第二十五話 破滅の光弾
煙が晴れた。
地を見下ろせばおびただしい数の屍が、空を見上げれば蜥蜴モドキが次なる獲物を求めて飛翔している。
地上では人同士が互いに相反発して殺しあう地獄。
そこに明確な目的があるわけでもなく、ただ兵士たちは目前の敵を殺傷していた。
そんな真っ只中を、臆病者の俺こと神崎桐也は命知らずな馬と走り続けている。
別に俺が望んだことじゃない。この馬が走りをやめないだけだ。
さっきから何度も引き返すように手綱を引っ張っているのだが、この猪突猛進暴走軍馬ときたら嫌がるどころか、そのそぶりさえ見せない。
俺が思うに、きっとこの馬は生まれてくる種族を間違えたのだ。
ただ神様の手違いで元気な雌馬の胎内に宿ってしまったんだろう。そうでもしなけりゃこの馬は今頃とある山岳部で猪として生活しているに違いない。もしくは俺とセレス嬢を散々追い掛け回した毛むくじゃらゴリラみたく気性の荒い魔獣とか…。
その時、全力疾走する俺(正確には馬)の前方を数十人規模の兵士たちが突如として立ち塞がった。彼ら全員身体を覆い隠すような大盾を装備しており、全身をゴツイ鎧でガチガチに固めている。
俺の暴走(正確には馬)を阻止するために進路を塞いでいるのであろうが、いくら完全防御体勢で構えているからといっても、車みたいな速度で突っ込んでくる軍馬を人力で受け止め切れるのだろうか。
「銃兵部隊ッ! 殿下の進路を確保するぞ! 射撃準備!」
銃兵!? お、おい、何をする気だ!
「目標、正面の重装歩兵! 全員銃を構えろ!」
ちょ……待てっ! 正面ってことは俺の真後ろから狙ってんじゃねーか! 弾が当ったらどうして――――――
「撃てぇい!」
瞬間、幾つもの銃声が俺の背後から轟いた。
弾を受けた兵士がバタバタと倒れていく中、俺の乗る馬だけは未だに停止する気配はない。
地に伏す兵士たちを跨いで避けながら見事に潜り抜け、しかも弾の直撃を一発も受けずに防衛線を突破する。
だがしかし、本当に弾が当っていたらどうしてくれていたのだろうか。彼らの銃撃の腕前が確かなものだとしても、絶対に当らないという保障はない。っていうか当るか当らない以前に俺を巻き込んで殺し合いしてんじゃねーよ! マジでちびりそうになったじゃねぇか!
胸中で怒りと不満をたぎらせていると、再び前方に兵士が立ちふさがった。
今度は一人だけだったが、その容姿が人間とは似ても似つかない二足歩行のトカゲである。身軽な軽装だけに身を包み、片手に小剣を構えている。心なしかこちらを睨みつけて唸っているように見えるが、威嚇しているのだろうか。
いやそんな呑気な感想を述べているどころじゃない。あのトカゲ野郎が俺を狙っているというのなら、それはつまり俺に命の危機が迫っているということだ。
兵士との騒動事件を除いて戦闘経験に乏しい俺が、生身でプロの殺し屋と戦おうものならけりがつくのに一分も掛からないだろう。もちろん俺が敗北するという結果で。
――――――あくまで『生身』の場合だが……。
しかし俺には魔術がある。それを使えばこんな爬虫類如き――――
「ココカラサキハ、イカセナイ……!」
そのとき、くぐもった声を出したトカゲ野郎が突如として小剣を投擲した。
見た目とは裏腹に結構な力持ちのようで、投げられた剣は高速で回転しながら俺に向かって一直線に飛来する。
じょ、冗談じゃねぇえええええええええええ!!!!
突然のことで反応できず、俺の身体は硬直したまま動くことができない。引きつった顔の真横を剣が掠めて通り過ぎ、さらには馬の前足がトカゲ野郎を蹴り飛ばしても、俺は馬の上で姿勢を崩せずに固まっているままだった。
いつまでそうしていたのだろうか。正気に戻った時、いつの間にか馬は止まっていた。しかもこの生意気な馬ときたら、早く降りてくれと言わんばかりに小さくいななき、頭を振りながら身体を激しく動かしている。
「ちっ! お前のせいで酷い目に合った……! 酷いモノも見ちまったしな!」
落馬しないようにゆっくり降りた俺は、腹いせに馬の腹を思いっきり蹴飛ばした。そう、腹だけに……。
すると馬は鳴き声を上げるどころか、俺の顔を一瞥だけして走り去ってしまった。くそっ、何だあの馬……。
「……お前……何者、だ……」
えっ……!?
俺の背後から乾ききった声がしたのはそのときだった。
振り返った先にいたのは、地面に膝を突いて苦しそうに肩で息をする一人の男。全身を真紅の甲冑で覆っているが、その光沢を放っていたであろうプレートは今は見る影もなく、煤と血で汚れ、所々砕けて破損していた。
それを見た途端、俺の一時的な落ち着きは早くも消え去った。
そもそも今ままで落ち着いていられたのがおかしい。ここは殺しあいの真っ只中であり、ここまで来る数分の間に幾度となく俺が死に掛けた戦場なのだ。
常識の範囲内で考えれば、俺みたいな健全な高校生が全身血まみれの男に睨まれて正気でいられるわけがなかった。
「お前は魔道士、だな。……何故魔道士が馬に乗る? それに……あの軍団は……」
男は尚も言葉を発する。
傷だらけの瀕死状態であるにも関わらず、焦点の合わない目で俺に質問を投げかけた。
だが俺も何か言葉を返そうにも、恐怖で歯がかみ合わずなかなか返答できない。
それにこちらから話しかけて変に相手の機嫌を損ねてでもしたら、襲いかかってこられるかもしれなかった。男は満身創痍ではあるが、俺一人を殺すのに大した問題はないだろう。
俺が返答を躊躇していると、男は待ちきれないとばかりに身体を乗り出した。
「お前たち…ヴァレンシア軍、なのだろう? 父上は……陛下は、援軍の要請に成功した、のか?」
相手の隙をついて一か八か逃げるのが打倒か……。それとも踏みとどまって魔術を使うか……。
試しに魔力を注入してみたが、突然体中が波打ったように痙攣した。今まで感じたことのない体内の支障に、俺は慌てて意識を切り替えて大きく息を吐き出す。
だ、駄目だ! こんな状態で集中できるわけがない! ――――やっぱり逃げるしかねぇ……。
男を刺激しないよう、俺はゆっくりと踵を返した。
まずは味方の兵士を見つけて匿ってもらわなくてはならない。いつ死ぬかもわからないような死地の真ん中で、ずっと突っ立っているわけにはいかないからな。保身だけはきっちりと確保しておかないと……。
「待ってくれ……!」
「……っ!?」
しかし、男は俺を見過ごすどころか、ローブの裾をこれでもかというぐらいがっちりと掴んで引き止めた。
途端、俺の身体は拒絶反応を起こし、さっきとは違う痙攣が全身を貫く。
「答えてくれ……! お前達は、私たちの国を乗っ取るつもりかっ? この戦に…乗じて、我々の国を支配下するつもりなのか……?」
ななななな、何を言ってるのかさっぱりだだだだから、は、は、は、ははなしてくれぇぇええ!!
必死に引っ張って逃げ切ろうとするが、男の力は思った以上に強く、なかなか抜け出せない。
そうしてる間にも俺の震えは苛烈を極め、寒気のレベルを通り越した鳥肌が湿疹の如く侵食を始めていた。
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漆黒のローブに身を包んだ魔道士が、レイニスの前で馬から降りた。
緊張感の欠片もないその動作は、魔術や矢が飛び交うこの場所では不釣合いで、その者の周りを異様な雰囲気が取り巻いている。
「……お前……何者、だ……」
朦朧とする意識の中、レイニスはかすんで見えにくい相手の顔をまじまじと見つめた。
だがそこにあったのは人としてのありのままの素顔ではなく、フードから僅かに覗く漆黒の仮面だけ。これでは性別や種族がよくわからない。気配の感じられない不気味な佇まいといいい、この魔道士には手慣れのレイニスといえど恐怖を感じるものがある。
「お前は魔道士、だな。……何故魔道士が馬に乗る? それに……あの軍団は……」
レイニスは視線でヴァレンシア軍を示すが、漆黒の魔道士は一言も話すどころか微動だにもしなかった。いや、そもそもこの者が魔道士だという確証がない。軍隊を背後に引き連れ、先鋒を担う指導者的魔道士など存在するはずがないのだから。
「…………」
魔道士はまだ答えない。
レイニスは身を乗り出し、さらに問いかけた。
「お前たち…ヴァレンシア軍、なのだろう? 父上は……陛下は、援軍の要請に成功した、のか?」
父からはあくまで援軍の要請をした、ということしか聞いていない。彼らヴァレンシア軍が正式な要請応答によって軍事行動を展開しているのならレイニスにとやかく言う権利はないが、もし非公式にリディア王国へと軍を介入させたのであれば見逃すわけにはいかない。王の息子として、これだけは白黒はっきりさせなくてはならないのだ。
だから魔道士が去ろうと背中を向けた途端、レイニスは無我夢中でその魔道士のローブを掴んだ。
「待ってくれ……!」
リディアの王族である彼が、動かない身体を無理やり動かしてでも魔道士を引き止めたのは、それほどまでにレイニスが自国への執念と誇りを持っているからに他ならない。このままリディア王国が他国の属国に成り下がるようなら、レイニスはたとえヴァレンシア王国相手にも戦う心づもりであった。
「答えてくれ……! お前達は、私たちの国を乗っ取るつもりかっ? この戦に…乗じて、我々の国を支配する、つもりなのか……?」
黒ローブの魔道士は答えず、レイニスの顔を見ようともしない。ただひたすらにレイニスの縛りから逃れようとローブを引っ張っていた。リディア王子の言葉など聞く耳も持たないというように……。
レイニスの頭を失望が覆う。
この魔道士の様子だと、最初からヴァレンシアはリディアを助けるつもりなどなかったのだと。いや、そもそも「助ける」という名目でここにやってきたのだとしても、彼らの真の目的は東国併合という、大陸の覇権争奪の先がけでしかなかったのだと……。
そんなことを考えながら、ローブを掴んでいたレイニスの手から自然と力が抜かれた。
解放された魔道士はそのままレイニスから距離を置き、警戒したようにこちらを振り返る。顔の部分は全て仮面で覆われているが、恐らくその仮面の下の表情は憎憎しげに歪められていることだろう。血まみれの小国軍人に触れられたのだ。怒っていないわけがない。
だがそれを思うと、やはり悔しくてたまらなくなる。
リディア王国は弱い。個人がどうという問題ではなく、領土や人口、資源と経済力、魔道技術や軍事力あらゆる国事政略において限りなく他国に劣っている。小国相手に全力で挑んでもこのざまだ。国外の干渉を受け入れない中立国と壮語しても、たった一日で国を滅ぼされかけた弱小国家でしかないのだ。
レイニスは支え代わりに地面へ置いた拳を強く叩き付けた。
そして今、父の誇りを取り戻すと壮語した自分が立ち上がることもできないほどに負傷している。これ以上に屈辱なことなどなかった。
キシャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!
もうすでに聞きなれた不快音がレイニスの鼓膜を震わせる。
顔を上げると、上空から降下する一体のワイバーンが目に映った。間違いなくこちらを狙っている。
レイニスはそのまま視線を降ろし、佇んだままの漆黒の魔道士に目をやった。その者もこちらに向かってくる飛竜の姿に気づいたのか、ゆっくりとした動作で上空に視線を移す。
飛竜の背には、竜騎兵が槍を構えて跨っていた。
鎧の装備も他の騎兵と違うところからするに、恐らく隊長格であろう。ヴァレンシアという思わぬ増援に焦り、自ら攻勢に出てレイニスを討ちにきたに違いない。
だが今のレイニスにワイバーンの突撃を避けるほどの余力は残っていなかった。
奇跡でも起きない限り、レイニスの身体はワイバーンの鉤爪によって八つ裂きにされるだろう。
そう、奇跡でも起きなければ――――――
今日で何度目かもわからない死の覚悟をして、目を閉じようと瞼を下ろしかけたその時、
「……爆走ゴリラの次は爆音トカゲってか? ……いい加減腹立ってくるな……」
魔道士が動いた。
両手を飛竜に掲げ、何やらぶつぶつと喋っている。
(まさか、魔術を放つつもりか……!)
だが魔道士の構え方は、レイニスの知る魔術行使のそれとは否なるものだった。
まず最初に手の位置が異なっている。胸元で手を組んで魔力を練るのではなく、この魔道士はただ両手を空に掲げているだけだった。その先に魔法陣が発生しているわけでもない。手を覆い隠すほどの光の塊がそこには渦巻いていた。
そして何より決定的なのが、桁違いの魔力量である。
目視できるまでに高濃度に集束した魔力の塊が、人一人の魔術詠唱によって維持されているのである。驚異的な魔力許容量を誇ると言われる魔人種にも、ここまで制御できる者はいないのではないだろうか。
魔人を見たことのないレイニスに確証はできないが、そもそも人種が行使できる魔力量ではない。もしこのままあの塊が戦場に放たれたりでもしたら、敵味方関係なくこの岩石地帯すら跡形もなく消し灰になってしまう。
考えてからレイニスはぞっとした。
そんなことになったら、ここにいる兵士たちは間違いなく全滅する。それなのに、この魔道士はそれをわかっていてなお、魔術を行使しようとしているというのか。
冗談ではなかった。それで全て終わらせようなら、今まで自分たちが戦ってきたことに何の意味がある? 祖国を守るために命を犠牲にした兵士たちの尽力は? 何もかも無駄になってしまう。
「や、やめろ……。何を、考えている……!? ここには、貴様の味方もいるんだぞ……?」
キシャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!
急速に迫ってくるワイバーンが再び咆哮した。
間に合わない!
そう確信したレイニスは、せめて魔道士の魔術を阻止しようと剣を構える。
(腕を斬りつければ、動きは止まるはず……!)
しかし、レイニスの行動よりも一足早く、魔道士の魔術が完成していた。
バチバチという音が光から発せられ、増大された魔力が一気に収縮する。瞬間、あふれ出した光の塊が魔道士の全身を覆い隠した。
魔力属性は恐らく雷。異常なまでの高濃度な魔力が発生していることから、攻撃系の魔術であることは想像に難くない。
やがて完全に手の平に収まるほどの大きさまでに収縮し、準備が整った魔道士は仕上げの『完了呪文』を唱えた。
「ケラウノスッ!」
死の引き金に答え、こぶし大の光弾は一直線に飛竜へと飛び出した。
魔力摩擦による小爆発を空中に引き起こしながら飛んでいく光弾は、昼間に見える流星としてはいさかか不自然過ぎる光を放っている。それはまるで小さな太陽。火の精イフリートが召喚したファイアエレメントのような、その光弾自体が生命として自分の意志を持っているかのようである。膨大な魔力は周囲に拡散せず、摩擦によって吸収された魔力によって裁きの雷光はさらに膨れ上がった。
高速で飛来した光弾はワイバーンの身体を頭から尾まで真っ直ぐに貫き、そのまま速度を落とすことなく高く高く上昇する。
強力な電撃をくらったワイバーンは即死。体躯を黒こげにしたまま、魔道士のすぐ脇に墜落した。ジュウウゥという焦げる音を出す魔獣の死体は見る影もなく鱗を溶かされ、その背に跨ったままの騎兵はパチパチと電気を纏ったまま絶命している。
そして、空高く上昇した光弾は――――――
空の果てより降り注ぐ隕石の如き振動と存在感を晒し――――――
音速を超える物凄い速度を保ったまま――――――
「そんな……馬鹿な…………」
敵本陣中央の大司令天幕の真上に墜落した。
===============
止まらない。
いくら集中を切って魔力の流出を寸断しようにも、俺の体内から無尽蔵に放出されていく魔力を止めることはできなかった。
その間にも光の玉は徐々にその体積を広げながら眩しく発光し続けている。掲げた腕が不規則に震え、全身が鉛のように重く感じられた。一体この魔力の塊にどれほどの質量があり、俺自身にどれだけの負荷が掛かっているのか計り知れたものじゃない。
手を降ろせば最後、抑制を失った光玉は爆発して終わりだ。周囲の物質ありとあらゆるものを一瞬にして消し去るくらいのエネルギーが噴出し、大勢の生物が死に絶える。もちろん俺も間違いなく……。
だが被害なくして止める方法なんて素人の俺に導き出せるはずがあるわけなかった。
自分でやっておいて勝手な言い草だが、そもそもこんな危険極まりない魔術を発動させるつもりじゃなかったのは確かである。空からは魔獣が襲い掛かり、背後では人が死に掛けている状況で、俺にできることといったら単純に攻撃を弾く無敵バリアみたいな防御系の魔術を作り出すだけだった。
しかしどういう過程で何を間違えたのか、脳内でイメージされた俺の「防御魔術」はことごとく破壊され、現実に引き戻されたときにはすでに遅く、視界は全て煌々と輝く電気の塊で覆い尽くされていた。
『……やはり、あなたのマジックドレインだった……』
その時、混乱と恐怖で渦巻く俺の思考の一角に別の意識が割り込んだ。
俺のピンチに気づいたピロが助けにきたのかと思ったが、その声音は落ち着いていて、いつもの気持ち悪いショタ声ではない。完全に女性の……しかも年若い少女のものだった。
ピロ? ピロなのか!?
『ピロ? ピロは私がつけた10体目の精神生命体の名前……』
は? お前何を言って――――――
冗談を聞いている場合じゃないと言おうとして、俺は頭に響く声にある疑問を感じた。
この声はどこかで聞いたことがある。とても懐かしいようで馴染めていない、つい最近の出来事で聞いたはずの声。
それはこの世界にやってくる以前に始まって、今までずっと消息が気がかりだった全ての当事者。
まさか…………お前――――――
『“お前”は私のこと? それは、私のことを理解した上で呼称した代名詞? それとも、私の名前を理解していないから、知りたいと望むあなたの意志?』
いや……あんたのことは知ってる。忘れるはずがない……。
『そう…………』
次の瞬間、世界が歪んだ。
視界が黒く染まり、肉体がなくなっていくような奇妙な感覚にとらわれる。
やがて俺の身体は虚無に消え、残された精神が闇を漂いだした。五感なんて存在しない、完全な無の空間。いや、“空間”というよりも、この虚無そのものが一つの世界であるかのようだ。
とても心地がいい快楽の世界。
俺にとって、この上ないほど理想な世界。
『あなたの意識を私の世界に取り込んだ……。ここは全ての始発点であり、全ての終末が迎える新たな世界。生命も時間も存在しない、超越空間……』
超越……空間……。
『夜空に瞬く星々が宇宙から生まれたように、無数の星々を抱く宇宙は虚無より生まれた。全ての物質の根源である虚無は、全てを超越する起源と云える……』
ちょっと待ってくれ! ピロは君がこの世界を創生したと言っていた。今の話からすれば、この世界は君が直接関わっていないような気がするぞ?
『私が創ったのは“世界そのもの”じゃない。世界創生後から終末までの“絶対的な世界観の理”の構築。それが役目……』
すまん……バカな俺にもわかるように説明してくれないか?
『……あなたの世界が歩んだ歴史は、人間という生命体が持つ驚異的な繁殖力によって増大、対立し、数え切れない闘争を重ねた結果、現在に至る高度な文明を築き上げた。技術進展が生命という犠牲の上で成り立っているのがあなたの世界の理だというのなら、魔術世界であるフィステリアは、得体の知れない“魔力”と呼ばれる物質に頼り、現在に至る魔道文明を育んできた不明の多い不安定な理といえる。……私は、新たに生まれた世界に役目を与えるのが役目……』
???つまり……世界を区別できるように色をつけているってことか? 種類分けみたいに、特徴づけて?
『………………』
彼女からの反応はない。
何もない真っ暗な虚空に、しばらくの間沈黙が続く。その“しばらくの間”がどれくらいなのかさっぱりわからないが、やがて少女の声が暗闇から響いた。
『…………フィステリアに存在するあなたの肉体は、急速な勢いで魔力を吸い込み続けている』
え? いきなり何を――――――
『このままでは、耐え切れなくなった身体が拒絶反応を起こして死んでしまう。マジックドレインは完全に一方通行だから、今集束している魔力をあなたの制御下から切り離さすしか解決手段がない。私が一時的にあなたに憑依し、暴走している魔術の処分をする……』
お、おい! まだ俺の質問の成否を聞いていないぞ。それに、俺にはまだ君に聞きたいことがたくさん――――――
『ピロから聞いたはず。フィステリアの実質的管理者は私ではなく、万物に宿る精霊たちにあると。すでにフィステリアは、私が創った理から大きく離れている。あとのことは、“彼ら”に聞いて』
じゃ、じゃあ俺が果たさなくちゃいけない使命ってのは何なんだっ? 君が俺に言ったんだぞ。フィステリアって世界で使命を果たせって。
『それはあなた自身が――――――』
そんなのわかんねぇよ!! 俺一人で何をどう探せばいい!? あんたの都合で変な世界に飛ばされて、望んでもない役目を押し付けられてっ! ホントはそんな使命なんてどうでもいいんだよっ!
だから、俺を元の世界に帰してくれ!
俺は懇願した。
もうたくさんだった。現実からかけ離れた幻想の中で、見知った人間もいない危険な世界を一人で使命探しをしろと言われて、素直にはいそうですかなんて承諾できるわけがない。
俺は冒険者気取りの一村人でもなければ、重要な使命を授かった勇者でもない。ただ少し特異体質を持つ、平凡で健全な高校生だ。
異世界に飛ばされて、“使命を探す使命”なんてものを押し付けられて、エンシェントウィザードって変な役割も与えられて、混乱した頭で考えるのがやっとで、ただ周りの雰囲気に流されて……。
そんなどうしようもない俺に、一体何をさせるっていうんだ。
だが、銀髪少女…………もとい『時の賢者』の返答は簡素で、そして俺にとって最も残酷な形で裏切られることになる。
『――――あなたが望んだこと。なら、あなたが自ら見つけなければならない』
やがて暗黒の世界は、脆くも一瞬で崩れ去った。
現実に引き戻された俺がまず感じたのは、眠気を伴うゆったりとした浮遊感と、浅い意識の中で見えるくぐもった光の塊だった。
何故か視界がうっすらとぼやけているようだ。目を凝らそうとしても、顔に力が入らない。そればかりか全身が言うことを聞かない。身体がまったく動かなかった。
俺は焦った。
手を掲げたまま、かなしばりなんて不可解な現象が起こるはずがない。まるで誰かに操られているような――――――
キシャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!
その時、掲げた手の隙間に一体のトカゲモドキを見つけた。空からこちらに急降下してくるその荒々しい姿に、俺は思わず恐怖して小さく悲鳴を上げる。
いや、正確には悲鳴を上げたつもりだった。だが身体の制御が利かない現状、恐らく俺は声を発していないのだろう。
そして、遂には光の玉が収縮を始めた。
溢れ出した電光が俺の全身を包み込み、視界が全て真っ白に染まる。
自分の意志に反して動く腕が、狙いを定めるように徐々に角度を変えていった。見えないが俺にもわかる。狙いは間違いなくさっきのトカゲモンスターだ。
だが攻撃なんてしてしまえば、溜まりに溜まった魔力が爆発して、大変な大惨事を引き起こしてしまうだろう。最悪死人が大勢出る。
『――――あなたの記憶から、あなたの味方と、それに連なる友軍の存在を認知した。この魔力は、あなたにとって敵対関係にある勢力の中心部に向けて放つ。少なくとも、味方に損害はでない……』
なっ!? や、やめろ! そんなことしたら皆死んじまうぞっ!!
『大丈夫……。命を落とすのはあなたの敵だけ。皆死ぬわけじゃない』
そういう問題じゃねーんだよ!! たとえ敵だとしても、俺は人を殺したくなんか――――――
『キリっち!!』
そのとき、俺の思考を遮るようにもう一つの意識が入り込んだ。
今まで応答のなかったピロが、らしくない厳しい声で俺を叱咤する。
『今は賢者様にお任せするのです! 賢者様は最良の手段で、キリっちの命を救おうと自らあなたの身体に憑依しているのですよっ!!』
ふざけんなっ! それで誰かが死ねば意味――――――
『あなたは死にたいのですかっ!!?』
……っ!?
臆病者の俺が偉そうに言えるわけがなかった。
最初から誰かに頼らなければ何もできない俺が、人の命を救うための魔術を、自分が守られるための凶器にしてしまってまで、他人の死を認めることができないこの俺が。
『出でよ、天駆ける最速の槍――――』
「――――裁きの雷光ッ!』
俺の意志とは関係なく出た言葉のはずなのに、それはまるで、まだ見ぬ生者たちへの、死の宣告を突きつけた俺自身の“弱い心”を隠すための逃げの手段であったように思う。
そして“俺”は生まれて初めて人を殺した。
一人だけじゃない。数え切れないほどの……それも同年代の人間の中でも、俺は一番多くの人たちを殺めたのである。
魔獣が俺のすぐ脇に墜落した時には、すでに身体の自由は戻っていた。
向けた目線の先にいた一人の甲冑騎士。息絶えていることに気づいた途端、俺の中の何かが音を立てて崩壊した。
二十五話目終了…
シリアスばかりで頭が痛い。鬱展開はどうしても集中力が持ちません…orz