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異界の古代魔道士  作者: 焔場秀
第二章 東国動乱
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第四十七話 闇夜の黒狼

 アレクからの命令を伝えた時のアレンさんの反応は、それはもうわかりやすいくらいの驚愕を全身でくまなく表現されていた。

「ぜ、全軍をランスロットの国境沿いに展開!? キリヤ殿下! そ、それは本当に陛下のご命令なのですか!?」

 俺とお嬢、それにアレンさんを含めた三名のみが集まる簡易テントの中は随分と静かだ。ピロ曰く音漏れ防止用の魔術が施されているらしく、俺たちの会話が外部の連中に聞かれる心配はないらしい。その証拠にアレンさんが大声を上げて床机しょうぎ椅子から転げ落ちた時も、テント前に張り付いてる護衛の騎士が騒動を聞きつけて飛び込んでくることはなかった。

「落ち着いてアレンさん。キリヤ王子の仰っていることは本当よ。あたしも確かに、陛下から直接お話をお聞きしたから」

 地面に尻餅をつくアレンさんを引っ張り起こしながら、セレス嬢は命令が真実であると肯定する。

 しかし、それでもこの優柔不断な軍人は信じられないようだ。唖然とした表情で俺とお嬢を交互に見つめながら、椅子にも座らず立ち尽くしている。

「いや…意味がわかりません。凱旋命令が表面上の建前であったことは気づいていましたが……しかし……そんな……」

 かなり取り乱しているようだ。

 俺が困ってお嬢に視線をやると、彼女はため息を吐いて両手を絡め合わせた。呪文詠唱の仕草である。

「儚き夢は忘却の淵に沈殿し、激しき情熱は燃え盛る夕焼けの先に運命を探す。全ての感動にひと時の安らぎを……リセットコンディション」

 決めの呪文と共に、セレス嬢の胸元に小さな方陣が出現。その手が淡い光に包まれた。

 アレンさんがあっと声を上げるのも束の間、お嬢はその光輝く手の平をアレンさんの額に押し当てる。

「……っ!?」

「じっとしててね」

 声にならない悲鳴を上げて固まる青年軍人と、女神のような声音で優しく諭す魔道士少女。

 ふうむ……シュールな光景だがなかなか見応えがある。もしこの場に名のある詩人がいたら、実に素晴らしい即興詩が完成していたことだろう。まあ、詩とか全然わからないけど……。

 ――ピロ。リセットコンディションってどんな魔術なんだ?

《興奮状態にある精神を抑制する補助魔術の一種です。神聖祈祷師セイクリッドヒーラーにも似たような祈祷術がありますが、そっちは眠気を伴うので“リセットコンディション”の方が都合は良いですね》

 ほう……つまり、混乱して気持ちの整理ができないアレンさんを魔術で落ち着かせたってわけだ。   なんか普段がアレだから、抑揚のない声で詠唱してる姿は違和感だらけだな。それによくあんな長い呪文を覚えていられるもんだ。頭の中どうなってんだろう。

「……落ち着いた?」 

「…あ、はい。お見苦しい姿をお見せして、申し訳ありませんでした……」

 素直に頭を下げるアレンさんに、お嬢が満足そうに頷いてみせる。

 椅子に座りなおして話し合い再開。不気味なくらい冷静になったアレンさんが、アレクから知らされた報告を俺たちに掻い摘んで説明した。

「――なるほどね。旅団単位の軍勢を一斉に動かすとなると、それに見合う理由が必要になる。とりあえず陛下は撤退準備を口実に軍団移動を促したってわけか……」

「僕……私もそう思います。部下たちには一切情報を公開するなとの事でしたので、もしやと考えたわけですが……」

 それからアレンさんが大きなため息を吐く。

「本当に、別の目的を隠すための偽準備だったなんて……陛下は一体何をなさろうとしているんです?」

 セレス嬢が肩を竦めて俺に視線を送ると、アレンさんも釣られて俺の方を向いた。

 うむ。あいつが何を企んでいるのかは俺も知らん。ただ、軍人にしかわからない“合言葉”というのをアレクから聞かされている。それをアレンさんに話せば全て伝わるらしいんだが――――

「すまない中佐。詳しい動向は、ファーボルグ将軍の軍勢と合流してからだそうだ」

「さ、左様でありますか……。あ、いいえ。わかりました。お二方がそう仰られるのですから、陛下のご命令は真実なのでしょう。それに如何なる行動内容であろうと、我らヴァレンシア軍人にとって国王陛下の命令は絶対です。……これより直ちに、“撤退行動と見せかけた展開作戦”を開始致します!」

 

 アレンさんの号令により、総勢八千にも及ぶヴァレンシアのリディア救援軍が移動を開始した。

 効率よく指示が行き届くように、各部隊の隊長がアレンさんの号令を復唱する。こんな大軍が指示通りに行動できるのかと疑問だったが、それは俺の思い過ごしだったようだ。混乱は発生せず、先頭から順番に、ゆっくりと動き出していく。

 軍団の中央でその様子を眺めていた俺は、綺麗にまとまった陣形にしばし目を奪われた。隣でアレンさんが声をかけてくれなかったら、ぼーっとしたまま馬からずり落ちていたかもしれない。

 ピロに馬の操り方を教わりながら、手綱を握って恐る恐る歩みを進ませる。どうやら落馬しないように下半身に力を入れるらしいが、振動の衝撃を和らげるために腰から上をリラックスさせるのがベストだそうだ。うん、緊張で身体がガチガチに固まった俺には無理な体勢だな。

「殿下」

 横から馬を寄せてきたアレンさんが馬上で俺に話しかける。

「本当に馬車は必要ないので? 進軍中に何度か休憩を挟みますが、それ以外は今夜から明日の未明まで移動続きになります。その……ご自愛された方がよろしいのでは?」 

 アレンさんは俺のことを気遣ってくれているようだ。

 できることなら彼の言葉に甘えたい。だが俺は乗り物酔いが激しく、慣れない乗り物に長時間揺らされると十中八九吐いてしまう。そんな醜態を晒すくらいなら、馬の上で眠気と戦っている方がマシってもんだ。

「俺は馬車が苦手なんだ。馬に乗っていた方がずっと気楽で良い」

 自棄になって言ったつもりだが、アレンさんは俺の台詞にいたく感動したようである。目を輝かせてぬっと顔を近づけてきた。

「なんと! 殿下もそう思われますか! いやあ……実は僕もなんですよ。軍人としての血が疼くっていうか、何かしていないと気が済まないといいますか……とにかく、馬車の中でじっと馬の蹄の音を聞いているのがむず痒くて仕方ないんです! やはり騎士は自ら馬を操ってこそですよね!」

「…………」

 なんか一人で盛り上がり始めた。それに俺は騎士じゃないから知らん。

 いきなりテンションがおかしくなったものだから、俺の周囲を守っている護衛の騎士たちも仰天してアレンさんに注目した。よく見れば行進している兵士たちも何事かとアレンさんに視線を飛ばしている。

「やはりキリヤ殿下は、お父上様の血を色濃くお継がれているのでしょうか。直接お会いしたわけではないのでありますが、生前のガレス様はそれはもうご身分に似合わず武骨溢れる騎士道精神の持ち主であられたそうですよ。お暇な時間を見つけては、中庭で剣術のお稽古に励まれたり、供の者を連れて街の外へ狩りにお出かけになったりと……ああ、そうだ! お忍びで城下に下りられた時もですね、か弱い女性に絡む悪漢をたったお一人で打ちのめした、などという噂話は結構有名です!」

 アレンさんがあまりに大袈裟な身振り手振りで話をするものだから、彼と相乗りしていたお嬢は危うく馬から落ちそうになった。

「ぎゃあ! ちょ、ちょっとアレンさん! お、落ちる……! 落ちちゃうってば!」

「あ! も、申し訳ありません、デルクレイル嬢! つい、興奮してしまって……」

 ハハハ…と乾いた笑い声を上げるアレンさん。それに対し、お嬢は顔を真っ青にしてアレンさんの腰にしがみ付く。何でもセレス嬢は、馬に直接乗るのは今回が初めてらしい。一人で馬に乗るのは躊躇われるので……というよりお嬢一人じゃとても馬を操れそうにないので仕方なく、アレンさんの馬に乗ることになったというわけである。

 別に俺と相乗りでも良かったんだが、それを提案した途端アレンさんとその副官のダリスさんが猛烈な勢いで恐縮したので実現しなかった。やれやれ、王子の身分っていうのもなかなか融通が利かないな。 



 陽が完全に西の空に沈み、夜間特有の静けさが辺りに立ち込める。

 視界の悪い暗闇での移動はなるべく控えるべきなんだろうが、急ぎの“作戦”とやらを遂行中の軍隊にはそんな障害は些細なことに過ぎないらしい。

 等間隔に灯る明かりは歩兵が掲げる松明たいまつの炎であろう。それが前方百メートル先にまで及んでいることから、この行列が相当長くて結構な数であることを容易に想像させる。

 後ろの列を確認しても……うん、前と大して変わらないな。光の点が点々と……あれ、なんかダジャレみたいに……ふふふ……。

「……っ!」

 い、いかんいかん! あまりの眠気に思考が迷走を始めちまった。くそ! なんだってこんなに暗いんだ!? 人手有り余ってんだからもっと明かりを増やせばいいのに……。

《それは駄目だって、さっきアレンさんが言っていたでしょうが。魔獣は強烈な光や臭いを極度に嫌うんです。夜の間は活動を停止するといっても、下手に刺激すれば怒り狂って襲いかかってくるかもしれません》

 この大軍に? いくらなんでも、それはないんじゃないか?

《さぁ、どうでしょうね。正気を失った獣ほど恐ろしいものはないと言いますから……》

 含みのある妖しげな言葉を残して、脳内居候はそれっきり黙ってしまった。

 はぁ…ピロと話でもして眠気を紛らわそうと思ったのに……。こんな調子じゃ明日の朝まで持たな……ふあぁ……やべ、欠伸でちまった。

「…………」

 隣を見ると、出発当初から変わらずアレンさんとダリスさんが馬を並べて歩いている。彼ら二人は何やら話し込んでいるようで、こちらを構うことができる状態じゃない。お嬢はお嬢で、アレンさんの背中にもたれてすぅすぅ寝息を立てているから論外だ。けっ、手ぶらは楽で良いよな。

 あー……今、何時だろう。陽が完全に沈んだのが六時くらいだから、それからもう四時間以上経過してるとして深夜の十時半を少し回ったところか? いや、この世界の時間単位は俺の世界と違うから、こういう計算は合わないのかな。ちょっと待てよ……そもそもここの季節ってどうなんだ? それを合わせて考えると、やっぱり時間は変わってくから……ああもう! やめたやめた。俺は頭を使うとたまらなく眠くなる性質たちなんだ!

 それから一時間少し移動して、アレンさんが二度目の休憩タイムを兵士たちに呼びかけた。

 静かな軍団に少なからず騒がしさが戻ってくる。それは歩き疲れた兵士たちのため息であったり、隊長の号令であったり、馬のいななきであったり、鎧を擦る音だったり、お嬢の悲鳴だったり……何?

「ぎゃん!?」 

 ああ、お嬢がついに落馬した。

 アレンさんが伸びをした拍子に、体勢を崩したお嬢はそのまま地面に落下してしまった。尻から落ちたのか、涙目になりながら腰を擦っている。あの間の抜けた表情から察するに、恐らく落下してる時も意識がなかったんだろう。大した睡眠力だな。呆れ通り越してある意味尊敬するよ、ホント……。



 こく……こく……。

「おい起きろ。こぼすぞ」

「……ひっく!?」

 危うくスープ皿に顔を突っ込みそうになったお嬢は、俺の呼びかけでようやく正気に戻った。眠気で閉じそうになる瞼を必死にこじ開け、焦点の合わない目で俺の顔を凝視する。

「あ、ごめん……何か言ったかしら?」

「……何でもない」

 さっきからずっとこの調子だ。

 睡眠と食欲を同時に満たそうとするこの少女の器用さには脱帽するが、寝ながら口にものを運ぶマナーの悪さは決して褒められたものではない。

 頭をカクカク前後に揺らしながらスプーンを口に入れるお嬢を盗み見て、俺は盛大にため息を吐いた。


 宮廷魔道士のセレスが落馬したと、アレンさんの周りにいた兵士たちが大騒ぎしたのが今から二十分ほど前。   

 血相を変えたアレンさんが馬から飛び降りてセレス嬢に土下座して謝り、それに便乗してダリスさんも謝罪して、セレス嬢が寝ぼけた頭で混乱し、さすがにまずいと思った俺が仲介に入ったところ余計に畏まられて事態を大きくしたりなどなど……とにかく大変だった。

 今でこそ少し落ち着いて、仮設テントの下遅い晩飯を摂っているわけである。しかし、俺と同じテーブルで食事をするセレス嬢ときたら……いや、彼女の名誉のために多くは語るまい。とにかく…だらしないのだ。

「うぅ……眠くてたまらない……気付け用の薬持ってたっけ?」

 お嬢は独り言を呟くと、食べかけのパンを受け皿に戻してローブの中をごそごそと探り始めた。

 ――ぐはっ……なんて行儀が悪いんだ! 俺が同じことを親父の前でしてみろ、注意より先に拳骨が飛んでくる。

「おい、おじょ――セレス。食事に集中しろ、行儀が悪い……」

「眠くて仕方がないのよ……お願い! 先にこっち飲ませて!」


 ――“見たい番組があるの……お願いお父さん! 少しテレビ見させて!”――


「……っ!?」

 な、何だ……!?

 吃驚して、俺は顔を上げてセレスを見た。

 彼女は俺に視線を寄越さず、ひたすらローブのポケットをまさぐっている。時折眠そうに頭を振る以外は、特に何ともない。

 額に手を当てて、よく耳を澄ましてみる。

 …………。

 ………………。

 やっぱり何も聞こえない。幻聴だったのだろうか? いいや、それにしては随分とはっきり聞き取れたような気がする。

 ピロの仕業……じゃないよな。あいつが絡んでるなら、何かしらの接触があるはずだし……。 

「……疲れてるのか?」

「そうかしれない。今日は色々あったから……」

「いや、君に言ったんじゃない」

 はぁ……よりにもよって妹の声を聞くはめになるとは……。あれはいつだっけ? 確か飯時に「見たいテレビがある」とか言って妹が勝手にチャンネル変えた時だっけか? うおぉぅ…なんか鮮明に思い出してきたぞー。そうだ! それで俺がまたチャンネル変えて、妹に怒鳴られて俺も言い返して、リモコン奪い合ってると親父に「行儀が悪い!」と殴られて……。


「ぷはー。くぅ……頭がキンキンする……!」


 再びお嬢に視線を戻すと、彼女は頭を押さえてうんうん唸っていた。その手元には、どこから取り出したのかガラスの小瓶が握られている。

「それが気付薬なのか?」

 俺が聞くと、お嬢は頷いて小瓶を左右に揺すった。

「ええ。あたしが即効性になるよう調合したの。といっても、効き過ぎると頭痛が酷いんだけどね……」

 本当に頭痛が酷いのか、照れ笑いを浮かべる彼女の顔は微妙に引きつっている。

「お陰で眠気は吹っ飛んだわ。これで問題なく食事が――」

 

 ウォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン


 空気を震わせる獣の咆哮が轟いたのはその時だった。

 俺は驚いて肩を跳ね上げ、食事を再開しようとしていたお嬢は飛び跳ねて皿を地面にひっくり返す。

「な、何!? なにごと!?」

 それは俺が聞きたい!

 椅子から立ち上がってテントを抜け出そうと走り出す。

 テントの垂幕を押して外に飛び出すと、まず目に入ったのは俺に背を向けて身構える護衛の騎士たちだった。

「魔獣だ! 魔獣がいるぞぉー!」

 絶叫に近い誰かの怒号。

 それを合図に地べたで固まっていた兵士たちが慌てて立ち上がる。

 次いで轟く魔獣の咆哮。

 全身に鳥肌が立った。や、やばい、漏れそう……。

「で、殿下!? いけませんっ! 中へお戻りください!」 

 俺の存在に気付いた護衛騎士が、俺をテントに押し戻そうとこっちに近づいてくる。

 他人に触れられることを真っ先に避ける俺は、この時も後ろに下がってやり過ごそうとした。


 ――だがその時に見てしまったのだ。


 闇夜のなか、松明の明かりにうっすらと浮かび上がる巨大な狼の姿を。



                 ==============



 多くの兵士たちがひと時の休息を得て夜食にありついている時も、外回りで見張りに当たる歩哨は油断なく暗闇を睨んでいた。

 魔獣の接近にいち早く気付くことができたのも、彼らが神経を尖らせて周囲を警戒していたからに他ならない。そしてその第一発見者も、休憩の交代で歩哨を任された兵士たちである。

 軍列の西側。弓を携えた兵士と槍を装備する兵士、それに続くように松明を掲げる兵士の三人組がいる。ヴァレンシア軍第八旅団第十一歩兵連隊第五大隊付き第三十分隊所属の兵員という長い前書きがあるが、本人たちがそれを理解した上で兵務をこなしてきたかは妖しいものだ。ただ、分隊長に外回りの警備をするよう命令され、嫌々ながらもそれに従順して任務を遂行している姿を目撃すれば、見張りという仕事がどれほど大変なことであるかは容易に想像がつく。


「はぁ……腹減ったなぁ~」

 そうため息をこぼしたのは、三人組のなかで一番恰幅のいい松明持ちの兵士である。彼は残りの二人から少し離れたところをとぼとぼ歩いていた。

「おいペール! 暗くて何も見えねぇぞ! とっとと歩けってんだ!」

 後ろを振り返ってそう叱咤するのは、少し目つきの悪い槍持ちの兵士だ。その男は軍から支給された兜を槍の矛先に引っ掛け、時々くるくると回している。

 ペールと呼ばれた太り気味の兵士は、慌てて前の二人に追いついた。

「はぁ…はぁ…ふぅ……ご、ごめんよエリック君。僕は太っちょだから、皆と違って歩くのが遅いんだ」

 卑屈になって謝るペールに、エリックという名の目つきの悪い兵士はグワッと歯を剥き出す。

「けっ! 自覚あんなら痩せやがれ! お前がいつもそんなんだから、同僚の兵士に馬鹿にされるんだぞ! わかってんのか? あぁ!?」

「それに、自分のことを“太っちょ”と罵るのも関心しないな。『自虐』と言うんだっけ? 人間は人間らしくもっと傲慢に生きるべきだ」

 澄んだ声で同意を示すのは、エリックの隣を軽やかに歩くすらりと背の高い弓兵である。兜の側面から覗く尖った耳が、彼がエルフであることを証明していた。

「ふ、二人には感謝してるよ……。影で苛められてる僕をいつも助けてくれるのは君たちだけだから……」

「別にテメェを助けてるわけじゃねぇ! 一人相手に群れる根性ナシどもが目障りなだけだっ!」

「エリック、君も素直じゃないな。それは『照れ隠し』というやつだろう。何故わざわざ自分の気持ちを誤魔化してまでペールに当たるような言い方をするんだい?」

「なっ!? おいこらアゼル! 俺がいつこの豚野郎の心配なんかしたっ!」

「おや? 私は一言も“心配”なんて言葉は使っていないが?」

 エルフ兵士の名はアゼルというらしい。アゼルの試すような言葉に、エリックが目を見開く。

「ぐぅ……このキザエルフが……俺をコケにしやがって……!」

 今にも掴みかかりそうな形相のエリックと、それを涼しげな表情で受け止めるアゼル。

 両者のただならぬ雰囲気に、ペールは黙っていられない。

「やめてよ二人とも! 仲間同士なんだから、喧嘩なんてよして!」

「かーっ! 元はといえばお前がいつまでたってもヘタレだからだろうが!」


 それから一悶着あって、エリックの激怒はペールの謝罪とアゼルの仲介によって沈静化した。

 見るからに不機嫌な態度を取る槍兵の青年が大股で歩き、そのすぐ後ろを松明を掲げた肥満の兵士が必死に追いすがる。弓兵のエルフはそんな二人の様子を一番後ろで眺めながら小さく肩を竦めていた。

 それから三人はしばらくの間、ただ無言で任務をこなした。任務といっても、野営地に近づく不審者や魔獣がいないか見回るだけだったが、入念な監視が必要なため集中して事に当たらなければならず、会話も自然と途切れてしまう。

「やっぱり多いよなぁ……」

 そんな厳重警戒のなか間抜けな感想を漏らしたのはペールだ。

 彼は左右や後ろに忙しなく首を動かして、まるで落ち着きがない様子だった。見咎めたエリックが注意しようと口を開きかけ、それを遮るようにアゼルが横から声をかける。  

「多いとは、何がだい?」

「あ、うん……歩哨のことだよ。ほら見て、野営を囲んでいる松明の数。全部合わせて三〇組もある」

「……あぁ? 普通だろ?」

 暗闇を睨んだままのエリックが素っ気無く口を挟む。

 しかしペールは神妙な表情で首を振り、それを否定した。

「ううん、やっぱり多いよ。この前の遠方任務も夜営だったけど、その時の歩哨に動員された兵士の数だって四〇人止まりだったもの……」

「うむ……松明一本につき三人の歩哨が行動を共にして警戒に当たるわけだから、それが三十本となると歩哨の数は九〇人。確かに、前回の任務より監視役が多くなっているな」

 真面目な顔で頷くエルフの男を尻目に、エリックは馬鹿馬鹿しいとでも言いたげに槍の柄を地面に突きたてた。

「はっ! お偉いさん方の考えてることなんて知るかっての。歩哨が十人、二〇人増えようが、俺らが使いっパシリの犬であることには変わりねぇんだ。忠犬したっぱは忠犬らしく、ご主人様に尻尾振っておこぼれを貰っとけばそれでいい」

 完全に開き直るエリックの言葉にアゼルは微笑を浮かべる。ペールも共感する部分があるのか、苦笑を浮かべて仁王立ちするエリックの背中を見つめていた。

「キリヤ殿下が同行してるからかもしれないね。僕たちが見落とした外敵を中に入れないように、より一層警戒網を敷いているとか?」

「ほう……王子殿下を狙う不届きな集団がいるのか?」

 ペールは冗談のつもりだったのだろうが、アゼルは真に受けて軽く目を見開いている。

 その様子が可笑しくて仕方なく、エリックは声に出して笑った。

「こんな大軍に夜襲をかます命知らずな連中がいるならぜひ会ってみたいもんだ。勇気と無謀の区別もできない奴らだぞ? 肩から上にちゃんと頭がついてるのか気になるじゃねぇか」

 そうしてまた笑い声を上げるエリック。しかしいつまで経っても二人から同調の笑い声が起きない。

 疑問に思って後ろを振り返ると、二人ともエリックを凝視して固まっていた。

「うん? どうした? ……今のジョークそんなに寒かったか?」        

 エリックがガッカリして肩を落とすより先に、アゼルが腕を持ち上げて前方を指差す。

 もちろんその指先の直線状にいるのはエリックだ。彼は余計に不審がって、今度はその視線をペールに移した。しかしペールも同じで、真っ直ぐに自分を見つめている。

 ――いや、違う。

 エリックを注視しているように見えて、彼らはエリックよりさらに後ろの光景に視線がいっているようだった。そして、アゼルが指差す方向は自分の真後ろにある―――

「距離、10デイス(約二十メートル)。エリック、ゆっくり後ろを振り返るんだ……」

 小声でそうエリックに伝えるアゼルの顔からは普段の余裕な表情は窺え知れない。ペールに至ってもそれは同じで、彼の手に握られた松明が左右に激しく揺れていた。いや、ペール自身が震えているのか。

 頭だけ振り返るのはよくない。エリックは身体ごと前に向きを変えると、恐る恐る顔を上げて前方に視線を戻した。

「…………」

 最初、彼の視界を覆い尽くしていたのは漆黒の闇だけだった。だが目を凝らして暗闇を凝視すると、その中にキラリと反射する光沢のあるものを視認できる。それは上下左右に不規則に動き、時折素早い挙動を伴って空中を飛び回っているのだ。

 後ろの二人の反応があんな状態でなければ、夜行性の羽蟲だろうかと思い込んでいたかもしれない。だが三人は見てしまった。


 グルルルルルルルル……


 明かりに反射するその光沢は蟲の甲殻ではなく、獣が持つ鋭い前足の爪。挙動で空中を飛ぶように見えたのは、そいつが前足を激しく振り回していたから。

 そしてその爪のさらに上部、上下左右に不規則に動く光は牙だろうか。開いたままの口からは無数の牙が覗き、頭を振って涎を飛ばしている。瞬きに合わせ、点滅するように光る真赤な両目がエリックたち三人組の姿を確実に捉えていた。

「なぁアゼル……」

「……なんだエリック?」

 エリックは前方の黒い獣から目を離さないまま、背後のアゼルに声をかけた。

「あの化け物と俺がガチで殺り合って、俺が無傷で勝利する可能性は?」

「君が魔法剣でも携えていれば、もしかしたら有り得たかもしれないな」

「だったら、お前と俺で一緒に戦ったら?」

「僅かだが寿命が延びるだろう」

「じゃあ今俺らが逃げ出したらどうなると思う?」

「……後ろにいる兵士たちが危険に晒されるだろうね。無論、私達も助かるまい」

「俺たちが奴の気を引いて時間を稼いだら、後ろの怠け者どもは死ぬ覚悟くらいできるだろうか?」

「愚問だな……」

「アゼル。一緒に戦ってくれ」

「友の頼みとあらば」 

 エリックは槍先に引っ掛けていた兜を素早く頭に被ると、槍を構えて突撃の体勢を取った。

 突如――――


 ウォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン


 暗闇に潜む魔獣が特大の咆哮を上げた。

「ひぃ…!?」

 怖気づいたペールが腰を抜かして尻餅をつく。もう悲鳴も出ないのだろう、彼のパンパンに膨れた顔は恐怖に歪み、口だけが必死に何かを喋ろうと動いていた。そんな状態でもペールが松明を落とさなかったのは、彼のなかに残っていた最後の理性が頑なに任務に忠実であったが故か。

「ペール! 聞こえてんならさっさと逃げろ! あ、いや待て。その前に俺の遺言を聞いて――」

 しかしエリックの言葉は、魔獣から発せられた第二の咆哮によって掻き消されてしまった。今度はより明確な殺意を持って、こちらを睨みつけている。

「っ!? エリック!」

「ああちくしょう! 掛かって来いよクソッタレがぁーー!」

 エリックは雄叫びを上げて気合を入れなおし、三角刃長槍パルチザン一本で果敢に突撃を敢行した。

「グルァアアアアアアアアアアアアアアア!!」

 対して魔獣側も、全身の毛を逆立てて飛び掛ってくる。

 このままぶつかり合えば、軽量な人間であるエリックは間違いなく吹き飛ばされてしまうだろう。だが両方が接触する寸前、エリックは槍の刺突攻撃をすると見せかけて側面に身を投げ出し突進を回避した。

 ヴゥゥン!

 地面に伏せた彼の頭上を、魔獣の筋肉質な腕が通過する。

 あと少しでも頭を下げるのが遅れていたら、エリックの身体は鋭い爪によって容赦なく切断されていたはずだ。間近で感じた死の恐怖に、彼は溢れ出る冷や汗を抑えることができなかった。

「ふぅっー! 寿命が三十年は縮んだぜ……!」

 だがいつまでも寝そべってはいられない。

 ほとんど走り出すような形で起き上がると、次の攻撃に備えて魔獣と向き合った。

「オラ来いよ! 第三十分隊所属の槍兵、このエリック様が相手になってやる!」

 できるだけ魔獣の気がこっちに向くように、大声を上げて挑発する。黒毛を立たせ、低く唸り声を上げるその魔獣は、狙った獲物を仕留められなかったことを悔やんでいるように見えた。

 魔獣越しに野営地を見やると、兵士たちが慌ただしく武器を拾って攻撃準備を整えているところだった。残りの歩哨たちが援護に向かおうとこちらへ走ってくるが、それまで無事に生き残っているかどうか……。

 そんな事を一瞬の間で考えていたエリックは、反対側で弓を構えるアゼルの怒鳴り声によって現実に引き戻された。

「気を付けろエリックゥー! そいつはライカンスロープだっ! 鉄の武器じゃ歯が立たないぞ!」

「なんだとぉー!?」

 エリックが叫び返すがもう遅い。

 それまで四本足で地面に立っていた黒毛の魔獣は、腹から搾り出すような咆哮を上げて二本足で立ち上がったのだ。途端にエリックの二倍近い体格になったライカンスロープは、煌々と輝く赤い瞳で地上の人間を睨み据える。

 その中の槍を持った貧弱な青年に狙いを定めると、後ろ脚を折り曲げて勢いよく飛び上がった。

「なァ……!?」

 エリックは目を疑った。

 比喩でも何でもない。巨体は脚力だけで空中に飛び上がり、そのままエリックの元に落下してきたのである。

「グアアアアアアアア!」

「エリックゥーー!!」

 遠くでアゼルの絶叫が聞こえる。   

 だがエリックは走る気にはなれなかった。完全に放心してしまった。今更全力で回避行動を取っても、魔獣の下敷きになって圧死するのがオチだろう。

 真上から迫ってくる黒い物体を見上げながら、エリックは短い人生を呪う事も忘れ、そして――


「聖なる雷剣いかずちよ……ホーリィサンダー!」

  

 ――ライカンスロープの身体を、真横から雷が貫いた。                         

 グラグラグラ……!

 一瞬遅れて激しい落雷音が轟き、その騒音に思わず耳を塞ぐ。 

 魔獣は悲鳴を上げる暇もなく雷に吹き飛ばされ、その真下にいたエリックも衝撃で地面に押し付けられた。

「ぐふっ……!」

 何も見えない。眩い光が視界を覆いつくし、雷の音だけが周囲で轟いている。

 ――いや、ほんの少しだがエリックにも見えた気がした。

 うつ伏せの状態で顔を上げると、少し離れた場所に黒こげになったライカンスロープを見つけた。感電してるのか、身体を小刻みに震わせている。だが、しぶとくもまだ生きていた。

「あれ……まだ動くのか?」

 くぐもった低い声の発信源は後ろか。

 無理矢理身体を捻って振り返ったエリックが見たものは、漆黒の闇夜に同化する黒いローブを纏った、黒い仮面の魔道士だった。

  

 少し説明を……。


 作中に出てくるライカンスロープという魔獣は、二本足歩行が可能な巨大なオオカミとでも思ってくださいw

 “狼人間”や“ワーウルフ”などと呼ばれています。

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