第五十四話 アロンダイト救出作戦(前編)
石の翼を広げた歌姫が破壊の歌を奏でる。
たったそれだけで、目に見えない衝撃波は渦のように街中を駆け巡った。
キュイイイイイイイイイイイイイイイイイイイン!!!!
爆発。
火の色に染まった粉塵は容赦なくアロンダイト市の建造物を飲み込み、押し潰しながら広がっていく。人が巻き込まれれば間違いなく命はない。瓦礫と熱風の塊は意図せずして殺人の凶器と化し、人通りの多い中央街道をセ氏数百度の熱砂に変えた。
「や、やべぇ……死ぬかと思った……」
その街道から約五十デイズ(100m)離れたソーサラー教会魔道管理局アロンダイト支部。
ヴァレンシア王国魔道士団所属の少年、マルシル・ランクスはジリジリと音を立てるローブの裾を叩きながら管理局内の床に座り込んでいた。
彼の傍には、同じくゴーレムの攻撃から難を逃れたアロンダイトの住民が数名、荒い呼吸を繰り返して地面に膝を突いている。彼らは皆、ゴーレムから逃げ遅れて街に取り残されたアロンダイトの住民だ。八方塞で自宅の地下倉庫に隠れていたところをマルシルが発見し、家族共々この管理局に連れてきたのである。
「こ、ここならもう大丈夫だ。あの化け物の攻撃も、この管理局の結界までは破れない……ゼェ…ゼェ…」
「あ、りがとうございます魔道士さま! お陰様で助かりました……!」
「あなたは命の恩人です……本当に、なんとお礼を申し上げれば良いか……」
夫婦と思わしき男女が、マルシルに近づいて頭を下げる。
それに対しマルシルは、引きつった顔に無理矢理笑顔に変えて返した。
「は、はは……みんな無事で何よりだぜ。ふぅ……もうホント、俺も生きてるのが不思議って――」
ガツン!
不意に、マルシルの頭に拳が振り下ろされた。
今さっきまで生死の境を走り回り、無事帰還してからのこの一撃である。気が緩みきっていた彼に、その制裁を回避するまでの余力は残っていなかった。
マルシルは痛みに呻きながら二度、三度床を転げ回った後、勢いよく上半身を振り上げて自分を殴った相手をにらみつける。
「痛ッてぇなこの野郎ッ! てめぇ俺に恨みでもあんのか!?」
「ああ、恨んでも恨みきれないな。貴様の考え無しのせいで危うく俺まで死に掛けた…!」
マルシルを殴りつけた黒マントの男は、普段の仏頂面をさらに歪めて魔道士の少年を睨み返した。男の両腕には、まだ六歳にも満たない幼い少女が抱かれている。
「ゴーレムが後ろを向いている隙に逃げ切れるだと? 馬鹿が! よくもそんな拙い考えで大通りを大所帯のまま横断しやがったな。お陰で真っ先に見つかって、死に物狂いの強行突破だ。この“避難場所”も奴に気付かれたかもしれん」
「お、俺のせいだってのか!? お前だって、俺の忍び足作戦に反対しなかったじゃねーか!」
少年の反論に、男の方はグワッと目を剥いた。顔を走る生々しい切り傷と相まって、その迫力たるや息を飲むほどのものがある。
「俺の忠告も聞かず勝手に突っ走ったのはどこのどいつだ! さらに言えば、命懸けの逃避行の最中にそんな幼稚な作戦名を思いつく貴様の精神も理解できない!」
――いらいらガミガミ。
住民たちを助け出すことに尽力した二人はしかし、互いにいがみ合って低俗な口論を始めた。突然の恩人たちの口喧嘩に、住民たちはただ戸惑うばかり。
そもそも敵対しているはずのこの二人が、協力して住民の救出に当たっているのにも理由があった。
時間は少し遡る。
アロンダイトの市街地に突如として出現した石像が、街に対して無差別攻撃を始めたのが今から二日前。
地下通路の出口を発見し、アロンダイト郊外の農業区域に這い出たマルシルたち三名は、街中で破壊の限りを尽くす石像を目撃した。
「くっ……あの化け物、完全に暴走してやがるのか。おい工作員、市街地への攻撃も旦那の計画の一部か!?」
傷の男が、ゴーレムに険しい視線を送りながら質問する。
対して返答したのは、
「俺が知るわけないだろ!」
「餓鬼が! お前に聞いたんじゃない! おい女の方、どうなんだ!?」
「……わ、私が閣下から窺った計画の内容は、貴族街と庁舎への攻撃だけです。下町や市民区への攻撃は含まれていません……」
ヴィヴィアンが震えながら答える。
つまりこの状況は、上の意向に則ったものではないということだ。完全な想定外。予期せぬゴーレムの暴発。
しかし――
「…いいえ、単に閣下が私に計画の素性を隠していたのかもしれない。でなければ、起動装置の装着時にゴーレムの自律行動が発生することも私に伝えることができたはず。あの人は……そんな事一切話してくれなかった」
それから彼女は眼鏡の奥の瞳をいっぱいに見開いて、恐るべきことを一言口にした。
「彼の本当の目的は、アロンダイトの抹消……!?」
「なんだと…!?」「はぁ!?」
傷の男とマルシルの声が重なる。
二人は思わず顔を見合わせたが、それ以上言葉を交わすということをしなかった。先に正気に戻った男が、再びヴィヴィアンに視線を戻す。
「帝国のランスロット統治に邪魔な貴族連中を消すだけじゃなかったのか! あの男がこの国に派遣されたのも、帝国の東部王国介入を容易にするためだったろう!? 何故街全体の破壊行動に繋がる? 政権も軍事力も持たない一般市民は関係ないはずだ!」
「私は……知らないッ…!」
頭を抱えたヴィヴィアンが、力尽きたようにその場に座り込む。
「こんな事態は想定範囲外だった! 私はあの人から貴族殲滅の極秘計画の一端を聞かされて、ゴーレム起動の仕事を仰せつかっただけ。……『新しい魔道兵器が開発の途上、暴発して貴族街を攻撃』。これが、閣下の考えていた偽のシナリオだったはずなのに……」
それからが悪夢の連続だった。
見境無しに街を攻撃し始めたセイレーン像と、突然の襲撃に逃げ惑うアロンダイトの住民たち。街の大門に続く中央通りは人ごみで溢れかえり、それを狙ってゴーレムが一方的な殺戮の歌声を奏でる。予期せぬ非常事態に警備隊の出撃が遅れ、ゴーレムの活動を長時間野放しにしてしまったのも要因の一つであろう。しかし、対空中という分の悪い戦闘体勢に、アロンダイトの守備部隊が介入する余地はほとんどなかった。結局のところ彼らがゴーレムを迎撃して出した成果といえば、住民たちを逃がすための時間稼ぎ程度。小一時間も経たずにアロンダイト警備隊の戦線は崩壊し、市街区や下町のみならず、工業区や貴族街への攻撃さえ許してしまう結果となってしまった。
対抗し得る戦力はあらず。王都死守は絶望的かと思われた。
しかし――
「おい、眼鏡の姉ちゃん……ヴィヴィアンっていったか? ここの教会支部は一体どこにある?」
ただ一人、魔道士の少年だけはゴーレムとの戦いに勝算を見出しているようだった。彼の声色や表情からは、戦意の喪失はまったく感じられない。
「……教会支部? ソ、ソーサラー教の聖堂ですか?」
ヴィヴィアンの戸惑いがちの質問に、マルシルは激しく首を横に振った。
「違う! 魔道管理局だよ! この街にもあるんだろ? ソーサラー教会アロンダイト支部が!」
「あ……」
言われて、彼女はようやくこの少年が何を言わんとしているのか察した。
魔道管理局。魔道具の保管から魔道士の派遣、仕事の依頼まで、あらゆる情報が出入りする場所。無論、そんな膨大な仕事量を取り扱う施設だけに、情報の伝達は速やかに行われる必要がある。
――それを可能にする便利魔道具といえば。
「伝報水晶と転送陣! そうだわ…あそこなら、特定位置への正確な救援要請ができる…! あのゴーレムの暴走を鎮めるために、援軍を呼ぶことも不可能じゃありません」
「おい、ちょっと待て!」
声を上げて止めたのは、納得のいかない様子の傷の男だ。
「確かにその方法はありかもしれないが、その管理局とやらは街の中心地にあったはずだろう。ここから一体どうやってそこまでたどり着くつもりだ?」
マルシルたちの現在地はアロンダイト郊外の農業区。対して魔道管理局は街の城壁内の、しかも王城に近い行政区に位置している。となると当然、目的地に向かうためには街の上空に浮遊する『セイレーン』の懐をくぐることになるわけで……移動だけでもかなり危険を伴うことは間違いなかった。
だがマルシルは、そんなこと些細以外の何でもないといった様子で――
「大丈夫だって! 俺に任せろ!」
得意げな笑みを浮かべてそう言った。
実際この三名、無傷で管理局入りを果たすわけだが…その過程でゴーレムの脅威に晒され続けたのは言うまでもない。作戦と呼ぶにはあまりに粗末で、犬でも出来る単純明快な移動手段。
――つまり、ひたすらに“走った”のである。
、
それからの二日間、彼らにとって長いようで短い戦いは続いた。
魔道管理局の建つ中央行政区もゴーレムによる容赦ない攻撃を受けたが、局内に篭る魔道士たちが展開した防御結界の活躍もあって今のところ破壊は免れている。マルシルたちはその有用性を生かし、管理局を一時ゴーレムの対策本部にあてがった。
「あの不気味な石像が放つ特殊な魔力波が影響してか、転送陣の魔術構成に若干の歪みが生じています」
「と、すると…やはり転送は難しいですか?」
「……はい。我々も歯がゆいですが、こればかりはどうしようにも……。座標が不安定な状態で転送してしまうと、まったく見当違いな場所に飛ばされる危険もあります。最悪の場合、転送時の肉体粒子化に伴う身体図記憶機能が働かず、肉体が再生せずに分子レベルで消滅してしまうことも――」
アロンダイト魔道管理局局長は、転送の危険性を詳しくヴィヴィアンに語った。唯一安全な避難手段である転送陣が使用不可。その現実が如何に苦しい状況であるか、局長の深刻な表情を見れば嫌でも理解できる。
だが、そんな窮地であってもヴィヴィアンの顔に焦りの色はない。
「……仕方がありませんね。とりあえず、管理局に避難してきた住民たちにはここで待機していただきましょう。この状況、無闇に外を動き回るのは自殺行為ですから……」
危険はセイレーン像だけにとどまらず、破壊された建物の瓦礫や火の手で避難経路となる通路が寸断されている可能性がある。たとえゴーレムの魔の手から逃げ切れたとしても、塞がる道に逃げ場を失くして足止めをくらえば意味がない。
ヴィヴィアンの懸念を理解した局長は重々しく頷くと、それ以上何も言わずその場を後にした。
「…………」
「随分と余裕だな。この絶望的状況を切り抜ける策でも見出したか?」
「…っ……あなたは……!」
ヴィヴィアンは肩を震わせて後ろを振り返る。
いつからそこにいたのだろうか。局内の受付に繋がる扉の前で、黒装束の傷の男が腕を組んで壁に背を預けていた。
「ん? 驚かせてしまったか……」
「い、いえ……それよりも、住民の捜索の方はどうでしたか?」
「さっき市街区の住人たちを避難させたところだ。今、一階の応接室で“道化”の小僧が対応してる。人数は全て合わせて七人。部屋は足りるのか?」
「一度にそんなに避難を……。ええ、衣食住については今のところ問題ありません。三階の空き部屋を使えば何とかなるでしょう」
「そうか……」
「はい……」
…………。
特別意識して会話してるわけではなかったが、こう業務的な内容ばかりだと話も続かない。もっとも、この寡黙な二人が冗談をきっかけに会話を弾ませるようなことは決してあり得ないだろうが。
「な、何を黙っているのですか? 私に話があったのでしょう? さっさと用件を言ってください」
気まずい沈黙に堪えかねたヴィヴィアンが早口に申し立てる。
話を促された男の方はというと、そんな彼女の反応に軽く目を見張って首を傾げた。
「確かにあんたに聞きたいことがあって寄らせてもらったが………何をそんなに動揺している?」
「別に動揺していません! わ、私は忙しいのです。用がないならもう行きますよ?」
普段のポーカーフェイスもこの男の前では形無しだ。ヴィヴィアンは男に本音を悟られまいと、男の脇の扉を抜けてロビーに向かう。
そしてすれ違いざま――
「ガードナの“手伝い”はもう良いのか?」
「っ…!」
何の予兆もなく、ただ彼は率直に切り出した。
思わず足を止めるヴィヴィアン。男は続ける。
「あんたは元々、旦那の手足として任務をこなす忠実な帝国の工作員だ。今回起こったゴーレムの暴走は想定外だとはいえ、結果的に旦那の目的達成には貢献したことになる。それが完全か不完全かはさておき、あんたの役目は終わったも同然。もうこれ以上、“この国”のためにしてやれることなんてないんじゃないか?」
「…………」
「言いつけを守る飼い犬は主人の元へ帰るのが礼儀だ。いつまでもこんな場所に留まる道理はあんたにはない。それとも、主への忠誠よりももっと大事な理由があるとでも?」
事実上ランスロット王国を滅ぼした帝国の諜報員が、ランスロット人を手助けするのは矛盾していると、男は遠まわしにヴィヴィアン皮肉っていた。
ガードナが本当に王都を滅ぼすのが目的であるなら、ヴィヴィアンが今やっていることは完全に主の意に反している。それが帝国の思惑かガードナの独断かは別として、長年信頼していた上官をこうもあっさり裏切れるものなのか。
「私は……」
沈黙を保っていたヴィヴィアンが口を開く。
やはり本心を話すのは躊躇われるのか、彼女の声は微かに震えていた。
「……私は、閣下の配下であると同時に、帝国に仕える一諜報員です。あのお方が犯す過ちの抑止力となるのも、私の役目ですから」
「ほう……」
「そして、王都の破壊工作は帝国参謀本部の意向に沿うものではありませんでした。これ以上、ガードナ様のお傍にお仕えする意味はないのです…」
「……理由はわかった。つまりあんたは、旦那を裏切ってアロンダイト市民の味方をすると、そういうことだな?」
ヴィヴィアンは肯定しない。
ただ、顔を俯かせてぽつりと言葉を零した。
「私は…薄情者なのでしょうか……?」
「さあな……俺はあんたじゃないからわからんさ」
――だが、と男は言葉を繋げ、
「人の意思に絶対なんて存在しない。あの男を“裏切る”ことがあんたにとって必要だと感じたなら、それも正解の一つなんだろう」
「…………」
沈黙するヴィヴィアン。
決意したはずなのに、心のどこかで未だ迷っている自分がいることに戸惑いを感じた。仕事上とはいえ、ガードナとは長年の付き合いだ。諜報活動の上で彼に教わったことは数知れず、恩師でもある上司をあっさり裏切ってしまう薄情さに罪悪感を抱いてしまう。
それでも、やはり彼の犯した失態を許せるほどの理由にはならない。
“表舞台”は自分たちの領分じゃない。その真実を彼に思い出してもらうためにも、彼女は主の元へ向かうつもりでいた。
「……あなたこそ、閣下のお傍にいなくてもよいのですか? 地下墓地監視依頼の報告、まだ完了していないのでしょう?」
「気が変わった。もし旦那が帝国との縁を完全に切っていた場合、帝国参謀省から正式な依頼を受けている俺は旦那との契約関係から外れてしまう。依頼の話を持ち出してシラを切られてもしたら、今までの仕事分の報酬がチャラになりかねないからな。より確実で真っ当なあんたから報酬を貰った方が、後々も安泰そうだ」
「はぁ…あなたから安泰なんて言葉が出てくるとは思いませんでした。暗殺の仕事を請け負っている以上、相応の厄介事は日常茶飯事とお見受けしましたが……」
ヴィヴィアンの軽い冗談に、傷の男は自虐的な笑みを浮かべた。
「この状況に比べれば何倍もマシだ。まさかこの俺が、人を救う側に回るとは思ってもいなかったぞ」
さっきの住民の避難もそうだが、ここしばらく人を助ける仕事ばかりで調子が狂う。本来ならば命を奪う側の人間であるのに、あの少年と共に行動するだけでそれすらどうでもよくなってくるのだ。
思えば初めて出会った時から変わった人物だった気がする。諜報の魔道士とは到底思えない真っ直ぐな性格。愚直にも程がある大胆不敵な行動力は勇敢な戦士のそれだ。後衛専門の魔道士にできることではない。
(あの小僧…本当に魔道士なのだろうか?)
年相応といえど、魔道士らしい上品さの欠片もない粗暴な言動や態度。見ず知らずの他人にあっさり正体をばらす無警戒さなどは、諜報担当の魔道士と正反対のように思える。
最初は自分の身分を偽るための虚言かと勘ぐったが、石像の正体を見破る観察眼と魔道学の知識を披露されては認めるしかあるまい。そもそも、公式な建築記録のない王都直下の地下通路に入り込んでいる時点で、情報収集や隠密行動にも手馴れている気がする。
「そういえば、あなたのお名前を聞きそびれていましたね」
唐突に、この時になって、黙していたヴィヴィアンが至って真面目な質問を男に投げかけた。
好奇心に満ちる彼女の知的な双眸が、男の胡乱げな目を捉える。
「差し支えなければ教えていただけませんか? 仕事上仕方がなかったとはいえ、あなたには地下迷宮で何度も助けられましたし…。恩人の名前くらい、知っておいても罰は当たらないでしょう?」
確かに罰は当たらないだろうが、暗殺を生業とする隠者が契約者以外に名を名乗るというのもどうかと思う。いや、暗殺者に限らず、裏の仕事に携わる者は皆保身のために自分のことを必要以上語りたがらない。名乗ったとしてもせいぜいその場限りの偽名か、はたまた依頼者のことを甚く気に入って口を滑らせる馬鹿者くらいだろう。
そしてこの不機嫌面の男は、どちらかというと後者に近かった。
「そうだな。事が全て片付いてあんたが生きていれば、教えてやらんでもない」
=======【キリヤ視点】=======
「……信じたくはなかったけど、まさか本当に古代の兵器が甦っているなんて……。災厄の自動人形ゴーレム……失われた技術の結晶を拝めるなんて嬉しい限りだけど、街があの様子じゃ素直に喜べないわね」
草むらに隠れ、望遠鏡を覗いていたお嬢はふぅと短いため息を零した。
すでに日没を迎え、周囲は暗闇一色だ。
時刻は大体午後の七時を回ったくらいだろうか。陽が完全に沈んだ草原は暗く、足場を確認して歩くのも一苦労だ。月明かりだけでは心もとない。松明の灯りが欲しいところだが、敵に見つかる可能性がある現状、それも憚られる。
何せ前方500m先には、火災で赤々と浮かび上がるアロンダイトの街と、その上空を人型の石像が飛び回っているのだ。ピロに急かされるがまま望遠鏡を覗いた時は本当に心臓が飛び出すかと思った。まさに化け物だ。街ひとつが壊滅してしまうというのも納得できる。
「しかしあんなに暴れられては、こちらも住民の救助に専念できませんね。せめて動きだけでも封じることができるとよいのですが……」
セレス嬢とは逆方向。俺の右隣でアレンさんが頭を抱える。
それに対し、お嬢も固い表情を浮かべて首を振った。
「難しいわね。少し前にゴーレム関連の古書を読む機会があって知ったんだけど、ゴーレムの外殻ってなかなか壊れないように特殊な合金で作られているらしいの。ほら、要塞に仕掛けてある結界魔術あるでしょ? アレと同じ効果の魔術が、ゴーレムの装甲を覆ってるのよ」
「ええっと…それってつまり……」
「魔術攻撃は全部跳ね返されるでしょうね。“魔力衝撃零還元”っていう特殊な法則があって……まぁこの話は長くなるから置いといて――要するに物理的な接近攻撃でも挑まない限り、あの石質の皮に傷一つ付けられないってこと」
む、無謀過ぎる……あんな奴相手に生身の人間がどう太刀打ちできると?
対ゴーレム戦の主力になり得る攻撃手段が一つ消滅し、アレンさんを取り巻く負のオーラが一層濃くなる。
というか、こんなところで落ち込んでる場合じゃない。何とか策を講じてあのゴーレムを封じなければ、生存している住民たちがさらに危険にさらされてしまうではないか。
俺はいてもたってもいられなくなった。身を潜めていた草むらから起き上がり、街の方に向かって歩き始める。
――と、
「単独行動なんてさせないわよ」
真っ先に気付いたお嬢が、動き出した俺の腕をがっしり掴んで引き止める。
どうやら魔獣の襲撃事件以降、彼女の護衛精神に火を注いでしまったらしい。雰囲気からもわかるのだが、お嬢の表情からは「今度こそ逃がさない」という決意がにじみ出ていた。
「また一人で何とかしようとしたでしょ? アルテミスさんも言っていたけれど、勇気と無謀は別物なんだからね?」
「モンダイナイ……ウデヲハナシテクレ」
「ますます離せないわよ! 何よその片言口調は!?」
他の人たちに聞かれないように声は潜めてはいるが、さすがにこんなに密着されては余計な誤解を招きかねない。事実、近くの草むらに身を隠していたヴァレンシアの兵士数名が、俺たちの方に視線を寄越してこそこそと話し始めた。ああもう!
「なぁ……前から思ってたんだけど、あのお二人って――」
「ん? ああ、キリヤ殿下とデルクレイル様か…。うむ、主従関係にされては妙に仲が良いと思う」
「そういえば、食事をする時も一緒のテントだったな……。王子殿下の護衛というのもあるだろうが、やはり腑に落ちぬ」
「やっぱりデキてるんですかね~」
「こ、こら! 口を慎まんか! お二方に聞こえたらどうする!?」
――普通に聞こえてるんですけど! お嬢はともかく、身体能力が並外れた俺の耳にはばっちり聞こえてるのだけれど!?
「ちょっと聞いてるのキリヤ君!」
兵士たちを気にするあまり、お嬢から視線を外したのが仇になった。
彼女はあらぬ方向を向いた俺の頬を両手で挟み、ぐいっと自分の顔の方に引き寄せたのである。一瞬にして、俺の視界が内緒話の兵士から怒り顔のセレス嬢へ場面転換。ば、馬鹿よせッ!
「「「おおおおおお~!!」」」
兵士たちの間で上がる感嘆の声。
しかしその音量も、草原の無慈悲な風に流されセレス嬢の耳には届かない。
「闇夜の中とはいえ、なんと大胆な……」
「こ、これは……もしかしなくてもアレなんじゃ……!」
「おい! 隊長たちはこのこと知っているのか!?」
「王子と宮廷魔道士の禁断の愛……よし、凱旋したら詩を一編綴ってみよう」
「一体どんな話をしているのだろうか……他人の恋路に首を突っ込むべきでないのは理解できるが…ううむ、凄く気になるぞ」
「や、やっぱり、『大好き…』とか、『愛してる…』なんて、言ってたりするんでしょうか…!」
「いや、状況的にその言葉は不自然だろう。もっと悲哀に満ちた愛を語り合っているのではないか?」
「『これが最後になるかもしれないから…』と、口付けを交わしたり?」
「そいつは悲恋だなぁ……俺はここで死ぬつもりないけど」
「けどセレス様の身長じゃ、背伸びしても殿下の唇まで届かないだろ」
「――あくまで沈黙を通すつもりね……わかったわ。そういうことなら、あたしもキリヤ君についていく。あなたの邪魔にならないよう、あたしも精一杯援護させてもらうから。それなら文句ないわよね?」
「……もう勝手にしてくれ」
噂や誤解というのは、こうして誇大、装飾されながら嘘偽りだらけの情報を広めていくんだな…。
作戦の最終確認を終えると、俺たちは馬に乗り込み出発の合図を待った。
最優先の目的は、アロンダイト市民の捜索とその保護。グィアヴィアやイグレーンに比べて小さな街とはいえ、一国の首都であるだけに捜索範囲は広い。手分けするために、ダリスさん率いる別働隊四〇〇が街の北門から潜入することになった。
「生存者の多くは、ゴーレム襲撃直後に街の外への避難を完了しているとのことです。私達の任務は街に取り残された住民の救出なので、それほど大所帯にはならないと思います」
アレンさんはこう言うが、裏を返せば“それだけしか残っていない”ということだ。こんな無茶苦茶に破壊されてはそれも仕方ないと思うが、やはり無念に感じる。
――村の襲撃といい、どうして無関係な人たちがこんなに巻き込まれなければいけないのか。
村の唯一の生存者であった少女は現在、オランド隊長を除くランスロット兵士たちによって保護されている。軍医曰く、目立った外傷もなく命に別状はないとのことだが、精神に極度のダメージを負っているらしく未だ昏睡状態で目覚める気配がない。
少女の精神を蝕む原因など言わずもがな。あんな残虐事件に巻き込まれて正気でいられる方がおかしい。
――グルセイル帝国の傭兵……そいつらが、あの子の村を……。
虐殺事件の犯人を調べるため、俺は魔術を使って生き残りの少女の記憶を引き出すことにした。『創造』によって生まれる魔術とはまた別、『改変・抹消・映像投影』を行い人の記憶を垣間見る俺のもうひとつの能力。
デュルパンの王城では、この魔術を用いてアル姐さんとの『強姦疑惑』を見事白紙に戻すことができた。ただプライバシーの侵害というデメリットもあり、できれば二度と使いたくなかったのも事実。しかし、村人を皆殺しにした連中のことを考えるとそんな気も失せてしまった。
なるべく少女の私情を覗かないように、つい最近の出来事の記憶だけを投影していく。やがて現れたのは、悲鳴を上げて逃げ惑う人たちとそれを追いかける武装した男たちだった。
統一性のない武具で身を固めていたのでてっきり盗賊団かと思ったが、一緒に見ていたピロはそれを即座に否定した。
《……いえ、この連中は盗賊なんかじゃありません。隊長格らしき人物の号令とその下っ端の連携的な行動は軍隊のそれです。しかも武器や防具の種類はどれも一級品。特にあの魔道銃――》
空中に投影された映像が一時停止され、一人の男にズームアップする。土手に逃げる村人に向かって残忍な笑みを浮かべるそいつは、両手に小銃を抱えていた。
《グリップの側面に短剣を咥えた狼の紋章が見えるでしょう? これが示す組織の正体など一つしかありません。鋼鉄製の魔道銃……それも国営兵器工場のみで量産されているグルセイル帝国の銃器です…》
――氷と鉄の生まれる国、グルセイル帝国。
この世界に飛ばされた時だろうか、俺は賢者から四つの国の名前を聞いた。そのうちの一つが、グルセイル帝国という名称だったはず。
――その国の連中が、あの村を襲ったのか……?
《確証はありませんが、そう考えるのが妥当でしょうね。何せ帝国製の兵器は全て国が厳重に管理していますから……無論、兵器メーカーの流通は帝国領内だけに留まっていますし、大規模な密輸でも起きなければ、経済的余裕のない小国に流出するなんて事態はまずあり得ませんよ》
つまり、帝国から手に入れた武器を使ってランスロット人の盗賊が虐殺を働いた可能性はないということだ。
これは完全な外部介入。俺たちヴァレンシアとは別に、グルセイル帝国もランスロットに干渉しているというのか。
《昨日今日始まった介入とは思えませんがね。武力に頼った正々堂々の戦争より、内部工作による人的崩壊を好む帝国の考えることです。恐らく年単位で、随分前からランスロット王国を攻略対象に見定めていたのでしょう。……とすると、アロンダイトを襲う石像も、帝国の仕業である可能性が高いですね》
――なっ! マジか!?
《十年前の宰相の変死と、軍国主義への急な転換。さらにはヴァレンシア東部事変の勃発と、数日前のリディア王国侵攻。奪還した東部領土の住民の消失。そして…自滅ともいうべき王都アロンダイトの壊滅。この不可解な事件の連続、単なる偶然にしては出来すぎていると思いませんか?》
――……それ全部、帝国が裏で糸を引いていると?
《帝国かどうかは別として、そう仕向けた首謀者がいるんでしょう。まぁ……ここ最近のランスロットは世間が不審に思うくらい突飛なことをしてましたから、このくらいの想定はヴァレンシア上層部も気付いているかと》
気をつけてください、とピロは付け足した。
《北の大国が出張ってきている以上、此度の救援作戦も一筋縄ではいきませんよ。村を襲った武装集団、恰好からして帝国の正規兵ではなさそうですから、恐らく傭兵なのだと思います。もし帝国軍本隊が介入していたら、傭兵団が遊撃隊として手配された可能性が高い。こちらが救助活動に専念している間に、連中の奇襲を受けたらひとたまりもありません》
「……それでは作戦通りに……。殿下、行きましょう」
馬に飛び乗ったアレンさんが、同じく馬上にいる俺に出発を促す。
俺の護衛という名目で、セレス嬢が後ろに相乗りしていた。お嬢も緊張しているのか、俺の腰を掴む彼女の両手が若干震えているのがローブ越しに伝わってくる。
アレンさんと馬を並べる後方には、総勢四百名に及ぶ騎兵隊たち。数多くの修羅場をくぐってきた彼らには、ゴーレムという未知の相手も大したことないのだろうか。皆勇ましく背を伸ばして、進軍の時を今かいまかと待ちわびていそうな雰囲気が感じられた。
「まずはゴーレムの排除……。大丈夫、あたしたちならやれる。天才と伝説を舐めんじゃないわよ…!」
お嬢の精一杯の強がりに、思わず頬が緩む。
しかしそれも一瞬で、すぐに顔を引き締めると遥か前方の街を睨みすえた。
「キムナー中佐。発進の合図を…」
五十四話 了
二話同時投稿にしようかと思ったのですが、待たせ過ぎるのも申し訳ないので前編のみの投稿です。ご容赦くださいw