第十二話 魔術の扱いは意外と難しい by桐也
「どうしてあんたみたいな破廉恥男がこの国仕切ってるわけっ? 信じらんないっ!」
「だからやましいこと考えてないって言ってるだろうがっ!」
「鼻血出してたじゃないですか!」
「あれはアルに顔面を殴られたからだっ!」
「アルテミスさんが陛下に暴力振るうわけないじゃない! 他人に責任擦り付けるなんて国家の管理者として間違ってると思いますっ」
「お前は俺の発言の真偽に対して全否定かっ。そうなんだろ!」
「はい」
「即答かよっ!?」
「元はといえば陛下の日頃の行いが悪いから信じてもらえないんですよ~」
「良くしてほしいならお嬢が最大限に俺を敬え」
「敬ってください、でしょ? あたしにお願いするならちゃんと敬語使ってください」
「黙れクソガキ! 子供は大人の言う事を素直に聞け」
「だ、誰が子供よ! 誰がっ!」
「お嬢が」
「セレス、ですぅ! 側近の名前も覚えられないなんて、陛下は頭の中が老けてるんじゃないですか?」
「ほぉほぉ、そうかそうか。お子様のお嬢から見たら俺は年寄りに見えるのだな。いやはや、どうやら君は精神年齢も身体の成長と比べて大差ないらしい。道理でお嬢の理屈が文句じみてたわけだ。残念ですねぇ~セレスちゃん。アレクお兄さんはまだまだ若「セレスパンチッ!」…ぐはっ! て、てめぇ…!」
セレスとアレクが主従を越えた低層な喧嘩を始めていた頃。
アルテミス・ケリュネイアは腰に提げたレイピアの柄を握り、今だ目立った反応を見せない黒ローブの魔道士に睨みを効かせていた。
とは言ってもその表情はフードの陰に隠れて伺うことはできないが、相手も自分を見ているということはわかった。
何故なら隣で激しい口喧嘩(セレスは殴ったが)をしているのにも関わらず、その漆黒の魔道士はアルテミスの方に頭を固定したまま、まったくと言っていいほど身体を動かしていないからだ。
この者は間違いなく自分を見ている。自分がこの者を注視して視線を離さないのと同じように、この魔道士も自分から視線を外していないのだろう。
しかし、アルテミスにはわからなかった。
なぜ自分はこの魔道士に対して異常なほどの敵愾心を抱いているのか。
この者はセレスの客人だ。しかも宮廷魔道士の彼女に恩人と言われるほどの、恩義のある魔道士なのだ。ならば警戒する必要も理由もないし、不信感を持っては失礼に値するだろう。
それなのに自分はこの魔道士から目が離せない。そればかりか警戒さえする始末だ。
怪しいから……なんて単純な理由じゃない。
もっと別の…何かとてつもなく大きな予感と不安が、複雑にアルテミスの心を締め付けていた。
こんな感覚は生まれて初めてだった。
何もかもが不安で、全てがやるせなくなるような虚脱感。
――――――いや、違う。
セレスの恩人という珍しさへの興味心と、それに覆い被さるように圧し掛かる容姿の奇怪さによる警戒心が、この魔道士に対する自分のすべき対応を見失っているから……。
――――――いや違う。全然違う!
(いったい何なのです、この気持ちは? 焦り? 動揺? 憂鬱? 感嘆? 期待? …違う。そんな明解な感情ではない…。これは負の感情? 感傷…ではないのですか? 心がとても重い。胸が苦しい…。何もかも投げ出したくなる。この場から逃げ出したい……)
「……っ!?」
――――――自分は、この場から“逃げ出したい”?
何故……?
何故逃げる必要がある?
(私は陛下を守らなければならない。逃げてはだめだ。この者から、陛下を……。いや、そもそもこの魔道士は敵だと決まったわけでありません。セレス殿の恩人で客人でもあります。それなのに、何故自分は過度にこの者を警戒している? 異常だ。“怪しいから”なんて理由じゃない。もっと大きな何かが……)
アルテミスは漆黒の魔道士を改めてじっくりと観察した。
先ほどからずっと視線を離していない。
視線を外した瞬間、跡形もなく目の前からいなくなっている気がしたからだ。だがなぜそういう気がしたのかがわからない。何を予期して、何を証拠に?
その魔道士が覆う黒いローブは、一般の魔道士が着用するローブに比べて少し値を張る高級品のようだった。全体から魔力の余波が溢れているのを見れば一目瞭然だ。
身長はアルテミスよりやや高いといったところ。大きくとも小さいとも言えないその体格からは性別を知ることは不可能であった。
だがそれだけだ。
他には何もわからない。何もかもわからない。歯止めの利かなくなった土砂崩れのように押し寄せてくる疑問の連続。
例え相手を睨んで殺気を送ってもまったくと言っていいほど気配を感じられず、その感情を読み取ることは――――
――――――感情が……読み取れない?
感情が伝わらないから、何もわからない?
近い。だが違う。
何かが足りない。もっと決定的な何かが。
フードに覆われた向こう。まるで何もない空洞のように真っ黒な影は、睨み据える自分を吸い込むようだ。あらゆる感情を飲み込む闇。
――――――何もない……空洞?
――――――感情が……わからない?
何故、自分はそんな風に思える?
何故、何もないと理解できる?
何故、感情がわからないと言い切れる?
それは……この者に何かが欠落しているから?
自分はこの者に殺気に近い気配を出している。
だが、この魔道士からは――――――
「!?……そうか…そういうことか……!」
――――――この魔道士には、“気配が存在しない”。
その疑問の連鎖が断ち切れた瞬間、アルテミスは華麗な手捌きで剣を抜刀し、鋭い得物を上段に構えた。
黒の魔道士を狙うその切っ先は軸がぶれるほど大きく震えている。否、それは彼女自身の震えからによるものだった。
アルテミスは全てを理解した。
何故自分は、この魔道士を執拗なまでに警戒していたのか?
最初から答えは、明解なものだったのだ。
それは“恐れ”。手段のない未知の相手に対する恐怖という感情だった。
軍人であるのにも関わらず、一人の魔道士相手に恐れをなす自分は相当愚かだ。しかも自分は逃げたい衝動に駆られた。苦しさのあまり、何もわからない未知に対して恐怖したために。
仮にも自分は近衛騎士団の団長である。守るべき者を守らずして逃げることは敵前逃亡であり、国家への反逆罪に他ならない。
それでもこの魔道士が怖かった。
アレクを狙う暗殺者たちに比べて殺気も何もないこの魔道士だからこそ、気配がまったく感じられず、適切に対応するにもできなくていた。
(どうやら私は、感じたことのない恐怖に思考が混乱していたようですね。セレス殿の恩人ということに固執しすぎて判断を見失いかけていましたが……今なら、間違いなく言えます)
――――――この魔道士は決して、自分の上に人をつくらない――――――
つまり身分社会が存在するこの国では、この者はあまりに異質過ぎる。
味方も敵もない。ただ自分の利害だけで行動する者。
だから他人に一切の感情を知られないため、自らの気配を消滅させた。
罵倒されようが、嘆かれようが、褒められようが、愛されようが、恨まれようが、何の感慨も受け付けない。何故なら感情自体が存在しないから……。
どうやってセレスにつけこんだかはわからないが、この魔道士がアレクに近づいた目的は理解できる。
我が主をこの世から抹消するため、もしくは外交工作の人質として拉致するためだろう。
だとすればこの者を派遣したのは恐らく北の大国、グルセイル帝国の可能性が高い。
諜報によると、かの国では精神制御を施す魔術の人体実験が日々行われているらしい。何でも痛みや恐怖といった感情そのものを消滅させることによって、完全に息絶えるまで戦い続ける兵士を作り出すみたいだ。
詳細はわからないが、もしこの魔道士がその実験結果による完成体なら非常に危険である。
狂人よりも性質が悪かった。
「陛下ッ!」
アルテミスはアレクの注意を引くため、視線を魔道士に向けたまま叫んだ。
「ああ? 何だよアル? 俺は今お嬢を調教するのに忙…ぐほぉお!」
「誤解を招くような言い方しないでくださいっ!」
「だ、だから鳩尾はやめろ…鳩尾は……」
「陛下ッ! 後ろの転送陣よりお逃げください! お早くっ!」
セレスとアレクの会話に割り込み、素早く叱咤するアルテミス。
震える両腕に無理やり力を入れて押さえ込み、構えたレイピアを油断なく黒の魔道士に突きつける。
「ちょ、ちょっとアルテミスさん!? どうしてキリヤ君に刃物突きつけてるのよ!?」
やっと現状に気づいたセレスが驚愕に顔をしかめ、アルテミスに詰め寄った。
「…………」
しかし漆黒の魔道士は動かない。
あんなに叫んでアレクに避難を促したのにその隙を突こうともしない。
(何故です? 陛下がいる限り攻撃の機会は常にあるはず。狙うなら今しかないのに……)
黒いローブに覆われた全身からは、相変わらず殺気はもちろんのこと微量な気配さえ感じなかった。
(だが、疑問の追及は命とりになりかねない。この状況になっても落ち着いていられる冷静さ。この魔道士……かなりの実戦を積んでいるとお見受けします……)
今まで経験したことのない相手に、アルテミスの理性はすでに限界を超えていた。
自分は負けるのではないか。いや、そもそも勝てるという予感がしない。
未知の敵の未知なる戦い。
それが何よりもアルテミスを恐怖として苦しめていて、最初の攻勢を踏み出せずにいた。
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どうしよう俺……? どうするよ……?
「…………」
「…………」
俺こと神崎桐也は今、猛烈に恐怖していた。なぜなら……。
「…………」
「…………」
……腰に剣ぶら下げた美人のお姉さんが俺を射殺さんが如く睨んでくるからだ。
どうやらこの広間に入ってきてからずっと俺を睨んでいたらしく、隣に座る鼻血の男の話にも振り向きもしなかった。
とりあえず『影行動』で気配を消してみたが、こちらを注視する限り気配を消しても意味がない。まあ、気休め程度にはなるが……。
俺は何か睨まれるような無礼はしただろうか?
まさかローブを外さないことに憤怒しているのか? いや、これはお嬢が良いと言うまで脱いではいけないみたいだから問題ないと思う。
しかしその肝心のセレス嬢に聞くにも、今は例の鼻血男といがみ合っているため聞くに聞けない状況だ。仕方なくお嬢を待ってこれからの行動について質問しようと思っているわけだが……。
「どうしてあんたみたいな破廉恥男がこの国仕切ってるわけっ? 信じらんないっ!」
「だからやましいこと考えてないって言ってるだろうがっ!」
「鼻血出してたじゃないですか!」
「あれはアルに顔面を殴られたからだっ!」
……すでに会話はヒートアップ。セレス嬢はしばらく帰ってきそうに無かった……。
っていうか俺、蛇に睨まれた蛙です。身体を動かせない。誰か助けてくれーー!
そもそも何でこのお姉さんは俺を睨むんだ! 理由を言えよ理由を!
まさか臆病な高校生を無差別に眼飛ばす趣味でも持ってるわけじゃないよな? 不良じゃあるまいし……。
ああ……お姉さんのくびれた腰でキラキラ反射してるアレ、“真剣”だよな……。
もし俺が斬られるような事になったら……果たして『真剣白刃取り』はできるのだろうか?
いやいやいや、何受け止める気でいるんだよ俺!?
いくら身体能力が格段に向上しているからといっても流石に高速で振り切られる刃物を動体視力で見切るのはまずありえない。ましてや体育の授業以外で運動したことががない経験値0の俺にそんな特殊動作なんて不可能だ。むしろ白刃取りって一発勝負だろ? 経験も練習もないじゃないか。
「!?……そうか…そういうことか……!」
突然、何かを悟ったような震える声を聞いた次の瞬間、眼鏡のお姉さんは慣れた手つきで腰の得物を抜き払った。
その動作はお姉さんの容姿と同じく美しく華麗で、俺は思わず拍手を送りたくなったが、その刃先が俺の方に向けられていることに気づくと感動も一瞬にして興ざめ。俺の最悪の予感は見事に的中し、一気に口の中がカラカラに乾ききった。
「陛下ッ!」
お姉さんは叫ぶ。その声は俄かに震えていた。
声にまで怒気を含むほど、かなり俺に怒ってるらしい。
しかし俺にはまったくと言っていいほど心当たりがない。
この世界に来て今だ目立った行動はしていないはずなのに、そこまで怒らせるような事はしただろうか。
「陛下ッ! 後ろの転送陣よりお逃げください! お早くっ!」
眼鏡越しに睨むお姉さんの敵意の篭った目が、確実な殺意に変わったのに俺は気づいた。
ヤバイ! ヤバイぞこれは!
ガヌロン爺さんの睨みとまた違った意味で怖い! なんか俺が悪者扱いになってるし!
もう不良なんてレベルじゃない。頭の壊れた暴力団組員か、もしくは殺すまで追っかけてくる殺人鬼並みの凄みがある。理性はすでに風前の灯火。発狂してもいいっすか?
いや、チートな俺ならこの場を切り抜けられるだろうか。いろいろと小賢しい邪魔をして逃げ出せば何とかなるかもしれない。
「…………」
「…………」
いやしかし負ける気がする……。
仕掛ける前に剣でザクッと……。
ああもう! ホント俺って臆病だな!
――――え? 剣……?
瞬間、俺の頭で大逆転の必勝法が閃いた。
……もしかしたら…いや、もしかしなくても何とかなるかもしれない。
「ちょ、ちょっとアルテミスさん!? どうしてキリヤ君に刃物突きつけてるのよ!?」
口論闘争から帰還したセレス嬢が、驚愕した顔でお姉さんに問い詰める。
そうか。あのお姉さんの名前はアルテミスっていうのか……ふむ……。
いや、そんな呑気なことを考えている場合ではない。今すぐ意識を集中しないと……。
「セレス殿。あなたはこの魔道士に騙されているのです。この者は陛下に近づくために、セレス殿に恩人と思わせたのでしょう。人を傀儡として扱うとは、偽善者もいいところです」
集中した意識の中、俺は身体の隅々が温かくなるのを感じていた。
何かが体内に溜まっていくような不思議な感覚。嫌な気はまったくしない。
「違うっ! キリヤ君はあたしを騙してなんかいない! 魔獣に殺されそうになったあたしを助けてくれた命の恩人なんだからっ!」
「はあ!? おいお嬢! お前死に掛けたのか!?」
「キリヤ君をここに連れてきたのもあたしなの! 彼は刺客じゃないわ!」
「彼? この魔道士は男性なのですか?」
う~む……。お嬢が頑張って説得してくれてはいるが、如何せん声がデカイ。
これでは騒ぎを聞きつけた他の人がやってくるぞ? 例えば扉の前に立っている衛兵とか…。
「とにかくっ! キリヤ君はあたしの命の恩人で、その見返りに王宮へ招待したの。暗殺者じゃないわ。だからアルテミスさん、武器を下ろして」
あ、暗殺者ぁー!?
まさかとは思ってたけどやっぱりかっ! 同じ格好してる人が結構いたのに、俺が着ると怪しい奴に見えるのかよちくしょーー!
と、悔しさと羞恥で心を痛めた次の瞬間。
――――ヴゥゥゥゥゥゥゥ……!
「……っ!?」
「な、なんだ!?」
「これは……膨大なヴェラ反応ッ!?」
機械が稼動するような振動音が、俺の右手から発せられた。
し、しまった! 魔力のチャージ中に余計なこと考えたから、俺の中のヴェラが暴走したのかっ!?
俺は慌ててローブから手を出して目線まで持ち上げてみた。
だが右手全体が物凄い光で輝いていたため、俺は眩しさで目が開けられず思わず横に手を振り払ってしまった。
――――――だが、その動作が最悪にも災いした。
まるで指に付着した水滴を払い飛ばすみたく、俺の右手の光が弾丸のようなスピードで発射され大木のような支柱に直撃する。
柱に綺麗に喰い込んだ光線は、間も空けず鈍い破裂音とともに内側から爆発。
爆音を上げて粉塵を盛大に撒き散らし、粉々に砕けた大理石の支柱は見る影もなく消失した。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
……誰一人として声の出ない広間の住人。
同じく現状が今一理解できていなかった俺は、漂う煙の中呆然としていたのは言うまでもない。
だが、その沈黙も束の間……
「今度は何事ですかぁーー!!」
マジ切れ直後のような大声で広間に入ってきたのは扉の前に立っていた衛兵。
そればかりか、その後に続くように多くの兵士がぞろぞろとやってきている。各々いろんな武器を携えているところを見ると、今の騒ぎを聞きつけたに違いない。
瞬く間に俺たちを囲むように集結した。
「陛下っ! お怪我はありませんか!?」
「団長閣下! いったい何事ですか!?」
「お、おいっ! 何だこの煙は!?」
「見ろっ! 宮殿の柱が……」
「何てことだ……。『ティタノ・ヨトゥン』の主柱が石ころになるなんて…」
兵士たちが騒然として騒ぎたてる。
その表情は怒り、悲しみ、驚愕、焦りと人それぞれ。
そしてこの結果を生み出した俺はというと……。
「…………」
ええ、そうりゃもう弁解の余地もありませんよ、はい……。
罪悪感と絶望で放心状態になっていた俺は、とんでもないことをしてしまった事に思わず崩れ落ちそうになっていた。
……終わった……今度こそ終わった……。
俺の十数年という短い人生は、“異世界死没”という形でその一生に幕を閉じるんだ……。
最後にせめて大好物のプリンを腹いっぱい食いたかったなぁ~……。結局引きこもりのまま人生に終止符を打つなんて……俺って本当に不幸だ。
「ちょっとアルテミスさんっ。あそこに誰か倒れてる!」
セレス嬢が粉砕した柱を指差す。
俺はぼーっとした頭で目を凝らすと、確かに煙に紛れて誰かが横たわっていた。
俺と似たような黒いローブに身を包んでいるのを見ると、魔道士なのだろうか。
眼鏡のお姉さんは警戒した足取りで倒れた人物に近づくと、後ろから続く兵士たちを手で制してその場に屈んだ。
「……どうやら魔道士のようですね。今の爆発に巻き込まれたのでしょうか……」
……はは。よりにもよって誰かを巻き込んでたのか。
どうやら俺は死んでも誰かに恨まれる立場にあるらしい。
「ねぇ。その人生きてるの?」
セレス嬢が恐る恐るといった感じで問う。
「いえ、脈も呼吸も正常です。単に気を失っているだけでしょう」
お姉さんは気を失った魔道士のローブを剥ぎ取ると、うつ伏せになった体を仰向けにした。
性別は間違いなく男性。無精髭を生やした顔を引きつらせて白目を剥いている。
ローブを着ていなかったら、普通の中年のおっさんだ。
「なっ!? この男……!」
突然お姉さんが驚きの声を上げる。
それに反応した陛下と呼ばれている男が椅子から身を乗り出した。
「まさか……そいつ、アルの男なのか?」
「セレス殿、陛下に“お仕置き”を」
ばごっ、という音とともに男が声もなく椅子から崩れ落ちる。
その横ではセレス嬢が裏拳の体勢で立っていた。
その躊躇のなさに周りの兵士が震えだす。
あれ? あの金眼の男って王様なんじゃなかったっけ? 今お嬢普通に殴ったんだが……。
「それでアルテミスさん。その人誰なの?」
「個人としては知りえませんが、この魔道士は間違いなくヴァレンシア王国の者ではありません」
「ええっ!? う、嘘ッ!? 何処の魔道士なのっ!?」
全身を使って驚愕を表現したセレス嬢。
それにつられるように兵士たちもざわざわと騒ぎだし、再び辺り一帯が騒然となった。
うん? いったい何にそんなに驚いてるんだ?
俺は変わらず呆然と突っ立って、成り行きを見守っているしかなかった。
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「この魔道士が着用しているのは、ランスロット王国魔道士団の軍服です」
青と赤のラインが縦に入った制服は、アルテミスにも見覚えがあった。
忘れるはずもない。
十年前、前王ガレスを戦死に追いやった長年の宿敵国。四大国家の一つであるヴァレンシア王国に比べるまでもない小国にあるにも関わらず、国民皆兵制度を推し進め、我が領土に侵攻してきた東の国。
「じゃあ……そいつはずっと、その柱の影に隠れてたってのか……?」
アレクが声を低くしてアルテミスに問う。
その表情はいつになく険しかった。
「恐らく、コノア十人長の騒ぎを狙って密かに侵入したのでしょう」
まったく気づかなかった。
主を守るべき役目の自分が、敵の存在に勘付けなかった。
悔しさと無念、そして近衛兵としての責任が、アルテミスの誇りを少なからず傷つける。
もし、あの魔道士が柱を攻撃していなかったら……。
アルテミスは黒の魔道士を振り返る。
そこには相変わらず、その場に着いてから一歩も動いていない“影”のような人物がいた。
先ほどまで刺客の類だと思っていた彼女だったが、どうやらそれは思い違いだったらしい。
詠唱も印も結ばずに発動された未知の魔術。
この者…キリヤと呼ばれる魔道士は標的を見定めることなく、ただ埃を払うように手を振り払って柱を一撃で吹き飛ばしたのだ。
魔術のことに疎いアルテミスでも、あれほどの威力の魔術を短時間で発動するのは大魔道士でも難しいことぐらいはわかっていた。
自分でも気づかなかった“真の刺客”をキリヤなる人物は気づいた。いや、最初から気づいていたのかもしれない。
ただ、敵意を振りまく自分に対して行動を控えていたのかもしれない。
魔術を発動すれば、途端に攻撃を仕掛けられると……。
だが柱に潜んだ刺客がついにアレクへと狙いを定めた時、仕方なく魔術で反撃するしかなかったのだとしたら……。
自分の行動は間違っていたということになる。同時にとても浅はかだった。
そしてこの漆黒の魔道士は恐らく…いや、間違いなく……。
「…『未知の魔術師』……古代魔道士……」
アルテミスは見ていた。
彼の右手が光を放った時、フードの下に照らされた漆黒の瞳を……。
十二話目終了…