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異界の古代魔道士  作者: 焔場秀
第二章 東国動乱
56/73

第五十一話 もっとも高貴な戦乙女

 その軍勢は一様に、闇の色に染まっていた。

 緑の草原を埋め尽くす黒の軍団。今でこそ荒々しい進軍は鳴りを潜め各々武器から手放し小休憩を満喫しているが、一度戦いの中に身を投じ、数限りない戦士たちの武勇を見せ付けられることがあれば、その圧巻たるや全てを飲み込む激しい濁流にも引けを取るまい。

 陣を張る軍団のあちこちで確認できる軍旗には、黒い魔剣を咥えた赤眼の白狼が繊細に描かれている。

 このエリュマン大陸に住まう人であれば、白狼が示す国家を知らぬ者は恐らくいないだろう。黒き鎧を纏う兵士たちと魔道砲の駆動音。戦の相手がいかな小国とはいえ、歯向かうのであれば万の軍を差し向けることさえ厭わぬ冷酷無慈悲と恐れられる北の大国――。


 ――氷と鉄の生まれる国、グルセイル帝国。


 大陸北部の制圧はすでに終わった。残るは中部と南部の領土掌握。そしてその軍略は、息を潜めながらも着実に進行していたのだ。

 その一環として手始めに帝国の標的となったのが、ランスロット・リディアを含む大陸東端の平原国家。

 幾人の帝国諜報員が派遣され、すでに十年の月日を要した。計画の最終段階始動を目前に、一万を超える帝国軍はランスロットの国境を跨ぎ、王都アロンダイトを遠目に確認できる場所まで迫っている。

 進軍中、幾度となくランスロットの残党軍に攻撃を受けたが、それも高が知れていた。反撃に乗じランスロット北部を制圧しながら南下、王都アロンダイトは目と鼻の先である。

「暴走するゴーレムの被害を受け、王都の守備隊と近衛兵団は全滅……。残るランスロットの戦力といえば、地方の警備を兼任する民兵と国境防衛を任された国境警備隊のみ、か……」

 手元の報告書に目を通すのは、漆黒のプレートアーマーに身を固めた女性。腰まで届く長い銀髪が、幕舎の暗がりの中でも煌びやかに映っている。

「ふむ……今から各方面の兵士たちに召集をかけたとしても、全てを揃えて戦闘態勢を整えるまで少なくとも三日の時間を要するだろうな。仮に短時間で集まったとしても、その数や力が我が帝国軍に及ぶことはあるまい。所詮は小国の雑兵か……ふん、くだらない」

 アロンダイト落さずしても、この平原の王国にもはや国として立て直す力は残っていないだろう。かねてより企てられた陰謀が実を結んだ時点で、すでに勝利はグルセイル帝国のものになっていたのだ。

「本当にくだらない戦だ……いや、戦と称するのも疑わしい作戦だ。馬鹿馬鹿しい」

 舌打ちをして報告書を投げ捨てる。

 それから不機嫌そうにため息を吐き、背後に置かれた椅子にどかっと腰を下ろした。豪奢な装飾が施された、玉座のような肘掛け椅子である。貴族の豪邸でもお目にかかれない代物でもあることから、鎧姿の女性が単なる軍人でないことなど容易に察することができよう。

「……全ては帝国のため。お気に召さぬ戦とはいえ、これはツァーロイ参謀総長発案の作戦であります。放り出すというわけにも参りますまい……」

 そして、影から響く男の声。

 玉座の女性は“それ”に気をとめる風でもなく、ふんと鼻を鳴らして頬杖を突いた。

 影からの声は尚も続く。

「皇帝陛下のご機嫌を損なってしまうのは宜しくない……。姫殿下、お父上はこの作戦に大変関心を寄せておいでです。上々な戦果を期待したいですな……」

「黙れアインハルト。貴様の意見は聞いていない」

 身の毛がよだつ殺気。

 女の鋭い指摘に、幕舎内の空気が一段と張り詰めた。

 だが影に潜む者――アインハルトと呼ばれた男は何も感じていないのか、忠告に屈さず淡々と話す。

「これはこれは……どうやら私めは“月華姫げっかき”のお怒りを買ってしまったようだ。不快にさせてしまったのであれば申し訳ありませぬ。なにぶん私は“人の心”というものを理解できない存在でして……」

 影がゆらゆらと蠢いた。

「まあ……計画通り作戦を遂行していただけるのであれば、私からは何も言うことはありません。では殿下、ご武運を……」

 その言葉を最後に、虚空に浮かび上がっていた影は跡形もなく消え去った。

 静寂に包まれる空間。明かりの乏しい暗がりで、女の赤い眼だけが爛々と光る。

「……言われずともそのつもりだ。弱小国が相手とはいえ、作戦に手を抜くつもりはない……パイドラ! アリアーヌ!」

 女の呼び声により、暗がりからまた新たな人物が二人姿を現した。

「はいはい! ロベリアさま、お呼びですか~?」

「……殿下、ご用件はなんでございましょう?」

 どちらも戦場には場違いな、エプロンドレスを着た二人の少女である。

 瓜二つな顔をしていることから、彼女らは双子だろうか。長く青い髪をそれぞれ邪魔にならないように結い上げ、頭巾のなかに隠している。

 一見してメイドにも見える彼女たちであるが、服の袖で鈍い光を漏らす短剣がただの従者でないことを証明していた。

「休憩は終わりだ。これから進軍を再開し、作戦の最終段階に入る。パイドラ、魔剣の手入れは済んだか?」

 パイドラと呼ばれた活発そうな少女が元気よく手を上げてそれに答える。

「バッチリ磨いておきました! あ、刃こぼれはしてなかったんで、研いだりしてませんけど……」

「十分だ。いつもすまないな……」

「滅相もないですっ! これが仕事ですから!」

 そう言ってガッツポーズを取るパイドラ。

 鎧の女はそれに苦笑を浮かべ、それからもう一人の片割に向き直った。

「アリアーヌ、“連中”の動きはどうだ?」

「…今のところ目立った動きはありません。退屈しているのか、何度か正規軍兵士を挑発する場面がありましたが、カイウス将軍が仲介に入っているので大きな問題は特に……」

「うむ……戦士の風上にも置けぬ下衆どもだが、傭兵として報酬を得ている以上軍律を乱すような真似はせんだろう。勝手に先行した部隊のこともある。まさかとは思うが、奴らは戻ってきたか?」

「いえ、未だに姿を見せていません……」

「だろうな。……まあいい、後で合流したら全員拘束して牢屋にぶち込んでやろう。部隊長は見せしめに処刑だ」

「すみません殿下。私が不甲斐ないばかりに…」

「構うものか。それよりよく監視してくれた。ご苦労だったな」

 労うと、それまで真顔だったアリアーヌは頬を朱に染めてぱっと俯いた。

「と、当然のことをしたまでですから……!」

 その初々しい挙動に、パイドラがニタァと笑みを深くする。

「あ、アリア赤くなったぁー! かあいい~」

「ね、姉さん! からかわないで!」

 茶化す姉と、むきになって言い返す妹。

 従者ながら子供らしい一面を見せる愛らしい姉妹を眺め、その主は温かい眼差しを送る。

 時や場所を問わず、普段見慣れた親しみのある光景だ。

 自分も異母兄姉たちと仲の良い関係を築けていたら、どんなに幸せだったろうか……。

 恐らく、この先一生ないだろう願望を頭で思い浮かべつつ、女は椅子から立ち上がって幕舎の外へ出た。

「殿下!」

 しばらく平原の風に当たっていようと考えていた矢先、前方から轟くような男の声が響いた。

 見ると、重装備フルアーマーの騎士がこちらに駆け寄ってくる。随分鎧の装飾が甚だしい騎士であった。肩や肘の部分に取り付けられた鋼鉄の棘が、恐ろしくも鎧騎士の風貌を目立たせているようだが、あの装備では歩行の邪魔になって仕方がない。

 ぎこちない動きで歩く黒騎士の姿を目で追いながら、女は必死に笑いを堪える。

「御機嫌よう、将軍。ふふ……今日は針鼠の物真似か? 片田舎の小さな作戦であるのに随分と張り切っているじゃないか」

 先ほど話にあったカイウス将軍。帝国軍第三師団の副師団長を務める貴族軍人である。

「針鼠とは……私のことでありますか?」

 不思議な顔をして首を傾げるカイウス。その拍子に兜がズレ、それがまた可笑しくて吹き出してしまう。

「ふふふっ……貴公以外に誰がいるというのだ? そんな奇想天外な装備で戦地を走り回る者など、大陸中探してもそうそう見つかるまい……ふふ」

「は、はぁ……お褒めいただき恐縮です」

 年齢はまだ二十代後半。若輩者であるのに将軍職を任されているのは、やはり彼が高貴な身分であるが故なのだろう。実戦経験は少なく熟練の騎士とは言いがたいが、それでも軍事学校で培った技術を生かして自分の役目をこなそうと頑張っている。

「…と、冗談はこれくらいにして。……将軍は私に何用か。どうも急いでたようだが…」

 本題に入ると、カイウスはたった今気付いたとばかりにザッと敬礼をした。

「はっ! それが、今し方ヴァレンシア王国に潜入していた間者から情報がありまして……。少々厄介な問題が起きたようです」

「……何があった?」

「ヴァレンシア軍がランスロット領への進入を果たしました。現在、東の国境砦を占拠中とのことです」

 カイウスの報告は淡々としていたが、その感情のない声音の裏には明らかな動揺が見て取れた。

 ヴァレンシア軍のランスロット侵攻。これが何を意味するのか、この作戦の事情を知る者であればわかるはずだ。

 冷静沈着な彼女といえど、さすがに目を見開いて驚きを露わにする。

「馬鹿な。ヴァレンシアは今、アロンダイト壊滅の“首謀者”に仕立て上げられて身動きが取れないはずだ。国軍を差し向けるなど正気の沙汰とは思えん」

 そうだ。そもそも帝国軍のランスロット進軍は、事前にヴァレンシアの国際的地位を貶め、軍事介入を阻止した上での制圧作戦である。証拠も根拠もないデマであるには違いないが、それでもランスロットを手中に治めるまでの間、ヴァレンシア軍介入の時間稼ぎくらいにはなるはずと踏んでいたのだ。

 外交に慎重なヴァレンシアという国家の、心理を突いた作戦であったはずが――

「何でも、アレクシード王が命令権を行使して閣僚たちを黙らせたとか。国王が独断で軍事命令を敢行したと、現在イグレーンの王宮では大騒ぎになっているようです」

「あの享楽主義のうつけ王め……。仇敵ランスロットを憎むあまり、ついに暴走したか!」

 女の声は怒気に近い声量があったが、その顔に怒りは微塵も見受けられない。むしろその状況を楽しんでいるかのような、狂気的な愉悦を彼女から感じられた。

「で、殿下……?」

 副官のカイウスも、変貌した主に戸惑いを隠せない。

 見間違いだろうか。彼女の紅い瞳が、一瞬光を帯びて点滅したような……。

「将軍。この戦、楽しくなりそうだぞ!」

「は? そ、それはどういう……」

 大国の軍勢という邪魔物が迫っているというのに、戦が楽しくなるというのはどういうことか。

 彼女の本意を理解できないカイウスは首を傾げる他ない。

「小国の雑兵ばかりで退屈していたところだ。久しぶりに、大国のつわものと刃を交えるのも悪くない……ふふ」

「なっ!? ヴァレンシア軍と戦われるのですか!?」

「まだ戦うと決まったわけじゃない。だが、そうだな……連中が我らの邪魔をするというのなら――」

 ――やはり見間違いなどではなかった。

 前髪に隠れた彼女の紅い双眸は、確かに淡い光を放って明滅している。

「その時は……私の全力を以って戦に興じよう。なに、心配には及ばぬ。私の武は軍神のお墨付きだ」

 そして皇女おんなは、不敵に笑った。  


 グルセイル帝国第二皇女、ロベリア・ツォル・グラーヌ・グルセイル率いる帝国軍第三師団一万三千の軍勢は、ヴァレンシア王国軍に蹂躙されるランスロット王国を救う名目をもって東端の平原を南下した。

 途中ヴァレンシア介入の報を受けるも、皇女は作戦の続行を決意。帝国でもっとも高貴な戦乙女は、その人間離れした武功と勇猛果敢な黒騎士を武器に小国の首都を目指す。

 彼女の目に恐怖や不安の色はない。闘志を放つロベリアの赤い双眸は、まだ見ぬ強敵を睨みつけるように地平線へ向けられていた。

 


             =======【キリヤ視点】=======   

 


「王都壊滅は……貴軍らの仕業じゃ、ない?」

 案内された部屋は、無骨な砦の外観に比べて妙に洒落ていた。

 恐らくは、外からやってきた武官を招くための応接室か何かなのだろう。ガラス製のテーブルを囲むようにして置かれた黒い長いすは、ビジネス会社の社長室を連想させる豪華さがある。

 ……ふむ。俺の貧相な想像力では、この部屋の“オシャレ感”を言葉にするのは難しい。とにかく、戦闘城塞内に造られた部屋にしては、割と落ち着いた部屋であるということだけを述べておこう。

「何を根拠にヴァレンシア軍がアロンダイトを攻撃したと申している? 国軍の出動要請には王国政府の議会での承認と、軍上層部の指示が必要になるのだぞ。中央からの増援報告さえ入っておらぬのに、ランスロットの首都がヴァレンシアの攻撃対象になるなど有り得ん……!」

 ファーボルグ将軍はかなりご立腹のようで、威圧感漂う巨漢を揺らして弁解している。

 怒りの矛先となっているこの砦の守備隊長といえば、そんな大男に怯えてこそないが、虚言だと言いがかりを押し付けられ戸惑いを隠せないようだ。

「じ、自分に怒鳴られても了承の余地がない。王都壊滅の件は、本部から報告を受けたに過ぎないんだ。実際のところ、アロンダイトが本当に壊滅したのかそうでないのかもはっきりとわからない。この目で確かめてみないと、なんとも……」

「では、我らに無実の罪を擦り付けた犯人は貴軍の本部の者であるというのか!」

「しょ、将軍! 彼に当たるのは筋違いですよ。落ちついて……!」

 つっかかるファーボルグさんをアレンさんが止めに入る。

 しばらく彼の傍にいて気付いたのだが、どうもファーボルグの旦那は自国のことで何か言われると熱くなりやすいタイプのようだ。というか、軍人はみな祖国に誇りを持っているのか、アレンさんも会話に熱が篭ったりする。ただ、ファーボルグ将軍はその現象が人一倍激しい。

「う……すまぬ中佐。少し冷静を欠いてしまった……オランド殿も、申し訳ない……」

 オランドとは、この砦の守備隊長の名だ。

 将軍の献身的な謝罪に、オランド隊長もようやく穏やかな表情を見せる。

「いえ……お気になさらず。もはや自分らは貴軍らの捕虜。部下たちに寛大な処遇してもらったこと、ありがたく思っている……」

 それは皮肉のつもりだろうか。

 こっちが勝手に進軍して来て砦を占拠した挙句、そこに詰める兵士たちを捕虜にまでしているのに、俺たちが礼を言われる筋合いなんてないはずだ。

 ――何より俺は、この人の同郷の兵士たちを大勢殺してしまった罪人……。憎まれてもおかしくない。

「それで、貴軍らはこれからどうするつもりだ? 十年前の報復ということは、これから王都のアロン陛下を討ちにゆくのか? それともこの国の豊富な生産資源が目的か?」   

 隊長の言葉は淡々としていて、特に怒りや哀愁といった感情は感じられない。

 首都のアロンダイトが壊滅したことによって全て諦めてしまっているのか、それとも、ただ感情を押し殺しているだけなのか……。

 隊長の質問に答えたのはアレンさんだ。

「オランド殿、我々はランスロットと戦争をしにきたのではありませんよ。むしろその逆で、王都の救援に向かう予定なのです」

 直後、オランド隊長の顔が呆気に取られる。

 一体何を話しているのか理解できていない様子で、言葉を失った。

「は? ……いや…ま、待ってくれ! 救援とは……それは……王都イグレーンのことか?」

 完全に取り乱しているようだ。

 誤解して焦っている隊長に、アレンさんは苦笑を浮かべて訂正する。

「王都アロンダイトのことです。我々ヴァレンシア東方方面軍一個師団は、国王陛下の命により、ランスロットの救援に向います」

 隊長の目が大きく見開かれた。

「で、では……国境沿いから我が領土方面に進軍してきたのは、そのために!?」

「ああ、いや……その時はまた別の任務が目的だったのですが……アロンダイト壊滅の報をお知りになられた我らの国王陛下が義憤し、急遽アロンダイトの住民の救護をせよとお達しがきたのですよ」

 アレンさんに代わり、将軍が話を受け継ぐ。

「しかし丁度その時、ランスロット防衛軍の使者を名乗る者が我が軍の陣営に現れてな。降伏の願い出と王都攻撃の停止を提示してきたのだ。これから王都を助けに参るのに、我が軍から攻撃を受けているとはどういうことか……真実を確かめるべく、この砦の責任者の貴官と面会し、今に至るわけだ」

 ようやく辻褄が合った。

 隊長さんは、別に確証があってヴァレンシア軍が王都アロンダイトを攻撃していると言っていたわけではなかったのだ。本部から届いた救難信号とやらと、タイミング悪く現れた俺たちの軍に最悪な憶測を想定せざるを得なかった、ということか。

 真実を把握したらしいオランド隊長は、顔を両手で覆って俯いてしまった。

 降伏という形で部下たちを捕虜にしてしまった責任を感じている、というわけではあるまい。彼にあるのは後悔ではなく――

「できれば全て自分の思いこみであってほしいと願っていた……。しかし、アロンダイトはもう……」

「…………」

 一気に抜け殻のようになってしまった隊長は、上体を丸めたまま将軍を見上げた。

「……差し支えなければ、教えていただけないか? アロンダイトを……俺の故郷を滅ぼした奴は一体どこのどいつなんだ?」

「……残念ながら、我々も詳細な情報を入手できていない。現在、我が軍の情報部が全力を挙げて状況解析を行っている最中だ」

《情報解析も何も、アロンダイトに潜入してる諜報員の現状報告を待ってるだけなのでしょ? 正直言って、こちらから現地に向かって確かめる方が早いかもですね》

 ピロの言うことはもっともだ。いや、だからこそこんな所で油を売っている暇なんてない。今こうしている間にも、俺たちの助けを待っている人たちがいることを考えると。  

 ――くそっ……兵糧の補給さえ気にしなければ、今日中には出発できたはずなのに……。

《こればかりは仕方ありませんよ。もともと長期遠征が目的の国軍ではありませんでしたから、食料も四日分しか用意していないようで……。明日の明朝には、前線基地から輜重部隊が送られてくるのでしょう? それまでの辛抱です》

 ああ。明日だ……早くても明日だ。

 猶予の時間はない。一刻も早く助けにいかねば……。

 焦っても仕方がないことはわかっていたが、これからの任務に他人の命がかかっていることを考えると落ち着いていられない。

 俺は外見上冷静な態度を徹底していたが、内心は目まぐるしい思考の変化で感情に押し流されていたのである。

 だから、アレンさんたちが話を切り上げて立ち上がり、さらにオランド隊長が俺に話しかけてきた時もまったくの上の空だった。

「殿下? キリヤ様、大丈夫ですか?」

「……!」

 呼ばれてようやく正気に戻る。

 周囲を見渡せば、怪訝な表情を浮かべて俺を見つめる軍人たちの顔。

「キリヤ様?」

「い、いや……何でもない」

 つい、いい加減な返事をしてしまう。

 だがあまり気にもとめなかったのか、それきり疑いの眼差しを向けられることはなかった。

 ――ただ一人、セレス嬢を除いて……。       

「面会は終わりました。誤解も解けたようですし、我々も本隊に戻りましょう」

「ああ……」

 アレンさんに促され椅子から立ち上がる。

 その間、ずっとお嬢の青い瞳は俺に注がれ続けた。まるで何かを見透かしたような、突き刺さるような視線。動揺に気付かれる前に、早々と部屋を去ろうと踵を返す。

 ……不意に、オランド隊長に呼び止められたのはその時だった。

「ま、待ってくれ!」

 開かれた扉に足を踏み出したまま、俺は背後を振り返る。

 俺と視線が合うと、隊長は咄嗟に頭を下げて早口で捲くし立てた。

「お待ちください、キリヤ王子。是非とも、王子にお礼申し上げたいことがございまして……!」

 お礼?

 何か感謝されるようなことをしただろうか?

 黙って言葉の続きを待っていると、オランド隊長は遠慮がちに話し始めた。

「俺……いや、私の部下のことです。ヴァレンシア軍の捕虜であるにも関わらず、身柄の拘束を緩めてくれるよう王子が直接ご配慮してくださったと、騎士の方にお聞きしました。私が今こうして、キリヤ王子の御前で面会の席についていられるのも、王子のお蔭であると思っております。……今は敵国の兵であるが故に、部隊の責任者として王子に感謝することはできませんが、私個人から礼を言わせてください。お心遣い、ありがとうございます」

 そう言って、再び頭を下げるオランド隊長。

「…………」

 こういう時はなんと返せばいいのだろうか。

 こんな事を言うのもなんだが、俺は人に感謝され始めてまだ日が浅い。

 無難に、「どう致しまして」と返事すればいいのか、それとも「気にする必要はない」と相手を慰めるべきか。

 ……やっぱり苦手だ、こういうの。

 ――ピロ、なんて言えばいい?

《キリっちの思うままに返してやればいいと思いますよ。彼が本当にあなたに対して感謝しているのなら、どんな言葉でも邪険にしたりしないはずです》 

 そうだろうか。

 彼にも戦士としてのプライドくらいあるはずだ。軍人の誇りなんてわかりたくもないけど、些細な発言で気を悪くさせたりするかもしれない……。

 だからといって、ずっと黙っているわけにもいかなくて――

「……俺は、戦争をするためにここに来たのではないので」

 思ったままのことを、話してみるか。

「正直、ヴァレンシアやランスロットの事情なんて知ったことじゃない。敵国の兵士だから縄を打って捕虜にするなんて、そんなの間違っている……と、俺は思います」

 この世界の人にとって、俺の言っていることは到底理解できないものかもしれない。

 完全に平和ボケしてる奴の考え方だ。それをオランド隊長に強要するつもりは毛頭ないが……先に疑いをかけられるような事をしたのは俺たちの方であるし、彼が謝る必要性も感じない。

「仲良くなれるなら、それに越したことはないかと……。どちらか片方が手を引かなければ、喧嘩はより酷い事態に発展するから」

 俺と妹の喧嘩がまさしくそれだ。

 お互い自分勝手な主張を押し付けて言い争った挙句、怒りに任せて暴力を振るう事態になってしまう時があった。済んでから反省しても遅い。取り返しがつかなくなる前に、どちらかが自主的に引けばそれ以上悪化することはないはず。

 無論、俺がそれを使って妹の挑発を避けてきた結果、ヘタレ兄貴と罵られるきっかけになってしまったわけだが――

「キリヤ王子、あなたは一体……」

 掠れた声で呟くオランド隊長。

 彼の目は大きく見開かれ、信じられないものを見たような呆気に取られた表情をしていた。

「では、俺はこれで」

 彼を不機嫌にさせてしまっただろうか。

 ならば、怒られる前にさっさと部屋を退出しよう。まだ気持ちが急いているこの時に、他人の怒りを買うのは勘弁願いたい。

 セレスたちをを待たず、部屋を後にして無人の廊下に出る。

 どこか落ち着いて一人になれる場所はないかと考えを巡らせると、一階の通路脇に大きな広間があったことを思い出した。

 ひとまず、そこで時間を――

「待って」

「……っ!」

 突如、腕を誰かに掴まれた。 

 驚いて振り返ると、真剣な顔をしたセレスがすぐ傍に立っている。

「何処に行くというの?」

 彼女は聞いた。

 その声音は力強くて、有無を言わせぬ存在感を放っている。勝気な少女の言動ほど、無言を貫くことに困難なものはない。性質が妹と似ているから、なお更のこと。

「……少し、風に当たってくるだけだ」

「護衛も付けずに一人で?」

「すぐに戻ってくる。何も危険はない」

 過保護のようなくどい質問に、さすがの俺も腹が立った。

 半ば強引にセレスの手を払い、そのまま早足で歩みを進める。

 来た道の記憶を手がかりに進んでいけば問題はあるまい。迷路のように伸びている通路は基本的に無視。よし、あの階段を下りれば、一階広間に続く通路に出られたような……。 

「あたしも行くわ」

「…………」

 同行に名乗りを上げた少女が、こちらの返事を待たず俺の隣に並ぶ。

 正直一人になりたかったのだが、引き止めても食い下がりそうなので彼女の好きにさせておくことにした。そういえば、深夜からずっと俺を護る護ると息巻いていたっけ? 是が非でも俺の傍にいないと気が済まないのか。

「……物好きだよな」

「え?」

「いや、何でもない……」

 俺と一緒にいても、楽しくないだろうに。



           =======【オランド視点】======= 



 ヴァレンシア軍の代表たちが出て行った応接室は、先ほどまでの緊迫した空気と打って変わっていた。

 彼らが退出すると同時に、監視のヴァレンシア兵士が入室する。一応捕虜の立場にある自分たちランスロット兵士は、身体の自由があっても行動には枷がかかっているのだ。妙な気を起こさせないように、常に兵士が数人体制で見張りをする。士官の身分であるオランドとはいえ、例外はない。

「ふぅ……な、何とか乗り切りましたね……」  

 それまでオランドの後ろに立っていた副長が、へなへなと腰を曲げて長いすに崩れ落ちる。鎧は全て没収されているから、現在の彼は薄いシャツに革ズボンという身軽な格好だった。年は二十代前半で、軍階級は下士官止まり。ランスロット政府が公開した標語に触発されて自ら軍隊に志願し、国境警備隊に配属されて今に至る。

「もう心臓バクバクですよ。何ですかあの面子は! 鎧の偉丈夫将軍に年場もいかない魔道士の少女。特にあの幸薄そうな細目の軍人! あの人自分とそう年変わらないはずなのに、階級が中佐なんて…! ヴァレンシアの昇級制度ってどうなってんですか!」

 羨ましいと嘆きながら地団駄を踏む副長。

 しかしそれだけでは満足できないのか、彼の口は閉じることがない。

「しっかし、一番怖かったのはあの寡黙な王子です。何か変な仮面付けて表情が見えないし、それが逆に恐怖を掻き立てるというか……瞬きしたら最後、見えない手でくびり殺されるんじゃないかってヒヤヒヤしてました……」

 本当に怖かったのだろう。思い出すように目を瞑っていた彼は、次の瞬間にブルっと身体を震わせた。

 まあ……人は見た目に寄らないものだが、キリヤ王子に関してはオランドも副長の感想に同意見である。長年人と付き合っているとわかるのだが、大体姿を隠していても気配や動きで相手の感情は大方把握できるものだ。

 しかし、あの黒装束の王子からはそれらの一切が皆無だった。

 まったく微動だにしなければ、こちらから話しかけないと言葉も口にしない。虚空を彷徨う視線には一体何が見えていたのか。たまに独り言のようにぶつぶつと呟いていたが、あれは呪文の類だとか。

「……あの王子、ローブを着ていたな。王族出身の魔道士とは珍しいが……」

「あの容姿から推測するに、なんか得体の知れない魔術とか使ってそうですよね。あの仮面も、内なる力を封じるための抑制装置とか!? ……って、考えすぎですよね、はは……」

 副長は乾いた笑い声を上げると、すっとその場で立ち上がった。

「さて、と……ガチガチに緊張してたんで、自分はちょっと用を足してきます。隊長も来ますか?」

「……いや、俺はいい。考えたいこともあるしな」

 副長は特に追及してこなかった。

 こちらに頭を下げて一言断わり、扉の方へ歩いていく。

(喧嘩、か……まったく、一本取れたぞ。よくもそんな低俗な争いに例えられたものだ)

 見張りの兵士に付き添われ、部屋の外に出て行く副官を見送りながらオランドは胸中で呟く。

 いや、むしろそういう事が言いたかったのだろうか。自分たちの戦争はくだらないと、遠まわしに責めていたのだとしたら――

(あれで王子だなんてな……ヴァレンシアの王族には変わり者しかいないのか?)

 だが、必ずしも甘い考えの持ち主だというわけではなさそうだ。多くの敵を作りそうな思想だが、同時に忠誠的な味方も数多く得られるだろう。まさに人の上に立つべき人物。この波乱の大陸に相応しい。

「キリヤ……魔道士の王子キリヤ。あなたの行動は、一体この世にどれほどの影響を与えるんだろうな」

 上流階級の都合に大して興味を持てなかったオランドも、キリヤ王子に関して別だった。

 今後の彼の活躍をその目で見てみたいと、子供のように胸を高鳴らせた。  


  

 一ヶ月ぶりの投稿。お久し振りです。


 まだまだ暑いですが、真夏日も過ぎて秋の季節がやって参りました。皆様、如何お過ごしでしょうか。

 完全に私事なのですが、先月の中旬、自室の天井にコウモリが張り付いていました(ぇw

 一体何処から侵入したのでしょうか。部屋を閉め切っていたので経路が謎です。 しかも自宅の周囲には田んぼも山もない住宅街。とてもコウモリが住めそうな環境じゃありません。

 何か不吉の前触れのようで、少し怖いです…。 

 

 

 

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