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異界の古代魔道士  作者: 焔場秀
第二章 東国動乱
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第五十七話 救出の代償

 アロンダイトの高い城壁を越え、農業区域に指定される平地のさらに外側には、街道の舗装も行き届いていない草原地帯が延々と広がっている。雨季になると、河口付近を中心に湿地帯を構成する特殊な地形ゆえか、温暖期には異常に発達した草木が根を張ることもある。

 酷いものでは、大人一人分の背丈を完全に覆い隠すほどの大きな雑草が生い茂っていることも。それが広大な草地に点々と存在し、土地勘のない者を容赦なく阻んでいるのだ。国土のほとんどを草原が占める『平原の王国』とはいえ、迂闊に自然界へ足を踏み入れるのには危険が大きい。

「将軍、ただいま偵察より帰還致しました」

「うむ、ご苦労だった」

 だが、時にそんな危険な地形も、人の目を避ける隠れ場所として利用すればこれ以上にないくらい最高の手段と成り得よう。

 背の高い草の絨毯の間を、闇夜に紛れて動く人影が多数。ランスロット北部の山脈を越境し、王都アロンダイトまで強行軍を敷いたグルセイル帝国軍の歩兵部隊たちだ。

 無論、そこに集まった歩兵たちは全体のほんの一部でしかない。彼らはアロンダイトの状況を随時監視するため、背の高い草に身を潜めて辛抱強く斥候が帰ってくるのを待っているのである。

 そして、たった今その斥候が情報を抱えて帰還した。

「それで、中の様子はどうであった?」

 斥候を出迎えたのは、この軍の最高司令官であるロベリア皇女。真っ暗闇のなか、月光に照らされた紅い双眸がギラリと光を放つ。

「は! 街は王城を除いて壊滅状態。その元凶であったゴーレムの姿も何処にも見えませんでした」

「ふむ……やはり、先ほどの爆発は見間違いではなかったか。如何な原因かは知らぬが、既にゴーレムは破壊の矛を収めている……」

「支障を起こして自爆したとは考えられません。ヴァレンシア軍の仕業でしょうか?」

 そう意見を言ったのは、皇女の隣に控えていたメイドのアリアーヌだ。知恵や機転が利く彼女は、時々こうしてロベリアに意見を述べることがある。もっともアリアーヌの本職は皇女の身の回りの世話と護衛で、軍事に影響する権限を有してはいない。だが、その鋭い指摘は決して凡人のそれではないことをロベリア自身よく理解していた。

 “ヴァレンシア軍”という単語に周りの兵士の顔が曇ったのに対し、皇女だけは挑戦的な笑みを浮かべる。

「そう考えるのが妥当か。ふふ……まさか、先に到着していた我が軍を出し抜いて街に突入するとはな。その勇気と決断力も大したものだが、こんなにも早くやって来るとは思わなかったぞ」

 ランスロットの国境砦がヴァレンシア軍に占領されたと報告を受けたのが昨日。つまり、たった一日で国内を横断して首都に到達したことになる。兵力は騎兵部隊八百と大国の軍勢にしては少数。いや、八百という少数精鋭だったからこそ、機動力を生かしてこんなにも早く赴くことができたのだろう。

 しかしわからないのは、何故ヴァレンシア軍は自慢の戦力を削ってまで少数の部隊だけをアロンダイトに寄越したのか。

(此度のランスロット介入はアレク王の独断専行だという。なれば、仇討ちのための報復攻撃と考えるのが一番合理的。ランスロットを滅ぼすのが目的であれば、大軍の勢いに任せそのままこの小国を蹂躙すれば良いだけの話だ。わざわざ数百の騎兵だけ先行させる意図は何だ?)

 駄目だ、まったく見当がつかない。では根本的な理由そのものを変えてみればどうか。アレク王は復讐目的に軍を発進しているのではなく、また別の思惑があるとすれば……。

「それから将軍、先に街に入ったヴァレンシア軍の大隊についてですが……」     

 歯切れ悪そうに斥候が口を開く。ロベリアは一端思考に耽るのをやめ、目線で報告の続きを促した。

「どうも動きが不自然なのです。そのまま王城に向かう様子はなく、城下を虱潰しに探し回っているようで――」

「探す? 一体何を?」

「わかりません。ゴーレムを迎撃していた一隊も直接王城には乗り込まず、市街区で散開している状態です。そして、こちらがもっとも重要な報告なのですが――」

 斥候はロベリアにだけ聞こえるように声を落す。

「部隊の中に、近衛騎士数名を発見致しました」

「何だと……」

 近衛騎士――グルセイル帝国では帝室親衛隊という名称でも知られている、その名前が示す通り王族の警護を任された騎士のことだ。

 王のために命を賭す家臣のなかでもっとも忠義に厚い戦士とも称され、特にヴァレンシア王国ではその習慣が色濃く残っている。

 近衛騎士が何の理由もなく軍列に足を揃えるのはおかしい。しかも、王の居城からこんな遠く離れた場所に。

「貴様の見間違いではないのか?」

 ロベリアは怪訝に眉を顰める。しかし、斥候は断じて譲らない。

「あの白銀の鎧と赤と黒のマントは、間違いなくヴァルハラ王宮近衛騎士のものでした。彼らは円形に隊列を整え、ローブを纏った黒髪の男を護衛していたのです」

「黒髪……ヴァレンシア王家の髪色と同じ……」

 隣で聞いていたアリアーヌが呟く。

 ヴァレンシア王家……本当に王室の人間がこの戦陣に加わっているのだとすれば、近衛騎士が同行しているのも頷ける。では、アレク王自ら戦陣に加わっているのか。

(いや、待てよ……)

 アレクシード国王と、その実妹であるアプロディーナ王女。ヴァレンシア王室直接の血統を有しているのは、本当にこの二人だけだっただろうか。

(そういえば、一昨日参謀省から届いた報告者に気になる一件があったな)

 二日前、ヴァレンシアの王都イグレーンに潜む間者から参謀省に内通連絡があった。その内容によれば、ヴァレンシア王国の前王ガレスの隠し子がいきなり王都に現れて王宮入りを果たしたらしい。報告だけ聞けば信憑性も何もない無茶苦茶な話だが、どうやらアレク王自ら異母弟だと宣言しているようで、現在参謀省はそちらの情報収集に躍起になっているという。

 その隠し子はガレスと、ガレスが寵愛していた女性との間に生まれた子供で、存在を隠されたままずっと離宮に軟禁されていたそうな。

 まあ、王族では然程珍しくもない事情に違いない。ロベリアもさして興味のある情報とは思わなかったので、報告書にも詳しく目を通していなかった。確か名前も記されていたはずだが……駄目だ、思い出せない。

「ロベリア様? どうかなさいましたか?」

「……いや、何でもない。それよりも、アロンダイト制圧作戦の件だが――」

 アリアーヌが首を傾げて見守るなか、皇女は身を隠していた草むらから立ち上がって丘の下に広がるアロンダイトの街並みに目をやった。

 唯一無傷で残っている城壁外部。街内部の大通りから平野の街道を繋ぐ城門を、馬に跨った兵士たちが慌ただしい様子で街から出てくる。

 先に街へ突入していたヴァレンシア軍の一隊だ。敵に追撃されているのか。先頭を走っていた数名の騎馬に続き、後ろからさらにヴァレンシアの騎兵部隊がぞろぞろと城門を抜け出してくる。皆武器を抜いて戦闘態勢を取っており、遠く離れたこの場所にも僅かな殺気が感じられた。

(うむ…色々きな臭くなってきているようだ。王族が随伴するヴァレンシアの騎兵大隊……その意図が何たるや、しばらく見極めさせてもらうぞ)

 ロベリアは伝令兵に向き直り、口頭で命令を言い放った。

「街への突撃を一時中断する。お前は本隊に戻り、私の命令をカイウス将軍に伝えろ」


             =======【キリヤ】======= 


 ここアロンダイトにも、魔道管理局という施設がある。

 グィアヴィアやイグレーンのものに比べたらその規模は小さいが、ただ建築物として見れば大きさは一目瞭然だろう。場所が行政区の大通り前に面しているのに加え、その敷地面積は一戸建てが軽く六つは入る程の広さだ。

「では、住民の身柄を一時我らに預けるということで、問題ありませんね?」

「もちろん。市民の安全を保障できるなら、これ以上にありがたいことはありません。どうか、よろしくお願いします」

 卓を挟み、長いすに座って向かい合ったアロンダイト支部長とアレンさんが共に手を取り合って頷きあう。

 首脳陣の会合ではないにしても、十年近く敵対していたヴァレンシアとランスロットが協力関係になった瞬間だ。ほとんど事情を知らない俺でも、少なからず心を動かされる。


「生存者がいる。俺たちだけじゃ到底護衛できる数じゃない。仲間を連れてきてくれ」 

 あの後、マリオネットの転送魔術によってアレンさんの部隊と合流した俺たちは、マルシルの案内のもとこのアロンダイト支部魔道管理局に辿り着いた。

 ゴーレムの攻撃によってほとんどの建物が破壊を免れなかったのに対し、この管理局だけは無傷で残っているものだからまさかとは思ったが。

 いや、ホントに驚いたの何の……マルシルに誘われるがまま局内に入ってみると、中にはランスロット所属の魔道士数名とアロンダイト市の生存者二百名余が身を潜め合っていたのだ。

 平民から貴族まで、獣人やドワーフ種族を問わず老若男女が二百人。この街全体の人口に比べたら大した数でないにせよ、この絶望的状況をかんがみれば決して少ない数ではない。

 ゴーレム出現から今に至るまでの二日間、街中を死ぬ気で探し回って見つけ出したと、マルシルは言う。この少年のほかに、さっき失踪したスーツ姿の女性(名前はヴィヴィアンというらしい)と傷の男もこれに尽力したとも語った。

「ええっ? じゃあさっきの二人も功労者ってことじゃない。どうして逃げたの?」

 セレスが驚きとも呆れともつかない声音で疑問を口にする。

 まあそれは俺も不思議に思っていた。怪しい者じゃないのなら、素直に言ってくれれば良いものを。何故逃げたのさ? そんなに俺の立ち居振る舞いが怖かったのか? 俺って他人にどう映ってるんだちくしょう! 

「色々理由があるんだよ……」

 意味ありげに、マルシルが言葉を濁す。

 それに異を唱えたのはお嬢だ。

「色々って……そういう問題じゃないわよ。“エレメンタルゴーレム"のこと話したでしょ? この街にはまだ危険分子が残ってる。そんな状態で少数行動するなんて危ないわ」

「だから? お前は何をするつもりだよ」

「決まってる。連れ戻しに行くのよ」

 当然とばかりに、お嬢は胸の前で拳を握る。

 その底知らぬ行動力に、マルシルは呆れている様子だった。

「場所もわかんねぇのにか? やめとけやめとけ。たとえ見つかっても、お前がどんだけ説得しようがあいつらは自分の意思を曲げねーよ、絶対……」

「どうしてそう言い切れるのよ?」

「そりゃあ、俺はあいつらを――いや、何でもない」

「?」

 マルシルがはぐらかし、お嬢が一層怪訝そうな表情を浮かべる。

 よくわからんが、どうもマルシルは例の二人について何か知っているようだ。まあしばらく一緒に居たのだから当然と言えば当然だが……人前では口にできない重要なことなのだろうか。


 管理局局長との交渉を終えて、ようやくヴァレンシア救援隊が任務を遂行する運びとなった。

 まず、別行動中のダリス副官以下四百の騎兵隊と合流する。当初、二百人の生存者を見つけたと報告を受けたダリスさんは半信半疑の様子だったが、実際目の当たりしてみると彼は顔色を驚愕に染めた。生き残りがいたことを喜ぶよりも、この惨状で百を越える生き残りがいたことが信じられなかったのだろう。

 ダリスさんは激しく動揺したが、さすがアレンさんの右腕を務めることだけはある。機敏に状況を察すると、道中の安全確保のため部下を引き連れ馬を飛ばした。その際、待機組五十名の元にも伝令を送るのを忘れない。これにはマルシルが自ら進んで引き受けた。伝言の内容は、すぐに退避できるよう退路を確保することと、怪我人の応急処置のための軍医や神聖祈祷師セイクリッドヒーラーに治療の準備を要請するものだった。

 二百もの生存者とはいえ、そのほとんどは騒ぎの最中怪我を負っている怪我人の集まりだ。管理局に退避してからある程度の治療は受けたものの、医療設備が整っていないがために満足な処置を施されず苦痛に呻く重傷者も数多くいたのである。

 幸い、アロンダイト支部の管理局には荷馬車が数台管理されていた。馬の背で揺られるよりずっと良いというアレンさんの言もあり、ひとまず瀕死者をこれに乗せて運ぶ形となった。

「重傷者は荷馬車へ。そのほかの女性や子供、高齢者は馬に。兵士の人と相乗りになる形ですが、歩いて避難するより効率が良い……」

 ちなみにこれは俺の意見だ。アレンさんならそんなこと重々承知のはずだが、何もせずただ突っ立って事の運びを見守っていくわけにもいかない。アレンさんやセレス、ヴァレンシア兵士たちは反対したが、俺はそれを押し切って積極的に市民の避難に協力した。 

「あの……」

 と、突然背後から声をかけられた。足を怪我して動けないお爺さんを、俺が魔術を使って荷馬車まで運び終え、丁度一息吐いていた時である。

 振り向くと、頭に包帯を巻いた平服の女性が遠慮がちに立っている。まだ二十代半ばくらいの若い女性だ。娘だろうか、女性のすぐ後ろには五歳にも満たない幼い女児がくっついていた。

「……何か?」

 沈黙もそこそこに、相手が何も話さないとわかってこちらから話しかける。

 ちなみに俺の身分については、お嬢やアレンさんたちにお願いして隠してもらっているので、俺が王子だとは市民たちの誰も知らない。救援部隊に同行しているサポートの魔道士という認識がほとんどだと思う。しかし、その分兵士たちの警戒心も強い。保護の対象とはいえ、その全員が無害とは限らないからだ。実は無力な民を演じていて、一瞬の隙を突き本性を現して残忍な牙を剥くかもしれない。今ヴァレンシア兵たちが懸念するのはそこである。俺がアロンダイトの住人に話しかけられるや否や、周囲で作業に扮していた護衛の兵士がさっと目の色を変えた。

 そんな事は存ぜぬのか、はたまた知らぬ振りなのか、俺の寡黙な問いかけに女性は恐る恐る返答する。

「あの、お仕事の腰を折ってしまって申し訳ありません。ヴァ、ヴァレンシアの救援の方々に、どうしてもお尋ねしたいことがありまして……」 

 ――ピロ。彼女は無害か? それとも外敵か?

《困惑と緊張の感情しか伝わってきません。大丈夫、殺意はありませんよ》

 よし、それがわかれば十分だ。

「俺に答えられる範囲であれば、なんなりと…」

 少しだけ警戒を解き、話の主導権を彼女に譲る。

 すると女性はほっと胸を撫で下ろし、両手を組んで話し始めた。

「夫が……私の夫が、西の国境砦に詰めているはずなんです。先ほど兵士の方から、その砦がいまヴァレンシアの占領下になっていると聞いて……」

 西の国境砦――ここから西はヴァレンシア方面だ。つまり、俺たちがランスロットへ赴く際に中継地として一泊した渓谷沿いの砦のことだろう。  

「夫は砦の警備隊長を務めています。魔道士様は、見かけませんでしたでしょうか?」

 ううむ……確かにその砦で一晩過ごしたけど、現地の兵士と取り分け交流があったわけじゃないしな。なにせ五百人もいたし、そのうち対面した人といえば隊長とその副官くらいだし……。

「あ……」

 思わず間抜けな声を出してしまった。

 ――あれ? 普通に会ってるじゃん。

「失礼ながら、旦那さんのお名前をお聞きしても?」

 半ば確信を持って俺が質問すると、彼女は急くように早口で答えた。

「ざ、ザット! ザット・オランドと申します、魔道士様!」

 


 市民の避難は、準備ができた者から順次進められた。

 もとより先発隊として組織された捜索隊である。人数で劣る騎兵隊が、二百人の市民たちを一度に誘導できるかと問われれば、いかに指揮官が優秀であれなかなか上手くいかない。

 なるべく移動の混乱を避けるため、かつ時間を無駄に使わないために、“護衛誘導”作戦は円滑に始まった。

 まずは、緊急の治療を要する重傷者の優先的な護送だ。二人一組になったヴァレンシア兵士が荷馬車の御者台に座って運転を担当し、その周囲を十名程の騎兵分隊が護衛として追随する。先頭を行くのは副官のダリスさん。彼を追いかける形で、荷馬車五台と護衛の騎兵部隊約五十名が続いた。

 その後ろをさらに、体力のない女性や子供を相乗りさせた騎兵約百名が進む。この隊列には、あの子連れの女性も含まれていた。

 お嬢と並んで立つ俺に、彼女は深々と一礼する。旦那さんの消息を確認できたお陰か、彼女――アンナさんの表情は最初に比べて格段に穏やかだった。アンナさんに手を引かれる四歳の娘リィノも、今ではその顔に楽しげな笑みを浮かべている。

「本当に、有難うございました」

「おねえちゃんバイバイ。またね!」

「うん、またね」

 手を振って別れを惜しむリィノに、お嬢も手を振り返して笑顔で答える。まだ出会って二十分も経っていないのに、お嬢はその子とかなり打ち解けあっている様子。一体どんな魔術を使ったのかと俺が訊ねたところ、「一緒に遊んだだけ」という返事が返ってきた。一緒に遊ぶだけで子供に懐かれるなら、園児を預かる保育士諸氏は誰も苦労はしまい。きっと彼女お得意の接し方があるのだろう。

 避難は滞りなく進行した――と言えたらこれ以上良いことはないが、残念ながら全て上手くいったわけではない。

 原因は市民たちのなかにあった。

 外の惨状に目を剥いて取り乱す者。我先に避難を、と順番を守らず駄々をこねる貴族。離れ離れになった身内や恋人が戻らないと、断固として動かない者。

 酷いものでは、「ヴァレンシアは敵だ!」と喚きながらヴァレンシア兵士を威嚇する者もいる始末。ランスロット政府のプロパガンダに洗脳されているのだろうとアレンさんは指摘したが、だからといって置き去りにするわけにもいかない。兵士の手に負えない人は、とりあえず俺やお嬢のスリープの魔術で無抵抗に。後から騎兵が馬に乗せて運ぶことになった。

「殿下、我々もそろそろ参りましょう」

 市民の誘導を開始してから三十分が経過した頃。

 アレンさんの指示に従い、俺たちも本格的な移動を始めた。

 無論、市民たちに混じってただ避難するだけではない。撤退中、一番無防備になる殿しんがりを守りながら進むのである。

 その極めて危険な役目を仕るのは、俺とお嬢とアレンさん。加えて、アレンさんが信を置く騎兵隊員古参のメンバー三十名。市民側からは、本人のどうしてもという要望からアロンダイト支部の局長さんも最後尾の護衛に回った。

「近衛騎士の方々がいれば、もっと心強かったんですが……」

 通りを移動中、ぼそっと呟いたアレンさんの言葉を俺は聞き逃さなかった。

「すみません……」

 居た堪れなくなり、反射的に謝ってしまう。

 近衛騎士たちを危険に晒したのは俺の責任だ。あの時、“エレメンタルゴーレム”なる化け物の接近に真っ先に気付いていたのはピロだった。つまりそれは、奴が姿を見せる前に対処できる手段が俺にもあったわけで……。

「なっ! ち、違います殿下! 僕は何も、そういう意味で申したわけじゃ――」

 慌てたアレンさんが首を横に振って弁解する。俺と同じ馬に乗るお嬢も、アレンさんに同調した。

「近衛騎士たちは、自分の意思で殿下に付き従いました。殿下を守って死ぬことは覚悟の上かと」

 それだよ。その考え方が果てしなく気に食わない。

「俺の命を救ったのは妖精たちだ、近衛騎士じゃない」

 そもそも同行を許さなければ、こうなることもなかった。頑固な彼らを言い包めて、是が非でも残ってもらえば良かったんだ。不名誉が知ったことか。結果近衛騎士たちはゴーレムの奇襲に巻き込まれ、俺を守ったわけでもなく生死不明という最低の不名誉を賜ったのだから。



 どしっと空気が重くなった。 

 何かきっかけがあったわけじゃない。ただ急に、両肩に重石おもしを乗せられたような、そんな圧迫感を覚えたのだ。

(風が……止んだ……?)

 俺が感じる一番の違和感はそれだ。先ほどから地肌に触れる空気が生ぬるい。妙な息苦しさも、過度な緊張のせいだと思っていたが……これは違う。確証もないのに、そうはっきり感じた。風が吹いていない。

 違和感を感じたのは俺だけじゃなかった。隣で馬を操るアレンさん、アロンダイト支部の局長さん、それを取り巻く騎兵隊も一様に顔色が優れない。姿は見えないが、俺の後ろに座るお嬢だって、何か感じているはず。

 ――ピロ。おい、ピロ!

 頭の居候に呼びかけてみたが返事はない。くそっ、こんな時に限って俺の応答に出ないとは……。

 俺はもう一度周囲を見回した。

 倒壊した家々の風景が続いているだけで、特に真新しいものは見当たらない。いや、頭ではわかってるつもりなんだ。俺が感じている違和感は五感で認知できるものじゃないと。だが、何か原因を探らないととてつもなく不安になってくる。

「キリヤ君……」

 背後でお嬢が、そっと俺の名を呼んだ。声色が硬い。

「何か、とても嫌な予感がするわ。魔道士の勘とかじゃなくて、本能が、そう警告するの……」

 同じく。そろそろ、看過できない事態になってきたようだ。

 俺は手綱を引き、馬をアレンさんの方へ寄せた。

 彼にお願いして、移動速度をもっと速めてもらおう。避難民には少し酷だが、そうは言ってられない。

「キムナー中佐、急いだ方がいいかもしれ――」


 だが、俺の言葉が最後まで続くことはなかった。


 ダーン! 


 廃墟の街に轟いた、一発の銃声。

 それが、全ての合図だった。

 

 グラッと、アレンさんと同じ馬に乗っていた局長さんの身体が傾く。そのまま力なく鞍から滑り落ち、通りの固い石畳に投げ出された。

「な……!」

 一瞬、誰もが固まって動けなかった。

 地面に仰向けに倒れる局長さんはぴくりとも動かず、悲鳴も上げない。フードから覗く目は驚愕に見開いたまま。口の端から一筋の赤い液体を滴らせていた。

 既に死んでいると、頭が理解するまでどれくらいかかっただろうか。

 ただ、この時ばかりは皮肉にも、第二の銃声が俺を正気に戻させた。

「ッ……!」

 直後、アレンさんの眼前で火花が飛び散る。

 彼は、咄嗟に引き抜いたロングソードの剣腹で二発目の銃弾を弾き返していた。

「そこかっ……!」

 アレンさんは馬のわき腹に固定していたストックからスピアを抜き取ると、溜めの構えもせず投擲した。人間業とは思えない。ヴィーンと風を切る音を響かせて、スピアが回転しながら暗闇を貫く。何かに突き刺さる鈍い音と、男の断末魔が響き渡った。

「な、なんだ……!?」

「今の悲鳴は一体……」

 騒ぎを聞きつけて、避難中だった市民たちがざわめく。その大半はしきりに背後を気にしている様子だ。

 アレンさんが叫ぶ。

「馬首回せ! 展開し迎撃態勢!」

「今だやっちまえ!」

 しかし、隊長の命令は大通りに轟いた根太い怒声によってかき消された。

 暗闇が一気に明るくなる。誰かが大きな焚き火でも炊いたのかと錯覚するくらい、松明の明かりが途端に増した。

 正確には、松明の数が増えたのだ。

 俺たちを取り囲むように、通りの後方から道脇の路地裏から、そして瓦礫の間から。松明と得物を掲げた武装集団が一斉に姿を現したのである。

 

 奴らを敵だと認識するのに、然程時間はかからなかった。

 悲鳴と怒号が、小さな街に木霊する。



 全身が痛い。というか、熱い。

 俺は今どんな体勢でいるのか、それすらも朧けになるほどの激痛が、身体の感覚を麻痺させる。

「ぐっ……!」

 爪を手の平に食い込ませ、なんとか現実に意識をとどめる。俺は今どんな状況にあるのか、覚悟を決めて目を見開いた。

 青みを帯びた大きな月と、星々満天の大空がそこにあった。

「…………」

 俺は、地面に仰向けになって寝ているようだ。

 寝ている、というより、倒れていると表現した方が正しいが……。

 周りに人の気配はない。俺はただ一人、無人の草原に横たわっていたのだ。

 左に首を動かす。暗くて何も見えない。頬に柔らかい草の感触があっただけだ。

 右に顔を向ける。今度は、闇夜の中に光があった。

「アロン…ダイト……」

 燃え盛る炎によって赤々と照らし出される城壁街。初めてここに赴いた時より、その景観はすっかり様変わりしていた。

 城壁から突き出た六つの見張り塔。その頂点から発する蒼い光が、街の上空を覆う形で複雑かつ巨大な魔法円陣を構成している。他者の侵入を阻む結界というより、内なる者を閉じ込める檻のような、そんな印象を強く受けた。

 ――印象も何も、俺はあれのせいで……。

 段々と、忘れかけていた記憶の欠片が合わさっていく。

 ――そうだ、俺は街の中にいた。そして、あの魔法陣に退路を阻まれて、お嬢が……。

「セレスッ!」

 一声叫んで、起き上がろうと腕に力を入れる。途端、肩に激痛が走り、呻き声を上げて再び地に伏した。

 今まで感じたことのない激しい痛みだ。左肩に手をやると、じっとりと濡れているのが手の平に伝わった。顔に近づけて嗅いでみる。強烈な血の臭いが鼻を突いた。

 ――血……俺の血……俺が……。

 どうやら俺は撃たれたらしい。いや、確かにあの銃弾の雨を掻い潜るだけでも相当に危険だったから、一発ぐらい身体に命中していても何ら不思議ではない。しかし、街を脱して気絶した挙句、再び目を覚ますこの時まで撃たれたことに気付かないとは……。それだけ神経が張り詰めていたってことか。

「くそっ……痛ってぇ……」

 肩に力を入れた衝撃で傷口が開いたのだろうか。段々痛みが酷くなっている。いや、そもそも銃弾喰らって「痛い」で済むものなのか。強化人間の恩恵とも考えられるけど、もし傷が酷すぎて痛感が狂ってるんだとしたら……。

 ――俺、死ぬんだろうか……。

 出血多量で死亡。はたまた傷口感染の疫病死。異世界ライフの最後にしては実に格好悪いぞ、俺。

 ――いや、まだ死ねない。お嬢を……セレスを助けに行かないと。

 そう自分に言い聞かせ、なんとか踏ん張って立ち上がる。     

 平衡感覚が曖昧だ。だが、意識はある。目が見える。足もちゃんと動く。

「今、助けに行く……」

 燃える街を視界に捉え、俺は死力の一歩を踏み出した。



 何もかも甘かったんだ。

 石像の化け物が倒され、助けを待つ多くの生存者を救出し、彼らの誘導も滞りなく進んだ。

 一件落着と、少なからず安堵していた自分が果てしなく甘かった!

 敵の奇襲を懸念していなかったわけじゃない。俺たちを襲ったエレメンタルゴーレムのこともあったし、まだ何らかの脅威が潜んでいることも全員が承知していた。

 だが、結局俺たちの危機感は“その程度”だった。

 街の通りに轟いた一発の銃声。それが、騎兵隊や市民らを不幸のどん底に陥れた。


「我々が囮となって時間を稼ぎます! 中佐殿は殿下と市民を連れてお逃げください!」

 武装集団の襲撃から間もなく、殿部隊の隊長はアレンさんにそう言って囮役を買って出た。

 襲撃による対処が想像以上の苦戦を強いられたためである。

 護衛する市民を危険に晒すわけにもいかず、あまり踏み切った反撃ができない。だからといって銃で牽制するにも、敵が暗闇に紛れているせいで正確な狙撃もできない。混乱した市民を収めるのにも一苦労で、騎兵隊の士気はますます下がる一方だった。

 そんな状態でも部隊が瓦解しなかったのは、アレンさんの的確な指示とそれに従う部下の信頼関係あってこそだろう。だが、それを含めても戦況は相手の方が段違いに上だったのは否定できない。

 このまま市民もろとも全滅するなら、いっそ自分が囮になって味方を逃がすべきだ。

 殿しんがりを務めた騎兵たちは皆、この自己犠牲本能に動かされて敵のど真ん中に残った。  

 

 それから、俺がどうやって街の外まで逃げてきたのか、実のところよく覚えていない。

 ただひたすらに馬を飛ばして城壁前まで逃げたはずだ。そしたら、あの巨大な魔法陣が街の上空に出現して、閉じた門に向かってひたすら魔術をぶっ放して……。

 ――そうだ、思い出した。あの巨大な魔法陣だ。あれが突然街の上空に現れてから、城門の扉がまったく開かなくなったんだ。だから俺が、攻撃魔術で出口を作ろうと……。

 セレスが俺の傍からいなくなったのはきっとその時だ。

 

 ――結局、門を破壊することには成功した。しかしセレスが何処にもいないことに気付いて、来た道を引き返し……そして――。

 武装集団に捕縛されているセレスを見つけた。俺の姿を確認した彼女は叫んだ、「逃げて」と。

 何故捕まってしまったのか、わからなかった。けれど、助けようと思って、咄嗟に魔術を発動させて……。

「途端に、怖くなった……」

 ――すでに経験したはずだったのに。実際相対すると、震えて魔術が使えなかった。

 人を殺すのが怖い。怖くてたまらない。あの惨劇が頭を過ぎる。

 俺の魔術の犠牲になった兵士の亡骸が、脳裏に焼きついて離れない。

 ――だから、逃げた。言われたとおりに。セレスの慈悲に甘えて、俺は尻尾を巻いて逃げ出した。そんな情けない俺を責めるかのように、左肩を一発の銃弾が貫いた。


「最低だ……最低野郎だ……」

 自分自身に呪詛を吐きながら、俺は左肩を押さえて歩き続ける。

 手で傷口を塞いでいるのに、出血は一向に止まらない。そんなに傷が深いのか。いや、そうか。弾が貫通してるなら、後ろも押さえないと駄目なんだろう。仕方ない、このローブを包帯代わりに……。

「あ……」

 と、足がフラついて前向きに転倒してしまった。

 頭が揺さぶられ、激しい吐き気がこみ上げてくる。

 両足に力を入れた。動かない。

 右手を地面に突いて体を持ち上げる。また転倒。

「こんなところで……終わり…なんて……」

 冗談じゃない。そう口にしたつもりが、声がかすれて発音できなかった。

 意識が朦朧とする。

 視界が、黒く塗りつぶされていく。

 もうすぐ死ぬ。死。その意味を理解して恐怖に震え上がったところで、今更身体が動くわけでもない。

 ――あの時逃げなかったら、俺はもっと格好良い死に方ができたんじゃないか?

 格好良い? 死ぬザマに格好もクソもあるかよ。ちくしょう、死にたくない。見捨てたくない。助けたい。もう一度、覚悟を決めるチャンスがほしい。

「おーい。だいじょぶ?」

 いきなり、視界が明るくなった。

 何だ? 目だけ動かして声の発信源を捉える。

 ……いた。明かりの逆光でよく見えないが、人と思わしき黒い影が俺の頭上にいた。

「ちょ……怪我してんじゃん! ホントに大丈夫? あたしの声聞こえる? この指何本?」

「……ろっぽん」

「ありゃ。ちょっと待ってて。今軍医を呼んで……じゃない。先に応急処置か」

 俺の身体に何かが触れる。

 平時なら、他人に触られる前に回避するところだが、既にそんな余力も残っていない。

 見知らぬ誰かのされるがままになりながら、俺は、薄れゆく意識の中でゆっくり目を閉じた。

 

 読了お疲れ様です。


 後半かなり端折った感じになっていますが、次話で詳しく描写する予定です。

 



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