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異界の古代魔道士  作者: 焔場秀
第二章 東国動乱
39/73

第三十四話 魔道少女の嫉妬

 

 もう逃げないと決めた。

 後悔や悲嘆より、前を向いて自分のできることをやろうと。……俺は心に刻んだはずだ。

 元の世界に帰るのはその後だ。誰かのために、誰かの役に立てる何かがしたい。もういつまでも影の存在でいるのはうんざりだ。

「甘ったれるなよ、俺……」

 強く自分に言い聞かせ、逃げ腰になる不安な自分を追い出す。

 歩みは良好。思考は順調。意識は明確。

 何も恐れることはない。俺はこの世界で変わるんだ、もう俺のことをヘタレ兄貴なんて言わせない。誰もが信頼する立派な男になってみせる……!

『志は大したものですが、その面倒な体質をまず何とかしないといけませんね』

 そしてまた当然のごとく、狙ったように俺の思考に乱入してきた気まぐれ助っ人P君。

 せっかく人が真剣に決意していたっていうのに……てめぇという奴はいちいち癇に障ることを!

『自覚があるのなら結構。では、その心意気で体質の方もパパっと克服しちゃってください』

 んぐぐ…………そのうち何とかする……。

 ――――言い返せない自分が情けない。けど、それも全部自業自得なんだよな……。

 いつまでも他人と距離を空けておくわけにはいかないのだ。生きるためには人と接することも時として必要になる。それは、この世界でも決して例外ではないだろう。

「覚悟を決めなくてはな……」

 廊下の窓から差し込む光に目を細め、青く澄み切った空を見上げる。

 まだ日は高い。それに時間も山ほどあるんだ。少しずつ、俺にできることをやっていこう。

『その調子ですよ、キリっち。あなたの授かった使命はあなたしか知ることができないのです。無理をして取り返しがつかなくなったらどうしようもありませんからね。それこそ元の世界に還るなんて夢のまた夢なのですよ。落ち着いて、そして確実に毎日を充実させてください』

 お前、たまに良いこと言うよな。“毎日充実”っていうのは気に食わないけど……。

 暇を感じるほどの平凡が俺には丁度いい。いっその事それを周りにアピールしてみるってのはどうだろう。王子の立場を利用して、争いのない平凡な国を作ろうみたいなスローガンを出したり……。

『そんな単純な方法で人々が納得するのなら、今頃フィステリアは国境のない平和な世界になってますよ。っていうかそんな稚拙極まりない案が思い浮かぶ時点で、キリっちの技量の底が知れますね……』

 吐き捨てるように放たれたピロの言葉は、本当に容赦のないものだった。

 元々俺は政治に関してはまったくの無関心であるからして、他にマシな方法なんて思いつかないわけだからピロの批判に若干怒りが湧く。戦記モノのシュミレーションゲームみたいに簡単な構造で政経がまかり通っているっていうなら、俺でも何とかなるかもしれないが、生憎とこの世界は俺の知ってる異世界召喚モノとはわけが違う。テンプレ展開なんてまったく当てにならないし、実際俺は昨日死にかけたばかりで、裏表のない戦場の悲惨さをこの目で目の当たりしたのだ。脚色の施された愛嬌のある冒険譚と比べるまでもないだろう。ここは地球と同じだ。ただ文明や人種が違うってだけで、皆一人一人個人の人生があって、ちゃんと感情を持っている。チート能力全開ワッショイ!の遊び半分で生きれるワクワクの世界じゃないということを肝に銘じた上で、「スローガンでどうだろう」と提案したというのに、そんな言い方はあんまりじゃないか。

 ビラ配りで賛同者を集めて、王子公認のデカイ平和組織を作ったりできるだろ? 王家人起草の活動なら誰も文句はないだろうし、平和運動に影響された他の国の人たちが同じような団体を組織したりするかもしれない。

『…………』

 おい、何か言えよ。黙ってたらめっちゃ不安になるだろ!

『はぁ……キリっちが民草のために頑張ろうとする意志はよくわかりました。現代の腐った貴族たちに比べれば、あなたの考えることは聖人にも等しい正義の産物と言ってもよいでしょう……』

 ……ベ、ベタ褒めだが、なんか含みのある言い方だな。結局のところどうなんだ?

『全てが全て、話し合いで解決するとでも思っているのですか? 仮にその平和団体が大陸中に広まったとして、国民が一気盛んに平和運動を展開したとしましょう。意地の悪い外道な領主が治める領地では、そこに住む領民たちがとうとう怒りを爆発させ、四民平等を掲げて領主たちと対抗するはずです。また別の場所では、裕福な貴族を妬み嫌う貧しい平民が集団で屋敷を襲い、虐殺強奪を行うかもしれない。そしてまたあるところでは、平和運動を危険とみなした政府が軍隊を組織し、その鎮圧に出向くことも考えられます。仕舞いにはレジスタンスなんて抵抗組織も作られて国家との間に大規模な内戦が勃発したり、殖民地化された小国が独立戦争を図って大国と対立なんてしたらどうなるでしょう。間違いなく、多大な犠牲者がでるでしょうね……』

 ま、まさか! それはいくらなんでも大げさじゃ――――

『ええ、そうです。全てあなたの言う平和活動が大規模になったらの話、あくまで可能性の一つです。キリっちも学校で歴史の勉強をしたことがあるのなら、プロパガンダという言葉をご存知でしょう?』

 あ、ああ。たしか……宣伝使って思想とか意識を植えつける行為じゃなかたっけ?

『まあ大体その通りです。心理的戦略で国民の思想や感情を操り、権力者の思い通りに物事を進行させる極めてあくどい方法――――一種の裏工作と言ってもいいでしょう。表面上は理想に満ちた内容なれど、その真相が必ずしも人々にとって願って止まない事だというわけではありませんからね。キリっち、あなたの言っていることはつまりそういうことなのですよ……』

 ――――全ての人たちが、それを望んでいるわけではないってことか……? 理想の皮を被った偽善だって。

『ええ……。厳しいようですが、あなたの考えた平和的活動も周りの人には良い迷惑でしかありません。キリっちの考えた政策を“善”と讃える者もいれば、“悪”と蔑む者もいるはずです。全ては一長一短。悪影響や見落としがきっとあるんです。全員が幸福になる手段なんてありはしないのですよ』

 正論だった。

 今更何に対して言い返すことができようか。ましてや膨大な知識を持っているであろうこの精神体に説教などできるはずがない。確実に俺よりピロの方がかしこいに決まってるのだから。


 早速の対策も暗礁に乗り上げ、どうしたものかと息詰まっていた時だった。

「ん? 何だ……?」

 何やら廊下を走る音が聞こえてきた。

 パタパタパタと小さい足音が、曲がり角の奥から響く。

(………これは…)

 ――――何やら嫌な予感がする。

 そう、それは俺が未だかつて経験したことのないデジャヴの到来を知らせるが如く、証拠もなしに俺の勘が危険だと告げていた。


「キーーーリーーーヤーーーくーーーん!」  


 んげっ!? 

 ズバリ的中である。

『おや? この声はセレスさんのものでは?』

 ピロが緊張感のない声で訊いてくる。

 だが俺にはその質問に悠長に答えるほど落ち着いていられなかった。

 ――――な、何でもいいっ! 急いで透明化の魔術を……!

 すぐさま意識を切り替え、全身の魔力をフルスピードで循環させる。このまま透明になってお嬢をやり過ごそう。二度あることは三度あるだ。きっと徒歩接触三歩前で盛大に躓いて、俺の繊細な懐にタックルをかましてくるに違いない。あの洒落にならない痛みを二度も体験してなるものか! 俺にマゾヒズムはない! 断じてっ!

 集中は一瞬だった。

 すぐに全身が芯から温まり、頭の中から雑念が取り払われる。

 透明人間なんて子供騙しなモデルは想像しない。俺が頭に思い浮かべたのは、光化学ステルス迷彩で完全に周りの景色と同調する先端技術の人造人間。

 いつだっただろうか。俺がグィアヴィアの街を訪れた時、人ごみの視線を避けようとステルスキリヤになろうとしたことがあった。それがまさに今、この場で役立とうとしている。

「ステルスキリヤ……発動!」

 完了呪文ジャッジスペルとともに全身が刹那のうちに消失する。俺の身体は完全に透明と化していた。

 ネーミングについては言ってくれるな。土壇場でカッコイイ名前が思いつくほどの修羅場は潜ってない……。

 俺の身体が透明になった矢先、廊下の角から白いローブを翻したセレス嬢が慌ただしく現れた。彼女の叫び声からわかる通り、俺を探しているのは明白。本当は今すぐにでも応答したいが、歯止めが利かなくなったお転婆娘と対面するのは腰が引ける。悪いがそのまま通り過ぎてくれ。

「あ……」

 しかし俺の懇願も無駄に、案の定隅に避難していた俺の目の前でお嬢は綺麗に転倒した。

「ぶへらっ!」

 顔面を床に強打し、そのまま動かなくなるセレス嬢。

 轢かれたカエルみたいな格好が実に滑稽だった。

 ――――つーか何でここで転ぶよ? 何もないよココ。別にバナナの皮も石ころも置いてないから。

『ここまでタイミングがいいと逆に不気味ですね。わざとやってるとしか思えません……』

 さすがのピロも若干引き気味だった。

 ただわざとやってるってことはないだろうな。顔面を床にぶつけてまで身体を張るメリットなんてないし……。

『お二人に裂け切れぬ絆でもあるのでしょうか? こう……見えない糸が――――」

 やめろ。否定できない分あとが怖い。

 ショタ声の冗談とは思えない話を適当に聞き流し、白いローブ姿の少女を見下ろす。

 お嬢に起き上がる気配はない。恐らく完全に伸びてしまっているのだろう。

 透明化の魔術を解いた後、慎重に彼女へ近づいた。

 とは言っても対人恐怖症の影響もあるから、過度な接近は控える。お嬢の頭越しに観察してみたが、結われた髪が尻尾みたいにユラユラしている以外特に目立った動きはな――――

「ぶはぁっ!!」

 ゴォン!

「ぐほぉ!?」

 一瞬何が起こったかわからなかった。

 気づいたら眉間に強烈な振動が伝わって、瞬きする間もなく地面に叩きつけられていたのである。

「あれ? あたし何して……」

 正直、何度も同じ手に引っかかる俺も俺なんだよな……。

 あとでピロから聞いた話だと、突然上体を起こしたセレス嬢に対処し切れず、高速で振られるお嬢の後頭部で眉間を強打したらしい。

「え……? ちょ……キリヤ君ッ!? 何で倒れてるのっ!? はっ!? まさか……どこかに暗殺者が……!」

 いや全部あんたのせいだよちくしょう!

「何でいつも……こうなるんだ……」

 あ~駄目だ……視界に星がチカチカ散ってやがる……。



              =======【セレス視点】=======


(キリヤ君……やっぱりまだ怒ってる……?)

 一歩前を早足で歩くキリヤのあとにつきながら、セレスは小さく吐息した。

 先ほど彼と合流(何故かキリヤが頭を押さえて悶絶していたが)したはいいものの、相変らずキリヤは機嫌が悪いままだった。

 やはり中庭でのことをまだ引きずっているのだろうか。カトリーナはただ純粋に感謝しただけなのだろうが、キリヤにとって彼女の恩義の言葉は偽善にしか聞こえなかったのかもしれない。

 やはり大勢の人を殺めたことに対する罪悪感が、彼にとって拭いきれない衝撃として心に残っているのだろう。そう……あの大量殺戮とも言うべき大規模の魔術は、どんな奇麗事を並べようとも決して正当化できるものではない。それをキリヤは身を持って理解している。自分自身を苦痛に縛り付けることによって、過去の過ちから逃れられないようにしているのだ。

 仮にセレスがキリヤの立場だったとして、彼と同じように罪の意識を持って償いを続けることができるだろうか。

(……できるわけない。あたしには、そんな勇気なんてない……)

 そう思うと、やはりキリヤはすごいのだと改めて実感できる。彼は自分とは比べ物にならないくらいすごい人物なのだ。古代魔道士エンシェントウィザードの肩書きも伊達ではない。

 だがしかし、その実力や名声を保持する彼であれ、心の痛みや苦しみを全て癒すことができるとは限らなかった。

 セレスの脳内に、昨日の錯乱したキリヤの姿がフラッシュバックする。

 まるで別人のように取り乱す古代魔道士の様子は、セレスにとって衝撃的な事実として未だ記憶の縁を燻っていた。最強は何者にも屈しない。それが極当然の理であり、キリヤの寡黙で落ち着いた風体がそのまま古代魔道士の印象として強烈に焼きついていたのである。しかしながら、人の死に怯える黒目の少年の姿をこの目で目撃した瞬間、それが誤りであったということを随分と思い知らされたのだ。

 そして同時に安堵した。未知の魔術を使う伝説の魔道士といえど、心の内は普通の人と何ら変わらないのだと。

 魔術ではキリヤに到底及ばないセレスであっても、「人殺し」という苦痛にあえぐ彼の心を癒す担い手になれるのではないかと。

「……セレス」

 思考に耽っていると、不意にキリヤが声を掛けてきた。

 まさか向こうから話しかけてくるとは思わず、驚いてセレスは飛び上がる。

「な、何?」

「廊下は走るなと、学校の教師に教わらなかったか?」

「えっ?」

 いきなり何の話だろう。

 たしかにラグナート学園の初等部ではそんなことを指摘する優等生がいたような気がするが、先生からは魔術の類以外で学んだことは何もない。そもそも、何故キリヤが学校に通っていたことを知っているのだろう。記憶にある限り、自ら伝えた覚えはない。  

「キリヤ君。何であたしが学生だったこと知ってるの?」

 質問を質問で返すのは躊躇われたが、疑問に思うとつい口に出してしまった。

 するとどうだろう。それまで歩みを進めていたキリヤの足がぴたりと止まり、セレスに振り返って顔をまじまじと窺う。

「知ってるも何も、子供は皆学校に通うものだろう。社会に出ても恥じない大人になるために、学校で常識を身につけてだな――――」

 セレスの思考が固まる。国境や山や海をも超え、文化の違いというシンプルな結論に行き着く前にセレスはキリヤの前に飛び出していた。

「ちょっと待って! “子供は皆学校に通う”ってどういうこと!?」

「はぁ? い、いや……だからそのままの意味なんだが……?」

「嘘っ……魔道士の素質なしに学び舎に通うことなんてできるわけないじゃないっ!」

 今度はキリヤが驚く番だった。

 口を半開きにセレスを凝視し、数秒の時を経て納得したように一人で頷く。

「あ、ああ、そうか。“ここ”は俺の居た所とは違うんだったな。なるほど……」

 全然なるほどじゃない。セレスにとっては信じがたいことだった。

「一体どういうこと? キリヤ君の住んでた国じゃ、魔術の素質がない子でも魔道士になれるの? そ、それともっ、その国の人たちってみんな魔道士だとか!?」

 優秀な魔道士育成を目指し、ソーサラー教会が大陸の随所に置いた魔道士養成学校。年に二回行われる滞在魔力審査において、既定量の魔力を体内に保持する男女6歳以上に与えられる入学許可証がなければ魔道士学校に入ることは許されない。選ばれた特別な者にしか学校の門を潜ることはできないのである。その学校群の中でも至高とされる超エリート養成校、ラグナート学園こそがセレスの母校であり、ヴァレンシア王国の宮廷魔道士に就くまで日々魔術のすべを学んできた場所であった。

「ここの学校はどうなのか知らないが、俺の所では学業を修めるのは義務教育になっている。少なくとも俺の居た国の法律ではそうなってる」

「ぎ、義務…教育……? そ、そう……義務、なんだ……」

 頭上に落雷をくらった気分だ。

 いや、実際落雷を生身で受けたわけではないが、それほどまでに激しい衝撃がセレスの全身を駆け巡る。

 まさか魔術の修練が法律で義務付けられているところがあるなんて……。

 魔術大国のヴァレンシアといえど、魔術行使可能者は総人口の一割に及ぶか及ばないかの少人数なのに、なんとキリヤの国では恐らく国民全員が魔術行使可能者。つまり魔道士という役職に就ける立場であるということであった。

(教会の権威って一体……)

 これでは魔道士を輩出する教会の面子が丸つぶれである。

「いや、そんなことはどうでもいい。要するに……」   

 珍しく強気に話すキリヤが、セレスの眼前に指を突きつけた。

 しかし話の主旨が見えてこない彼女にとっては、キリヤが何が言いたいのかよくわからない。目前の指先を目を丸くして見つめたあと、ゆっくりと視線をキリヤに向ける。

「急ぎの用もなく、無闇に廊下を走るなということだ。誰かに衝突したらどうする? 先ほどのように、君自身大怪我を負うような事態になりかねないんだぞ? ……大方俺も巻き沿いをくらうんだろうが」

「…………」

 ――――もしや自分は……キリヤに心配されているのだろうか。

 彼の珍しくまともな発言に、セレスは最初そんなことを思った。

「……言いたいのはそれだけだ」

 呆然とした表情で何の反応も見せないセレスを放って、キリヤは身を翻す。さっさと歩みを進めていった。  

「あ……ちょっと…!」

 我に返ったセレスはすかさず彼のあとについていく。ここで見失ってまた探し回るのは勘弁だ。しばらくはキリヤからは目を離さない方がいい。

 しかしながら、キリヤが自分に対して注意を促すような指摘をしたのは確かだ。少しだけ彼に近づけたような気がして、セレスの頬も自然とゆるむ。

 キリヤの後ろに続き、入り組んだ廊下を抜けて城内の大玄関エントランスに入ると、大広間は朝方に比べて結構な人数でごった返していた。しかもその人だかりのほとんどが、一部の一般市民を除いてほとんどが兵士たちである。武装を解いたリディア兵士たちが列を作り、それがエントランス内部から城門にまで続いていた。

「うわ……すごい人の数。何してるんだろう……?」

 思わず感嘆の声を上げたセレスは、広間の隅に建てられた柱に身を潜ませて辺りを見回した。

 城門と丁度向い側に位置する階段を上がり、煌びやかなタペストリーが飾られた大扉を超えると玉座の間にたどり着く。兵士たちの列はその階段を避けるように左右に逸れ、脇の螺旋階段の方向に進んでいるようであった。

「ここからじゃよく見えないわね……」

 さすがに人だかりが多すぎて何がどうなっているのかよくわからない。だからといって現場の人に話を聞けば、身分や正体がバレてしまう恐れがあった。この混雑の中余計な混乱を招くのは控えておいたほうがいい。ヴァレンシア王国の王子と宮廷魔道士が現れた!だなんて騒動に発展でもしたら大変だ。

「う~ん……どうする?」

 こうなったらセレスにはもうお手上げだった。行き詰った現状をどうするか、一応キリヤに訊いてみる。

「一旦引き返して、別の通路を探してみる? っていうかキリヤ君は何処に向かってるの?」

「俺の今居るべき居場所を探している……」

「は? どういうことよ」

「誰かの役に立てる場所。それが俺の向かう先……」

 物陰に潜んだまま、キリヤが指先を軽く上下に振った。

 上がれ。

 僅かな魔力の波紋。魔術が行使されたのだと気づいた時には、セレスの身体はいつの間にか空中に浮いていた。

「え……?」

 見えない力は小さい体躯の少女を意図も簡単に持ち上げる。そのままゆっくり上昇し、吹き抜け広間の二階にまで到達した。 

「ひゃ……っ!?」

 直後、すぐ目の前に黒いローブが出現する。

 混乱する頭で、その翻ったローブが飛び上がったキリヤのものだと気づくのには数秒の時間を有した。

 人だかりの頭上を見下ろしながら、セレスの身体は操られる力に身を任せフラフラと大理石の床に着地する。

 足が地面についていないとこうも不安になるものなのか。足と腰に力が入らず、セレスはその場に尻餅をついてしまった。

 なるほど、たしかにこの方法なら誰にも見られることなく移動することも可能だが――――

「ちょ……浮遊魔術使うなら使うって最初に言いなさいよねっ! いきなり視点が変わったからびっくりしたじゃない!」

 魔術というのは本来、魔術属性の転換に用いる「印」と術式構成及び魔力ヴェラの体外放出を行う「詠唱」がどうしても必要不可欠になる。

 詠唱を簡略化するための略式呪文クイックスペルが魔道研究者によって試されているが、未だ実用性の域には達していない。

 何よりセレス自身、無詠唱での魔術行使を研究する魔道士の一人なのである。魔道論を根本的に覆すことが如何に無理難題であるというのは理解しているし、絶対的な魔術構成を組み替えるのは不可能だと半ばあきらめていた。

 例えるなら歯車。小さな力がいくつも組み合わさって大きな動力源に変換する天才的なカラクリであっても、微細な歯軸一つでも欠けてしまえばただの大きなガラクタだ。魔術も同じく、正しい術式構成と呪文詠唱を理解していなければ魔術も意味を成さないのである。

 もしキリヤが古代魔道士という特殊な人でなければ、魔術の革命者として未来永劫名を残す偉大な魔道士として人々から尊敬されていたことだろう。何故ならそういった魔道理論を全て必要としない直接的な魔術行使を実現させているのだから。現代の先進魔術を追求する魔道士たちにとっては夢のような現象に違いない。

 ――――ただその理屈が通用しないセレスにとっては、前置きなしに身体が宙に浮くことに対して若干ご機嫌斜めであるが……。

「……静かにしろ。下の連中に見つかっても知らんぞ……」

 ブツブツ文句を垂れるセレスを気にしてか、キリヤが横目で注意を促す。

 そのいかにも余裕然とした態度に、セレスの負けず嫌い精神が発動した。

「ふ、ふん! 消音魔術サイレントを使えば、どんなに騒いだって平気よ……!」

「わざわざ騒ぐ必要もないだろ? 何のために人目を避けて魔術を使ったと思ってる」

「それよそれ! その反則的な魔術を使う前にあたしに一言くらい声掛けてほしかった! お陰で足に力が入らなくなっちゃったじゃないの!」

「ならば立てるように自分で工夫するといい。魔術を使えば容易なんだろう?」

「…………」

 たしかにできる。補助・強化系の魔術を用いれば、弱体化した機能を平常に戻すことも上級魔道士マスターウィザードたるセレスにとっては実に容易だ。

 ……だが、久しぶりにキリヤと二人だけで話ができたことで気分が高揚し、少し調子に乗ってしまったのだろう。

 セレスは魔術を行使することをあえて拒否し、おずおずと片手をキリヤに差し出した。

「? 何だ?」

「……手、貸してほしい……」

 不器用な16歳の少女の、精一杯な甘えとも言うべき愚行。過去のトラウマが原因で、彼が他人に触れることを嫌悪しているのは知っている。知っていても尚、やっと手に入れた二人っきりの時間を無駄にしたくなくて、強気なお願いをした。

 もちろん、そんな無理強むりじいをキリヤが承諾するわけがない。

「……何だと?」   

「だ、だからっ、キリヤ君が手貸してくれたら……起き上がれると思う……」

「…………」

「……駄目?」

 上目遣いで遠慮がちに、相手が行動を起こすまで出方を窺う。

 昔同僚のイアソンが言っていた。こうやって女性が男性にお願いすると、大概の男は素直に言うことを聞いてくれると。

 セレスにとってはあまりに胡散臭くて、今まで実行する気にはまったくならなかったが……一か八か、試してみる価値はあった。

「…………」

 だがいくら待ってもキリヤからの反応はない。

 それこそセレスにも何を考えているのかわからないほど、不気味な沈黙を保ってこちらを見下ろしたまま、指一つ動かさないのである。

「…………」

「……キリヤ君?」

 さすがにこれ以上間が空くのは明らかに不自然であった。

 セレスは全身を奮い立たせて立ち上がり、恐る恐るキリヤに近づく。目の前で手を振っても何も反応がなければ電撃系の魔術でも浴びせて正気に戻させるつもりであったが、そんな彼女の本気の心配もすぐに杞憂に終わった。

 セレスがキリヤに接近するや否や、彼自ら避けるように後退したからである。


「……何で下がるのよ」

「気にするな。身体が動くのは俺の意思じゃない」

「馬鹿にしてんの!? 今のは明らかにあたしを避けてたでしょうがっ」

 無感情の声音で何をぬけぬけと……。

「こればっかりは勘弁してくれ。できる限り避けないように努力はしているが、極端に近づかれると無意識に身体が動いてしまうんだ……」

 お前は同極合わせた時の磁石か。

 そう激しく突っ込んでやりたい。だが今ここでそれを口にするのは不謹慎だろう。彼も好きでそんな体質になったわけではないのだから。

 だがせめて、もっと感情的に言葉を返してくれないだろうかと思ったりもする。無感情で弁解されても、何か引っかかって納得できない。

(むぅ……アルテミスさんは大丈夫で、何であたしは駄目なのよ……)

 ついでに彼女との違いを比較してみる。


 職業=魔道士:騎士 

 外見=幼女よりの少女:大人の女性

 性格=天真爛漫:冷静沈着

 髪型=ツインテール:夜会巻き

 胸囲=貧乳:巨――――


(ああああ~駄目よ駄目ッ! これ以上の詮索は自殺行為だわ!)

 子供と大人の差を思い知らされたかのようなこの絶望感。キリヤがアルテミスに心を許すのもわかる気がする。寡黙同士なところが実にお似合いではないか。

(いやいや、認めてどうするのよあたし! そ、そうよ! あたしにだってアルテミスさんにはない魅力の一つや二つは……ある……と思う)  

「……おい、どうした? 頭でも痛いのか……?」

 額を手で覆って俯くセレスを見て、キリヤが身をかがめ訊ねてくる。

「ええ。だからお願い、少しでいいから膝枕してもら――――」

「診療所はこっちか。神聖祈祷師セイクリッドヒーラーとやらに治してもらおう」

「誤魔化すな! 話をそ・ら・す・なーーっ!」

 地団駄を踏むセレスを一瞥し、キリヤはそのままスタスタと歩いていく。

「……もう俺の手を借りなくても歩けるだろう? 早く行くぞ」

「ちょ――――待ってよ! まだ足がガクガクして早く歩けないの!」

 実際冗談でも何でもなく、まだ膝の折り曲げが思うようにいかなかった。

 まさかこれも嘘だと誤解してキリヤが先に行ってしまうのかと一瞬肝が冷えたが、どうやらそうでもないらしい。

 一旦振り向いてセレスの状態を確認し、本当だと信じてくれたのだろう。途中で立ち止まって追いつくのを待ってくれた。相変らず手は貸してくれなかったが……。

「ゆっくり歩いてもらえると助かるわ」

 小さく頷いて了承するキリヤ。

 よく喋ったり無口になったり、おまけに何を考えているのかよくわからない人だ。もしこの世界に他人の思考を覗ける魔術なんてあったら、セレスはプライバシーお構いなしで無遠慮に即刻キリヤの私的領域に侵入することだろう。自分から心を開かないのであれば、こちらからそれを促すしかないわけである。つまり善意ある行動なのだ。何も好奇心とかそんな幼稚な考えは決して持っていない。決して……。


              =======【キリヤ視点】=======


 吹き抜けエントランスの二階から広間を見下ろすと、人だかりのその全貌が明らかになった。

 どうやら兵士たちの列は階段前に設置された長机の前を終点にできているらしく、メイドたちが食べ物が盛られた椀を兵士たちに配っているようである。なるほど…時間的に昼時だからな、兵士さんに昼食の配給か……。

「……広場が怪我人の即席病棟になってるみたいだからね。王都で他に大勢が集まれる場所って言ったらこの王城くらいだし、それに厨房があるから料理の運搬も早くて楽。たしかにこの大広間は何かと都合がいいわ……」

 隣にやって来たセレスが一階の様子を見て感心したように頷く。

 つまり、この王城の一部を一時的に休憩所として設けているってわけか。

『王城を市民のために開放するなんてこと、篭城戦でも起きない限り滅多にないことですよ。なんてたって君主の居城は国の中心――――王家の象徴ですからね。それを市民のために易々と提供するなんて……リディア王はお人好しというか寛容な方というか……』

 おいピロ。今のさすがに聞き捨てならないぞ。

『すみません……少し発言が浅はかでしたね。……はい、リディア王は寛容なお方です。国王としての立場をよく理解し、民草のために出来る限り尽力していますよ……』

 本当にそう思ってるか?

『年をとると如何せん皮肉っぽい喋り方になってしまうのですよ。言っていることに嘘はありませんから、お気になさらず』

 その少年声で年取るとか言うんじゃない。何か馬鹿にされてる気分になるんだよ……。

 ――――しかしまぁ……俺にもできる仕事とやらが見つかったからよしとするか。

「キリヤ君? ――――ちょ、ちょっと! 何処に行くつもりよ!?」

 下の階に行くため、階段を降りようとすると、背中に向かってセレスが声を掛けてきた。っていうかいつも俺が何処かへ行こうとすると決まって理由を聞きたがるよな。

「何処って決まってる。下の階の大広間だ……」

「そぉ~んなことはわかってるのよ! 大広間に下りたら皆に見られるわよ。見られたら正体がバレちゃうじゃない! そんなの困るでしょ!?」

「大丈夫だ問題ない。仮面はしっかり着けているから黒目はバレないぞ」

「あ、いや、そっちの正体じゃなくて、“王子”としてのキリヤ君のことを言ってるの。彼らの前に姿を見せて、兵士たちに余計な気苦労掛けるのはまずいでしょうが」

『さすが庶民思想の鈍感男。兵士とキリっちを隔てる壁がどれほど頑強であるか、まったく理解してないみたいですねぇ~』

 さらにお嬢の忠告に続ける形で、ピロまで俺を馬鹿にする始末。

 何だよ。気さくでいいじゃないか。身分なんて壁を越えてもっとこう――――

「キリヤ王弟殿下。及び、デルクレイル宮廷魔道士殿であらせられますね?」

「ん?」

 俺が四民平等の素晴らしさを二人に語ってやろうとした時、後ろから掛かる静かな声があった。

 振り向いた先に居たのは、黒い礼服を身に纏った耳の鋭い長身の男が一人。俺の予想が正しければ、恐らくエルフっていう種族だった気がする。 

「そうですけど……あたしたちに何かご用ですか?」

 セレス嬢が素っ気無く返答すると、エルフの男は恭しく頭を垂れて右手を左胸に押し当てた。

「は。リディアの救世主である殿下にも、ぜひ二国間会議にご参与願われたしと、我が主レイニス様からの御所望でございます。つきましては、離れに置かれます国会議事堂までご足労願えますでしょうか?」

 国会議事堂? この城そんな大層なものまで造ってあるのか……。

 男は頭を下げたまま、俺たちの返答を待っている。

 しばらく唖然とした表情でエルフの男を見つめていたお嬢は、話の内容を理解したのか目を丸くして使いの男に詰め寄った。     

「ちょ、ちょっと待ってください! 二国間会議ってヴァレンシアとリディアのことですよね?」

「無論、左様でございますが……」

「こ、この場合、ヴァレンシア側の代表ってキリヤく……キリヤ様になるのでしょうか?」

「……!?」

 な、なんだってーー!

 俺が国の代表で会議仕切れと? いやいやないない。そんな責任重大なことできるわけねぇじゃん。

「いえ。恐縮ながら、ヴァレンシア側の代表はすでに議事堂へご参集されております」

 ほっ……良かった、俺じゃなかったみたいだ……とりあえず一安心。

 それに丁度良い機会だ。会議なら国に対する影響力も強い。よりよい国をつくるための最適な手段といえるだろう。

「よし、セレス。俺たちも議事堂に向かう……」

「……王子以外の代表ですって? そんなの、ヴァレンシアで一人しかいないじゃない……」

「セレス……?」

 何か問題でもあるのだろうか。顎に手を当てて、難しそうな表情をつ作っている。

 俺の呼び声でやっと反応したが、お嬢はこちらに一瞥もくれず男に質問していた。

「一つ、聞いてもいいですか?」

「何なりと……」

「その、ヴァレンシア側の代表の方……誰ですか?」

 すると、エルフの男は軽く首を傾げて目を瞬かせた。

「ご存知、ありませんでしたか?」

「知らなかったというより、信じたくないですね……」

「?」

 彼女の言葉にいまいち了解を得ないのか、ついに使いの人は顔を顰めてしまう。

 いや、使いの人は何も悪くない。俺もお嬢の間延びする発言にイライラしてきたからな。

「失礼ながら、デルクレイル様は“君主”のご来訪を信じたくないと仰るのですね?」

「何……?」

「ああああやっぱりそうなのねぇ~」

 うが~とわけのわからない叫び声を上げて頭を抱えるセレス嬢。

 お嬢の気持ちはわからなくもない。まさかここにあの男が来てるなんて誰が予想できようか、いや誰も皆目検討なんてつくはずがない。

 「セレスの君主」って言えば、世界中探して只一人しかないだろう。

 俺を王子に仕立て上げた張本人であり、城を抜け出して戦場に行くことを躊躇しない阿呆の産物。

 いつもヘラヘラして引き締まらない男と言えば――――


「――――あんのアホ陛下……まさかとは思ってたけど、国境越えてまで他国に乗り込むような大胆な男だとは思ってもいなかったわ……」

 

 珍しくお嬢と意見があったこと、俺は喜ぶべきなのだろうか。

 ――――とりあえず、アレクという男がいろんな意味ですごいというのがよくわかった。       

          

第三十四話終了・・・

 

 長らくお待たせしてしまい、申し訳ありません……。


 冒頭と中盤の話を修正することおよそ数十回。

 いい加減気が滅入ってしまって執筆時間が徐々に減少し、気づいたら20日以上の更新停止…。

 今回、休日をフルに使って執筆を完成させた次第でございます。

 以上、作者の言い訳でした……

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