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異界の古代魔道士  作者: 焔場秀
第二章 東国動乱
41/73

第三十六話 二国間会議

※三十七話と同時投稿です

 ――――本当に俺なんかが、こんな場所に足を踏み入れてもいいのか?

 開け放たれた扉の奥を覗き込み、俺は一抹の不安を感じた。

 豪華絢爛な内装とまではいかないが、俗人が気安く入れるような質素感はまるでなし。「作法知らずはとっととお帰りくださいませ」と語りかけてくる気がして、思わず回れ右をしそうになった。

「中で代表の方々がお待ちです。キリヤ殿下、どうぞ先にお進みください」 

「え? ……あ、ああ」

 ……マジで?

 まさか俺独りで行けとか言わないよな……?

「さぁ王子。行きましょう……!」

 心なし楽しそうな雰囲気のセレスが、早く行けとばかりに俺を促す。

 どうやらお嬢はついてくるらしい。独りでなかったことに安心するべきか、セレス嬢が一緒なことに注意するべきか。  

 脇に逸れたランドルフさんの前を通り過ぎ、お嬢を伴って議事堂の中に足を踏み入れる。

 そしてきたこれ、この足裏の感触っ!

 また上等な絨毯が敷かれているようで、一歩一歩の踏み出しに違和感を覚えた。土足で踏んでいいものなのか? いや、裸足になるのはおかしいからまずは靴裏の泥を落としてから入りなおして――――

「キリヤ・ファレンス・カンザキ・ヴァレンシア王弟殿下! 並びにセレス・デルクレイル宮廷魔道士殿入場!」

 しかし、そんな俺の懸念を頭から吹き飛ばす勢いでランドルフさんが声を張り上げた。

 うん……今のはタイミング的にあまりよろしくはないな。せめて俺たちの心の準備というか……合図くらい待ってくれてもいいんじゃないかと思う。それとそのダサい名前を大声で言うのはやめてほしい。物凄く恥ずかしいからさぁっ!

 別に悪気はないが、とりあえず振り返ってランドルフさんを睨んでおく。

 仮面のせいで伝わらないかと思ったが、どうも彼は俺の視線の意味に気づいたらしい。端整な表情を驚愕に歪ませたあと、真っ青になってそのまま固まってしまった。

「…………」

 ――――やばい……少しやり過ぎたか。

 戻って謝ろうかと思ったが、前方から感じる人の気配がそれを中断させた。

 周りの空気や温度がガラっと変わる。俺の研ぎ澄まされた第六感が、人目を避けろと警告している。

 会議室全体を見渡せる場所に立ってみれば、その息苦しいまでの圧力というものがよりはっきり感じられた。

 関心という言葉一つの表現で事足りるあらゆる人の視線、視線、視線……。

 何を思われているのか想像もつかない、その対象者を孤独に追い込む無言の視線が俺を精神的に苦しませる。

 そう――――例えるなら小学校の参観日に、保護者や同級生の前で作文を読み上げるようなもの。一挙に浴びる注目をただひたすら受け流しながら、先生によって指示された任務を嫌々ながら達成するのだ……。

 何度でも言おう。卑屈になるわけではないが、人見知りの模範回答例みたいな俺にとって、この視線は不気味以外の何者でもない。

 全身を這いずり回る鳥肌。

 明日死ぬんじゃないだろうか?と疑いたくなるほどの病みがちな冷や汗。

 幻聴と幻が頭の中でロックダンスを披露し、心臓の鼓動がそれに合わせて激しいリズムを奏でる。脳味噌に足が生えたチャライ化け物が現れて、「そのまま吹っ切れちゃえよ!イェイ☆」と魅力的な誘いをかけてきた。

 はは……何だコレ。シュールだ、シュール過ぎる。キモイぞ俺の脳味噌……!


『キリっち!』

       

 はっ!? い、いかんいかん! あまりのプレッシャーについ重度の発作が……。

『しっかりしてください! 仮にも王子なんですから、変な気を抱かれるような行動は控えてくださいよ?』

 ま、まだ大丈夫だ。……大丈夫。誰にも気づかれていない……。

 だが、いつまでも大勢の視線を一身に浴びせられるのは危険だ。早いトコ自分の席についた方がいいだろう。

 円形に組まれたテーブルを早歩きで迂回しながら、俺は一番人気の少ない椅子に腰を下ろした。

 両脇が空席だったのも丁度良い。これで気を遣わずに会議に望めるというもの。


 ――――……少なくとも席で一息吐くまでは、そんな軽い気持ちで思っていた。

   

 ……一向に止まない注目の視線。

 怖くなるほど誰も喋ろうとしない静寂の中で、「信じられないものを見てしまった」とでも言いたげな表情の大人たちが俺を凝視している。

 ――――な、何だ? 何か俺……マズイことしてしまったとか?

 助けを求めようとお嬢に視線を送るも、彼女は彼女で「はぁ……」と諦めたように頭を抱えていた。俺が犯した失態はもはや手遅れらしい。

 ふと視界の隅に派手な衣装を纏った人影を見つける。

 期待もせず何気に視線をやると、それがアレクであることがわかった。しかもその背後にはアル姐さんとアレンさんが控えているではないか。アレクはともかく、彼らもここへ呼ばれたのだろうか?

 アレンさんの表情は皆と同じだった。細い目を精一杯開いて俺を見つめたまま、石像みたく固まっている。

 アル姐さんはいつも通りの無表情だったが、俺と視線が合うとほんの少しだけ――――本当に僅かに苦笑した。その微笑にどんな意味が含まれているのか計り知れないが、きっと良い意味じゃない……。

「――――い……。おいキリヤ……!」

 アレクの囁き声で、俺は視線を下に向ける。

 何やら必死にジェスチャーで伝えようとしているが、そんなコソコソされてもさっぱりわからない。

 俺が小さく首を振って理解不能であることを伝えると、アレクは苛立たしげに髪を掻きながら自分の右側を指差した。

「……?」

 こちらから左側。

 丁度アレクの居る座席の反対側に、武装した兵士たちを背後に付けるご老人が一人いる。金縁の冠を頭に被り、肩から紺色のマントを羽織っていた。彼がこのリディアっていう国の王様で間違いないのだろう。うむ……テンプレートな国王というのも悪くはないな。いかにも異世界の王様って感じが出てるし……。

『――――ってこのアホ高校生!』

 うおぃ! い、いきなり叫ぶなっ。びっくりしたじゃねーか!

『何をぼーっとしているんです! 王様に挨拶ですよ、挨拶!」

 あ、挨拶!? ちょっと待ってくれ! このタイミングでか!?

『絶好のタイミングを逃したキリっちが何を言いますか! とにかく早く、何でもいいから頭でも下げておくのですよ!』

 ええぇ……今から言うのか?

『大勢の前だから怖気づきましたか?』

 べ、別にそんなんじゃないけど……。

「キリヤ王子」

 その時、俺たちの脳内会話を割いて、しわがれた低い声が俺の名を呼んだ。

 一時ピロとの回線を切って顔を上げると、先ほどのテンプレな王様が立ち上がって俺を見下ろしている。

 や、やばい――――もしかして怒ってる?

 俺の不安を知ってか知らずか、老いた王様は俺に向かって軽く頭を下げてきた。

「お初にお目にかかる。私の名はアーガス――――アーガス・ダン・アリギエーリ・リディアと申す。ご覧の通り、この小さき国を治めるしがない王よ」

 どうやら自己紹介らしい。

 俺も立ち上がり、王様に頭を下げる。

「キリヤです……どうも……」

 俺としては精一杯の真面目な自己紹介のつもりだったが、王様の取り巻きたちはどうも意外な受けだったようだ。

 皆一様に目を丸くして、俺とアレクの方を交互に見比べる。

 ……それにしても、俺が何か喋る度にみんな変わった反応をするのは何故だろうか……。

 だが王様はそうでもなかった。

 仮面の奥を見定めるようにじっくり俺を観察したのち、苦笑ともつかない小さな笑みをその憔悴した顔に浮かべる。

「変わった仮面をつけておいでだな。我らに顔見せできぬ理由でもおありか?」

「あ、いや……これは――――」

「いや、無理に聞き出そう言うわけではござらん。ただ、少し気になっての……」

 ツルツルした仮面の表面を撫で、そういえば何も言い訳を考えていなかったことを思い出す。妥当な理由でもつけて適当に誤魔化そうかと考えた時、横から割り込む第三者の声があった。

「顔面に酷い火傷でも負えば、そりゃあ顔も隠したくなるだろうよ」

 面倒くさそうに肘を突き、アレクが吐き捨てるように言う。

「火傷、とな?」

「…………」

「悪いキリヤ。お前の触れて欲しくないことだとわかってるが、証明するために言わせてくれ」

 普段だらしない男が、至極真面目な顔をするとこうも変わるものなのか。俺はらしくないアレクの表情を見て、なんとなく感心してしまった。

「リディア王、知っての通りキリヤは優秀な魔道士だ。だが、必ずしも全てが全て上手い具合に事が進むというわけじゃあない」

「うむ……」

「人には言えない黒歴史ってのもあるもんさ。魔術の失敗は、行使者自身の人体に大きな悪影響を及ぼすみたいだからな……」

 その言葉だけで、アレクの言いたいことは大方理解できたのだろう。

 王様は一瞬眉をぴくりと持ち上げ、重々しい顔でキリヤに向き直った。他の面々も若干表情に戸惑いの色が窺える。申し訳なさそうというか、哀れみというか、とんでもなく気の毒な感じの雰囲気が集まって俺を遠慮がちに見つめてくるのである。

 ――――一体何だ? 

「そう、か……。それはすまぬ事を聞いた。いささか理不尽な問いかけをした私を、どうか許してほしい……」

 そう言って、また頭を下げる王様。

 いや、俺は何が言いたいのかさっぱりなんだが……。

『ふむふむ。なるほどなるほど、さすがはアレク王。こういう時はよく頭が回るお方です』

 何だピロ、一体どういうことだ?

『つまり、キリっちの仮面の下は凄惨な状態だから見るに堪えないということですよ』

 おいコラ! お前俺に喧嘩売ってんのか!

『じょ、冗談なのですよ……。ですから、キリっちの顔は魔術行使の失敗が影響で大火傷を負ってるから、キリっち自身は他人に無惨な顔を見せたくないと思っている、という嘘の情報をアレク王がリディア王に言っているわけなのです、はい』

 それって要するにホラ吹いてるわけか?

 ちらっと横目でアレクを窺ってみた。

 すると向こうもこちらに視線を合わせ、さらには片目を瞑って笑いかけてきやがったではないか。なんという騙し屋……。アレクのお陰で余計に勘ぐられることはなかったものの、平気な顔で嘘を吐く国の指導者に、果たして俺は国の行く末を心配した方がよいのだろうか……。

 

 まぁ結局、アレやコレやと誤魔化して、俺の素性に疑いをかけられるような事態は免れた。

 ほとんどはアレクの巧みな嘘が決定的となったが、実はその後も色々とさり気ない質問を投げかけられたりもしたのである。

 例えば、「何故離宮で軟禁され、今になって王宮へ舞い戻ったのか」という問いかけ。

 何を狂ったのかアレクの野郎、「幼少期の頃のキリヤは随分と残忍な性格でな、馬小屋に繋いでいた父上の軍馬を魔術で殺してしまって以来、その力を恐れた側室の母がキリヤを連れて離宮に閉じ込めたんだよ」なんて偽装の返答を暗い表情で語りだすものだから、無実な俺としては物凄く気まずいわけだ。

 しかもそれだけじゃ納得できないレイニスという騎士――――リンドの父親らしい――――が俺から直接聞き出そうとしたものだから大変。

 ピロの助言もあって何とか信じ込ませるに至ったが、その時の心苦しい言い訳ときたら……とてもじゃないが二度と口にしたくない。仮面がなかったら、きっと俺の顔が完熟トマトみたいに真赤になっていることが外から丸わかりだったはずだ。羞恥の極みだぜ、まったく……。こういう不祥事は今後絶対にないように願う限りだ……。


 俺とセレスが最後の出席者のこともあり、議席に落ちつき次第会議は速やかに開幕された。    

 ピロによれば、二国間会議というのは大抵どちらの国の側でもない、まったく別の中立国家で行われるのが慣わしらしい。有利不利のない完全な平等。ここから一番近い中立国家を挙げるなら“アロン同盟”という大富豪が管理する自治領が適当みたいだが、今回は場合や状況も考えて臨時にこの国で行われることになった。   

 会議運営の主宰はアル姐さん。これには俺も驚いたが、意外にもリディア親子の推薦で決まったのである。その時の意気投合した姿ときたら……思い出すだけで笑みが零れそうだ。

「それで? 話し合いの仲介役は誰にするんだ?」

「リディアとヴァレンシア、そのどちらにも就かない調和的考えの持ち主が好まれる」

「んじゃエルフでも呼ぶか?」

「たしかに調和の象徴であるエルフ族ならば差別意識を持たぬが、“彼ら”は人間の政治に疎い。それに、無理に頼んで我らに偏見を抱かれるのは私としては喜ばしくないな」

「ていうか、俺らを御しきれる大胆不敵な調和思想の人間なんてそう簡単にいるわけ――――」

「っ! いるではないですか……」

「あァん?」

「「ケリュネイア殿、主宰役をぜひあなたにお願いたい」」

「はぁ!?」

「わかりました。この大役、必ずや果たすとお誓い致します」

「ちょ、ちょっと待て! アルは俺の直属の部下だぞっ? ヴァレンシア王国の忠義者が仲介役になったら、それこそリディア側に不利じゃないか!?」

「何、どうということはない」「同じく、別段問題はないかと……」「有り得ませんね」

「一斉に返すな! それとアル! お前も何気にそっち側に混ざってんじゃねぇ!」

「それでは、第一回ヴァレンシア=リディア二国間会議を開催致します」 

「無視かよちくしょう!」 


 はっきりと言える。

 これはきっと笑うところなのだと……。

 王族同士のちょっとしたコントを間で聞いていた俺を、傍から眺めていた人はなんと思っただろうか。

 何分笑いを堪えるのに必死だったため、周りの視線がどう動いていたのか観察する場合ではなかった。けど恐らく――――俺の予想では、若干天然気質のセレス嬢は「馬鹿馬鹿しい」と言いたげに大げさに肩を竦めてみせ、ジョークの通じない生真面目なアレンさんは計り知れない前代未聞の口論に怪しい雲行きを感じ、この世の終わりみたいな顔で終始震えていたのではないかと思う。

 想像するだけでも笑いがこみ上げてくるというのに、実際目の当たりにしたら確実に吹き出してたはずだ。ある意味助かったというべきか、とりあえず空気の読めないキチガイ王子に成り下がることはなかったのだから安心してもいいのだろう。



           =======【レイニス視点】=======


「ではまず、両国の重要議題である対ランスロットの処遇について。ヴァレンシア、リディアともそれぞれご提案やご意見の交換等、お話になられてはよいかと存じます」

 アルテミスの議会進行に、お互いの代表たちは頷きあった。

 すぐさまリディア側の官僚たちが手元の資料に目を落とし、自国の被害状況や敵国の動向、さらにヴァレンシア王国の援助の詳細な内容を吟味していく。

 こちらに不利な方針はなるべく避け、有益な状態を作り出すことは何より優先事項だ。ヴァレンシアの下手に出まいと、必死に名案を考えるのはレイニスにも同じことであった。

 まだインクが乾ききっていない文章を目で追い、不明な点や不本意な条件を模索していく。とは言っても、中立国家であり、他国に大した影響力もないリディア王国は、大国のヴァレンシア王国と大きな隔たりや軋轢関係があるわけもなく、お互いに提示された条件や提案はほとんど意見が合致するものであった。


 ちなみに、ヴァレンシア王国がリディア王国に求めた条件は以下の通りである。


 第一に、今回の対ランスロット戦への我が王国の参戦は全て善意の意志から成るものであり、他国への軍事的威光を狙ったものではない事をここに明言する。

 

 第二に、貴国領への国軍無断進入は違法にあらず。事前に本国管理局にて援軍要請を受託した故、救援を最優先に行動した次第。我が王国への非難は受け入れられない。 

 

 第三に、トーテム山地での我が軍先鋒攻撃による地理的環境破壊に関して、我が王国は後処理及び復興の助力は惜しまず。故に貴国への支援部隊派遣に対し、リディア政府の全面的承諾を願う。

 

 第四に、貴国の防衛及び治安維持を担う騎士団の再編が完了するまで、我が王国軍の貴国領への駐留を了承されたし。※詳細については、本資料下部に記載す。


 等々。

 一応表向きは、リディア王国の同意を得ることを前提に書かれているが、仮に全てこちらで解決するとした場合、ヴァレンシア側は大人しく引き下がるのか……?

 レイニスの一番懸念するところはそこであった。

 他の大国に比べて比較的協和思想な王国だが、大陸の覇権を狙っていることには変わりはない。ただでさえ四方を強勢力に囲まれた危うい国家なのだ、この機を逃さず東部勢力を吸収し、東方の安全を確保しておきたいはず。武力制圧とまではいかずとも、間接的な武力行使で属国化を図る可能性は否定できなかった。

 資料から視線を外し、アレクを見る。

 王国の黒き尖兵ダーク・レギオンの指揮官として有名な軍人アレン・キムナー中佐と共に、色々と意見を出し合って話しているのが見えた。アレク王が不敵に笑ってみせると、それに答えるようにキムナー中佐が苦笑する。こちらは国の存亡をかけてかつてないほど真剣に検討しているというのに、向こうは随分と余裕というか、緊張感がまるで感じられない。

(すでに勝った気でいるつもりか。我々リディア政府もなめられたものだ……)

 ヴァレンシア側の議席が少ないというのも問題がある。

 今回の主役ともいうべきキリヤ王子は離れた場所に座ったまま腰を上げようとはしないし、デルクレイル嬢に至っては水槽の熱帯魚に夢中で会議に一欠けらの関心も寄せていない有様だ。

 ――――これでは真面目に話し込んでいる自分たちが馬鹿みたいではないか。

 滑稽な会議に若干不満を感じながらも、レイニスは文章の内容に目を通していく。

 その中には、今回の戦いで犠牲になった兵士や民間人の情報も転記されおり、その下に新しい犠牲者数も加えられていた。

「…………くそっ」

 もう少し早く敵の動向を察していれば、ここまで多大な犠牲者を出すこともなかったかもしれない。

 “中立国家”だから大丈夫という根拠のない思い込みが、今回の悲劇を生むきっかけになってしまった。

 レイニスは改めて自分の弱さに嘆き、そもそもの元凶であるランスロット軍に怒りした。   

 今から十年前、リディアと同じく中立国家として平和政治を行っていたランスロット王国は急にその方針を百八十度転換した。事実上軍事国家として生まれ変わったランスロットは、小国脱退を掲げヴァレンシア王国に宣戦布告。当時のランスロット王アロンが熱心なソーサラー教の信者であったこともあり、“教会”は侵略行為に対して何の咎めも与えることはなかった。

 しかし今回のリディア侵略は“教会”認可の国家を攻撃するという極めて非道な戦いであったため、“ソーサラ教会”本部はランスロット政府を糾弾。庇護を解くと共に、ランスロット王国への魔道士派遣を一切停止させたのである。

 状況的に考えて、現在のランスロットの守りはリディアのそれに遠く及ばないだろう。ありったけの国力をランスロットにぶつければ、半日の内に王都アロンダイトを落とすことも恐らく可能。今すぐにでも、奴らに報復することができるのだ。

 そんな黒い考えを抱き、レイニスはすぐさまそれを頭から追い払った。

(それでは駄目だ。ここでやり返せば、私は奴らと同類になってしまう……)

 死んでいった同胞たちの無念を果たすために自分たちが今やるべきことは、今後二度とこのような悲劇を生まないように、最善を尽くしてリディア国民を守ることではないか。

「そのためなら、大国の干渉も受け入れるしかないのか……」

 ぽつりと呟き、レイニスはふと思い出したようにキリヤに目を向けた。

 彼は先ほどとまったく同じ姿勢のまま、腕を組んで議席を睨みつけている。

 睨み付けていると言っても、仮面が素顔を隠しているため目線がどこにあるのか想像もつかないが……。

 彼と初めて出会ったのは戦場だった。

 魔道士が戦闘の前線に出てくることに驚愕して、その粗暴な態度や人外な魔術を目撃してさらに驚愕したことを覚えている。

(ふっ……。そういえば、キリヤ王子にはいつも驚かされてばかりだな)

 王都に凱旋してキリヤ王子に挨拶に行った時も、彼の取り乱した姿を見て愕然となった。この会議室にやって来て、部屋に入るなり席についたキリヤ王子に、また呆然となった。

 「変人」の一言では片付けられない、どこか「未知」な雰囲気を彼から感じるのだ。

 レイニス自身、他人の秘密に首を突っ込むような配慮のない人格ではないのだが、この時ばかりはキリヤ本人に興味が湧いた。一軍を屠る凄まじい力を持っているにも関わらず、その力を誇示して相手を見下さないのも尊敬できる。先ほど父と挨拶した時、キリヤの控えめな態度を見て直感した。

 国を救った英雄の考えというのもぜひ聞いてみたい。そう思ったレイニスは、自然と立ち上がってキリヤの元へと歩み寄っていた。

「もし。キリヤ王子、少しばかりお時間よろしいかな?」

「…………」

「……王子?」

 反応がない。

 聞こえていないのか……。

 もう一度声を掛けようとした時、キリヤが応答した。

「……なんだ?」

 面倒だと言いたげな、やる気のない声音であった。まさか自分は嫌われているのか。

 レイニスは一瞬しりごみしながらも、なるべく穏やかな調子で話しかける。

「い、いやなに。少々キリヤ殿にお聞きしたいことがあってね」

「……もったいぶるな。早く話せ」

 粗暴な態度は相変らずらしい。

 自分と父との間に一体どんな隔たりがあるというのか、いっその事思い切って問いただしてみたくなる。だが自分は彼よりずっと大人だ。キリヤ王子に口の聞き方を注意したところで、大人気ないと思われるのが落ちだろう。リディアの次期王位継承者として、ここは王族の威厳をしっかりと見せ付けておきたいところだ。

「先の戦いについて、あなたはランスロット軍――――引いては軍を我らの国に派遣したランスロット政府をどう思う」

 またしばらくの間を空け、キリヤは答えた。

「……最低だな」

「あ、ああ。ああそうだよ! 彼らの取った行動は最低だ。とても謝って済むような問題じゃない。ランスロット軍は兵士だけでなく、無関係の民間人まで容赦なく殺害したんだ……。人として、一番やってはいけないことをしたのさ……!」

「…………」

 キリヤは無言。

 だがレイニスは彼のその言葉を聞けただけで満足だった。

 キリヤ王子は今回の戦いの善悪を明確に理解している。躊躇なく敵軍を魔術の餌食にした時は、この漆黒の魔道士に一種の恐怖すら感じたものだが、今改めて考えてみれば、それは非道な行いに手を染めたランスロット軍も当然の末路といっていい。

 きっとキリヤ王子も自分と同じなのだ。

 心から国を想う故、それを乱す者に対しては無慈悲になる。義憤に近い押さえようのない怒りが全身を駆け巡り、気づけば考えるより先に身体が動いているのだ。

 飛来するワイバーンと対峙した時、キリヤが何を思って終結の魔術を発動させたのかは想像に難くない。

 それは逆襲という名の天罰。あの光の柱は、まさに神の裁きに相応しい。キリヤはそれを体現してみせたのだ。生き延びた兵士たちは心の底から恐怖したことだろう。悪行を働いた者に訪れる死は、決して安らかなものではないと……。 

 ――――そういえば、まだ疑問に残っていたことがあった。

 いつか聞こうと置いていた不明瞭をふと思い出し、レイニスは気分良くキリヤに訊ねた。共感し合える事があると、心の壁も自然と崩れるものである。

「キリヤ殿。トーテム山地で放ったあの魔術、私が見た限り雷属性のようだが……魔術系統は自然媒体エレメントかな? それとも紋章術式エンブレムルーンの略式呪文だろうか?」

 やはりしばらくの間を空け、キリヤはゆらりと頭を揺らした。

 しっかりと背筋が伸ばされていなければ、眠っていると誤解してしまいそうである。 

「……何故そんなことを“お前”に教えなければならない?」


 ――――お、“お前”……だと?


 この男……こちらが下手したてに出ているからといって増長しているのではあるまいな。

 年上に向かって“お前”呼ばわりとは、離宮育ちの世間知らずでももっと妥当な教育を受けているだろう。しかもこういう上から目線の話し方、余計にあの不敵王に似ていて何だか腹立たしくも思えてきた。

 まさかのお前発言にレイニスが咄嗟に言い返せないでいれば、キリヤはさらに言葉を重ねてくる。

「私事の事情を無闇に聞かないでくれ。俺も答えられるものとそうでないものがあるからな」

 ――――私事? 魔術の系統を知られたくないのか? 

「そ、そうか。気を悪くしてしまったのなら謝ろう。すまない……」  

「…………」

 黒の王子は何も喋らない。

 この場合、「許してもらえた」と捉えてよいのだろうか。感情が稀薄なうえ寡黙過ぎるから、こういう時に限って会話の調整が難しいのが癪だ。

 それにしても、トーテム山地でキリヤが使った例の魔術……おいそれと他言できない秘術であったとは……。

 いや、たしかにあれほどの大規模な魔術は滅多に使えたものでないから、禁忌として知らされていなくてもおかしくはないのだろう。

 昨日の地獄のような焼け野原を思い出し、レイニスは小さく身震いした。

(よそう。関わらない方が身のためだな……)

 それっきり、というより一時的なものであったが、レイニスはキリヤ王子への関心をなくした。この様子では、王子も恐らく会議への直接参加はしないつもりなのだろう。

 キリヤに一言、二言断ってから、レイニスも自分の席へ戻る。

 共感しあえたことの感動より、ほとんどろくに相手にしてもらえなかった事の不満が多いのが少し気がかりだった。



             =======【キリヤ視点】=======



 ……正直、俺にはさっぱりだった。

 執事服を完璧に着こなした、“セバスチャン”という名がよく似合いそうな男の人に会議の資料とやらを渡されたので、とりあえず一通り読んでみたのだが――――何がしたいのか、何を目的に会議をしているのかまったく理解できないのである。

 もちろん字が読めないというわけではない。字の翻訳は頭が勝手にやってくれるので何も問題なく読めるのだが、その肝心の頭が文章内容の認知を頑なに拒んでいるのだ。まったくもって面倒な頭である。

『くだらないですね。締まらない奇麗事並べて自分を正当化しないでください。その頭はただの飾りですか』

 ――――頭も飾れない無機物が抜かすな。この文章いちいち堅苦しいんだよ! 何だこの言葉? この古典で習いそうな敬語の羅列! しきたりだか慣わしだか知らないけどさ、一般人にもわかるような言葉で表記してくれないと伝えたいものも伝わらないぞ?

『ふむ……この紙に書かれているのはリディア王国の請願文章ですね。ふふ……なるほど、リディアは伝統と歴史を重んじる国家ですから、正式な行事では古語を用いて文を製作することが多々あるのでしょう。特にこの会議は、大国の最要人を二人も集ってますからね。定型文になってしまうのは仕方のないことだと思いますよ』

 はぁ……ま、まぁ、この数字の意味ならわかるんだけどな……。

『――――ランスロット方面リディア国境付近に駐在するヴァレンシア王国軍の規制とその詳細兵力、ですか?』

 ランスロットって俺らが戦った……あのトカゲモドキの軍隊だろ? それでこのリディアって国はランスロットと戦争してて、とても勝ち目がなかったからアレクんとこの国が助っ人として参戦したんだよな?

『ええ。そしてあなたはそのことについて何も知らず、ただ周りの雰囲気に流されるまま戦地に放り出された』

 うっ。たしかに、何も知ろうとしなかったのは俺のせいだから否定はできない……。それが原因かどうかはわからないけど……いや、結果的に大勢の人を殺した。

『キリっち。ですからそれは、賢者様がなさったことで――――』

 “あの子”がやったから俺は何も悪くないって、昔の俺なら言ったかもな。

『…………』

 逃げてばかりじゃ駄目だって痛感したよ……。俺はどうしようもない人見知りで臆病だ。けどせめて、責任だけは持てる人間でありたい。俺がこの会議に出る決意も全部、今やれることをできるだけやっておきたいからさ。償える分だけ償って、誰かの役に立ちたい――――


 卑怯な手段と思われてもいい。もう後悔だけはしたくないんだ……。

  

『あくまで傍観者として、キリっちの覚悟が本気であるのなら小生は止めはしませんよ』

 抑揚のないピロの言葉が、より現実なものとなって俺の心に突き刺さる。

 それは期待されていないピロの正直な本心か。それとも俺の覚悟が生半可でないことに気づいた上での、こいつなりの覚悟の表れか。

 どちらにせよ、俺はもう逃げないと決めたんだ。

 とても口に出して人様に語れるような決意じゃないが、それを簡単に終わらせてしまうような安い覚悟じゃないってことは身を持って言える。

 俺はテーブルから顔を上げ、会議の行方を見守る紅髪の女騎士に目をやった。

 最初出会ったばかりの時こそ、正直彼女の性格は苦手の一言に尽きるものだったが、今では信用するに足りる異世界人として俺を支えてくれている。

 強烈な出来事として記憶に刻まれた昨夜の抱擁が、またもや思い出させた。

 生命の鼓動を感じさせる柔らかな布に顔を押し当て、俺を優しく包み込んでくれたアル姐さん。女性特有の甘い香りの中で、耳元にかかる湿った吐息と声が絶妙なハーモニーを奏で――――

『ふーん……』

「っ!?」

 いやらしい笑いを潜ませた精神体がそこにいた。

 し、しまった! こいつの存在をすっかり忘れてたぁ!

『アルテミスさん、でしたか? 彼女の事をそんな風に思っていたなんて……キリっちもむっつりスケベですね』

 ち、違うぞ! 別に変な意味はなくてだなっ、ただ、あの時の印象が強烈過ぎたから中々忘れられなくて――――

『ふーん。へぇ~。ほぉー』

 ア、アル姐さんはお姉さんみたいな人だって朝言ったろ!? それ以外に他意はない!

『まぁ、表の感情なんて何とでもなりますから……。どれ、少しばかりキリっちの深い思考領域まで探ってみ――――あがっ! な、何するんですか!?』

 俺が眉間を思いっきり強い力で揉み解すと、ピロはユカイな悲鳴を上げて非難してきた。

 ふん! プライバシーを侵害するお前が悪い。ただでさえ俺の頭に住まわしてやってるのに、そのくせ私物を荒らされたとあっては大人しくしてやらねぇよ。

『ぐぐ……よりにもよって小生の弱点を――――』


 それから何をするというわけでもなく、俺(おまけとしてピロ)はぼーっと議論の内容に耳を傾けていた。時々ピロが頭の中で意思疎通テレパシーを送り、それに答える以外は特にすることもなく暇なのである。ふと頭を傾けてお嬢を窺ってみると、彼女は彼女で部屋の隅に椅子を置き、どこから出したのか分厚い本を開けて熱心に読書に励んでいた。十歳にも満たない子供と戯れるくらい茶目っ気全開の活発少女のことだ、少女向けの小説なんて読む性質たちではあるまい。魔道士なんだからやっぱり魔道書とかだろう。というよりそれ以外思いつかん。

 俺も読める本の一冊くらい持ってくるべきだったと後悔し、しかも学校の図書館で借りた文庫本を鞄に入れっ放しだったことを思い出してしばらく落ち込んだ。鞄は王宮の部屋に置いてきてしまっている。あれほど大事に身に着けておけとセレス嬢に注意されたのに、気づかぬ内に手放していた。何も下がっていないベルトの止め具を虚しく触りながら、何度目かもわからないため息をつく。

 そうしているうちに時間も刻一刻と過ぎてゆき、読書に飽きたらしいお嬢が水槽の魚と戯れ出したのを無関心に眺めていた時だった。


『ねぇねぇキリっち』

 何だ? 皮肉なら聞かんぞ。

『いえいえ。まぁなんと言いますか……キリっちがセレスさんを見る度にですね、あなたの記憶領域に黒墨のような歪みが発生してるんですけどね――――』

 …………あ?

『ああ、そうですねぇ……人間にもわかるように例えるなら、想像や妄想のイメージの一部に濃いモザイクがかかってる状態です。今まで黙っていたのですけど、その不可思議なイメージの障害バグが日に日に増してきてるような気がするんですよ』

 何だよそれ……。まさか先天的な病気じゃないだろうな?

『たぶんそれはないです。念のため視界や脳の働きをこちらで検査してみましたが、キリっちのそれは健康体そのものでした。恐らく病以外に、精神的な症状が何らかの原因によって引き起こされているのではないかと。そしてその原因となっているのがセレスさんで、キリっちがセレスさんを意識的に視界に収めたときに限って、精神障害が発生しているみたいなのですよ』

 ピロはふーむと唸って、何やら思考する。

 そして俺は思った。その精神障害とやらが起こるのは、そもそもこの精神体が俺の頭に住み着いたからではないかと……。

『――――妹……さん?』

 ナンだって?

『神経系電気信号の周波数が妹さんと一致する? まさか……キリっちがそんな印象を抱いていたとは……』

 おいおいちょっと待て! 何故そこで妹の話が出てくる? 

『当の本人が無自覚ですからねぇ……小生が全て知ってるわけでもないんですが』

 もったいぶるな! 早く話せ!

『では、少しキリっちに質問です。詳細を知る大きな手がかりになりますから、正直に答えてください。いいですか? ちゃんと答えてくださいよ?』

 お、おう……。

 ここまでしつこく聞いてくるこいつも珍しいな。俺の事が何やら絡んでいるようだから、気を引き締めて返答した方がよさそうだ。

 俺は身体を緊張させて、ピロの次の言葉を待った。

 数秒の沈黙を経て、イライラとらさせる精神体がゆっくりと話し出す。

『ズバリお聞きします。妹さんの生年月日、性格、趣味、スリーサイズ、その他よくするクセと、できれば体臭なんかを答えてください』

 ――――…………。

『ん? お~い、キリっち? 聞こえてますか~?』

 ……お……おまえ――――

『はい?』

 最低だな……! この変態っ、浄化しろ!

『ちょ――――いきなり何なのですか!? 小生が何を言ったと!?』

 てめぇ……真剣に何を聞きだすかと思えば、どくさくさ紛れに……いや、紛れてもいなかった! お前は最悪だ。正直過ぎて逆に怖い。さらっとそんな事を言えるお前が怖い……!

『な、何を勘違いしてるんですかっ!? そんな意味で聞いたんじゃないですよ! 症状の根本的な原因を探るためにっ、必要な証拠を揃えるだけです! それだけですったら!』

 何故そんなことをお前に教えなければならない! そもそも体臭って何だ!? 精神体に嗅覚なんてあるのかっ? つーかあいつのスリーサイズなんて知らねぇよ! 知るわけないだろ!


 ツッコミどころが多すぎて対応に困ったが、それから結局言い争いになってツッコミどころは全部言ってやった。

 といっても、実際口に出して喚いているわけではないので、頭の中で声を張り上げるという随分と根気のいる反抗をした。これが難しいの何の……。

 お陰で頭がズキズキ痛み、口論ならぬ脳論の終盤には妹に蹴られまくる白昼夢を見てしまう始末だ。

 先に白旗を揚げたのはもちろん俺。妹のプライバシー保護を名目に、質問には答えられないということで一時休戦協定を結んだ。

 俺の精神病とやらも軽度なものなので、そのままにしていても何も問題はないらしい。なら最初から聞くなという話になるのだがこれがどうも複雑で、場合によってはふとした拍子に感情の制御コントロールが利かなくなるようである。

『感情が勝手に好き嫌いを組み替えてしまうかもですね。思考によってイメージを具現化させ、万能な魔術を行使する古代魔道士エンシェントウィザードは、そもそも高度な想像力を必要としますから。記憶が消えるようなことはないと思いますが、性格や感情に少々乱れが生じてしまうことは考えられます』

 乱れたら、一体どうなるんだ……?

『今まで大嫌いだった相手を愛しいくらい好きになったり、大切な人を殺したくなるほど憎んでしまったり――――それはもう、手がつけられなくなるくらい』

 何が“少々”だよ! かなり危ないじゃないか!

『大丈夫ですよ。あくまで小生の推測ですし、仮にそうなったとしても一時的なものですから。深刻に考えるべきことでもないです』

 ただ一つ忠告するなら、とピロは続けた。

『さっきも言ったとおり、あなたのそれはセレスさんを意識的に視覚に入れた時に発生する症状です。それにどうも妹さんが親密に関わってるみたいですし、注意するに越したことはないでしょう』

 たとえばどんな注意だ?

『この世界にいる間、なるべく妹さんの事は考えないこと。セレスさんと話す時、キリっちは彼女を妹さんと照らし合わせたりしてたでしょう?』

 うっ……やはりバレてたか……。

『キリっちの記憶の中……妹さんとの思い出だけ何も見えないのですよ。まるで最初から存在しなかったように、真っ白なんです……』

 はぁ? そんなはずない。俺はちゃんと思い出せるぞ!

 むしろあいつといる時の記憶だけ鮮明に覚えてるくらいだ。十年以上前の出来事も、はっきりじゃないがぼんやりと思い出せる。

 俺の否定にピロは、そのことを疑問に思うわけでもなく――――

『そうですか……。まぁあなたが問題ないのなら、ホントに何もないのでしょう。とりあえず小生の忠告だけはなるべく守るようにしてくださいな。“王子”という身分に縛られたキリっちも、余計な面倒事を起こしたくはないでしょう?』

 ま、まぁな……。

 よくわからんが……それほどひどい症状でもないらしい。

 古代魔道士ってことも関係しているなら、魔術を使うことも危険なんじゃないかと思うんだが……そのあたりは気にしなくてもいいのか……?

 その辺も含めて一通りピロに訊ねようと思ったが、いつの間にかショタ声の反応がない。

 もう一度強く念じようとした時、アル姐さんの低い声が会議室に響き渡った。

「両国とも、代表方による請願書のご確認またはご相談がお済みでしょうか? ご完了であるなら、両国の出席者の方挙手をお願いします」

 アル姐さんの指示に従い、ヴァレンシア、リディアの面々が手を挙げる。

 眼鏡越しに送られる鋭い視線が官僚たちを順番に確認し、やがてそれは一番後ろの席に座る俺の元で止まった。

 どうやら俺も出席者の一人として数に入れられるらしい。

 特にすることもないというか、何もしていなかったというか、別に異論はないのでとりあえず手を挙げておく。

 それを見届け、大きく頷いた姐さんは一際声を張って進行役の本領を発揮した。

「それでは、これより両国の交渉へ移りたいと思います。交渉国への意見やご指摘は挙手をお願い致します」


 会議はまだまだ続くみたいだな。

 執事さんが持ってきてくれたお茶を啜りながら、俺がひそかにため息を吐いた時だった。


「そんなモン必要ねぇよ」


 皆緊迫した面持ちで次のステップに踏み出そうとしていたであろうに、完全に想定外で場違いな論外発言がとある男から告げられたことにより、政治家たちはその出鼻を完全に挫られることになる。

 

  

 

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