第二十一話 古代魔道士の役目
更新遅れて申し訳ありませんでした!
ガツンッという打撃音を響かせ、俺に突進してきた槍兵たちは後頭部から盛大に転倒した。
しかも奇跡的に全員が同じ体勢でひっくり返ったものだから、その音は気持ちいいくらい甲高い合奏となって俺の全方位から鳴り渡る。
『いやっほぉぉぉぉ~! やりましたのです! これで二十五人ッ! 後九七五人なのです!』
さっきから異様にテンションが高いピロは、睡眠不足で痛む頭の中でお構いなしにはしゃいでいるわけだが、俺としてはまったく喜ぶ気にはなれない。
お、おいピロ坊! あの兵士たち頭から落ちたぞ!! 死んだりしてないだろうな!?
転んでからぴくりとも動かない兵士たちに俺は焦った。
健全に生きてきた俺が、異世界にきて人殺しなんてレッテルを貼らされたりでもしたら、俺は一生その罪に責任を負い続けなければならなくなってしまう。それだけは絶対に御免だ。
『心配ないのですよ。彼らは防具を被っているのです。脳震盪で気を失っているだけなのでしょう』
い、いや……脳震盪でも結構やばいんじゃ……。
「ば、馬鹿な!? 何だ今の魔術はっ!?」
そのとき、俺を取り囲む兵士の一人が裏返った声で叫んだ。
しかもよりにもよってそいつは、俺のことをランス何たらの“刺客”と暴言を吐いた兵士のようで、倒れたまま動かない仲間を凝視したまま後ず去っている。
「お、おい見たか!?」
「ああ……。詠唱もなしに魔術を発動したぞ……」
「違う! あれは魔術じゃない! 印も詠唱もしない魔術などあるわけないだろう!」
「じゃ、じゃあ今のは何だったんだ……? 地面がいきなり光ったと思ったら、槍兵たちがひっくり返って……」
「あの魔道士……いったい何者なんだ……?」
四方八方からひそひそと兵士たちの話し声が聞こえる。
どうやら俺のことが話題になっているようだが、面と向かって話をしない奴はどうもいけ好かない。影でこそこそと話すなら心の中だけで留めとけよ。
あ~ちくしょう! 武器持った野郎どもが健全な少年を取り囲んでひそひそ話ってどんな羞恥プレイだよ! 不良に集団リンチされた方がまだ大分マシっだっての!
と、俺が心の中で怒りを爆発させた瞬間。
「ちょぉぉおおおおおおっと待ったああああああああああ!!!!」
恐らく今までの乱闘の中で一番大声であろうその声は女性と思われるソプラノボイス。
こっちの世界に来てから一番最初に出会った異世界人であり、対人恐怖症の俺が身内以外で初めて身体に触った唯一の女性。
「ほら! そこ空けなさいよっ! 通して! 早くどいて!」
群がる兵士たちを掻き分けながら俺のところにやってくる一人の少女は、分厚い鎧を着込んだ男たちに押し返されそうになりながらも懸命に突き進んでいく。
『あの少女は、ヴァレンシアの宮廷魔道士のようですね……。風の魔術でも使えば、兵士の壁など吹き飛ばすことも容易でしょうに。何故わざわざ単身で割って入ったのでしょうか……?』
「…………」
俺にもそれはわからない。
屈強な男たちの中に少女がいること自体不自然であるのに、さらにその中へ乗り込むというのは男の俺でも謹んでお断りしたいような勇気ある行為のはずだ。
王様相手に堂々と文句を放つ男勝りな態度。
魔獣が跋扈する森の中へ危険を省みず踏み込む猪突猛進な性格。
かつて俺が憧れた“男らしさ”を兼ね備える彼女は、今こうしてそれを実行している。
死の恐怖に怯え、チートな能力に頼り切った俺とは比べ物にならないくらい、彼女は勇敢だった。 それが悔しくもあり、羨ましくもあり、自分があまりにも情けない存在だということを改めて自覚する。
「キリヤ君ッ!」
純白のローブを翻し、金髪ツインテール少女は俺の傍に走り寄った。
ここまでずっと走ってきたのか、彼女は胸に手を当て大きく肩で息をしている。
「セレス……」
「良かった……まだ……無事だった……」
俺の姿を見て安堵したのか、セレス嬢は途切れる息で大きく嘆息してその場にへたり込んだ。
「お、おい……。大丈夫か……!」
「へ、平気……。少ししたら……落ち着くから……」
「お前たち! 直ちに武装を解除しろっ!」
「なっ!? りょ、旅団長!!」
次いで聞こえたのはキムナーさんの声だった。
とても怒っているらしく、激しい叱咤が兵士の輪の向こうから響いてくる。
「し、しかし旅団長! あの輩はマサキ小隊長に危害を加えた不届き者で……」
「黙れっ! 殿下への暴言は許さんっ!」
「で、殿下……?」
ザッ!
一斉に俺を振り返った兵士たち。
そのシンクロした動作に、俺は驚きよりも先に恐怖感を感じた。
な、何だ……?
「もしや……あの者――――あのお方が?」
「確かに黒い髪をしているが……」
「見ろ! 傍で膝を突いている人ってセレス様じゃないか!?」
「本当だ! あの“噂”で有名な宮廷魔道士の……」
「セレス様が……他の魔道士に頭を下げている……」
「夢……じゃないよな?」
「あのセレス様が、他の魔道士に敬意を示すなんて……」
「じゃ、じゃあやっぱり、あの仮面の魔道士は……」
あー何か色々誤解が蔓延っているようだが、お嬢は別に俺に頭を下げているわけではないぞ?
ただ息を整えるためにうずくまっているだけであってだな……。
「そうだ! あのお方こそ、今回のリディア救援軍を指揮されるキリヤ様であり、現ヴァレンシア国王陛下の弟君、キリヤ殿下であるぞ! 今の貴様らに少しでも正気があるのなら、その刃を収め、殿下にお赦しを乞うがいい!」
「…………」
何かキムナーさんの性格変わっている気がする。
とはいってもまだ出会って間もないからキムナーさんの性格とかよくわからないけど、少なくとも俺の第一印象的としては優男って感じがしたんだが……あれが本当の人格とかじゃないよな?
何だかんだあったが……まあ何だかんだっていうのが何なのかと問われれば、それは俺が貴様隊長(本名はマサキというらしい)を吹き飛ばしたせいで、俺のことを敵だと誤認した兵士A(以下B~)たちが、俺のことを殺そうと躍起になったことなんだが、そんな騒動も一旦落ち着き、後に俺の元へやって来たファーボルグという名の大男に連れられて、司令本部と呼ばれる天幕に赴いていたりする。
「…………」
「…………」
右からセレス、俺、アレクの順に用意された椅子に座り、俺たちの前方には膝をついて頭を垂れる貴様隊長もといマサキ小隊長以下、俺に攻撃を仕掛けてきた兵士たち数十名が集まっていた。
しかしいくら司令部と呼ばれる大きな天幕だからといって、何十名もの人数を中に入れることはできない。仕方なく野外に椅子を並べ、そこに騒動の関係者を一同に集めているわけだが、俺の全力の魔術をもろにくらったのにも関わらず、いたって普通の状態だった兵士たちに俺は心底驚いた。
特にマサキ小隊長の場合は、トラックに跳ねられたほどの衝撃を受けて吹き飛んだ後、硬い鉄の塊の中に突っ込んでテントの下敷きになったものだから、軽くても全身骨折はしていると思っていたのに今見る限り骨は折れていないようだ。あの甲冑が身体を守ってくれたとは信じられないし……では奇跡に打ち所が良かったのだろうか?
『神聖祈祷師が彼らの傷を癒したのでは?』
セイクリッドヒーラー? 何だそれ?
ごく自然に思考に割り込んできたピロの声に、俺は思わず聞き返した。
『世界中に充満する魔道元素、ヴェラを用いて生物の傷を癒す術を身につけた祈祷師……と言ったらキリっちにはわかりますか?』
うーん……要するに、回復魔術を使える魔道士みたいなものなのか?
『魔道士とは違うのですが……えーっとですね……。基本的に、術を使う際にヴェラを利用するところは神聖祈祷師も魔道士も大して変わらないのです。ただ、その“術”を行使するまでの過程が魔道士と祈祷師との間で大きく違ってくるのですよ』
過程? 詠唱とか、印とかいう方法のことか?
『はい。魔道士は印を結ぶことによって体内の魔力属性や性質を変換し、詠唱によって体外に魔力を放出して魔術を発動しますが、神聖祈祷師は森羅万象に宿る精霊たちに祈りを捧げることによって、対象者の加護や恩恵を叶えるのです。“森の精ニンフ”に祈りを捧げたのなら毒の浄化を。“水の精ウンディーネ”に祈祷したのなら心身の治癒効果を得られる、といった具合ですね』
へぇ~……精霊の加護ってやつか。それじゃあ兵士たちの傷が癒えていたのは――――――
『ウンディーネの恩恵を受けて回復したのでしょう。ふんっ。賢者様の恩も忘れて、精霊たちも随分と気ままなものなのですよ……』
どういうことだ? 何故そこで時の賢者が出てくる?
『精霊たちを創ったのが偉大なる賢者様だからですよ。世界創生期に生み出されたフィステリアの最初の生命が精霊たちなのです。彼らは賢者様からフィステリアの管理調整を任されていたはずなのに、今ではその管理すべき生命に恩恵を与えているんですよ!? 生きることができるのも全部賢者様のおかげだというのに、何を考えているんだか……』
おいちょっと待て! お前の言う賢者様っていうのは銀髪の黒いドレスを着た女の子だよな? あの子がこのフィステリアって世界を創ったとして、その管理調整を任されていたっていうのは何だ?
『そのままの意味なのですよ。創り出された世界はその世界を創った者が管理し、以後その世界の行く末を滅びの時まで見守り続ける……。フィステリアを生み出した賢者様はその管理を精霊たちに任せ、大いなる災いに備えるための新たな生命を生み出したのです』
それがお前だってか? 知的精神体。
『そうだったら光栄至極でしたよ。ですが小生ではありません……。賢者様は大いなる災い……つまり世界の均衡が崩れるほどの大事件が発生したときに速やかに対処するため、自らの分身をフィステリアに生み落とし、その者にある一つの使命を与えたのです……』
「…………」
ピロに先を促すため、俺は質問を返さなかった。
『時の賢者』絡みだと何かと俺にとって都合がいい。この世界の知識を蓄えることにも繋がるし、何より銀髪少女が俺に言った“使命”のことについて役に立つことがあるかもしれない。
俺は目を瞑り、全ての神経をピロの意識に集中させた。
俺の隣ではファーボルグ将軍が声を張り上げ、膝を突いた兵士たちを叱責しているのが聞こえる。
だがその大きな声もだんだんと遠くなり、やがて周囲に無音が降りた。
どうやら俺のチートな体質は精神統一にも強く影響を及ぼしているらしい。だとすると兵士たちに囲まれて襲われたとき、上手く魔術を発動することができたのも頷ける。きっと今の俺は禅宗の僧侶でも真似できない集中力を発揮しているに違いない。
『その使命とは……フィステリアの破滅を防ぎ、世界を正しき姿に導くこと……』
外部の音が閉ざされた精神の世界。ピロの高い声だけが頭に響き、言葉が一言一句脳に刻まれる。
『かの者は賢者様のご指示に従って使命を守り、余生をこの大陸で過ごしました。その者の名はエリュマン。“魔道技術”の基盤を築いた魔道学者であり、世界で最初の古代魔道士です』
どくんっと俺の心臓が大きく脈打ったのがわかった。
緊張で息が詰まり、頭がクラクラする。
エンシェント…ウィザード……。
あの子も俺をそう呼んだ。エンシェントウィザードとしての使命を果たせと、俺に言ったんだ。
だがその使命というのが何なのかわからないまま、俺をこの世界に連れてきた首謀者……銀髪少女も姿を見せていない。樹海に迷い込んだ子供みたく、理不尽な召喚によって放置された俺に自力で何とかする手段もなく、セレス嬢やアレクの手助けによって今を凌いでいる状態だった。
だがピロの話が本当だとして、俺と同じエンシェントウィザードであったエリュマンという人の使命が、俺の果たすべき使命と同等のものだとすれば――――――
ピロ。まさか俺の使命というのは……
『言っておきますが、エリュマン様に与えられた使命は“この世界を守ること”です。あなたは賢者様から“使命を果たせ”と言われたのはありませんか?』
じゃ、じゃあ俺の果たすべき使命って一体何なんだよっ!
『それを考えるのがキリっちの仕事なのです。最初から与えられた使命など、力なき人間でも容易いことなのですから……』
だったらエリュマンって奴はどうなんだ! そいつは賢者から使命を与えられたんだろう?
『キリっちとエリュマン様では使命の重みが違い過ぎるのです。当時のフィステリアに芽吹いていた生命は精霊を除いて植物や昆虫、魚介類の原生生物だけ。知的生命はエリュマン様ただお一人だけだったのですよ? その状態で自力に使命を探ることなどできるわけがないのです』
はぁ? 何だよそれ……。理不尽にもほどがあるだろ……?
『ならば他の古代魔道士も皆理不尽なのです。苦しいのはあなただけではありません』
それが理不尽だって言ってるんだよ。俺は望んでここに来たわけじゃない……。
『それは違います。心の奥底では、キリっちもこんな境遇に憧れていたはずなのです。でなければ、あなたがこの世界に来ることはなかった……』
ふざけるな。俺はそんなこと望んじゃいない……!
『…………』
それっきりピロの声も聞こえなくなり、静けさに包まれていた空間に再び雑音が甦った。
とは言っても、一方的に喋る将軍が兵士を咎めるだけで、他は黙って見物しているようだが……。
寝起きのようなまどろんだ意識の中、俺は重たい瞼をゆっくり開けた。
目を瞑っている間はそれほど長くもなかったが、寝不足の俺にとっては十分な休息だろう。頭痛も少し治まっている気がした。
仮面の影響で視界が狭い。
いっその事悪趣味な仮面を取り払いたかったが、絶対に外すなとアレクに念を押されているため、迂闊に顔を……というよりも目をさらけ出すのはまずい。
せめて魔術で視界を広める構造にでもしてくれればいいのに……。
寝不足で機嫌が悪い上に、視界が狭くてイライラする。
使命に関しては進展どころか余計にわからなくなり、先が思いやられて鬱な気分になってきた。
しかも目の前では大人が大人に説教するサラリーマンの上下関係の実態をもろに見せられているようで、将来ヒッキーの可能性大の俺にとっては火に油を注ぐようなものだった。
社会の現実的風景をこうもリアルに見せられたとあっては、就職活動自体もトラウマになりかねないからな。
隣で呑気に説教を眺めるアレクと、羨ましくも居眠りに専念するセレス嬢にはこの現状を止めるつもりはまずないだろう。しかし、俺はこの事件に一切の関与がないと言えば、それは大きな間違いになる。
むしろ俺が原因で兵士たちが咎を受けたというか、俺の体質が結果的に彼らを不幸にしたというか……。とにかく、俺がまったく罪にならないというのはおかしいし、これ以上兵士たちの憐れな姿を見続けるのも心が痛い。
……っていうか俺をあそこに飛ばしたお嬢にも責任があるはずだ。なのに今はぐぅぐぅ日向ぼっこしながら居眠りとは……何か腹立ってきた。
俺は指の先に魔力を溜め、俯いて首を揺らすお嬢の耳目掛けて小さく指を鳴らした。
ピシッと光が点滅し、セレス嬢の耳朶に極小の静電気が発生する。
「ひゃうんっ……!」
ビクっと身体を震わせ、お嬢は椅子に座ったまま跳ね上がった。
寝ぼけ眼の顔で首を傾げ、おぼつかない動きで自分の耳に触れる。
しかし仕掛けた俺自身、彼女の口から漏れた声に驚いてしまった。
リアクションの大きいセレス嬢のことだからもっと驚いて飛び上がるところを想像していたのに、あまりに女性らしい反応に俺の方が面食らう。
やらなければよかったという後悔の反面、その反応を目撃してどこか喜んでいる俺はサドなのだろうか? いや、きっと寝不足で気が狂ってんだな。そうだ。そうに違いない……。
「いいかよく聞け! お前たちに国を守る兵士としての自覚があることは認めよう。しかし、目線の物事に囚われすぎて周りが見えていないことは、何よりもお前達自身の破滅を早めるだけに過ぎんのだ! 何もかもを疑っているだけでは、国どころか自分すらも守ることができぬぞ!」
縮こまる兵士たちに頭上から説教を浴びせる将軍に、俺は息継ぎの間を狙って瞬時に呼びかけた。
「ファーボルグ将軍……!」
立ち上がり、彼の元へと歩み寄る。
まさか話しかけられると思っていなかったのか、将軍は驚いたように目を見開いて俺に身体を向けた。
「殿下? 一体、どうされました?」
「彼らも深く反省している。許してやってくれないか?」
それを聞いた途端、兵士たちが顔を輝かせて俺を仰ぎ見た。
まるで光り輝く神様をこの目で見たかのように、涙ぐんだ目を眩しそうに細めて……。
「し、しかし……この者たちは殿下を刺客と間違えて――――――」
「生憎と俺は過程よりも結果を重視している。俺は無事だし彼らも死んでいない。それとも、それ以外に何か問題でもあるのか?」
今の俺の発言、間違いなく世界中の努力家たちを敵に回してしまっただろう。
何が過程よりも結果だよ。どこかの悪者が格好つけて言うセリフみたいじゃねぇか。
「……わかりました。殿下がそう仰るのであれば……」
そう言って俺に頭を下げた後、将軍は再び兵士に向き直った。
あれ? 案外素直だな……。
結構堅物な人だと思っていたのに、ちょっと拍子抜けてしまった。
そのとき。
「変態陛下ッ! 今あたしの耳触ったでしょ!」
「…………」
「ちょっと聞いてるんですかっ!?」
「いってぇ! な、何だっ!? 何事だ!?」
将軍の説教に続き、後を待たずに騒がしくなったお嬢とアレク。
さすがにこのままでは俺の気が持たない。
全員の気がそれているのを狙い、俺はゆっくりとその場を去った。
===============
「う~~~~何よ何よ! あたしのことじゃじゃ馬娘とか幼女体型とか言ってからかってるくせに、結局陛下もあたしの身体目当てなんじゃない! もう嫌ッ! このままじゃ夜も安心して夜も眠れないわ!」
「ちょっと待て! 俺を叩き起こしたのはそんなくだらん事を言うためなのか!? つーか何で俺が責められている!?」
「く…くだらない事ですって……! あ、あ、あたしの貞操がかかっているのに……それを……それを……くだらないですってぇぇぇ!!」
寝たふりを決め込んでいただけでなく、さらに自分の身体に触れたことを“くだらない事”だと言い切ったアレク。
罪も認めようとしない彼に対し、セレスの怒りは遂に我慢の限界を超えた。
手を開き、力を込め、大きく腕を振りかぶる。
「……陛下の……変態鬼畜男ーーーーーー!!!!」
ばっちーーーーん!!
叫び声とともに振りぬかれた手は、見事アレクの頬に命中。
勢いあまって1回転してしまったセレスだったが、その勢いあまった平手打ちを顔面に食らったアレクは衝撃に耐え切れず椅子から転げ落ちた。いや、吹き飛んだ。
「な、な、なあ!? セ、セレス殿ッ、陛下になんてことを!?」
騒ぎに気づいたダンテ・ファーボルグが、慌てて地に伏したアレクに駆け寄る。
膝を突いて説教を受けていた兵士たちはもういない。すでに解散させた後なのだろうが、周囲の警護にあたっていた兵士たちが何事かと天幕の間から首を覗かせた。
気まずい状況になり、セレスはやっと正気に戻った。
ここは王宮ではない。
いつも喧嘩するセレスとアレクの光景がある宮殿なら露知らず、その宮殿から遠く離れた東の端で家臣が国王の顔面をぶったとなれば、いくら宮廷魔道士だからとて見逃す程度では済まないだろう。
古代魔道士の戦いをこの目で見るためにここまでやってきたのに、捕まって牢屋行きなんて話にならない。
面倒になる前に、セレスは一時その場を逃れることにした。
「陛下のエッチ! スケベ! 軽薄男ッ!」
ただし、逃げる前にアレクを罵倒することを忘れない。
回れ右をし、天幕の間をすり抜けて走る。
「元はといえば陛下が前線に出てくるから悪いのよ。あとセクハラしたのも……」
走りながらぶつぶつ文句をたれるセレスを兵士たちは誰も気づかない。
というのも、彼女の着る純白のローブには気配を消失させる特殊な魔術が付加されており、相手の視界の正面に立つかこちらから相手を呼び止めない限り見つかることはまずないからだ。
索敵を避けるために開発された魔道具でも同じようなものがあり、情報屋や暗殺者が好んで用いている。
セレスのローブはそれを元に作られていて、しかもセレス本人お手製。
エリュマン大陸北部に生息する一角霊獣ライテイのたてがみを糸として縫い合わせ、『生命樹セフィロト』から摘出した樹脂をワニスとして完成した布地に塗りこむことによって、独自の魔術的効力を生み出しているのである。
魔道学に秀でたセレスの実力とも言うべきか。
ともかく、高値で取引される高級素材を用いて作ったローブは高級品であることに違いない。
完成する前から肌身離さず持ち歩いていた“相棒”というべき魔道士の必需品を、キリヤの存在を隠すために一時貸し与えたセレスの決断はとても重かったが、古代魔道士の謎を解明するという幼い頃からの願望に比べればどうってことはない。
『…俺は桐也だ。神崎桐也。出身国は訳ありで言えない……。今は一人で旅をしている……』
キリヤの祖国がフィステリアの東端にあることはわかった。だが何故彼はその国を旅立ち、わざわざ遠く離れたこの大陸までやって来たのだろうか。
そして故郷を激しく嫌悪する理由。
血の繋がった妹に殺されかけたとキリヤは言った。それが本当だとして、何故キリヤは殺されなければならなかったのか。
彼が古代魔道士だから? キリヤが国を離れたのも、兄を討とうとする妹から逃れるためではないのか。
だとすれば、その国は古代魔道士を蔑む風習などがあってもおかしくはない。妹ただ一人が兄に襲い掛かったとして、その助けを他の者に求めることもできたはずだし、キリヤ自身強力も魔術を使える魔道士でもある。妹が凄腕の戦士だとしても、はたして一人相手にキリヤが苦戦して国を捨てることなどあるのだろうか。
やはり考えられることは一つ。
キリヤの故郷は古代魔道士を……ひいては魔道士そのものを侮蔑するような国家で、身内にも見捨てられたキリヤは国を出るしかなかった。そして世界一魔道学の進んだこのエリュマン大陸に身を寄せ、生き場所を探して旅をするうちに森の中でセレスと出会った、と。
全て推論でしかないが、この考えが一番理に適っているのも事実だ。
「最初はあたしの恩人という形で王都に招いて、結果的に陛下の計らいで王族の一員になっちゃったけど……。この東部作戦が無事に終わったら、間違いなくキリヤ君は王国中に…いいえ、大陸中にその名が知れ渡ってしまうわ……」
有名になったことに危機感を覚え、この国を離れたりするのでないか。そのことがどうも気がかりで、一方自分の思い過ごしであってほしいと願うばかりのセレス。
不安が募り、考えれば考えるほどその推測に真実味が帯びてくる。
森で遭遇した魔獣から危機一髪難を逃れ、キリヤに抱き止められたときに見つけた頬の傷。
それに触れようとして激しく強張った彼の身体と、次いで突き飛ばされたときに垣間見えた怯えた表情。
……彼の目に、自分が妹に見えたのではないかと思う。トラウマとして刻まれた記憶に、襲い掛かる妹の腕が甦り、恐怖のあまり自分を突き飛ばしたのだと……。
突き飛ばされた後、自分は「どうかした?」とキリヤに訊ねたとき、確かに彼は「嫌なことを思い出した」と言った。
その“嫌なこと”が、彼の悲痛な過去に関係しているのは間違いないだろう。
他人が触れることを極度に避けるのは、キリヤを殺そうと躍起になる人々の影を見たから……?
「ああもう駄目ッ! こうなったら後で本人に直接聞いてやるんだから!」
いきなりのセレスの大声で、偶然彼女の前を通過した兵士が驚いて飛び上がった。
セレスはそのことに気づいていないのか、小走りになった足で、その進路を脇へと向ける。
そこには補給物資が積まれる天幕が立ち並ぶだけで、他に人影が見当たらない。
人気の少ない場所を好みそうなキリヤならここに逃れているかもしれない。とりあえず探してみることにした。
(家族に裏切られたキリヤ君の苦しみはあたしにはわからない……。でも、孤独から生まれた苦しみならあたしにもわかる。……ずっと、一人だったから……)
その日の空は快晴。
雲ひとつない青空にぽつねんと姿をさらす太陽は、もうそろそろ頂点に昇ろうという位置にまで差し掛かっている。
それは正午前になることを示しており、同時に軍務大臣ファーナグが予期したリディア軍の戦線崩壊最低時刻とも一致していた。
二十一話目終了…