表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異界の古代魔道士  作者: 焔場秀
第一章 偽りの王子
33/73

第二十八話 壊れし英雄

※主人公が鬱です。そりゃもう作者である私すら腹が立ってくるような鬱状態です。

 それをご了承の上でご覧いただけるのなら、どうぞ先にお進みください。

 

 

  

 トーテム山地の戦いに幕を下ろしてまもない夕刻頃、ヴァレンシア王国の近衛騎士団数名の護衛を引き連れた軍用馬車が、リディア王国王都デュルパンの城門をくぐった。


 本当は王都デュルパンを経由して、戦地となっているトーテム山地に赴くつもりだったのだが、途中ヴァレンシア軍の調査団に遭遇し、本隊はすでにリディア王都へ向かったと伝えられたため、そのままヴァレンシア軍の野営地を突っ切って街に入場したのである。


 王都の城壁外に張られたヴァレンシア軍の天幕を、馬車の小窓から覗くセレスが必死に目で追っていた。その向いの席では、同じく小窓から外を眺める無表情のアルテミスが、歪みのない姿勢で座っている。


「――――黒い鷹と、青い炎……。なるほど。キリヤ殿下の下には、キムナー中佐率いる第八旅団が随行していたわけですか。道理で軍馬が多数見受けられるわけです」


 ヴァレンシア側の野営地に掲げられた黒色の軍旗を視界に収め、アルテミスは納得したように頷いた。

 アレン・キムナー中佐率いる第八旅団は、別名“王国の黒き尖兵ダークレギオン”と呼ばれるヴァレンシア軍の先鋒部隊である。その知名度はヴァレンシアと国境を接する隣国の軍人なら知らない者がいないほどで、『火種あるところたかが鳴く』と噂され、過去ヴァレンシアに戦いの火種が持ち込まれる度、アレンの率いる第八旅団が先鋒として全ての戦いに参戦してきたことに由来する。その武勇と勢いは圧倒的で、たった数百の騎兵隊でグルセイル帝国の一個大隊を瓦解寸前にまで追い込むという功績を挙げるなど、それを指揮したアレンは現在、“魔人アレン”という二つ名を有するほどに至っている。

 

 アレンの名声を聞き及んでいたアルテミスは、彼ならばこの戦いを勝利に導くことも十分可能だと勝因を確定づけた。

 となるとキリヤも恐らく無事なのだろう。前線基地で大規模な魔術を目撃したときはアルテミスも正直焦りを感じたが、兵士たちの明るい表情を見る限り彼の身に何かあったとは考えにくい。


 アルテミスはセレスに視線を向け、

「ここにキムナー中佐の部隊がいるということは、東部領土の奪還にはファーボルグ将軍の軍隊が同行しているようですね。あの陛下のことです、将軍に余計な面倒事をおかけしていなければよいのですが……」

「…………」

「……セレス殿?」

「………………」


 セレスは聞いていなかった。

 険しい表情で、少し睨みつけるように街の中を見つめている。まるで大切な何かを探すかのように、顔を小窓のガラスに押し当て、目線が落ち着きなく動かしている。誰かを探しているのは明白だった。そしてそれが誰なのかも。


 しばらくそんなセレスを見つめていたアルテミスは小さく息を吐き、手を伸ばして彼女の肩にそっと触れた。

 するとびくっと肩を震わせ、目を丸くしたセレスがアルテミスに振り返る。セレスは何も言わなかった。アルテミスの表情を見て何事が悟ったのだろう。やがて座席に座りなおしたセレスは、悲しみに暮れた表情を隠さんと顔を俯かせた。


「……彼と――――キリヤ殿と何かあったのですね?」

「…………」

「話してくれませんか? 彼と宮殿を出て、一体何があったのか……」


 無理に聞き出そうとはしない。だがこのまま沈んだセレスを放っておくのも気が引ける。彼女とも一年近い付き合いなのだ。女性同士、できれば遠慮のない穏やかな関係でいたいと、アルテミスは密かに考えていたりする。


「アルテミスさんなら、話しても……いい」


 覇気のない小さな声が、少女の口から放たれる。

 セレスは顔を上げ、深刻な表情のままアルテミスを正面から見つめた。


「だけど一つだけ約束して。あたしが今から話すこと、絶対に誰にも言わないって。ここで、約束してほしいの……」


 少女は真剣だった。その話にどんな内容が含まれているのかも合わせて、アルテミスの心に一瞬の不安がよぎる。だが聞き出したの自分だ。ここで約束できないなどと言ってしまえばセレスの信頼を裏切り、彼女の心を傷つけてしまう。まだ幼さの残る少女の期待を跳ね返すほど、アルテミスは大人として落ちこぼれてはいなかった。


 アルテミスは右手で拳をつくり、それを左肩に押し当てる。左手を腰に収まった剣に沿え、セレスに向かって軽く頭を下げた。

 主に国王への忠義の証として行われる近衛騎士団独特のこの動作は“神聖礼示”と呼ばれ、王族以外の者に行うと、それは約束や友好の表現として用いられる。その絆の強さのほどは人それぞれ大小変わったりするが、結束力の高い近衛騎士団が用いるとなると話は別。家族や親友よりも、厚く国主に忠義を尽くす彼らにとって、国王以外の者にその礼を取ることはその忠義と同等か、あるいはそれ以上に堅い信頼をその者に寄せている証なのである。


 そしてそれを受けたセレス本人はというと、いきなりの“神聖礼示”に驚きを隠せなかった。アルテミスが頭を上げる数秒間、ずっと彼女の方を凝視していたセレスには信じがたい現実であっただろう。何せ一度国王に忠誠を誓った近衛騎士団長とあろう者が再びその任を解放し、ましてや同僚にあたる宮廷魔道士にこうべを垂れたのである。もちろん王族以外の者に行う“神聖礼示”に忠義の意はない。だが信頼や結束として捉えたなら、それは再会の握手よりも強い友好の示しを意味した。


「これはあなたと契りを分けた証であり、同時にセレス殿との信頼の証でもあります。これからはあなたの友人として、決して裏切らぬと誓います」


 ここまで言われて、セレスも黙っているわけにはいなかった。

 体勢を戻したアルテミスを待たせること2秒弱。嬉しさに表情をほころばせたセレスが真顔に戻るまでの一瞬を経て、魔道士の少女はアルテミスに頷いてみせた。


「わかったわ。ちょっと恥ずかしいけど……そこまで言われちゃったら、あたしも話さないわけにはいかない」


 王城まではまだ結構距離がある。

 キリヤの過去のこと、旅をしている理由、彼から直接聞いたことを全部話すには十分な時間があるだろう。それをアルテミスが真剣に聞いてくれるのなら、セレスにも迷う理由はなかった。理解してくれたら尚のこといい。 


 王城の大玄関前に馬車が停止するまで、セレスは語った。

 彼のことを知ってもらうため。そして、彼の心の傷を、少しでも癒してあげられる方法を一緒に考えるために。


 

              ===============

 

 

 

 全部思い出した。

 暴れる馬に流されるまま、武装した軍団の中に突っ込んだこと。銃で撃たれて崩れ落ちる兵士。地面に横たわった何かの死体。俺を呼び止めた男。迸る光。甲高い鳴き声と迫る鉤爪。放たれた光。そして……。


「――――お、俺が……ころ、した…のか……?」


 ――――認めろ。オマエガコロシタンダ。


「俺が……おれが……」


 信じたくない。だが認めなくてはならない現実を目の前にして、俺の心は絶望感に満たされてしまっていた。


「キリヤ殿下ッ!? しっかりしてくだ――――」

「っ!? 触るな!!」


 伸ばされたアレンさんの手を払い、俺はそのまま部屋の壁に背を貼り付けて座り込む。

 しかし、できる限り自分の世界に塞ぎこもうと目を瞑り、頭を抱えて蹲ろうとも、鮮明に甦った記憶を頭から払拭することはできなかった。

 身体の震えが収まらない。腕に爪を立てて意識を逸らそうにも、精神的な苦痛は肉体に受けた痛みをものともせず、俺が俺としての――――神崎桐也自身の存在意義を容赦なく奪っていく。


 今の俺が……健全な一般高校生と言えるのか? いや違う。俺は人を殺した。それがたとえ異世界のことであっても、今の俺は人殺しのレッテルを貼られた魔道士であることには変わりない。


 俺が判らない。俺は何だ? 何故俺は生きている? 俺の魔術に殺された人たちはどうした? その人たちの人生は、感情は、後悔は? 全部俺が奪っちまった。なのに、何故、どうして、なんで俺が生きてる!?

 

 ――――――オマエニ殺サレタ者タチノ怨嗟ガキコエル。キサマモ死ネト、ソレガ唯一ノ償イダソウダ。


 それは……い、いやだ。死にたくない! 


 ――――――生キルコトニ悔イガアルノダロウ。ナラバソノ命、オマエニ殺サレタ者タチヘノ手向ケトスルガイイデハナイカ。


 闇の声は、さらに俺を蝕んだ。


                ===============


 漆黒のローブと仮面を身につけた魔道士がアレクシード国王の弟だと知らせを受けたレイニスは、戦いで疲弊したリディア兵士たちをねぎらうのを後回しに、傷ついた鎧を脱ぎ捨て早々に王城へと向かった。

 味方を救った英雄にして、ヴァレンシアの王弟殿下である“高貴”な司令官殿を除け者にしたとなると、この後リディア王国にどんな制裁が下るか想像もつかない。


 城の窓越しに見えるヴァレンシア軍野営地をその目に収め、レイニスは憎憎しげに舌打ちする。どちらにせよ、大国の援軍がいさぎよく自国に帰還するとはレイニスには思えなかった。悪くて植民化、良くてリディアを保護国とする属国化でも図っている可能性は大いにある。

 

 そして今、レイニスが一番懸念する問題がキリヤ王子にもあった。

 不敵王と称される傲岸不遜のヴァレンシア国王アレクシードの弟。その大胆かつ積極的な政策と有無を与えぬ即決な判断力を兼ね備えたあの男の回し者となると、迂闊な対応をしてこちらに不利な状況を生み出しかねない。前王ガレスがまだ生存していた頃なればあるいは、温厚な関係を保ち国家としての純潔を守ることができたかもしれないが、今は時代も移り変わり、リディア王国も長きに渡る中立を失うという無念な事態に陥ってしまったのだ。ガレスを戦死に追いやったことも含め、レイニスは全ての元凶であるランスロット王国を恨まざるを得なかった。


 レイニスは廊下の角を曲がり、四階への階段を上る。

 その途中すれ違ったヴァレンシア軍の神聖祈祷師セイクリッドヒーラーに軽く会釈し、四階廊下の突き当たりまで向かったレイニスは、キリヤ王子が休養しているとされる部屋の前で立ち止まった。


(王族の魔道士、か……)


 グルセイル帝国の皇族には、月華姫げっかきと呼ばれる聖剣の名手がいると聞く。

 武術に優れ、さらに魔術にも少なからず精通している王族や貴族ならまだしも、魔道士として魔術を磨く王族はごく稀だろう。王位を継ぐ者として、レイニスには信じがたいことだった。


 それに――――

 

(彼の桁違いな魔術……。あれは人為的に起こせるものとは思えない。まさか、ヴァレンシア王家の者は皆、無尽蔵に魔力を放出することが可能だというのか?)


 一瞬にして敵の本陣を焼き払ったあの光の柱。大量の魔力を含んでいただけに、どう考えても莫大な負荷が行使者自身にも発生しているはずだ。だがあの魔道士は魔術行使後も、何ともないといった風に平然とその場に立っていたのである。熟練の魔道士とはわけが違った。仮面の魔道士がキリヤ王子だとして、そもそも王家の人間がいかに特殊な体質だとしても、果たして地形を変えるほどの膨大な魔力は何処から供給しているのだろうか。


 そこまで考え、レイニスは頭を振って思考を切り替えた。

 いや、やめよう。今はそんなことを詮索している場合ではない。キリヤ王子が魔道士としてどれほど有能かはさて置き、今後のリディア王国をヴァレンシアからどう対処するのか考えなくては。


 強い使命感をその胸に抱き、レイニスは部屋の扉を二度叩いた。

 

「突然の訪問申し訳ない。私はリディア王国王立騎士団団長、レイニス・クルド・アリギエーリ・リディアだ。父に代わり、此度の援軍に駆けつけていただいたことキリヤ王子にお礼申し上げたい。扉を開けてもらってもよろしいだろうか」


 …………返事はない。


 小国の王族に貸す耳は最初から持ち合わせてはいないか。それともただ聞こえなかっただけなのか。実際トーテム山地の戦場で、縋り付いたレイニスを徹底的に無視していたのは彼自身だった。王族の話も聞かず、自分の意志を曲げるつもりはない。頑固者も結構だが、こちらとしてそれは大いに困る。

 このまましばらく待って応答がなければ、レイニスは無断で部屋に入るつもりであった。


 だがしばらくも経たず部屋の中から騒がしい物音が響くと、扉がゆっくりと内側へ開かれた。扉から顔を出したのはまだ二十代前半と思われる青年。将校の軍服に身を包んでいる。


 その青年軍人曰く、キリヤ王子は体調が優れず面会が無理な状態らしい。それが真実か嘘かはともかくとして、こちらからも見舞いとしての面会を求めたがきっぱりと断られてしまった。


「救援の感謝として、王子に少しお礼を申し上げるだけだ。それでも無理だというのか?」

「え、ええ。今日はどうかご遠慮いただきたく思います。その、殿下は重症なものでして……」

「そこまでお酷いのなら尚のこと見過ごすわけにはいかない。こちらから王宮付きの医者を送らせよう」

「い、いえ結構です! あ、いえ、レイニス王子のお心遣いはとても嬉しいのですが、医師の方は負傷者の手当てに回していただきたいのです、はい」

「キリヤ王子がそう申されたのか?」

「もちろん僕の独断です………あ」


 慌てて口を押さえる青年に冷ややかな視線を送ったあと、レイニスは扉の隙間に無理やり身体をねじ込ませた。


「悪いが入らせていただく」

「ちょ……何なさるんですか! おやめください、よ!」


 簡単に押しのけれるかと思ったレイニスであったが、青年にそれを上回る強い力で押し返される。


「と、とにかく! 王子は多大な魔力の消費でとてもお疲れの身。部外者の入室を一切禁止致しますので! それでは失礼します!」


 開けたときよりさらに強い力で扉を閉められた。

 いきなりの出来事でしばし呆然とするレイニス。


「ぶ……部外者、だと……?」


 青年が放った言葉を呟いて、レイニスの全身が怒りで震えだす。

 王子の身でありながら突き飛ばされたことよりも、自分の暮らす城であり家の中で『部外者』扱いされたことにより一層腹が立った彼は、もう二度と王子とは口を聞かぬと心に決め、その場をズカズカとあとにした。


 


『ヴァレンシアの近衛騎士団長とその部下数名。及び同行の宮廷魔道士が入城』


 慌てて駆け寄ってきた警備兵にその報を伝えられたのは、丁度レイニスが四階の階段を下りる寸前でのことだった。


 何でもキリヤ王子の身が心配でいてもたってもいられなかったらしい。

 “無情のアルテミス”として恐れられる近衛騎士団団長と、世紀の天才魔道士として有名なデルクレイル宮廷魔道士両者の直々の訪問に、レイニスは遂に頭を抱えてその場に座り込んでしまった。

 

(これは一体何の冗談だ。大国の王子を迎い入れているだけでも大事であるのに、さらにはアレク王の懐刀と名高い重鎮たちまで……)


 特にアルテミス・ケリュネイアという人物は冷酷無情とヴァレンシア国内で畏怖される生粋の軍人と聞く。何でも任務をこなせない兵士たちを片っ端から死刑台に送っているらしい。


 そんな危険人物がよりにもよってこの城にやってくるとは……。ランスロットの侵略といい、今日は随分と厄日だとレイニスは深くため息をついた。



                ===============

     

    

『故郷は地獄だと震えながら言ったわ。キリヤ君は血の繋がった実の妹に命を狙われて、祖国を逃れたの……』


 セレスが語ったキリヤの過去ほど、アルテミスの生きてきた二十数年がいかに平凡だったのかを痛感したものはなかった。

 世に生きる人が皆不幸より多く幸福な人生を過ごしているとは言わない。貧困に喘ぎ、孤独に涙し、大切な人の死に嘆き悲しむ人もたしかにいる。そしてその人たちは今も尚、恐らく人生で一番苦しい時を過ごしていることだろう。だが彼らが不幸者として一生を終えるのかと問われれば必ずしもそうじゃない。

努力や意志の強さ次第では立ち直り、どん底の不幸から新たな幸福を見つけることもできるはずだ。


 しかしキリヤの場合は違う。


 彼は初めから定められた“古代魔道士”としての運命を背負って生まれ、その覆しようのない現実に抗うこともままならず人々から蔑まれ、遂には実の妹にまで見放され故郷を追われたのだそうだ。


『あたし思ったの。キリヤ君が人を避けるのは、過去に殺されかけたトラウマがあったからなのかもって。あたしといる時のキリヤ君は特に動揺してたから、たぶん――――』

『……セレス殿に、キリヤ殿は過去の妹の姿を垣間見た、ということですか?』

『…………わからないわよ? 全部あたしの思い過ごしかもしれない。でも……あのときのキリヤ君とても震えてた……。憎くて、怖かったのよ。故郷が……妹さんが……』


 もしそれが真実だったとして、キリヤが発動したと思われるあの巨大な魔術がキリヤ自身にどういう影響をもたらすのか。彼があまり魔術を見せなかったのは『古代魔道士エンシェントウィザード』という正体を隠蔽するだけでなく、魔術の行使が彼に過去のトラウマを思い出させてしまう引き金になっているとしたら……。


 戦場で向かってくる敵に、彼は再び思い出すかもしれない。

 “古代魔道士”なる正体を知った時の、豹変した郷里の住人たちの恐ろしい姿を。


 

 一階大玄関で入城許可を取ったアルテミスたちは、部下数名をその場に待機させてキリヤの滞在するという部屋へと急いだ。


 さすが大国で名を轟かせる有名人なだけあり、彼女ら目当てに一部の警備兵や侍従が仕事場を離れて見物にやってくる。「あんたら見世物じゃないわよ!」と、いつものセレスなら叱咤しようものだが、生憎と今の彼女はキリヤのことで頭がいっぱいなのか、周りの好奇な視線に気づいていない。それとも気づいた上で無視しているのだろうか。キリヤを心配するあまり、セレス自身途方もない不安に構っていられない状況なのかもしれない。


 しかし二人が四階に差し掛かると、それまで後ろをついてきた野次馬たちも波のように引いていった。 

「?一体何なのです……」

「これはこれは、デルクレイル殿にケリュネイア殿。遠路遥々、ようこそ我がリディアの地へ」


 不意に聞こえた男声。振り向くと、丁度進路方向にあたる通路の真ん中に長身の男が両手を広げて立っていた。  

 簡素な格好だったが、歓迎する高貴な佇まいや筋骨隆々なその容姿から、彼が何者なのかは容易に察知できる。

  

「……レイニス王子殿下」


 なるほど。王子である彼の前で、城に詰める家来が異国の客人のあとを集団でついてきたとなれば、どんな処罰が下るかわかったものではない。頃合を見計らって退却したのだろう。

 ただ興味本意で仕事を放棄するなどアルテミスには信じがたいことだった。イグレーンの“ヴァルハラ宮”では絶対にあり得ない。まずそんな稚拙な行動を彼女が許すはずなかった。


 リディア王国の時期後継者レイニス・クルド・アリギエーリ・リディアは、立ち止まった女性二人にと握手した。


「久しいなセレス殿。たしか、去年の建国祭以来だったか?」

 

 少し戸惑いながら、セレスもそれに応じる。


「は、はい。王子もご機嫌麗しゅう様で何よりです」

「機嫌か……。今はとある御仁のおかげで、あまり好い気はしないがな」


 顔を小さく歪めて返すレイニスに冗談の類は見受けられない。賓客には温厚で知られる彼をここまで不機嫌にさせる御仁とは一体何者なのか。


「アレクシード国王陛下の目付け役であるアルテミス殿からも、キリヤ王子にぜひともお咎めいただきたいものだ」

「っ!? キリヤ殿下とお会いになられたのですか!?」

「いいや。今し方救援の感謝を先の部屋に申し上げ参ったのだが、部屋に入る前に追い払われてしまったよ。“部外者”は一切立ち入り禁止だそうだ」

「どういう、ことですか……?」


 一瞬身体を震わせたセレスが、怪訝な表情でレイニスに問う。

 

「さてね。ともかく、リディア王家を差し置いて戦後処置を執り行うつもりなら私も見過ごすわけにはいかない。この国は我らリディア国民のものだ。もとより独立国としての誇りを守るために戦った今回、救世主であるあなた方の王子に多大な恩義あれど、古き伝統を持つ我れらが王国を大国にくれてやるつもりはない」


 義憤に駆られた者が悪に立ち向かうように、レイニスは堂々と胸を張って言い切る。

 その心意気は大したものだと思う。だがアルテミスを見据える彼の険しい視線に、どこか殺気めいたモノを感じるのは気のせいだろうか。  

 それに、キリヤが今回の戦いの救世主だということはどういうことだ?


「レイニス王子。一つお聞きしたいことが」

「何かな」

「先ほどキリヤ殿下を救世主と仰いましたが……此度の戦、キリヤ様は一体どのようなご活躍をなされたのですか?」


 アルテミスの質問に、セレスがはっとして顔を上げる。

 そもそもトーテム山地の戦いについて、二人はまだリディア側の勝利という情報しか知らされていない。大きな勝因はヴァレンシア軍の救援であろうが、その詳細はアルテミスが推測しただけに過ぎないのである。戦場に発生した巨大な光の柱のことも含め、キリヤとの関連性は高い。


 するとレイニスはさぞ不機嫌な表情を浮かべ、少しの間を空けて一言呟いた。

 

「……彼は決め手だった」

「決め手?」


 リディアの王子はゆっくりとした足取りでアルテミスのそばに歩み寄り、その無表情の近衛騎士団長を真っ向から見下ろした。

 身長差ではレイニスの方が頭一つ分大きいが、それを見上げるアルテミスも物言わぬ存在感を放っている。

 

「……皮肉なものだな。ランスロットの大軍に拮抗できる八千もの援軍で到来されたにも関わらず、よもやたった一人の力で敵勢力をああも簡単に壊滅させてしまうとは。ヴァレンシア王国には優秀な魔道士が数多くいると聞くが……まさかキリヤ王子を超えるほどの魔道士も――――――」


 そのとき、アルテミスとレイニスの間に割り込む小さな金髪があった。


「壊滅ってどういうことですか!? それ……キリヤ君がやったの!?」


 レイニスの言葉を遮り、焦った様子のセレスが強引に問いかける。 

 いきなり血相の変わった少女を見て少し驚いたのか、リディアの王子は思わず後退しながらも、丁寧に質問に答える。


「あ、ああ。雷属性の魔術のようだった。キリヤ王子の手に集束した光の塊が物凄い勢いで上空に飛び出してね。そのままランスロット軍本陣の中央付近に落下して――――ってセレス殿!? いきなりどうされたのだ!?」 


 レイニスの話を最後まで聞き終えず、顔を真っ青にしたセレスはそのままレイニスを通り越して廊下の突き当たりに向かって走り出した。

 もはやアルテミスも彼女の行動を咎めはしない。それどころかアルテミスもキリヤの容態が気になり、じっとしてはいられなかった。


(英雄となった彼が、立ち入りを禁じてまで人前にでないのがおかしい。やはりキリヤ殿は塞ぎこんでおられる……!)


 胸がざわつく。

 途方もない不安が全身を駆け巡り、手足の震えとなって肉体に伝染した。ゆっくりと歩き出した足が次第に速くなり、最後にはほとんど走るようにして部屋の前にたどり着く。大した距離でもなかったのに長時間走ったあとみたく息が苦しい。


 部屋の扉は開いていた。すでにセレスが入室しているのだろう。中で彼女の声ともう一人男の声が聞こえる。キリヤではない。彼はもっと声が低い。

 

 腰の柄を握り締め、アルテミスは滑るように部屋に入った。

 部屋の中は思った以上に広い。天蓋付きの寝台と接客用のテーブルセットが二式。バルコニーに繋がるガラス張りの窓が夕日の色を放って部屋全体を緋色に染めていた。


 だがこのときのアルテミスは、その部屋の中に映るどの風景にも向いていなかった。


 彼女の視界を支配するのはただ一つ。

 

 それは夕日の明かりも届かない闇に包まれた部屋の片隅。闇と同化した漆黒のローブを身に纏い、一心不乱に頭をかき乱す一人の少年であった。  


二十八話目終了… 


 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ