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異界の古代魔道士  作者: 焔場秀
第二章 東国動乱
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第五十話 策略と誤報(後編)

 ヴァレンシア王国の王都イグレーン。

 城下街の騒々しい活気をよそに、その中心部ヴァルハラ宮殿では、国家首脳陣たちの沈痛な面影を窺い知ることができる。

 軍事、外交の総監督である大臣たちは元より、高等武官たる幕僚長や高等外交官、ヴァレンシア魔道士団の団長、その他数名の高等官吏職の官僚たちが一同に大会議室に集っていた。

 状況が状況であったため、時間スケジュールが合わない議員たちは呼び出していない。別の仕事を急遽切り上げてこちらに向かっている者もいるらしいが、到着するのを待つほど時間に余裕もなかった。

「――アロンダイトが壊滅……。我が国とリディアが被った被害を考えれば、相応の末路と言うべきでしょうが……」

「ううむ……これはさすがに――」

 口を濁す官僚たちが、上座の椅子に座るアレクに視線を投げかける。

 その隣には近衛騎士団長のアルテミスが直立していたが、彼女が主を見つめる表情はあまり芳しくなかった。当のアレクは、眼下のテーブルを睨み付けたままぴくりとも動かない。

 堪えかねた幕僚長が、隣に座る鬼人族の男に話しかけた。

「ファーナグ大臣。くどいようですが、貴公がランスロットに送った諜報魔道士の情報、本当に間違いありませぬか?」

「私は何も、信用や憶測だけでランスロットの現状を話しているわけではない。さすがに、魔道士から送られてきた報告文章のみでは半信半疑であった故」

「では、別の手段で情報の詳細を?」

「うむ。諜報魔道士の伝報水晶メッセージクリスタルにリンクして、ランスロット国内の一般通信に接続したのだ。おかげで、報告内容が真実であると確証するための十分な情報を取得することができた」

 ファーナグは礼服から数枚の巻き紙を取り出すと、集まった官僚全員に見えるようにそれを円卓の上に広げた。

「これは伝報水晶から出力したデータの一部だ。首都アロンダイト周辺にのみ、膨大な数値を確認できよう」

「確かに、この箇所だけ数字が密集しておりますな。これは……何かの暗号ですか?」

「いいえ、それは救難信号ですわ」

 答えたのはファーナグではない。

 声の主は、彼の向いの席に座るローブ姿の女性にあった。

 すみれ色の髪をうなじで三つ編みにした、清楚な雰囲気の女性である。ぱっちり開いた大きな碧目と微笑んだときにできる笑窪えくぼが愛らしく、遠目から見れば十代後半の少女に見えなくもない。

 だが幼い外見に反して、彼女の纏うローブの胸元には『大魔道士ケイロン』を示す六芒星の階級章が取り付けられていた。一般の魔道士とは比べ物にならない、かなりの修練を積んだ熟練の魔道士であることは間違いない。事実、彼女はヴァレンシアの虎の子と称される魔道士団の長を務めており、今回もアレクの急な召集によって魔道管理局本部から王宮に駆けつけていた。

 エイミー・ハリトン。ヴァレンシア王国の官僚たちの間で、言わずと名の知れた魔道士である。

「救難信号、ですか……」

「はい」

「これ全部!?」

「いいえ、救難信号に混じって避難通告が幾つか……。それが三十分間連続で発信されていたようです」

 テーブル上の出力用紙に目を通してふむふむと頷くエイミー。

 仕草から見て、彼女がファーナグから事前に知らせを受けていたわけではあるまい。今この瞬間に、用紙の数値を読み取って知り得たのだろう。

「魔獣の襲撃や災害の影響でも、こんなにたくさんの緊急通信は有り得ません。きっと街の人たちも、予期せずして大規模な奇襲を受けたんですね……」

 ヴァレンシアの大魔道士がここまで言うのだ、それまでアロンダイトの壊滅に疑心を抱いていた官僚たちは、諜報魔道士とやらが送ってきた報告の内容を信じるしかなかった。

「う、うむ……では、アロンダイト壊滅の報は真実であるのか」

「もちろんです! マルシル君はちょっとがさつで不器用なトコがあるけど、根は素直でとても元気の良い男の子なんですから。私たちに嘘の情報流したりなんてあくどい事するわけありません!」

 エイミーが頬を膨らませて怒る。

 それもまた緊迫した会議室に場違いであることから、様子見に徹していた閣僚に苦笑を誘う。誰の情報であったか、時折彼女が平服を着て下町の花売り店に出没しているとか何とか。魔道士のくせに花を愛でるのが趣味であるとか、恋人が勤める花屋の手伝いをしているとか、情報に重なり妙な噂ばかり立つ不思議な女性であるのだ。無論、そんなとんでもない噂が立ってしまうのは、エイミー・ハリトン自身が変わった人格の持ち主であるからに他ならない。

 そして彼女のおっとりした怒りを買ってしまった幕僚長はというと、謝罪するどころか言葉に詰ってしまい、余計に会議室の張り詰めた空気を緩ませてしまう始末。

 何の茶番であるか――とファーナグが咳払いで私語を慎ませようとした時、

「アロンダイト壊滅の報がまことであるなら、我々が十年間敵対していた相手は何だったのでありましょう」

 再び沈黙に包まれる円卓部屋。

 ファーナグの変わりに声を発したのは、幕僚長の隣で悠然と指を組む黒い礼服の男であった。外見年齢は四十代前半。オールバックの髪型と高い鼻が特徴の男で、ヴァレンシア王政府の外務大臣を務めている。ちなみに大臣クラスの閣僚の中では一番年齢が若い。     

「立て続けに行われた他国侵略。教会からの絶縁。消えた東部領民との関係。我が軍の手痛い反撃を受けて大人しくなったかと思えば、しばらく経たずして首都の壊滅。何か重大な関係が含まれていると、皆さんは思いませんか?」

 その男は俯くアレクを一瞥すると、一拍置いて閣僚たちに向き直った。

「この壊滅の報がヴァレンシア王国を陥れるための策略であるとするなら、決して見過ごせない深刻な事態であるかと」

 会議室がざわめく。

 他国で発生した惨事が、自国にも影響を及ぼす事態。彼の言葉が一体何を意味するのか、真っ先に勘付いたのはファーナグである。だが答えたのは彼ではなく、上座の席に座る黒髪の青年であった。

「……ランスロットを裏で操っていた連中がいる。そいつらは、アロンダイト壊滅の原因が俺たち(ヴァレンシア)であるように差し向ける気だ……」

 アレクの声は掠れて小さい。だが、その一言でその場に集う人たちは一斉にアレクを注目した。

 三日前の早朝、講堂で対ランスロットを主張した力強さの欠片も感じない。だが気力を失くしているわけではなかった。

 ――彼の金色の瞳は、当て場のない怒りに爛々と輝いている。

「自国の首都を焼き払う指導者がいるわけがねぇ……。こいつは全部外野どもの仕業だ。ヴァレンシアとランスロットの領土争いを観察しながら、影でほくそえんでいる奴がいやがるんだ……!」

 今にも歯切りが聞こえてきそうな、アレクの搾り出された言葉に唖然とする官僚は少なくない。――自分たちが相手にしていた国家はただの手駒フェイクだった…。馬鹿馬鹿しい! くそったれ! ありったけの罵倒を心の底から叫ぶことができればどんなに楽だったか。だがアレクは家臣たちが見守る手前、そんな大人気ない行動を自重するしかない。

 動揺を隠せない官僚たちが多い中、外務大臣の冷静な言葉が続く。

「ランスロットを影で操る者がいる……。それも個人単位ではなく、巨大な組織の陰謀と考えた方がより辻褄が合います。無謀な戦争。消えた領民。首都の壊滅。……これらは“ランスロット王国”が直接的に関係しているのではないでしょう。見るからにランスロット政府の仕業であるかのように、裏の組織がそう仕向けていたはず……まぁ、憶測ばかりで確証はありませんが」

 ランスロットが勝手に暴走を起こした可能性だってある。

 今までの無茶苦茶な侵略行為を顧みれば、考えられないこともない。

 どちらにせよ、現在のランスロットが危機に瀕していることには変わりなかった。軍隊の再編が滞り、国の心臓部も失った国は外敵からの恰好の獲物だ。アロンダイト壊滅の情報が他の国にも知り渡った途端、奇麗事を掲げた自称正義の軍隊がランスロット中を蹂躙することになるだろう。特にランスロットの土地は穀物の生産に富んでいるから、狙われる確率は十分にある。

「……とにもかくにも、今は情報が少なすぎる。領民捜索の件も含めて、しばらくは情報の収集に努めたいと私は考えるが、皆は如何か?」

 聞かずとも、自分たちに手の打ちようがないことはファーナグも分かりきっていた。反対する者は誰もいないだろう、と。

 しかし――

「駄目だ!」

 官僚たちが賛成の意を示して席を立ち上がるよりも早く、アレクが反対の声を上げたのである。

 これにはファーナグは愚か、冷静沈着な外務大臣までもぎょっとして若い王を振り返った。

「陛下! 一体何を――」

「駄目だと言った。いいか、これは国王命令だ。国政の一部を掌るお前たちとはいえ、反論は一切許さない……」

 ――気でも触れられたか!?

 正気とは思えないアレクの発言に、ファーナグたちは絶句した。

 アレクはゆっくりとその場に居合わせる忠臣たちを見回す。さっきまでの怒りは何処へいったのか、彼の態度は誰から見ても落ち着き払っていた。

 普段のアレクらしからぬ、されど王族らしい雰囲気を醸すヴァレンシア国王。

 彼はただ一言、その場に集まる者たちにこう告げた。


「ヴァレンシア軍をランスロットに進軍させる」 

 

  

             =======【アルテミス視点】======= 



「ランスロットの警備隊が?」

「は。ランスロットの国境警備隊員およそ五百名が、国境沿いに展開中だったヴァレンシア軍に投降を願い出たようです。現在、ランスロット軍が放棄した国境砦を確保するため、ファーボルグ将軍が部隊の再編を行っているとのこと」

 ヴァルハラ宮、国王専用の執務室。

 報告に現れた仕官服の軍人は、手元の報告書を机越しにアレクへ手渡した。

 どうやら、ランスロットの国境沿いで作戦を展開するファーボルグ将軍からの第一報が届いたらしい。ファーボルグ将軍自ら率いる二千の精鋭部隊と、キリヤ王子率いる八千の軍がランスロット方面の国境沿いで合流。総勢一万の混成軍となって、アレクから命令された国境沿いの監視作戦を開始する予定だったのだが――

「なるほど。ランスロットの国境警備隊はヴァレンシア軍が攻めて来たと勘違いしたんだな。だから、攻撃される前に降伏して命拾いしたってことか……」

 想定していなかったのだろう。アレクの表情に複雑な笑みが浮かぶ。

「守備軍五百では、一万の大軍相手に篭城戦は厳しいと判断したのでしょう。時間稼ぎも期待できない以上、命を無闇に散らす必要もありませんから」

 アルテミスの冷静な分析に、アレクも同調して頷いた。

「ああ。俺たちも無用な戦いは望んじゃいないし、戦う意志がないのは喜ばしいことだ。……今後の作戦にも影響するだろうしな」

 最後の小さく呟いた言葉にアルテミスは眉を顰める。

 彼女の脳裏を横切ったのは、先ほどの緊急会議でのアレクの一言。ヴァレンシア軍をランスロットに進軍させるという前代未聞の宣言に、会議室は一時騒然となったのだ。唯一事情を知るアルテミスが官僚たちに説明と補足を入れて納得させることができたはいいものの、「あの場に自分がいなかったら…」と改めて思うとぞっとする。ヴァレンシア王国は王権議会制であるため、国王が乱心した場合に備えて閣僚たちは王位剥奪権という特権を有している。大臣の意向を無視する命令を発したアレクは、まさにその権限を発令するに至る危険性があった。

「陛下、いくら説明が苦手だからといって、先ほどみたいに一言で命令を済まそうなんて血迷わないでくださいね」 

「あん? なんだアル。さっきのことまだ根に持ってたのか。いい感じに端折れて良かったじゃないか」

「端折り過ぎです。端的にも程があります。下手をしたら、今頃アレク様は王宮を追放されていたかもしれないのですよ?」 

 ――いっそ追放された方がこの人のためにもなるのではないか。

 アルテミスの心に抱いた冷徹な感情を知ってか知らずか、アレクは卓上に広げた書類に目を通しながら言葉を続ける。

「大丈夫だよ。あいつらは冗談も通用しない頭の堅い連中だが、この状況で俺を王座から引きずり下ろすほど盲目じゃないさ」

「それはどうでしょうか。王位継承権を持つお方はアレク様のみならず、妹君のアプロディーナ様も同様です。もし陛下から王位が剥奪されたら、その後継者は――」

「ああやめろやめろ! 縁起でもない! 愛しのディーナにそんな重責預けられるかっ!」

 下手をすれば、いらぬ誤解さえ招きそうな溺愛ぶりだ。アレクの妹思いは相変らずというべきか、昔から全然変わっていない。

(王女殿下は、前王妃様の形見ともいうべきお方。唯一の肉親を大切に思うのは当然ですか……)

 賢王ガレスの正妻にして、アレクの母親であった前王妃は、アプロディーナ姫を出産後まもなくしてこの世を去った。アレクがまだ十歳にも満たない男児の事で、当時の彼にとっても精神的に辛い出来事であったに違いない。妹のことを人一倍可愛がるようになったのも、母親代わりになろうと奮闘する幼きアレクの強い義務感からだろう。

「まあとにかく、大臣たちの了承は得られたんだ。後はキリヤに……いや、ファーボルグ将軍に作戦変更の旨を伝えて、進軍先をランスロット王都に向けさせる、と……」

 腕を組んで天井睨みつけながら、アレクがぶつぶつと呟く。

 口で言うのは簡単だが、作戦内容が漠然とし過ぎていて話にならない。眼鏡を押し上げたアルテミスが、仕方なくアレクの言葉に補足を入れる。

「元々遠征を目的とした軍隊ではありませんから、兵糧の補給も必要になってきます。東部戦線基地に輜重しちょう部隊の派遣を要請した方がよろしいかと」

「ああ、それもあるな。まさかランスロット国内で兵糧を補給するわけにはいかないし、荷造りに時間を割く必要を考えると……進軍を再開できるのは早くても明日になるのか」

 渋い顔をしたアレクがうーんと唸って頭を抱える。できるだけ早くアロンダイトに急行したいから、準備に時間がかかるのは納得できないのだろう。

 兵糧の確保がどうしても間に合わなければ、進軍途中に略奪をして一時的にまかなうことも可能だが、アレクがそんな愚行を許すはずがない。あくまで今回の進軍は“侵略”ではなく、アロンダイトの住民たちを“救出”するのが目的である。救難信号が送信されるということは、救援を求める人たちがいるというわけで、難民を放っておくことができないのがアレクという人物の良さだ。それは裏も表もない、アレクの純粋な助けたい気持ちからなる行動である。父を殺された仇敵の国とはいえ、その恨みが優しさの妨げになるほどアレクは心が狭い王ではない。

(でも、その優しさがかえって憎悪や不審を引き寄せる原因にもなってしまう……)

 この人は気付いているのだろうか。

 ――自分の行動全てが、万人に認められる親切心ではないということを。

 この人は最後まで貫くだろうか。

 ――自分の行いこそが本当の正義だと信じて、為政者であり続けることを。

 

「陛下、一つお聞きしてもよろしいですか?」

 そっと心に閉じ込めておこうと思ったが、気が付けばアレクに訊ねていた。

 彼女の声音に何かを感じ取ったのか、アレクも静かに顔を上げる。

 覚悟を決めて、アルテミスはゆっくりと言葉を紡いだ。

「こんなことをお尋ねするのは、あまりに不躾かもしれません……」

 ああ、そうだ。自分は今、人としてとんでもなく無神経な質問をしようとしている。

 それでも構わないのなら――

「躊躇うなんてお前らしくもない。言ってみろよ。真面目な話なら、俺も素直に受け止める」

 アレクの表情は相変らず緩んだままだ。しかしその声音や態度からは、いつもの不真面目な調子はまったく感じられない。

 意を決して、アルテミスは口を開く。

「陛下は……今もお父上の死を悔やんでおられますか?」

 答えてくれなくてもいい。ただ、言わずにいたら永遠に後悔しそうだった。

 それに対して、アレクの反応は予想外なものだった。アルテミスの言葉に動揺した様子も、傷ついた風でもない。

「いいや。俺は親父のことを誇りに思ってるぞ」 

 ――照れくさそうな笑みを浮かべて、アレクはそう断言する。

「確かにガキの頃は、先頭切って敵陣に突っ込んで死んだ親父がわからなくて悔しかった。なんで自分の命を危険に晒してまで戦い続けたのかって……そのことばかり考えてたっけか」

 それから彼は自嘲して、

「もう十年も前だからあんま覚えてねぇけど、あの頃の俺はランスロットに復讐することよりも、親父の無念ばかりがやるせなかったからなぁ。なんつーか、“賢王”なんて讃えられて大陸中から尊敬されていた親父が、小国の軍隊と戦ってあっさり死んだことを信じたくなったんだよ……」

 父は無駄死にだったと、以前アレクから聞かされたことがある。

 まだ王位に即位する前の話だ。厳かに執り行われた成人の儀で、彼はアルテミスに自ら打ち明けたのである。

 あれは間違いなく彼の本心だろう。父の死を悔いる時期がアレクにも確かにあったのだ。だがどういう経緯か、今ではアレクの父に対する見方が変わっている。

「……改心した、ということですか?」

「そんな意識的なことじゃないさ。俺が王位を継いで、いざ指導者の立場になってみると色々見えてくるもんがあったんだ。親父の才能とか苦労が身に染みて心に響いたよ。多忙な国務に躍起になってるうちに、復讐も後悔もどうでもよくなった。いや、むしろそんなことを本気で悩んでいた自分が馬鹿らしかったぜ。親父とこの国は俺の誇りだ……」

「…………」

「だからヴァレンシアを脅かすやつは許せないし、くだらない争いを引き起こして無関係な人たちを苦しめる連中を放ってはおけない。……お前には『浅慮な考え』って注意されるかもしれないけどよ……。それでも俺は……」

 朝陽の差し込む窓に視線を向けて、金色の瞳をすっと細めるアレク。

 アルテミスは思わず、若い王の横顔に見惚れてしまった。何もかもを受け入れる覚悟を持った人間の表情とは、こうも凛々しく希望に満ち溢れているものなのだろうか。

「――俺は、親父と同じ道は歩まない。何もかも一人で背負うなんて俺には無理だから、誰かのための王でありたい。そう努力していく」

 唇の端を吊り上げて、アレクは不敵に微笑んでみせる。

 今なら、自称“不敵王”の二つ名を認めていいかもしれない。覚悟を決めた彼なら、全てをやり遂げてしまう気がするのだ。いや、全てが上手くいかなくても構わない。

 どちらにせよ自分は、“彼ら”を護る存在であり続ければ良いのだから――

「ちょっと臭い台詞だったか? アルの前で言うと恥ずかしいな……」

「いいえ。十分です陛下……。ありがとうございました」

 アルテミスが礼を述べると、アレクはばつが悪そうにそっぽを向く。

 その羞恥を隠すような仕草に、彼女は柔らかい笑みを浮かべた。

 


                  ============== 


 ヴァレンシア方面ランスロット国境砦内部。

 天井まで吹き抜けになった砦の中央広場には、拘束されたランスロット兵士五〇一名が身を寄せて地面に腰を下ろしていた。

 彼らを八方から取り囲むのは、先ほど入城したばかりのヴァレンシアの歩兵中隊二百名。槍や剣で武装した白銀鎧の兵士たちが、厳重に周囲の警戒に当たっている。さらに城壁の上には、魔道銃を構えたヴァレンシアの銃兵部隊が丸腰のランスロット兵たちに銃口を向けていた。下手な真似をすれば、次の瞬間に狙撃されて硬い石畳に身を投じていそうだ。

 砦の元責任者である国境警備隊長は、その一方的な殺気を浴びて軽く身震いする。煙草を吸って気分を落ち着かせたかったが、持ち物は身ぐるみ以外全て取り上げられていたのでそういうわけにもいかない。

 胡座あぐらをかいて苛々と膝を揺すっていると、隣から彼の副官が話しかけてきた。

「先発隊が入城してから随分経ってますね。後続隊はまだ到着しないんでしょうか?」

「さあな……。思わぬ事故でも発生して手間がかかっているんじゃないか。それとも、思わぬ用事ができて遅れているとか」

「……めちゃくちゃ適当ですね」

「くそっ、俺が知るわけないだろう。気になるなら“奴ら”に直接聞いてみるんだな。ほら、丁度ヴァレンシア兵士がこっちに来るぞ?」

 捕虜の話し声を聞きつけた監視の兵士が、憮然とした様子で大股にこちらへ歩いてくる。身の危険を感じて身体を硬直させる元副隊長に反して、元隊長は目の前で立ち止まったヴァレンシア兵士を呑気な顔で見上げていた。

「私語は慎めと言及したはずだが?」

「……何故俺の顔を見て話す? 話しかけてきたのはこいつだ」 

 元隊長は親指の先を隣で縮こまる副隊長に向ける。

 アーメットヘルムで顔全体を覆うヴァレンシア兵士は、僅かに頭を動かして副隊長を一瞥すると、すぐにその視線を隊長に戻した。

「貴様はこの砦の責任者だな。部下の失態は上官が背負うべきはずだ。それとも、ランスロットは軍隊の統率さえ十分に維持できないのか?」

(こいつ……俺たちに喧嘩売ってるのか)

 あからさまな敵意を向けられて、周りで様子を窺っていた他の捕虜たちも穏やかじゃない。今でこそ沈黙は保たれているが、彼らの目は自国を馬鹿にされた怒りに満ちている。

 ただでさえ捕虜という身分に落ちて屈辱を噛み締めているのに、これ以上本国を貶める発言をされたらランスロット兵士たちも大人しくはいられまい。

 乱闘を起こして皆殺し――という末路は冗談ではなかった。

(それともこの男、それが目的で俺たちを挑発したってか)

 フルフェイス型の兜のせいで、兵士の表情をうかがい知ることはできない。だが次の瞬間、砦内に鳴り響いた鐘の音が彼らの陰険な雰囲気を払拭することに成功した。

「後続隊が入城する! 砦の門を開けろー!」

 その大声を合図に、捕虜たちの視線が一斉に正面の大扉に向けられる。だがランスロットの元隊長と喧嘩越しのヴァレンシア兵士だけは、外野の騒々しさに目もくれず静かに睨み合っていた。

「…………」

「……後続隊が入城するって言ってるぞ? あんた、こんなところで油売ってていいのか?」

「ちっ……生意気な平原の蛮人め! せいぜい寛大な処置をなされたキリヤ殿下に感謝するのだな。捕虜の身である貴様らが縄を打たれずに済んでいるのは、捕虜の束縛をできる限り緩めよとの殿下のお達しがあればこそだ。でなければ、今すぐに貴様の手足を縛って、そのなめた口を利けないように猿轡を噛ませてやるものを……!」

 捨て台詞のような罵倒を残して、ヴァレンシア軍兵士は彼らの元を立ち去る。

 生意気なのはどっちだ…と言い返してやろうと思い、去り際の兵士の背中を睨みつける隊長。だがそこで、ふとヴァレンシア兵士の言葉に違和感を感じた。

 惚けた顔で副隊長を振り返ると、彼も似たような表情を浮かべてこちらを見つめている。

「……隊長、今……“殿下”って?」

「あ、ああ。俺も聞こえた……」

「なんか、おかしくないですか? 此処ってランスロットの国境砦ですよ。なんでヴァレンシア王家の命令が直接軍隊に反映されるんですか」

「いや、そりゃお前……ヴァレンシア軍に王家の人間が従軍していれば有り得――」

 言いかけて、隊長の痩せ細った顔から血の気が引いた。

 副隊長と、周りで聞き耳を立てていた部下たちの顔も真っ青になる。

「お、おい。まさか……!」

 その時、砦中に響き渡った甲高い鐘の音が隊長の言葉を打ち消した。

 次いで、ゴトンと何かを落とす音。釣られて騒ぎの現場を見やると、厳重に閉じられていた大型の鉄扉が、ヴァレンシア兵士二十人がかりでゆっくりと内側に開かれる最中だった。

 やがて大扉が全開すると、砦外部から軍馬に跨った騎士たちがのっそりと姿を現す。これがヴァレンシア王国の騎士の出で立ちか。何とも、大国の威厳と余裕を感じさせる堂々とした姿勢だ。

 しばらく騎馬隊の列が続き、次にその後ろから現れたのは一般の歩兵たち。こちらの装備は騎士たちより若干見劣りするものの、決して粗悪防具というわけではない。重装歩兵と軽装歩兵で防具の質や型が異なっているが、白銀にコーティングされた胸当てや兜は共通に映えて目立っている。きっと入隊して間もない下っ端の兵士たちも、同じ防具に身を固めているのだろう。軍の予算上、武具の一部を自分で見繕わなければならないランスロットとは大違いだ。資源や労働者の充実、それに伴う生産力の向上が備わればこそ実現できる軍容である。

 砦に入城していたヴァレンシア兵士たちが歓声にわっと沸いた。

 何事かと砦の入口に目をやると、一際豪奢な鎧を着込んだ騎士たちが入ってくるところだった。将校クラスの軍人たちであるのは恰好から見て疑いようはないが、どうもヴァレンシア兵士たちの歓声の対象は彼らではないらしい。

 それは――

「隊長! あれ見てください!」

 副隊長が指差したほうの奥。

 護衛の騎士に守られるようにして馬を進めてきたのは、なんと黒いローブを身に纏う一人の魔道士。注目の的になっているのはあの魔道士だろうか。勝利の凱旋を果たした英雄のように、興奮気味な兵士たちから非常に大きな歓迎を受けていた。

 有名人なのだろうか。隊長も興味が沸いて、そっと耳を澄ましてみる。するとヴァレンシア兵たちの叫び声から、衝撃的な言葉を聞き取ることができた。

「キリヤ王子! ガレス様の忘れ形見よ! 万歳!」

「キリヤ殿下が我らの前にお姿をお見せになってくれた!」

「リディアの救世主! 雷神の申し子! ヴァレンシア軍に栄光の勝利を!」

 危うく卒倒しそうになった。

 キリヤ王子! 数少ないヴァレンシア家の血族! 

 本当にこの軍勢に、ヴァレンシア王家の人間が従軍していたというのか!?

「た、たたた隊長! 王子ですって王子! あの魔道士がヴァレンもがぁ……!?」

「馬鹿野郎……! 声がでけぇんだよ!」

 ヴァレンシア兵に聞かれたらどうする!?

 慌てて副隊長の口を押さえる砦の元責任者。しかし不幸中の幸いか、周りの騒々しさのお陰で不躾な会話を聞かれることはなかった。

 ほっと一安心して、安堵のため息をこぼす。だがすぐに別の疑問が浮上し、隊長の胃をキリキリと締め上げた。

(……おいおい。ヴァレンシアの王族がこんな辺鄙へんぴな国に何の用よ……) 

 言わずもがな。奴らが此処に進軍してきた目的など大方察しがつく。

 黒いローブの魔道士を睨みつけ、隊長は憎憎しげに言葉を発した。

「ヴァレンシア軍め……本気でランスロットを攻め滅ぼす気か……!」


    

 祝!五十話達成。

 

 百話以内に終わりそうにないですね…w

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