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異界の古代魔道士  作者: 焔場秀
第一章 偽りの王子
14/73

第九話 沈黙。沈黙。そして…

 線香と薬品が混ざったようなにおいが鼻を突く、内装のほとんどが木製の一室。

 車酔いした直後だと絶対に吐いてしまうであろう俺にとっては、とても不愉快な空間であることは間違いない。


 その広くとも狭いともつかない部屋の中央。


 置かれた長卓を挟み、ソファに座って向かい合う俺こと神崎桐也と、この街の魔道管理局責任者、ガヌロン局長だ。

 実は俺の隣にセレス嬢がいるのだが、この部屋の異臭の強烈さに酔ってしまい、今は鼻を両手で塞いで俯いている。

 頭を下にすれば余計に酔うのではないのか、と先ほど彼女に聞いたのだが、この態勢が一番楽らだと言うので、そのままにしている。しかし俺が思うにこの部屋から出たほうが一番楽なのではないだろうか? ただ俺を王都に連れて行くまで離れるわけにはいかないと聞かない。人通りの多い街の中で俺を一時間近く待たせた者のセリフとは思えないが、その件に関しては俺のためだったので大目に見るとして………


「…………」

「…………」


 時折聞こえるセレス嬢の呻き声以外は終始無言のこの空間で、年の差六十以上のローブ人が二人、何か会話するわけでもなく沈黙している。

 

 死にたくなるほど気まず過ぎるっ……!


 いつだったか、セレス嬢と薄暗い森の中を並んで歩いていた時以上に気まずかった。


 老人はソファに掛けてからといううもの、両手を膝の上に置いたままずっと俺を凝視してくる。

 その形相は険しい以外の何者でもなく、俺の行動一つ一つに注意を払っているようだ。

 

 対する俺はというと、気まずさで逃げ出したくなる衝動を抑えるために腕を組み、貧乏揺すりが止まらない足を地面に押し付け、こちらを注目するガヌロン爺の視線をやり過ごすために、目線は少し俯きぎみになっていた。

 

 何を考えているのかまったくわからないその表情を見ているだけで、俺は目を回して卒倒しそうになる。だから目を逸らして視線が過ぎ去るのを待っているのだが、さっきよりも一層睨んでくるような気がしてならない焦燥感に駆けられ、ますますその焦りを胸中に溜め込んでしまうのだ。

 臆病者の俺にとっては、注目されることに慣れる絶好の機会だなんて考えられないこともないが、悪い意味で目立っているこの現状で、そんな無茶な試練を受け入れるほど俺は単純じゃない。

 

 一様礼儀としてフードを外してしまったのが災いした。

 これでは俺の平凡なフルフェイスを相手にさらけ出すことになり、その相手であるガヌロン爺はこの部屋に入ってから今までずっと、俺から目を逸らすことはない。不幸だ……。


 こういう時こそ、ムードメーカーたるセレス嬢に冗談の一つや二つ……いや、話題の一つぐらい振ってくれたなら、状況も今よりかなり良好になったであろうが、その当の本人は隣で瀕死状態におちいり、とても会話をできそうもない。老人も話す気はないだろうし、俺も話したくないから、結局のところ八方塞はっぽうふさがりで何も進展せず、要するに時間が経てば経つほど………



「…おえぇ……」


 セレス嬢の嘔吐までのカウントダウンが刻一刻と迫っているのである。

 

 そうなると、さすがに隣にいる俺も無視できるはずがない。

 仕方なく老人に話しかけなければいけなくなり、俺はガヌロン爺に再び視線を合わせた。

 

「…………」


 ……ええ、見てましたよそれはもう俺の顔に特大の穴が空きそうなぐらいにね。

 しかもさっきよりさらに睨みが利いている気がする。……もしかしてこれが『殺意』と言うのだろうか?


「……ガヌロン局長」

 勇気を振り絞って出した俺の言葉は、沈黙が支配するこの空間では十分過ぎる音声だったはずだ。

「……な、何ですかな?」


 何故かわからないが、その時初めてガヌロン爺の表情に戸惑いというか、何か焦りのようなものが表れた。

 俄かに膝に置いた手が震えている気がしたが、大丈夫なのだろうか……? まさかこの部屋の異臭とも言うべき毒気に当てられたんじゃないか? 拒絶反応的なものを起こして俺から目が逸らせなかったとか……。


 だが考えていても何も始まらず、俺は再び口を開く。


「セレスの気分が優れない様子……。このまま終始無言を続けたならば、彼女が王都おうとに着く前に嘔吐おうとしてしまうぞ……」

「………は?」


 …って言ってる場合かっ!! どうしたんだ俺の口ッ!? ついに俺までこの部屋の毒気に当てられたってのかっ? 見ろ! ガヌロン爺さんの奴、何言ってんだこいつ、みたいな感じてとぼけた顔になっちまったじゃなぇか! ああ~~穴があったら入りたい……。フードで顔覆う程度じゃだめだ。もっと本格的な…野生の熊が冬眠に使うような横穴でないと……。


 魔術使って姿くらますのはどうだろうか、と俺が本気で考えそうになった時、ガヌロン爺はついに俺から視線を外して隣にいるセレス嬢に向き直った。


「セ、セレス殿!? どうなさったんじゃ! どこか具合でも悪いんですかの?」


 ようやくセレス嬢の容態に気づいたのか、ガヌロン爺は彼女の元に近づいて背中をさする。

 どうやら二人は、王都にある王宮という場所で勤めていた頃の旧知の仲らしい。

 これが初対面だったのなら、ガヌロン爺の行為はセクハラと言っても差し支えないだろう。まあ他人に触れられない俺が言える筋合いはないが……。 


「うう~~……きもちわるい……吐きそう~……」

「な、なんとっ! その御年で子を身籠られたのか!?」


 …想像力豊かだな、おい。何でそうなるんだよ! 明らかにこの部屋の異臭が原因だろうが!


「ちがいますぅ~……この部屋のにおいが……殺人的で……あたまが…クラ……クラ…」


 ガクッ……


「セレス殿!? いかんいかん! こりゃ重症じゃわいっ!」


 とうとう失神してしまったセレス嬢。

 その傍らで慌てながらおどおどするガヌロン爺。


 

 結局倒れたセレス嬢は俺が魔術で別室に運ぶことになり、その未知の呪文に口を開けて驚いていた爺さんが、立てかけてあった松葉杖に不意に足をぶつけてしまい、悶絶していたのはまた別の話である。




【三十分後……】



 

 ちょっとした小騒動から、場所は変わって管理局長の執務室。

 何でもあの異臭を放っていた部屋は応接間だったらしく、招いた魔道士たちと仕事の対話をするのに利用していたらしい。

 なぜあんな変なにおいがするのか、と聞いたところ……。


「実は精神統一を促すお香を焚いていたのですが……いやはや、若者にはちと刺激が強すぎたようですな。はははは……」


 さっきよりも砕けた態度のガヌロン爺が、髭を撫でながら愉快に笑う。

 しかし全然笑い事ではない。一人気を失って倒れたのだから……。


「しかしながら…セレス殿に『においが殺人的』と言われた時は、さすがにがっかりですわい…」 


 少し目じりを下げて肩を落とすガヌロン爺。

 まあ、お嬢は素直を通り越して大げさだからな。

 だからといって爺さんが悪くないとは言い切れない。精神統一だか何だか知らないが、常人だったら絶対に集中などできるものかと思う。

 老人の睨みに身動きできなかった俺だったが、もしあの場に緊張感が存在しなければ呻き声の一つや二つは出していたはずだ。

 お香に縁のある純日本人の俺だから言わせてもらうが、煙のにおいを嗅いで生理的に受け付けなかったのは生まれて初めてだ。若者には刺激が強いとは言うが、アレは間違いなく年代関係なくその人個人の嗜好だろう。鼻の効く獣人族の拷問にはもってこいだ。

 なぜ俺がここまで詳しく『臭いの強いお香』の話を長々と語ったかと言うと、それほどあの部屋のにおいが強烈だったと理解してもらうためである。


「では、改めまして……お名前をお聞きしてよろしいかな?」

 そんな俺の心境とは知らず、さっきよりもリラックス感上々のガヌロン爺が尋ねてきた。

 うん。さっき険しかったのはやっぱりあのお香の所為だよ、きっと……。

「桐也だ。神崎桐也……」

「ふむ。ではキリヤ殿。単刀直入にお聞きします」


 真剣な表情を含ませ、こちらを正面から見つめる。

 その様子に、俺も姿勢を正す。


 


「……あなたは、古代魔道士エンシェントウィザード殿で間違いありませんな?」

 それは質問というより確認だった。


 だから俺は余計に気になったんだ。


 銀髪少女やセレス嬢の言うエンシェントウィザードとは、いったい何なのか?

 皆当たり前のようにそれを口にするものだから俺もそれに流され、質問の機会を見失っていたが今回は違う。

 

 「間違いないか?」などと聞かれて、「はいそうです」と答えるほど、俺は適当なんかじゃない。

 

 だから聞かなければならない。「エンシェントウィザード」とは何なのか? 

 それは何の役目を担っているのか? 


 銀髪少女の言った『使命』とやらを果たすまで、恐らく俺は元の世界に帰れないだろう。

 そのためにはまず、この世界での俺の『役柄』を理解する必要があった。些細なことでもいい。今はともかく『この世界の俺』に関する情報が欲しかった。


 聞いた途端に不審に思うかもしれない。

 この世界……フィステリアでは誰もが知る常識だったりしたら、馬鹿にされるかもしれない。

 だが、俺は別の世界から来た人間なんていえばもっと馬鹿にされるかもしれない。

 

 だからこそ知りたかった。

 右も左もわからない今の俺にとっては、『知る』ことが一番の糧なのだから……。


「……ガヌロン局長」

 俺は身体を前に傾け、返答を待つガヌロン爺に視線を合わせた。

「……はい」

 緊張に顔を強張らせた老人が、ゆっくりと頷く。


 ――――あんたの言う

「あなたの言う……」

  

 ――――エンシェントウィザードってのは

「……エンシェントウィザードとは」


 ――――いったいなんなんだ?

「……いった「ガヌロン先生ッ!! あの部屋の異臭はあたしへの嫌がらせですか!? そうなんですね!? きっとそうよ! キリヤ君と二人きりで話すために、あたしを気絶させたんだわっ!」

「なっ! そのようなことは決してありませんぞ!」

「嘘です! 嘘よっ! だってキリヤ君は『古代魔道士エンシェントウィザード』だから、たかが上級魔道士マスターウィザードのあたしが近くにいるのが気に喰わなかったんだっ!」

「セ、セレス殿? とにかく落ち着いて……」

「ねぇキリヤ君っ! そうなんでしょ!? 先生は……先生は……あたしを遠ざけたんでしょ?」

「…………」


 

 俺の真面目すぎる緊張感と大事な質問を華麗とも言える乱入で奪い去ったツインテール少女は、それから数十分間喚き続け、俺とガヌロン爺の説得を了承するのにさらに半時間を有してしまった。


 

 そして俺はまたこの世界で新しいことを知った。

 それはセレス嬢が俺の最も苦手とするタイプの女性ということである。




【さらに三十分後……】




「ほぉ~…ではキリヤ殿はセレス殿の命の恩人だということですな?」

「ええ、そうなんです。だからその恩返しとして、キリヤ君を王宮に客人として招くことにしました」


 あれからセレス嬢も落ち着きを取り戻し、これまでの経緯いきさつを俺に代わって話してくれていた。

 念のため気分は大丈夫なのか聞いたところ……。


『全然大丈夫よ! 全部吐いたから!』


 と、笑顔で元気良く返事したから大丈夫なんだろう。

 内容に関してはあえて触れないでおこう……。


「それは実に結構なことです。陛下は少し変わったところはありますが、家臣の忠義と恩を忘れぬお優しい方です。自分の部下を助けてくれた相手ともなれば、アレス様も快く歓迎してくださるに違いありますまい」

「先生! 陛下の変わり者は少しどころじゃありませんよ! 正真正銘の変人です」


 セレス嬢が頬を膨らませながら眉を吊り上げる。

 ……陛下ってこの国の一番偉い人なんだろ? それは随分な暴言なんじゃないか?


「セレス殿。またそのように陛下を変人扱いしては、例の噂がまた一段と広まりますぞ?」

 ガヌロン爺が悪戯めいた笑みでセレス嬢をたしなめる。

「うっ……。だ、大丈夫ですよ。ここにはあたし達しかいないんですし……」

「というと……キリヤ殿も『噂』をご存知で?」


 ガヌロン爺が俺に聞いてくる。

 噂? そういえば派遣魔道士の天幕でも同じようなことを言っていた気がするが……


「……白いローブがどうとか…?」

「なっ……!?」

「ほほぉ~…キリヤ殿は既にお知りのようですな~」


 ガヌロン爺は髭を撫でながらセレス嬢を横目で伺い、その本人は俺を呆然と見ながら顔を引きつらせている。

 うん? 何だこの反応は? まさか…俺は試されていたりするのか?


「すまない……俺も詳しいことはよくわからないんだが」

「わ、わからなくていいわ! それだけは知らなくていいっ!」

「……?」


 ……いったい『噂』って何なんだ? ますます気になってきたぞ。


「そ、それよりも先生!」


 セレス嬢が動揺したまま、ガヌロン爺に話を振る。


「マルシルの奴、最近この街に来ませんでしたか?」

「さあ~……私は聞いておりません。ですが、プシュケならば知っているかも知れませんがの…」

「そうですか……。たぶん…いや絶対に此処の転送陣使ってるはずなんだけど……」

「おや? 何か言伝ことづてですかな。でしたら私が彼に伝えておきますが?」

「え? い、いえいえっ! 結構です! あたしが直接会わないと意味ないですし……」


 今度は慌てて首を横に振るセレス嬢。

 何だ? お嬢人探しでもしてるのか? その割りにえらく挙動不審だが……。


 するとセレス嬢は椅子から立ち上がり、ガヌロン爺に向き直った。


「それじゃあ先生、あたし達もう行きます。午後までには王宮に着きたいんで……」

「ふむ、そうした方がよろしいでしょう。昼を過ぎれば陛下が失踪するやもしれませんからな」


 ははは…と愉快に笑いながら椅子から立ち上がるガヌロン爺。

 やっと出発か。何かこの建物に入ってから余計なことに巻き込まれすぎだぞ。無駄に時間を消費した気がする……。


 俺も椅子から立ち上がり、扉を出るセレス嬢に続こうとする。


「キリヤ殿!」


 不意に後ろから掛けられた声に、俺は振り返った。

 そこには最初に会った時よりも幾分和らいだ顔のガヌロン爺が、俺に向かって手を差し出して立っていた。


「あなたを必要以上に警戒したこと、心よりお詫び申し上げます。許してほしいとは言いません。ただ、伝説的な存在を目にして、気が動転していたのも隠せぬ事実。できれば、私があなたの正体を見てしまったことを他言無用にしてはいただけないでしょうか?」


 伝説的存在!? それは俺のことなのか?

 俺見て気が動転するって……この世界での俺って、いったい何なんだ?


「……無論だ。誰にも他言はしない……」

「あ、ありがとうございます……!」


 安堵のため息とともにガヌロン爺は破顔した。

 そして、さらに俺に手を差し出してくる。


「改めまして……私はガヌロン。グィアヴィア支部の王立魔道管理局局長を務めております。以後お見知りおきを」

「……ああ」


 しかし俺は手を握り返さない。

 人と接触するのが怖い俺にとって、握手はいわば肌と肌が合わさる苦痛という名のコミュニケーションでしかないんだから……。


「…キリヤ殿?」


 不審に思ったガヌロン爺が、怪訝そうに眉をしかめる。

 この際だ。自分を自虐的に皮肉って退室しよう。


「……俺に触れると、あなたが穢れる」

「……っ!」


 そして俺はショック死する。

 こんな恥ずかしいことを素で言える俺は、案外演劇の才能があるのかもしれないがな……。


 フードを被り直し、先に下りたセレス嬢の後を追いかける。

 

 最後に残った老人は、漆黒の少年が言った言葉の意味を考え俯き、そして小さく一人ごちで呟いた。



「彼の過去に……いったい何があったというのじゃ……」

 哀れみと悲しみを含んだその問いは、誰にもわかるすべなどない……。


 

 

 途中セレス嬢と合流した俺は、やがて彼女の案内で転送陣が置かれる場所までたどり着いた。

 一階吹き抜けホールの右手、細い通路を進んだ少し先にあった木の扉をくぐると、薄暗い小さな部屋だった。

 それにしてもこの建物の中はどこもかしこも薄暗いな。明かりが弱いんじゃないか?


 この世界には松明はあってもランタンは存在しないみたいだ。

 光を放つ筒状の魔道具を明かりをともしたい場所に取り付け、一週間に一回のペースで魔道士が魔力を注入すると、凝縮させたヴェラが発光してしばらくの間点灯するらしい。

 何故俺がこんなことを知っているのかというと、さっき玄関前を通った時に見知らぬローブ人に渡された『グィアヴィア支部案内パンフレット』というチラシに書いてあったからだ。

 その時に驚いたのが、何故か俺はこの世界の文字を読めたのかということだった。

 文字を見ると自然と頭で理解するものだから、違和感はまるでなし。考えれば考えるほど謎だらけだったので、そのままこの恩恵を受け入れることにした。まあチート現象の一種なのだろう。



「これが王都行きの転送陣よ。ちなみに一度に運べる人数は四人。人種の生命反応だけを感知できるようになってるから、それ以外の生物は連れて行けないの。王都侵略の妨害を見越しての対策ね」


 セレス嬢が説明しながら部屋の中央へと歩いていく。

 そこには駐屯地の天幕にあった転送陣とは比べ物にならないくらいの細かなルーンが刻まれた転送陣が、淡い緑色の光を放ちながらゆっくりと回転していた。

 

「だから持ち物は絶対に手放さず持っておくこと。仮に身体の一部から離れてでもしたら、それだけ置いてけぼりになっちゃうわよ」


 鞄はちゃんと持ってる? とセレス嬢が俺を振り返って確認する。

 腰のベルトに下げてある通学鞄をローブの端から出して見せると、セレス嬢はさぞ満足そうに大きく頷いた。


「よろしい。それじゃあ円陣の中に入って」

「…………」

「…どうしたの?」

「いや…何でもない」


 何せ小さい魔法陣だ。俺とセレス嬢が二人並んだら間違いなく肩が触れ合うほどに……。

 だから俺は彼女の横につかず、その背後に後ろを向いて立った。


「よし! じゃあ詠唱するわよ!」

 張り切った声で高々と宣言するセレス嬢。

 魔道士なら誰でもできることなんだろ? 何故に誇る必要があるんだ?


「…………」

「…………」

「…………」

「……どうした? 詠唱しないのか?」

「……忘れた」

「……は?」


 思わず後ろを振り返る俺。

 そこには、頭を抱えて左右に揺れるセレス嬢の姿があった。


「……忘れ物なら取りにいけばいい……」

「そうじゃないの~」

「……?」


「ほんとセレスさんは、肝心な時に役に立たないんですから」

 突然響いた高い声に、俺は部屋の出口を振り返った。

 そこにはローブの裾を引きずりながらこちらに歩いてくる小柄な少女がいる。

「プシュケ! あんた仕事はどうしたのよ?」

「今日はもう終わりです。午前だけの勤務でしたからね」

 

 ドワーフ族の魔道士少女、プシュケは腰に手を当てセレス嬢に迫った。


「それよりもセレスさん! あなた、転送の呪文スペルを忘れましたね?」

 えっ? 忘れたってそっちだったのか?

「だって長過ぎるんだからしょうがないじゃない」

「セレスさんは上級魔道士マスターウィザードでしょう! 転送の魔術を暗記できないなんておかしいにも程があります!」


 さらに一歩、プシュケはセレス嬢に迫る。

 どうやらフードを外しているようで、肩で切り揃えた茶髪を無造作に跳ねさせているのが覗えた。


「あ~はいはい、わかりました~。次からはちゃんと言えるようにしますからプシュケさん代わりにお願いしま~す」


 そっぽを向いたセレス嬢が毛頭お願いする者の態度とは思えない調子でダラダラと喋る。


「また人の話を強引に途切れさせるんですから! いいですかセレスさん。友人のあたいだからはっきり言いますけど、少しは魔道士としてのけじめをきっちりと――――――」

「代わりに転送してくれたら『マロンカステラ』奢ったげる」

「わかりました。いいでしょう」


 引き下がるの早ッ!!

 全然頑固じゃねぇじゃん。普通に食べ物に釣られたぞ今! 即答だったし……。


「ありがとうプシュケ。恩に着るわ」

 プシュケに向かって片目を瞑ってみせるセレス嬢。

 う~む……。性格がもう少しマシなら俺も魅力的に感じれると思うんだけどな~。


「い、いえ……。あたいにとってこれぐらいはお安い御用ですよ」

 少し俯き加減のプシュケが俺の方へと歩み寄ってきた。

 床に投げ出されたローブの裾をズルズルと引きずりながら歩くその姿は、やはりどこか愛嬌があってほほ笑ましい……。


 やがて俺の前に立ち止まったプシュケは、こちらを仰ぎ見て……

「あ、あの……キリヤさん」

「ん? ……何だ?」

「その……先ほどは、すみませんでした……」

 は? 何で謝るんだ?

「あなたの身元を疑ったためだとしても、国を……故郷を侮辱したことに変わりありません。あの後よく考えて……あたいだったら、故郷のことを馬鹿にされて平静でいられないはずですから」

 ですからごめんなさい、と深く頭を下げるプシュケ。

 俺はその謝罪にどう対応すればいいか困った。

 なんだってあの場で言ったことの半分は虚偽であり、本当に謝るべきなのは俺の方なのだから。

 今にして思えば、地図に載らない土地なんて人類未踏の未開拓地パンドラ以外の何者でもないじゃないか。そんなところからやってきた俺って、この大陸の人からすればつまり新人類だってことになる。

 言い訳してやり切るつもりが、逆に自分で自分の首を絞めていたなんてな。

 人間ってのは焦ると平常心が保てなくなるから気をつけないと…。はい、これも言い訳です……。


「謝る必要はない……」

「ですが……」

「俺も他人事じゃないからな」

「…え?」


 そうです。実は自分も嘘ついてたもんですから……。


「ほらプシュケ! キリヤ君をいじめないの!」

「あなたの目は節穴ですかっ! どこをどう見れば虐げているように見えるんですっ?」

「だってキリヤ君の顔。少し焦りの色が浮かんでるわよ? つまりプシュケに戸惑ってるのよ」

「あたいには全然そんな風には見えません。むしろ無表情過ぎて感情が削げ落ちたかのようですが……?」


 ここで最後まで話を聞いていたならば、何気にひどいことを言うプシュケに、俺は心の中で落胆していたはずだろう……。

 しかし、俺はセレス嬢が言った、『俺の顔に焦りの色が浮かんでいる』のセリフで呆気に取られながらも内心ものすごく驚愕していたために、話を半分聞き逃してしまった。

 まさか……お嬢の奴、俺の第一秘技『影行動シャドウアクション』ならず、第二秘技『人見知り事情の無表情』までも見破っているというのかっ!

 

 あ、ありえない……。

 俺が数年掛けて無意識に習得した固有技ユニークスキルをこんなに容易く看破する者がいたなんて……。

 世界って広いよなぁ~……。わかってるよ、ここは異世界だ。

 いや、待てよ……。プシュケやガヌロン爺は俺の顔を見て感情を読み取ることはできなかった。つまりこの世界の人間だからと言って、俺の秘技を見破るのは困難。ってことは……


 俺はセレス嬢の顔を見る。


「ん? どうしたの、キリヤ君?」

 セレス嬢が首を傾げて瞬きする。

 

 その動作はとっても可愛らしい…。


 可愛いんだが……。


「あっ。少し顔が変わった。何か考え事?」


 俺は瞬時に顔を逸らす。

 ……やっぱりだ。セレス嬢は大雑把な性格だと思っていたが、それはどうやら俺の思い違いらしい。

 彼女はとても人を見る目がある。慧眼と言ってもいいかもしれない。

 なんたって俺の無表情から感情を読み取ったんだからな。お嬢の顔を見るときは注意しないと…。



「それでは二人とも。準備はよろしいですか?」

「バッチリ!」

「問題ない」

「では、詠唱を始めます」


 プシュケは敷かれた転送陣から二、三歩の距離に立ち止まると、胸の前で指を絡ませた。

 そう言えば俺が普通の魔道士が魔術を使うのを見るのって、今回が初めてだな……。うん。少し興味が湧いてきたぞ。


 俺が魔術を使うときは、精神統一をしながら頭に魔術として具現化するものや現象をイメージする必要があった。つまり多大な集中力を要する。残念ながら漫画のように叫んだら全てその通りになるなんて簡単なことではない。ある意味不完全なチート能力だな、これは。


「――――封じられしゲートよ。輝け。そして解放せよ。導くは都。目指すは北方。生ける者に聖なるご加護を。人外には膠着を。繋がるは変わりなん円陣。それは刹那の願い――――」


 その言葉を最後に、俺の視界は真っ白に染められた。

 




九話目終了……

この小説は不定期更新ですので、あしからず……。

 

小説の話とは関係ないのですが、実は自分、利き手の指が全部霜焼けになるという冗談にならない自体に陥っています。

なので、この小説を書く時もPCのキーボードを打つたびに霜焼けで腫れた指が痒いは痛いはそれはもう集中を妨げるのには充分でした。

便新が遅れたのも、大半これが原因です。


結局言い訳になってしまいましたね。すみません……。


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