第四十話 偏屈妖精
ほぼ一ヶ月ぶりの更新。
待ってないかもですけれど……とりあえず四十話目どうぞ。
圧縮させた魔力を風圧の原理で飛ばしたのだろう。
生命を宿したように翼を広げるセイレーンの金属質な泣き声は、地下墓地を離脱しようとするヴィヴィアンたちを塵みたく空中へと吹き飛ばした。
「ぐっ……!?」
突然の出来事で自分の状態を把握することもできず、虚しく宙を舞ったヴィヴィアンは勢いよく地面に叩きつけられる。
受け身を取るどころの話ではない。圧縮された魔力の波は、言ってみれば硬い石を高速でぶつけられるようなもの。そんな凶器にもなる高濃度のエネルギーを全身に喰らったとなれば、たとえ墜落場所が柔らかいクッションの上であっても無事では済まされない。
「がはっ……ごほっ……ごほッ……!!」
落下時に背中を強く打ちつけ、空気が肺を圧迫する。
打撃の痛みで悲鳴を上げることさえできない。しばらく軽い呼吸困難に陥ったヴィヴィアンは、胸を押さえて不器用な呼吸を必死に行った。
全身の至るところが焼けるように痛い。立ち上がって逃げるどころか、身体に力を入れることすら儘ならなかった。
だからといって、このまま痛みに転げ回って事態が正常化するはずもない。
ヴィヴィアンは現状を確認するため、霞んだ視界のなか周囲の状況を確認する。
激しい地盤の揺れによって、厳粛な雰囲気を保っていた地下墓地は今や見る影もなく、壁や床に大きな亀裂を生み、さらには歴代の王の墓も木っ端微塵に粉砕されているなど酷い惨状であった。
「そんな……一体何を間違って――――」
魔玉を石像の背中に装着するということだけしか、ヴィヴィアンはガードナより聞かされていない。魔玉を填めたのは暗殺者の男だが、傍で見ていた限り彼が誤った手順を踏んだとは思えなかった。
ただ一つ、彼女が上司より聞かされなかった事があるとするならば、それは石像が起動したあとの対処法だろう。まさか動き出した途端に魔力波を振り撒くとは誰が予想できようか。もしこのような事態になることをガードナ自身初めから想定していたとなれば、ヴィヴィアンは彼の黙秘にまんまと嵌められたことになる。長年信頼の置ける主従同士として任務を勤めてきた分、この裏切りに似た情報の不行き届きは彼女に大きな衝撃を与えていた。
「まったく……情報収集の玄人が聞いて呆れるな」
「……っ!」
と、うつ伏せに倒れたまま動けないでいるヴィヴィアンを、例の傷の男が背後から近づいて抱き起こした。
「あなたは……」
無事だったのですか、という言葉は全身の激痛で思うように口に出せない。
疑問より先に呻き声がこぼれた彼女を見て、男は普段の仏頂面をさらに歪めた。
「喋るな。この事に関しての責任はあとであんたの上司に追及する。とにかく今はここから脱出するぞ」
赤子を抱きかかえる具合ですんなりとヴィヴィアンを持ち上げた男は、そのまま黙って踵を返し地下墓地の出口へと全速力で駆けた。
暗殺という隠密行動を極めた彼の脚は、闇夜の屋根を滑る盗賊のような素早さで巧みに石畳の亀裂の間を走り抜ける。
人間を一人両手に抱え、尚且つ足場の悪いひび割れた道を全速力で駆け戻るなど常人にこなせる技術ではない。男の腕の中でヴィヴィアンは、改めて彼の『暗殺者』としての実力の程を混濁する意識のなか感じた。
黒いマントを翻し、傷の男は地下墓地を疾走する。
だが限りある出口の一つにたどり着く寸前、墓地の中央に陣取っているセイレーン像が再び破壊の歌声を奏でた。
「ちっ……またか!」
金属を激しく擦り付けるような耳障りな音が、地下空間全体を震動させる。
先ほどのように魔力の波動を身体に受けることはなかったが、その凶器の矛先は間接的な破壊を促してヴィヴィアンたちを絶望の縁に陥れた。
「!? しまった……!」
気づいた時にはもう遅い。
音の衝撃波はまるで明確な殺意を宿したかのように、男の頭上の天井に炸裂し、剥き出しになった天然の岩肌を粉砕する。
引き返して回避するのは不可能。いくら俊敏な機動力を持つ彼にも、広範囲から降り注ぐ岩の雨を完全に避けきれることはできそうになかった。
ただ、呆然と、両腕にヴィヴィアンを抱いたまま、真上から落下してくる岩石の塊を見上げるのみ。
――――終わった。
一度たりとも任務に失敗したこともなく、依頼主の願いを叶え続けてきたその男は、この時初めて自分が死に直面していることを悟った。
殺人の仕事に終止符を打ってしまうことに後悔を感じたわけではない。ただ、自分に殺された獲物たちが、死ぬ瞬間に何を思ったのか直感的に理解してしまった事が、不思議で仕方なかったのだ。
(終わるのか……俺の生き様は、こんなところで)
覚悟を決め、目を瞑ろうと俯きかけたその時だった。
「秩序に逆らえ時間の経過! 秒針遅速!」
完了呪文を唱える甲高い声が、終焉を迎えかけた墓場一帯に反響する。
時間経過という概念を放棄した岩石たちが、ヴィヴィアンたちを埋め尽くす寸前になってその崩落速度を鈍らさせた。
(魔術か……!)
まるで風船のようなゆったりとした速度で落ちてくる岩石を睨みつけ、男はその不思議な現象の原因を心の中で結論付ける。
いや、そもそもこの不可解な状態が魔術以外のものによって引き起こされるはずがない。
視線を下ろしたその先に、魔術の行使者と思われる魔道士がこちらに向かって激しく手を振っていた。
「今のうちだ! 走れ!」
直後、男はこの猶予を逃さず地面を蹴り、出口の外で待機する魔道士の元へ走った。
善は急げだ。自分たちを助けた相手が誰であろうと、折角の生存の可能性を無駄にするわけにはいかない。他人の助けを溝に捨てるほど、彼は暗殺業に命を懸けているわけではなかった。
ヴィヴィアンを腕に抱き、男は走る。
魔術によって遅速された天井の落下物であっても、重力に従って確実に地に迫っていることにはかわりない。もたもたしていれば岩の下敷きになってしまうため、助かったといっても一時的なものに過ぎなかった。
けれども男にとって、その数秒弱の時間的余裕は、絶体絶命な危機を挽回させるに申し分ないほど十分な隙時間である。
降り注ぐ岩石の下を瞬く間に潜り抜けた男は、魔道士のいる地下墓地の横穴を通過。安全が確認できる場所まで避難し、ようやく止まって背後を振り返った。
空中に浮遊するように微動していた岩石群は、その時点ですでに魔道士の影響下を失っていたのだろう。あとは本来の重力に従って地面に落下し、轟音と土煙を巻き上げながら、権威の象徴とも言うべき王族墓地をその硬く重たい土砂で埋め尽くした。
「…………」
少しでも遅れていれば、自分たちも墓石と同じく生きたまま押し潰されていたに違いない。
崩落に伴う地響きの余韻を足の裏に感じながら、男は今さっきまで死と隣り合わせであったことを改めて実感した。
「……ぐっ!」
ヴィヴィアンが苦痛に満ちた呻き声を発したのは、男が埋められた墓地を呆けて見つめる間の実に数秒後のことである。
逃げることに必死であったため、そもそも両腕に女性一人を抱えていることを忘れていたのだ。
胸を押さえて身体を曲げるヴィヴィアンを視界に捉えて、彼はその虚弱した女性を少しでも楽な体勢にしようと丁寧に床へ下ろす。
「うっ……く……!」
だがそれでも、ヴィヴィアンの状態が改善されることはなかった。セイレーン像に受けた衝撃波の傷が酷いのか、青ざめた顔に脂汗を滴らせ、強く目を塞いでいる。
「どいてくれ。オレが診てみる」
治療法もわからず手詰まりになった男を押しのけて割り込んだのは、先ほど自分たちを助けた魔道士だった。
藍色のローブを脱ぎ捨て、横たわるヴィヴィアンの脇に膝を立てたその魔道士は、苦しむ彼女の様子を真剣な表情で観察する。
そしてふと、ある場所で視線を止めると、眉間に皺を寄せてその部分を凝視した。
「何か腹の辺りに物凄く濃い魔力が張り付いてんだけど……こいつは“呪い”か」
「まずいのか……?」
「放って置いたらな。体内の魔力を一滴残らず吸い取られて死んじまうこともある。けどまぁ、対処法ならオレが知ってっから何とかなるぜ」
そう落ち着いて言うと、魔道士は胸を張ってこちらに笑いかける。
まだ十代の半ばを過ぎたくらいだろうか。
魔道士の容姿は、跳ね上がった褐色の髪が特徴的な意志の強そうな少年であった。
ローブの色から国籍は判別できないが、薄暗い地下に入り込んでまで自分たちを助けた勇敢な魔道士だ、少なくとも敵ではないのだろう。
(この女と同じく、帝国から派遣された諜報員か? そうでないなら、俺のようにガードナに雇われた流浪の魔道士紛いか……)
『秒針遅速』などという変わった魔術を扱う魔道士のだから、裏工作や姦計の担当としてガードナに従っている可能性も十分に考えられる。
身元が気になった彼は、ヴィヴィアンに治療を施す少年を見つめ、さりげなく所在を訊ねた。
「あんた随分手馴れた魔道士のようだが……ここへは一体何をしに?」
「ん? いや、ちょいと融通の利かない上司サマに面倒な仕事を任されちまってな。今はそれを果たすために、この地下を通る必要があんだよ。まぁ……あんた達が石の化け物にやられそうになった窮地にオレが華麗に登場する、っていう予想外な勇者伝が出来ちまったんだから文句はねぇけどな。へへっ……どうだ? オレの魔術、あんたたちの役に立てたかな?」
その裏表のない素直な言動と、少年の緩んだ笑顔を見ているうちに、男は少年に対する印象を大きく塗り替えられた。
魔道士は誰も彼も陰険で頭の堅い者ばかりだと思っていたが、この魔道士の身なりをした少年はそれらとはまったくの正反対なのである。『融通の利かない上司サマ』というのは恐らくガードナの事であろう。あの男は己の目標のためであれば他者の意思を尊重しない。きっとこの少年はヴィヴィアンと同じく帝国から派遣されたガードナの部下で、現在はとある任務遂行のために地下通路を使って目的地に移動しているのだ。そして偶然にもそこで地下墓地の騒ぎに遭遇し、同胞であるヴィヴィアンの危機に力を貸したと、そういうことか……。
(いや、まだ憶測だけで信用するのは良くないかもしれない。何か決定的な身元が判明できれば、警戒などせずに済むのだが)
とは言っても、この少年は自分たちを救った命の恩人だ。あまり執拗に疑いを掛けてしまうのは、借りを作ってしまった側からして失礼に値する。
職業柄、相手がどんな人物であれ真っ先に正体を疑ってしまうことはよくあることだ。特に暗殺者のように裏社会で生きる者たちにとっては尚のこと。保身と報酬のためなら、たとえ同業者相手であっても容赦なく切り捨てる覚悟であらねばならない。他人に対する慎重な観察眼を身につける事はもちろん、敵味方の区別を明瞭にさせる判断力も必要不可欠なのである。
(仕方がない。少し探りを入れてみるか……)
敵であるようなら隙を見て記憶を消し、地上に送り返す。
味方であれば、そのまま任務の協力を仰ぐ。
そう心に誓った男は、相手の動作に注意を払いつつ、自然を装って魔道士の少年に言葉を投げかけた。
「あんたの魔術は十分に役にたった。危機を助けてもらったこと、感謝する」
対して少年は自身の道具袋を漁りながら、その表情を誇らしげなものに変化させる。
「お? そうか? そいつは良かった」
「時間制御は高度な魔術だと聞いたことがある。あんたはさぞ優秀な魔道士なのだろうな」
煽てて持ち上げて、それから正体を自発的に吐かせればいい。
どうやらこの魔道士は自分の魔術の腕に関して自信を持っているようなのだから、少し褒めてやれば後は相手が勝手に話してくれるだろう。
案の定、それまでヴィヴィアンの治療に専念していた少年は男の言葉に作業を止め、照れたように頭を掻いた。
「ま、まぁこう見えてもオレは諜報担当の魔道士内でもエリートだからな。時間魔術なんて、たった三日で習得しちまったぜ」
諜報担当……。
となると、この魔道士の所属は国家規模の組織、あるいは組合ということになる。時間魔術を三日で習得というのは実力としてどれほどの難度なのか検討もつかないが、少なくとも凡庸な魔道士でないことは確かなようだ。
「そいつは凄い……。ぜひ名を聞かせてはもらえないだろうか?」
普段の仏頂面を出来る限り押さえ込み、なるべく穏やかな口調で少年に語りかける。
すると少年は親指を立ててこちらに向けながら、器用に片目を瞑ってみせた。
「オレの名前はマルシル・ランクス。ちなみに二つ名は“道化”……故郷じゃ結構有名なんだぜ?」
「道化……」
“道化”という二つ名を持つ魔道士について記憶を片っ端から掘り出してみるが、該当する存在はない。となると、それほど名の知れた魔道士ではないのか。そうでないなら虚偽を壮語しているだけかもしれない。
「嘘じゃねーぞ」
訝しい表情を作って考え込んでいると、どこか興ざめしたように肩を落とした少年がこちらを睨んでいた。どうやら機嫌を損ねてしまったらしい。
慌てて弁解しようと口を開きかけた瞬間、少年は男が願って止まない正体を自ら打ち明けた。
「“ヴァレンシア王国”魔道士団諜報課のマルシル・ランクス。名前くらい聞いたことはあんだろ? オレってば、潜入任務とかで結構評価されてるんだけどなぁ」
「!?」
ヴァレンシア王国の魔道士団……。
知ってるも何も、大陸の魔道士組織の中でも最大の加入数を誇るヴァレンシアの虎の子ではないか。まさか、この少年が、その一員であるというのか……!?
(くそ! 何がガードナの部下だ。放浪魔道士どころか、完全に敵対する国家の犬だったとは……!)
となると、この魔道士はランスロット内の情勢視察のためにヴァレンシア王国から派遣され諜報員ということになる。
この地下通路を利用しなければならなかったのも、なるべく人目につかず王都に潜入する必要があったから。どこで地下の居場所を知ったのかは知らないが、確かに極限られた者しか知らされていないこの地下通路なら、街の外から城内に侵入することも十分可能だろう。このマルシルと名乗る魔道士は、偶然にも地下墓地の騒動に巻き込まれてしまったのかもしれないが、ヴィヴィアンを助けるために自分たちを石像の脅威から救ったというのは大きな間違いであった。
同胞だからという情けではない。大方、ランスロットに詳しいはずの自分たちの立場を利用して、城内へ入り込む手引きをさせるためであろう。
(いや、待て。仮に俺たちを利用するとして、何故この餓鬼はわざわざ己の正体を明かすような危険を冒した?)
相手の正体を確かめるため、こちらからある程度仕掛けて話すのを促したが、所属の組織まで話してしまうとは思わなかった。まさかこちらの煽てに増長して口を滑らせたわけではあるまい。国に仕える諜報員は、たとえ命に代えても身元の判明を隠蔽し続けなければならず、重大な責任を背負う役回りなのである。もし国の身元が割れ、国家の要人たちに公開されれば、その瞬間にそのスパイを送り込んだ相手国は盾となる言い訳の手段もないまま、完全に敵視される立場に堕ち込んでしまうのだ。
そしてそれ以上に、外交戦略に極めて重要な情報を無事本国に伝えるという義務がある。死人に口なし。任務中に死亡してしまえば、得られたはずの情報は塵に還り、逆に知られてはならない真実を敵に知られてしまう危険性を孕む。
この魔道士は今まさに、国家機密ともいえるべき秘匿情報を敵に打ち明けてしまったのだ。
冷静な対処が求められる暗殺者の男であっても、この少年の無防備な発言には動揺を禁じえなかった。
そしてその理由を考えている内に、男は一つの仮説を導き出したのである。
(この魔道士はきっと何かを企んでいるに違いない。そうでもなければ、自ら全てを明かす無茶な手段にでないはず)
己のありのままを吐露して、相手の油断を誘うのが狙いか? となれば、背中を見せた隙に魔術で消される可能性を否定できない。
(だが、それならこちらから先制される事も考慮できたはずだ。“ヴァレンシアの諜報員”などと言われて、俺たちがただ黙認するだけとは限らなかった。特に……このヴィヴィアンという女なら尚のこと)
もしヴィヴィアンが意識正常で動ける状態だったなら、マルシルの暴露で瞬時にその存在の抹消を実行していただろう。
(それともこの男は……そうなった場合のための対処さえ万全にこなす自信でもあるというのか?)
わからない。
考えられる仮定を出せば出すほど、このマルシル・ランクスなる魔道士の行動に不自然な点が幾つも浮かび上がってくる。とても相手を騙しているように見えない得意満面な表情。こちらに背を向けてヴィヴィアンに治療を施す彼の隙だらけな後ろ姿。それらは全て、自分を信用した上で背中を晒しているような……本来なら有り得ない仮説までも、人間不信の男に抱かせてしまう。
今まさに、ヴィヴィアンの上着の中に手を差し入れ、白無地のワイシャツを手繰り上げるマルシルのその行動こそが、彼の無防備な身を証明しているようで――――
「ッ……お前! 何をしている……!?」
前言撤回。
治療を任せて傍観していたのが仇になった。
ヴィヴィアンに屈みこんでいたマルシルは、不純にも彼女の衣服を剥ぎ取ろうとする手作業の真っ最中だったのである。
厳つい形相を作ってマルシルに迫った男は、ヴィヴィアンの服に手をかけるその手を勢いよく払った。
「痛っ! い、いきなり何すんだ!」
手を押さえたマルシルが、こちらに向き直って警戒態勢をとる。
そこで男は悟った。この変態少年は、別に自分を信用して背中を見せていたわけではなかったのだ。不埒な行為を見られないようにするため、わざとヴィヴィアンの壁になって覆い隠したのだろう。
「それは俺の台詞だ、この不埒者め! 娼家に通えない歳だからと、欲求を満たすために衰弱した女に手を出すとは……!」
「はぁ!? ちげーよ! オレが服を脱がしてたのは、怪我したトコを診るためだっての! 弱ってる人にそんなふざけた真似できるわけないだろっ!」
「……口実ではないだろうな?」
「ああもう! オレはあんたみたいな疑り深い男が大っ嫌いなんだ! 断じて、オレは、ヤラシイことをしようとしていない!」
褐色の髪をわしゃわしゃと掻き毟りながら、目を吊り上げてマルシルは一連の行為を否定する。 だが、所詮は思春期の少年の言葉に過ぎない。本人にその気がなくとも、女性の裸体を見て欲情しないとは限らないではないか。むしろ欲情しない方がおかしいだろう。
(くっ……俺まで何を考えているんだ?)
完全に相手のペースに乗せられてしまっている気がする。
ここは一旦、自ら調子を整えるしかない。
一気に騒がしくなった空気を、男は咳払いで収めた。
「疑ったことは謝る。すまなかった」
「おーいちょっと待て! 何だその、オレの相手するの面倒そうだから先に折れとけみたいな投げやりな謝罪は!」
「だが彼女の治療は俺にやらせてもらいたい。応急処置なら慣れている」
「しかも無視かよ……。あ~どっかの恐ろしい巨乳騎士を思いだしたぜ……」
そう愚痴を零して、マルシルは盛大にため息を吐く。
しかしながら、ため息を吐きたいのはこちらの方だった。魔道士の行動が把握できていない以上、強行的に排除するのは得策ではない。だからといってそのまま放置しておくのはさらに都合が悪い。
結局手詰まりのまま対処を先延ばしにするしかなく、少年に対する警戒を最大限に高めて様子を見るしか方法はなかった。
=======【キリヤ視点】=======
医務室を出た俺たちは、リディア王国の王様とその護衛兵士たち、おまけにアレクまで連れ立って、俺のために設けられた客室に集まっていた。
王様が求める面会の内容というのは、どうも会議室での騒動の謝罪と、ヴァレンシア救援軍の派遣についての感謝を俺に直接伝えたいそうな。
別に今じゃなく、会議室で対面した時に言ってしまえば済む話なのだろうが、王様がそれをしなかったのには理由があった。
というのも、
「今の私に国民を代表できるような資格はない。国の重鎮が揃う会議室で、公然とキリヤ王子に謝礼を尽くすのは、私自身いささか不本意なのだ」
極端な話、国王の資格がない現在のリディア王に謝礼する権利はないと、そういうことらしい。
なので王様は“国王という身分”からでなく、“アーガス”一個人として俺に面会を求めたのである。
かくして俺は、王様のにこやかな表情に幾分か緊張が緩み、非常にリラックスした状態で対話に挑んでいた。会議室での険しい彼の表情がまるで嘘のようである。いやはや、けじめが出来ているというか、仕事とプライベイトの切り替えが凄いというか……。
「そういえばキリヤ王子、セレス殿の姿が一向に見えぬのだが……彼女は所用で外しているのだろうか?」
一通り用件を済ませた後のことだった。ふと俺たちの面子に違和感を覚えた王様が、さきほどから見かけないとある少女の名を口にした。
そういえばそうだ。あいつ散々俺を追いかけ回して会議室までついて来たのに、医務室にまでは追っかけてこなかったな。
「あれ? 本当だぜ、あのチビ何処行きやがったんだ?」
アレクが今更思い出したように首を捻る。まぁ俺も忘れたから人の事は言えないけど。
「私は陛下に随行しているのかと思ったのですが……。何故彼女を置き去りにしたのです?」
アル姐さんが鋭い視線をアレクに投げかける。完全にアレクを咎める視線だ。
「お、俺が置いてきたみたいに言うな! つーかお前たちと一緒について行ったんじゃなかったのか? キリヤたちが出て行った後には、もうお嬢の姿はなかったぞ」
「それは一体……」
怪訝そうに眉を顰めたアル姐さんが、今度は俺に視線を注ぐ。疑いの眼差しというより、お嬢がいない事についての疑問に同意を求めているようだった。
俺は首を横に振って、同じく疑問の意を示す。
「恐らく私と殿下の元にも、セレス殿は参られていられませんよ?」
「んあ? じゃあ何処に行ったってんだよ……」
沈黙。
皆懸命に思い出そうとするが、それでもセレスの居所を察する手がかりすら思い当たらない。俺が最後にお嬢の声を聞いたのがレイニス王子に殴られた時だから……少なくとも俺とアル姐さんが会議室を退室するまでは彼女も会議室に居たことになる。だが、それなら俺よりもずっと後にお嬢の姿を見かけた人もいるだろう。
「ふむ……貴殿らの話を聞くからに、どうもセレス殿は知れずと姿を暗ましてしまったようだな」
現状を自ら理解した王様が、困惑する俺たちを見回してゆっくりと言葉を紡ぐ。
「そう大きくない城だ。簡単に迷われる事はないだろうが……」
誰もお嬢の姿を見ていない。行方知れず。
不吉なムードに堪えかねてか、アレクが苛々と髪をかき乱した。
「ちっ……あのじゃじゃ馬が! ほんっと人に心配ばかりかけやがって!」
「陛下! リディア王の手前でそのような粗暴はお止めください」
「ああ、良いのだケリュネイア殿。私は個人としてここにいる。リディア王などと気を遣わずともよろしい」
「しかし……」
「それよりも気にすべきはセレス殿の行方だ。彼女が自ら行動しているならともかく、何者かによって強制的に連れられているとなれば……」
強制的……。
その言葉に連想するものなど一つしかない。
「誘拐か……?」
俺の呟き声に、アレクが露骨に嫌な顔を作る。そして腕を組んで俺たちに背を向けると、それっきり黙りこんでしまった。
こんなに不機嫌な状態のアレクは初めて見るかもしれない。お嬢とは喧嘩の火種になるくらい仲が悪いようだったから、いなくなって清々するのかと思っていた。まさか「心配」という言葉がアレクの口から出るとはな。少し意外である。
「まだセレス殿の身に何かあったと決まったわけではありません」
しばらくその様子を見守っていたアル姐さんが、落ち着き払った表情でかぶりを振った。
「手分けして城内を探してみましょう。私の部下と陛下の親衛隊……失礼、陛下の護衛騎士たちにも協力を仰ぎます」
そう言ってアル姐さんは王様の正面に立ち、胸に手を当てて丁寧にお辞儀する。
「リディア王陛下。セレス殿探索にあたり、我が騎士たちの助力に関する城内の行動許可を戴きたく存じます。何卒お許しのほどを」
「ふむ……」
顎鬚を撫でながら王様は思案する。
うーん……俺たちのようなよそ者が、人様の家を動き回るというのはあまり心地の良いものとはいえないだろうな。そりゃ簡単に許可できるわけがない。
そもそもお嬢がまだ城の中にいるとは限らないわけだし、街全部を探すってことになったら今度こそ人手が足りなくなるぞ。
いっその事俺の魔術で何とかできないだろうか。人の記憶を消したりできる魔術があるんだから、他人の所在を突き止められる魔術があってもおかしくないはずだ。
ピロに掛け合おうと、俺が眉間を揉んで奴を叩き起こしかけたその時だった。
頭を上げてアル姐さんに視線を戻した王様が、ある提案を持ちかけたのである。
「この城の守護者たちに探してもらうのはどうだろうか? 私より長い時間を生きる古き友人たちだ。デュルパンの街を知り尽くす彼らなら、きっと力になってくれると思う」
「守護者?」
アレクとアル姐さんが同時に首を傾げる。
そういえば、この街には守護者となるものが根付いてるとか何とか、ピロが言っていたのを思い出した。
「あの妖精……?」
「ほう……キリヤ王子はすでにお見えになっていたのか? なるほど、さすがというべきか」
感心したように話す王様に、話の内容を理解できないアレクが咄嗟に突っ込みを入れた。
「ちょっと待ってくれ。何? 守護者? 妖精? 俺にもわかりやすい説明を頼む」
「口で説明するより、実際に見た方がよかろう。どれ……」
見せる? まさか、こちらから呼び寄せたりできるのか!?
驚く俺の心境など知らず、王様は椅子から立ち上がると、俺たちの傍を横切って部屋の中央で立ち止まった。
「私も“彼ら”のことは久しく見かけておらんのでな。恥じて出てこぬかもしれんが……その時は勘弁してほしい」
「…………」
「???」
アレクに至っては阿呆丸出しの間抜け顔一色である。頭の上に疑問符が幾つ浮かんでも足りないくらいだ。それに比べてアル姐さんは普段と変わらず同じ顔色。いつも以上に無表情が決まってますぜ。
誰もが不審な様子で王様を見守る中、彼は両手を広げて天井に呼びかけた。
「偏屈妖精、偏屈妖精。お前たちは何故そんなに気難しい? 食べ物は厨房だ。さぁ火を消せ火を消せ。悪戯の炎が家屋を燃やすぞ――――」
どこか芝居掛かった物言いだ。本気なのかふざけてるのかよくわからない王様の呼び声に、俺たちはただ見ていることしかできない。
「――――あちらの悪霊がこっちを見るぞ。それ、向こうから災いが駆けてくる。さぁ守れや守れ。お前たちの夕食を狙っているぞ」
まるで謡うように、リズムカルな言葉を紡いでいく。
未だ例の妖精は姿を見せない。だが確実に異変が発生しているのはわかった。魔術を行使した後の痕跡というか、何だか得体の知れない感覚が俺の全身を通り過ぎていく。
「偏屈妖精、偏屈妖精。お前たちは何故そんなに気難しい?」
そこで、王様は口を閉ざした。呼びかけには成功したのだろうか。
部屋の中を満遍なく見渡してみる。だが、特に変わった様子はない。
「何だよ……。何も起きてない……よな?」
アレクがキョロキョロと視線を飛ばし、何も変化が起きていないことを確認する。
いや、そんなはずがない。僅かだが……この部屋の空気が少し変わった。
「この気配……どこかで……」
アル姐さんも部屋の違和感に気づいているのか。身構え、鋭い眼光を周囲に向ける。
「そんなに警戒なさるな。“ドモヴォーイ”は大の悪戯好きだが、食事を与えてやれば人に危害は加えぬ大人しい妖精だ」
王様が説明するも、アル姐さんは決して気を緩めない。
「“大の悪戯好き”というのが癪に障ります。万が一にも陛下や王子に悪行を働かさせるわけには参りません。近衛騎士たる私には、身を挺して陛下たちをお守りする義務があります故」
守りの対象に俺が入っていることを喜ぶべきか、それとも守られることに男として恥じるべきか、少々複雑だ……。
「何者だっ!」
その時、護衛の兵士の鋭い声が部屋に響いた。
弾かれるように背後を振り返った俺たちの視線の先で、真紅のドレスが翻る。
「……っ!?」
一瞬の出来事だった。
抜剣する護衛兵士たちの目の前で、紅いドレスを身に纏った金髪の女性が軽やかに跳ねながら壁の中から現れたのである。
とても楽しそうな笑い声とともに、そのドレスの女性は兵士たちの間を通り抜けてくるくると回転した。
踊りにまったく興味がない俺でも、思わず見とれてしまうような華麗な回転。やがてゆっくりとその速度を落とした真紅の女性は、誰に対してというわけもなく、停止したその場でスカートの端を持ち上げ丁寧にお辞儀をしてみせた。
『御機嫌ようアーガス。御機嫌ようリディアの戦士たち』
女性特有の透き通るような声が、とても人には為せない反響を乗せて俺たちの耳に届く。聞いていてとても、心地がいい。
『御機嫌よう異国の方々。長き歴史を刻む古の都へようこそ』
顔を上げたその女性の表情には、永遠に崩れることのない穏やかな微笑が浮かべられていた。細められた双眼に、爛々と輝くサファイアブルーを潜ませて。
ついに四十話目に突入…。
皆様、明けましておめでとうございます。
この作品もとうとう一周年目を迎えたということで……時が経つのも早いものですねw
本編の方は相変らず展開は遅いままですが、読者の皆様、こんな作者と『異界の古代魔道士』を今年もよろしくお願い致します。