第十四話 桐也の憂鬱とセレスの決意
「恐らく知ってると思うが、一応礼儀として名乗らせもらうぞ?」
黒髪の男が俺の向かいのソファに座り、自分に親指を立てる。
俺としてはあんたのことはもちろん、この世界についてもほとんど知らないからぜひ名乗ってもらいたい。
「俺の名前はアレクシード・ファレンス・エクス・ヴァレンシア。エリュマンが中央の大国、このヴァレンシア王国で王をやっている。あんたに関しては特別だから、気軽にアレクと呼んでくれればいい」
よろしくな、と不敵に笑って手を差し出すアレクだが、俺は体質的な問題もあってその手を握り返すことはできない。
申し訳なく思いながらも、俺は小さく首を横に振って握手を断った。
自分でいうのもなんだがホント不便な体質だ。
しかし握手を拒絶されたアレクは不快な顔をすることはなく、意外だと言いたげな驚いた顔していた。
「ほぉ……さすがは古代魔道士。俺の秘策トラップをも見抜いていたか」
は? 秘策トラップ?
すると突然、アレクに差し出された手が風船のように膨張したかと思うと、一瞬にして破裂した。
「……っ!?」
そこに現れたのは鋭い鉤爪のついた鋼鉄の篭手。俺に握手を求める形のまま、アレクの服の袖から生えている。
――――え? な、何なんだいったい……。
「鳥人の鉤爪……。俺が暇人な魔道研究者どもに作らせた対暗殺者用の装着型魔道具だ」
魔道具? あ~なるほど。つまり手が爆発したのは魔術の影響か……。
仕組みはわかったよ。けどなんでその手が俺に向いているのかな? なぜその手で握手を求めたのかな?
「俺の命を狙う輩は少なくない。だからと言っていつも護衛の兵士に周りをうろつかれると目障りで仕方ないんでね。単独行動時でも自分の身を守れるように、周到な対策は欠かせないなのさ」
差し出した手を引っ込めたアレクはニカッと笑う。
「だが、一度も試したことがないんでな。あんたに気づかれたとなるとさらなる改善の必要がありそうだ」
つまり俺で試作実験したんだなっ!?
あ、危ねぇ~! もし俺が握手してたら片手が肉片になってたぞ!
こいつめ! やっぱり最初から俺を虐めるつもりだったな!?
「へ、陛下……いつの間にそんな物を……?」
アレクの背後に立つアル姐さんが目を丸くした。
あれ? アル姐さんは共犯者じゃないのか?
「はん! どうだアル? 俺だって万が一のために備えてこういう罠ぐらい用意してるんだぜ? 驚いたろ? 惚れたろ?」
腕を組んで胸を張るアレク。
だがその拍子に鉤爪が衣服を裂いたが、本人はそのことに気づいていない。
「確かにその偽手には驚きました……」
しかし、と言って眼鏡を持ち上げるアル姐さん。
「お客人に対して試すとは、いったいどういう了見です?」
次の瞬間には、眼鏡の向こうで冷徹にアレクを見下ろしていた。
「あ、いや……だってこいつは――――」
「“こいつ”と言いますか?」
「じゃなくて…キリヤ殿は崇高な魔道士だから、たぶん…いや間違いなくこのトラップを見破ると思って……」
「では、試す必要はありませんよね? 陛下の行った行動は無意味も同然です」
「なっ! 無意味はないだろっ!?」
「ならば不必要です。即刻処分してください」
「いやいやいや、無理だって! これ完成するまで結構時間かかったんだぞ? 俺発案の集大成なんだ! 処分なんて誰がするかっ!」
「知ったことではありません。悪戯に用いる魔道具など、幼児に与える玩具より不要です」
さっきまでの自身満々の顔はどこへ行ったのやら、今のアレクはアル姐さんの説教にたじたじ。果敢に言い返すアレクであるが、正しくない事をしている時点でもはや言い訳にしかならない。
結局軍配はアル姐さんに上がり、正当な理由を次々とぶつけられたアレクはついに撃沈。俺に消え入りそうな声で一言「面目ない」と言ったきり、部屋の隅でうずくまってしまった。
王としてのプライドを鉤爪の斬撃如くズタズタに引き裂かれたのか、もしくは集大成らしい魔道具をアル姐さんに取り上げられたからか、すっかり意気消沈したようだ。いや、拗ねてるのか?
「キリヤ殿。お休みのところに我が主の愚行、誠に申し訳ございません」
俺に向き直ったアル姐さんが、深々と頭を下げる。
しかも片手にアレクから取り上げた例の魔道具を素手で握りしめていた。痛くないのだろうか?
「…俺のことは別に問題ない。しかし、あのアレクなる人物はまず王としての立場より、一人の大人としての自覚を身につけた方がいいな……」
俺は隅で体育座りをするアレクに哀れみを込めて視線を送る。
とは言っても、端から見れば俺の顔は無表情にしか見えない。それに加えて生まれつき眼つきの悪いもんだから、若干睨んでいるように見えなくもないのだ。
この顔の所為で、いったいどれだけ不良に喧嘩を売られたか……。
案の定、アル姐さんは俺の顔を覗き込んだ途端急に萎縮し、再び頭を下げた。
「仰るとおり。反論の余地もありません……」
い、いや…そこまで頭を下げられると逆に俺が申し訳なくなってしまう。
「頭を上げてくれ……。俺はあなたを責めたわけではない」
「しかし…主の失態は家臣たる私の不注意が原因。存外無責任というわけではありません……」
ずいぶんと責任感が強いお方らしい。それとも自虐的なのか。
だがやはりアル姐さんは間違っている。元はといえばアレクの野郎が洒落にならない悪戯を仕掛けたのが原因なんだ。罪を償うべきは王様の方だろう。
「あなたは何も悪くはない……」
「いえ。私は一度、『玉座の間』でキリヤ殿に剣を向けました。あれは紛れもなく、私がキリヤ殿を敵だと誤解した自分の失敗です。そればかりか、セレス殿の恩人を“偽善者”と暴言を……」
もはや…謝罪の言葉もありません、と俯くアル姐さん。
おいおい、あんたまで暗くなったらこの部屋が陰気ムードになっちまうじゃねぇか……。
「…確かにあの時は少し気に触った。が、それは気配を消していた不審な俺が悪かった。それでいいだろう……?」
頼む。もうこれ以上俺に喋らせないでくれ。さっきからずっと鳥肌が止まらないんだ!
「許して…くださるのですか?」
アル姐さんが呆然とした表情で顔を上げた。
「ああ許す。だからその話はなしだ。いいな?」
俺は一方的に話を打ち切ると、羽織ったままのローブを脱いだ。
この衣、薄いわりには結構熱が篭るため、長時間着用すると蒸れてくる。これもおそらく魔術の影響なんだろう。
俺は制服のネクタイを緩め、腰のベルトにぶら下げた学校鞄をテーブルの上に置いた。
ふぅ~何だかやっと重みから解放された気がする。
ここが自宅なら尚いいんだがな……。
「あの……キリヤ殿?」
「何だ? また謝ったら部屋から追い出すぞ」
追放権限が部外者である俺にあるわけがないんだが、そろそろ他人とのお喋りにも抵抗を覚えてた。
対人恐怖症な俺はすでに、冷静な対処の許容範囲を超えていたのだ。このままだと本当に部屋から追い出すかもしれない。できそうにないけど……。
「いえ……謝罪ではなく、感謝の方です」
ん? 感謝? 俺にか?
想定外な言葉に、思わず俺はアル姐さんに向き直った。
相変わらずその人は感情の起伏が感じられない無表情で俺を見据えていたが、先の広間のような鋭い視線は感じられない。
だが俺には感謝されるようなことなんて、まったくといって心当たりがなかった。むしろかなりの値打ちでありそうな柱を木っ端微塵にしてしまったのだから、弁償を迫られるのかと思っていた。
もしやあの柱は近日取り壊しが計画されていて、偶然やってきた俺が代わりに破壊してやったから修繕費が浮いた、なんてことはないよな? さすがに俺の誇大妄想も異世界だからって通用しないだろう……。
「実際は陛下が行うべきことなのですが、生憎と我が主は子供みたく拗ねております」
言っちゃったよ、この人……。
「よって今回は私が、感謝の意をキリヤ殿に送りたいと思います」
……なんか小学校の恒例行事の締めくくりみたいだな。となると俺は表彰される方か?
突然畏まったアル姐さんが、俺の前に片膝を突き、頭を垂れた。
はあ!? お、おい! いったい何事っ!?
「我が主アレクシード様のお命をお救いになられたこと、この不肖アルテミス、改めて心より感謝いたします……」
俺がアレクの命を救ったぁ? またそれかよ……。集まった兵士たちも俺のことを大恩人とか言って大騒ぎしてたけど、俺が思うに多大な迷惑しかかけていない気がするぞ……。
「ああ、とても大儀であった。感謝するぞ、キリヤ」
いつの間にか復活したアレクが、アル姐さんの隣に並んで不敵に笑う。
いやだから詳細を教えてくれ。俺は何故命の恩人として感謝されているんだ?
「いや~しかし……柱を魔術で吹き飛ばしたときは、さすがの俺も驚いたぜ……」
アレクがまた俺の向かいに座って脚を組む。
「失礼ながら私も同感でした。あのまま宮殿の破壊工作に出るのではないかと……」
眼鏡を押し上げて、大きくため息をつくアル姐さん。
「…………」
……まさか……本当に……俺が壊した柱は、元々取り壊す予定だったり?
実は軸が歪んでいて、柱がアレクの方向に倒れそうになっていた。しかしアレクはセレス嬢との口論に集中していたためにそれに気づかず、避難するのが遅れていた。それを俺が偶然破壊したため、柱の下敷きにならずにすんだアレクとその取り巻きたちは、命の恩人として俺に感謝していると……。
あ、いや…それじゃあ兵士たちが駆け込んできたときの状況と一致しない。あの人たちは破壊された柱を見て驚愕するばかりか憤怒もしていた。つまり壊れたことに善い感情を抱いてはいなかった。
アル姐さんが俺を睨んでいたのは、俺を暗殺者と勘違いしていたからで……それで柱の爆発に巻き込まれたおっさんは……。
はっ! あのおっさんは何者だ?
「アルテミス殿…だったか? 少し、聞きたいことがある……」
俺が尋ねた相手はもちろんアル姐さん。
アレクより比較的……いや、圧倒的に常識人みたいだから返ってくる返答として期待できるからだ。
「はい、何でしょう?」
アル姐さんは立ち上がり、俺の近くに寄ってきた。
ちなみに俺は低い声の上にあまり大きな声を出さないから、聞き取りにくいと家族や同級生によく言われている。アル姐さんが俺に近づいたのも、俺の質問を聞き逃さないためだろう。細かなところもしっかりしているようだし、性格的に真面目なのかもしれない。
「柱の影にいた魔道士は、いったい何者だったんだ……?」
確かランス何たらって王国の魔道士だとアル姐さんは言っていた。
しかし、あのおっさんの詳細な身元や何故あの場所にいたのかがよくわからない。
お嬢も結構心配している口ぶりだったし、恐らく悪い奴ではないのだろう。
「あの者は工作を生業とする魔道士です。我々が知らぬ間に柱の傍で機会を窺っていたのでしょう……。私としたことが、許されない失態です……」
アル姐さんは顔をしかめ、俺から目線を逸らした。
「アル。もう自分を責めるな。あいつの存在は誰にも気づけなかったろ?」
「しかしっ! キリヤ殿はあの者を見破っていました! 全ては私の実力不足です……」
「おいおい……。キリヤと比べてどうするよ。こいつは古代魔道士なんだ。俺たちとはできが違いすぎる」
「……陛下」
「……何だ?」
「“こいつ”ではありません」
「あ。崇高な魔道士殿…だっけ?」
「…陛下が言うと敬意が感じられませんね」
「俺にどうしろとっ!?」
向かいでアレクとアル姐さんが第二次主従口論戦を繰り広げていたとき、俺は思考に耽っていて二人の話をまったく聞いていなかった。
工作を生業とする魔道士……。
つまり建設や土木作業を仕事にしているってことか?
待てよ……ということはあの魔道士はランス何たらって国から派遣された大工みたいな人で、あの広間の柱を取り替える仕事を任されていた?
しかし俺とアル姐さんが険悪ムードになり、アレクとお嬢も口喧嘩を始めたものだから工事作業の開始を伝える機会がなかなかやってこず、俺たちもその人に気づかなかった。結局俺が誤って柱を爆破してしまい、丁重に解体するはずだった柱は粉々。雪崩れ込んできた兵士たちはその惨状を見て唖然とし、爆発に巻き込まれたおっさんは状況を理解する間もなく失神。アレクに向かって倒壊しそうだった柱を防いだ恩人として俺は手厚く歓迎され、今に至るっていうことか……。
……すげぇ。俺ってこんなに推理力に富んでいたか? 自分でも驚くくらい頭が冴えてる気がする。
もしかしてこれもチート能力だったりするのだろうか……。
…ってそうじゃなくて! 俺が歓迎されようがされまいと、俺の魔術暴発があのおっさんの仕事を奪ってしまったってことになるんじゃないか!?
俺最低じゃん! しかもこの人たち手厚くする相手を間違えているだろ!
その後、第二回戦もアル姐さんの圧勝で口論が終了し、ソファの上で抜け殻になったアレクを無視して、俺は再びアル姐さんに質問した。
「……ところでアルテミス殿?」
「はい、何でしょう?」
先ほどとまったく同じ返答をしたアル姐さんは相変わらず無表情。
「俺の魔術に巻き込まれた魔道士は、今何処に……?」
「もちろん地下牢ですが……」
「……?」
なにが“もちろん”なのかわからないが、どうやら俺の推測は外れたみたいだ。俺はてっきり医療施設なんかで休養しているかと思っていた。
一度死に掛けたのに折れずまた仕事とはご苦労だな。俺なら間違いなくノイローゼになって完全に引きこもってしまうぞ。下手したら精神障害でも患うかもしれない。
それにしても地下牢か……。
とても嫌な仕事だが、鉄格子の補強でもするのだろうか……?
「そんなことよりキリヤッ!!」
うおっ!? 復活早ッ!
それにしてもこいつ……初対面のくせに呼び捨てとは随分と偉そうだな。確かに偉い奴なんだろうけど……。
「なあキリヤ。お前に頼みがある。いや、お願いと言ったほうがいいか……」
いきなり今までのヘラヘラした感じがなくなり、アレクは真剣な表情で俺を見つめた。
何だ? また何か厄介事か?
俺はアル姐さんを窺ったが、彼女も不思議そうな顔をしていた。つまりこれはアレクの単独なのだろう。まさか悪戯の類じゃないだろうな?
俺が不審に警戒していると、アレクは束の間の沈黙の後、思い切ったように口を開いた。
「キリヤ。お前、俺の家族にならないか?」
は? というような顔で拍子抜けする俺とアル姐さん。
そしてこの時、俺はアレクのこの言葉がとてつもなく大きな出来事に繋がるとは夢にも思わなかった。
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アプロディーナに手を引かれてセレスがやって来たのは、宮殿の中庭を見下ろせる位置にあるアプロディーナの私室だった。
ただ彼女の部屋まで二人きりというわけではなく、護衛の兵士やアプロディーナ専属のメイドも一緒だったが……。
部屋に入ると早々、アプロディーナは中庭に面したバルコニーに向かった。そこには丸テーブルと椅子が三脚据えられていて、彼女はメイドの椅子引きも待たずに椅子に座り、セレスにも着席を促した。
こういう大胆で行動的なところは本当に彼女の兄に似ていると、セレスは時々思うことがある。
彼女は外見上清楚な雰囲気を漂わせているが、決して大人しいというわけではない。勉強と睡眠の時間を除けばたいてい部屋にはおらず、ほぼ半日宮殿内、もしくはお忍びの外出で至る所を動き回っていた。
もちろんセレスも例外ではなく、アプロディーナに誘われたときは必ず同行している。
護衛という理由もあるが、何より遊びたい年頃である女子ということと、セレス個人が活発な少女だということが二人に共感するものがあったのだろう。
セレスはアプロディーナの向かい側に座ると、最初から慎重にキリヤと出会ってからのことを話し出した。
魔獣に襲われて死に掛けたことを話した時、アプロディーナは驚愕して飛び上がり、怪我はないのかとセレスに詰め寄ってきた。親友を心配させたことに申し訳なく思いつつ、反面それほどまでに心配してくれたことが嬉しかった。
宮殿までの出来事を思い出せるだけ全て話し終えたセレスは、給仕のメイドが淹れたお茶を飲み干した。しかしキリヤが古代魔道士だということは話していない。これだけは絶対に言えなかった。
「…………」
「…………」
二人の間に沈黙が落ちる。
互いに何も喋らず、緊張感が二人を包んだ。いや、緊張しているのはセレスだけなのだろう。上目でアプロディーナを窺ってみたが、彼女は顎に指を押し当て俯いていた。
恐らくは自分のことを考えてくれているのだろう。そう思うとセレスの心は罪悪感で一杯になった。 二人で一緒に考えると約束したのに、結局自分はアプロディーナに全て話したきりなのだ。
やがて顔を上げたアプロディーナはセレスを真正面に見つめる。
その様子にセレスは姿勢を正し、彼女の金色の瞳を見つめ返した。
「ねぇセレス……」
「はい……」
次の瞬間、今までの堅い表情はどこへ行ったのか、アプロディーナは柔和に微笑んだ。
「彼のこと、一度信じてみてはいかがです?」
「……えっ?」
――――今何と?
「ですから、その魔道士殿を心から信じてみるのですよ」
「いや、あの…アプロディーナ様? あたしの話聞いてました?」
アプロディーナは首を傾げる。
「ええ、もちろん。そのキリヤという名の殿方がセレスを脅迫したのでしょう?」
「脅迫っていうか…忠告っていうか……」
「それです!」
いきなりアプロディーナがセレスに指を突きつけた。
「セレスはキリヤ殿の言った言葉が脅迫か忠告か定かではないのです。もしかしたらそのどれでもないかもしれません」
……まさか、それで慰めているつもりなのだろうか。
「はたして彼の言葉は脅しだったのでしょうか? ただ単に、セレスにキリヤ殿の身元を明かさないようお願いしただけかもしれませんよ?」
しかし、それはセレスにも納得いかなかった。
「違いますっ! あの時のキリヤ君は、そんなつもりで言ったんじゃありません! だって…あのときあんなに――――」
――――自分を暗い眼差しで睨んでいたから、というセリフは出てこなかった。
セレスの心を再び混沌が覆う。彼は最初から自分を利用していただけなのだ。魔獣から助けたのも結局……けっきょく……。
「……セレス」
親友の優しい声が横から聞こえてきた。
いつの間にか隣に移動していたらしい。だがセレスは顔を上げられなかった。
「では……何故キリヤ殿はセレスを助けたのでしょう?」
その言葉に、セレスは胸が苦しくなった。
「自分の正体を知られたくないのであれば、彼はあなたを助けてはいなかったはず。セレスの声に振り向くこともなかった……」
もしかすればセレスを始末していたかもしれない、とアプロディーナは続けた。
「しかしキリヤ殿はセレスの命を救いました。その行為に、善意や悪意があるなんて関係ないのではありませんか?」
そのとき初めて、セレスの心に希望の光が灯った気がした。
「命の…恩人……」
《キリヤ君はあたしの命の恩人……。それ以外に何を疑うものがあるというの……?》
魔獣に襲われた昨日の晩、自分は彼を無差別に受け入れた。
彼が何者なんて関係ない。人助けに善も悪も関係ないのだから。
そうだ。自分は忘れていたのだ。
彼の気迫に惑わされ、すっかり忘れていた。
「少なくともわたくしは、キリヤ殿が悪いお方だとは思えません」
だって、とアプロディーナは続け、セレスの手を優しく包み込んだ。
セレスは顔を上げる。
そこには目を細め、女神のように微笑む美しい女性がいた。
「今もこうして大切な友人とお話ができるのも、キリヤ殿のおかげなのですから……」
「……っ!」
『全てを愛し、全てを許しなさい。それが皆が手を取り合える真の絆です』
セレスの瞳から一筋の涙が零れた。
全ての緊張が解け、疼いていた心の傷が塞がっていく……。
「信じて……いいんですよね?」
「それはセレスが決めることです。あなたにとって、彼は特別な存在なのでしょう?」
「なっ!? ち、違いますよ~! キリヤ君は、そうじゃなくて……!」
「あら? そうむきになっては、そのことを肯定するようなものですよ?」
「…………」
「…無言は肯定と受け取ってよろしいのですか?」
「もうっ! ディーナ様の意地悪ッ!」
「ふふ…。冗談です」
顔を赤くして怒鳴るセレスと愉快そうに微笑むアプロディーナ。
その光景はメイドたちにとって日常そのものであり、なんら変わりない平凡なひと時である。
そしてセレスは決意した。
彼が……キリヤが何者であろうと、自分は絶対に裏切らないし逃げもしない。キリヤの言った言葉の真意がどうであれ、自分は自分の意志を貫くのみだと……。
===============
「キリヤ。お前、俺の家族にならないか?」
「…………」
この男は気でも狂ったのだろうか……?
それとも俺の耳がおかしいのか?
「へ、陛下。今何と仰いましたか?」
アル姐さんが眼鏡を持ち上げながらアレクに問う。
俺としては聞き間違いであってほしいと思う。
「だから、俺の家族にならないかと聞いている」
うむ。俺の耳は正常だ。そしてこの男は壊れている。
「陛下、部屋に戻りましょう。ベッドで横になって安静にするんです。特に頭を」
「待て待て待て! 俺はどこも悪くないっ! 今も至って正常だ!」
アレクは腕を引っ手繰るアル姐さんを押しのけると、再び俺の前に腰を下ろした。
「なあ、あんたはどうなんだ? その目の色さえ隠せば、他の連中もお前のことを古代魔道士だって気づかないはずだ。後は俺が事情を大臣どもに説明して、キリヤは晴れて王族の仲間入りができるんだぞ? どうだ? 簡単だろ?」
いや…簡単なのはあんたの思考回路だろ?
「……質問の意味が履き違っているようだ。何故すでに俺があなたの家族になることを承諾された上で話が進んでいる?」
自分でもびっくりするぐらい一気に喋った。
それほどまでにこの男の言っている意味が理解できなかったのだ。
「陛下! 正気なのですか!?」
「だから正常だって言ってるだろ?」
「陛下の正常な発言は私にとっての狂言です!」
アル姐さんが険しい眼つきでアレクに迫る。
いや、俺のせっかくの発言を無視しないでくれよ……。
「彼ら古代魔道士は個々独立した存在として世界中から認識されています。他の集団に招くことは、それは彼らの存在意義を否定することと同義なのですよ! もし王族にしたとして、そのことが他国に…ましてや“教会”に知られたりでもしたら、それこそ我が国は完全に孤立してしまいます!」
待ってくれアル姐さん! 俺はあんたの言っている言葉の意味がアレクの家族待遇発言以上に理解できない!
「そんなの建前だよ。事実、古代魔道士をかかえる国もあるじゃないか?」
「それはお互いの利害が一致したが故の短期間な協力関係に過ぎません。いいですか陛下。彼らは誰かに従いません。そもそも主従という概念が――――――」
そこまで言って、不意にアル姐さんは言葉を切った。
その目は何かを悟ったように大きく見開き、その視線は不敵に笑うアレクへと注がれた。
「……まさか、陛下は……」
「そのまさか。……俺に従えないなら、いっそのこと家族にしちまえばいいってことさ。だったら平等だし、キリヤにとっても不便はない。しかも俺は最強の魔道士を手中に収め、この国を守るための貴重な人材を手に入れることになる。これ以上お得な話はそうないだろう?」
アル姐さんが得体の知れないようなものを見る目でアレクの顔を覗き込んだ。
その体勢から数秒後、大きくため息をついたアル姐さんは俺に近づく。
「残念ながら、主は本気のようです」
「…………」
俺のポーカーフェイスは今にも崩れそうだった……。
十四話目終了…
この小説にBL要素はないとは言い切れませんが、あくまでノーマルです。最終的に主人公が禁断の愛に目覚めたりもしませんので、ご了承ください。




