかりだな…」
ジェームスの誘いをやんわりと断りながらロベリアは苦笑いを浮かべる。
うん、それは此処にいる全員に言える事なんじゃないでしょうか。当然俺も含めて。
「お陰で退屈しないで済む」
「ふふっ……なるほど」
皮肉のつもりで言ったのだが、ロベリアは冗談の類と受け取ったようだ。
初めて彼女の年相応の笑顔を見れた気がして、俺も思わず頬が緩みそうになる。
「さあ! それでは往こうか」
マントを翻し、銀髪の皇女は高みの城を再び見上げる。
まだ見ぬ真の敵…。この国を荒廃させた元凶にして、セレスを殺めた俺の仇。
そいつを討つために、俺達はもう一度戦いに身を投じる。
1年ぶりの更新となってしまいました。
遅れてすみません。