第十五話 夜、部屋で……
……わからないことがあった。
この世界の人と、俺の役目と、俺の立場。
だから、銀髪少女に与えられた使命とこの世界の少ない情報が、何より頼りだった。
『水と緑の繁栄の国、ヴァレンシア王国。かの国を望むべき…。されど、あなたは使命を果たさん』
『時の賢者の名において示す…。使命を背負う者、古代魔道士よ…。貴殿は今、ここに完全に覚醒した。あなたに時の運あらんことを願っている……』
銀髪少女は言った。
この国で、俺の使命を果たすべきだと……。
だがわからない。
何故俺なんだ? どうして俺が、この世界に連れられた?
古代魔道士……。使命を背負う者だと、あの少女は言っていた。
もしかしたら、俺は生まれながら特別な存在なのだろうか?
実は親父は世界を飛び回るスーパーヒーローだったり、御袋はこの世界で有名だった魔道士だったりするのかもしれない。
下手をすれば妹も、本当は超能力者なんて特殊な人間なのかも……。
だが普段はそれを隠していて、時が来ればその真実を俺に話すつもりだったのではないのか……。
少し前の俺なら、こんな妄想は記憶の隅に埋もれたままの憧れでしかなかった。だが、実際に異世界召喚なんて非現実的体験をしてしまった以上、俺の中の“あり得ない妄想”は“不明な妄想”になってしまった。
もし俺が何らかの記憶操作を受けているのだとしたら、本当は真実を知ってしまっているという可能性も否定できない。
魔道士な御袋なら魔術で。
能力者な妹なら超能力で。
スーパーマンな父親なら…………まあ……正義の力みたいので、俺の記憶を書き換えているのかもしれない……。
「…………」
いや、だかそれが事実だとして、俺がこの世界に呼ばれたのは何故だ?
俺みたいに卑屈で、臆病で、弱虫な青二才がこの世界で何の役に立つ?
元の世界にだって、俺よりすごい奴はいっぱいいる。別に俺じゃなくても良かったはずだ。
……迷惑なんだよ、本当に……。
俺は自分の身体を抱きしめるようにソファの上で丸くなった。
すでに日は完全に落ち、明かりが灯っていないこの部屋は真っ暗だ。先ほど魔道ランプに魔力注入というのを試してはみたが、誤って膨大なヴェラを送ってしまい、小爆発を起こして壊れてしまった。
他にも明かりを灯す魔道具は多々あったがどれも上手く明かりをつけられず、最後の一つを残して全て残骸となって床に散っている。
月明かりで何とかなると思って窓辺に向かったがすぐにカーテンを閉めた。
空にあったのは大小形の違う二つの月。それがこの世界を異世界だと実感させ、落ち着いて寝れそうになかったからだ。
「で、どうする? 俺の家族になるっていうんだったら、あんたは俺の弟にしてやるぞ?」
養子の歓迎でももっとマシな言い方があると俺は思う。
しかしあのアレクなる男は、俺のことを恩人だとか言っておいて自分のいい様に話を進めていきやがった。
さすがにこれには俺も腹が立った。
だから奴にこう言ってやったよ……。
「……あんた何様だ?」
対する返答は……
「アレクシード様だ」
何か落語みたいな会話になってしまい、今思えばとても後悔している。
そして悟った。
救いようのない馬鹿に正当な話など聞く耳持たないということを。
まあその後、顔を真っ青にしたアル姐さんがアレクを部屋から引きずりだしたため、どうなったかはわからないが……。
――――コンコン
ソファの上で丸まりながらいろいろ考えていると、不意に扉が叩かれた。
誰だろう?
まさかアレクが懲りずにまたやって来たのだろうか? それにしてもノックが軽い。ではセレスか?
「……誰だ?」
「私です。アルテミスです」
独り言のつもりで呟いたのだが、どうやら向こう側に聞こえていたらしい。
しかも声の主はアル姐さんだった。いったい何の用だろう?
俺はソファから身を起こし、扉に向かおうとした。
だが部屋が暗くて周りよく見えない。暗闇でも視界がはっきりしているなんて特殊能力は俺に備わっていないらしい。
仕方なく明かりをつけようと最後の魔道ランプに手をかざすが――――――
「……俺の魔術でどうにかできるか……」
「はい?」
「いや…何でもない……」
チートな能力の存在をすっかり忘れていた。
わざわざ魔道具に頼らなくても俺の魔術で光を生み出せばいいじゃないか。俺も相当な馬鹿だな。
目を瞑り、意識を集中させる。
全身が温まってきたのを感じれば、後は望みを言葉にするだけだ。
「……光よ」
アル姐さんにも聞こえないように小さく呟くと、俺の手の平に頭ほどの大きさの光玉が出現した。
瞬く間に部屋一面が明るくなり、暗闇に慣れていた俺は思わず目を細める。
それを家の電灯みたく天井にくっつけたら、部屋は一際明るくなった。うん、これはかなり実質的な使い方だ。
「……キリヤ殿?」
「ああ、すまない。入っていい……」
「あ、いえ…できれば、扉を開けてもらえないでしょうか? 生憎、両手が塞がっていて…」
ん? 何か持ってるのか?
もしかして叩きのめされたアレクを引きずっているのかも……。
恐る恐る扉を開けてみると、そこに立っていたのは間違いなくアル姐さんだった。
両手には布を被せたお盆を持っている。良かった……“人”じゃなくて。
「お手を煩わせて申し訳ありません。キリヤ殿の夜食をお持ちしたのですが――――――」
と、アル姐さんが部屋に足を踏み入れた途端、いきなり固まったように動かなくなった。
「?……どうした?」
アル姐さんの視線は忙しなく上下に揺れている。
だが顔はあくまで無表情。目線だけが落ち着きないのは何だか不気味な威圧感がある。
「あの……この有様は、いったいどういうことでしょうか?」
確信を得ない曖昧な問いに、俺は不審に思って部屋を見回した。
そしてすぐにその理由がわかった。
アル姐さんの目線が下にいっていたのは、魔道ランプの残骸が辺り一面散らばっていたから。上の視線は恐らく俺の生み出した光の玉だと思う。
ああしまったっ! せめて残骸だけは処分すべきだった! いや、処分は必要ない。俺の魔術で元に戻せばいい!
俺は瞬時に魔力を溜めると、小さく呪文を呟いた。
呪文と言っても、ただ“全部戻れ”と言っただけだが……。
すると床に散らばっていたランプの破片がカタカタと揺れだした次の瞬間、互いが引き合うように集まりだす。
魔術の行使中は体内から魔力が放出されたままになるが、その対象によっては魔力の放出量は変わるようだ。
そして魔道ランプの再生に必要な魔力量は僅か。広間での暴走の一件で疲労気味な現在の状況でも十分に足りる。
やがて一分もかからない内に全ての修復が終わり、俺はアル姐さんに事情を説明しようと後ろを振り返った。
「……すまないアルテミス殿。実はこれには訳があって……」
「…………」
「……アルテミス殿?」
「…はっ!? な、何でしょうっ?」
無言のまま立ち尽くしていたアル姐さんは、俺の呼びかけに答えたはいいものの、どこか挙動している。
あれ? 様子がおかしいな……。
「……どうかしたか?」
「……いえ、少しばかり、古代魔道士への評価を改めなければと思いまして……」
それだけ言うと、アル姐さんは落ち着きなく視線を上に向けながら、盆をテーブルの上に置いた。
そしてすぐに後ろに下がる。
「……?」
……やっぱり何かおかしいぞ? さっきの質問もかみ合ってなかったし、アル姐さんの動きが異常に過敏だ。
まるで何かに怯えているような……。
「あの……キリヤ殿?」
アル姐さんが遠慮がちに訊ねてくる。
「何だ?」
「その…あれは、大丈夫なのでしょうか……?」
「……あれ?」
「天井に付いている、あれです……」
アル姐さんが上を指差した。
「……光玉のことか?」
「光玉……というのですか?」
その時初めて、アル姐さんの顔に興味の色が浮かんだ。
だがその反応はかえって俺を焦らせる。
いや、適当につけたんだけど…この世界にも似たような魔術くらいあるだろう?
気になって、俺は思わずアル姐さんに聞いた。
「…こういう魔術は、この国にはないのか?」
「私は魔道学に詳しくありませんから何とも言えません。ですが、単純に照明のみに利用される魔術は初めて見ました」
余程俺の生み出した魔術が珍しいのか、アル姐さんは光玉を見つめたまま返答した。
その瞳が若干熱を帯びているように見えたが、恐らく見間違いだと思う。
「この光は、魔力同士の摩擦によって作り出されているのですか? 見たところ、火のような属性魔術ではないようですが……。やはり純粋なヴェラを凝縮しているのでしょうか? 高濃度なヴェラ反応がないということは、魔道ランプみたく多量な魔力を必要としていないみたい……。しかし、媒体なしに明度の高い光を持続させるなんて……いや、属性融合を用いればあるいは――――――」
「…………」
……物凄く魔術に詳しいじゃねえか~。俺にはまったく理解できん。
っていうか、俺はそんな難しい理論を理解した上で魔術を発動しているわけではないぞ。
ただ頭で描いて呟くだけ。
集中していることを除けば、基本的に何も考えていないし……。
「では、あの光玉という魔術は人体に害あるものではないのですね?」
その問いに、何故アル姐さんが光玉に怯えていたのかわかった。
単に見たことない魔術に警戒していただけなのだろう。
「ああ、問題ない。ただの光を発する球体だと思ってくれればいい……」
我ながら説得力に欠ける例えだが、元から他人と話すのは慣れていない俺でも結構気を使っている方だ。
初対面の出来事を除けば、アル姐さんは俺にとって“善い人”の部類に入る。礼儀正しいところはもちろん、自ら俺に夜食を持ってきてくれる気配りなんかが決め手だ。
「それを聞いて安心しました」
アル姐さんは安堵のため息をつき、俺に再び視線を合わせた。
「キリヤ殿に少しお話があるのですが……しばしのお時間、よろしいでしょうか?」
次いでアル姐さんの顔に浮かんだのは至って真剣な表情。
俺としても断る理由がなかったので、頷き返して了承し、ソファに腰を下ろした。
失礼します、とこちらに頭を下げたアル姐さんも向かいに座る。
「セレス殿より聴取したのですが、何でもキリヤ殿はこの大陸のご出身ではないとか…」
「ああ、そうだ……」
まさかお嬢……俺が地図に載らない島国の出身だっていうデマも話したのだろうか? お嬢は嘘だって知らないからたぶん――――
「それでは…地図に載らない極東の島国出身という事も真実なのですか?」
「…………」
あ~やっぱり話してた~。
ホラ吹き吟遊詩人でも語りそうにない嘘を自信満々に話すセレス嬢がありありと頭に浮かんでくる。
虚偽のプロフィールが取り返しのつかないところまで大きくなってしまった。もう無理です。真実は口が裂けても話せません。
「?…キリヤど「アルテミス殿ッ!」はっ、はいっ!」
俺はなるべくアル姐さんに触れないように詰め寄ると、声を一層低くして忠告する。
「状況が状況だったとはいえ、セレスに俺の故郷の話をしたのは軽率だった。それはおいそれと他人に話していいものじゃない。できれば、このことはあなたの記憶の中だけにとどめておいていただきたい…」
初めて見る俺の態度に驚いたのか、アル姐さんは眼を丸くして身体を仰け反らせていた。
だが、それも一瞬のことで、すぐに俺の言っている意味を理解したのか表情をきりっと引き締め、慎重に上体を戻す。
「了解です。たとえこの身が拷問で果てようとも、決して口を割らないと誓いましょう。生涯をもって他言いたしません」
…いや、それは少し大げさかと……。
しかし、アル姐さんの表情は恐怖してしまうほどの険しさがあり、補足しようにも俺の口がいうことをきかなかった。
はぁ……俺の咄嗟の嘘がこんなところでさらなるトラブルに巻き込まれてしまった。ちくしょ~何でこうなるかなぁ……。
===============
(くっ……私としたことが、何たる失態……!)
一応身元の確認のつもりで話したつもりだった。
彼から是の返答が返ってきたことに、安心したのだろう。つい地図に載らない島国ということに興味が湧いて、そのことまでも質問してしまった。
だがそれが間違いだったのだ。
私は大馬鹿だ、とアルテミスは内心自分を罵った。
彼ら古代魔道士が他者に姿を現さないのは何故だ? 決まっている。自分の正体を誰かに知られたくないからだ。
それに赤の他人であるアルテミスが深く関われば、もちろん快く話してくれるわけがない。
キリヤが他人に話したのも、やむ終えない事情によるものだったらしいから、とても抵抗があったに違いない。それなのに自分は躊躇もなく聞いてしまった。
彼の忠告だけで済んだのは幸いだった。
もし容赦のない古代魔道士だったなら、自分は害ある者として殺されていたかもしれない。その点においては、キリヤの穏和な性格がうかがえるような気がした。
優しい性格とは言い切れないが、少なくとも殺生を好んではいない。広間の刺客を殺めなかったのが何よりも証拠だ。
アルテミスは古代魔道士の郷里という重大な秘密を知ってしまった。
この真実を知るものは世界中を探しても、滅多にいないだろう。だが優越感はまったくなかった。むしろ大変なことを知ってしまったという恐怖と誰にも吐露してはいけないという責任が、強く彼女の脳裏に焼きつく。
断固として話さないと約束したが、相変わらずキリヤは黙したままだった。
===============
セレスはキリヤの居る客室の前で右往左往していた。
というのも、自分の迷いを振り切って決心したセレスは、キリヤに本当のことを話してもらいたくてやって来たのだが、丁度先の廊下の角を曲がったときにアルテミスがキリヤの部屋に入るのを目撃してしまったからである。
別に入室しても問題ないと思うのだが、昼間の一件で何かと気まずい思いがあったから、顔を合わせたときにどんな顔で会えばいいかもわらない。
やっと気持ちの整理ができたというのに、ここで途切れてしまっては元も子もない。だが部屋に入るにも抵抗がある。しかし中の様子が気になる。
結局セレスが取った行動は、扉に耳を押し当てて、せめて声音だけで状況を理解しようというものだった。
――――いわゆる盗み聞きである。
「……キリヤ殿に………ですが……………しいでしょうか…」
最初に聞こえたのはアルテミスの声だった。
しかし、扉一枚隔てていることもあって所々聞き取りにくい。
「…………より……ですが………………キリヤ殿は………………ではないとか……」
アルテミスの言葉の断片からして、キリヤと会話していることは間違いない。
しかしどんな内容を話しているのかがわからなかった。広すぎる部屋は音が響きにくいというのも一つの原因だが、何より会話をしている二人が元より低音声なのである。女性特有の高音であるアルテミスの声がかろうじて聞こえるだけで、キリヤにいたってはまったくの無音だった。
(何の話をしているのかしら……? とても気になるわ……)
目の前の会話の内容がわからないというのは、元々好奇心旺盛な彼女の性格には耐え難い苦痛であり、そのためいかなる手段を用いても知り尽くしたいという欲求に掛けられた。
セレスは物音を立てないように、ゆっくりと扉の取っ手を捻った。
手の平が汗ばむ。
気づかれはしないだろうか、とセレスは急に不安になった。特にキリヤなら物音より先に気配で察知するかもしれない。いや、すでに気づいているということも考えられる。
セレスは胸に手を当て深呼吸した。
別に気づかれていてもかまわない。それはそれで、キリヤと話すきっかけにでもなるだろう。
汗で手が滑る前に、セレスは素早く扉を開いた。けれども慎重に、そして覗ける程度の隙間で。
「アルテミス殿ッ!」
「はっ、はいっ!」
「……っ!?」
しかし、突然切羽詰ったような声を聞き、セレスは驚いて飛び上がってしまった。
一瞬気づかれたかと思いきや、中を覗いてみると――――――
「………………え?」
そこには、アルテミスに上体を傾け顔を近づけるキリヤの姿があった。
最初の瞬間は、まったくと言っていいほどセレスには状況が理解できなかった。
顔を近づけるキリヤとそれを向かい入れるアルテミス。
その現状を絶対零度にまで下がった思考で全力解析したセレスは、ただ呆然と考えの結果を待つ前に扉を閉じた。
物音はしない。
僅かに残った理性が、相手に気づかれてはいけないという最終警告を自分自身に発してしるように感じたからであった。
自分は今、見てはいけないものを見てしまったのだろうか?
いろいろと思うところがあるのに、まず最初に浮かんだのはそんな考えだった。
心臓が早鐘のように激しく打ち、顔は熱気を浴びたように熱い。それなのに心は冴え渡るように冷めていた。
足が震える。視界が歪み、頭が痛んで吐き気がした。
しかし“二人”の様子がとても気になる。
不安定な足取りでセレスは扉の前に再び立ち、そしてその隙間に耳を当てた。
「……です。たとえこの身が……果てようとも………………と誓いましょう。生涯をもって……せん」
それは同じくアルテミスの声。
途切れ途切れにしか聞こえない声だったが、さっきの二人の状況と今の内容の一部でだいたい理解できる。
特に“誓う”と“生涯”が、セレスの予想を決定づける何よりの証言だった。
(つまり……キリヤ君とアルテミスさんは生涯を誓い合った特別な仲……なのね)
さっきの“接吻”が本当であるなら、彼らはすでに恋仲なのだろう。
もしかしたら、あの口付けは初めてで、自分はそれを運悪く目撃してしまったことになる。
いや、この場合は“運悪く”じゃなく、“運良く”なのだろうか。
その考えに思い至ったとき、セレスは激しく首を横に振って思考を否定した。
(あたしはぜんぜん良くないっ! なんか知らないけど、ぜ~っんぜん良くないっ!)
ふらふらと左右に揺れながら、セレスは扉から離れ歩き出した。
目指すは自室。
とにかく今は何も考えたくなかった。それに誰とも会いたくない。
「あたし……酔ってるのかな……?」
足元がおぼつかず、視界の平行感覚が保てない。
酒を飲んだ覚えはないのに、身体もとても熱かった。
さっきのは自分の見間違いだったのではないのだろうか。
酔った影響で幻影を見たのかもしれない、とセレスはぼーっとした頭で考える。
少なくとも、今のセレスがすることはただ一つ。
「今日はもう寝よ……」
精神回復を伴う睡眠という現実逃避であった。
===============
世界に比べて、比較的ヴェラの源泉が多数点在する大地、エリュマン大陸。
その地理的特性を生かし、魔力の元素であるヴェラを有効的に活用する技術が創られた。
その技術の名は“魔術”。
奇跡の力や神の祝福と呼ばれ慣れ親しみ続けたその力は、二千年前の魔道革命以降手放されたことは一度もない。
未知にして大いなる可能性を秘めた魔道技術。その起源はこの大陸から始まり、やがて他大陸から渡来してきた者たちによって世界中に伝えられた。
人によっては滞在魔力量で行使できる魔術の幅が変化するが、誰しもが魔術を使えるわけではない。
特別な教練を受け、その過程で魔道学と呼ばれる魔術の理を理解して初めて、人は平常での魔術行使が許される。
その選ばれた者たちのことを人は『魔道士』と呼ぶ。
人知を超えた術を操り、神の祝福を得た者。
やがて魔術創生から魔道士は急激に増え続け、互いに争い、互いに手を取り合ってその勢力を強めていった。
そして現在。
魔道士たちの暗躍により誕生した国家たちはかつてと変わらず、目前の欲望のままに権力を振りかざし、互いに牽制し合っている。
その国の代表として分け隔てられるのは『四大国家』と呼ばれる魔道先進国と『緩衝小国家』と呼ばれる魔道途上国だ。
とは言っても、これはあくまで大陸に敷かれる国家種別でしかない。
これを勢力別に大きく分けると
大陸北部の『グルセイル帝国』
西部の『神聖レイフォン教国』
南部の『ディニール皇国』
そして、中央の『ヴァレンシア王国』になるのだ。
『四大国家』と呼ばれるかの国たちは、国内に莫大な資源と広大な領土、そして大勢の住民を抱えており、エリュマン大陸大地の八割はこの四つの国家によって支配されている。『緩衝小国家』はその中でかろうじて生き残っている小国に過ぎないのである。
もちろん、そんな小さな国が大国に敵う筈がない。いつ自国を攻められるかもわからない緊迫した冷戦期に、大国同士は睨みをきかし会っているのだ。ひとたび大戦が起こってしまえば、大国の辺領みたく小さな国はあっという間に滅んでしまうだろう。
自国を守るための生命線は早いうちに確保しなければならない。
『緩衝小国家』は何としても国を守るため、隣国との和平交渉や同盟協定に日々を費やすこととなる。
だがそんな焦燥な雰囲気の中、ただ一国だけ例外があった。
エリュマン大陸東部、『四大国家』のヴァレンシア王国と境を同じくする王政国家、ランスロット王国である。
かの国は今より十年前、突如としてヴァレンシア王国の国境を上空から飛竜隊で急襲し、占領した。捕虜も取らず、国境警備隊を無差別に殺戮したランスロット軍は、さらにヴァレンシア東部へも侵攻し、同時にヴァレンシア王国に宣戦布告したのである。
「――――ランスロット王国のわが国への宣戦は、我らヴァレンシア国民だけでなく、大陸全土を揺るがす衝撃的な出来事でした……」
両手を膝に乗せ、神妙な面持ちで語るアル姐さん。
いつの間にかシリアスになったこの部屋で、俺は身動き一つできないでいた。
「『四大国家』は大陸の絶対的覇権者と、人々の間で深く根付いていた当たり前な論理だったのです。小国が束になって大国にかかっても、その圧倒的軍事力に敵うはずがない。全てにおいて、小国は劣っている、と……」
しかし、とアル姐さんは続ける。
「『緩衝小国家』の一つでしかないランスロット王国は、友好国もいない孤立した現状で我が国に攻めてきました。我がヴァレンシア側も、まさか東の小国が戦争を仕掛けてくるとは思ってもおらず、東部の守りは手薄と言っても差し支えない状態でした。それが奴らの侵攻にさらなる拍車をかけ、またたく間に東部の半分をその手中に収めたのです……」
いつしかアル姐さんの表情はとても堅いといった感じになっていた。
膝に置いた手も若干震えている。
そして奇遇にも、俺もアル姐さんと同じ状況にあった。
それはまさしく不覚というべき回避不能なミスだった。
少しでも楽な姿勢でアル姐さんの対話に臨んでいたら、こんなことにはならなかったかもしれない。ただ俺は緊張すると、身体のあちこちが変に力が入ってしまうために時々起こることがあるのだ。
それは授業中の教室であったり、映画館の座席であったり、駅のホームの椅子であったりetc……。
そう、それは人間誰しも経験する重要な状況での咄嗟の動きができず、でもやっぱり身体動かして苦痛を回避した方が懸命じゃね?いやいやそんなことしたら相手に失礼だし、結局終わるまで我慢するしかないのかぁ~とか考えた次の瞬間この話いつ終わるの?みたいな極度の不安にさらされてある意味トイレを我慢するより辛い肉体的苦悩。
簡略すれば、要するに尻が痛いのである。
「彼奴らは魔獣と同じでした……。占領下に置いた近隣の村や町を襲い、略奪や虐殺を絶え間なく行いつづけたのです……! 領民の命乞いなど聞き届けもしなかった! ただ欲望の赴くまま、無力な人たちを殺害したのです……」
何て奴らだっ! ちょっと頭のネジ逝ってんじゃねえのか?
あ~しかし尻が痛い……。
「……悪辣非道だな。敵方の上層部はそれを知っていたのか…?」
「わかりません……。黙視しているとの情報もありますが、現状は何とも……」
「……現状? どういうことだ? 戦争は終わったのではないのか?」
俺の問いかけに、アル姐さんはまさかとでも言いうように目を見開いた。
「いえ……敵の侵攻は止まりましたが、戦況は現在も膠着状態のままです。……キリヤ殿はご存知ではなかったのですか?」
初耳だぞ?
俺は頷いて肯定。
「そう、ですか……。いえ……前線はこの国の東端だけですから、ご存知ないのも無理はありませんね……」
いや、そもそも俺この世界の人間じゃないから。
つーか尻いてぇ!
「キリヤ殿」
いきなりの呼びかけに、俺は浮かしかけた腰を再び下ろした。
ぐお~…こ、この瞬間が辛い!
「このアルテミス、一生のお願いがございます……!」
いきなり詰め寄ったアル姐さんに、俺は反射的に後ろに仰け反った。
もちろんそんなことをすれば、身体を支える重心が変わり、腰から太腿に及ぶ負担が悪化するのは言うまでもない。
「……ッ!?」
痛みと痺れで思わず叫びそうになるのを堪え、何とか理性を繋ぎとめる。
まだだ! まだいけるっ!
「こんな事を言ってしまうと、陛下と同じになるかもしれません。ですが、それでもこの国を後世にまで存続させるために、あなた様のお力が必要なのですっ!」
力ならさっきから入れてるっての!
しかも下半身が麻痺するほどに……あれ? それって結構やばくない?
俺が内心焦りに焦っていたとき、アル姐さんは俺の横に回って膝を突いた。
ああ! ずるいぞアル姐さん! 自分だけ先に立ち上がるなんてっ!
「崇高なる古代魔道士殿。どうかその奇跡のお力を用い、我々王国の民を救ってください!」
お願いします、と頭を垂れるアル姐さん。
そのときは俺も立ち上がっており、身体の関節(特に腰を)を解していた。
「…………」
「…………」
ふぅ~大事にいたらなくて良かった……。
これで立てなくなってたら、冗談にもならなくなってたぞ? ぎっくり腰とか言われて年寄り扱いされたらもっと冗談じゃない。
「…………」
「…………」
え~と…で、何の話だっけ?
あ~そうそう力が必要とか何とか言ってたな。つまり俺に力仕事でもしてほしいのか? まあ泊めてもらっている身としては、何か役に立たないといけないしな。柱壊したし……。
「かまわない。力を貸そう……」
「え!? よ、よろしいのですかっ!?」
いや、そんなに驚くことはないだろう?
何かアル姐さんは、見た目の冷静な雰囲気と違ってたまにリアクションが大きいところがあるみたいだ。
「セレスにはいろいろと世話になったからな。……その見返りだ」
「あ、ありがとうございますっ……!」
アル姐さんが再び頭を下げる。
『ピロリロリン! キリヤは“勘違い無愛想男”の称号を手に入れた』
はい次こそ幻聴じゃない頭で喋ってる奴出て来いやっ!
ワレおんどりゃ喧嘩売っとんのかボケーー!
『ピロリロリン! キリヤはポテンシャル、“二重人格”に目覚めた』
カッチーン!
「なっ!? キ、キリヤ殿!? いきなり頭を殴打してどうされたんですかっ!?」
「脳内の汚物洗浄だ。こうすると幻覚や幻聴が発生しなくなる」
「なんとっ!? 幻術の類はそうやって防ぐのですか!』
十五話目終了…
勘違いの連鎖、とどまる勢いを知りません(笑