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異界の古代魔道士  作者: 焔場秀
第二章 東国動乱
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第六十七話 真の覚悟

 桐也が巨神を封印するためにグレイプニルを発動し、ロベリアと再び合流を果たすに至るまでよりしばらく時間は遡る。


 アロンダイト王城の最上階、玉座の間では、今まさに空の裂け目から現れる巨神の腕を仰ぎ見て、ガードナが歓喜の感嘆を漏らしていた。


「おお……なんと素晴らしい景観か。見るがいい。かつてこの大陸を支配していた最古の覇王が、長きに渡る封印から解放されようとしている! あれが理を覆すものか……あれこそが、神の子にして、巨人の創造者……! ここからでも、その魔力の片鱗がひしひしとこの身に伝わってくる…」

 

 愉悦に歪むガードナの顔が、その後ろに倒れ伏す人間たちの姿を捉えた。

 彼の頬を覆う刺青が、魔力の放出に反応して淡く光を放つ。その上で鋭く細められる瞳は、日の光に当てられてギラリと反射した。


(間に合わなかった……)

 そう心の中で苦悶の感情を吐露するのは、玉座の間にうつ伏せで倒れるガードナの元秘書官ヴィヴィアン。

 主と決別し、その陰謀を阻止しようと協力者であるアサシンと共にガードナに戦いを挑んだのだが、古代魔道士の未知の力を前に成す術も無く敗退、罠に嵌められ動くことすら困難な状態に陥れられていた。

 その協力者のアサシンことジンも、ガードナの追撃を受けてからというもの柱の傍で力無く倒れたままぴくりとも動かない。

 生きているのか死んでいるのか、生死の確認に向かうことすらできないこの状況で、ヴィヴィアンは頭だけを必死に持ち上げ、ガードナと……その先に広がる青い空の亀裂を眺めた。 

 決死の作戦は失敗に終わった。自らが提案した策で、賛同してくれたジンすら巻き込んで。

 思えば生半可な覚悟だったのかもしれない。

 古代魔道士という未知数の力が及ぼす影響の加減を見誤っただけでなく、ガードナどんな男であったか、その本質すら忘れてしまっていた自分が…。

(そう、この男はいつだって己を偽って生きてきた。初めて出会った、優しい執政官を演じて近づいてきたあの頃のように……。この男は、何重にも自分を嘘の皮で覆って生き抜いてきたのだ…)

 

 ガードナが哄笑した。

 その相手はヴィヴィアンではない。地に伏した彼女らの事など既に眼中にはない。彼は窓の先に映る漆黒の亀裂の……その奥から現れる禍々しく巨大な腕に向けられていた。


「いいぞ……その調子だ……。さあ早く……さっさとその永劫の檻を裂いてこちらへ出て来い! クク……どうだ、あらゆる生命に満ちたこの世界の感覚は? 私がお前をこちらの世界に招き入れてやったのだ。完全復活した暁には、存分に私の目的に従ってもらうぞ」

 

 ガードナは完全に外の異変に執着している様子だった。

 今なら彼の背中は無防備も同然だが、動ける状態でないヴィヴィアンには不意打ちを仕掛ける体力もない。

 そもそも動ける状態であっても、今のガードナに対して不意打ちそのものが意味を成す攻撃かどうか分かったものではない。

(……けど、それでも、あきらめるわけにはいかない…!)


 彼の陰謀を事前に止める事はできなかった。しかし、その増長ならば防ぐことはできるかもしれない。これ以上、ガードナに好き勝手させるわけにはいかなかった。

 

 ヴィヴィアンは首を動かして頭の向きを変えつつ、周囲に視線を飛ばした。そして……、

「あった……!」

 彼女は床に落ちていた“あるもの”を見つけて、顔色を変えた。

 それはヴィヴィアンが護身用に所持していた魔道拳銃であった。玉座の間でのガードナとの戦闘では最後まで手に握っていたのだが、他ならぬガードナの魔力吸収の罠に掛かった後、地面に崩れ落ちると同時に手放してしまっていたのだ。

 威嚇射撃に何発か発砲しただけなので、残弾はまだ残っているはずだ。幸いそれほど遠い場所に落ちていないので、少し身体を移動させて手を伸ばせば簡単に手が届く。問題は、拳銃を再び手にしてガードナをその銃口で狙い定めるまで、彼がこちらを振り返らない保障がどこにも無いことであった。

(お願い……届いて……!)

 残る力を振り絞って、拳銃に向かって懸命に震える手を伸ばす。

 うつ伏せを覚えたばかりの赤子のように、その動きは鈍く頼りなかったが、だが確かにヴィヴィアンの手は目標にゆっくりと近づいていく。

 そして、その指先が拳銃のグリップに触れた瞬間、


「なんだと…!?」

「ッ!?」

   

 突然、ガードナが険しい声を上げた。

 ヴィヴィアンは凍りついた。まさか気づかれてしまったか。

 ぎこちない動きで声する方に視線を向ける。

 ガードナはこちらを見てはいなかった。どうやら別の対象に注目しているようで、窓のガラスに両手を押し当てて城下を見下ろしていた。

 彼にとって何やら予想だにしない不祥事が発生したらしい。それがヴィヴィアンの目的に叶うものであるかどうかは定かではないが、外に気を取られている今が絶好の機会であることには変わりない。

 ヴィヴィアンは拳銃のグリップに指を押し当ててそのまま手前に滑らせると、今度は両手でしっかり柄を握って銃口をガードナの背中に合わせた。

 

「くそっ……あの小娘の仲間がやったのか! おのれ小癪な真似を……今すぐゴーレムを差し向けてやる!」


(チャンスは一度きりよ……、しっかり狙って。そして一撃で決める……)

 うつ伏せのまま拳銃を両手で構えながら、ヴィヴィアンは心を落ち着かせるべく大きく深呼吸をした。

 チャンスは一度だけ。失敗すれば次は無い。もはやガードナの気まぐれで生かされているようなこの身だ。彼と対峙した時から死ぬ覚悟は出来ていたとはいえ、このままガードナの野望が叶ってしまうような事態になれば死んでも死にきれなかった。

 ヴィヴィアンはトリガーに手を当てた。

 狙いは頭。銃で死なない、なんて事はないはず。いくら人間を超越した存在に生まれ変わったとしても、その本質は生き物であることに変わりない。

 この男にも必ず死が存在する。でなければ、わざわざ自分の身代わりを用意してまでジンの騙し討ちに備える必要がないのだから。

 左右にブレる銃口に顔を顰めつつ、ピンポイントで頭に被弾させるタイミングを見計らう。

 やがてその全てのズレが僅かな時間差によって修正され、一人の男の命を奪う準備が整った刹那、


(今……!)


 引かれたトリガーに従って、魔道拳銃の銃口が眩しい魔力の爆発を解き放った。

 一瞬ヴィヴィアンの視界が強烈な光によって妨げられる。それを煩わしいと思う時間など無に等しく、そしてその凶弾は、確かに彼女の望む軌道を描いて真っ直ぐにガードナの頭へ吸い込まれた――はずだった。

「なっ……貴様ッ!」

 それは本当に、ヴィヴィアンにとって不運極まりない事態であっただろう。

 あるいは幸運の女神が完全に彼女を見限ってしまったのではないかと思えるほど、その結果は残酷かつ空しいものとなった。

 ヴィヴィアンが撃った銃弾は確かにガードナの頭部に一寸狂わず飛んでいった。しかし、丁度タイミング悪く彼が頭を逸らしたために、本来ガードナの頭を撃ち抜くはずだった魔力弾は眼前の窓ガラスに一点の弾痕を残すのみに留まってしまったのだ。

 銃撃を察して咄嗟の行動を取ったわけではない。彼は怒っていた。巨神を拘束する魔力の鎖を生み出したキリヤに対して。怒りの当て場もなく、その衝動は彼の中で鬩ぎ会い、そして直接あの鎖を断ち切ってやろうと憤慨してその場を離れようとした直後。ガードナの眼前を一発の凶弾が通り過ぎていった。

 それらは全て、あらゆる偶然が重なった結果。しかしこの2人にとっては、その運の見方に天と地ほどの差があった。


「………っ!」

 次こそ決めようと、ヴィヴィアンは再び銃弾を放つ。

 しかしガードナの方もさすがに二度目は見切っていた。

 魔力弾が身体に届く直前、見えない防御壁がガードナの前面を覆ってこれを確実に防ぐ。

「このっ……死にぞこないめが!」

 ガードナは瞬間移動でヴィヴィアンに詰め寄ると、その手に握られた拳銃を蹴り飛ばして喉首を掴み上げた。

「ぐっ……う……!?」

 ヴィヴィアンの口から苦しげな呻き声が漏れる。

 彼女の身体は地面を離れ、その拘束から逃れようと両手は自身の首を締め上げるガードナの片手に当てられる。

 だが、常人の力程の余力さえ残っていない今のヴィヴィアンに、古代魔道士となって超人化したガードナの拘束を逃れる抵抗力は皆無だった。

「まさかここまで愚かな女だったとはな……薄汚い路上で飢え死にしそうになっていたお前を救ってやったのはどこの誰だ! ええ!?」

「くっ……ふ……」

 もはや言い返すための声も出ない。

 喉の気道を締め上げられ、掠れた声を漏らすヴィヴィアンの五感は、失われる空気の量に従い徐々に鈍くなっていった。

 ぼやける視界の中で、ガードナの憎しみに満ちた声が遠くに聞こえる。

「我が覇道のため、今しばらく延命させてやろうと思ったが……もういい。貴様のような反抗的な飼い犬は私の懐には不要だ。早々にこの世から去ね」

 喉輪をかける手がさらに強く締められた。


 なんて惨めな終わり方だろうか。ヴィヴィアンは薄れゆく意識の中で悔しく思った。

 殺せずとも、せめて一矢報いてやろうと思った彼女の決死の反抗は、天運さえ味方につけられずに終わろうとしているのだ。

 馬鹿馬鹿しい。

 いくら命を賭した覚悟をもってしても、それに実力が伴っていなければまるで意味を成さない。

 あるいはガードナの古代魔道士の力がそれらを遥かに上回っていたのか。何にせよ、今まさに意識を落としかけているヴィヴィアンに考える余地などほとんど残っていなかった。


「…ガー……ド……ナ……」

「ふん……なんだ? 命乞いなら聞かぬぞ。遺言も残してやるものか。お前は私の影らしく、最期まで誰の記憶にも残らず死に絶えるのだか――……っ!?」

 

 その時、ガードナの口調が不自然に途切れた。

 ついに耳まで聞こえなくなったかとヴィヴィアンが思うも束の間、突如彼女の首を絞めるガードナの手が解かれる。

 

「……かはっ……は…!」


 身体を支えきれず足から床に崩れ落ちるヴィヴィアン。

 新鮮な空気を求めて荒い呼吸を繰り返すその様子を他所に、ガードナは硬直して顔を強張らせたまま立ち尽くして動かない。

 ――いや、動けなかった。

「……背中がお留守だぜ、旦那……」

 ヴィヴィアンの視線は、ガードナの顔からその後ろへ――彼の身体にぴたりと密着する別の人影に向けられる。

「……ジ、ン……さん……?」

 黒いマントで身体を覆うその男は、今の今まで柱の傍で倒れ伏していたジンであった。

 どうやら彼は、服の袖に忍ばせていたナイフをガードナの背中に突き刺したらしい。

 ヴィヴィアンに対し頭に血を上らせていたガードナは、背後から接近していたジンの気配を察することができなかったのだろう。現に、驚愕と憎悪に歪むガードナの表情がその事を証明していた。

「馬鹿な……! 立ち上がれる程の体力など、もう残っていないはずだ…!」

「やっぱりあんたは……自分の力を信じ過ぎだ。俺がもしものための奥の手を、忍ばせていないとでも思っていたのか…?」

「なんだと……ッ!?」


 その時、ジンの視線が地に横たわるヴィヴィアンに向けられた。

 口調こそ平然としているが、体力はまだ完全に回復していないのだろう。生々しい傷が走るその顔は苦痛と荒い呼吸によって歪んでいる。

 彼の言う奥の手とやらがどんな方法であるかヴィヴィアンには検討もつかないが、未だジンの体調が本調子で無いことはすぐに察しがついた。

「どう…して……」

「……間に合って、良かった。お前が死んだら、俺は……」

 しかし、ジンの言葉は最後まで続かなかった。

 原因はガードナである。ナイフをその身に突き立てられているにも関わらず、突然身体を捩って暴れだしたのだ。

 最後の悪あがきにしてはお粗末過ぎるその暴挙にジンは一瞬呆気に取られたが、ガードナの全身からあふれ出す魔力の奔流にすぐさま意識を切り替えた。

「やらせるかよ……!」

 ガードナは有り余る魔力を自ら暴発させ、魔力感染パンデミックを引き起こそうとしたのだろう。魔力で脳を汚染して二人まとめて昏睡状態にしてしまえば、後は煮るなり焼くなり自分の好き勝手にできる。

 それを一瞬で悟ったジンは、ナイフを突き入れた利き手とは逆の手で自身のマントを翻し、ガードナの身体をすっぽりと覆った。

「ジンさん、駄目ッ!」

 何をしようとしているのかすぐに分かったヴィヴィアンは、それをさせまいとジンに手を伸ばして絶叫する。

 ジンは迷わなかった。このままでは二人揃ってガードナに殺されるのが落ちだ。自分一人が死ぬならばともかく、ヴィヴィアンまで死んでしまう事がジンにとって何よりあってはならぬ事だった。


「真なる闇よ、光知らぬ愚者に破滅の道を示せ……“シェードマント”」


 発動の合言葉に従い、マントに覆われたジンとガードナの身体が漆黒の闇に飲み込まれていく。

 やがて痕跡残さず完全に姿を消した二人の傍には、うつ伏せのまま呆然と虚空を見つめるヴィヴィアンの姿だけがあった。


                  ==============

 丘の上に聳えるアロンダイト城の屋上は、街とその先の大草原を一望できる絶景の遠望スポットとして知られていた。

 かつては貴族や平民達も自由に立ち入れるように一般公開されていたが、ガードナによる軍政改革で封鎖されて以来、その場に足を踏み入れられた者はいない。

 ――ただ一人、暗殺者アサシンとして密かに忍び込んだ彼を除いては……。


「何故だ……その魔道具は、闇の魔力が一番集まる夜中にしか使えなかったはずだろう…」


 その屋上の、本城と尖塔とを繋ぐ空中回廊の傍に“二人”の男が向き合っていた。

 質問を投げかけた一人は短剣に刺された背中を押さえながら蹲り、もう一人は魔術による深刻なダメージを身体に負いながらも両足で立って身体を支えている。

 

「……ああ、魔力はな。闇が一番濃くなる夜中にしか集まらない。……だがそのデメリットは、アンタが街を結界で覆ってくれたお陰で解消されたよ……」


 暗殺者ジンは、自身が纏うマントを指で軽く弾いた。


「街を覆った結界が日光を完全に遮ったんだ……。真の闇夜の力より格段に収束は悪いが、大人二人こっちに飛ばすには十分過ぎる…」


 シェードマントは、その発動に闇属性の魔力を消耗する。吸収するためには日中の光の影響を受けない完全な夜の暗闇が必要なのだが、街を覆った結界が光を遮ったことによって、結果的にジンのシェードマントに闇属性の魔力が充填されたということだ。

 後は、道連れにする者を巻き込んで発動の呪文を唱えればそれで終わりだ。ジンとガードナの身体は媒体となる魔力石に反応してこの場所に転送された。ガードナにとって、これほど自分の行いが裏目に出た皮肉な事態はないだろう。 


「……貴様を少々自由にし過ぎたか、ジン。この場所は政府関係者さえ立ち入りを許されない禁止区域だぞ。いつの間に忍び込んだ……?」


 屋上に転送されたということは、つまりこの場所に魔力石が仕掛けられているということ。

 自分の目の届かないところで立ち入り禁止区域に侵入しているジンの勝手な行動に、ガードナ怒りを隠せない。


 憎悪と敵意に満ちたガードナの歪んだ形相に臆せず、ジンはその問いにすぐに答えた。


「さあて、ね。じめじめした下水より、風通しの良い此処で眠った方が百倍快適だっただけさ。まあ、まさか、あんたと一緒になって使う日が来ようとは思いもしなかったがな」


 ジンは横目に空を見上げる。

 そこには切り裂かれた空間から出現する巨大な腕と、それを拘束せんと絡みつく光の鎖があった。

 鎖の方は地上から伸びているようだが、ジンの居る場所からはその発生元は確認できそうにない。恐らく魔術の類だろうが、あれほどの大規模の魔術をジンは今まで見たことが無かった。


「厄介なものだ……あの忌々しい拘束物のせいで、私の覇道に必要な“兵器”が身動きできないでいる。どんな魔術を使ったか知らないが、所詮アレも悪あがきだ……ッ!」


 その時、蹲ったままだったガードナが突然片手を振り上げた。

 小さな魔法陣が出現し、そのすぐ直後に黒い光線が一直線にジンに発射される。

「…っ!」

 その攻撃は明確な殺意を含んで放たれていたが、ジンは直撃する手前で首を横に逸らしてこれを回避した。

 目標を通り過ぎた光線はそのまま後方の尖塔の壁に激突。轟音を上げて崩れる尖塔を尻目に、ジンは呼吸を整えてガードナを睨み据える。


「ほう……旦那の野望を阻止しようと動く連中が他にもいたのか。ふむ……」

 

 ジンの脳裏には、昨日魔道管理局の近くで出会った漆黒のローブを纏った仮面の男の姿が浮かび上がっていた。

 格好からして魔道士だとすぐに察したが……なるほど。彼ならあの状況も作りかねないと、ジンは一人うなずいて納得した。


「……どいつもこいつも、害悪ばかりが私の周りに集まってくる。恩を仇で返す貴様らの所業もそうだが、後からしゃしゃり出てきて正義感を振りかざす餓鬼どももそうだ!」


 罵倒を飛ばすガードナの周囲には、いつの間にか禍々しい魔力のオーラが蒸気のように放出されていた。

 それはやがて燃え盛る炎のようにメラメラと規模を拡大させ、蹲るガードナの全身を覆いつくす。


「まったくもって忌々しい! この世界を在るべき姿に戻すという私の大儀を邪魔する愚か者どもめ! 皆殺しだ……誰一人としてこの街から生かして帰すものか……ッ!!」

 

 冥府から漏れ出した地獄の業火の如く、その魔力は生き物のように蠢きながらガードナの身体に取り付いて離さない。

「ちっ……今度はなんだってんだ…?」

 いっそそのままガードナの身体を炎で焼き尽くして地獄へ送ってくれないかとジンは密かな願望を抱いたが、やはりというべきか、彼の淡い期待は見事に裏切られた。


「グアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」


 人とは思えない咆哮を上げたガードナ……否、ガードナと思わしきその禍々しい黒い炎は、大きく跳躍するとそのままジンの頭上へ急降下する。

「……っ!」

 無論ジンの行動も迅速だった。

 地を蹴って後方へ飛び退り即座に回避行動を取る。

 怪我と魔力不足で大幅に体力を消耗しているとはいえ、正面からの単調な攻撃を避け切れるほど貧弱な肉体を持っているわけではない。

 大きく飛び退いてガードナの攻撃を回避したジンは、反撃とばかりに懐に潜ませていた投擲用ダガーを真っ直ぐに放ったのだ。


 ダガーはシュッという短い風切り音を残して黒い炎に吸い込まれた。効果があったのか、ガードナを飲み込んだ黒い炎は苦しむように何度も激しく波打つ。

 だがこれだけではまだ、あの男の息の根を完全に止めたわけではあるまい。そもそもこんな単調な攻撃を繰り出すほど、ガードナが無策な男ではないとジンは確信していた。

 だからこそ第二、第三の追撃を繰り出そうと再びダガーを構えたのだが……。


「グラアアアアアアアアアアアアアッ!!!」

「……!?」


 異常が見られたのはその時だった。

 それまで蠢くだけだった炎の塊が急に人の腕のような形に姿を変えたかと思うと、突如触手のように伸張してジンに向かって襲い掛かってきたのである。

「な……くそっ!」

 呆気に取られるのも一瞬、ジンも咄嗟に反撃して手元のダガーを放つ。

 だが腕型の触手はいずれも実態が無いのか、ジンが投げた刃を尽くすり抜けてまったく怯まなかった。普通の攻撃が通用しないと分かり、回避に専念しようとすかさず脇へ飛ぶジンだったが、その行動が致命的な誤りであったとすぐに思い知らされる事となる。

『愚カ者メ……』

 そのまま直進すると思われた黒炎の触手はしかし、脇へ避けたガードナを追跡するようにその進路を曲げたのである。

 三本、四本と分裂、増殖した炎の触手がうねりながらジンへ直行する。一本目はジンにも見切ってかわす事ができた。しかし二本目、三本目と続く触手までは対処することが出来ず、無防備なジンの身体へ勢いよく突き刺さる。

「ぐは……っ!」

 衝撃は腹部から背部を貫いた。

 ジンは苦しそうに呻き、しかしここで膝を突くわけにもいかず、足を踏ん張ってその場で耐える。

『持チ堪エタカ……相変ワラズ、人間ニシテオクニハ惜シイ男ダナ……』

 その声は前方から聞こえた。

 苦痛に身体を折り曲げながら見上げると、すぐ目の前に黒い甲冑に覆われた巨漢が立ち塞がっていた。

 いや、甲冑に見えるがまったく違う。鎧のように黒い甲殻が、ガードナの全身をくまなく覆っていたのだ。

 背中部分には翼竜の翼のような黒炎が燃え盛り、頭部や腕の間接部分には刃物のような棘が逆立っている。

 もはや人としての輪郭を残すだけで、そこにいるのは人型をした禍々しい何かの魔物だった。少なくともジンにはそう見えていた。

「化け物め……!」

『……ククク……サァ、闘争ヲ始メヨウ。血ト恐怖ニ満チタ、終焉ノ宴ヲ……!』


                ==============


 下の階の玉座の間では、ガードナの凶刃を逃れたヴィヴィアンが力無く床に横たわっていた。

 身じろき一つもない。もはや腕を動かすことも難しい彼女は、ガードナを討ち漏らした最後の反抗で完全に力を使い果たしていた。

「ジンさん……」

 焦点の定まらない虚ろな瞳から涙が零れる。

 自分の命を二度も救ったその男の名前を呟き、さらに苦しくなった胸の痛みを受け止める。

「どうして……」

 ヴィヴィアンは気づいていた。自分はあの無愛想な男に特別な好意を抱いていたという事に。

 彼と出会ったのはほんの数日前だ。その間共に幾度と無く死線をくぐってきたが、彼女らはお互いの過去はおろか、本当の名前さえ共有しようとはしなかった。

 全ては仕事のため……そう、二人の仲を引き止めていた根本的な理由はそこに集約されていたのだから。


「死にたくない……」


 それはくどいまでの生への執着。

 あの時、飢えを凌ぎたくて果物屋へ盗みに働いたかつての愚かな自分のように、ただ必死で生きたいと望む今の自分がいる。

 ジンと共に生きていけるなら……。彼が提案してくれた暗殺ギルドの仲間入りも悪くはない。身分も力もいらない。ただ、ずっと一緒に生きていけるだけで……。


 ―――それだけで幸せなのだから。


「無事、か……しっかり…!」


 それは自分に安否を呼びかける誰かの声だった。

 


「だ、だれ……?」

 ヴィヴィアンは涙で濡れた目を一杯に見開いた。ジンの声ではない。低い声色は男性のものだったが…一体誰が……。

 涙で視界はぼやけていたが、その人物が闇夜の色に非常に近い黒の衣服を纏っている事は理解できた。


「……いや、自己紹介はのちほど。まずは、貴女を助ける……」


 ヴィヴィアンの身体に異変が起こったのはその時だった。

 

「……!?」


 突如彼女の身体を、謎の緑色の薄い膜が覆い始めたのである。

 何事かと驚きに目を見開き、しかし動かない身体ではどうする事もできずにそれを見守る。


「リバースシェルという再生魔術だ。じきに良くなる…それまで、そこで安静に」


 黒い人影の言うとおり、しばらくすると身体中からあらゆる痛みが引いていくのをヴィヴィアンは感じた。

 どうやら祈祷術、ではないらしい。本来魔術に聖なる神の奇跡である治癒の力は存在しないはずだが……肉体と精神のダメージによって体力を激しく消耗していたヴィヴィアンにはもはや考える余力もない。

 ただ一つわかったのは、その黒い衣服の人物が魔道士であるということだけだ。

 城内に残っていた宮廷魔道士だろうか。それとも救援に駆けつけた軍属の魔道士か。

 どちらでもいい。その正体が誰であれ、ガードナの仲間ではないなら彼には絶対近づいてはいけないということを。

 あの男は災厄の力に手を染めてしまった。もしかすれば、この世界を如何様にもしてしまえるくらいに。そんな危険な相手に、これ以上無実な者が犠牲になってはならない。またあの男が戻ってくる前に、早く……。


「早く…逃げて……!」


 緑色の薄膜一枚隔てた向こう側の魔道士に、ヴィヴィアンは掠れた声で必死に呼びかける。

 あの男には誰も敵わない。彼が完全にこの街を支配してしまう前に、自分達の二の舞になる前に一刻も早く此処から脱出してくれと。

 しかし、魔道士の男の返答はヴィヴィアンにとって予想外のものだった。


「正直逃げ出したい。俺がやらないと、もっと悲しい思いをする人が増えてしまう…」

「え……」


 涙が乾き、ぼやけた目が段々と鮮明になってくる。

 半透明の繭を境に互いの視線が交差した。 


「だから俺が守る。もう誰も失わせないと決めたから…」


 あどけなさの残る少年顔がこちらを見下ろしている。

 その男も黒い双眸の持ち主だった。

 本来存在するはずのない黒色の瞳。ガードナの左目に宿るものと酷似しているが、作り物ではない。この少年こそが、本当の――

 

古代魔道士エンシェントウィザード……」


 その呟きを最後に、ヴィヴィアンは意識を失った。    



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