第二十六話 激昂
キリヤの放った光弾が司令天幕に直撃した瞬間、まず周囲一帯を襲ったのは目も開けられない強烈な光だった。
その直後大地震のような強い揺れが発生し、一足遅れて鼓膜に激痛を引き起こすほどの爆音が轟く。チクチクする静電気の波が兵士たちの全身を駆け巡り、稲妻の如く一直線に伸びた雷の柱が一気に大気圏を突破して貫いた。瞬きする暇もない、大規模な拡散反応があっという間に数百という命を奪い去る。
続いて発生したのは、魔力摩擦による空間爆発である。
雷の柱がそびえる周辺数百デイスを何百発という爆発が連続で巻き起こり、張られた天幕は跡形も残らず燃え尽きる。セ氏数千度に包まれたランスロット軍本陣地帯一面は灼熱地獄に姿を変え、生ける者はすでに皆無だった。
こうして一国の存亡を賭けたトーテム山地の戦いは、とある一人の魔道士の残酷な活躍によって幕を閉じた。
この戦いでのランスロットの死傷者は、魔獣討伐隊も含め四千八百名。
対してほぼ全戦力を導入したリディア軍の死傷者は、第一次迎撃隊を含め三千五百名に上り、一般人の死者も三百人以上と推測されている。
たった一日でリディア王国領土の中枢を侵犯され、もはやランスロット王国の勝利も時間の問題と思われていたこの戦い。
リディア側は全戦力を投入し、さらには奇襲戦法で相手を翻弄したが、結果的にランスロット軍を撤退させるには至らなかった。
では、この戦いの勝利をリディア軍側に導いた一番の勝因は何か? 国家情勢に詳しい軍の専門家ならば、皆口をそろえてこう言うだろう。
「万の軍勢を所持するランスロット軍相手に、たかが一小国の軍隊が援軍として駆けつけてもあの劣勢を覆すことは不可能だった。小国が国家予算全てをつぎ込んでも手に入らない十分な量の兵器と兵糧、さらにはそれを原動力として行動する、師団単位の軍隊を保有するヴァレンシアのような大国が援軍として加わったからこそ、リディア王国は命拾いしたのだ」と……。
最初こそ優勢であったリディア軍だが、結局“飛竜隊”なるランスロットの主力兵器の前に手も足も出なかった。それは奇襲というリディア軍の戦術を完全に無視した、一種の物量戦による結果が招いたことであり、援軍に駆けつけたヴァレンシア軍も物量主体の攻勢でリディア側の劣勢押し返したとされている。
結論として、魔術や魔道兵器が発展し、大小さまざまな国家が乱立するこの大陸の戦略的軍事行動は限られてくる。その限られた戦略というのが物量による力比べであり、力を持たない国家は戦う戦わない以前に一切の軍事行動を放棄するのが常識という見方が出来上がっているのである。何故なら、初めから負けるとわかっている戦いに自国の犠牲を数多く出してまで行うなど馬鹿げているからだ。
しかしながら。
“トーテム山地の戦い”が物量戦であったことは、後世に残る軍部の調査書から確認されたことであり、実際のところその真相ははっきりと解明されていなかった。
事実、この戦に参じた軍人たちによる記録は一切なく、口伝によって子孫へ伝えられた形跡もまったくなかったのである。この戦いを経験した者たちは、身内や親戚よりこの戦いのことを聞かれると皆一様に首を振り、そして震えながらこう答えるのだ。
「悪魔が降りた。この世界を壊すため、死神より遣わされた漆黒の悪魔が降りた」と。
果たして、国の存亡を賭けたこの戦いが、単に戦力比だけで成し得た勝利であったのだろうか。当時の人たちがこぼしたその不気味な言葉に、戦力を大きく塗り替える“何か”が起きたような気がしてならない。そしてそれはきっと、物量という一つの秩序を崩壊させるほどの人為的な大きな災いが発生したのではないだろうか。
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「近衛騎士のアルテミス・ケリュネイアです。玉座の間での事件の……例の囚人に面会したいのですがよろしいでしょうか?」
「き、騎士団長閣下ッ!? え、ええはい! もちろんです。ど、どうぞお入りください!」
周囲を石壁で囲まれた地下牢の入口付近。
業務用の椅子に座り、見張り番をしていた看守は近衛騎士団長の予期せぬ来訪に思わず飛び上がった。
「飛び上がった」というのは比喩でもなんでもなく、実際居眠りに勤しんでいた彼は、来訪者の顔を目撃した途端椅子を蹴飛ばして文字通り飛び上がったのである。
その際に低い天井で頭を強打したが、頭部の痛みに呻くよりも騎士団長に対する恐怖心が勝っていた看守は、平然と真顔を繕い、真面目然とした態度でアルテミスを迎えた。
「? 頭を打ったようですが……大丈夫ですか?」
心配そうな顔とはほど遠い無表情のアルテミスが、直立する看守を見て首を傾げた。
それが何か意を汲んで遠まわしに聞いているように思えたのか、看守はさらに恐縮して、
「い、いえっ!! 自分は問題ありません! ご、ご心配いただき、ありがとうございますっ!」
「そうですか。大したことがなくて良かったですね」
その感情のまったく篭っていない素っ気無い返答に、看守は彼女が『無情のアルテミス』という二つ名で知られていることを再確認した。
何せ任務に失敗しただけで自分の部下を死刑にするような(今のところ未遂)冷酷な軍人なのだ。たかが一般兵士が頭部を強打したくらいで何とも思わないのだろう。むしろ気遣ってくれたことが、看守にとっては不気味ながらも嬉しいことだった。
「ならば早速、ランスロット王国の刺客との面談の準備をお願いします」
「面談、ですか?」
拷問の間違いじゃないですか、という言葉は口に出さない。
そんな爆弾発言を言ったら最後、二度と日の光を拝めないという確信が看守にはあった。
「はい、取り急ぎ手配をしてもらいたいのです」
それだけ言って、アルテミスは部屋の隅に置いてあった腰掛に座る。
背筋をピンと伸ばし、揺らがない首をまっすぐ前方に向けたまま座る女騎士の姿はまるで精巧に作られた彫刻のようだ。その豊かな胸がゆっくりと上下に動いていなければ、事情を知らない者は彼女の優美な姿に見惚れてため息の一つや二つは吐いていることだろう。
思わず生唾を飲み込んだ看守は、頼まれた用事も忘れてしばらくアルテミスをとぼけた顔で眺めていた。
歴代の近衛騎士団長の中でも指折りの冷徹さを誇るとされるアルテミスであるが、やはり女性である時点で身体的特徴を誤魔化すことはできない。女性らしさが目立つ緩やかな身体のラインと重なり、後頭部で結い上げた長い紅髪が彼女の妖艶な外見を作り出していた。
しかも反らされた背が、大きい胸をさらに強調していて――――――
「何をしているのです?」
突然掛けられた声に、それまで漂っていた看守の意識は一瞬に現実へと引き戻される。心なしか睨みつけるようなアルテミスの視線に、看守の顔から血の気が引いた。
「い、いえっ!! 何でも……何もしていませんっ!」
「何故何もしていないのですか? 私はあなたに面談の手配をするよう、先ほどお願いしたはずですが……」
まったくもってその通りである。
ましてやその依頼を忘れ、アルテミスの身体をいやらしい目で眺めていた看守に今更誤解を認めさせることなど不可能なことはもちろん、弁解して赦してもらうという最終手段を実行に移す勇気もなかった。
「あ、あ、あの……こ、これは、その――――――」
「私は急いでいるのです。準備ができないのならば、せめて囚人の居場所を教えてください」
うろたえる看守の言葉を堂々と切り捨て、少しばかり怒気を含んだ声音でさらに言葉を足す。
アルテミスの怒りを買うなんてまっぴらだった看守は、壁に吊るしていた鍵束を即座に掴み取ると、鉄で補強された扉にその一つを差し込んだ。
ほとんど無我夢中で鍵束を持つ手が震えて止まらなかったが、さすがは長年地下牢の番を務めてきただけのことはあるだろう。目当ての鍵を瞬時に見つけ出す能力は十分に備わっていた。
扉を開け放ち、アルテミスを中に誘導できるよう脇へよけた看守は、
「例の刺客の牢屋は、本階の廊下を突き当たりに行った右側でありますっ! 囚人番号は1128。この鍵に彫られた番号と牢屋の識別番号が一致しますので、どうかこれを目印にお探しください!」
「ええ、わかりました。では、しばらくお預かりします」
看守から鍵を受け取ったアルテミスは、躊躇うことなく薄暗い廊下に足を踏み入れた。
さすが『国家の盾』として近衛騎士団を率いるに値する軍人である。歪みなく伸ばされた背中をそのままに、囚人の牢に対して臆することなく早足で先を急いでいった。
やがてその勇ましい後ろ姿も暗闇に消え、カツカツと地面を叩く靴音も聞こえなくなると、それまで辛抱強く直立していた看守はわなわなと石床に崩れ落ちた。
とりあえず、命拾いだけはしたようである。
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鉄格子の奥から覗く異質な視線たちをその身に感じながら、アルテミスは視界の悪い狭い廊下を目的地に向かって歩いていた。
その視線の中には明らかな殺気を含んでいるものもあったが、“無情”の二つ名として知られる彼女にとっては何ら問題ないことである。
アルテミスの表情にあるのはいつも通りの無表情。時折鼻を刺す糞尿と汗の臭いに顔を顰める以外は、その整った顔立ちに感情を含ませることなど一切ない。
ただ非常時に備え、腰に下げられたレイピアの柄にはしっかりと手が添えられていた。近衛騎士団長としての威厳と威圧を態度で表し、囚人たちが愚かな真似をしないよう牽制するためである。
やがて廊下の突き当たりに差し掛かり、アルテミスは看守に言われた通り右側の鉄格子に近づいた。
受け取った鍵を取り出し、牢屋脇に埋め込まれたプレートと見比べる。そこには『1128』という数字が、黒い塗料で殴り書きされていた。
目当ての牢を確認し、アルテミスは目を細めて鉄格子の奥を改めて観察する。
重罪人を閉じ込める監禁部屋とは言っても、やはりヴァレンシアは大国として牢屋にも抜かりなかった。
限りなく質素な作りではあるが、木製の寝台が隅に一つ置かれ、他にも小さな三脚椅子と錆びた鉄製の便器も取り付けられている。決して衛生的に良い空間ではないが、少なくとも生理的処理や最低限な生活を送るのに問題はなさそうだった。 天井からは魔道灯がぶら下がり、どんよりとした牢屋の中をほのかに照らしている。
そしてこの罪人部屋の住人は、寝台の端に腰掛けたままぼんやりと魔道灯を眺めていた。
「…………」
誰かがいることに気づいているはずであろうに、その男は無言のまま動かない。
アルテミスも無言のまま、男の行動を窺う。
「…………」
「…………俺の処分でも決まったのか?」
そのとき、男が口を開いた。
随分と掠れた低い声だが、聞き取れないほどでもない。
「意外と早かったんだな。……ま、一国の指導者の命を狙った刺客に、下される罪科など決まったようなものか……」
「…………」
男はすでに死を覚悟しているのか、声音には恐怖や苛立ちは感じない。
憔悴し、やつれ果てた顔に自嘲的な笑みを浮かべ、そこで男は初めて視線をアルテミスに寄越した。
「あんたは確か、あの時広間にいた騎士だな……。何だ? あんた自ら俺の首を刎ねるつもりか?」
ゆったりとした落ち着いた声で、元刺客は顎で腰のレイピアを示す。
どうやら柄を掴んでいたことに勘違いして、早速処分しにきたと思われてしまったらしい。無表情に見下ろすアルテミスの顔も際立って、男には彼女が死刑執行前の処刑人に見えたのだろう。
誤解を解くために、アルテミスはようやく言葉を発した。
「これは刺突剣です。あなたの首を刎ねることは不可能ですし、そもそも近衛騎士は人を殺めるために存在しているわけではありません」
「ふん……。だがあんたの主人を殺そうと機会を窺っていた俺を、近衛騎士であるあんたは見破ることはできなかった。……違うか?」
アルテミスの記憶に、昨日の苦い出来事が甦る。
盲目的な浅い詮索でただ一つのことに縛られ、真の敵がすぐ近くにいたことに気づけなかったらしくない過ち。下手をすればアレクが命を落としていたかもしれない大失態を、アルテミスは思い出す度に後悔の念に囚われていた。
苦虫を潰したような彼女の表情を見て取り、男は大げさに肩をすくめてみせた。
「冗談だよ。あの時の俺は完璧なカモフラージュで姿を消していた。たとえ暗殺業の魔道士が俺の真横を通り過ぎようが、俺の存在に気づくことなんて万が一にもありはしないんだからな」
自信満々に語る男だが、その完璧なカモフラージュを見破られたが故に牢屋へぶち込まれたというのは理解しているのだろうか。
疑問に思い首を傾げるアルテミスに、男はさらに続けた。
「が、何故か俺の透過魔術はあっけなく破られた。しかも“奴”からは随分と距離が離れていたにも関わらず、柱越しに俺の意識だけを刈り取るという器用な方法でな……」
そして、男の顔から軽薄な表情が一切なくなった。
眉根にくっきりと皺をつくり、鋭い視線でアルテミスを睨みつける。
「“あの魔道士”は何者だ? どうやって俺の存在に気づいた?」
あの魔道士というのはキリヤで間違いないだろう。どうやら男もキリヤの奇妙な魔術に疑問を抱いていたらしい。やはり同じ魔道士として、彼に何か得体の知れないものを感じ取ったのか。
「……あのお方はアレクシード国王陛下の弟君です。それ以上は言えません」
「なっ……不敵王の弟だと!? そんな情報、俺は知らんぞ」
男は目を丸くし、思わず寝台から立ち上がった。
「そちらの情報の信憑性については私の知るところではありません」
キリヤの正体を変に勘ぐられると色々とまずい。
アルテミスはあえて無表情を貫き、男の疑問を冷たく跳ね返した。
特に“古代魔道士”という真実を知られるわけにはいかない。
もし露呈したなら、アルテミスはこの地下牢に男を一生閉じ込めてでも情報を秘匿するつもりであった。
だが男は彼女の返答を大して気にした様子もなく、脱力したように再び寝台に腰を下ろした。
「まあいいさ。今更それを知って、何か変わるわけでもない……」
あきらめたようにため息を吐く男。
だがそれに同情できるほど、アルテミスは罪人に対する優しさを持ち合わせてはいない。
相変わらず無表情に男を見下ろしていた彼女は、やがて意を決したのか眼鏡の縁を押し上げて口を開いく。
「あいつは化け物だ」
しかし、アルテミスが言葉を発する一瞬先に男の方が口を開いた。
彼女は出かかった声を封じ、代わりにその発言の意味を図りかねて逆に質問する。
「“あいつ”とは誰のことです?」
「決まってるだろう、あの黒い魔道士だ」
男の視線は足元にあった。
そのせいで、アルテミスの身体が一瞬にして硬直したことに男は気づかない。
「王族の魔道士だか何だか知らないが、奴はただの人族じゃない。少なくとも、俺には奴が悪魔の化身に見えた……」
「……なん、ですって……」
絶句したアルテミスを他所に、男はなおも続ける。
「牢屋にぶち込まれてる俺が言うのもなんだが、あんたも良識人なら気づいてるだろ? あの魔道士は“普通”じゃない。死霊魔道士やら死霊使いなんて規格外な魔道士も多々いるが、あの黒い奴からはそいつらに似た禍々しい気配さえしなかった……」
何も感じないんだよ、と男は言った。
確かに初めて彼に会った時、キリヤの存在を正直異常だと思ったのは事実である。“何も感じない”というのも、それはアルテミスにとって痛いほど理解しているつもりだ。
だが……だけど彼は―――――――
「俺はこの国に従ってるわけじゃないからな。どうせ死ぬならこの際はっきり言ってやる」
男の残酷なまでに鋭い目線が、アルテミスの見開かれた目を射抜く。
視線だけで相手を射殺せるかと思われるほどの冷徹な瞳に、彼女は怯えるどころか逆に、次に男が話す言葉の内容を予想して全身の毛が逆立つような怒りを覚えた。
男はゆっくりと言葉を紡ぐ。
「あいつは化け物だ。存在自体が特異な、“魔術”という名の麻薬に魅せられた愚かな傀儡さ」
「――――っ!!」
かぁっとアルテミスの頭に血が上る。
刹那、アルテミスは腰に下げていたレイピアを鞘ごと抜きとり、次の瞬間にはその刀身を鉄格子に叩きつけていた。
金属の反響音が静寂な地下牢に響き渡り、そのあまりの大音量に囚人たちが何事かと顔を突き出す。
もちろん男も冷静ではない。突然狂ったように武器を振るった彼女に驚き、咄嗟に後ず去っていた。
「お、おい。いきなりなんだ?」
「…………謝れ」
「あぁ?」
眼鏡の奥に潜ませた殺意の視線を男に注ぎ、アルテミスは数年ぶりに冷静さを欠いて激昂した。
「彼に……キリヤ殿に謝罪しろと言っているっ!! 貴様は彼を“化け物”と侮辱したっ! それに見合う謝罪をしろっ! 今すぐに!!」
もし彼女と男の間に鉄格子という障害物が隔てていなければ、アルテミスは怒りに任せ男を殴っていただろう。言葉でしか言い返せない悔しさに、せめて男を侮蔑の意を込めて睨みつける。
そのとき、初めて男の顔に動揺の色が浮かんだ。完全に狼狽しているわけではないが、豹変したアルテミスに気を削がれているのは間違いなかった。
返事のない男に、アルテミスは牢に詰め寄り鉄格子をがっちりと掴む。
「謝れっ!!」
「ちっ…………!」
謝罪するまで赦すつもりはないと思ったのか、男は小さく舌打ち、
「ああわかったよ! 全部俺が悪かった! 王子のことを化け物扱いしてすまない。だからあんたも一旦落ち着けよ! たかが囚人の戯言に本気になってどうする!?」
「!?」
言われて彼女は気づいた。
頭から冷水を浴びたように、怒りで昂ぶった気持ちが徐々に落ち着きを取り戻していく。
(私は……一体何を考えて……)
自分でもよくわからなかった。
相手はただの囚人。一人では生きることさえままならない無抵抗な罪人なのだ。挑発染みた発言に本気になって言い返す方が馬鹿げている。
ただキリヤのことを貶めるような言葉が我慢ならなかった。
アルテミスは彼のことをこの男よりもよく知っている。キリヤは見た目こそ誰も引きつけない不気味な雰囲気を漂わせているが、根はとても優しい心の持ち主なのだ、と。でなければ“古代魔道士”という危険な立場である彼が、この国のために身分を隠してまで協力してくれるはずがない。昨日の夜間遅く、キリヤと二人で話して確信した。
キリヤ=カンザキなる魔道士は“化け物”でなければ魔術に憑かれた傀儡でもなく、人として正しい良識を持った青年なのだ、と。そのことをわかっていたからこそ、アルテミスは主の命を救った恩人を侮辱され、怒りのあまり冷静さを失ったのだろう。
(けれど……本当にそれだけ?)
激怒した理由がまた別にあるような……納得し切れない気持ちが胸の内で溜まっている。むしろそちらの理由が本命である気がするのだ。
取り出した武器を腰に戻すまで、アルテミスは思考の海に浸かった。やがて事態の集束を察した囚人たちが頭を引っ込め始めた頃、鉄格子の奥から自分の顔を覗きこむ男を視界に収めてアルテミスの意識は再び現実へと向けられる。
「先ほどは、取り乱してすみませんでした……」
「い、いや。元はといえば、俺が言い過ぎたのが原因だ。失言だったな、すまない……」
「…………」
軽薄な印象のわりに、責任感はしっかりと持っているらしい。
元々寡黙な性格なのだろうが、アルテミスの反応が影響して逆に気を遣わせてしまったようだ。今日の自分はまったくらしくないと、彼女は心の中で恥じた。いや、今日だけじゃない。思えば“彼”と出会ってからずっとこの調子のような気がする。
「それで? あんたの用件は何だ?」
「え……?」
「俺に用があるんだろ? でなきゃこんな陰湿極まりない所に、騎士団長殿が一人で足を運んだりするわけがない。何か極秘の相談ってか?」
唇の端を吊り上げ、面白そうに目を細める男。
重要な話があってここにやって来たのは確かだ。だが男の軽率な態度を伺い、果たしてこのまま話していいものだろうかと思う。
「あなたの祖国について、お聞きしたいことがあります」
「ランスロット王国の? 何だ、軍の機密事項でも知りたいのか?」
「機密……とまではいきませんが、貴国の軍隊について、詳しい動機が知りたいのです」
「? 話が見えないな。結局何が知りたい?」
了承を得ない返答に男は訝しい表情を浮かべ、アルテミスにさっさと先を促す。
彼自身話題を誤魔化しているような節が見受けられないことから、本当に何が言いたいのか理解できないのだろう。ならば話は早い。隠すような“真実”でないのなら、こちらの質問にも素直に答えてくれるはず。
アルテミスは一度眼鏡の縁を指で押し上げ、男の視線を真っ向から受け止めてから話を切り出した。
「単刀直入にお聞きします。十年前のヴァレンシア侵攻と今回のリディア侵攻に関して、貴国が対外侵略に乗り出した真の理由は何です?」
「真の理由?」
「失礼ながら、貴国の軍隊は我が大国の領土を征服できるほどの軍事力はありません。十年前の事変以降、貴国の戦力は我が王国の東部領土防衛に手一杯だったはず。にも関わらず、その大半の戦力を小国であるリディア王国侵攻に回したのは何故です? これでは占領した我が東部領土をヴァレンシアに無傷で返還するようなもの。私としては、貴国のやっている軍事行動は自滅を早めるだけでまったくの無意味としか思えないのです」
「…………」
男からの返事はない。
感情の篭っていない視線をアルテミスに注いだまま口を閉ざしている。
やはり彼には何か心当たりがあるのか。アレク王を暗殺するという重大な任を与えられたこの男なら、ランスロット政府上層部の作戦を知っていても不思議ではないだろう。
「……答えられませんか?」
「…………そうじゃない。ただ、真実が曖昧でな……」
「どういうことです?」
すると男は困惑した表情を作り、腕を組んでしばらく悩んだ。
やがて決意したように一度頷くとアルテミスに近づき、まるで秘密話を打ち明けるかのように小声で話し始める。
「ランスロット政府の連中、表向きには小国家脱退っていう標語を国内中に広めていてな。告示演説で抗戦を国民に訴えかけているわけだが……これが少々胡散臭い」
「……また別の理由が裏にあると?」
「少なくとも俺はそう思う。奴らは何かとんでもないことを企んでいやがるんじゃないかってな。……何せヴァレンシアに喧嘩売った小国だ。軍上層部も馬鹿じゃない。小国家脱退の実現第一歩がヴァレンシア王国の征服など、死に急ぐような作戦立てるわけないし、そもそも利点なんて何一つありはしないんだぞ?」
「では何故、ランスロットは我が王国を攻撃対象にしたのです?」
アルテミスの声に自然と怒気が篭る。
無関係なヴァレンシア国民をも巻き込み、賢王ガレスを戦死に追いやった十年前の悲劇が“ただの手始め”なんて認めない。それこそ彼女は、ランスロット王国を絶対に赦すことなどできないだろう。
「それがよくわからないから曖昧なんだよ。政府は詳細を教えてはくれず、軍部は作戦命令を将兵に伝えるだけ。俺たち魔道士や一般人はただ上の指示に従うだけで、理想のスローガンに魅せられた国民はそのことに何の疑問も抱かない。完全にいいように操られているわけだ」
その結果、この男もこうして捕まることになった。彼に国王暗殺を命じた人物は、その目的の裏に隠された真実を明かさずして……。
「では、あなたもその上層部のみが知る“真の理由”というのがわからないのですね?」
「あ、ああ。まあ、奴らから直接聞いたわけじゃないから……確かにわからないんだろうな」
落ち着きなく視線を彷徨わせる男に、アルテミスは眉を顰める。
「? 確証を得ない返答ですね。他に何か気になることでも?」
「いや、知り合いから聞いた噂の中で、妙に現実味な話があるにはあるんだ」
顔を上げた男は、その視線をアルテミスに向けた。
その強張った顔には、先ほどの驚愕や怯みとはまた別の感情が見え隠れしている。
そして次に男の放った言葉は、アルテミスを絶句させるには十分だった。
「俺たちの王、アロン陛下はとっくの昔に崩御されたらしい。わかるか? 今のランスロット王国に、戦争を仕掛ける指導者なんていやしないのさ」
緊張をはらんだ震える声を絞り出し、男は続けた。
「もしこの噂が真実なら、アロン陛下の死去を公にしない政府は完全な謀反だ。しかるべき世継ぎに玉座も与えず、さらには国王の命令という嘘の宣戦布告も公開し、何も知らない国民たちに無益な苦悩を強いている」
「っ!? ……その噂が本当だとして、仮に国王の死去がランスロット国内に知れ渡れば……」
ぎこちなく、ゆっくりと頭を振る男。
「十年以上騙され続けたんだ。怒りを爆発させた民衆が大規模な反乱を起こすだろうな……。それも一国だけの問題に止まらず、反乱鎮圧を掲げた大国の軍隊が一気にランスロットに殺到するぞ……」
国として維持できなくなった小国は、いわば大国に取り込まれるための単なる置き土産でしかない。覇権をめぐる『四大国家』にとって指導者のいない国は喉から手が出るほど貴重な領土であり、それを欲する大国の軍勢が仲良く領土を譲り合うわけがない。
ならば考えられる行動は只一つ。
「戦争が起こる。それも未だかつてない、至上最大の大戦が……」
この時、アルテミスは噂が虚偽であることを切に願った。
二十六話目終了…