第二十七話 償えぬ過去
「ちょっと離して! 離・し・な・さ・い・よっ!」
「離したらお逃げになるではありませんかっ! 絶対に無理です!」
「逃げるって何よ!? あたしはただキリヤ王子を追いかけたいだけなの! そのためにここまで来たんだからっ」
「ですからそれが駄目なんですって!」
「どうして駄目なのよ!」
「危険だからに決まってるではありませんか!?」
ヴァレンシア東部戦線のとある一角。
リディア方面の街道に繋がる基地の出口前は、静寂に包まれた戦線基地とは打って変わってちょっとしたひと騒ぎが起こっていた。
「別にあんた達について来いなんて言ってないでしょ! あたし一人だけなんだから何も危険なんてないじゃない!」
「だ・か・ら! それが駄目だとさっきから何度も――――――ってあなたたちも突っ立ってないで止めるの手伝ってくださいっ!」
小さな身体を必死に捻り、魔道士の腕から抜け出そうと暴れるセレスを、他の魔道士たちが逃げられないようにがっちりと掴んで押さえ込む。
だがそれがかえってセレスの闘争心に火をつけたのか、今度は腕や足を振り回して振り払い始めた。
そもそもこんな騒動になったのは、セレスがヴァレンシア軍の出兵を知ってしまったのが原因である。補給用天幕の隙間に挟まり、抜け出せなくなったセレスを救出したのち、その時の現状を報告してしまったのがまずかった。その直後、いきなり走り出したセレスをさんざん追いかけた挙句、東の大出口から基地を脱走しようとしたところで何とか取り押さえたのはいいが、予想以上の抵抗を受け、今に至るというわけである。
「くっ……! か弱い女の子一人相手に男数人が寄って集って……あんたたちそれでもこの国に仕える魔道士なの!?」
「失礼ながらその言葉、そっくりそのままセレス様にお返しします!」
宮殿を守るべき役目を担う宮廷魔道士が軍隊に同行するということの方がおかしい。
こんな事態になるならいっその事あのまま抜け出せなくなったセレスを助けるんじゃなかったと、恐ろしくも黒い考えを抱き、時すでに遅しと後悔に浸る魔道士であった。
「早くキリヤ君に会わないと……会わなくちゃ……」
その時、セレスの右肩を押さえ込んでいた兵士の一人が魔道士の方を振り返り、
「魔道士殿。魔術で動きを止めることは?」
「無理です……。セレス様の内在魔力は私たちのそれを大きく上回っていますから、たとえ魔術を掛けても弾かれるかと…」
となると、彼女を止めるにはこのまま疲れ果てて動けなくなるのを待つしかないのだろう。
それまで暴れ続けるセレスを押さえ込み続けることを想像し、その場にいた誰もが大きく嘆息した。
「一体何事ですか?」
不意に聞こえた若い女性の声。
――――やはり幸運の女神というのは実在するのだろうか。
魔道士たちの嘆きを聞きつけたとばかりに登場したその人物は、背後に数人の騎士を引き連れて騒動現場に現れた。
その女性は、燃えるような紅い長髪を頭の後ろで結い上げ、ヴァレンシア近衛騎士を示す赤と黒の士官服に身を包んでいる。凛々しく、綺麗に整った顔に表情はないが、眼鏡の内から覗く双方の瞳は鋭く細められていた。
「こ、“国家の盾”……ケリュネイア、騎士団長……」
セレスを取り押さえていた者の一人が小さく言葉を紡ぐ。だが声によって表現された驚きはそれきりで、他の魔道士や兵士たちは“騎士団長がこちらにやってくる”という底知れぬ恐怖に完全に固まってしまっていた。いつの間にかセレスも大人しくなっていることにさえ、彼らは気づいていない。
彼女が幸運の女神? 否。それは兵士たちに恐怖を撒き散らす、美しくも冷酷な戦乙女である。
ヴァレンシア王国近衛騎士団団長、アルテミス・ケリュネイアはざっと一同を見回したあと、その視線をセレスで停止させた。
するとその場にいた全員の視線が、まるで最初から決められていたかのように一斉にセレスの方へ流れていく。
ぱちくりと瞬きをするセレスが首を傾げるのを確認し、彼らは再びアルテミスへ視線を戻した。
無表情にセレスを見つめる騎士団長。
眼鏡の縁を指で押し上げたあと、彼女は哀れみとも似つかない呆れかえった声で、
「大の男たちが群れあって幼女強姦ですか……。――――――下衆共め」
間も空かず、彼らの絶叫が炸裂する。
「いやいやいやっ、それは大きな誤解で「なななな!? ぼ、僕が、ご、ご、強姦なんて、あるわけ「ちょっと!? 誰が幼女よだれ「自分は何もしていませんよ!? ええ、断じて何もしてませ「神よ……私の命を天秤にかけ、試しておいでか……!」
騒々しい雰囲気がさらに爆発し、一時的に混乱に包まれた前線基地の一角。
“無情のアルテミス”として知られる彼女がどんな性格の持ち主なのか聞き及んでいた彼らは、とにかく命の保障を確保するためにあらゆる手で赦しを乞う手段にでた。
全身を使って無実を訴える者。全身を地面に押し付けて土下座する者。全身から汗を噴出しながら誤魔化す者。全身があらぬ世界に旅立ちかけている者。そして被害者であるはずの少女までもが、全身を精一杯動かして飛び跳ねていた。
……とにかく彼らが必死なのは間違いないだろう。
ある意味一体と化した逃走者と阻止者たちの戯れは、目を疑うような人物による、信じられない発言によって、意外過ぎる結末を残して幕を閉じた。
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集まった兵士たちに解散を命じたアルテミスは、無事解放されたセレスを伴って司令天幕に赴いた。
本当は東方方面軍司令長官の許可なしに入ることはできないのだが、生憎とその司令長官であるファーボルグ将軍はアレクと共に東部領土の奪還作戦に参加しているため、彼に了承を得るにもここからでは遠すぎる。仕方なく待機部隊の隊長に話を通したところ、
『ど、どうぞご自由にお使いください! 将軍にはあとでこちらから報告いたしますので!』
と、あっけなく許可を得ることができた。
ヴァレンシア王国の実質的権力者の威光は伊達ではないらしい。
「アルテミスさん。あたし身体は小さいけど、年は16なんだからね!」
「ええ、知っていますよ」
「……あたし幼女じゃないわよ?」
「…………」
「お願いだからそこで黙らないで!?」
“幼女”呼ばわりされるのをずっと気にしていたセレスは、天幕前に到着するまでずっと喋り続けていた。何故自分は置いていかれたのか、何故ここの兵士たちは“例の噂”を知っていたのか、何故アレクは変態なのか、など色々、王宮でアルテミスと別れてからの出来事を次から次へと話題にしていくセレス。 そんな活発な少女を尻目に、アルテミスは適当な返事だけで答えてやり過ごしていく。牢での不吉な噂を聞いて以来、彼女の行動から余裕が消えた。
今のアルテミスの胸中には、一刻も早くアレクに事の重大さを知らせなければという使命感で満たされていた。
護衛の騎士数名を外に残し、天幕の中に足を運ぶアルテミス。後ろからついて来たセレスは、いつもと違う騎士団長の姿を眺め、目を丸くした。
「どうしたの? 王宮で何かあったとか?」
「その何かが起こりそうなのです。それも隣国、ランスロット王国で」
「……詳しく聞かせて」
真剣な表情を浮かべたセレスに、アルテミスは地下牢で聞いた噂の概要を手短に話す。現ランスロット国王はすでに亡くなっていること、国民の反乱、大国間の大戦。もちろん噂の範疇であるが、限りなく現実に近い噂ともなれば、その可能性を一つずつ説明しなくても把握できるだろう。
簡単にまとめただけだったが、それだけでもセレスは話の内容を大方理解してくれたようだった。
驚愕に包まれるセレスを他所に、アルテミスは通信用の伝報水晶を机に設置しながら続ける。
「刺客の言ったことを全て信じているわけではありませんが、仮にこの噂が真実だとして、その後の国家間情勢が周辺国にどのような影響を与えるのか計り知れたものではありません。最悪、大陸全土を巻き込んだ大戦に発展することもあり得るでしょう」
「そ、そのことは他の大臣たちにも説明したの?」
「言えるはずありません。確証のない罪人の言葉で、無用な混乱を招きたくありませんから」
水晶に手をかざし、ファーボルグ将軍率いる別働隊に接触を試みるアルテミス。通信が繋がれば、まず最初に届くのは魔道士団の所持する伝報水晶だろう。そこからアレクへ連絡が行き渡るようにすれば何も問題はない。
二人が見守る中、大小細かい文字列が水晶の中を高速で回転する。
こちらから送った文章は、『コチラ東部戦線基地司令。大至急、応答求ム』。
しばらくして淡い輝きを放ち始めた水晶に浮かび上がった文章には、『コチラ将軍旗下魔道士団。詳細ナ用件ヲ申セリ』と書かれていた。
無事繋がったことに安堵し、再び通信を試みようとアルテミスが手をかざした次の瞬間――――――
「きゃあっ!!」
「くっ……何が……っ!?」
天幕内の二人を突如襲った視界を覆いつくすほどの眩い光。次いで足元から発生した突き上げるような強い振れが、彼女たちを強制的に無防備にした。
突然過ぎる事態に、二人は状況を理解できぬまま地面に投げ出される。光は一瞬で収まったのはいいものの、地震のような激しい振動はその後しばらく続いた。しかし、この揺れはどう考えてもこれは地震なんかじゃない。そもそも最初に起こるはずの小さな揺れをまったく感じなかった。大地震が発生したとしても、いきなり大きい揺れから襲ってくるというのは絶対にあり得ない。
「閣下ッ! ご無事ですか!?」
やがて揺れも小さくなり、最低限の行動が可能なころになってようやく、アルテミスの身を案じた一人の騎士が天幕内に駆けつけた。
「一体、何が起きたのです?」
近づいてきた騎士に向い、彼女は動揺した表情を露わにして問い詰める。
「南東のリディア方面に、正体不明の巨大な柱です! く、雲を貫くほどの……光の柱が現れましたぁ!!」
「は……?」
――――この者は一体何を言っている?
「落ち着きなさいディック! 落ち着いて、事態の報告を……!」
「ほ、本当です団長! トーテム山脈付近から突然巨大な柱が――――――」
「……まさか!?」
その時、何か思い出したかのような声を発したセレスが、騎士を押しのけて天幕を飛び出した。
「セレス殿ッ!」
一瞬だった。アルテミスが警告できぬままあっという間に姿を消す。
背中に悪寒が走った。
何か嫌な予感する。こういう時に限って的中する自分の不運な予想は、大抵洒落にならない危険を孕んでいたりするのだ。下手に動いて自ら危険を引きつけるより、ここはひとまず慎重になって状況を確認すべきなのだろうが……。
「騎士団長?」
「はぁ……。仕方ありませんね」
だが一方で、飛び出したセレスが気が気でならないのは確かだった。
私情を優先して行動する自分に疑問を感じながらも、アルテミスは飛び出した少女を追うため部下を引き連れて天幕をあとにした。
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瞼の裏に見えた、真っ白い光の残光。
強く印象に残る強い魔力の波動が、地面の揺れを伝ってセレスの感知範囲に侵入したとき、彼女はそれが誰の魔力波なのか瞬時に把握した。
わからないはずがない。セレスはその魔力をもっと近くで感じたことがある。
――――魔獣に追われたラズルクの森。
――――グィアヴィア街の裏路地。
――――宮殿の広間。
黒い瞳と髪を持ち、見たこともない黒い衣服を着込んだ男。
魔術の法則を完全に無視した魔術を使い、まったく動じない無表情を持つ、伝説の魔道士……。
天幕を飛び出したセレスが見上げたその先に、天高く聳える一本の巨大な柱。
絢爛な存在感で見るものを圧倒するそれからは、“彼”の証たる独特な魔力が溢れるほど滲み出ていた。
そしてセレスは悟る。これが“彼”の……『古代魔道士』の真の力なのだ、と……。
今までセレスが見てきた彼の魔術は、その実力の半分にも満たなかったのだと……。
不思議と悔しさや嫉妬は感じなかった。ただ彼の存在が大きすぎることに、自分のちっぽけな力では彼の手助けにもなれないという惨めさと悲しさが、少女の心を少なからず傷つける。
次々と天幕から人々が這い出し、非現実的な光景に騒ぎ出す中で一人、セレスは呆然と彼の力の象徴を仰ぎ続けた。目に溜まった涙は、その眩しい光の所為なのだと自分に言い聞かせながら。
「セレス殿。あれは、一体……」
隣にやってきたアルテミスが、同じく光の柱を見上げて問いかける。
セレスが横目で視線を移すと、彼女の表情はいつもの無表情とは違い驚愕に染められていた。魔術の才能はなくても、人並み以上の知識を持つアルテミスなら、この現象がただ事じゃないことくらい容易に察することができるだろう。
セレスは素早く零れた涙を拭き取り、他の人に聞かれないよう声を抑えながら答えた。
「キリヤ君が発動させた魔術……だと思う」
「なっ!? あれほどの膨大な魔力がですか!? どう考えても、人が行使できる次元では――――」
「忘れたの? キリヤ君は古代魔道士なのよ。未知数な“彼ら”の力を“ただの人”と同等に考えるのは間違ってるわ……」
あくまで感情を殺した声で、セレスはアルテミスの言葉を遮り、批判する。
そうだ。キリヤは自分たちとは違う。見た目は人間に酷似していても、その正体は神の申し子と“ソーサラー教会”から称される生きた伝説。次元が違うのは当たり前だ。
(そうよ……キリヤ君は、あたしたちとは違う……)
「……待ってくださいセレス殿」
「…………」
「もしあれがキリヤ殿の魔術だとして、彼が今までこの力を隠していたのは何故です?」
「何故って……それは、古代魔道士のこと、バレると駄目だから……」
アルテミスの目が大きく見開かれる。
ただ事ではないと言いたげな、焦りと不安の感情を彼女の表情から感じ取り、セレスは思わず光の柱を見上げた。
まるで最初からそこに存在していたかのように燦然と輝きを放っていた柱は、すでにその魔力を散らし、肉眼では捉えにくいほど小さくなっている。闇の降りた真夜中で見れたなら、もっと美しい光景を拝むこともできたかもしれない。しかしどれだけ綺麗な現象であろうと、人を殺傷するために行使された魔術に他ならないのは事実。あの柱の発生源では今頃、多くの生物が命を散らしていることだろう。
――――え?
――――――キリヤ君が……人を…殺して……。
「キリヤ君が、人殺しなんてするわけないじゃない……」
呆然と呟いた言葉は、そのまま否定できない真実としてセレスの胸に刻まれた。
そう。彼は容易に人を殺めたりしない。アレクを狙った刺客もキリヤは生かしたではないか。
「彼の意志ではないとしたら……」
アルテミスがセレスの肩を掴んだ。
その必死の表情に新鮮さを感じながら、セレスは彼女の言葉に耳を傾ける。
「彼が魔術を使わざるを得ない状況に追い込まれていたとしたら……」
セレスに戦慄が走った。
正体を容易に明かすことのできない彼が、何故真の力を使ってまで敵を殲滅する必要があるのか。
万が一にもあり得ない仮の話。だが絶対にあり得ないわけではない。
キリヤがもし敵に囲まれ、ただならぬ劣勢に追い込まれたとすれば、あるいは大規模な魔術を行使する可能性も十分に考えられる。
だとすれば――――――
「キリヤ君が、危ない……!」
キリヤに命の危機が迫っているかもしれない。
こんな所で嘆いている場合ではなかった。
光の柱が完全に消失するのを待たず、セレスはすぐさま踵を返す。
天幕の間をすり抜け、目指すは先ほど一悶着あった東の大出口。
もう間に合わないかもしれない。だが何も行動しないまま、ここで無事を祈るよりずっとマシだった。
――――いや、違う……。
(間に合わないかもじゃない! 間に合わせるのよ!)
最後まで諦めないのが自分のモットーだったではないか。
全力疾走し、やがてセレスはさっきの大出口前にたどり着いた。
息を整え、再び足に力を入れようとした時、腕を何者かにがっちりと掴まれる。また兵士が自分を止めにきたのかと思い、苛立ちながらも後ろを振り返ったセレスだが、そこにいたのは険しい顔つきのアルテミスだった。左腕を掴んで離さない彼女に、セレスの声に自然と怒気が篭る。
「……アルテミスさんまで、あたしを邪魔する気?」
だがアルテミスは首を横に振り、それを否定する。
「私もセレス殿と共に参ります」
「じゃあその手を離して。このままじゃ走れないわ」
「お忘れですか? 戦場となっているトーテム山地は、凶暴な魔獣が生息する危険な場所ですよ。セレス殿と私二人だけでは荷が重過ぎます」
馬車と護衛を用意しましょう。
アルテミスはそう言って、セレスを無理やり反対方向へ引っ張っていく。
「でも時間がないわ! 馬車だけならともかく、護衛まで準備してたら……」
「急いては事を仕損じると言います。勇気と無謀がまったくの別物であるように、焦りから生まれる突発的な行動もまた、自分を破滅に追い込むだけにすぎません」
苦笑を浮かべたアルテミスの表情を、セレスは渦巻く思考のなか無関心に眺めていた。
セレスには知る由もない。何事に対してもはっきりしているアルテミスが、苦笑などという複雑な表情を見せること自体が稀だということを。
この時の彼女の心中は、キリヤのために危険を省みず飛び出したセレスへの賞賛と、命を粗末に扱うことへの批判的感情が同時に沸き起こっていた。立場上、仮の王族であるキリヤを命がけで助けに行くのが臣下の勤めであるのは間違いない。そのことは近衛騎士団を統括するアルテミスが一番良くわかっているつもりである。キリヤを助けたいと逸るセレスを止めたことが、かつての自分との大きな違いを彼女は垣間見たのだ。それが何とも可笑しくもあり、アルテミスは苦笑を禁じえなかったのである。
「セレス殿の気持ち……何となくですが、理解できた気がします」
「え……?」
アルテミスはセレスを振り返り、その幼さの残る表情を見下ろした。
そしていつも以上に柔らかく、彼女に微笑んでみせる。
「陛下以外で、誰かのために必死になれたのは初めてです。これが“助けたい”と願う者の素直な気持ちなのでしょうか……」
「さ、さあ……?」
すでに当たり前のこととして心に備わっているセレスにとって、アルテミスの心の変化は理解し難いものだった。
だが少なくとも、その気持ちが彼女たちにとってかけがえのないものとなっていくのは確かである。
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――――――馬鹿だよなぁ、俺……。
ずっと元の世界に帰りたいって望み続けて、結局何かに巻き込まれる度にその責任を自分で背負って、また余計な面倒事を担ぎこんで……。
何が柱壊した償いだ。
俺に一体何ができる? 否、一人どころか、誰かが居たって俺は何もできやしないじゃないか。
それどころか俺はもっと大きな罪を犯した。
一生償っても償いきれない、最低な罪を……。
「それで祈祷師殿! キリヤ殿下の容態はっ!?」
「……特に目立った外傷はありませんし、内在魔力も正常です。殿下のお身体は、至って健康体ですよ」
「そんなこと見ればわかりますよっ! 私が聞いているのは、キリヤ様が抜け殻みたいになってしまった原因です! 治す方法はないのですか!?」
「キムナー中佐。神聖祈祷師は傷を癒すことはできても、精神的な問題を解決する能力は持ち合わせていません。申し訳ありませんが、私にはどうすることも――――――」
「そんなっ! ぼ、僕にも無理ですよ! い、医学の知識なんてさっぱりです!」
「では、カウンセラー専属の魔道士にでもご依頼されるとよろしいでしょう。精神治療ならお手の物と、医者顔負けの実績を上げているようですから」
「ち、ちなみに、その魔道士殿の居場所は……?」
「魔道士ギルド、“聖夜の羽兎”が置かれる鉱山都市だったはずです。たしか、街の名前がミルウォールだったような……」
「帝国領のど真ん中じゃないですか……。なんという世知辛い世の中。僕泣きそうです……」
「あくまでカウンセラーに特化した“専属”の話ですよ。わざわざ帝国に足を運ばなくても、精神科の医師に頼んだ方が早いと思いますがね」
「ほ、本当ですかっ!? それで殿下が元通りになるのですね!?」
――――元通りだと? なら、ここ二日間の時間を撒き戻してくれねぇかな。もちろん、俺がいた元の世界までな。
「元通りになるとまではわかりませんが、平常にまでは回復すると思います。どうやらキリヤ殿下は魔道士のようですから、深く精神を侵されている心配もないでしょうし」
「そ、そうですか……。よかったぁ~」
「それでは私もこれで。負傷した兵士たちの手当てに戻ります」
「あ、はい! 引き止めてしまって申し訳ありませんでした、祈祷師殿」
「いいえ。殿下の身の安全が最優先ですから、私も当たり前のことをしたまでですよ」
ガサガサと布を擦る音が聞こえ、やがてその音も消えた。くぐもった騒音を残し、空間に再び沈黙が降りる。
定まらない焦点であたりを見回すと、すぐ近くに右往左往するアレンさんの姿を見つけた。さっきから部屋の中をうろうろと落ち着きがない。
……ちょっと待て。部屋……?
俺は今どこかの室内にいるのか? しかし、ここは見覚えがない。
天幕ではないようだが、だからといって宮殿みたく豪華な部屋というわけでもなさそうだ。いや、俺の部屋に比べたら十分豪華な部類に入るんだが……やはり初めて見る。
「はぁ~……弟君の体調が優れないこんなときに限って陛下がいらっしゃらないなんて……。いやいや、しっかりしろアレン・キムナー! 僕はキリヤ殿下の補佐役を任されているんだぞ。こんなところで弱気になってどうする! ……けど、やっぱり僕には荷が重過ぎる気がする。というか、どうしてたかが佐官クラスの僕にこんな重要な役目を任されたんだろう……。はぁ……」
さっきからブツブツと独り言の激しいアレンさんは、俺のことなど眼中にないように部屋の隅でちょろちょろ動き回っている。
俺はアレンさんから視線を外し、反対側に首を向けた。
後頭部から背中にかけて感じる柔らかい感触に、俺はそこで初めてベッドに寝かされていることに気づいた。
壁際に置かれているようで、丁度目線の位置に戸の開けられた窓が見える。空は夕日のオレンジ色に染まっていた。
「…………」
俺はゆっくりと身体を起こした。肘を使って上半身だけを持ち上げる。
窓から下を見下ろすと、まず目に入ったのは巨大な城壁だった。街を守るように、大きく円を描いて取り囲んでいる。その壁の先は草原。緋色に染められた大地に無数の人やら天幕がひしめき合っているのが見えた。洋式の祭りの風景に見えなくもないが、街の内側はさほど盛り上がっているわけでもない。いや、盛り上がっているというより慌ただしいと言ったほうが正しいだろう。時々怒号らしき大声が俺の耳にも飛び込んできた。
ここはイグレーン……じゃないよな? あの街はもっと大きかったし、地理も若干違う気がする。そもそもあんなに大量のテントも人もいなかった。
また別の街なのだろうか。そもそも何故俺はここで寝ていたのかもわからない。
思い出そうと頭を抱えた途端、俺の手が顔を覆う何かに触れた。
これは……仮面? そういえば、アレクからこれを着けろって渡されたんだっけ。違和感がなかったから全然気づかなかった。これも、何かしらの魔術のおかげなのか……?
「…………殿下?」
不意に小さな声が聞こえ、俺は反射的に振り返った。
部屋の隅で、いつの間にか独り言をやめたアレンさんが俺の方を見て固まっている。ぱくぱくと口を開閉し、眼球が飛び出すんじゃないかというほど大きく目を見開いて、俺の顔を直視していた。
「……あ、ああ……ままま、まさか、これ…は…奇跡なのでしょうかっか……」
「しょうかっか?」
“しょうかっか”って何だよ。何でもかんでも語尾に変な単語つけたら電波になれるとでも思ったのか。
だが次の瞬間、まるで人生に疲れたようなため息を吐き、ぐにゃっと力の抜けたアレンさんの身体が後ろに傾き、卒倒した。
「ちょ! お、おい……!」
くそったれ! ため息吐きたいのは俺の方だっての!
「いやぁ……本当に申し訳ありませんでした! まさか殿下が正気に戻るとは思ってもいなかったものでして」
頭を掻きながら、細目をさらに細めて謝罪するアレンさん。
とりあえず気絶したアレンさんを起こしたのはいいものの、さっきまでの陰気モードとはえらい違いで表情が明るく、なにしろ顔から笑みが絶えない。喜怒哀楽がお嬢みたくはっきりしているというか、なんともわかりやすい多重人格。よく軍人になれたよな。
「もしこのまま植物状態だったら、陛下になんて謝罪しようかと怖くて怖くて……」
つまり俺が目覚めたことであんたの緊張が溶けたってわけか。気絶するほど真剣に悩むなんてどんだけ不器用なんだよ。
「それで? ここは一体どこなんだ?」
もう相槌打つのもめんどくなってきた。俺も知りたいことが色々あるし、いい加減話題を変えることにする。
「あ、そうでした。確かまだ説明していませんでしたね」
いきなり話をすり替えられて不機嫌になるかと思ったがそうでもないらしい。特に気にした様子もなく、俺を中央のテーブルに促す。やっぱりこの人の考えてることわからん。
俺が椅子に座ると、向い側にアレンさんが腰を下ろした。
「ここはリディア王国の王都デュルパン。昼間に私達が戦ったトーテム山地より南下した、草原地帯中央部にある城塞都市です。この部屋は王城に設けられた、客人用の個室みたいですね」
私も初めてなのでよくわかりませんが、と付け加えながら、アレンさんは懐から数枚の紙を取り出してテーブルに広げていく。
トーテム山地というのが何処にあるのかがそもそもわからなかったが、“戦った”という言葉は俺の空白だった記憶に色を取り戻させるには十分な効果を発揮した。
全身から汗が噴き出し、心臓が早鐘のように激しく打つ。
絶叫、怒号、悲鳴、嗚咽、この世のものとは思えないありとあらゆる叫び声が満ちた戦場に舞う、大量の鮮血。身の毛もよだつような無数の人の死体が地面に伏し、その間をさらに多くの人たちが互いに殺し合い、命を奪い合っていた。
「これは私の部下が緊急でまとめた戦後報告書です。本来なら現場指揮官が参謀部の出頭に赴いて、調査団の派遣を検討したり、色々と手順があるのですが……。今回は場合が場合ですから、書類によりお届けした次第であります。殿下の手前でご配慮に欠けること、どうかお許しください」
目の前に何か書かれた紙が寄せられたが、いちいちそれに目をくれてやる余裕なんてない。
真新しい記憶として俺の中に眠る大罪としての意識が目覚め、俺を闇に落とそうと頭の中で暴れだす。
「あ……あぁ……!」
視界を塗りつぶした光が俺の制御を失い、意思とは逆に大きく膨れ上がる。
「ああ……や、やめろ……!」
「殿下? ……殿下! キリヤ様!」
『天かける最速の槍、裁きの雷光!』
俺の頭で再現された記憶はやがてはっきりと映像を映し出し、手元を離れた光の行方を追っていた。 そこに肩を揺さぶるアレンさんの姿は見当たらない。俺の目に映るのは、爆発した大地が灼熱の炎を吐き、赤く染まった地面を兵士たちが転げ回るまでの地獄。
「――――――ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーー!!!!」
――――――悪夢という名の、最悪な記憶だった。
二十七話目終了…
それにしても話の展開が遅すぎる。だからといって、あまり飛ばしすぎると何が何だかわからなくなってしまうんですよね……。