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異界の古代魔道士  作者: 焔場秀
第二章 東国動乱
44/73

第三十九話 記憶の残滓

 ……『王子強姦事件騒動(仮)』から二十分後。

 とりあえず現状は沈静化している。

 疑惑も綺麗さっぱり晴れたと言っていい。

 俺たちは今も医務室に残り、アル姐さんは俺の傷の手当てをしてくれていた。

 腹部の痛みもそれほど深刻な怪我でもなかったので、祈祷術による治癒は必要ないらしい。治療は外皮鎮痛用とかいう軟膏を患部に塗って湿布を貼るだけ。それくらい俺にでもできるのに、アル姐さんは自分にやらしてくれと言って聞いてはくれなかった。何があっても俺の治療だけは譲れないのか……。


 ベッドの端に座って、黙々と手当て作業に勤しむアル姐さんのされるがままになっていた。


「……ここは痛みますか?」

「いや、何ともない」

「ですが、赤くなっていますよ?」

「さっきあなたに掴まれた痕だ」

「そ、そうですか。……失礼致しました」

 先ほどの取っ組み合いに負い目を感じているのか、アル姐さんは言葉を詰らせて俺から視線を逸らす。

 そうするとまた気まずい雰囲気が出来上がり、手当てが終わるまで手持ち沙汰な俺にとっては身体を硬直させて待つより他ないのである。

 

 つい十分前の事だ。

 大いなる誤解を孕んだまま逃亡した神聖祈祷師セイクリッドヒーラーと女医を何としても説得するため、突風のような速さで部屋を飛び出したアル姐さんが目撃者二人を捕縛して戻ってきた。

 最後に祈祷師さんが逃げ出してたったの十分間という早業はやわざ

 しかも何処で調達してきたのか、積荷運搬用の台車に気絶した二人を乗せて運んできたのである。人権的な問題も含めてその連行方法はどうなのかと疑いたくなったが、そこは俺の杞憂だったらしい。

 彼女なりの気遣いで、祈祷師さんと女医さんは厚手の毛布に包まれて乗せられていたのだ。外部の者に気づかれないためのカモフラージュだった可能性もあったが……まぁ……深く追求しないでおこう……。

 アル姐さんが逃亡者を追走している間、俺も色々と隠蔽手段を模索した。

 まずはしばらく応答のなかったピロを無理矢理呼び出し(眉間を強く揉んだら悲鳴上げて出てきた)、他人の記憶を抹消するための魔術があるかどうか聞き出す。

 想像を魔術化させる俺の能力なら、誰かの記憶を消すことも可能なのだろう。

 だが自由自在に魔術を操れる能力と一言でいっても、それは全て行使者の想像力イマジネイションに掛かってくる。中途半端なイメージしか抱けなければ、文字通り使い物にならない半端な魔術になってしまうわけだ。つまり“記憶を消し去る”という行為がどういう感じイメージなのか俺が知らなければ、明確に想像したものを表現することも不可能なのである。

 ピロ曰く、俺の能力は想像したものを具現化する事以外にも他に使い道があるらしい。

 今まで俺が使ってきた魔術というのは、『創造クリエイト』して生まれた映像を具現化する、一見単純のようで極めて高度な想像力を必要とする魔力燃費の悪い能力だ。

 対してもう一つの能力は、一生分の過去の記憶から映像を引っ張り出して『改変アップデート抹消デリート映像投影プロジェクション』を行う、何とも恐ろしく陰湿な詐欺紛いの魔術。


 要は目撃者から強姦騒動の記憶を抹消し、新しい偽物の記憶を植えつけて何もなかったことにすること。


 なるほど、古代魔道士エンシェントウィザードが今まで伝説上の人物として知られてきたのがよくわかった。恐らくこの記憶操作の魔術を使って正体を知られた相手の記憶をいじってきたのだろう。

   

 記憶改竄は若干気が進まなかったものの、変な誤解を抱かれたままになるよりはマシだ。

 俺は二人の記憶から“ベッドでの一部始終”の映像を抜き出して抹消し、代わりに“何もなかった俺たち”の場面の嘘の記憶を偽造して彼らに刷り込んだ。

 その際、女医さんの『知られざる意外な趣味』とか、祈祷師さんの『黒い青春時代』の記憶の片鱗が見えた気がしたがたぶん気のせいだろう、うん……。

 まぁこれで一件落着ということで、疑惑は綺麗さっぱり晴れた。そう……記憶が綺麗さっぱり――――。

 

「……治療終了です」

 まるで一世一代の大手術を無事終えたとばかりに、大きく嘆息しながら救急箱の蓋を閉めるアル姐さん。

 別に命に関わるような大怪我ってわけでもないのに……。

「……すまないな。ありがとう」

 俺が礼を言うと、彼女は険しい表情を崩して優しく微笑んでくれた。

「いいえ、これも王族をお守りする近衛騎士たる私の務め。それに元はといえば、私が治療をお受けになるようキリヤ様に願い出たのですから……。王子の意向に背いた私は咎められてもおかしくないのです」

 アル姐さんは顔を伏せてしばらく口を閉ざしたあと、俯きがちに再び言葉を発する。   

「あ、あの……私は、回りくどいでしょうか……?」

「は?」

 何を言いよどむことがあるのか、彼女の声にはいつもの張りがなかった。

「いえ……以前陛下に、私は言動が堅苦しいと言われた事がありまして。その……今の返答で、キリヤ様のお礼の言葉をないがしろにしてしまったりはしてないでしょうか?」

 ん? 別にそんなことはないと思うが……。

 確かに気持ちの伝え方には回りくどいところもあるかもしれないけど、“堅苦しい”わけじゃないだろ。

「……そんな事はない。少なくとも、俺はそう思う……」

「本当ですか?」

「ああ……」

「あ、ありがとうございます……」

 アル姐さんの顔が見るからに嬉しそうに緩む。

 ……あれ? 姐さんって普段こんな表情をする人だっけか?

 こんなことを言うのは悪いが、彼女はいつも無愛想で厳しい視線を辺りに振り撒いている印象が一番だった。大人として責任感をしっかり持っていて、規律違反を絶対に許さない……まるで学校教師のような真面目で融通が利かない人。

 しかし今のアル姐さんはそれとはまったく違う。いや、今だけじゃない。思えばこの城で再会して以来、姐さんは人が変わったような態度で俺に接している気がする。

「? どうか致しましたか?」

 無言のまま自分を凝視されていることに気づいたのか、アル姐さんが怪訝そうに眉をひそめて俺を見返した。

 そこには馴染み深い姐さんの険しい表情。俺が彼女に抱く印象の中で、一番しっくりくる表情であった。

「いや……何でもない」

 ――――心配は無用か……。

 俺はいつも通りのアル姐さんに内心安堵して、苦笑を見られまいと素早く寝台から立ち上がった。

 治療のため脱いでいた学校指定のブレザーとお嬢にもらったローブを着用し、いざ部屋を後にしようと扉に手をかける。

 しかし、その扉が自分の意思によって開けられることはなかった。

 掴んだ取っ手が俺の意に反して勝手に回され、次の瞬間には大きく開け放たれたのである。


「うおっ!? な、何だキリヤ! お前……腹は大丈夫なのか?」

「…………」


 扉の奥にいたのはアレクだった。

 まさか目の前に俺が立っているとは思わなかったんだろう。アレクが俺を視界に入れた瞬間、目を丸くして飛び上がった。

 ついでに腹の心配までされた。いちいち一言一言が忙しい男だな、こいつは。

「ああ、何とも無かった……」

 とはいえ、このまま黙ってやり過ごすわけにもいかない。

 俺が正直に答えると、アレクは肩の荷が下りたという風にニカッと笑みを浮かべた。

「そうか、そいつは良かった。んじゃ、少しばかり取り込んでも大丈夫だな」

「は……?」

 取り込む? 洗濯物か?

 アレクの言葉の意味がわからず、思わず首を傾げる。

 それに答えるように、アレクの背後から一人の老人が現れた。

 長く伸ばした白髭を綺麗に編み、高級そうな衣服に身を包んでいる。しかも頭には冠らしき金の輪を被っていて――――

「リディア王陛下……!?」

 後ろでアル姐さんが声を上げた。

 そして俺も気づく。

 アレクの背後に立った老人は、先ほどまで会議室の話し合いの場にいたリディア王その人だったからだ。

 彼はアル姐さんに軽く会釈したあと、呆然とする俺に視線を合わせて苦笑を浮かべた。

「君の兄上に無理を承知でお願いしたのだ。キリヤ王子との面会を求めることはできるか、とね」

「俺と……?」

 一体俺に何の用事だ? というより、王様が自ら面会を求めるってそんなの有り得るのか?

 疑問が尽きずどう返答していいか迷っていると、王様は腕を広げて部屋の外を示した。

「とりあえず、場所を移そうではないか。キリヤ殿の部屋に案内してもらえるかな?」

 いきなり案内してくれと言われても、「はいわかりました」と俺の独断で了承してもいいものか。

 完全に不意を突かれて俺はうろたえた。そうなると必然的に他者に助けを求める行動に出てしまうわけで……。

 俺は無言のまま背後を振り返ってアル姐さんを窺った。

 彼女も彼女で予想外の来訪者に戸惑っていたのか、無表情に若干感情の色が見て取れる。ただ、俺と視線が合うとすぐさま表情を引き締め、慎重に頷いてみせた。

 俺もそれに頷き返し、再び王様に向き直る。

「わかりました……」 

「よし、決まりだな。アル! 先導頼むわ」

「アルテミスです陛下。他国の王の御前で略称はお止めください」

「…………」

 あー……また騒がしくなりそうだ。



 

             =======【アレク視点】=======


 時間は少し遡る。

 アルテミスの号令によって緊急中断となった会議の場は、先ほどまでの騒然とした雰囲気と一転。まるで魂が抜けたように蹲るレイニスを遠巻きに、リディアの官僚たちが静寂を保ってそれを見守っていた。

 この状況で唯一正常な思考を巡らせていた者がいたとすれば、それは会議の代表者であるアレクとリディア王であるに違いない。

「あ~まぁ、何だ……。祈祷師の治療、受けた方がいいよな?」

 重々しい状態を払拭せんと、アレクはわざと明るい声を出して向いに座る老王に話しかけた。

 全員の視線が一挙にアレクに集まる。誰も彼もがどう対処していいかわからない現状、アレクの掛け声というのは硬くなった空気をほぐすためある意味正解だったかもしれない。

「あ。で、では自分が神聖祈祷師セイクリッドヒーラーを呼んできます!」

 ずっと口を閉ざしたままだったアレンが、アレクに同調して部屋を飛び出そうと早足で扉に向かう。

 しかしそれは、思わぬ人物の制止によって未然に防がれることになる。

「祈祷師の治療は結構。わざわざお呼びになさらずともよい……」

 答えたのはリディア王であった。

 目を閉じたまま、頭を天井に向けて大きくため息を吐く。

 まさか自分の息子の治療を断るとは思わないはずだ。皆一様に目を白黒させて椅子に腰掛ける高貴な老人を凝視する。その中で一人、レイニス王子だけが頭を伏せたまま沈黙を維持していた。

「おいおい。レイニス王子は血を吐いたんだぞ? 臓器が痛んでいたら大変じゃないか」

 アレクが反論したが、それでもリディア王は首を縦に振らない。

「戦士たる者。血反吐の一度や二度如き大したことはあるまい」

「いや、そういう問題じゃ――――」

「良いのだアレクシード王」

 少し語気を強めリディア王はアレクの言葉を遮る。

 そして足元で蹲るレイニス王子を険しい表情で睨みつけ、

「この愚息には少し頭を冷やしてもらわねばならん。王として、息子の愚行を見逃すことはできぬ」

「…………!」

 レイニス王子の肩が微かに震えた気がした。

 それは収まりきれない怒りによるものか、それとも高みの存在である父の容赦ない判断に対する恐怖か。

 リディア王はその息子の様子を一瞥して目を逸らし、小さく嘆息する。

「キリヤ王子には私から謝罪をしておく。お前はカトリーナたちの元へ戻るがいい。今の私にその情けない腑抜け顔を見せるな……!」   

「………父上」

「早く行け!」

「っ! は……はい」

 父の叱咤に、レイニスは飛び跳ねるようにして立ち上がった。

 一瞬の躊躇ののち、数名の部下を引き連れて彼は扉に向かって歩みを進める。その姿を見つめる者たちの瞳に映るのは幻滅や哀れみと、とてもじゃないが同じ国を背負う運命を担っている者として、アレクには去り行くレイニス王子の姿を直視することはできなかった。 

 やがて扉が完全に閉じられ、議事堂からレイニスの気配が去る。

 再び沈黙に包まれた会議室で、最初に口火を切ったのはまたしてもアレクだった。

「……ったく、どいつもこいつも好き勝手しやがって。俺は喧嘩するために話し合いの場を設けたわけじゃないぞ」

「レイニスに話の主導権を譲った私の過ちだ。まさかあれほどまでに、国の純潔を守ろうと躍起になっていたとは思わなかったのだ。申し訳ない……」

「……国を想う心がある分、王族としてはマシな方だろうけどよ。まぁなんだ……先に手を出したキリヤにも否はあったがな」      

 結局のところ、国家規模の会議に情動を持ち込んだキリヤとレイニスは同罪だ。

 どちらが先に手を出したとか、怪我を負った二人のうち誰が重傷だとか、そういう問題で片付けることができるものではない。

 国民の命運を預かる身としてアレクもリディア王も、大事な会議を滅茶苦茶にした王子二人に同情してやる余地はなかった。

「それにしても――――」

 手を組みながら、リディア王は言う。

「キリヤ王子の取り乱し様には驚かされた。最初こそ、貴君の弟にしては考えられぬほどに冷静沈着な印象を受けたものだったが……」

「俺だって、あんなキリヤを見るのは初めてだよ」

 レイニス王子に殴りかかった時は、アレクも同様にキリヤの変貌には仰天した。初めて会った時はキリヤの不気味な雰囲気にわが身の心配までしたほどの寡黙な男であったのに。

 それに先ほどのキリヤの激昂。――――彼の秘められた内面や事情を知る手がかりになったかもしれなかった。

「どんなに願ってももう会えない、か…………」

 そういえば、キリヤの身元については「東端の島国」という事くらいしか聞かされていなかった。詳細な住所も、キリヤの家族構成も、何一つ知らないままではないか。

(まさか俺は……あいつの自由を束縛したんじゃ――――)

 テーブルに乗せた手を握り締める。

 『古代魔道士エンセントウィザード』という伝説の存在に執着するあまり、個人の運命を左右させるような――――非道で残酷な願いをキリヤに強要したのではないか。

 「もう会えない」というのは、自分が彼をヴァレンシアに縛り付けたのが原因なのではないかと、アレクの脳裏に一瞬強烈な罪悪感が生まれた。

(一番好き勝手してたのは俺自身じゃねぇか……ちくしょうっ!)

 自虐を抑えきれず、アレクは盛大に舌打ちをする。

 結構広い部屋であるのに、その音は思いのほか辺りに響き渡った。

 まずい、と思ったがもう遅い。正面に座っていたリディア王が、アレクの舌打ちに重たい腰を持ち上げる。

「いつまでも、ただ無駄に時間を費やしておくわけにもいかぬな……。リディア国王として、キリヤ殿には私から謝罪させていただこう」

「あ、いや、今のは貴方に対してじゃない。変な誤解を与えて悪かった」

 それに対し、老王の反応は軽いものであった。

「なに、わかっておるよ……」

「は?」

 アレクのとぼけた表情に、リディア王はさらに笑みを浮かべてみせ、

「貴君は素直な男だ。もし私に不満や怒りがあるのなら、隠すことなく私に直接言葉をぶつけているだろう。それをせず思考に耽るのは、そなたが自分自身に腹を立てている証拠だ」

「…………」

 壮年齢の王というのも、案外馬鹿にできるものじゃない。

 リディア王の鋭い指摘に、アレクは自分の弱みを握られたような錯覚を覚えた。

「……は、そうかい。――――んじゃまぁ、さっさとキリヤんとこに行こうかね」

 これ以上ここに留まっていても意味が無い。

 アレクも立ち上がって凝った首をほぐしながら出口の方へ向かう。

 しかし途中でふと立ち止まると、何か思い出したように首を捻ってリディア王を振り返った。  

「最後の確認だリディア王。結論として、リディア王国は我がヴァレンシア王国の援助を受けるか? それとも、自国のみでまた一から国を立て直し復興に励むのか……。二つに一つ、猶予は認めん。いますぐ答えていただく」

「決まっておろう……」

 振り向いた姿勢のまま視線を送るアレクに、老王は真っ直ぐ見つめ返して即答した。

「貴国には十分助けられた。すでに多くのリディア国民が王国の早期復興に携わり、かつての平穏を取り戻そうと奮闘してくれている。……私はその偉大な努力を無駄にはしたくはない」

「……つまり、あとは自分たちでやるということでいいんだな?」

左様さよう。彼らリディアの民がいる限り、我らの王国は決して失われぬだろう。それに答えてやるためにも、私は私の成すべきことをこれから進めていくつもりだ」

 大国と小国、それぞれの野望と生き様を含んだ王たちの視線が交差する。

 互いの意思は尊重できた。だがその意思は決して安いものではない。民草の信頼を預かる者として、顔も知らない多くの国民たちを守るために、王は重大な決断を下したのである。

 その判断が今後この国にどのような運命をもたらすかは計り知れない。王はただその選択肢に全身全霊で挑み、国家運営を取り仕切っていくのだ。

「時に苦難や絶望が降り注ぐかもしれぬ。此度の戦いのように、再び多くの犠牲者を出すことも考えられよう。それでも、私は為政者としての使命を最後まで真っ当してみせたい」 

 

 ――――曇天に覆われた窺い知れぬ未来。わからないからこそ、その雲間から射す一筋の希望の光も見つけることができるのだ――――


 父ガレスの残した日記。そこに書かれていた一文がアレクの脳裏で閃く。

 ――――可能性は必ずしも無ではない。

 アレクがまだ幼かった頃からガレスの口癖となっていたこの言葉。「諦めない」という意志の強さをずっと教え続られたからこそ、アレクは弱輩ながらも大国を治める国主として成り上がったのである。

 アレクは知っていた。

 一度覚悟を決めた相手に、『断念』の二文字など存在しないことを。 

「ははっ……わかったよ。貴方が自分で決めたのなら俺は何も言わない。せいぜい、ぽっくり逝って家族を悲しませないようにな」

 最後のは半分冗談のつもりだった。

 だが家族を失った悲しみを重々理解している彼は、もしものことも兼ねてさりげなく注意を喚起したのである。

 心配されている事が伝わったのだろうか、リディア王の堅い表情が緩み、面白そうに目を細めてアレクを見やった。

「それは貴公も同じであろう。今後女性に飛び掛るような不埒真似を続けるのなら、不運の内に命を落とさぬよう普段から全身に鎧でも纏っているがいい」

「それじゃあ女の温もりと柔らかい弾力が感じられないだろ? 男は度胸だ。危険があるからこそ、達成できた時の喜びは格別なのさ」

「陛下、それは少し違うかと……」

 半眼になってぼそりと訂正するアレン。

 その様子にリディア王はさらに笑みを深めた。

「死んでしまったら意味がない。全て無に帰することになるぞ?」  

「俺は死なない」

 そう言ってアレクは、己の胸に親指を突き立てた。

 唇の端を吊り上げ、大胆不敵に笑う。

「俺の二つ名は知ってるだろう? “不敵”は文字通り、敵がいないことを意味するんだぜ」


 終幕。

 歴史上類をみない王族同士の殴り合いによって中断となった会議は、誰もが予想し得なかった不適当な理由により、その幕を閉じた。




            =======【セレス視点】=======


 

 レイニス王子に殴り飛ばされ、無惨に宙を舞ったキリヤの姿を網膜に焼き付けた瞬間から、セレスは頭にかき乱されるような痛みを感じていた。

 目の奥を槌で殴られるような鋭い頭痛。激しい耳鳴りと眩暈。

 嘔吐しそうになるのを手で押さえて必死に堪え、彼女は瞬間的に部屋の隅の柱に身を潜ませた。

「う……うう………あ…ああアァ……!」

 頭痛は治まる気配を見せない。むしろより酷く悪化してセレスを苦しめる。

 声を聞かれまいと全身に力を入れて踏ん張り、頭を両手で押さえて痛みを封じようと試みた。

「……はぁ……ハァ……は…ぐっ!? あ、あガッ……!」

 思考不能。

 飛びかける意識の中、視界が貧血を起こしたように黒く染められていく。

 限界まで引き伸ばされた理性の糸が、辛うじて絶叫を上げることを拒んでいた。

(い、一体何……? 頭の中が……割れるように痛い……! まさか、精神操作(マインドコントロール)……!?)

 頭痛の心当たりなんてない。

 何のきっかけもなしに、唐突に激しい頭痛に見舞われたのである。

 ――――いや。

 唯一原因があるとすれば、キリヤがレイニス王子に殴られたすぐあとに、痛みに襲われたことであるが……。

(そうよ……! キ、キリヤ君! キリヤ君を助けなくちゃ……!)

 途端に先ほどの騒動を思い出す。

 あんなに強く殴られたら、たとえ古代魔道士エンシェントウィザードの彼も無傷とは限らない。

 ――――それにもし、そのまま殺し合いの乱闘騒ぎにまで発展しまったらどうする……?

(こ、今度こそあたしが……あたしが守らないと! 役立たずは……もう嫌――――)


 ズキン……!


「――――――ッ!!?」


 刹那、視界が暗転。

 床が、壁が、天井が、まるで渦に吸い込まれるように高速で回転する。

 すでに身体の上下感覚すら把握できない。

 自分が今一体どうなっているのか、それすらも考えるのが億劫になる消えかけの意識の中で、セレスはただひたすらキリヤの事を思った。


 ――――約束、したじゃん……。


(え……?)

 声が聞こえた。

 暗闇に包まれた視界の中で、頭に直接響く少女らしき声。

 

 ――――守ってくれるって、約束してくれたのに……。


(誰? 約束って何の事なの……?)


 何故だろう。

 暗黒から呟かれるその声にとても懐かしいものを感じる。

 いつだっただろうか。遠い昔、自分も同じ事を呟いていたような……。

 自分が良く知るはずのその少女の声は尚も続いた。


 ――――いやっ……置いてかないで! 一人にしないでっ……!


 ――――何で帰ってこないのよ……どうして何だよっ!!


 ――――……何でも言うこと聞くから。もう悪口言わない! だからっ……。


 ――――お願い、ずっとウチと一緒にいて――――



 孤独。

 それはセレスが一番嫌いな言葉だった。

 誰も自分という存在を認めようとしてくれない、そんな空間にずっと閉じ込め続けられるということが、どんなに辛く苦難に満ちているか。

 セレスにはそれが、身に染みて理解できた。

 闇から語りかけてくる少女はきっと、自分と同じ孤独に苛まれた存在なのだ。だからこうして、苦しみの内を吐露し伝えてきている……。

 そう直感したセレスは、少女に呼びかけようと口を開きかけ――――


「あ、あの、魔道士様? 大丈夫ですかっ?」


 彼女の意識は不意に覚醒した。


「え……?」

 ぱちくりと瞬き。

 そこはリディア王城のとある廊下だった。

 いつの間にか視力が戻り、激しい頭痛も治まっている。 

 だが理解できない。何故自分はここにいるのだ? 

 首を左右に振って周囲を確認してみると、右隣の少し離れたところにメイド服を着た少女が一人。

 胸元で手を組んで、不安げな表情でセレスを覗き込んでいる。今の声の正体は彼女で間違いないのだろう。

「あたし……一体どうなって……」

 セレスが誰にとも言わず呟くと、その少女は困惑して、

「あ、あの……覚えていらっしゃらないの、ですか?」

 オドオドと聞き返された。

「……わからないわ。議事堂の会議室に居たはずなんだけど、気づいたらここに……」

 寝起きのような頭で記憶を辿り、過去の出来事を思い出していく。

 そんなセレスに、メイドの少女は目を丸くして頬に手を当てた。

「ほわぁ……。そ、それって不思議です……!」

「不思議なのよねぇ~……何であたしここにいるんだろ?」

 セレスは腕を組み、天井を見上げて熟考する。

 激しい頭痛に見舞われて、咄嗟に柱の影に隠れたところまでは覚えていた。だがその先がまったく思い出せない。

 首を傾げて視線を下ろし、じーっとこちらを見つめる少女に目をやる。

「…………」

「…………」

 セレスより身長は高めだが、顔の作りは幼女のそれに近いかもしれない。

 大きなクリッとした目が特徴的な短髪の少女だ。茶髪を後頭部の両端で結んでいるが、如何せん髪が短いためわれた髪がほうきのように広がって毛先がまばらになってしまっている。

 むしろ髪型が少女を目立たせているというか――――その前に、この少女どこかで会ったことがあるような……。

「ああっ! 思い出した!」

 突然セレスは叫んでメイド服の少女を指差した。

「ひゃあ! い、いきなり何なんですか!?」

「あなたのことよ! たしか、キリヤ君と一緒に中庭に来てたメイドさんだったわよね?」

「あ。わ、私レイカって言います。どうぞよろしくお願いします!」

 ペコリと頭を下げる少女。

 セレスとしては別によろしくお願いするつもりはないのだが、この少女――――レイカには少し聞きたいことがあった。

「ねぇレイカちゃん。キリヤ君どこにいるか知らないかしら?」

 会議が中断して結構な時間が経っているとすれば、キリヤがまだ議事堂に残っているとは考えにくい。怪我の治療のため、場所を移しているかもしれなかった。何も出来ないにせよ、せめて傍で見守ることくらいはしたい。

「キリヤ様、ですか? えーと……先ほどレイニス様が部下の兵士さんをお連れになっているのは見ましたけど……あの、キリヤ様はご覧になってないです……」

 ごめんなさいです、と言って申し訳なさそうに頭を下げるレイカ。

「え? あ、いや、見てなかったら別にいいの。謝らなくていいから」

 彼女は居場所は知らない。

 けれどレイニス王子が会議室を出ているということは、キリヤもすでに退出している可能性は高い。このまま議事堂に戻るより、キリヤの使っていた寝室に戻った方が早いだろうか。

「あ、あの……魔道士様?」

「ん? 何かしら?」

「し、失礼ながら、魔道士様とキリヤ様はどういったご関係なのでしょうか?」

「え……?」

 予想外の質問だった。

 どう答えてよいかわからず、言葉に詰る。

「魔道士様がキリヤ殿下のことを、その……君付けで呼ばれておりましたので、ちょっと気になりまして……」

「な……!?」

 失態だった。

 まさか一国の王子を君付けで呼ぶ宮廷魔道士なんているわけがない。勢いのまま普段の呼称をそのまま使ってしまった。

 片足に地雷を踏んづけた状態で、一体どんな対処ができようか。傍にフォローできる相手もなく、即席の言い訳を考えるにしても今からじゃ到底遅すぎる。

 結局黙ったままでいると、何やら察した表情でレイカがポンと手を打った。

「もしかして、お二人は幼馴染なのですか?」

「ええっ!?」

 またしても意外な質問。

 まさか、そんなはずは、有り得るわけが……あるかもしれない!

 瞬間的にセレスは閃いた。

 これは使える、と。

「じ、実はそうなのよ! レイカちゃんったら、まさか一発で当てちゃうなんて……思わず驚いちゃったわ!」

「ほ、本当ですかっ!」

「ホントもホント! 豊漁豊穣大当たり大盛況ッ!ってくらい凄い確率でホントよ! 勘の鋭い女の子は、将来良いお嫁さんになれるわよ~」

「エ、エヘヘ……嬉しいですっ」

 はにかんで俯くレイカの姿は、純真な乙女そのもの。

 その様子に「しめたっ!」とばかり一気に畳み掛けるセレス。

「その…ほら! キリヤ君とあたしって魔道士でしょ? 昔から一緒に王宮で魔術を学ぶことが多かった

から、自然と打ち解けちゃってね。それで、公然の場以外は気楽に話そうってことにしたの!」

「王子様と幼馴染になれるなんて……わたし羨ましいです……!」

 胸元で手を組んで目を輝かせているレイカは完全に乙女モードだ。

 これは間違いなく信じてくれただろう。それよりか一寸の疑いさえ持ってはいまい。

(はは……あたし最低だ……)

 レイカの眩しい視線を避けつつ、セレスはさりげなく肩を落とす。

 惨めな嘘を吐いたことより、キリヤの知らぬところで関係偽装してしまったことの罪悪感が尋常なく重かった……。



           =======【アプロディーナ視点】======= 


 場所は移り、ヴァレンシア王国王都のヴァルハ宮殿。

 アレク王の妹、アプロディーナ姫は今日も日課の城の探索に出かけていた。

 周辺大国の冷戦の影響で、『暗殺者裏組合アサシンズギルド』手回しの暗殺者が数多くこの国に赴いているという物騒な噂話をよく耳にする。

 最近は城下の治安もかなり強化され、街に配置される警備兵の数が日に日に増えているらしい。“お忍び”で城を抜け出すにしても、近侍に固く止められてしまって思うようにできないのだ。そればかりか、今まで“お忍び”を黙認してくれていた専属のメイドにも、やれ「今の城下街は危険」だとか、やれ「しばらくは城内で我慢しろ」だのの一言ばかり。

 心配してくれているのはわかっているのだが、それでも毎日のように続く面談や“お勉強”に精神をすり減らされ、楽しみの“お忍び”まで打ち切られたとあってはたまったものではない。

(はぁ……どこかに楽しい出来事でも転がってはいないでしょうか……)

 親友のセレスは東部の戦線に向かって以来まだ帰ってきていない。

 兄アレクは下町の視察だという置手紙を残してずっと失踪したままだが、これはきっと嘘だ。

(民想いのお兄様のこと。大方、一般の兵士さんに紛れて東の戦場について行っているのでしょう)

 親友が戦いに出向くと聞いた時は、心配のあまり城内の聖堂で半日間守護の祈りを捧げたものだ。だが昨日の夜間遅くに東方方面軍から終戦の知らせとセレスのディーナ宛ての伝報が管理局に届き、現在はひとまず安堵している。

 しかし、それでも、彼女は空き時間の退屈にだけは勝てなかった。 

(仕方がありませんね……。今日は中庭にしましょう)

 草花の香りを吸い込みながら、中庭の腰掛で読書するのもなかなかの暇つぶしになる。

 アプロディーナは城内探索を諦めて、中庭に移動しようと進路を急遽変更した。

 突然廊下の角を曲がった主に、背後に控えていた侍女たちが慌てて追いかける。

 移動時間の多い王女ほど、それに仕える召使いの忙しいことといったらない。主の行動一つ一つに気を配り、尚且なおかつ不審な人物はいないか周りにも注意しなければならないのだ。王族の従者は皆高貴な家の出であり、おもにこなす仕事といえば身の回りの世話がほとんど。戦闘経験のない者が周りを警戒して不審者に備えてても、その対処法は主の盾となって侍女が身代わりとなることだろう。

 いつか自分たちがその役目を遣わされるのではないかと、侍女たちは内心尻込みする思いで活発姫のあとに続いていた。


(……あら? この部屋はもしや……)

 アプロディーナが立ち止まったのは、中庭に向かう途中に通過する賓客御用達ごようたしの部屋群の前だった。

 彼女の部屋のものより一際豪奢な扉が、自らの立派な外装を誇示するように目の前にある。

 事前に兄によって聞かされていた。たしかこの部屋に、魔道士キリヤを迎えたと。

「…………」

「姫様? どうか致しましたか?」

「……あなたたちはそこでお待ちなさい」

「は? ひ、姫様……!?」

 有無を言わせず、アプロディーナはすぐさまその部屋に滑り込んだ。

 背中で扉を閉め、内側から鍵を掛ける。

 すると予想通り外側から扉を叩く音が響いた。

「殿下! 扉をお開けくださいまし! ここは大切なお客様を招くお部屋ですよ!」

「さすがにお遊びが過ぎますわ! 姫様、お早く外に……!」

 彼女らの忠告を適当に聞き流し、扉の向こうに届く声量で答え返す。

「では、わたくしがこのお部屋から出たら“お忍び”を承諾してくれますか?」

「そ、その件とこれとは話が違います。全ては姫様の御身のため。……軽はずみなお約束はなさらないでくださいませ!」

「……それはお兄様の言伝いいつてですの?」

わたくしめにはお答えできかねます……」

 あくまでしらを切るつもりか。

 ならば、これ以上話すことは何も無い。

 騒ぎ立てる侍女たちの声を後ろに、アプロディーナは部屋の奥へ向かう。

(本当節操ばかりで面白くないのだから……。どうしてもっと笑えないのでしょう)

 親友の豊かな表情変化を思い出し、彼女はふふっと喉を鳴らした。

 そして改めて、キリヤの泊まった部屋を見渡す。

 なるほど。扉の装飾からでもわかる通り、部屋の質は一級品に違いない。無駄に広く設計された室内の衣たる所に豪華な家具や美術品が飾られている。レースのカーテンの奥に映る幅広いバルコニーには、観葉植物に混じって小さな噴水まで設置されていた。

 こんな完璧な部屋、他国の王族を招いても何ら問題はないはず。いや、むしろそういう客が宿泊するために造られた部屋なのだろうが。     

 ぐるりと部屋を見回し、アプロディーナはゆっくりと歩みを進めた。

 壁に掛かる魔道灯に明かりを灯し、まずは天蓋付きの寝台に足を運ぶ。

 大きさはアプロディーナの寝台より一回り分大きいくらいだろうか。大人三人が隣合わせに横になっても不自由がないくらい十分な広さがある。試しに指で毛布を押してみると、触り心地の良い弾力が返ってきた。昼寝には絶好の快適空間かもしれない。アプロディーナはまたここにきた時、こっそりと忍び込めないかと考えを巡らせた。 

 そうしてガラス張りのテーブルの前に歩みを進めた時、彼女はふと傍に置かれたソファの上に“何か”を見つける。

「これは……何でしょうか?」

 少し平たい何かの入れ物だった。

 革製なのだろうが、所々塗料が施されていてツルツルしている部分がある。

 取っ手となる箇所にリング状の金属がはめ込まれていた。入れ物の開け口にも同じように、複雑な形をした鉄の塊が一つ。

「……中身は……?」

 入れ物を軽く振ってみる。

 ガサコソと音を立てて、重みのある物体が中で跳ねた。

 もう一度振ってみる。手に掛かる感触からして、中身は書物の類だろうか。

 未知の物に、アプロディーナは何やら急に楽しくなった。

「ふふ……何だか冒険者トレジャーハンターになったみたい。とても心が躍ります」

 独りで嬉しそうに呟き、彼女は謎の入れ物――――もといキリヤの鞄をその胸に抱いて軽快に部屋を後にした。  

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