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異界の古代魔道士  作者: 焔場秀
第二章 東国動乱
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第六十二話 共闘の誓い

 空から岩の塊が落ちてきた。

 それは比喩でも何でもなく、今まさに、現実で、実際に起こっている現象としての意味である。

 ドスンという漫画の吹出しがぴったり当てはまりそうな重量感ある衝突音を伴って、切断されたゴーレムの頭が俺のいる地点から十数メートル先の地面に墜落する。

 頭部の直径だけでも最低1mは越える大きさだ。そんな物体が空から降ってきて、万が一にも人間に直撃すれば間違いなく命はない。直撃した相手が神崎桐也という、筋肉強化されたエセ魔道士の俺であった場合でも然りだ。あの塊に当れば即死できる自信がある。そう言い切れる。普段優柔不断なくせして、ネガティブな考えを抱いた時に限ってそう断言してしまうのだから俺は本当に救いようがないのだろう。死ねる自身があるだと? そんなのくそ食らえだね。

 いや、そうではなくて……。


「こんなの無茶苦茶だ!!」


 最後の方の台詞は、上空を飛び交うゴーレムの駆動音にほとんどかき消されて自分でも上手く聞き取れなかった。

 だからもう余計なことは喋らないことにする。そもそも俺は今走っているんだ。愚痴を零して無駄に体力を浪費するのはよろしくない。

 そう、俺は走っている。呼吸さえ満足にできないぐらい、全速力でだ。何故走っているかって? そりゃあもちろん、あの殺戮兵器ゴーレムどもに殺されないためだ。

 もはや通路としての原形さえ留めていない大通りを全力疾走しながら、俺は上空に視線を向けた。

 先ほど頭部を切られた鳥形のストーンゴーレムが、羽ばたくはずもない石の翼を左に傾けてゆっくり降下している。頭を落とされてもまだ動くことは可能らしい。さすが鳥頭と言ったところか、あってもなくてもあまり意味を成さない代物を失っただけでは、確実に倒したことにはならないらしい。

 とにもかくにも、索敵するための“目”を失った奴に、再び俺の姿を捕らえることは無理そうだ。つまり俺は一時的ではあれ、命拾いしたということになる。あの石鳥を戦闘不能にした“彼女”には、後でお礼を言っておかなければな。


「キリヤ殿、怪我はないか!」


 噂をすればなんとやら。

 例のゴーレムを倒した張本人が、走り続ける俺に平行して現れた。無論、走っている俺に合わせてその人物も走っているわけだが、なんというか……俺は全速力しているはずなのに、彼女は至って涼しげな顔で俺と並んでいるものだから、こんな状況であるにも関わらず妙な劣等感を覚えてしまった。

 

「そういうあなたこそ、大丈夫なのか?」

 街に突入するや否や、突破口を探るといってゴーレムの群れの中に突っ込んでいったのは彼女だ。あの化け物の大群に正面から特攻したのだから、怪我の一つや二つ負っていても何ら不思議ではない。むしろあれらを相手に戦って普通に生還したのだからそれ自体奇跡である。

「お心遣い痛み入る。だが私なら平気だ。鎧の肩当を少しやられたが、剣はこの通り無事だし、私自身まだまだ健在だ!」

 そう言って、手にしていた長剣を俺に向けて掲げてみせる。確か魔剣と呼ばれるその特殊な武器、元々の得物としての攻撃力とは別に、付加された魔力の追加威力を斬り付けた相手に付与する能力があったはずだ。無論、魔力攻撃を一切受け付けないゴーレム相手にその能力が発揮されることはないから、彼女はただ剣の威力と己の腕力のみによってゴーレムの石頭を切断したことになるのだが……。

 

 人の力でそんなことが可能なのかと問われれば、それは人それぞれだろうと今の俺は答えるだろう。

 世界は広い。きっとこの世界も広いだろうから、重装鎧の姿で空を舞いながら全長三メートルは越える石の化け物の首を造作もなく切り落とす女騎士の一人くらい、いてもおかしくあるまい。

 そして俺はたまたま、そんな規格外な人物と出会ってしまい、こうして共闘しているというわけである。よし、脳内補正完了。


 それからは、両者ともとにかく無言で走り続けた。

 ゴーレムの対処に当っていた重装鎧の女性――皇女ロベリアも、俺の隣に並んで一緒に走っている。上手くゴーレム撒けたのだろうか。確かに空を見上げても、ゴーレムの影らしき姿は一切見当たらない。もっとも連中が発する気味の悪い機械音だけは遠くに響いていたので、足を止めるなんてことだけは絶対にしなかったが。


 俺たちがようやく足を止めたのは、廃墟となった建物群の路地に身を潜めた時であった。

 かつては裕福な人が住んでいたのだろうか、大きな屋敷ばかり立ち並ぶその家々のほとんどは、ゴーレムの攻撃に晒されることなく無傷で残っている。

 家の住人たちは奴らの標的になる前にさっさと逃げ出したか、あるいは最初から誰も住んでいなかったのか、どちらにせよ俺たちがゴーレムの索敵から逃れる場所にはもってこいの環境であるに違いない。

 屋内には罠が仕掛けてあるかもしれないというロベリアの注意に従い、とりあえず俺たちは屋敷の裏に通ずる細い通路に身を伏せることにした。


「見たところ、ここら一帯は貴族の居住区だったようだな。あえてゴーレムに攻撃させなかったのは、王城への巻き添えを恐れたためか……」

 ああ、なるほど。そういえばこの街のすぐ目と鼻の先に城の城壁が聳えていた。ここをゴーレムに襲わせれば、すぐ近くにある王城もその攻撃に巻き込まれかねないのか。ということは……

「この事件の首謀者も、あの王城を根城にしている?」

「うむ。十中八九間違いあるまい。帝国の裏切り者どもはそこにいるだろう」   

 肩で息をする俺の苦しまぎれの質問に、皇女は腰の鞘に剣を収めながら涼しい顔をして答えた。

 あんな重たそうな鎧つけて走ったはずなのに何故に、まったくもって息を切らしていないのか、小一時間問いただしてみたくもあるが、状況が状況なので軽はずみな質問はこの際自重する。

「そして、捕まったキリヤ殿の家臣も恐らく城に」

「…………」

 わかっていたので、あえて言葉で応答はしなかった。

 そうだ。俺が危険を犯してまでロベリア皇女とここにいるのも、そもそもは“彼女”のためである。

 セレス。彼女もきっと、あの城の何処かで拘束されているはずだ。

 恐らく。多分。

 断言はできない。もしかしたら既に殺されているかもしれないし、そもそも、既にこの街にはいないかもしれない。

 息を整えながら俺は思った。

 セレスは今回の騒動に何ら関わりがない。つまり、“敵側”にとって彼女が生かされるメリットがまったくないわけだ。

 最後に彼女を見た時、俺は咄嗟に“セレスが捕まった”と判断したが、今思い返せばその判断こそ俺の思い過ごしだったのかもしれない。奴らが、最初からセレスを殺すつもりでいたとしたら……あの時俺に逃げろと言った彼女の叫びが、敵側にとって最後の悪あがきだとしたら?

 俺たちが城にいると予測した仮定はそもそもの誤りで、傭兵たちの手によって殺されて、彼女の華奢な身体が瓦礫の中に死体として埋もれている可能性だってある。いや、むしろそっちの方が信憑性が高い。

 ――もしセレスが死んでいたら。

 俺はどうする?

 ここまで来た道のりを悔やみ、あきらめて引き返すか。それとも、彼女の死を悲しみ悼み、責任を取って自ら命を投げ捨てるか。でなければ――

 

 ――セレスを殺めた連中を、復讐心に駆られるまま殺し尽くすのか。


 ブオオオオオオオオオオオン。


 大型船舶の汽笛のような音を立て、俺たちのすぐ頭上を黒い影が飛び去った。

 新手のゴーレムでもやって来たのだろう。そのまま通過したところを見るに、奴らはまだここに隠れていることに気付いてはなさそうだ。   

 俺は頭を振って今までの暗い回想を振り払った。

 最悪な想像をして、余計な感傷に浸るのはやめよう。ここまで来たのだ。セレスは生きてると俺は信じたい。

「これからどうする?」

 俺は今後の行動を確認するために、気持ちを切り替える意味も込めてロベリアに質問する。

「このまま城まで突っ切りますか?」

「無論、正面突破だ……と、言いたいところだが――」

 皇女は一瞬得意げに胸を張ったと思いきや、すぐに表情を改めて真面目な姿勢を取り繕った。

「無計画のまま突撃を繰り返すほど私も馬鹿ではない。ここからは敵の目を掻い潜り、ひたすら隠密に徹したいと思う」

 お。ようやく俺と意見が合致した。

 敵が篭城している以上、こちらも出張って突っ込むわけにはいくまい。仮に城内に侵入できたとしても、敵に気付かれた状態であれば首謀者とやらにもその情報が筒抜けになるのはまず間違いないだろう。まんまと城を逃げ出されでもしたら、今度は俺たちが完全な袋の鼠だ。城ごと蜂の巣にされて殲滅されることも有り得る。

 まあ、これは確証のない俺の勝手な推測なのだが、この皇女様もきっと同じようなことは考えただろう。とにかく、大多数の敵対者に俺たちの行動が晒されるのは非常にまずい。いや、既にその憂き目にあるというか、もう見つかっているも同然なのだが、敵中に突っ込んで自滅するより、こちらが少人数なのを生かして隠密で行動した方がずっと安全で建設的だということ。

 まあ皇女様があまりに無双するので忘れそうになるのだが、この人仮にも一軍を預かる指揮官でもあるみたいだしな。俺の目には滅茶苦茶な行動に見えていても、実は彼女自身効率良く物事を進めているだけなのかもしれない。そう考えれば、先ほどの中央通り正面突破作戦(デスロードミッション)も案外彼女の“計算”あってのものだと仮定できるものだから不思議だ。

 ――ああ、そういえば。

「あの、ロベリア殿」

「どうか私のことはロベリアと。敬称は必要ない。敬語もなしでお願いする」

「では、俺のこともキリヤと呼んでくれて構わない。それで……ロベリア」

「うむ。なんだ?」

 少し偉そうに、そして何処か嬉しそうな声色で返事を返す。

 俺は彼女のそんな態度に微妙な感情を覚えながらも、素直に、なるべくはっきり口を開いて言葉を紡いだ。

「さっきは助かった。ゴーレムに捕捉された時、ロベリアが奴の首を落としてくれなかったら俺は今頃死んでいたかもしれない。あなたのお陰だ、本当にありがとう」

 『人と目を合わせて話せなくてもいい。しかし感謝の言葉だけははっきりと相手に伝えろ』

 俺が人との対話を避けるようになってから、親父が俺に説いた台詞だ。

 顔を見て話せなくてもいいから、せめて言葉だけは素直に相手に伝えろ。

 当時、そんなことできっこないと高を括っていた俺だったが、今ならその言葉の意味が身に染みて理解できる。思うことを素直に言葉に出来ないのは本当に苦しいことだ。やらなくて後悔するより、やって後悔する方がずっと良い。つまり、そういうことだ。

「そして、これからも……あ、いや、事が終わるまで、あなたとは協力関係でいたい。どうか、よろしく……」

 この語りの間、俺は一度もロベリアと顔を合わせていない。

 これが面接であれば俺の採用は絶望的。妹との会合であれば、「ウチの顔見て話しなさいよ!」と顎にアッパーカットの一発や二発、お見舞いされてもおかしくない。

 そして、ロベリアは――

「ふふ……あなたは本当に変わっているな」

 幸い、俺の顎が魔剣で綺麗さっぱり切り落とされるなんて事態にはならなかった。

 「変わっているな」と言われて、ここで愛想笑いを浮かべて良いものか判断に困り、ならばいっそ照れてみるかと訳のわからない方向性を見出した俺に、ここは本当は怒るべきだと気付けるはずもなかった。

「いや、怒らせてしまったのなら許して欲しい。キリヤの人格を否定したのではなくて、キリヤのような礼儀正しく丁寧な人が、大国の王族としてその血を受け継いでいるのは稀だという意味で、変わっていると言ったのだ」

「あ、ああ。そうなのか…?」

 いや、何故そこで疑問系?

 俺もいろんな意味で混乱してしまったようだ。まあ、本当は王族なんて大層な身分ではないのだけれど。

 呆然とする俺の手を、ロベリアの鉄篭手に覆われた両手が掴んだ。

 いきなり接触を許してしまって驚いたが、相手が素肌でないことを察していくばか気持ちが落ち着く。

 至近距離にある彼女の赤い瞳を正面から見つめる形になり、俺はそこで初めて、自分の伝えた素直な気持ちが間違いではないことに気が付いた。

「こちらこそありがとう、キリヤ! あなたの魔術がなければ、そもそも私は味方の陣地を抜けることさえ叶わなかったのだから」

「いや、それは妖精の力であって俺では……」

 と、掴まれた手を激しく揺さぶられる。

「誰の力であろうと構うものか。知恵を絞り、実際に彼女らを呼んだのは他ならぬキリヤではないか。 その機転を讃えるこそすれ、貶めるつまりは毛頭ないぞ」

「…………」

 果たしてそうだろうか。あの時は、いち早くセレスを助けたい一心で動いていただけだから、機転が利いたとか、そんな意識的に起こした行動とは言い難い。

 一心不乱。そう、がむしゃらだった。そしてその焦りは、今の俺にも十分に当てはまる。

 褒められて悪い気はしない。だがその賞賛を素直に受け止められるかと問われれば、答えは否だ。俺は一度友達に背を向け、命欲しさに逃げ出した。そんな不甲斐ない過去の自分を許すことはできず、ましてや讃えられる謂れなど何一つないのだから。

「俺があの時彼女を救っていれば、こんな所にいなかったかもしれない」 

 俺は顔を上げ、目の前のロベリアと目を合わせた。向こうから俺はどう映っているだろうか。とはいえ、仮面で顔を隠した俺の表情を読み取ることなんて不可能だろうけど。

「自分の罪を償いたい一心で、俺は誰のためでもない自分のために行動してきた。それは今も、変わらないけど……あなたはそれでも、こんな俺を讃えると言うのか?」

「無論だ」

 即答だった。

 会話の合間が苦手な俺でさえ、少しは言葉を考える時間が合ってもいいのでは、と思えるくらい、清々しく迷いのない返答だった。

 二の次が告げなくなった俺を、銀髪皇女の血のように赤い目が真っ直ぐ見つめてくる。 

「確かに、私達は偶然出会っただけの関係かもしれない。もし出会うことがなければ、私は自分の責任にケリをつけるため、ただ一人この街に乗り込んでいたことだろう。だが、それはあくまで過去の話だ」

 過去の話だと、彼女は一蹴した。

 もう過ぎてしまったことだから仕方がないと、この皇女は言い切ったのである。

「これは私の生き方なのだがな、過去にこだわり後悔する暇があるなら、今あるこの時間、この瞬間を全力で生きるべきだと思うのだ」 

「今を……生きる…」

「うん。過ぎたことを延々と問答していても前には進めない。ならば、その後悔を吹っ切れるくらい今から頑張ればいい。罪悪に囚われ嘆くのは、全てが終わってからだ」

 そして、彼女はもう一度俺の手を握った。

 今度は両手ではなくて、利き手を差し出し、握手を交わすように。

「ということで。改めてよろしく、キリヤ。成り行きという上辺だけの関係ではなく、共に戦う戦友として、私はあなたを受け入れるよ」

  

 

              =======【ガードナ視点】======= 


「絶えたか……」

 魔力の供給が停止した十字架の魔道具。

 そこに磔にされたまま力なく首を垂らす少女を見上げて、ガードナは特に感慨もない様子で言葉を紡いだ。

 さっきまで威勢よく反抗していたというのに、少し目を外していた間にこれだ。もう少し粘るかと思っていたが、なるほど。魔力よりも先に体力が尽きたというわけか。

「まあ、常人の贄より遥かに役に立ってくれたのは確かか。礼を言うぞ小さき魔道士よ。君のおかげで十分な魔力の節約になった。それから――」

 ガードナが片手を振るうと、少女の小さい身体が十字架の拘束を逃れて地面に崩れ落ちた。まるで物言わぬ人形のように、ただ重力に従うまま――。

 青白い顔の――生気のないセレスの顔を見下ろして、ガードナは淡々と言葉を連ねる。

「帝国の陰謀を公言するという使命、達成できずに残念だったな」

 その目に相手を労わる感情は一切ない。この男にとって、魔道士一人の命など取るに足らない存在でしかなかった。

 これから体現されるであろう彼の野望の材料。セレスもまた、その犠牲者のうちの一人であると。

 ガードナは玉座に設えてある伝報水晶メッセージクリスタルを用い、王の広間に一人の男を呼び出した。

 荘厳な雰囲気を醸す玉座の間に似合わず、継ぎ接ぎの革の鎧で武装した髭面の大男が門を押し開け広間にずかずかと入ってくる。

 上品の欠片もないその身なりはもちろんのこと、遠慮のない歩みからも、その男が入城の作法を知っていないことは明白だった。

 無論、仮に知っていたとしてもガードナの彼に対する印象が変わりこそすれ、敬意を持って対応するようなことには決してならなかっただろうが。

「何かご用ですかい、旦那……ああいや、それとも未来の覇王様とお呼びした方がいいのかねぇ?」

 男は広間の中央で歩みを止めて仁王立ちになると、玉座に座るガードナに昂然と話しかけた。

 いや、この場合“昂然”というより、“ふてぶてしく”と表現した方が適切か。

 かつては高貴な者しか足を踏み入ることが許されなかったこの部屋で、ランスロットの執政さえ務めていたガードナに対し無遠慮に口を開いたのだから、この男がふてぶてしくなければ一体何だというのだろう。

 帝国軍を離反した傭兵団の団長。端的に説明すると、この男の現状の立場はそういうところにある。 

 帝国のランスロット侵攻に乗じ、アロンダイト近郊の村を襲ったのもこの男が率いる傭兵の一味だった。村を焼き払った後、このアロンダイトに入ってガードナと合流し、今に至るというわけである。

 リディア侵攻戦が失敗に終わり、近々本国からランスロットの制圧軍が送られてくるだろうことはガードナも予測できていた。大陸東端諸国の実権がヴァレンシアに傾きつつある現状を帝国が黙って見過ごすはずもなく、予想通りロベリア皇女率いる帝国軍第三師団がランスロットの国境を越境したと参謀省から連絡入った時には既に、それに同行していた傭兵団は着実に軍を離脱する準備を始めていたのである。

 そしてその“手伝い”をしたのが、他ならぬアインハルト宮廷魔道士だ。ロベリア皇女の補佐役として制圧軍に同行していた彼の手引きにより、傭兵団の一隊が野営の隙を突き軍を無断離脱。すぐに帝国の斥候がその足取りを追ったが、魔術によって痕跡を絶った連中の行方を探ることは事実上不可能であった。

(そう、全ては入念に練られた計画の一部……)

 アインハルトから提供された第三師団軍のリストを利用し、その中でもっとも帝国に対する忠義の薄い傭兵団に狙いを定める。

 交渉は速やかに、そして密かに執り行われた。やがて一人の男が互いの条件を守る旨を良しとし、ガードナに雇われることに同意したということだ。傭兵の一隊が軍を抜ける二日前のことである。

「よくもそんな傲慢な態度が取れるものだな、ハーデス。ヴァレンシアの邪魔者どもを掃討せよとの私の命令さえ達成できぬ役立たずな男が……。“帝国の暴れ熊”などの異名も、さては誇張に過ぎぬか」

 ハーデスと呼ばれた髭面の男は、ガードナの挑発的な物言いにぐっと押し黙った。

 それでも激昂して言い返さなかったのは、ハーデスはガーダナの真の恐ろしさを知っていたからだろう。太古の人類を滅亡寸前にまで追い込んだゴーレムなる兵器を操り、未知なる魔術を用いる帝国の元諜報員。

 傭兵団長ハーデスにとって、ガードナとはそういう存在だった。その力が未知数であるからこそ侮れないものもある。悪行三昧の傭兵生活を送ってきた身とはいえ、戦場で幾度となく強敵と刃を交えてきたから理解できるのだ。

 ――この男を怒らせるとろくな事がない。ならば、雇われ者らしく依頼主に素直に従っている方が身のためであると。 

「……昨晩の失態に関しちゃあ、俺も十分に反省している。部下どもにもきっちり言い聞かせておいた」

「そんな利得にならない話を聞きたくはない。お前は私のために何ができる……?」

 黒く不気味な片目が、ハーデスの顔を正面から捉える。

 それだけで、巨漢の傭兵団長はガードナに屈するように顔を俯かせた。いや、既に二人が出会ったその瞬間からそういう主従関係が成り立っていたも同然だったのだが、今ここで改めてその相手の真なる立場を悟ったのである。

 ガードナは――この男は本当の意味で覇王となるのだ。たかがならず者の傭兵ごときに、それを茶化す資格はない。

「俺は、アンタの命令のためなら何でもやる。や、やらせてくだせぇ……」

 だから、ハーデスは彼に頭を下げた。

 未来の覇王のために、その野望を手伝うという破天荒な指示を仰ぐために。

「そうか。ならば“飢餓熊団ハングベアー”団長ハーデス、おもてを上げ私の目を見よ」 言われた通り指示に従う。

 ――そして、ハーデスの身体は何者かに取り憑かれたかのように動かなくなった。

「貴様は今から私の配下だ。その身分は何者にも覆されることはない。私に従え。私のためにその身を尽くせ。ハーデス、貴様にそれを拒む権利はない」

「…………」

 金で雇われた関係としては、その言葉はあまりに度が過ぎていた。

 しかしハーデスは反論しない。抗わない。ガードナの言葉一言一句全てを肯定するように、何度も何度も器械的な相槌を繰り返す。

「俺は……ガードナ様のしもべ……。この身は……覇王のために……」

「クク……その忠義や良し。しかし本意は誠であるか、私の命に従い示してみよ。そこに転がる小娘の亡骸を持って王城の裏門に向かえ。貴様の家来どもも一緒だ」

 その命令の意図は如何に。ハーデスがまともな精神状態であれば、あるいはそんな質問がガードナに投げかけられていたかもしれない。  

 彼は完全にガードナの術中に嵌っていた。印と詠唱を用いない催眠系の魔術――古代魔道士のみが扱える能力ちからで以って。巨漢の傭兵一人操ることなど、今のガードナにとっては造作もないことだ。

「御意に……」

 何の迷いもなく、ハーデスはその命令のまま動いた。 

 床に倒れたままのセレスを軽々と持ち上げ肩に担ぎ、そのまま来た道を引き返して玉座の間を後にする。 

 何の変哲もない静寂が、再び広間を包み込んだ。

 一時のものとはいえガードナにとっては貴重な時間である。この静けさを有意義に過ごそうと、彼は玉座に背中を預けて深々とため息を吐いた。

「その大いなる力……巧みに使いこなせているようですね」

 しかし悲しいかな、その心地よい静寂を破る者が現れた。

 煩わしそうな顔で後ろを振り返ったガードナの先にいたのは、柱の傍で影のように佇むフードの男。しばらく声を聞いていなかったのでその存在を忘れ掛けていたが、どうやらずっとガードナの行動を監視していたらしい。無言に徹していたのは、古代魔道士の能力をものにしているか見極めるためか。

「なるほど。アインハルト殿、あなたはずっと私を試していたのか。一切口を利かなかったのもそれが理由ですか」

「……ええ、勿論。国と地位を捨ててまで賭けたこの“計画”。その実行者であるあなたが半端な実力しか発揮できぬとあらば全てが無に帰してしまいますから。……謀略のみで小国一つ落すのとは訳が違いますよ」

 そんな忠告、もはやガードナには聞き入れる隙もなかった。

 邪魔者を掃けるように手を払い、ぼそぼそと話を続ける元宮廷魔道士の言葉を遮る。

「私の力量を測れたのならもういいでしょう。それより、大事なお客人が参られたようなので……」

 前方を凝視するガードナの視線を追い、アインハルトのフードに覆われた頭が広間の入口を振り向く。

 玉座に続く長い廊下の向こう。蝋燭の明かりさえ届かない暗闇に、ぽつんと淡い光が浮かび上がっていた。

「……いや、客人というのは語弊があるな。ふむ、私の手足としてよく働いてくれた親愛なる部下とでも、そう歓迎した方が良さそうかな」

 ガードナが手を打ち鳴らすと、合図とばかりに柱に設置していた魔道灯が一気に点灯した。

 暗い広間が瞬く間にオレンジ色に染まり、絨毯の羽毛まで鮮明に映し出される。

 暗闇に浮かび上がっていた淡い光は魔道灯の照明だった。闇に紛れていた一人の女性が、魔道灯片手に広間の中央に立って玉座の方を見上げている。

 ガードナにとってはよく知る人物だった。彼が過ごした人生の中で、一番見知った相手と言ってもいいくらいに。

「ヴィヴィアン。よくぞ戻ったな」

「閣下……」

 硬い表情を崩さないかつての秘書官を前に、ガードナはとめどない快楽を覚えていた。


 

 


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