第二十話 東部戦線、異常あり…っていうか騒動あり
ランスロット王国北部山脈からリディア王国南部山脈まで張り巡らされた長距離雷撃網は、十年前のヴァレンシア東部事変以降、対ランスロット軍侵攻を警戒して設置されたヴァレンシア王国の絶対防衛線である。
その手前には幾重にも絡まるように塹壕が掘られ、50デイス(1デイス=2m)間隔に魔道灯配備の見張り塔が建てられている。見張りは一日を半日交代で行われる厳重な監視を敷いているため、敵の潜入を許したことは一度としてない。
さらには兵器魔道具最強を誇る『魔道砲』も50門配置され、近々ランスロットの第二侵攻の可能性があるとして、さらに50門の魔道砲がこの最前線に運ばれてくる予定だったが、それは思わぬ形で裏切られることになる。
ランスロット王国軍のリディア王国侵攻である。
“教会”から中立国として認可された国家は、言わば“教会”と同盟関係にあると言っていい。しかし、今回のリディア侵攻によってリディア王国は中立としての立場を失い、リディア王国を中立と認めていた“教会”は、この時点で完全にランスロット王国と敵対していた。
全てから孤立した『緩衝小国家』に、もはや国として生き残ることは不可能。小国の植民地化を進める大国にとってはまたとない機会であり、その国と隣接する大国、ヴァレンシア王国は必ずやランスロットを手中に治めるであろうと、大陸中の専門家たちは予期していた。
しかし、その予想を覆した一人の男……いや、王がいた。
その者の名をアレクシード。ヴァレンシア王国第八十二代目国王であり、賢王と謳われたガレス国王の息子である。
十年前の侵攻の際に父を亡くし、ランスロットに怒りを覚えていたと思われていたアレクは、その軍事力を小国併合に行使することはなかった。
リディア侵攻から十数針が経過し、ヴァレンシア王国政府は王国会議の末、ランスロットに奪われた東部領土の奪還とランスロットの攻撃を受けるリディア王国への救援を行う東部作戦を決行。
本作戦に置いて、アレクシード国王の弟であるキリヤが東方方面軍総指揮官に選抜され、東部奪還任務の司令官を受け持つダンテ・ファーボルグ少将に対して、キリヤはリディア王国への援軍指揮を任されるはずだった。
戦いを前にして緊張を隠せない東部戦線陣営の中、ダンテ・ファーボルグ将軍は直に到着するキリヤ王子を迎えるために、司令本部の天幕に設置された転送陣の前で直立していた。
「…………」
事情を知らない者が彼の様子を端から見たならば、偉丈夫を象った石像に見えたかもしれない。それほどまでにその男は微動とも瞬きもせず真正面を向いていたからだ。
ダンテがキリヤ王子の存在を知ったのはつい先ほど。
宮殿から直接送られた『伝報水晶』の文面には、離宮に軟禁されていたキリヤ王子のことと、王子が今回の作戦で臨時に指揮を取ること、さらにそのことに本人から了承を得ていることを簡略に綴ってあった。
その内容の中でダンテが一番目を引いたのが、キリヤ王子は魔道士であるということと、その魔道士階級が上級魔道士ということだった。
難関な上級魔道士の位を持つことにも驚いたが、何よりも魔道士が一般兵士の指揮を取るということには、さすがのダンテも驚愕の域を超えた。何故なら魔道士の大半は自分の魔術を磨くため、もしくは魔道理論を追求するために就いている。国に仕える魔道士もいるが、それは彼らが衣食住を確保するために資金を稼いでいるからに他ならない。
魔道士内の身分的地位は基本的に平等。他人を指導するなんてことは、魔道学園の教師以外を除けばほとんどいないだろう。
しかもアレク国王の年齢から見るに、その弟キリヤ王子はかなり若いはずだ。
ダンテの年齢の半分も生きていない青二才に、はたして一軍を統一できる采配をどれほどまでに兼ね備えているのか。
不安がないと言えば嘘になるが、それを上回る興味心がダンテの胸中にはあった。
(救国のために立ち上がった魔道士の王子か……)
聞くだけだと、国民の支持を煽るための策略か名声を広げるための偽善者的行動とも捉えることができる。だが純粋に善意のみでこの戦いに挑むのであれば、それは歴史上類を見ない英雄譚となるだろう。
久々の高揚に身体を震わせそうになるのを堪え、ダンテは待った。
どちらにせよこの戦い、大陸の情勢を大きく変動するきっかけになるに違いない。その一大変化の瞬間に立ち会える自分はこの上なく光栄なことなのだ。
そして次の瞬間、ダンテの目前にあった転送陣が淡く輝きだした。
ブーンという震動音を出し、描かれたルーンがゆっくりと回転する。
(来るっ……!)
ダンテは後ろに数歩下がり、膝を突いて頭を垂れた。
転送陣から発せられた強い光が薄暗い天幕の中を一際明るく照らし出す。
しかしそれも刹那のことで、しばらくすれば震動音も止まった。
足音はまったくしないが、人の気配は感じられる。
それも一人ではなく、数人。使いにやったキムナー中佐を省けばニ、三人といったところだ。
恐らくキリヤ王子の護衛だろうと予測したダンテは、不敬のないよう慎重に話しを切り出した。
「ようこそお出でくださいました、キリヤ殿下。それとそのお供方も。微力ながら、我々東方方面軍は全力を持って今作戦に当たらせていただく所存です」
(さあ私の挨拶は終わりましたぞ、キリヤ王子? 次はあなたの番です)
英雄になるかもしれない相手を前に、ダンテの心臓は早鐘のように激しく打つ。
地面についた手が自然と震えだした。
「ああ。お前たちの力、期待してるぜ!」
「ちょっと陛下! もっとちゃんと答えてくださいよ! っていうかあたし一日に何回“ちょっと”って言えばいいわけ!?」
「いえ、僕に聞かれてもわからないんですけど……」
――――――は? “陛下”……だと?
どこかで聞いたことのあるような声も含め、ダンテは不審に思って顔を上げた。
そしてそこにいたのは……。
「なっ!? へ、陛下……」
偉そうに腕を組んでダンテを見下ろしていたのは、紛れもないヴァレンシア王国現国王、アレクシード・ファレンス・エクス・ヴァレンシアであった。
名を呼ばれたアレクは、不敵に笑って握った拳をダンテに突き出す。
「おうよ! 俺だぜ!」
「な、何故陛下が……。おい、キムナー中佐。何ゆえアレクシード様がこの場におられるのだ?」
「ご一緒に戦われたいそうです」
即答したアレンだが、彼自身少し落胆しているようだった。
「別にいいだろ? 俺だってヴァレンシアを愛する愛国者の一人なんだ。指揮はファーボルグ将軍に任せるからさ、せめて俺を銃兵にでも入れくれよ。魔道銃は結構自信あるんだぜ!」
冗談ではない。
「なりませんぞっ! 断じてなりませぬっ! 直ちに王宮へお帰りを!」
一国の王を一般兵士に編成させるなど正気の沙汰ではない。そんなことをした暁には、自分は間違いなく罪を問われてしまう。それこそダンテは、自国の王を前線で戦わせた歴史上類を見ない狂気の軍人として、後世に悪名を残すだろう。
「はぁ……その言葉、僕たちも何回言ったことか……」
「そうね……。陛下ったら、頑として首を縦に振らないんだから……」
疲れた顔をしたアレンとローブを着た少女が同時にため息をつく。
アレク王が頑固なことは、ダンテも聞き及んでいる。いつだったか、ヴァレンシア王国の収穫祭の時、下町を探索したいと宮殿の正門を堂々と抜けようとしたアレクを、近衛騎士団を含む重鎮たち全員でなんとか説得したという事件は結構有名だ。アレクが国王に即位し、近衛騎士団団長にケリュネイア家の令嬢が就任してからは前より大分大人しくなったらしいが、今回のアレク王参戦宣言は過去にあったどの事件よりも無茶苦茶だった。
「とにかく、俺は帰らないぞ! これは大臣たちやアル……ケリュネイア騎士団長も認めたことなんだ。要するに、これは国が認可した正式な来訪なんだよ」
「何わけのわからないことを申しておいでですか。たとえ大臣方がお認めになっても、もし陛下の身に万が一のことがあれば私が王宮に顔向けできません。姫様もさぞ陛下のことをご心配されていることでしょう」
溺愛する妹のことを話に出せば、さすがのアレク王も了承するかと思ったが……
「ディーナには王都視察だと嘘の手紙を置いてきた。第一、この俺が世界一大切にする妹を心配させると思うか?」
「くっ………!」
ま、負けた……。
将軍位になり早十三年、ダンテ・ファーナグが説得という名の戦に初めて敗北した瞬間だった。
「あきらめた方がいいですよ、ファーナグ将軍。唯一陛下を制御できるのはアルテミスさんだけですから」
いつの間にかダンテの隣にやって来た魔道士の少女が、横目でアレク王を睨んだ。
「制御って何だ、制御って。まるで人を暴走した魔道具みたいに言うんじゃない」
「似たようなものじゃないですか!」
「何だと!?」
途端、アレクの眼つきが鋭くなる。
その様子に慌てたダンテはただちに割って入った。
「も、申し訳ありません陛下! 御身自ら前線に赴かれる陛下の国を思う気持ちは、私も深く感銘を受けております。兵士として軍に迎えることはできませんが、後方支援の指揮ならばお任せできるはずです。ですのでどうか、怒りをお沈めくださいませ……!」
「い、いや将軍? 別にそんな大げさに怒ってはいないんだが……」
「そ、そうですよ! これは日常の交流みたいなもので、特に意味はないっていうか……」
それにアレンが頬を引きつらせた。
「お、お二人とも、そのようなことを毎日のようにされているのですか……?」
「…………」
「…………」
対する魔道士少女とアレクは無言の肯定。
これにはさすがにダンテも呆れてしまった。
「魔道士殿。その白いローブからして、あなたは宮廷魔道士のようだ。仮にも『国家の守り手』である家臣が恐れ多くも国王陛下と口論されるなど、本当は許されるべきことではありませんぞ?」
「は、はい……。なるべく、気をつけます……」
ダンテの静かな威圧に慄いたのか、魔道士少女は素直に反省した。
だがアレク王の態度からは、まったく反省の気配がない。
この際、主も一緒に説教すべきかと考えたときだった。
「あれ? そういえば、キリヤ殿下は何処に?」
不意にそう漏らしたアレンが、天幕の中をキョロキョロと見回す。
「うん? 先に外へ出たんじゃないか?」
「そんなことないわよ。もしそうなら、あたしがすぐに気づいて……」
と、急に黙りこくる魔道士少女。
「おい、どうした?」
「失敗したかも……」
は? と一同声を合わせて眉を顰める。
次の瞬間、少女ははっとしたように顔をダンテに向けた。
「転送呪文最後の方噛んじゃったんです! もしかしたらキリヤ君、それが影響で別の転送陣に飛ばされたのかも……!」
「な、何ですとーー!!」
驚愕して、思わず大声を上げてしまったダンテ。
しかもそれに続くよう、外から兵士が転がり込むように入ってきた。
「将軍! た、大変ですっ!」
「む? どうしたのだ!?」
「塹壕付近の転送陣から、黒尽くめの魔道士が侵入した模様です! 現在、その場に居合わせた第十三小隊がその者と交戦中ッ! ですが、あまりの強さに我が部隊が押されております!」
「キリヤ君!?」「キリヤか!?」「キリヤ殿下では!?」
三人三様の反応を見せたアレク王たちに、ダンテも確信。キリヤ王子が味方の兵士に襲われているという洒落にならない事態に、ダンテの顔からあっという間に血の気が引いた。
「将軍! いかがいたしましょう?」
「馬鹿者ッ! ならばその戦い、今すぐやめさせるのだ!」
怒鳴りつけられた兵士はびくっと肩を震わせる。
しかしその命令に疑問を持ったのか、兵士は反論した。
「で、ですが……その者は我々の転送陣に無断で……」
「それは転送事故だ! そのお方は国王陛下の弟君、キリヤ様なのだぞ!」
「なっ!?」
正体を知り、兵士の顔がみるみる驚きに包まれる。
「直ちに兵を引かせるよう伝えよ! お前たちは守るべき相手に刃を向けているとな!」
「は、はいぃぃ……!」
再び転がるように天幕を飛び出した兵士。
静寂に包まれた空間の中、ため息をついたダンテはアレクを振り返った。
「もはや、謝罪の言葉もございません……。戦いを前にして、我々は何たる愚行を……」
「そう卑屈にならんでもいい。むしろこっちが気の毒になるぐらいだ」
「……どういう、ことでしょうか?」
伏せていた頭を上げ、ダンテはアレクに視線を向ける。
いつの間に出ていったのだろうか、魔道士少女とアレンはその場にいなかった。
「あいつは……キリヤは強いからさ。一個小隊が戦いに挑んだところで返り討ちに遭わされるだけだ」
「それは、魔道士としてお強いということでしょうか?」
「確かにそれもあるが、あいつは戦士としても戦い慣れてるんだよ……」
アレクは口の端を持ち上げ、顎で外を指した。
「見ればわかる。さすがの俺でも、あいつと初めて会ったときは冗談抜きでびびったぜ……」
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人は誰しも、その人個人の生き方で人生が変わると俺は思っていた。
不真面目に生きれば路頭に迷い、真面目に生きればそれ相応の幸せな見返りがくると……。
だが俺は今この瞬間、そんな生易しい単純な考え方はどこの世界だろうと世の中まったく通用しないということを知った。いや、知ってしまった。
「貴様! 我が軍の魔道士ではないな? 何しにここへ来た?」
「お、おい見ろよ。あいつ、何か変な仮面つけてるぞ……?」
「しかも全身真っ黒だ……。まさか…暗殺ギルドの奴じゃないだろうな?」
決して歓迎的でない雰囲気の兵士たちが、俺を遠巻きに取り囲んでいる。
そして俺の足元には淡く光る転送陣。今さっき、セレス嬢の呪文詠唱によって王都からここへ転送されてきたのだが、視界から眩い光が消えた瞬間、何故か俺一人だけこの場所に立っていた。
「答えろ! 貴様は何者だ! 所属と魔道士階級を言え! ……さもなくば、直ちにその身柄を拘束する!」
そう俺に向かって怒鳴るのは、俺の目の前で槍を突きつける全身鎧の男だ。
だが言ってることと、やろうとしていることが矛盾している気もする。俺を拘束するならどうして槍なんか構えてるんだよ? ……まさか串刺しにするつもりじゃないだろうな?
「おい聞いているのか貴様! 答えろっ!」
こいつ、貴様貴様うざい……。兜被ってて声がくぐもってるが、元が大声だから±0で頭に響く。
「うるさい。少し黙ってろ……」
今俺は状況を確認するのに忙しいんだよ。
身元聴取ごっこなら他所でやってくれ。
「な、な、なんだと……。俺に向かって『黙れ』と言ったのか、貴様ッ!」
「た、隊長! 落ち着いてください!」
「そうですよ! 興奮しては相手の思うつぼです。穏便にいきましょう。穏便に」
貴様隊長(俺命名)を押しとどめるため、取り巻きの兵士たちが説得しようとするが、それを振り切ってその男は俺に近づいてきた。
その躊躇ない行動に、俺の眠気は一気に吹き飛ぶ。
お、おい……こっち来るな。触るなよ……マジで触るなよ!
だが貴様隊長は槍を持つ手とは反対の手で、俺の肩を押さえ込もうとする。
あ~~くそ! 俺だって触られるわけにはいかない。こうなったら、魔術使ってでも阻止してやる!
手が肩に触れる寸前、俺は身体をそらしてそれを避けた。
「くっ! 俺に逆らう気か貴様ッ! 大人しく捕らわれろ!」
さらに手を伸ばす貴様隊長。それも俺は向上した身体能力で軽くよける。
「こ、このっ……!」
そして、続けざま素早い動きで俺を捕まえようとした瞬間、俺は魔力を溜めた右手を開き、貴様隊長の顔前で大きく横に振り払った。
もちろんその手は相手にぶつけていない。
小さく「吹き飛べ」と呟き、魔術を発動させたのだ。
刹那――――
「ぶぐっふ!!」
貴様隊長は奇妙な呻き声を上げ、猛スピードで突っ込んできたトラックに跳ねられた如く横側に吹き飛んだ。
一瞬にして俺の視界から隊長がいなくなり、少し遅れて金属の拉げるグシャという鈍い音が微かに耳に届く。
ガッシャーーン!! ガラガラガラ……!!
大きなテントに飛び込んだ隊長は積まれた甲冑の山に直撃。頭から埋もれた挙句、テントが衝撃で倒壊し、その姿はテントの下敷きになって瞬く間に見えなくなった。
「「「…………」」」
や、やばい……必死になりすぎて加減するのを忘れた。
周囲の兵士たちは状況を理解することも叶わず、埋もれている上司のテントを呆然に眺めている。
よ、よし! 今のうちにこの場から逃げ出せば何とか―――――
「て……て……」
だが俺が逃げ出そうとする前に、取り巻きの内の一人が不意に声を漏らした。
ぎこちない動きで首を戻し、俺に向き直る。
その顔に映っていたのは紛れもない恐怖だった。
「て……敵襲ーーーーッ!!」
な、何だってええええええええ!!!!
一瞬にして兵士たちが俺に向き直って武器を構え、持っていなかった奴は走り去りながら「敵だー!」と叫びながら仲間を集めようとする。
その臨機応変な彼らの動きに、思わず感心してしまう俺は頭がおかしいのだろうか。いや、この世界に馴染んでいるのかもしれない。そもそもこの世界は俺にとって何もかもが新鮮で――――――
「死ねえええーーーー!!」
「……っ!?」
突如背後から響いた死の宣告に、俺は振り向きざま発光する右手を突き出した。
「弾け!!」
そのときの俺に余裕なんてこれっぽちもなかった。
初めて感じた死の恐怖に、俺は全力で魔術を発動する。
手の平が眩しいくらいに輝き、俺の前方に等身大の半透明な膜が出現した。
間も空かないうちに、槍を構えて俺に突っ込んできた兵士は槍先を膜に突出。
だが俺の全力によって創られた防御膜は槍を弾くどころか粉々に粉砕し、その持ち主は声も上げられず後方に吹き飛んだ。
しかし周囲を兵士たちに囲まれたこの状況下で、命の危機が去ったことへの安堵する時間も、吹き飛んだ兵士の身の心配をする時間などない。
隙の大きい俺の側面を狙い、すかさず次の兵士が剣を振り上げて間合いに入ってくる。
しっ、しまったーー!!
『キリっち! 左手を使うのですよ!!』
いきなり、俺の混乱する頭にショタ声が響いた。
すっかり存在を忘れていたその精神体とかいうオカルトな脳内居候は、俺の応答を待たずさらに続ける。
『腹にデコピン! 名づけてハラピンなのです!』
そうか! 左手がまだ残ってるぞ……!
俺は震える指で輪っかを作り、魔力を左手に注いだ。
その時間ほんの一秒と少し。
振り下ろされる剣を頭上に感じながら、俺は兵士の腹に向けて指を弾く。
「ハラピン……!」
「ぐふっ…!」
腹部に衝撃を受けたであろう兵士は身体をくの字に折り曲げ、そのままうつ伏せに倒れ込んだ。
『よぉっしゃああ!! 兵士三人目撃破なのです! 後九九七人ッ!』
待て待て待て! 俺は一騎当千になるつもりなんてないぞ! 何戦う気満々でいるんだよ、お前は!
『え? でも先手を仕掛けたのはキリっちなのです』
あれは正当防衛だ。俺に触ろうとするあの兵士が悪い。
『ですが先に手を出したのはキリっちなのです。どんなに自分を正当化しても、子供の言い訳にしか聞こえないのですよ……』
俺は殺されかけたんだぞ!? その時点で正当も甘党もあるものか!
『だからキリっちが兵士を攻撃しなければよかったのですよ! 大人しく捕まれば、身元が判明して万事解決なのです』
いいや! その前に俺が重度の震えを起こしてショック死するだろう。
『はぁ……あなたの潔癖症は異常なのです……』
潔癖症じゃねぇ! 恐怖症だよ! 対人恐怖症! 人がこ・わ・い・ん・だ!
『キリっちだって人なのです! 人が人を怖がるなんて小生には理解できないのです』
ああくそ! これはかなりややこしい問題なんだよ俺にとっては。どう説明すれば――――
『キリっち話は後なのです! ……槍兵の囲い攻めが来るのですよっ!』
な、なにぃ!?
俺はすぐに思考を解き、周囲を見回した。
ショタ声の言うとおり、俺の周りを隙間なく埋め尽くした兵士たちが槍を下段に構えていた。
どれもこれもその切っ先が俺の方へ向き、現状では逃げることは到底不可能。足元の転送陣を用いれば脱出は容易いのだが、生憎と俺は転送呪文とやらを知らない。だから戦うしかないのだが……。
おいショタ声野郎! 戦うやり方以外でこの場をやり過ごす方法はないか!
『誰がショタ声野郎ですか! 小生には『ピロ』という賢者様からもらった有難い名前があるのです!』
ああ? なんだそれ? 初めて聞いたぞ。
『初めて聞いたのは当たり前なのです。今名乗りましたから』
生きるか死ぬかの土壇場でよく言える気になったな……。俺ならあの世に言っても名乗らんぞ。
『ん? 普通はそのような状況だからこそ名を名乗るのではないのですか? 生死を分かち合った戦友同士だからこそ、死するときにその記憶を心に深く刻むと、キリっちの前の戦士が言ってたのです』
俺の前の戦士? どういう意味だ?
『そのままの意味なのですよ。さあキリっち! 次の敵どもが群れをなして襲ってくる前に、両手にフルパワーの魔力をチャージするのです! いい考えがあるのですよ』
どうやらピロは、周りにたかる兵士たちを敵だと認識しているらしい。俺としては平和にこの場を収めたいのだが、相手は殺意むき出しの戦闘集団。現状、話し合いで済みそうな気配ではなかった。
「……くそ! こうなったら自棄だ……」
親父、御袋、そして性格以外は可愛げのあった我が妹よ。
俺は今から生死を分けた戦いに挑む。
もし親父がスーパーマンなら見ていてくれ。俺の男らしい戦いぶりを。
もし御袋が魔女の類なら祈ってくれ。俺がこの戦いに勝てるようにと。
もし妹が超能力者なら……まあいいや。お前は何もせんでいい!
「忌まわしきランスロットの刺客を討つぞ! 槍兵、突撃ッ!!」
おおおおおお……!!!!
雄叫びを上げながら突進してくる兵士たち。
すでに魔力のチャージを完了していた俺は、ピロの合図を待ってその場に立っていた。
『敵さんに少し頭を冷やしてもらうのです! ではキリっち! 地面に手をついてこう叫ぶのです!』
突進する兵士たちが、俺から数歩の距離にまで達する。
槍を投擲されれば串刺しになるのは間違いない。だがそれをしないのは、彼らには俺を確実に仕留める自信があったからかなのか。
だがそんなことはどうでもいい。
勝つ自信があるのは俺だって同じこと。チートな俺が負けるわけないのだ!
俺はしゃがみ込み、両手を地面についた。
複数の震動が、手を伝って頭に響く。
ったく、どいつもこいつも! 俺に睡眠という安らぎを与えやがれーー!!
「悪戯の大地よ! スリップグラウンドッ!!」
両手が眩く発光し、やがてそれは地面を伝わって周囲に広がっていった。
波紋のように広がる光の輪は、遂に兵士たちの足元にまで及び……そして…………。
――――つるんっ。
一斉に足を滑らせた兵士たちは、そのまま仰向けにひっくり返ったのだった。
二十話目終了…