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異界の古代魔道士  作者: 焔場秀
第二章 東国動乱
48/73

第四十三話 ガードナの推察

 夕刻。

 ランスロット王国宰相代理を務めるガードナは、王城内の執務室で地方貴族から届いた書類に目を通していた。

「増税撤廃の要求だと……? ふん、小心者のランスロット貴族め。対リディア戦の敗北を耳にした途端この心変わりか。いちいち民の反戦暴動を恐れていては、強大な軍政国家など生まれぬというのに」

 机に紙束を放り投げ、椅子の背もたれに身体を預ける。

 つい一針前(1時間前)、ガードナは本国の帝国参謀省にとある調査を要請していた。要件はもちろん、最近のヴァレンシア王国の内情とリディアの援軍に駆けつけたヴァレンシア軍指揮官の情報収集である。いかに万単位の兵士を保持するヴァレンシア王国の一個師団といえど、同じく一万の大軍で送り出したランスロット軍をたった一日で敗走に追い込むのは並大抵の作戦では不可能だ。となると導き出せる結論は二つ。軍隊を指揮した軍人が優秀か、でなければ相手が一発逆転の秘密兵器を保有しているかだ。

(それとも、数に物を言わせて一気にこちらを飲み込んだか……)

 兵の消費を渋るヴァレンシアのやり方ではないが、今の国王ならそれもやりかねないと、ガードナは考えを改めた。

 ヴァレンシア王国第八十二代目国王、アレクシード・ファレンス・エクス・ヴァレンシア。二つ名は自称“不敵”。国王に即位して僅か4年という若い王ともあって、その知名度は近隣諸国であれば上層部止まりと、さほど有名というわけではない。外交に力を入れた先王ガレスに対して、その嫡男アレクは内政の基盤確立に躍起になっていると聞く。名君と尊敬された父に比べてその息子に注目をが集まらないのは、こうした外国に対する積極性の差が要因であるのだろう。 

 だがガードナは帝国の諜報員という職業上、大国指導者の情報取得に抜かりはなかった。

 不敵王アレク。彼は戴冠式の日、王都の広場に集まった国民たちに自らそう公言して以来、“不敵”の二つ名を名乗り続けているという。当時はまだ齢二十一歳。たった一人の肉親である妹君のアプロディーナを寵愛し、婚約の取り決めもさせずヴァルハラ王宮に住まわせているのだとか。アレク王自身もかなりの女好きのようだが、未だに妻を娶る気はないらしい。

(若輩者で名君気取り、しかも女好きときたか……。愚王の典型ともいえる三拍子だが、これはあくまで表の情報。真偽はわかりかねるな……)

 もしアレク王が本当に救いようのない指導者であるなら、不満を漏らす国民の声の一つや二つあってもおかしくないものだが、今のところ彼に対する酷評は皆無といっていい。となるとアレクは先王と同様優秀な国王なのか、もしくはアレク王を補う優れた側近がいるのかもしれない。

「ガードナ様、よろしいでしょうか?」

 彼が目を閉じて考察に耽っていると、ふと扉越しに声を掛ける者があった。

 また貴族からの請願書を携えた小姓がやって来たのかと思い、ガードナは疲れ気味に「何だ?」と応答する。

「は。それが、先ほど街にリディア討伐軍の別働隊が帰還したと、王都警備隊から連絡がありまして、直ちにガードナ様にご報告上がりたいとのことです」

「別働隊だと? 主力部隊はどうした?」

「わかりません。ただ、その部隊の指揮官が今すぐ宰相代理殿にご面会したいと」

「……よし、ここに通すように伝えよ」

「畏まりました」

(別働隊とな……?)

 確か先ほどヴィヴィアンの戦況報告の中に、魔獣討伐に別働隊が向かったという話があった。

 トーテム戦に巻き込まれた主力軍はそのほとんどが完全敗走。しかしその戦いに参戦していなかった別働隊はヴァレンシア軍の攻撃を受けずに済んでいる。別働隊に限っては指揮系統を乱されず、統率を維持したまま部隊を本国に連れ帰ることも可能だったのだろう。

 しばらくして執務室に現れたのは、分厚い鎧で身を包んだ獣人族の大男であった。

 戦場であれば、武器などなくともその強面と屈強な体躯だけで敵を怯ませることができそうである。戦士としての実力も大したものなのだろう。鎧の隙間から覗く黒毛が所々剥げ、歴戦の将を思わせる古傷が垣間見えていた。なるほど、これなら魔獣討伐隊の指揮官に選ばれても何らおかしくはない。

「よくぞ帰られた。リディア進撃戦、ご苦労であったな」

 ガードナは作り笑いを浮かべ、男を労う。

 しかし獣人の戦士はそれに恐縮するどころか、頭を下げて応答することもない。

 負け戦で肩を張れない自分の境遇に負い目を感じているのだろうか。しかし、事実上ランスロットの支配者に対して沈黙を貫くというのはあまりに礼を欠いている。さすがのガードナも男の不遜な態度には眉をひそめた。

「どうした? 私に報告することがあるだろう? 何を黙っている?」

「…………」

 無言。

 獣人の男は俯いたまま、拳を握りしめて肩を震わせていた。

 ……何か様子がおかしい。再び声を掛けようとガードナが机から身を乗り出した時、獣人の男は不意に膝を突いて頭を抱え出したのである。

「お、おい」

「……あ、悪魔です」

「何?」

 男が口を開いた。

 彼は天敵を威嚇する獣のような唸り声を上げ、全身の毛を逆立たせている。尋常とは思えない取り乱しようだった。

「悪魔とは何のことだ? 一体誰のことを言って――――」

 ばっと頭を上げた男が、殺気を宿した金色の双眸でガードナの瞳を射抜く。

 その狂気的な表情に、机越しであったガードナも息を飲む。

「わ、我が軍を壊滅させた魔道士です! 自分は遠目で見ておりました……。黒いローブを纏ったヴァレンシア軍の魔道士が、見たこともない魔術を放ってランスロット本陣を……本陣を……光の柱で覆い隠して……ッ!」

「……詳しい報告を」

 獣人の男は名をダゴンと名乗った。軍階級は少佐。ランスロット重装部隊の隊長でもある。

 魔獣討伐の任を与えられていた彼は、自分の部下約三千名を引き連れて本隊と離れていたのだという。後方拠点の魔獣を一掃し、いざリディアとの戦に駆けつけようと馬首を巡らせた時、一人の伝令がダゴンの元に跪いた。

「伝令の知らせを聞いた時、最初は耳を疑いました。何せ、ヴァレンシア軍八千が我が軍主力を前後より急襲しているなどと……。もしそれが真実であれば、我が軍の勝ち目はないに等しい。自分は味方を退却させる時間を稼ぐため、一部の騎馬隊だけを率いて本陣に急行しました……」

 戦場を一望できる丘から戦いの様子を目にしたダゴンは、その惨状にしばらく言葉を失った。

 ランスロットが誇る一万の大軍と飛竜隊が、たった一国の軍事介入によって濁流を逃れるアリのように逃げ惑っていたのである。強力な最新兵器と有能な兵士を備える大国の軍隊を前に、もはやランスロット軍は烏合の衆でしかなかった。

「そんな絶望的な戦闘の最中でした……。敵の最前線に、一際膨大な魔力の塊を視認したんです」

「魔力の塊? 奴ら野戦に魔道砲を用いたのか?」

 ガードナの問いに、ダゴンは首を激しく振って否定する。

「ま、魔道士です。……その魔力の塊は魔道兵器ではなく、黒いローブを纏った魔道士によって制御されておりました!」

 ガードナは目を見開く。

「生身の人が視認濃度の魔力を……!?」 

 基本、魔道士は魔術発動時に印によって威力加減を調整する。体中の魔力を搾り出せばあるいは魔力を視認できる濃度にすることができるかもしれないが、印を結んでいる以上そんな危険な事態になるのはほぼあり得ない。    

「貴官の見間違いではないのか? “魔力摩擦”を起こして暴発していた可能性も――――」

「いいえ! 自分はずっと見ておりました! その魔道士が光の球体を天に打ち上げて、我が軍後方に構えていた本陣に落とすのを……」

 ダゴンがあっと声を上げた次の瞬間には彼の視界を強烈な閃光が覆い、目も開けられない状態であった。少し遅れて嵐のような爆風と焼けるような熱線が全身を襲い、ダゴンとその部下たちは咄嗟に地に伏せたという。

「爆風が収まって身を起こしたら……あ、辺りはもう阿鼻狂乱の地獄絵図でした。――――大地はマグマのように真っ赤に煮え、黒煙が空高く立ち昇り、本陣の将兵たちは、一人として姿を確認できず。跡形もなく燃え尽きたと思われます……」

「そんな……馬鹿な……」

 いよいよガードナは彼の頭を疑った。

 まさか激しい戦が影響して狂ってしまっているのではないか。ダゴンの語る内容はつまり、魔道士の放ったたった一発の魔術がランスロット本陣を一瞬で焼き払ったということになる。上級魔道士マスターウィザードが百人――――いや、大魔道士ケイロンが十人集まったとしてもそんな大規模な魔術を行使するのは不可能だろう。

(もしや……)

 敵の魔道士の魔術攻撃を受け、本陣が壊滅的な打撃を受けたと戦況報告でヴィヴィアンは言っていた。

 ヴァレンシア王国は大陸一優秀な魔道士が多く集まる大国だ。リディア救済軍に魔道士団が従軍していたとしたら、ランスロット本陣は彼らの一方的な魔術攻撃によって集中砲火を浴びたとも考えられる。 

(そういえばこのダゴンという男、部屋に足を踏み入れてから様子がおかしかった。話す内容も全て真実味もない。歴戦の将とはいえ、所詮は小国の軍人だ……大国の圧倒的兵力を前に気が狂って幻影でも見たか)

 ガードナはそう勝手に解釈すると、最初こそこの男の報告を真面目に聞いていた自分に腹が立った。

 まったくもって馬鹿馬鹿しい。そんな世迷言をいちいち信じていたなら、諜報員などという裏の役職が何年間も務まるものか。

 彼はいかにも不機嫌そうに鼻を鳴らすと、膝を突いてこちらを見上げる黒毛の大男に向かって軽く手を払った。さっさと部屋から出て行けという意味である。

「貴官は少し疲れているのだろう。無事に戻ってきた部下たちに解散の旨を伝え、それからゆっくりと静養するといい……」

「お、お待ちを宰相閣下! 自分は虚言を申しておるのではありませぬ! 確かにこの目で見たのです! とても同じ人種とは思えない、常軌を逸した力を持つ魔道士の――――」

「仮にそのような鬼才の魔道士がいるならば」

 ガードナはダゴンの言葉を遮る。

「何故その魔道士は今になって現れ、我々の軍を圧倒する魔術を行使したのだ? それほどの力を有しておれば、軍隊などという武装組織で戦いの機会を得ずともこの大陸を消し去ることは容易だろう」

「そ、それは――――」

「もうよい。私は戦後処理の仕事に追われそれどころではないのだ。今回の戦の件も、責任は全て私が受け持つ。君は何も心配することはない、速やかに退室したまえ」

 必死に食い下がろうとするダゴンに、ガードナは見向きもせず言い放った。

 責任の追及を恐れてこのような狂言を吐いたのであれば、彼も素直に部屋を出て行くだろう。そう思ったガードナであったが、彼の予想は少しばかり外れることになる。

「……小官の報告は信じられないと、宰相閣下はそう仰るのですか……」

 床に膝を突いたまま微動だにしないダゴンが、唸るように声を漏らした。

(まさか、まだ私に楯突くつもりか……)

 再びダゴンが言い返してくるとは思わず、ガードナも軽く眉を顰める。

「くどいぞ小佐。そんなにその“黒の魔道士”を信じてほしいのならば、貴官自らその者を生け捕りにして私の元に連れてくるがいい。実際にこの目で見た方が信憑性もより増すというもの。今後の戦略として、その魔道士を利用できるかもしれんしな」

 最も、そんな殺戮者相手に貴官が生き延びればの話だが。

 そう最後に付け加えて、彼はその青白い顔に冷笑を浮かべた。

 言葉で相手を翻弄し、反論できなくなるまで追い詰める手段をガードナは好む。グルセイル帝国の一諜報員でしかなかった彼が、頭の堅いランスロットの重鎮たちを押しのけて副宰相という身分を掌握したのも、ひとえに謀略による裏工作だけでなく、以前から兼ね備える巧みな話術の賜物であるといえるだろう。

(計画はほぼ全て順調だ……捨て駒は黙って私の言う通り動いていればいい)

 そしてこの時も、自分との会話の前にダゴンは已む無く口を閉ざすと考えていた。

 ――――と。

「あの魔道士は必ずここへやって来る……」

「……なに?」

 しかし、ダゴンはガードナの言葉に怖気づいてはいなかった。

 強い意思と恐怖を宿した瞳をガードナに向けて、獣人族の将校は言う。

「わ、我々を徹底的に滅ぼすつもりだっ。でなければ、あんな残酷な魔術を平気で発動するわけがない! あなたはじきに思い知ることになるだろう。こんな事になるなら、もっと視野を広げて部下の意見に耳を貸すべきだったと後悔することになる!」

 今にもガードナの喉仏に喰らいつくかというくらい牙を剥き出したダゴンは、その場で立ち上がって騒々しく部屋を出て行った。

 となると、残されたのは唖然となったガードナだけである。

 ダゴンの纏う鎧が激しく擦れる音を遠くに聞きながら、彼は目を丸くしてとにかく驚いていた。

 何故か怒りは湧いてこない。あの軍人は自分をたぶらかしたのではなく、本心で言葉をぶつけていたのだろう。顔を見ればわかる、間違いない。

(調査団を戦場に派遣して調べるべきか……。いや待て、いまからでは遅い。私の計画に支障が出てしまう事態だけは何としても避けねば――――)

 その時。

「む……?」

 思考に耽ったガードナの視界の端を、一つの光線が掠めた。 

 見ると、机の隅に置いていた伝報水晶メッセージクリスタルが、一定の点滅を繰り返しながら淡い光を放っている。光の色は青。本国のグルセイル帝国からの伝達のようだ。

(……これは。参謀総長御自らの伝報!?)

 発信元は帝都の参謀省本部。送り主の指名に、ギルマン・デル・シャーズ・ツァーロイと記されていた。

 帝国の軍人であれば、その名を知らない者はいない。稀代の名軍師として知られるその人は、現在参謀省の総参謀長としての地位に就いている。ガードナにとっては、とても手が届きそうにない高みの存在であった。

 その人物が今、ガードナの伝報水晶に文を発している。これが一体何を意味するのか、良い事であっても悪い事だろうとも、冷めた態度のガードナを一気に緊張させる一大事であることには違いなかった。 

 発光に合わせ、水晶の表面に浮かび上がる文字の羅列をガードナは素早く暗読していく。

 情報提供という名目で書かれたその文章は、主に最近のヴァレンシア王国の動向――――しかも一般人が知らないような機密に近い内容ばかりだった。

 今日の早朝に情報提供を依頼したばかりであるのに、即行の情報収集にしては些か詳細過ぎる。これはヴァレンシア側にも、帝国の間者が潜んでいると考えていいだろう。大国の厳しい警戒網をすり抜けて政府の中枢に潜入するのは並大抵の諜報員にできることじゃない。少なくともガードナより優秀な者が、ヴァレンシア政府の上層部に存在する。

 彼は少しでも多く利用価値のある情報を見つけようと、次々と水晶に浮かび上がる文章を食い入るように読んでいった。

 その中で特に目を引いたのは、“二日前にアレクシード王の異母弟が王宮入りした”という情報である。ヴァレンシア王家にもう一人王位継承者がいたことに驚きだが、それ以上にガードナが仰天したのは先王ガレスに側室がいたことであった。

「正妻のみだと聞いていたが他に伴侶を抱えていたとは……。世間の評判も、裏を暴かれればただの噂だな。風変わりな王だと思っていたが、人の欲求には勝てなかったか」

 皮肉を呟きながら、ガードナは水晶を流れる文字列を目で追っていく。

 アレクの異母弟についても、曖昧であるが少なからず記されていた。その名をキリヤ・ファレンス・カンザキ・ヴァレンシア。出生後しばらくしてガレス王の側室に連れられ離宮に移り、今まで音信不通だったという。容姿に関しては、ヴァレンシア王家の証である漆黒の髪色を持つ中肉中背の男子とのこと。

 ――――黒いローブと仮面を身につけていたため、現段階では年齢を確認できない。尚、第二王子は魔道士の資格を得ている。階級は上級魔道士マスターウィザード。貴下がヴァルハラ王宮に送った刺客を早々に探知、撃退している。今後の対ヴァレンシアの隠密作戦には十分に注意されたし―――― 

(……作戦完了の定時を過ぎても連絡がつかなかった時点で、刺客が捕縛されたことは想定済みだ。しかし、その刺客を見破った張本人がヴァレンシア王国の第二王子であったとは想定範囲外だな……)

 なかなか選りすぐりの魔道士を選抜して送ったつもりだった。それを難なく撃破したのだから、王子の魔道士としての実力は相当なものらしい。

(離宮に住まわせてたとなると、キリヤ王子はアレク王の替え玉であろうな。血縁者を密かに育て、万が一の時のために第二王子を国の旗頭に立てるつもりであったのだろうが……)

 しかし、参謀省の調べによるとキリヤ王子は今回の東部作戦の総司令官として、東方方面軍に従軍している。彼自身はリディア救援軍と共に行動していたらしいが、今のところトーテム山地の戦闘に関する詳しい情報はない。ヴァレンシア東部前線基地から出撃した兵力は合わせて一万五千。そのうち八千がリディアへの援軍としてトーテム山地に急行。残る七千の軍は占領された東端領土の奪還に向かい、これを達成している。

 元々好戦的な大国ではなかった反面、たった一日で一個師団規模の作戦を起こしたヴァレンシアの軍事行動は確かに予想しがたいものだった。この急な動きを見せたヴァレンシア王国軍とキリヤ王子の王宮入り、何か関係があると考えるのが妥当だろう。ただ、そのどれもが未だ不明瞭のままであるのが、ガードナにとって非常に歯がゆい思いであるのには違いなかった。

「まあいい。私の計画が全て順調に進めば、いずれヴァレンシア王国は帝国のものとなる。あの不敵王が何を企んでいるのか知らんが、それらも全て無駄な足掻きとなるだろう……」

 自分の計画を足がかりに帝国の大陸統一が揺ぎ無いものとなれば、皇帝陛下から多大な恩恵と名声を得られる。そんな遠くない未来の輝かしい自分を思い浮かべながら、ガードナは顔に出る微笑を抑えることができなかった。


              =======【アレク視点】=======


 真っ暗闇の穴に墜落し、そのまま闇の世界を永遠に彷徨うことになるのかと思いきや、アレクの浮遊落下は数秒とかからずに終わった。

「っ……!」

 落下の衝撃はない。

 少しばかり吐き気を催しただけだ。

(うえぇ……アルの背負い投げをくらった時みたいな感覚だ。痛みがないのがせめてもの救いだな)

 アレクは目を開けて、周囲の状況を確認する。

 見覚えのある場所だった。天蓋付きのベッドや長椅子が広々と置かれている。そこは間違いなく、キリヤが使っていたリディア城の一室だった。

「あ、あれ? 俺戻ってき――――って! ええ!?」

 なんとなく足元を見下ろして、アレクは仰天する。

 彼が立っていた場所のすぐ近くに、鎧を纏ったリディア兵が倒れていたのである。よく見ると、その兵士はアーガス王の護衛をしていた者であった。他にも数名、同じ格好をしたリディア兵士たちが部屋のあちこちで倒れている。これが善からぬ輩の仕業であれば、由々しき事態であるのに違いない。そして部屋の中央には、アーガス王がたった今目覚めたばかりのような表情で立ち尽くし、ある一点を凝視したまま固まっていた。

「……ん?」

 何か様子がおかしい。

 不審に思ってアレクが声をかけようとした時、その原因が彼の目にも飛び込んできた。

『まあ、乱暴なお方ですこと。同じ淑女とは思えませんわね』

 どこか芝居掛かった口調で話すのは、真紅のドレスを身につける女性。長い金髪を床に撒き散らし、仰向けに倒れた状態のマリオネットであった。

 そして――――

「私は淑女である以前に軍人です。あまり度が過ぎると、このように武力行使に移る場合があることも想定しておいていただかなければ……」

 そのマリオネットを組み伏せるようにして膝立ちになっているのは、ヴァレンシア近衛騎士団団長のアルテミス。彼女は逆手に構えたレイピアをマリオネットの首筋に突きつけ、殺気だった低い声で応える。 傍から見てもただ事ではない雰囲気だった。別々に別れたはずの二人がこうして対峙している理由はどういうことなのかは別として、今は直ちに二人を止めるべきであろう。どちらかといえばアルテミスの方を。

「おいアル! 何をしているんだ!」 

 躊躇なく二人に近づいたアレクが、混乱した頭で咄嗟に浮かんだ咎めの言葉を家臣に投げかける。

 するとアルテミスはアレクを一瞥して軽く目を見開き、再びマリオネットに視線を移してから小さく息をついた。

「陛下、ご無事で何よりです。お怪我はありませんか?」

「俺の事は大丈夫だ。それよりも、お前は彼女に何をしている?」

「決まっています。王族に手を出す躾の悪い妖精に、礼儀の何たるかを叩き込んで差し上げるためです」

 アレクの疑問に、アルテミスが澄ました表情で即答する。

 彼女の視線は相変らず下敷きになったマリオネットに注がれたままだ。顔はいつものままだが、その瞳は魔眼の如き冷たさを含んでいる。どうやら本気で怒っているようだ。

『舞踏会は王侯貴族の嗜みではありませんか。礼儀に欠いているのは、ワタクシとアーガスのダンスに武器を振りかざして割り込んだあなたの方ではなくて?』

 下からマリオネットが反論する。

 ――――武器を振りかざして割り込んだぁ!?

 一体自分がいない間にアルテミスはどうやって紳士妖精の拘束を抜け出したのか、大胆かつ突拍子な行動をする騎士団長にアレクは動揺を禁じえない。

「この惨状を見ても同じ事を言えますか? あなたが私たちに同意を求めず、無理矢理にダンスを強制した結果です」

 アルテミスは視線だけを床に倒れるマリオネットに固定したまま、レイピアから片手を離して部屋の中を指し示した。

 それに合わせ、マリオネットも首を動かして部屋を見回す。最初は近くに立っていたアレクを見上げ、次にアーガス王。そして最後に今初めて気づいたかのように、床に倒れて身動きしない兵士たちに顔を向けた。

「どうです、マリオネット? あなたの無謀な振る舞いのせいで、彼らの尊い命が失われて――――」

「いや待てアル。この兵士たち気絶してるだけだ」

「……だそうですが、それでもあなたの行いが許されるわけではないことをお忘れなきよう。守護妖精とはいえ、こんな悪戯はさすがに見過ごせません。誠心誠意、速やかなる謝罪を要求します」   

 生真面目な騎士団長は、是が非でもマリオネットを反省させたいらしい。元より我の強いアルテミスのこと。こちらがいくら説得しても、彼女は自分の意志を貫き通すつもりなのだろう。   

『……倒れている兵士さんたち。魔力に対する免疫がなかったから気を失っているのですわ』

 微笑を貼り付け、余裕の表情でそう言葉を発するマリオネットに、アルテミスの眉が一瞬だけ持ち上がる。

「この状態でまだ言い訳ですか? 一つ忠告しておきますが、この細剣の前から逃げ切れるなど愚かなお考えはお持ちにならない方がよろしいですよ。これは普通の刺突剣とは違い、刀身を魔力で強化された、いわゆる魔道兵器マジックウェポン。実体を持たない妖精であろうとも、威力を伴って貫くことが可能ですので……」

『ええ、それはもちろん。あなたがワタクシの意に反して触れることができる時点で、十分承知しておりますわ。あなたの“お相手”だった殿方も、その武器で追い払ったのでしょう?』

「察しておられるのなら結構。では、茶番劇の被害者であるアレク陛下とキリヤ殿下、並びにアーガス王とその護衛の兵士たちに謝罪をしてください」

 もう一度謝罪の要求をしてから、アルテミスはようやくマリオネットの喉下から細剣レイピアを遠ざけた。ただし、武器は鞘に収めず構えたままで、その切っ先も常にマリオネットを向いている。また悪戯を実行されるのを見越しての警戒だろう。主であるアレクが傍に居る分、その緊張を帯びた殺気が物凄い。マリオネットや紳士妖精との騒動が原因か、結い上げた紅い髪がほつれ、さらには軍服が所々乱れていた。人一倍風紀を気にかけるアルテミスも、この時ばかりは頭髪や服装を整える暇はない。

 それに比べマリオネットは、ゆっくりと上体を起こして頭を上げると、髪を撫で付けて指で梳いたりドレスの乱れを直したりと外見の点検に余念がなかった。

(おおっ……!?)

 特にアレクが目を引いたのは、露出の多い胸元を指先で整えていた時である。もちろん、鼻の下を伸ばして卑猥な視線をマリオネットに注いでいたアレクは、アルテミスから送られた鋭い眼光によって表情を引き締めたのは言うまでもない。

 マリオネットが立ち上がってスカートをはたく間も、アルテミスは油断なく紅いドレスの女を睨みつけていた。

『そんな怖いお顔をされては、せっかくの美貌が台無しですわよ?』

 緊張感のない声で、マリオネットはアルテミスに微笑む。

 しかしアルテミスは何も話さない。眼鏡の奥から覗く双眸がただマリオネットを見据えている。

『嘘ではないのですけれど……。あらあら、ワタクシが頭を下げるまでまともに取り合ってはくれませんのね』

 ドレスの妖精は興が乗らないといった風に肩をすくめると、再び部屋の中を見回した。 

 彼女の視線からはすでに妖しい光は消えている。真剣にアルテミスの要求に従う気になったのか。最悪の事態だけは避けられたようで、アレクは大仰にため息を吐いた。

『それはそうと――――』

 昏睡する一人の兵士に目を向けながら、マリオネットは頬に人差し指を押し当てる。

『ワタクシが創った“追想の舞踏演劇場カノン・ミュージアム”。実は魔力干渉を起こして“回想状態”を発生させる事が時々あるのですけれど……アルテミスさんとヴァレンシア王は平気でして?』

「カノンミュージアムって何だ?」

 聞き馴れない単語にアレクは首を傾げる。

「マリオネットだけが扱える空間系の魔術だ。私も詳しくは知らぬがな」

 答えたのはアーガス王だった。

 ようやく落ち着きを取り戻したのだろう。彼はこちらに背を向けて一人の兵士の傍に屈みこむと、その身体を軽く揺すって命に別状がないことを確認した。

『脳を刺激して、過去を垣間見せる“回想状態”という現象を引き起こす異空間のことですわ。発動には通常の詠唱や印を必要とはせず、踊りや歌を用いますの』

 踊りや歌……。

 そういえばこの部屋に大勢の妖精が現れる前、無駄に芝居掛かった言葉を喋りながらマリオネットがダンスを披露していた。元々そんな趣向の持ち主かと思っていたが、どうやらあれは“追想の舞踏演劇場カノン・ミュージアムという異空間を発動させるための事前の儀式であったようだ。そもそも生身の人間であるアルテミスや自分が、妖精に手を取られただけで壁をすり抜けられるようになるというのがおかしい。壁が蠢いたり、足元に特大の穴が空いたりしたのは、それらは全て現実のものではなかったから。

「それで? その“回想状態”に対する精神への危険性はあるのですか?」

 目を細めたアルテミスが厳しく問いかける。

『後遺症はありませんけれど、感傷に浸ってしばらくうつ状態になる人がいますわね。過去に辛い出来事を抱えたまま吹っ切れていない人などは特に……』

「ふむ……大事に至らないのなら良しとしましょう。ところでキリヤ様。私がお傍を離れた後、妖精たちに何か酷いことはされ――――キリヤ様?」 

 アルテミスのうろたえた声で、アレクもそれに気づいた。

 部屋を見回してみるが、黒いローブを纏った少年の姿がどこにも見受けられない。

「お、おいキリヤ? どこかに隠れてんのか?」

 アレクが冗談交じりで虚空に話しかけるが、そんなことで返事が返ってくるはずがなかった。

 表情に焦燥を浮かべたアルテミスが、武器を仕舞って隣の寝室に飛び込む。しかしすぐまた飛び出してくると、マリオネットに大股で歩み寄った。

「マリオネット! この期に及んでまだ悪戯を……! キリヤ殿下をどこに隠したのです!」

 今にも掴みかからんという勢いで、アルテミスがマリオネットに吠える。さっきまでの内側に秘めた冷静沈着な怒りと打って変わり、感情をむき出しにした激しい怒りであった。

 アルテミスがここまで怒るのは正直珍しい。事実、アーガス王は目を白黒させて驚いていたし、アレクであっても彼女の激怒した姿を見るとかなり戸惑ってしまう。

 だが怒りの矛先であるマリオネットに限っては、涼しい顔をしたままでまったく反省の色がない。

『まあ失礼な……。何を根拠にワタクシがキリヤ王子を隠したとおっしゃいますの?』

「あなたの術中に掛かった方たちで唯一、キリヤ様だけがここに帰還していないからです!」

『ワタクシの友人が別の場所に連れ去った可能性は、考慮に入れないんですのね』

「何ですって……!?」

 絶句したアルテミスを見て、マリオネットは可笑しそうに声を上げて笑う。

『あなたたち、行方のわからないお連れの人を探しているのでしょう? でしたら、キリヤ王子が他の守護妖精たちにお連れさんの捜索をお願いしているかもしれませんわ。ワタクシが魔術を施した場所はこの階だけですから、術が解かれる前に効果の及ばない地点に移動してしまえばそれでおしまい。元居た部屋に戻ってなくても何ら不思議ではないのですもの』     

「…………」

 黙りこくるアルテミスに、マリオネットは勝ち誇った笑みを浮かべた。

 しかしそれも一瞬のことで、すぐにいつもの微笑に戻る。彼女は天井を見上げて、一人の妖精を呼び出した。

『ジェームス、出てきてくださいな』

 かくしてシャンデリアをすり抜けて現れたのは、アルテミスをダンスに無理矢理誘った紳士風の妖精。彼はシルクハットで顔を隠しながら、ゆっくりとマリオネットの隣に降り立った。

『何用かな、ミス・マリー。刺激的過ぎた舞踏会のせいで、少々心の整理ができていないんだが……』

 そう言って彼はちらりと、紅髪の女騎士に視線を寄越す。だが彼女の刺々しい目つきの前に、すぐに顔を背けてしまった。どうやら妖精にまで怖がられてしまったらしい。さすがは世界の頂点に君臨する騎士団長だと、アレクは小さく肩を震わせる。

『ジェームス。あなたの守護妖精としての役目、確かこの街の人たちの所在と動向の監視でしたわよね?』

『ああ、そうだが……』

『それでは、キリヤ王子の現在地を教えてくださる?』

『黒衣の殿下ならば、この城の屋上にいる。他にも女性が二人付き添っているようだ』

『どうもありがとう、ジェームス』

 マリオネットが礼を言うと、ジェームスと呼ばれた妖精は「どういたしまして」とだけ返してそそくさと天井に吸い込まれていった。

 あっという間の出来事である。

 呆然と様子を見守っていたアレクとアルテミスはというと、マリオネットの声でさっと正気に戻る。 

『では、さっそく屋上に参りましょうか? 謝罪については、皆さんが揃ってから後ほどということで』 

         

 

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