第三十一話 ツインテールジャンピングロケットヘッドアタック!!
グダグダです。
魔術ならぬ奇跡によって生み出され、魔術によって栄え続ける世界、フィステリア。
そこに住まう人々の大半は『時の賢者』と呼ばれる世界創生の祖を神と崇めている。人類誕生から現在に至るおよそ数万年の長き歴史の中、一度としてその信仰を覆されたことはない。
数多の時代と歴史を歩み、幾つもの国と種族の滅亡を目の当たりにしても尚、人々は『時の賢者』崇拝の意思を守り続けてきた。すでにフィステリアという世界の名が誰によってつけられたものかもわからない今日、彼らが何を思い、どれほどの想いを後世に伝えてきたのであろうか。いつしか人々はその真の意味を解き明かす手段も忘れ、ただ目前に与えられた使命を果たすことだけに執着している。広き心と目を持つ尊き者は暗黒の時代に呑まれ、古の信者の子孫たちもその真意を胸に潜ませたまま表立った舞台に姿を表すことはなかった。
多くの真実が闇に消えた今、その真相を知る手がかりはただ一つ。『時の賢者』に生み落とされし聖なる使徒にして、世界の歪みを修正し、元あるべき運命を示す任を授かった未来の導き手。
その名を『古代魔道士』。世界救済という多大な使命を負う最古の魔道士たちである。
『時の賢者』の下から使わされた彼らならば、その正体を知っているのではないか。そもそも『古代魔道士』たちが我々に姿を見せないのも、そういった重大な理由があるからに他ならないと私は思う。確かに生きた伝説と呼ばれる古代魔道士が大々的に姿を見せることは禁忌とされているが、とある国家と協力的関係を結ぶというような交流を図っている以上、それは大して重要な問題ではないはずだ。何故ならそんな彼らは少なくとも国に従える重鎮たちに正体を明かしている。その時点ですでに“未知”という謎ではなくなっているのだから……。
使命を果たす重要な役目がある一方、神と呼ばれる世界創生の祖の真相を隠蔽しなければならない『古代魔道士』たちにとって、人前に姿を容易に現すのはあまりにも無謀過ぎる。聡明な彼らが気づかないはずがなかった。
世界は『時の賢者』に監視され、『古代魔道士』たちによって守られる。我々はそのことを知ることなく短い生涯を終え、フィステリアは何事もなかったかのように星の寿命尽きるその時まで変わらずに生き続けるのだ。
……いや、そもそもこれは私の立てた仮説であり、真実かどうかも定かではない。あらゆる文献や史実を漁って自ら照合しただけの、曖昧な仮説だ。つまりはそういうことなのであろう。塗りつぶされた黒歴史を背に、変動する世界はただ前を向いて時を進めているだけだ。歴史や思い出は過去の遺物へと姿を変え、人々は約束された栄えある未来に目を輝かせながら、今ある尊い命をこの世に縫いつけ懸命に生きているのだ。
人々は……いや、我々にとって過去は終わったことに過ぎない。深まる謎も消え去った歴史も、もはやどうでもよいことなのかもしれない。人々は神の正体を知ることをやめた。ただ、それだけのことだ。
叶うことなら、これからもその真相が謎のままであってほしい。『時の賢者』は仮想の神であり、我々はその虚無に縋って生きる力なき人であればいいのだから。
――――ヴァルハラ王宮第一書庫 『賢王の日誌』より―――― 記:ガレス・フィルグ・エクス・ヴァレンシア
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俺こと神崎桐也は今、猛烈に緊張している。
何故なら俺とすれ違う人たちが皆、釣られるように俺の後ろを歩いてくるからである。その興味津々な表情といったらもう、とてもじゃないが人を見る目ではなかった。
珍獣か、はたまた幽霊か……まさにこの世のものとは思えないものを見てしまった時の目をしている。
しかもその行列たち、メイドや兵士たちがほとんどだから驚きだ。ちゃんと仕事しろ!
『……どうするのです? どんどん人数が増えてますよ』
俺が知るかよ。どうにかできるわけでもないだろ……。
『たしかにここは人様のお城ですから、王子という身分である今のあなたでも偉そうに言える立場ではないですしね』
いや、アレクんとこの宮殿でも威張るつもりはないんだが……。
『威張らなくてもいいのですよ。王族は国の象徴です。悪い印象を受けないように、精々王子らしく振る舞いなさいな』
彼らが何かしてきたら? たとえば、俺に危害を加えるとか。
『追い払えばいいではありませんか。あなたには賢者様から授かった魔術があります。それに戦場を駆けたキリっちなら彼らなんて怖くないでしょう』
そうじゃなくてだな。俺が言ってる“危害”ってのは、体質的な問題であって……。
『……接触が怖いとでも? 昨晩アルテミスさんに抱きしめられたときは平気だったじゃないですか』
あ、あれは……俺の身体に何も起きなかったっていうか、それどころじゃなかったっていうか…。
『はぁ……?』
だからその……あの時のアル姐さんは他人って気がしなかったんだよ。懐かしい感じがすると思ったら、心が癒されてくみたいで、とても気持ちが落ち着いた…。
『ふむ……つまりキリっちは、アルテミスさんに対して母親のような印象を抱いたと?』
母親、か……。どちらかというと、“姉さん”って気がする。ほら、俺って長男だろ? 兄さんとか姉さんいなかったから、アル姐さんのことを本当の姉さんと思ってたのかもしれない……。
『なるほど……要するにキリっちはシスコ――――』
断じて違う! 絶対にない! 有り得ない!
「こちらですキリヤ様」
レイカに連れられやってきたのが、一階の狭い廊下を突き当たった場所であった。
飾り気のない扉が並び、豪華な城の内部にしては比較的質素な感じが漂っている。本当にこんなところに責任者とかいるのか……?
「レイカさん」
「あ、わたしのことはレイカとお呼びください。平民風情のわたしが殿下に敬称を付けられるなど恐れ多いです……!」
さらにかしこまって小さくなるレイカ。いや、俺も元々庶民です、すみません。
「その、レイカ。確かに俺はここの責任者に会わせてくれと言ったが……君の思うところの責任者とは一体誰なんだ……?」
「え……それはもちろん、メイド長ですわ」
なぬっ!?
「い、いや……大臣や騎士団長とかじゃなくて?」
「そ、そんな! わたしにそんなお偉い方に会う権利なんてありません! メイドのわたしにとってメイド長が限界です……」
そ、そうだったのか……。
序盤からの予期せぬ躓きに、思わず呆然としてしまった。
『馬鹿ですかあなたは。ここはキリっちの世界じゃないのですよ。同じ建物で働いているからって、下々の者が気軽に幹部クラスの元へ案内できるわけがないでしょう。要人が住む王城を市民区役所と一緒に考えないでください!』
し、仕方がないだろう! 俺だってこんな境遇は初めてなんだ! っていうか勝手に人の頭ん中覗いてんじゃねぇ!
くそっ、これじゃあ俺が無知な阿呆みたいじゃねーか。ひとまずピロへの文句は後回しにして、現状を打開する手段を考えねば……!
「レイカ。ここまで案内してくれて有難う。俺はもう大丈夫だから、君は平時の仕事に戻ってくれて構わない。いや、ぜひそうしてくれ」
これ以上俺の失態を誰かに知られるのは勘弁願いたい。すでに女性の胸で泣きじゃくるという前科があるのだ。さすがの俺でも羞恥を隠せそうにない……。
「そ、そんな事できません! キリヤ様は大国の王子で在らせられます。こんなところにお連れするだけでも許されるべきことではないのに、さらに目を離したとあっては……うぅ」
その後のことを想像したのか、レイカはブルッと身体を震わせて泣きそうな顔になった。
えっ? 俺の立場ってそんなに重要なのか……?
『当たり前でしょう! 今のあなたは大陸でも大きい勢力を誇る大国の王子という身分なのですよ? アレク国王の弟を演じているキリっちが何を今更……』
だが、アレクは随分と自由奔放って感じがしたぞ? 一緒に行動してるのもアル姐さんだけだし、国の指導者があんな無防備でいいのかよ?
『ったく……これだから素人は』
素人って何だよ!? 異世界召喚のプロなんていてたまるか!
『いいですか。ここはアレク王が住んでる宮殿とは違うのです。キリっちは“大国の王族”としてこの城で特別に寝泊りしたわけなのですよ。つまりあなたはこのリディアという国からすれば大切な客人。不用意に行動してもしキリっちの身に何かあれば、あなたを客人として預かっているこの国の面子はズタズタです。ここまで説明すれば、頭の中がスカスカのキリっちでもわかるでしょう?』
くっ……スカスカどころか頭もない精神体に説教された……むかつく。
だが大方は理解した。つまりレイカが俺を置いて別の仕事に戻ってしまうのは、国家規模でまずいということだろう。ならば仕方がない……。
「わかった。では引き続き、君に案内をお願いしたい……」
「は、はい! わたしっ、殿下のために精一杯お手伝いします!」
そう言ってレイカは両手でガッツポーズを作ってみせた。
うん、頼もしいけど手伝いを申し出たのは俺の方なんだけどね……。
結局俺たちがやってきた廊下の部屋に――――メイドたちの詰める部屋だったらしい――――メイド長はいなかった。
他の部屋を見て回ったがどこも無人で侍女一人見当たらず、手がかりなしで城中を当てもなくうろつく俺たち。レイカ曰く、他のメイドたちは戦いで傷ついた兵たちの看護や治療に忙しいく、城に詰めてた非番の侍女も皆かりだされているという。今城に残っているのは最低限の警備兵と厨房の料理人だけくらいだというが……いや待てよ。じゃあ俺たちの後ろをつけてきたあの団体は何だったんだ? どう見てもここの兵士とメイドたちのはずだったんだが……。
その事をレイカに話してみると――――
「え? まさか……王子様の跡を付けるなど、そんな無礼なことするはずありませんわ」
と驚いた表情でそう返されてしまった。
んん!? ではあれは幻影だったと? まさか幽霊とかッ!?
『……生命反応がありましたから、あの集団は死んでもいませんし幻でもありませんよ。あれほどの人数で誰も気づいていないとなると、さっきのは人型の妖精か何かなのでしょう』
妖精だったのか。しかし何であんなにたくさんいたんだ?
『この城の守護者的存在かもしれません。古くから栄える街には、妖精が根付きやすいのですよ。このデュルパンの街もかれこれ800年以上の歴史を持つ古都ですから、過去の誰かがこの街の妖精と契約でも結んだのかもしれませんね。“末永くこの城を守ってください”とか』
へぇ…………。でも、何で俺たちだけにしか見えていなかったんだよ?
今のレイカの反応からして、彼女には妖精が見えていなかったと思う。
『彼らは気まぐれなんですよ。元々臆病な種族ですし、よほどの事がなければ人前に姿を表すことはないんです』
そうなのか……恥かしがりやさんなんだな。
『何和んでいるのですか。どう考えてもあなたと同じ引きこもりです』
――――こ、こいつ、いつか頭の中から引きずり出してショタ声残らず浄化してやる!
脳内のお邪魔虫とそんな会話をしながら城の中をうろついていると、厨房から早足で出てくる人影があった。
「あ……!」
その人影を目撃したレイカが急に方向転換し、ロングスカートの両端を掴んでそちらに走り出す。
人影の正体はレイカと同じメイドだった。ただ少し違うのは彼女の年齢であろうか、貫禄を思わせるような落ち着いた印象を受ける中年の女性である。チェーンで繋いだモノクルがまた様になってるから、メイドというより家庭教師っぽいかもしれない。
『あの人がレイカさんの言っていたメイド長なのでは?』
「……かもしれないな」
何やら二人で会話しているが内容はよく聞き取れない。
するとレイカは俺の方を示して言葉を続ける。そこでやっとメイド長と思われる女性も俺の存在に気がついたようだ。俺の顔を見てみるみるうちに表情が驚愕に包まれていく。やっぱりこの仮面。初見だと絶対に驚くよな……。
だからといって無視するわけにもいかない。あまり怖がらせないよう、会釈して不審を解いておこう。
するとモノクルの人も頭を下げてくれた。それはもう身体が九十度に曲がるくらい深く。二人揃って俺の方にやって来るメイドたちに若干怖気づきながらも、俺は退かずにその場で立つ。
――――逃げるなよ俺……。もうこれ以上情けない姿を曝してなるものか。
「お初にお目にかかります。私はこの王城でメイド長を任されている、リースと言う者です。失礼ながらお伺いしますが、あなた様はヴァレンシア王国のアレクシード国王陛下が弟君、キリヤ王弟殿下で在らせられますね?」
俺の前でもう一度頭を下げたメイド長は、こちらから話を切り出す前にさっと質問をしてきた。口調こそ穏やかだが、その言葉には物言わぬ重圧感が何となく漂っている。うむ、彼女がメイド長なのも頷ける。これでは逆らいたくても到底できそうにない。
『キリっち。これから小生の言うことを繰り返してください。王子として恥をかきたくないのでしたらね』
助かるぞピロ。もう俺だけじゃこの場を切り抜けられそうにない。
仮面の小さい窓から見えるメイド長の表情は堅い。元々厳しい性格なのだろう。俺が勝手に城の中をゴキブリみたいに動き回っていたために怒っているのかもしれないな。
『じゃあ言いますよ……オホンッ! “お初にお目にかかるリース殿。いかにも私がアレクシード国王陛下の弟、キリヤ・ファレンス・カンザキ・ヴァレンシアだ。――――――』
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陛下に届けるための昼食を厨房でお願いしたメイド長のリースは、丁度厨房を飛び出したところで新米メイドのレイカに呼び止められた。
顔を蒸気させて走り寄ってくる彼女に、平常なら淑女らしくなさいと注意を促すところだが、今は場合が場合なため目を瞑っておく。それに普段大人しい彼女がここまで落ち着きないのは珍しいことだった。仕事中に何かあったのだろうか。
「どうしたのレイカ。そんなに慌てて……」
「それがメイド長、わたしが朝食をお持ちしたお客様が何かお手伝いをなさりたいと仰られて……」
「ちょっと待って。一旦落ち着いて、どなたが何を仰ったのかゆっくり話して頂戴」
「で、ですから、メイド長に頼まれていた食事の配膳相手であるお方が、仕事の所望をされているんですよ! ほら、向こうにおられるキリヤ王子ですっ」
そう言って手で指し示すレイカ。
何を言いたいのかよく理解できないまま、彼女の示す方向に顔を向ける。してそこにいたのは、全身が真っ黒な色で覆われた仮面の魔道士であった。
「なっ……!?」
絶句。
何故こんなところにいるのだという当然の疑問さえ頭から吹っ飛び、視線がその魔道士に固定されたまま膠着する。頬の筋肉が引きつっているのが自分でもよくわかるほどに。
(レイカ……あなた、キリヤ王子にお食事をお持ちするよう言ったけれど……。よりにもよって王子を部屋の外に連れ出すなんて……)
レイカに配膳係を任せたことに後悔しながらも同時に城内で二人の姿を確認できたことに安堵して、今すぐ彼女を叱ったほうがよいか一瞬躊躇われる。
するとそれまで微動だにしなかったキリヤ王子が、こちらに軽く頭を下げた。
それはとても小さいものだったが、王族から受ける挨拶としてはかなり大きい。無視などできるはずもなく、リースも咄嗟に深くお辞儀した。
(うっ……何やらとても接しにくい感じがする)
メイドとしてこの王城に勤めてから約二十年。仕事上、今まで数え切れないほど多くの貴人と関わってきたリースは初頭の挨拶で大体の相手の性格を把握することができる。抜群の観察力というか、長年の経験が功を生じたというか、素人には決して真似できない特技である。
(……それなのに、このお方からは微妙な気配すら感じられない。何か特殊な魔術でも使っているのかしら……)
考えると不安になってきた。
「メイド長? どうかしましたか?」
そんなリースの心境を見透かしたかのように、横からレイカの心配そうな声が聞こえる。
(と、とにかくっ、後輩の前で情けない姿を見せるわけにはいかないわ……! 冷静になるのよリース。さっき陛下の寝室に薬を届けたばかりじゃない。王族の対応には慣れている……)
「行くわよレイカ……」
気づかれないように小さく深呼吸し、軽くロングスカートの塵を払ってキリヤ王子の元へ歩み寄る。 なるほど、たしかに髪色は混じり気のない漆黒。ヴァレンシア王家の者であることは間違いないが、何故王族でありながら魔道士という職についているのか。それにあの目元を覆う仮面。変わり者と評判であるアレク国王といい、その弟のキリヤ王子も一筋縄ではいかないかもしれない。
「お初にお目にかかります。私はこの王城でメイド長を任されている、リースと言う者です。失礼ながらお伺いしますが、あなた様はヴァレンシア王国のアレクシード国王陛下が弟君、キリヤ王弟殿下で在らせられますね?」
まずはこちらから話を促し、失礼のないよう確認をとる。
いや、大方キリヤ王子本人で間違いないはずだが、最初からキリヤ王子ということを前提に話を進めては無礼にあたるというもの。王子からすれば初対面なのだから、同じ目線で話をするより他に穏和な挨拶はないだろう。
するとリースの予感は的中。キリヤ王子は少しの間を空けたのち、一つ頷いてから彼女の言葉を肯定した。
「お初にお目にかかるリース殿。いかにも私がアレクシード国王陛下の弟、キリヤ・ファレンス・カンザキ・ヴァレンシアだ」
彼の言葉に迷いはなかった。
王族としての風格は兎も角として、物言わさぬ迫力が重くリースに圧し掛かる。
さすが大国の威厳を背負ってこの国に赴いたことだけのことはあるのか。自分の身分を軽んじるような甘い考えは持っていないようだ。いや、逆にそんな態度で対応されてもこちらとしては非常にやりづらいのだが……。
「お会いできて光栄です、キリヤ殿下。我が王国の救世主として、国中が殿下のお噂で持ちきりになっておりますわ。今は戦いの後処理で殿下にとってお騒がしい事態ではありますが、後々勝利の宴にてキリヤ様をご歓迎したいと、レイニス様から聞き及んでおります。それまではどうか、お部屋でご静養なさいませ」
「え、メイド長? キリヤ様のお願いはどうするのですか?」
心底不思議そうな表情でレイカが訊ねてくる。
たしかキリヤ王子は仕事をご所望されているとか。まさかそんな恐れ多いことを大国の王子に任せることなどできるはずがない。ここは速やかに部屋に戻っていただき、城内が落ち着くまでじっとしていただくのが最善だろう。陛下は床に伏せ、レイニス王子も政務で忙しく働き詰めであるこの状況で、彼と対等な立場になりうる方がこの城にいるとは思えな――――
「メイド長! こんなところにいたのですか。随分とお探ししましたよ……」
その時、この場の重々しい雰囲気を払拭するかのように現れたのは一人のメイドであった。
たしか彼女はレイニス王子の妻子の給仕をしている侍女であったはず。
溌剌とした足取りでリースの前までやって来ると、目の前にキリヤ王子がいることにも気づかずおもむろに話しかけてくる。
「あの……メイド長。リンド様のことについてお話があります」
「坊ちゃまの? ……もしかして、また何かダダをこねておられるの?」
「いえ、そういうのじゃないんですが……あ、似たようなものか」
「はぁ……今は人手が足りなくて大変だから、あまり無茶な要求は困るわよ?」
すると侍女はやっぱりかというように深く嘆息した。
「無茶も大無茶ですよ……。リンド様、救世主のキリヤ王子に会いたいってずっと仰られてるんですよ? 今カトリーナ様がお宥めになってるんですけど、たぶん引き下がらないと思います……」
もう一度深くため息を吐き、虚ろな瞳でリースの返答を待つ。
目の下のくまがひどい。一晩中レイニス妻子に付き添っていたのだろうか。自分と同じく、彼女も睡眠を摂らずに頑張っているのだと思うとこのまま放っておくのは心苦しい。
しかし、だからといってキリヤ王子をリンドの元へ連れて行くことはできない。自分たちはあくまで召使いだ。主の意向に背く勝手な行動は禁じられている。やはり……リンドの件に関しては持久戦に持ち込むしかないだろう。
肩の荷がまた一つ増え、リースが頭を抱えそうになった時だった。
「――――私に会いたいというのなら、別に構わないが……」
――――えっ?
その場にいたメイドたち三人が一斉にキリヤの方を振り向いた。
感情の起伏が感じられない低い声音に少し寒気を感じたが、思ってもいなかった本人からの了承にリースは唖然とする。
(まさか……本気で言っているの?)
「メイド長。もしかしてこの方って……」
目じりをピクピクと震わせてキリヤ王子の顔を恐る恐る見上げる侍女に、リースはそっと囁いた。
「ええ。リンド様がお会いになりたがっている救世主。ヴァレンシア王国のキリヤ殿下よ……」
「……本当に、魔道士だったんですね……」
彼女の声は震えていた。
魔道士であったという驚き以上に、今までキリヤ王子の存在に気づけなかったことに対してだろう。
それにしても――――
「殿下。本当によろしいのですか? その……リンド様はまだ幼く、身内以外の貴人殿とお話したことがないのです。殿下に失礼な発言をなさるやもしれませんし……」
カトリーナが抑止力となってくれるはずだから、大事になることはないだろう。だがあの活発な少年のこと。閉鎖的なキリヤと相性が合いそうにないと思うが……。
だがリースの心配を他所に、キリヤ王子はきっぱりと断言する。
「なら尚のことその幼子と会わねばなるまい。百聞は一見にしかずという。噂は中身のない情報だ。大国の王子である私との交流も経験できれば、将来有望な王族として必要な知識を有することもできよう?」
王子の返答はとても寛容だった。
リンドと会うだけでなく、その結果どういう影響をもたらすかもしっかりと考えている。さすが魔道を究める王子だ。一般人にはない柔軟な思考と王族としての英才はすでに兼ね備えているというわけか。
仕方がない。ここは彼に任せるのが得策だろう。
「……畏まりました。殿下がそこまで仰られるのなら、私どもも異論はございません。リンド様、並びにそのお母上殿であるカトリーナ様の元へご案内致します」
「……よろしく頼む」
リースは王子に一礼したのち、報告にきた侍女を自室へ帰るよう指示した。しばらく休まなければ身が持たないし、リンドの相手は王子がしてくれる。ついでにレイカにも手伝ってもらおう。今はとにかく人手がほしい。そう考えると、キリヤのリンドとの対面はある意味大助かりなのかもしれない。
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『ふーむ……。緊張して舌でも噛むのではないかと思いましたが、案外あっさりとできましたね。こんなことなら旧エリュマン語でも混ぜて古風な感じを出してもよかったかもですね』
――――はぁ…………。
『何ため息など吐いているのですか。ようやくあなたにも仕事の機会ができたのです。ほら、もっと堂々となさい』
仕事だと? 子供のお守が俺の第一弾の仕事だというのか……。
『子供は子供でも、王位継承権を持つ正統な男子ですよ。もっと嬉しそうにするべきです』
生憎と俺は上流階級と縁のない生活を送ってきたんでな。“王弟殿下”とか“継承権”なんて言われてもイマイチ理解できない……。嬉しそうにする意味もわからない。
『う~ん……困りましたね。今更英才教育を施すというわけにもいきませんし……』
悪いが地のままでいかせてもらうぞ。子供相手に畏まって話す気は毛頭ないんでな。
『もちろん構いませんよ。今のあなたはヴァレンシア王国の王子という立場ですから、身分的にはあなたの方が上です』
ただし言葉遣いには気をつけるように、と忠告するピロ。
そんなことくらい俺にだってわかるよ。見ず知らずの子供相手に喧嘩腰で話しかけるような不良心は持ち合わせていない。
リースという名のメイド長さんに先導され、俺たちがやってきたのは城の中庭にあたるひらけた場所だった。
石壁に蔦や根が張り付いている樹林地帯な空間かと思ったが意外とさっぱりとしていた。
丁寧に管理された柔らかそうな芝生が一面に敷き詰められ、少数の腰掛や小さな植木が端に置かれている。
「殿下はここでお待ちくださいませ。ただいまカトリーナ様を呼んで参ります」
リースさんは俺にそう告げると、足音もたたない軽やかな足取りで芝生の上を進んでいった。
どうやら俺が会うべき人たちは中庭の中央にいるらしい。これまた小さな噴水の前に白いテーブルが置かれ、そこでは三人の人影が何やら騒々しく話をしている。いや、騒いでいるのは二人だけか……? 一人はまだ十歳にも満たない少年で、もう一人は金髪をツインテールにしている幼女だ。何か仲のいい姉弟に見えなくもないが……。
…………金髪幼女の方に激しく見覚えがあるのは俺の気のせいか。
『なんだか穏やかじゃありませんね』
……なぁ、ピロ。
『はい?』
あの白いローブを着てる小さい女の子なんだが……俺の予想だと……いや、きっとアイツだよな?
『アイツとは失礼ですよ。彼女も立派な宮廷魔道士なんですから、ちゃんと名前で呼んであげないと』
お前は誰だと思う?
『セレスさんですね』
――――やっぱり……。
お嬢……いくら外見が幼いからって、子供相手に本気になるなよ。
「あ、皆さんこちらに来ます!」
隣でレイカが声を上げる。
見ると、それまで言い争っていたセレスと少年、そして紺色のドレスに身を包んだ女性が一人、メイド長のあとについてこちらにやってきていた。
途中で俺の存在に気づいたセレス嬢が「あーっ!」と叫んでこちらを指差し、急に全力疾走で走り出す。お、おい馬鹿ッ! そんなに走ったら危な――――
「きゃっ……!」
「グフッ……!」
案の定、ローブに足を引っ掛けたお嬢はそのまま前ノリに転倒。数メートルもあった距離を軽く飛び越え、俺のデリケートな腹へ頭から突っ込んだ。
ああ……このシチュエーション……俺があの森で魔獣に追われていた時にもあった気がする。たしか足を挫いたセレス嬢が俺の胸に倒れこんできたんだっけ? あの時は上手く受け止めることはできたけど、今回のは少しばかり強烈過ぎる。精神的にも肉体的にも……。
「あ! ご、ごめんなさいキリヤ君! だ、大丈夫!?」
「まあ大変! リースさん、早くお医者様を……!」
「わ、わかりましたわ! 今すぐに」
「あわわわ……! ど、どうしましょう!」
こ、これ……なんてデジャヴ?
『やれやれ……この世界のキリっちに平凡なんて夢のまた夢。楽な暮らしがしたいなら、あなた自身が変わる必要がありそうですね……。とりあえずお大事に』
皮肉にしか聞こえないピロの言葉に言い返すことも、心配そうに語りかけてくる女性たちに余裕を持って答えることなど俺にはできない。
腹の痛みに堪え、飛びそうな意識を繋ぎとめるのに精一杯だった。