第二話 異世界フィステリア
針葉樹林の生い茂る深い森の中、そこには地に倒れている少年とその傍に立つ少女がいた。
倒れた少年の胸が上下に動いているということは、まだ息はあるらしい。特に目立った外傷もないため、命に別状はなく、ただ気を失っているだけだった。
しかし、少女の方はその容姿に違和感があった。まず何より目を引くのが透き通るような銀髪だった。肩のあたりで切り揃えられたそれは森を吹きぬける風によって煽られていたが、少年を見つめる大きな宝石のような紅眼は、別段迷惑そうな色を見せてはいなかった。むしろ感情の起伏を感じさせない無表情は倒れた少年よりも命の息吹を感じず、その細い身を包む黒いドレスは神秘的な光景よりも不気味さを物語っている。
「・・・・・・使命を、果たして」
不意に少女の口から紡がれた声は鈴の音のようにあたりに響き、少女が生きた者であることを少なからず証明した。
少女は相変わらず、少年から目を離さない。
やがて少年は身じろきして呻き声を上げた。どうやら意識が覚醒しようとしているらしい。
少女はゆっくり瞬きすると、人形のような口を開いた。
「・・・・・・古代魔道士としての、使命を・・・・・・」
瞬間、その少女の姿は虚空へと消えた。
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胸を刺すような焦燥感に、桐也は目を覚ました。
いや、それは覚ましたというより覚まさせられたと言うべきか・・・・・・。
しかし、ぼんやりとした意識の中、桐也にはこの胸騒ぎを深く考えることはできなかった。
視界もまだぼやけている。身体を少しずらしてみたが特に痛みもなく、手足もちゃんと動くようだった。行動するには何も問題はないだろう。
続いて五感で感じたのが、乾いた土のにおいと肌を打つ生ぬるい風だった。
この時点で、今桐也が倒れている場所は少なくとも自宅ではないということを理解した。自分の家は土倉ではないし、これほどまでに強い風が吹くほど風当りのいい家でもない。恐らく屋外に自分は倒れていたのだろうと、桐也は一瞬で頭を働かせた。
ならばここはどこなのか。という疑問につまずくが、ここは自分の目で確かめるべきだろう。
桐也は慎重に身体を起こすと、回復した視界で辺りを見回した。
どうやらここは森の中らしかった。先に終わりが見えないことから、かなり深いところなのだろう。枝葉が空を覆っている所為か、周辺は薄暗く、少し不気味な感じがした。
「ここは・・・・・・どこだ?」
桐也は呆然と、硬い地面に立ち上がりながら呟く。
いったい自分は何をしていたんだ?
この森はいったい・・・・・・?
桐也は今だ完全に覚醒しきれていない頭で思い出そうとしたが、予想外の見慣れない景色に思考が追いつけないでいた。
「・・・・・・・・・・」
桐也は無言で服の埃を払っていると、ふと自分が制服を着ていることに気がついた。
足元には学校指定の鞄も転がっている。
「そうか! 今日は登校日で、俺は学校に行ってたんだっけ・・・・・・。それで、家に帰ってる途中に・・・・・・」
瞬間、桐也の頭の中で全てのパーツがつながった。
黒いドレス。銀色の髪。そして、こちらを注視する紅い二つの・・・・・・
「ああっ! あの電波系少・・・・・・ッ!?」
つい大声で本音を叫びそうになり、桐也は慌てて口をつぐんだ。
そういえばあの時、自分は少女に道を塞がれて、その少女が専門用語のような言葉を喋っていた気がする。それでどこかに転送するようなことを言っていた気がするが、まあそれはどうでもいい。
それよりも銀髪少女が手を上に掲げて、身体が痺れて、激しい痛みが襲ってきて・・・・・・・
「まさか、俺はあの子に誘拐されたのか・・・・・・?」
ありえない話ではない。少なくとも今の桐也には目ぼしい証拠もなく、ここが何処かもわからない以上、桐也はその少女によって何らかの攻撃を受け、そのまま気絶したという仮定が理に適っている。
もしかすれば、あの少女は桐也の目を引き付けるための囮で、実は後ろから忍び寄って来た別の人物によって昏倒されたのかもしれない。むしろこっちの方が現実的だ。
たとえあの少女が桐也を気絶させたとして、自分をよりにもよってこんな深い森の中に、それも一人で運べるはずがない。だとすれば、やはりあの少女以外にも関与した者がいた訳で・・・・・・
「ああ、もう!! いったい何がどうなってるんだっ!」
「どうしたの?」
「どうしたもこうしたもないっ! いろんなことが一度に起こりすぎてもう何が何だか・・・・・・」
瞬間、桐也は人生で恐らく一番素早い動きで後ろを振り返り、バックステップのような桐也にとっては荒業でしかない瞬発力を発揮して身構えた。
自分がこんな人間離れした動きをしたことに驚いたが、それよりも桐也以外に他の誰かがいたことに大いに驚いて、別段気にすることはなかった。いや、ただ混乱していただけかもしれないが。
しかるに、人生で恐らく一番素早い動きで身構えた先にいたのは、これまた魔法使いが愛用するような白いローブに身を包み、またしてもこちらを見て目を見開く不思議な少女だった。
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水と緑の繁栄の地に敷かれる国、ヴァレンシア王国宮廷魔道士の少女、セレス・デルクレイルは憤っていた。
というのも、彼女は国王直属の魔道士であるというのに、今は風すさぶ樹海の中である調査を国王から任されていたからだ。
「何であたしのような高貴で、身分の、高い、魔道士を、こんな辺境の、森の、ヴェラの、調査をしなくちゃ、なんないのよっ!」
セレスは行く先を阻む背の高い雑草を払いのけながら、ズンズンと足踏みをして歩いていく。
上級魔道士の証したるマスタ-ランクを持つセレスならば、この鬱蒼と茂る植物を簡単に焼き払うことも可能だが、何ゆえこの『ラズルクの森』はフィステリアでも有名な聖域として知られ、おいそれと傷つけることができないからである。
魔獣の巣窟と言っても過言ではないこの森の何処が聖域なのか、とセレスはこの地について疑問を持っていたが、何でもこの樹海にはヴェラの源泉が存在するらしく、どうやらそれに関係しているのだろう、とセレスは推測していた。
「何が『お前にとっておきの仕事をくれてやる』よ! 森の一部に爆発的なヴェラ濃度が発生したとかなんとか言ってたけど、そんなの現地の派遣魔道士にでもやらせればいいじゃない! あたしの本業は国と王様を守ることなのー!!」
などと吠えても、この調査を依頼したのが守るべき『王様』であり、国王の命令が絶対である近衛兵と宮廷魔道士たちは逆らうことができないのである。
それゆえに、セレスは王都から遠く離れたこの地で憤りを言葉にして発散していた。
「はぁ、何であたしあの国の宮廷魔道士になったんだろ・・・・・・。こんなことなら寒さ覚悟でグルセイル帝国に志願すればよかっ――――――――」
「ああっ! あの電波系少」
「だっ、誰ッ!?」
突然の叫び声にセレスは咄嗟に身構えた。
声の大きさからしてそれほど近いわけではないが、だからといって遠いこともない。声の正体がこちらに向かってきているのだとしたら、そんなに時間はかからないだろう。
(盗賊でも近づかないこの場所に人ですって? まさか、ディニールの傭兵部隊? いえ、いくらなんでも、この森の真ん中を突き抜けてくるわけないし・・・・・・。だったら、冒険者かしら? それとも偵察魔道士?)
だれにせよ、用心に越したことはない。
セレスはいつでも魔術を詠唱できるように胸の前で指を交差し、印を結んだ。
そしてゆっくりと、声のした方向へと進んでいく・・・・・・
足音を殺し、背を低くして、慎重に。
それはまるで奇襲を仕掛ける傭兵のようであったが、セレスは気にもとめない。いや、気にしてる余裕はない。
何故なら、これほどまでに深い森の奥に人がいるということは、それはつまりこの付近に生息する魔獣と少なからず交戦したということだ。ラズルクの森はヴェラの濃度が高く、それを主食とする魔獣が集まりやすい。増え続けた魔獣たちは、その生存競争の中で比較的凶暴な魔獣を生み、この樹海の奥深くに多く潜んでいるのだ。
一般の人間はもちろんのこと、修練を積んだ魔道士でさえ死を覚悟する程。ようするに、さっきの声の持ち主が他国の魔道士、もしくは手馴れの戦士だった場合、凶暴な魔獣を倒すほどの強者に自分はどう立ち向かえばいいのか。
セレスは久しぶりに感じた緊張感に身体を震わせ、目を閉じてから深呼吸した。
そして前方に人の気配を感じた時、セレスは地を蹴って薄暗い空間に躍り出た。
しかるにそこにいたのは、見慣れない黒い上着を身に着け、これまた黒髪のセレスと大して年の変わらない少年だった。
こちらに背を向け、何やらぶつぶつと言っているがセレスには聞こえなかった。それよか今までの緊張感が砕け散り、拍子抜けしたぐらいである。
少年は腕を組んで俯いてる様子から、何か考え事をしているようだ。
ローブを着ていないので、少なくとも魔道士ではないのだろう。ならば旅人か商人のどちらかだ。
(もしかして、道に迷ったのかしら?)
なにせ千年以上人の手を加えられていないこの森に街道はなく、獣道が唯一の頼りになる。
セレスは森の側面を強引に横切ったが、それは魔道士だからできることであって、普通の人間がこの森に足を踏み入れると恐らく生きては帰れない。なのにこの少年は生きている。しかも無傷だ。
しばらく背後から様子を伺っていると、途端に少年が髪を掻き毟りだした。
「ああ、もうっ!! いったい何がどうなっているんだっ!」
どうやら、相当悩んでいるらしい。セレスはつい興味本位で聞いてみた。
「どうしたの?」
「どうしたもこうしたもないっ! いろんなことが一度に起こりすぎてもう何が何だか・・・・・・」
返答にも怒鳴り返してきたが、段々と語尾が小さくなっていき、次の瞬間にはその身なりからは想像もつかないような身のこなしで跳ね上がり、セレスと大きく距離を取ってこちらに身構える。
セレスはあまりの驚きに大きく目を見開いた。
一瞬の判断で体勢を立て直したことにも驚きはしたが、それ以上に彼女はその少年の容姿に驚愕していた。
「漆黒の瞳・・・・・・あなた、古代魔道士なの・・・・・・?」
少年はその問いかけに、つり上がった目をただ困惑に細めるだけだった。