表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異界の古代魔道士  作者: 焔場秀
第一章 偽りの王子
28/73

第二十三話 トーテム山地の戦い

※主人公でてきません

 そこに広がるのは阿鼻狂乱の地獄絵図。

 人と人が互いの命を捨てて殺しあう戦場だった。


 照りつく太陽の下で繰り広げられる殺戮劇に、もはや目を逸らして現実逃避する余裕も手段もない。

 日の光を受け止めた鎧が、激しく動く兵士に合わせてその角度を変え、周囲に散らばった兵士たちの鎧へと乱反射する。

 幸か不幸か。倒れた兵士に跨って止めを刺そうとしたもう一人の兵士が、自らの持っていた剣の刃の反射光でじかに目を焼いてしまった。

 痛みに呻き、地面を転がり回る兵士は突進してきた騎兵の馬に踏み潰されて絶命する。馬上で槍を構え獲物に向かう騎兵も、やがて弓兵の狙撃に首を射られて落馬した。


 最前線は乱戦一方のまま、戦況は完全に混乱している。

 予期せぬ奇襲に驚き、慌てふためく赤と青の兵士たち。片や陣営を守るランスロット軍。

 僅かな手勢で襲撃し、逃げる敵兵を追い詰める真紅の兵士たち。片や救国を望むリディア軍。


 どちらも後がなく、負けることが許されない戦いで、両軍は敵に背を向けるという撤退行動を完全に廃していた。

 彼らに許されるのは、目前の敵を手当たり次第屠るのみ。

 そこには情けも安念ももちろん存在しない。勝負が決するそのときまで、もしくは死ぬまで戦い続け、己の覚悟と共に使命をまっとうするのである。


 即席で集められたランスロットの騎兵の群れが、進軍するリディアの重装歩兵隊に突撃を仕掛けた。

 彼ら騎兵たちの隊長は、先ほどリディアの魔道士の魔術によってその命を奪われている。指導者を失った彼らに、敵前逃亡する以外でできることはただ一つ。

 隊長を討った忌まわしき敵に逆襲するため、捨て身の覚悟で元凶に突っ込むのだ。


 だがその行動は無謀以外の何者でもない。

 数十人規模で突撃を行った騎兵たちは、リディア軍後方に控えていた魔道士の魔術によってその身を一瞬にして消し灰へと変えられる。奇跡的に生き残った騎兵も、槍を突き出した重装歩兵によって止めを刺されていった。


「向かってくる者は容赦するなっ! 彼奴らは我らの祖国を荒らした重罪人であり、我らの国を害した戦犯者だ!」


 切りつけた兵士の血糊を振り払い、レイニスは戦場にも響く大声で高々と宣言した。

 それに答えるように周囲の味方から怒号の如き喚声が上がり、陣営の最深部に向けてリディアの兵士たちが各々おのおの駆け出していく。


 等間隔で建てられた簡素な兵営が、魔道士の火の魔術によって焼き払われた。風に舞った火の粉が他の天幕にも飛び火し、その勢いをさらに加速させる。まるで荒れ狂う火の化身がこの決戦を楽しんでいるかのように、無慈悲な火炎の死の踊りデス・ダンスは伏した兵士たちを巻き込むのである。その亡骸を糧として、さらなる死と恐怖を振り撒くために。


 戦場を駆けるレイニスにも、その残酷な光景を傍目で目撃していた。

 半狂乱に向かってくる兵士たちを切り伏せ、その死体をできるだけ火元へと転がす。

 

(もっとだ。もっと燃えろ! 燃えてその力を余分なく発揮するがいい! 忌まわしき敵を炎で焼き、その身と精神に大いなる苦痛と死の恐怖を与えよ! 我らが受けた苦しみと同じ代価を……奴らに!)


 レイニスは怒っていた。

 生まれて初めて他者を呪い、その行為自体に何の情も抱かないほどに。

 力なきリディアの民たちを物のように扱い、抵抗や慈悲を飲むことなく、一人残らず惨殺したランスロット軍に対し、この上ないほど張り詰めた神経の一本一本までをも震わせて怒っていた。


 赤の炎と紅の鎧が、互いの色を強調するかのように眩しく耀かがやく。それはとても幻想的でいて、とても絶望的だった。


 


               ===============



「だ、第一防衛線崩壊しましたっ! リディア軍の一部隊が本陣営内に侵入していますっ!」

「第三中隊壊滅ッ! リ、リディア軍の進軍を確認!!」

「だ、駄目です!! 障壁結界プロテクトシールドこれ以上持ちませんっ!!」

「しょ、将軍ッ! 右翼防衛の重装歩兵隊が押されていますっ! こ、このままではっ……敵本隊が本陣に侵入を!」

「第一防衛線の友軍反応消失! な、なんてことだ……第一大隊が全滅……!?」

  

 ランスロット軍陣営の最深部に位置する司令天幕では、映像水晶ビジョンクリスタルを前に幾人もの魔道士たちが戦況の報告を行っていた。

 次から次へと寄越される区報に、ランスロット軍が今ただならぬ劣勢に立たされているのは容易に察知できる。


 その騒々しい様子を、同じく天幕内で聞き受ける軍人がいた。

 彼の名をディリック・ダーナス。このランスロット軍総指揮官を務める将軍である。

 軍階級は中将。十年前のヴァレンシア戦にて一個大隊を指揮した際、見事敵の防衛拠点を落とした功績として、ランスロット国王より将軍職に任じられた、いわばランスロット王国の軍人たちにとって英雄的存在なのである。

 

 しかしそれはあくまで結果的な勝利が彼を昇進させたのであって、特別この男に戦法の素質があるわけでもなかった。

 仕事の雑務は全て部下に任せ、本人はのうのうと自分の身分の高さに酔いしれるだけ。唯一行う仕事といっても、入隊式の締めの挨拶や戦場での最終的指示の取り決めくらいのもの。とてもではないが、万の軍勢を指揮する統率力を備える器ではない。

 それでも多くの兵士たちがディリックの元に賛同したのは、やはり十年前の戦がこの男の外枠を“英雄”という名の名声で覆い尽くしたに他ならなかった。「将軍が部下に仕事を押し付けるのは、それは我々にも活躍の機会をお与えになっているからだ。小さな一兵卒でも、努力次第で軍を束ねる指導者に成り上がることもできるのだと教えてくださっている」。そんな本人すらも予想できない壮大な虚像的英雄観を抱かれたことが、皮肉にもディリックの指揮する兵士たち個人の実力を大きく伸ばすきっかけになり、最終的には『緩衝小国家』の軍隊の中でも指折りの精強軍として発展してしまったのである。


 もちろん、そんな虚偽や誤解から生まれた強さがいつまでも続くわけがない。

 一個人がどれほど強い戦士として力をつけようとも、それを統率する指導者が無能なれば軍隊としての存分な力を発揮することなどできないのだから。

 突如としてリディアの強襲を受けた現状、混乱した兵士たちを纏めることが可能なのは信頼できる指導者。つまりランスロットの兵士たちにとってディリックが唯一の頼みであり、彼の命令が下らない限り戦況を覆すことなど皆無に等しかった。

 

「な、何をしておるのだっ! リディアの雑兵などに遅れをとってどうするっ!? せ、攻めよ! 一斉にかかれば、奴らとて思うように進軍できまいっ!」


 膨れ上がった太鼓腹を揺らし、部下を叱咤するディリックは完全に動揺していた。

 全て順調に事が進んでいたはずが、今になって思いもよらぬ展開を見せたのが何よりの痛手だったのである。このときすでに、ディリックは冷静な判断能力を失うどころか、軍人としての戦術手段をも見出せず、必死に状況を対処する部下へと当り散らしていた。

 

「し、しかしディリック様! 攻め手を真っ向から迎撃すれば、我が軍の被害も少数では済ま――――――」 

 魔道士の言葉を遮り、ディリックは拳を椅子の肘掛に振り下ろす。


「そんなことを言っている場合かっ! 我が軍が苦戦しているのだぞ!? もっと増援を出さぬか! そ、そうだっ! 虎の子を……飛竜隊を向かわせろ! 我が陣営内を侵す蛮兵どもを蹴散らすよう命じるのだっ!!」

「りょ……了解です……」


 その尋常でない圧力に押されたか、はたまたその言動に鬼気迫るものを感じたのか、指示出しを行っている魔道士はうろたえながらもディリックの命令に従った。


 このとき、もしこの魔道士がディリックの挙動や表情の変化に何らかの疑問を抱き、将軍に対して冷静になるよう忠告することができたならば、あるいは襲撃を受けたランスロット軍の被害を最小限にとどめることができたかもしれない。数で圧倒的に勝るランスロット軍が、その数に劣るリディア軍に長時間劣勢を強いられるなど本来はありえない。軍の指導者たる者が戦況を冷静に見極め、なおかつ正しい対処を行えばこそ切り開けた劣勢が、一人の盲目な指導者によって大きく変えられるなど、ディリック本人はもちろん、その部下たちでさえ知りえなかったのである。




                ===============   




 キシャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア――――



 それは人のものとは思えない異質な叫び声だった。

 まるで金属同士を強く擦りつけたときの摩擦音みたく、身体の芯にまで響いてくるかなり声がレイニスたちの頭上から降り注ぐ。


 レイニスは総毛立った。

 間違いない。この鳴き声は、あの忌まわしき“絶望の翼竜”のもの。リディアの精鋭軍である騎士団を壊滅寸前にまで追い込んだ、ランスロットの切り札にして主力の兵器。


「……遂に現れたか。我が仇敵ども……」


 レイニスは見上げた。

 そこにあったのは、空を舞う十数体の魔獣の群れ。

 日の光をその巨体で半ば遮り、強靭な鱗翼を振るって空中を漂う姿はまさに空の王者を連想させる。飛竜ワイバーンたちの背には完全武装した兵士ライダーが手綱を握ってこちらを見下ろしていたが、レイニスには彼らがあの飛竜たちを操っているなど到底思えなかった。

 それほどまでに、ワイバーンには見る者を圧倒する存在感があった。魔力を糧とする魔獣だけに、その鱗で覆われた表皮からは紫に着色した高濃度のヴェラがにじみ出ている。



 その兵種の起源は今から六百年前。

 このエリュマン大陸から遙か東にあるガーナ大陸だとされている。

 肉弾戦の影響で膠着する戦場の上空を自由自在に飛び回り、兵士たちの無防備な頭上に強烈な酸を撒き散らして攻撃する。

 それは全ての戦にとって何もかもの状況を覆させる戦法であり、その兵種を所持する国家は当時最強の軍事力を誇るとまで伝えられるほどだったのである。


 その兵種の名を“ワイバーン騎兵隊”。

 このエリュマン大陸にその戦法が渡ってきてからというもの、新たに“飛竜隊”とまで改名されて今にまで現存しているのだ。


 しかし飛竜となるワイバーンは、世界でも凶暴で残虐な魔獣として恐れられている。

 野生のワイバーンを捕獲し、軍用飛竜として育てるにしても、その取り組みは一筋縄ではいかない。

 まず第一の取り組みとしては、特別な訓練を受けた竜使いワイバーンブリーダーがワイバーンを飼育、調教し、飛竜と人間たちの間に主従の関係を理解させる必要がある。

 第二として、騎兵ライダーとなるワイバーンの騎乗者が常に飛竜に付き添い、背に乗せることを承諾させるに至るまで密接に交流することである。

 知性を持つ龍族とは違い、ワイバーンの扱いは極めて困難。それを手なずけ、思い通りに操るすべを手に入れた飛竜騎兵ワイバーンナイトたちは正真正銘真の実力を持った戦士たちであり、その集合体である“飛竜隊”は一軍と対等に渡り合えるほどのエリート集団となりえるのだ。


 そして今、その精鋭部隊がレイニスたちの上空に立ちはだかっている。

 まるで地上の獲物捕獲を算段するかのように、鎌首をもたげてリディア兵たちを睨みつける飛竜。

 篭手に覆われた手が不自然に汗ばみ、レイニスは思わず剣を取り落としそうになった。

 

(怯えるな! 私はこの戦いに全てを賭けた身。たかが魔獣相手に何を臆することがあるか!)


 自らを鼓舞し、圧倒的戦力差を気合で埋めようとする心意気は愚かな真似に過ぎない。だがそうでもしなければ、今この飛竜隊を前に冷静でいられるはずがなかった。一軍の指導者としてもっとも強い意志を保ち、後ろに続く部下たちの先駆けとなることこそが、高い士気を維持するための最終手段と言っていい。ここで怖気ついて敵に背を向けた暁、リディア軍は瞬く間に瓦解して戦闘集団としての組織的能力を失うこととなるだろう。

 そうなればもはや、この国に抗う力は残されていない。数百年以上繁栄し続けたリディア王国は敵の落ち、いつまで続くかもわからない圧政に国民が苦しめられ続けるのだ。


 それだけは何としても阻止せねばならない。たとえリディア軍が全滅しようとも、せめてランスロット軍の侵略継続を不可能にするまでは、国を守る誇り高い戦士として負けることはできなかった。


 そのとき、空中を漂っていた一体の飛竜が突如として地上へと急降下した。

 完全に油断してい兵士たちが戦闘態勢に入るのも束の間、その飛竜はレイニスの右隣にいた弓兵を鋭い足の鉤爪で掴み取る。


「っ!? しまった……!」


 すかさず剣を振りかぶり、ワイバーンの足首目掛けて斬りつけようとする。


 しかし――――――





「レイニス様ッ!!」


 どこか遠くのように感じられた副官の呼び声。それから一瞬遅れて全身に圧し掛かる異様な殺気。

  

 考えるというより、ほとんど反射的に動いた身体を大きく前に投げ出した。

 


 キシャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア――――!!



 次の瞬間、うつ伏せで地に倒れたレイニスの頭上を鉤爪が通過した。

 風を切る音と異質な鳴き声が鼓膜を震わせる。直撃こそ免れたものの、攻撃を避けたレイニス自身生きた心地はまるでしない。

 すぐ近くで上がった悲鳴に首を向ければ、先ほど捕まった弓兵が空中で掴み潰されていた。


 残酷な光景に思わず目を背けたくなるのを堪え、レイニスは立ち上がって後ろを振り返る。

 彼を襲った別の飛竜は、再び上空に昇って旋回していた。相変わらず耳障りな鳴き声を上げ、時折大げさに首をもたげている。


「騎士団長ッ! ご無事ですか!?」


 駆け寄ってきた副団長に、レイニスは小さく頷いてそれに答えた。

 苦笑を浮かべたまま顎で空を示す。そこには未だ空中に漂う“飛竜隊”と、部隊から離れた二体の飛竜が次の獲物を狙うためにゆっくりと降下していた。


「私を仕留めそこなったことが余程悔しいらしい。魔獣の分際で小賢しい感情を持っているようだな、ワイバーンなる飛竜は」

「他の飛竜どもに動きがないのは何故でしょうか? ……現状で我々に攻撃の機会を与えるなどふざけている……」


 こちらは弓兵と魔道士が攻撃の構えを見せているのに対し、その飛竜たちはというとまったく反撃する動作を見せていない。あくまで落ち着いた様子で戦場を見下ろしていた。


「もしや、あの二体の飛竜は我が軍を挑発するための囮なのでは……?」

「そうであるかもしれないし、もしくは別の企みがあるのかもしれない」

「……と、いいますと?」


 首を傾げる副官に、レイニスは横目でその視線を受け止めた。

 先手で襲ってきた二体の飛竜は既に弓矢の射程範囲にまで迫ってきている。今ここでレイニスが命令を下せば、数百本という鉄の雨がワイバーンに降り注ぐだろう。だが別の“飛竜隊”が控えている今、迂闊に遠距離型の兵士を割くことはできない。魔道士の魔術もあるにはあるが、詠唱が必要なのでやはり大きな隙ができてしまうため、魔力温存のためにも気軽に使用することもできなかった。


「たとえば……先行して我らを攻撃したあの二体の飛竜は新参者だったりな……」

「――――それはどういう……」


 レイニスは懐から一本の短剣を取り出した。

 刃渡り20cmほどの小さな刃物だったが、敵を迎え撃つには十分過ぎる大きさである。刃に手を添えて軽く擦ると、刀身が低い音を発生させて震え出した。


 『堅貫の剣バゼラードソロゥ』と呼ばれるこの短剣は、凝縮した魔力を刃に付着させて鋭さを向上させる“魔道兵器”の一種である。手持ちで戦うより投擲で用いられることが多く、岩石類ならば容易に貫くことができる強度を持っている。もちろん、ワイバーンの鱗を貫くことも可能だろう。


 レイニスが今から何をするのかわかったのか、副団長は息を呑んで騎士団長を神妙な表情で見つめた。


「はずせば……一環の終わりですぞ?」

「わかっている。だが今使わないでいつ使うというのだ」

「投剣はあまりお得意ではなかったように思いますが?」

「…………怖いのなら離れていろ。万が一私が失敗したときのためにな」


 

 キシャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア――――!!

 

 甲高い鳴き声を上げ、再び飛竜が急降下してきた。

 地面に脚をかすらせながら迫る巨体に、少なからず兵士たちが跳ね飛ばされる。間一髪避けた者も、強靭な翼の突風に煽られて地面に叩きつけられた。

 

 風で舞い上がった土や砂が飛竜の周囲の視界を遮る。

 だがレイニスは一歩も引かず短剣を振りかぶり、同じく飛竜に狙いを定めた。


「――――――逃げないのか?」


 視線を合わせず、レイニスは後ろに控えた副官に問う。

 

「私はあなた様に忠誠を誓った身。上司に全てを任せ、部下である私が傍で見守るなど野暮というものでしょう」

「死まで共にすることなどないんだぞ?」

「ほぉ……失敗はされないのではありませんか?」


 相変わらずの皮肉な返答に、レイニスは自然と頬が緩んだ。

 

「ふっ……万が一の話だ」


 そう言って、レイニスは前方に向かい『堅貫の剣バゼラートソロゥ』を投擲した。

 低い唸り声のような音を発して、魔術強化された短剣は一直線に飛竜へと飛んでいく。その速さは目標に迫るにつれて増していき、飛竜まであと1デイズにまで達した時には、既に目で追える速度を上回っていた。


 そして――――――


 グギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア――


 短剣は飛翼の根元を貫いた。


 痛みに呻き、飛行能力を失ったワイバーンはそのまま地面に激突。竜騎兵ライダーを鞍から弾き飛ばし、二、三度体躯を跳ねさせてレイニスの目の前で止まった。


「…………」


 レイニスは無言で剣を構える。

 ぐったりと横たわる飛竜を見下ろし、微かに息があることに気づくと、彼は不快とばかりに顔を顰めた。 


「数多くの同胞を屠った仇だ。恨むなよ……」


 上段構えから剣を振り下ろし、弱った飛竜の首に突き刺す。

 肉が潰れる鈍い音が響き、飛竜は短い鳴き声のあと完全に動かなくなった。


 絶命したのを確認し、レイニスは剣を引き抜く。

 まだ終わっていない。まだ本陣の軍隊と“飛竜隊”が残っている。


 レイニスは見上げた。

 太陽を背に、こちらを見下ろす“仇”を睨みつける。


「ふざけるのも大概にしろっ!! これは命を賭けた闘争であり、我らはリディアの誇り高き王国軍である! 新兵に功績を取らせる為、わざと二体だけを私に差し向けたのであろう! でなければ、精強と謳われるそなたら“飛竜隊”がこれほどまでに弱輩なわけがないっ!」


 レイニスは空にいる竜騎兵たちに向かって叫んだ。

 いつの間にかもう一体のワイバーンは飛竜の群れに還っている。差し詰め仲間が討ち取られて錯乱したか、レイニスが単体で大型の魔獣を仕留めたことに怯えたのだろう。噂に聞いた命知らずな騎士とは正反対だ。


「本気で来るがいい! 私は――――我々は決して逃げぬ! 貴様らが真の戦士ならば、その実力を私に見せてみろっ!!」


 レイニスは剣を掲げた。

 その途端、それが合図だったかのように後方から弦を弾く音が重奏する。

 レイニスの頭上を越え、幾百の矢が飛竜たちに殺到した。



                ===============



 ヴァレンシア王国の首都、イグレーンの中央にそびえる“ヴァルハラ宮”は、技術進展の遺産とまで謳われる大陸最古の宮殿として知られている。

 代々ヴァレンシア王家の居城に使われ、完成当初でも地震災害や嵐にも耐え抜くほどの堅牢さであったらしく、史書にも過去ヴァルハラ宮が風化や倒壊に見舞われたという記述は一切記されていない。


 というのも、実はこの宮殿や街を囲む城壁には特殊な耐久魔術が施されており、造られた建造物が丸ごと固定化されているからであった。

 街一つを全て無制限に維持する魔術は、魔道技術が盛んだった当時でもかなり大掛かりで困難な作業だったらしく、体内の魔力を切らして命を落とす魔道士も少なくはなかったらしい。


 しかしそんな努力の甲斐があってか、宮殿は今日に至るまでこの国の象徴として使命をまっとうしている。ヴァレンシアが栄えある大国として国外に認知され続けたのは、存外ヴァルハラ宮のおかげと言っても過言ではないだろう。

 


「もしやキリヤ王子は化け物なのか? まさか……『ティタノ・ヨトゥン』の主柱を“魔力だけ”で打ち抜くなんてあり得ない」


 しかしこの日、宮殿内部のとある広間で、建築士にとって聞き捨てならない発言をする者がいた。

 彼の名はヴィクター・マイルーン。ヴァレンシア王国所属の宮廷魔道士である。彼は昨日起こった“支柱爆破事件”の処理全般受け持ちをオレイアド内務大臣に命じられ、破壊された『玉座の間』の支柱の補修工事調査を行っていた。調査内容は、“爆破対象になった柱の状況と、その時行使されたキリヤ王子の魔術の余波より、残留したヴェラの属性を測定すること”。

 最初は嫌々ながらも現場検証のためこの広間に赴いたのだが、今では休憩を惜しむことなく支柱を調べることに没頭していた。というのも、ヴィクターがこの部屋に足を踏み入れた瞬間、彼は己の感知範囲センスエリアに異常なまでの魔力濃度を感知したからであった。それはまるで源泉ゲートからヴェラが溢れ出るように、ヴィクターが広間の大扉を開けた途端、物凄い量の魔力が内から外に向けて放出したのである。

 並大抵の魔道士なら気を失ったかもしれない。それほどまでに高濃度な魔力の塊が、しかも広すぎる『玉座の間』に充満していたのだから。


「よく今まで誰も気づかなかったな。下手をすれば、“魔力摩擦”で宮殿ごと吹っ飛んでいたかもしれない」


 床に散らばった柱の欠片を手に取り、ヴィクターは呆然と呟いた。

 それを後ろから窺っていたオレイアドが、翼の羽毛を手で梳きながら広間を見渡す。


「ふむ。確かにここまで広い部屋で溜まりに溜まった魔力が暴発すれば、そんな事態も起こり得たかもしれませんね。もしかすれば、街ごと消滅したかもしれません」

「確かに、その可能性も否定できないな。何せイグレーンは街そのものを巨大な結界で構築したようなものだ。外部へ魔力が拡散できずに、街の中に集束したらそれだけでボンッだ」


 ヴィクターは爆発を表現するかのように、握り締めた手を弾いて開いた。


 街は宮殿に比べ、多くの人たちが暮らしている。もちろん皆体内に適応量の魔力を滞在させているに違いない。集束した膨大な魔力が、体内の魔力と融合してさらに拡大すれば、その濃度は計り知れない。


「それにしてもわかりませんねぇ……。キリヤ殿下が魔術で――――いや、“魔力の塊”でしたか? それを柱にぶつけた時、殿下の発した魔力はこの広間に拡散したはずです。何か特殊な魔道具で魔力をかき集めたのならまだしも、広範囲に散った魔力が何故今に至るまで増大したのでしょうか?」


 オレイアドは顎に手を当て、作業に没頭するヴィクターの後ろ姿に問いかける。

 彼は集中していたせいかしばらく反応がなかったが、ローブの中から魔道具と思われる四角い箱を取り出してようやく口を開いた。


「この広間に建つ六本の支柱には全て二重の魔術防御プロテクトが掛けられていて、中級魔術程度の攻撃ならびくともしない頑丈な造りになっている。今回、キリヤ王子の放った魔術まがいの攻撃がその一本を打ち抜いた時点で、すでに魔力の濃度はこの広間にあるもの全ての魔術耐久度を上回っていたんだ。……つまりどういうことなのか、セイレンの賢人であるあなたなら、僕の言いたいことぐらいわかるだろう?」


 オレイアドの方を振り返ったヴィクターは試すような笑みを向けたあと、返事を待たずに顔を背けて作業を再開した。


 広間の支柱に魔術防御プロテクトが施されているのはオレイアドも知っている。どこまでの魔術に耐え切れるかも、かつて試作実験の発表会に参加したことがあるから言うまでもない。

 だがキリヤ王子が放った魔術が柱を破壊したことと、広間に魔力が充満したことにどう関係するというのだろうか。


 オレイアドは考えを中断し、ヴィクターの作業に目を向けた。

 彼は先ほど取り出した箱を慣れた手つきで扱い、上部のふたを開けて中に支柱の欠片を入れているところだった。ふたを閉めて軽く振り、側部についた突起装置を押す。すると箱は低い駆動音を上げて小さく震え出した。

 思わず興味心をそそられ、オレイアドは何の魔道具か知りたくなった。


「その魔道具は見たことありませんね。あなたが作ったのですか?」

「ああ。物質に付着する魔力濃度を調べるための装置さ。相反する魔力波を対象物に当てて、物体の中から魔力を反発で押し出すんだ。少し強引なやり方だが、これが一番手っ取り早いんでね」

「しかし、その大きさだと調べられる物も限られてくるのではありませんか?」

「これはまだ試作品だ。これから改良して幅を広げていくから問題はない。まったく、イアソンにも同じようなことを言われたぞ?」


 ふて腐れたようなヴィクターの呟き声に、オレイアドの顔には自然と笑みが浮かんだ。


「それは……どうも失礼しました。いえ、何分知りたくなると躊躇しない主義でして」

「……どうやらあなたは、政治家よりも学者の方がお似合いのようだ」

「ふふ……お褒めの言葉として受け取っておきますよ」

 

 そのとき、ヴィクターの手にした箱から紫色のもやが発生した。どうやら箱の中から出てきているようで、側面に空けられた小さい穴から溢れて出している。随分と濃度の高いヴェラのようだ。


「……やはり、残留した魔力が原因か……。だが、どういう現象が起こればこんな状態に……」


 「残留した魔力」というヴィクターの独り言に、オレイアドの中にある一つの仮定が浮かんだ。

 もしかすれば、広間に魔力が充満した理由がわかったかもしれない。


「まさか……拡散した魔力が増大したのは……残留した魔力がこの広間の魔術効果を喰らったから?」

 

 確証はなかったが……いや、そもそもこんな現象は信じられないが、オレイアドはたどり着いた一つの仮定を漏らした。

 

「“喰らった”という比喩表現は少々納得いかないが、まあ……あなたの推測は大方間違っていない。キリヤ王子の魔力は、恐らく拡散せずに爆発現場周辺で停滞していたんだろう。何せ術式も組まれていない魔力の塊が魔術防御プロテクトの掛かった柱を吹き飛ばしたんだからな。そんな高濃度の魔力が質量を無視して拡散するなんて無理だ。考えられるのはただ一つ―――――」


 ヴィクターはオレイアドに近づき、手元の箱を手渡した。

 もう蒸散していないのか靄は出ていない。

 

「キリヤ王子の魔力には、魔術効果を打ち消し魔力に還元する作用が働いている。それがキリヤ王子ご本人の意思で起こした能力であろうとも、普通の魔道士が宿す魔力と根本的に違うのは明白だ。王子の魔力は周囲の魔術効果を打ち消しながら融合、拡大し、やがては広間を覆い尽くすほどの大きさにまで発達した。もうこの広間にある全ての物体というべき物質には、魔力の粒子すら残っていないはずさ」

「なっ!? そ、そんな馬鹿な! あり得ない!」


 オレイアドは驚愕した。

 個人の魔力が、数十人集めて施した魔術防御プロテクトを上回るなんて信じられなかった。 


「だから僕も言ったんだ。『ティタノ・ヨトゥン』の主柱を“魔力だけ”で粉砕するなんてあり得ないってね。だが実際調べてみれば、その真偽を確定付ける証拠がその欠片にはあった」


 ヴィクターはオレイアドの手元にある箱を指差す。

 箱の中に納まる魔力が抜けきれた欠片は、すでに歴史的遺産としても大した価値も持たないただの石と化しているはずだ。


「この支柱の欠片が、この広間に残された最後の残留魔力だったというわけですか……」


 原因はわかった。

 だがそうなると、キリヤ王子は一体何者なのかという探求心に駆られてしまう。

 魔術ならぬ奇跡の術を扱い、魔術効果を打ち消す魔力。上級魔道士マスターウィザードらしいが、それはあくまでアレクシード王より聞いた話でしかない。真実は全て闇に埋もれたままだった。


「それにしても、魔力の放射だけでここまで武器に転換してしまうとは……。一度キリヤ王子と真剣に話を通してみたいものだ」


 ヴィクターがいつになく上機嫌に話していたが、オレイアドはまったく聞いていない。

 彼の思考の大半を覆っていたのは、“魔道士として”のキリヤの正体だった。


「そうですね……。次はイアソンあたりにでも調べてもらいましょうか……」


 知りたくなると躊躇しない主義であるという性格が、いかに厄介だということをキリヤが身を持って知るのはまたしばらくあとの話である。



              

 二十三話目終了…

 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ