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異界の古代魔道士  作者: 焔場秀
第二章 東国動乱
57/73

第五十二話 平原の王国 ランスロット

 ※注意※R―15


 今話冒頭より過激な暴力描写、流血シーン等残酷な表現がございます。

 気分を害された場合の責任は負いかねますので、苦手な方は閲覧の方ご遠慮くださいませ。

 

  貧しいながらも、それなりに平和で幸せな生活を営んでいたはずだった。

 しかし――


「と、盗賊だぁぁああ!」

 静かな村に轟いた一発の銃声が、彼女の安寧な幸福を粉々に打ち砕いた。

 叫び声を上げたのは農夫のジャナメ。すでに初老を迎える男であるが、手先の器用さは村一番と評判の快闊な老人である。今日は畑仕事の合間に村の外れの櫓を修理すると言って朝早くから家を出ており、その日の夕刻、北の森の中に蠢く人の群れを発見した。

 目を凝らし見てみると、皆鎧や剣で武装し、村の方へ徐々に迫りつつあるのがわかる。ランスロット兵士ではない。その統率のない武具で身を固める戦士たちが、軍の兵舎さえないこの村を目指す理由など、考え得る可能性として一つしかなかった。

「盗賊だぞッ! 皆逃げろぉーー!」

 正体を確認するまでもない。

 長年の経験から培った勘を頼りに、村に向かってありったけの大声で叫ぶ。

 返ってきた反応はそれぞれだった。農民たちはすきや鎌を下ろして櫓を見上げ、村の広場で遊んでいた子供たちはびくっと肩を震わせて足を止める。

 村民たちが目前の危機を理解して、行動に移るまで一体どれほどの時間がかかるのだろう。ジャナメは焦った。こうなったら、自ら村を走り回って避難を呼びかけるしかないと。

 しかし、彼が櫓から下りようと梯子に手をかけたその時――


 ズガァン!


 ――はて、盗賊のような身分の卑しい連中が、魔道銃のような高価な武器を持っているものだろうか。

 魔力が凝縮された銃弾は、ジャナメの背中から心臓を真っ直ぐに貫通していた。息が止まり、絶叫が喉元で引っかかる。意識が闇に落ちる寸前ジャナメが見たものは、北の街道から村に侵入する武装集団の全貌であった。

 

 

「いいか野郎ども! こいつは戦争だ! 躊躇は許さん! 奪え、燃やせ、犯せ、殺せッ!」

 それは、聞いた事のない男の大声だった。

 瞬間、地面を震わす雄叫びの返事と共に耳をつんざく発砲音が連続で木霊こだまする。

 遅れて聞こえてきたのは村人たちの非力な悲鳴。ただ事じゃないことは、十四歳の少女ラナにも十分に理解できた。

「……っ!」

 嫌な予感がラナの脳裏を掠める。

 迷いは一瞬だけ。彼女はハーブを一杯に摘んだ竹籠バスケットを放り出し、裏山の急な下り坂を一気に駆け下りた。

「父さん! 母さん! 兄さん…!」

 十年近く、慣れ親しんだ山道のはずなのに、何かがおかしい。

 なんなのだこの悲鳴は。さっきの男の怒鳴り声は!? 村は一体どうなっている!?

 知らない。こんなの知らない。いつもの世界じゃない……!

 麓まで走って下ったラナは、息が整うのも待たず小川の石垣に身を隠して村の様子を窺った。

 今の時間帯なら、村の広場でジャンやフーたちが元気に走り回っているはず。六人兄妹のケラス宅では食事の支度に忙しくて、家の煙突から夕餉ゆうげの煙がもくもくと空に上っていることだろう。西のはずれに住むラーギー老夫婦は最近王都のアロンダイトから越してきた新しい村人だけど、他人のラナにも優しくしてくれる親切な人たちである。夕方になると…そう、庭の小さな畑を一緒に耕しているはずなのだが……。

 ――村を見回したラナは凍りついた。

「な、何で……こんな……あぁ……」

 それはあまりにも、現実に乏しい光景だった。

 現実と認めるには、あまりにも残酷過ぎる実態……。


 ――倒れる人(ぴくりとも動かない…)流れ出る大量の鮮血(振り切った刃物が肉体を抉り…)燃え盛る家(放たれた銃弾が納屋の藁に引火する…)。

 

 自分は悪い悪夢でも見ているのだろうか。

 視線の先で繰り広げられる凄惨な暴力と殺戮の嵐。心臓が早鐘のように激しく鼓動を刻み、足は恐怖に竦んでぴくりとも動かない。

 裏山に薬草を摘みに行っている間に、村は一変していた。

 広場は余す所なく血に染まり、通りは倒れて動かない村人たちと武器を片手に暴れ回る男の集団が群がっている。 

 自宅に立て篭って狂気の魔の手から逃げようとする人もいるが、武装した男たちは苦でもない。扉を蹴り飛ばして家に侵入すると、家族ともども引っ張り出して地面に組み伏せる。

「い、いやぁ離してぇ! お父さぁん!」

「や、やめろ! 娘に手を出すなッ!」

 そしてまた新たに二人、父と娘の親子が男たちに捕らえられる。

 遠目だが……あの二人は見覚えがあった。あれは……あの少女は――

「リンダ! ああ、そんな……どうして!」

 リンダはラナの幼馴染だ。

 昔から身体が弱くて、外で一緒に遊ぶことはあまりなかったが、それでもラナのかけがえのない親友だった。

 その大切な友達が、怖い大人たちによって押さえつけられている。今すぐ駆けつけて助けてやりたかった。でも、身体が動かない。まるで地面と一体化したように、足がまったく動かなかった。

「頼む! む、娘だけ…――……ッ! ――大切な……――だ!」 

 リンダの父が男の足にしがみ付いて必死に何かを懇願している。

 だが男たちはまったく聞く耳を持たず、細身の父親を足で蹴り上げた。

「お父さんっ!」            

 リンダの絶叫が響く。

 男たちはそれを面白がるように眺め、さらに地面に横たわるリンダの父を足蹴りにした。

 何度も。何度も。何度も。何度も――

 悲鳴も出せずまったく動かなくなっても、硬いブーツのつま先を身体にめり込ませておもちゃのように蹴り続ける。

 泣き叫ぶリンダの様子を満足そうに見つめながら、何度も……何度も……。

「お願い…誰か助けて……。リンダたちを……誰か……」 

 ラナは手を合わせて必死に願った。

 しかし、神は一向に助けてくれない。それどころか、村に響く悲鳴はさらにも増して大きくなっていく。

 父親をいたぶることに飽きたのか、男たちは次にリンダを標的にした。

 ラナがああっと悲鳴を上げる間もなく、リンダが地面に押し倒される。男たちの手によって彼女の身ぐるみが剥ぎ取られた時には、ラナはすでに目をそらしていた。

 これは見てはいけないものなんだと、本能が警報を鳴らす。震える足に力を入れて立ち上がり、ラナは小川に沿って村の丘目掛けて走り出した。

「いやああああああああ!!」

 大粒の涙が瞳から零れ、ラナの頬を濡らす。

 彼女の思考を支配するのは、友を裏切った罪悪感と男たちへの怒り。そして、家族の安否を想う不安だけだった。

 足が速い兄なら男たちから逃げ切れるかもしれない。でも、足の悪い父や運動が苦手な母であれば、それも困難になる。

 排水用の川を越え、村を囲う柵をくぐって東の通りに出れば自宅はすぐそこだ。途中、逃げ惑う家畜に跳ね飛ばされそうになったが、村や家族の危機を考えると恐くも何ともなかった。いや、むしろ家族のことで頭がいっぱいで、思考が追いつかなかったというべきか。


「母さん!」

 家の戸口を開け放ち、母を呼ぶ。

 しかし応答がない。もしや男たちに連れ去られてしまったのか。それにしては、家が荒らされた形跡はなかった。

「父さん! 兄さん! 誰もいないの!?」  

 すでに逃げ出した後なのだろうか。しかし、一体どこへ…!?

 

 ズダダン!


 続けざまに放たれた銃声が、再び村に鳴り響く。

 村の広場を振り返るが、涙と煙で視界が霞んでよくわからなかった。ただ怒号と悲鳴が聞こえるだけ。それが逆に、ラナの焦りと不安を募らせる。

 いずれここにも悪漢たちがやってくるだろう。そうなってはお終いだ。

 しかし、ラナは逃げなかった。頭が逃げろと警告を発しているのに、四肢がその場を動くことを躊躇っている。

 全身から力が抜け、思わず座り込んだ時――。

「ラナ……?」

 背後から不意に名を呼ばれ、ラナは飛び上がった。

 慌てて視線を彷徨わせると、声の主と思わしき人影が家の戸口の前で佇んでいる。夕焼けの逆光で容姿ははっきりしないが、その輪郭や声からラナには正体がわかった。

「にい…さん……?」

 間違いない、兄のホーマだ。彼はまだ無事だったのだ。

 極度の安心のあまり、ラナの表情がみるみる内に緩んでいく。胸に溜め込んだ恐怖や不安を一気に吐き出さんと、嗚咽と共に涙が頬を伝った。

「よ、良か……にい、さ……ぐすっ……無事で――」

「どうして戻って来たんだッ!」

 しかしラナの心配を他所に、兄のホーマは怒鳴り声を上げた。

「裏山からでも、村の騒ぎは察しがついただろう。何故危険を冒してまで戻ってきた!?」

「ふぇ…!? だ、だってあたし、みんなが心配で……!」

 予想だにしない兄の怒りに、肩を震わせて小さくなるラナ。

 それは最愛の妹を想うが故の叱咤であったが、混乱状態の少女が許容できる説教ではなかった。だが悪いことをしたのだということは何となく理解できた。

 ラナは謝ろうと口を開き、兄を見上げる。ただ不幸にも、彼女の謝罪が兄に届くことはなかった。

「何処だ! 何処にいやがるッ! あの糞餓鬼がッ……八つ裂きにしてやる!」

 男の荒々しい罵倒が、辺りに響き渡る。

 そう遠くない。すぐ近くを走っているのか、土の地面を踏みしめる音が聞こえた。

「に、兄さん! 今の声ッ!」

 恐怖のあまり、ラナが兄の腕にしがみ付く。ホーマもそんな怯える妹を護るように震える肩を抱いた。

「くそっ、もうここまで……ラナ、こっちへ!」

「えっ……」

 応答も待たず、兄はラナの手を掴んで家の戸口を飛び出した。

 喚き声がする方向とは逆方面に。ホーマは庭の桟を蹴り倒すと、そのまま街道のない森へ向かって走り出した。

「早く探し出して殺せッ! 俺たちの仲間を殺った仇だ、楽な死に方はさせねぇぞ!」

「農奴の分際が……なめやがってッ!」

 物騒な叫び声は、とどまることなく村中を駆け巡る。

 事情を知らないラナは、男たちの怒号にただただ身を竦ませるだけだ。彼女は血相を変えた兄に手を引かれるまま、木々の中に身を投げる。   

「ま、待ってよ兄さん! この森は危険だわ! 大きな魔獣が出るって、父さんが――」

「今はそんなこと言っている場合じゃない! 奴らに見つかったら殺されるんだぞ!?」

「……っ!」

 殺される――。

 その言葉の意味は嫌でも理解できる。

 石垣から見渡した村の惨状。あれは夢でも魔術の幻影でもない。正真正銘、人が殺される現場だった。 顔見知りが多く倒れている姿を思い出し、ラナの心が急速に重くなる。

 これから村はどうなってしまうのか。親友のリンダは生きているだろうか。それに家族は――    

「ねぇ兄さん! 父さんと母さんは!?」

 ――そうだ。まだ両親の無事をこの目で確かめていない。この時間帯、母は自宅で家事をしているのに家に帰っても姿はなかった。

 代わりに兄が――焦燥を浮かべるホーマだけが家に帰ってきた。

 それによく見ると、ラナの手を繋ぐ方とは反対の手に血まみれの鉈が握られている。木こりである兄がいつも愛用している農具だ。木屑で汚れるならともかく、大量の血が付着するとはどういうことか。

「答えて兄さん! 父さんと母さんは何処!? その鉈……どうして――」

「…………」

 兄は答えない。

 ただ妹の手を強く握り締め、日暮れの森を駆け抜ける。

 どこか目的があって走っているのか、兄の足取りに迷いはなかった。もしかして隣町を目指しているのだろうか。あそこなら、軍の兵舎があるから助けを求めることも可能だ。しかし隣町と言っても往復で一日以上かかる。今からだと遅すぎるのでは……。

「あった! あれだ……!」

 突然、それまで無口だったホーマが声を上げた。

 彼が指差す方に視線を向けると、そこには一際大きい大木が一本。見たところ普通の広葉樹のようだが、これが一体――

「兄さんが子供の頃に遊んでいた秘密基地だよ。確かここに……よし、まだ残ってる……!」

「……何をしているの? 早く逃げないと捕まっちゃうわ」

「逃げ切れないよ、連中からは……。だから、ここに隠れてやり過ごすんだ。さあラナ、この中に」  

 ホーマは妹の手を取ると、木の根元に身体を押し付けた。

「きゃ…!」

 突然の事に悲鳴が漏れる。

 幹に叩きつけられたわけではなく、少女の身体はその下の洞に押し込められていた。茂る雑草のせいで気付かなかったが、子供一人が入り込める余地はある。

 ラナの両肩を掴んだホーマが、真剣な顔で少女の怯える瞳を見つめた。

「いいかい、ラナ。落ち着いてよく聞くんだ。村を襲ったのは盗賊なんかじゃない、傭兵だ」

「え……?」

 ――傭兵。

 軍隊の事に疎いラナでも、聞いたことはある。

 国や組織にお金で雇われて、戦争に参加する戦士。村を酷い目に遭わせた男たちは、その一味であるというのか。

「金目目的で略奪をする賊とはわけが違う。これが侵略戦争なら、奴らは正体を知られるのを恐れて徹底的に証拠を消しにかかるはずだ。同じ村人である僕たちも例外じゃない。…兄さんの言っている意味、わかるな?」

 遠くで木霊する悲鳴を聞きながら、ラナは涙で濡れた顔でこくこくと何度も頷いた。

 ――見つかると殺される。ならば、隠れるしかない。

 素直になったラナに、ようやく兄は笑顔を見せてくれた。見慣れた優しそうな微笑み、けれど悲しみを帯びた面影は新鮮だった。

「強い子だ。それでこそ僕の妹、父さんと母さんも鼻が高いよ……!」

「兄さん……?」

 涙声の兄に、ラナは首を傾げる。

 ホーマは鼻を啜ると、その場でゆっくりと立ち上がった。

「それじゃ、兄さんはもう行くよ。村の人たちを助けないと……もちろん、父さんと母さんもね」

 まるで薪割りの仕事に出かけるような軽い口調に、ラナは呆然と兄を見上げる。

 ――この時、自分がもっと冷静でいれば、兄を引き止めることができたかもしれない。数十人の屈強な男たち相手に、木こり一人がどう太刀打ちできるというのか。

 兄は死ぬつもりだったのだ。すでに果てていた両親や村人たちの仇を取るために、たった一人死地へ戻ろうとしていた。

「ラナ、自分に負けちゃ駄目だ。たとえこの先何があろうとも、現実から目を背けてはいけない。無責任かもしれないが……ラナの見るありのままを受け止めてほしい」

「はい、兄さん」

 ――行っては駄目。お願い、行かないで。

「兄さんとの約束だよ?」

「うん、約束……!」

 ――ずっと一緒にいて。あたしを独りにしないで。

 兄は笑っていた。だから、自分も精一杯笑った。

 いつか帰ってきてくれると信じて…ただ一人、寒い木の洞に身を横たえたまま。



             =======【キリヤ視点】=======


 砦を占拠してから一日が経過した。

 この地域は温暖な気候に恵まれているとはいえ、山頂の朝はさすがに肌寒い。魔術で身体を暖めようかと考えたが、思い直してやめた。過って火だるまになったら洒落にならん。

「では、殿下。くれぐれもお気をつけて……!」

 砦の正門前にまで見送りにやってきたファーボルグ将軍は、力強く頷いて俺に頭を下げた。建前だけで言っているのではない。俺の身を案じて忠告してくれているということを、彼の声音から十分に知ることができる。

「ありがとう、将軍……」

 俺が礼を言うと、将軍は窮屈そうに俯いた。

「できることなら、殿下には本隊に残っていただきたいのです。殿下にもしものことがあったら、私は陛下に合わせる顔がございませぬ……」

 ……本格的に気に病んでいるようだ。

 一体どんな慰めをかけようかと言葉を探す。しかし、何も思い浮かばなくて声が出ない。

 隣から少女の元気な声がかかったのはその時だった。

「大丈夫ですよ、将軍」

 俺の前に出たセレス嬢が、はるか頭上の将軍を見上げる。

「あたし――私が命にかえても殿下をお守りしますから。誰も、キリヤ様には指一本触れさせません」

「デルクレイル殿……よろしくお頼み申す。それと、キムナー中佐」

「は!」

「部下への指示で何かと忙しいと思うが、殿下の事…くれぐれも頼んだぞ」

「お任せください! 全力を尽くします!」

 ふむ……こんなにも心強い守護者たちがいるのだから、不祥事を除いて俺の身が危険に晒される事態にはならないだろう。それに、是が非でも堅気に俺を護ろうとする近衛騎士たちもいるわけだし……。

 こっそり背後の騎士に目をやると、彼らは全身甲冑の完全武装で物言わず直立していた。俺の身を護る覚悟は言わずもがな、将軍でさえ騎士たちに言葉をかけるのを躊躇うその堂々とした姿勢。さて、俺が絶体絶命になった時、彼らはどんな武勇を発揮するというのか。そのデカイ体躯が見せかけでないことを切なに祈る。

「では、殿下。そろそろ出発しましょう」

「ああ……」

 アレンさんに促され、俺は砦に背中を向けた。

 丘の麓。俺の眼下に広がる丘陵には、すでに進軍準備を整えた騎兵隊が静かに待っている。さすがアレンさん直属の部下たちというべきか。騎士でもないのに威厳に満ちた雰囲気が感じられた。

 俺たちも馬に飛び乗り、出発の合図を待つ。

 そして――

「先発隊! 出発!」

 アレンさんの号令と共に、総勢八五〇の騎兵隊は進軍を開始した。


 砦に前線からの輜重部隊が到着したのは今日の未明。

 補給の監督官を任せられていたダリスさんによると、大体一個中隊規模の荷馬車群が砦内の中庭に集合したという。兵士たちで手分けして荷運びを大急ぎで進め、全ての補給が完了したのが午前六時ごろ。この世界の時間単位でいうと、一ノ鐘が鳴る時間帯であるらしい。ピロがなんとなく言っていたから、多分そうなんだろう。

 とりあえず、兵糧不足で軍が機能しない事態を回避することはできた。後は目的地であるランスロットの王都に進軍し、救援活動を開始するだけだったが……この時、ヴァレンシアの軍務大臣から作戦急務の伝令が届いたのがきっかけで急遽予定を変更したのである。 

 というのも、現在ランスロットの王都では潜入捜査中のヴァレンシア諜報員がいて、被害の状況をリアルタイムでヴァレンシア本国に報告していたようだ。王都壊滅の報が速やかにヴァレンシアに伝わったのも、その諜報員のお陰らしい。

 しかしながら――

「ファーナグ大臣から一報です。最前線の諜報員と通信が断絶し、情報の収集が不可能になったと」

 唯一の頼みから応答が途絶えしまい、状況がまったく掴めなくなった。

 アロンダイトの現状を重く見たアレクは、俺たち救援軍に急ぎアロンダイトへ向かえと指示を出してきたわけだ。しかし、この一万の大軍が揃ってランスロットの首都を目指せば、一体どれほどの時間が掛かるかわかったものじゃない。

 ということでファーボルグ将軍含む隊の指揮官たちは、短時間の軍議の末先発隊を送ることを決意。軍隊の中で一番機動力の高い騎兵隊から八百名を選抜して戦闘部隊に加え、負傷した住民の治療を専門とする神聖祈祷師セイクリッドヒーラーや軍医を含む支援部隊五十名が先発隊に選ばれた。

 隊長は俺だが、指揮はアレンさんが取る。最初に断わっておくが、この階級は俺が決めたことじゃない。俺も支援部隊の人たちと同じように後方援護の魔道士的な立ち位置を望んだのだが、将軍が頑なに拒んだので実現しなかった。曰く、「ヴァレンシア王家であろうお方が、一介の魔道士に収まるなど言語道断!」であるらしい……。

 お飾りな隊長を務めるよりよっぽど有意義な立場だと思うんだがな……。あの厳つい顔で否定されたら断わるものも上手くいかない。内向型人間の決定的な弱点だ、いつか治そう。いつか。

 まあ無駄話はさて置き、この先発隊に同行するきっかけになったのは無論俺の志願だ。他の人たちは止めたが、これだけは絶対に譲れなかった。

『王族だから』、『偉いから』などと取ってつけたような理由で後ろに回されるのは我慢ならない。もちろんセレス嬢や近衛騎士たちも同行することになったが、これは俺の護衛が名目なので仕方がないだろう。むしろ心強い。

 ちなみに師団移動だと首都到着まで二日以上を要するようだが、騎兵隊だけだと半日で王都近郊までたどり着けるらしい。

 ――ただし、休まず馬を全速力で走らせた場合に限るが……。


 ダダッダダッ……ダダダッ!


「このまま馬を走らせれば、夕刻までにはアロンダイトに到着できそうです! ただ、現地の被害や混乱によっては迂回路を取らなければならないので、日没後の王都入城も視野に入れる必要があります!」

「――!――!」

  

 ダダッダダダッ……!


 地平線まで続く無人の草原を、馬と馬車が全力で駆けていく。

 俺たちの姿を隠してくれていた朝霧はいつの間にか消失し、今は見渡す限り障害物のない平らな土地がありありと見て取れた。

 まるでゲームの世界に迷い込んだようだ。あれ? この例え確か前にも……そうだ、グィアヴィアの街でも同じ印象を受けたっけ?

 

 ダダダッダダダッ……!


「乗馬とはいえ、風に当たっての長距離移動は身体に堪えます! 殿下! もし苦しくなったらすぐに私にお申し付けください! ただちに小休憩を挟みますので!」

「――!――!」

 仮にそんなになるまで馬を走らせたら、言葉をかけるほどの気力さえ残っていないだろう。

 くそっ! トーテム山の崖を馬で下るという高度な乗馬術を披露できたというのに、改めて馬を走らせるとどうしたことか。身体が馴染まず今にも馬から放り出されそうだ。

 こんなことなら、いとまを使って乗馬の訓練でもすればよかった。と、後悔してもどうしようもないので、今は馬から振り落とされないようにしっかり意識を集中させるしかない。

 

 それから俺の身体(主に腰)は散々なものとなった。

 たった半日、されど半日。数時間以上馬上で揺らされ続けた人間の下半身というものはそれはもう悲惨なものであって、尿便すら思うようにいかない。昼食休憩に一度馬を下りられたから良かったものの、あのまま一日中馬を走らせたらどうなっていたやら。

 時刻は夕方。ようやく王都郊外にたどり着いた俺たちは、作戦開始直前ということもあって任務確認がてら最後の休憩に入った。場所は木立が密集する林の中。カモフラージュ用の魔術で姿を消し、人の目を逃れる。

「うっ……!」

 長時間の騎馬で痛む腰を擦りながら、俺は木に背を預けて地面に座った。この休憩が終わったら、進軍はさらに過酷さを増すことになるだろう。それまでに体調を整えなければ……。

「少しいいかしら?」

 不意に頭上から少女の声がかかった。

 見上げると、両手に籠を抱えたセレス嬢がこちらを見下ろしている。馬車から出てきたのだろうか。しかし、何故俺の元へ。

「これ。その…小腹空いてないかと思って」

 俺の前に腰を下ろしたお嬢が、手元の籠を開いて俺に差し出した。

 鼻腔をくすぐる甘い匂い。誘われるように中身を覗いてみると、焼菓子と思わしき食べ物が籠いっぱいに詰っていた。

「これは一体……」

 俺の問いに、お嬢は恥ずかしそうにはにかむ。

「砦の厨房を借りて作ってみたの。“クラスク”っていうお菓子。食べたことある?」

「……いや、似たような菓子なら、故郷にもあったが……」

 ――“クラスク”……。    

 何だろう…見たところクッキーに似てなくもないが、それにしては少し厚みがあって丸みを帯びている。一口で食べるのに丁度良い大きさだ。

 お嬢に進められるがまま、手にとって口に放り込んでみる。

「……どうかしら?」 

 ……うん、甘すぎないところが素朴で良い感じだ。バターの風味も効いていて……焼き菓子の味にはぴったりだろう。

 要するに、その――

「美味い……」

「ホントに!?」

 素直な感想を零すと、それまで大人しかったお嬢は途端に声を上げた。緊張で強張っていた顔も、嬉しさにほころぶ。

「良かった! しばらく作ってなかったから、味見だけじゃ不安だったの。けど、君が美味しいって言ってくれるなら確実ね。……甘いものは苦手?」

「いや、そんなことは……」

「じゃあ籠ここに置いてくから、好きなだけ食べてね。あたしは兵士さんにクラスクの差し入れしてくるわ」

 そう言って元気に立ち上がったお嬢は、両手いっぱいに抱えていた籠の一つを俺の手に押し付けた。菓子の出来栄えを褒められて自信がついたのだろう。彼女は他の木陰で休む兵士たちに話しかけては、手元の籠の菓子を渡して嬉しそうに笑っていた。菓子を受け取った兵士たちもまんざらではないようで、戸惑いつつも表情に笑みを浮かべている。彼女の場違いな行動は、作戦前の兵士の緊張を解すのに一役買ってくれているに違いない。

 ……ていうかセレス、料理できたんだな。宮廷魔道士などというプレミアムな職業だから、てっきり家事不得手のお嬢様なのかと……。

 籠に詰まったバタークッキーもといクラスクを摘んで口に入れ、ゆっくりと咀嚼する。口の中に広がる甘みがじわじわと身体の疲れを取ってくれるようだ。

 しかし、俺一人でこれ全部を食べきるのは少々きつい。残りを誰かに譲ろうかと辺りを見回すと、木立の隙間に紅い鎧を見つけて目を留めた。

「あれは……ランスロットの」

 茂みの深いところに、車座になって胡坐をかくランスロット軍の捕虜たちが確認できる。いや、今は捕虜という呼び名は正しくないな。武器の装備を解かれているとはいえ、アロンダイトでの救助に協力を申し出てくれた“彼ら”は俺たちの仲間だ。頼もしいランスロット兵士たちであろう。

 今は休戦しているとはいえ、かつての敵であったヴァレンシア兵と一緒にいるのは息苦しいのか、少し距離を置いて身体を休めている。

「…………」

 近くに寄って様子を見てみれば、その態度は手に取るように理解できた。

 皆故郷のことが気がかりで仕方がないのだろう。膝を揺すって落ち着きないものや、ため息を漏らして頭を抱えている者もいる。現状に苛立っているのは一目瞭然だ。

 ――こういう時こそ、“甘いもの”だろう。

「……どうぞ」

「っ!? キ、キリヤ王子!?」

 背後からの接近で気付かなかったか、俺の声に驚いたオランド隊長以下四名のランスロット兵士たちが飛び上がる。

 別に気配を消していたわけではないのだが、俺ってそんなに影が薄いのだろうか……。

「……脅かして申し訳ない」

「あ、いえ……それより、我々に何か御用でしょうか? もしや、もう出発するので?」

 五名を代表して、オランド隊長が俺に話しかける。

 その顔は険しいもので、会話しづらいことこの上ない。

「出発はまだ……。ただ、これを差し入れに。皆さんでどうぞ……」

 とりあえず焼き菓子の詰まった籠を隊長に手渡す。皆『差し入れ』と聞いて恐ろしいものでも想像しているのだろうか。不審だったその顔は一変、どこか不安げなものになった。

「…………」

 恐る恐る、オランド隊長が籠を覗く。そのまま籠をひっくり返しそうな形相だったので、見守る俺も緊張しっぱなしだ。

「これは……クラスク、ですか?」

「ふぅ……」

 良かった。普通の菓子だと察してくれたみたいだな。 

 俺が頷くと、オランド隊長はゆっくりとした動作でクラスクを摘み上げた。まさか、今度は毒が仕込んでいないか疑うつもりなのかと肝を冷やしたが、どうやらそれは杞憂だったらしい。

 彼は俺に礼を述べると、早速クラスクを頬張った。籠は他の四人にも回され、全員が同じような動作で焼き菓子を食べ始める。

「一応お訊ねします。毒の混入を、予期しなかったので?」

 気になったので聞いてみると、隊長は静かに首を振って否定した。

「貴方はそんな下策を弄する方ではない。昨日お話して、それを確信致しました」

「…………」

 うむ、そんな恐ろしい手段今に至るまで考えもしなかった。

 すると彼は、俺の正体に勘付いているのか。なんか急に怖くなって、その場にいても立ってもいられなくなった。クラスクも渡したし、さっさと帰ろうと踵を返す瞬間――

「自分はアロンダイトの出身なんです。王都には自分より三つ下の女房と、今年で四歳になった娘がおります」

 ぽつぽつと話し出した彼の顔は悲しみに沈んでいた。軍人然とした厳しい表情とは違う、彼の心のままの素顔。

「クラスクは娘の大好物でしてね。いつも誕生日の晩餐に、皿に山盛り用意するんです。干した葡萄を練り込んだドライフルーツクラスク……自分はあまり好きではないのですが、女房が楽しそうに作るもので口を挟めませんよ」

 それから彼は乾いた声で笑い、俺の顔を真っ直ぐに見つめた。

 迷いや不安のない、あらゆる決意を含んだ双眸。さっきまでの悲しみに満ちた表情は、いつの間にか影を潜めている。

「もう一度あの頃に戻れるのなら、どんなに幸せなことか……。たとえそれが無理でも、私はランスロットのために全てを捧げたい」

 計り知れない覚悟。その言葉は一体どこまでが本気なのか、俺にはわからない。

 しかし、そういう生き様は俺の憧れでもある。――もう一度あの頃に戻れるのなら……うん、かつての日常を取り戻せるなら、どんな苦行でも乗り越えるという信念。なんか良いな、それ。

「報告! 報告!」

 突然、怒号に近い大声が静かな休息場を騒がせた。

 何事かと、周囲を見回して状況を確認する。その場にいた六名で真っ先に気付いたのはオランド隊長だった。

「あれを!」

 隊長の視線の先を目で追ってみると、馬を駆けるヴァレンシア兵士が木立の中を突っ切ってくる最中であった。確かあれは、三十分ほど前にアレンさんが送った斥候ではなかったか。

「何かあったのか?」

「王子、急ぎ向かわれた方がよろしいのでは?」

「あ、ああ」

 募る不安を抑えつつ、駆け足で斥候の行く先を追う。

 斥候が降り立ったのはアレンさんの目の前だ。彼は馬を下りて地面に膝を突くと、早口に状況の報告を始めた。報告を聞くアレンさんの表情が見る見るうちに険しくなっていく。何かマズイ事態が起きているのは確かだった。

「キムナー中佐。一体何が……」

 現場にはすでにお嬢やダリスさんが集合していた。

 皆ただ事ではない雰囲気に駆けつけてきたのだろう。吐く息も荒く、斥候の周囲に集まる。

「何があったの!」

「村が――」

 斥候の兵士が口を開く。その顔は困惑と焦燥で歪んでいた。

「ここから東方の牧草地帯に、焼き払われた村がありました。生活する村民は確認できず、村の至る所に死……横たわる、人影が……!」

 え……。

 焼き払われた村? 王都じゃなくて、村?

「ど、どういうこと? 他の町村は被害がないって、報告書にあったじゃない……」

 ああ、ヴァレンシア王国から届いた報告には、首都のアロンダイト以外攻撃の被害はないと書いてあったはずだ。

 ……こんなことあってたまるか。これじゃまるで――

「虐殺……」

 俺が口にした言葉を否定する者は誰もいないのか。

 みんな黙るなよ、くそったれ!


 世界は無慈悲に廻る。

 気持ちを整理する時間もないのか。ランスロットに入国して二度目の夕方が訪れようとしていた。 

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