第七話 慈愛と発展の街グィアヴィア
慈愛と発展の街、グィアヴィア。
そのいかにも純日本人の俺には発音が困難すぎる西洋に近い風景で彩られた街並みには、多種多様な人間たちが通りを行き交い、石畳でできた道の両端には商人たちが敷き物を広げ、各々に通り過ぎる旅人や住人たちに接客を誘っている。
……こうして見ると、本当に異世界に来たって気がするな。
俺は冷静沈着に現在見ている状況を説明したつもりだが、その胸中は初めて見るものの新鮮さに興奮状態にあった。
それにしても明らかに人間じゃない容姿のヒトもいるし……。
おお! あのつり上がった目に切れ長の耳は、もしかしてエルフじゃないのかっ!?
それにあの猫耳に細長い尻尾! 獣人って言ったっけ? ネコ科以外にもいそうだな……。
はは…! あの背の低くて丸っこいのはドワーフだな。あれで手先が器用なんだから驚きだよな。
ってうわっ! トカゲが二足歩行で歩いてやがる! り、リザードマンだったか……?
何より俺がこの街に来て一番興味をそそったのが、人間以外の種族いるということだった。
まあ確かに魔獣なんてモンスターがいるぐらいだから、別の人種がいてもおかしくないとは思っていた。
しかしゲームの画面越しじゃなく実際に生で見てみると、それは俺の想像を遥かに越えて興味が湧くものがあった。
なんたって魔法の世界なんだ。いや、魔術だっけ? まあいいや。とにかく俺の日常がまったく通用しないこの世界では、逆に俺のいた世界にはないものもたくさんあって見ていて全然飽きないのだ。
はあ~……まさか引きこもりで臆病なこの俺が、こんな人ごみの中でも嫌な気分がまったくしないとは……
世界は広いよな~。異世界だけど………。
それにしてもセレス嬢遅いなぁ……。
用事あるからここで大人しくしてろ、とか忠告……いや、命令してきたけど、かれこれ三十分は待ってるぞ? まさか置き去りにされたんじゃないだろうか? そうだったら大変だ。この世界の金銭無一文の俺はこれからどうやって生きていけばいい? 使命果たす前に飢え死になんて、いくらなんでも格好悪過ぎるぞ。
まあ、俺の魔術能力を用いれば稼ぎ所の一つや二つはあるだろうが………。
そもそも俺たちがこの街にやってきたのも、セレス嬢曰く王都へと繋がる転送陣があるかららしい。
転送陣というのは、特定の場所へ一瞬で移動できる魔法の世界ではお馴染みのご都合便利道具なんだが、俺は既にこの街へ赴く過程でそれを利用しているのだ。
俺とセレス嬢が魔獣との逃避行を終えた次の日。
朝から寝ぼけていた彼女が完全に覚醒するまで待ってから、俺は気を失っていた時の出来事を聞いたんだが……何でも俺は魔術の使いすぎで貧血のようなものを起こしたらしく、倒れて動けなくなった俺をセレス嬢の魔術によって、皮肉にも俺がこの世界に飛ばされた時に気を失って倒れていた場所まで運ばれたらしい。つまりセレス嬢と初めて会った場所だ。
その後俺たちは、再び魔獣に遭遇することなく森を抜けたのだが、その先にあったのが木立一つ見当たらない広大な大平原と、その中に一つだけぽつんと存在する大幕のテントだった。
セレス嬢が言うには、それはこの国から派遣された魔道士たちの天幕であり、ご苦労なことにあの薄暗い不気味な森の調査に来ていることだそうだ。いやはや、あんなゴリラとクマをたして2で割ったような化け物がうじゃうじゃいる森を調査しようなんて、とんだ勇者もいたものだ。
と、俺が感心していた矢先、隣を歩いていたセレス嬢の説明曰く、調査に来ている魔道士たちは自分たちで森に乗り込むのではなく、『召喚』と呼ばれる魔術の一種を用いて、調査用の使い魔を呼び出すんだそうだ。
ふん! 結局は俺と同じヘタレどもだったか……。勇者とか思って悪かったな、同胞たちよ。
俺が彼らに同情している横では、セレス嬢がたいして大きくない胸を張りながら…「あたしは一人で森に入ったんだから!」とか自慢していたが、最終的に俺に何を求めていたのだろうか…?
俺たちはその魔道士の駐屯地に向かう道中、俺の黒目を隠すにはどうしたらいいかセレス嬢が聞いてきた。
まあその問いに何となく予想できた俺は、確認するため何故黒目を隠すのかと聞いたところ……
「はあ!? 何言ってるのよキリヤ君! 黒目は古代魔道士の証なんだから、そんなのさらけ出して歩いたら自分の存在を相手に教えるようなものよ!? 例えるなら、国家機密の書類を敵国の街で見せびらかすみたいな感じ…。わかってるわよねっ!」
例えが危険すぎて嫌な予感ムンムンだったが、少なくともこの世界での黒目というのは超がつくほど珍しいみたいだ。
それとは別に時折出てくるエンシェントウィザードっていうのがずっと気になっているんだが、何かの役職名なのか? さすがに伝説上の生き物ではないと思うが、こちらも超がつくほど気になるな。
結局、駐屯地に着くまで良いアイデアが浮かばなかったセレス嬢は、苦難?の末に自らが纏っていた白いローブを俺の頭から被せ、絶対に顔を上げないで、と脅迫じみた声音で警告してきた。
疑問より恐怖心が勝っていた俺は、震えながらただ頷くしかなかった。
言っておくがセレス嬢の声音に怯えたのではないぞ。彼女に触られたことに恐怖していたのだ。
そして俺たちはそのまま、駐屯地の天幕に入り次第開口……
「セレス・デルクレイル! 今戻ったわ!」
「これはセレス様! お勤め、ご苦労様です。……それで、調査の方は……?」
「まあ原因は大体わかったわ……」
「おおっ! 本当ですかっ!? ……して、その原因とは何です?」
「残念だけど、今は言えないわね。これは国王陛下からの直々のご依頼、まずは王宮に話を通さないと……」
「そ、そうでございましたね……。しかし、これで原因解明につながるのなら、我々も調査がはかどるというもの……。セレス様、此度の遠方……本当にありがとうございました」
仕事熱心なことで……。
俺だったら間違いなく職務放棄だな。
「別にいいわよ。不本意だけど、陛下の命令だから行くしかなかったし」
「ははは……。セレス様の陛下嫌いの噂、どうやら真でありましたか」
「嘘!? まさか、こんな辺境にも伝わってるの、それ!?」
「いえいえ、流石にここまでは……。ただ、グィアヴィアの教会支部に立ち寄った魔道士団の方が噂していたのですよ。『王宮では見慣れる翻った白ローブが、今日も一段と――――――」
「黙りなさい。それ以上言ったら誅するわよ……」
「はい、すみません。失言でした」
「よろしい………」
………おい、いったい何の話だ?
翻った白ローブが一段と何だって?
お嬢! 最後まで言わせてやれよっ! 気になるじゃねぇか!
気になるでいえば、セレス嬢が話してる相手も気になるんだが……。
顔上げたいな。ダメか? 怒られそうだしなぁ……。
声からして男だってのは判るんだが、魔道士ってみんなローブ着てるのか? まさかこの場で俺だけとかじゃないだろうな……?
「そう言えば、あなた一人みたいだけど……。他の魔道士たちはどうしたの?」
良かったぁ~。じゃあこのテントの中に居るの三人だけか……。
少し落ち着いたぜ。
「他の者はグィアヴィアへ買出しに行っています。今は私が居残りです」
「そう……。じゃあ教会への経過報告はまだよね?」
「はい。………ところで、セレス様?」
「何かしら?」
「後ろのお方はどちら様でございましょう? 見たところ、魔道士のようですが……?」
「……え?」
まずい! セレス嬢の後ろの奴って間違いなく俺だよな…?
…っていうかこっちに話題振るの遅いだろっ? こんな目立つ格好してたらテントくぐった瞬間に気づくぞ普通。自分で言うのもなんだが確実に不審者感丸出しだっての……。
「あ~、この人はね……」
声が上擦ってるぞ、お嬢……。
説明する前におどけてどうするんだよ。噛んだらもっと致命的になりかねんぞ!
「も、森で、会ったのよっ! 倒れてたの。魔力切らして。ラズルクで」
……ああ~、終わった。
もう言葉も文脈がなってないし、バラバラだし、見えなくても明らかに挙動不審になってるのが手の取るようにわかるし。
絶対に嘘だってばれたな。
俺は正体を暴かれ、人体実験だとか言って身体を解剖されるんだぁ~~!
「それは大変でしたね。では、こちらで休んでいかれますか? 木でできた硬いベットですが、疲れを取るには申し分ないと思いますが……?」
……え? 何? この人、俺に話しかけてるの?
マジで!? お嬢の言ったこと信じたのかっ?
っと、そんなことより何か答えないと…! え~と、この場合、正体を隠すためにできるだけ他人との接触は控えた方がいいから……
「…結構。気持ちだけ有難く受け取っておく」
「そ、そうなの! 彼は大丈夫だから、グィアヴィアまでの転送陣、開いてくれないかしら?」
「? え、ええ。構いませんよ」
「…………」
まったく……途中に割り込んできやがって。
俺の渋いセリフが台無しじゃないか!
それにしても転送陣だって?
あれ、だよな……? 魔法陣の上に乗って、別の場所まで一瞬に行けるってやつ……。
まさか、この駐屯地まで来たのもそれ使って王都に行くためなのか? だったらそれを先に言ってくれよ。俺はてっきりここで荷造りしてあの大平原をひたすら歩くのかと思ったぞ。
セレス嬢にローブの袖を引っ張られ、連れて来られたのは一本の杖が真っ直ぐに刺さった魔法陣の中だった。
俺が今朝魔術で生み出したエセ魔法陣とは作りが雑だったが、それでも微かに発光しているのは何らかの魔術の行使があったのだろう。たぶん……。
「ねぇ。一応聞いておきたいんだけど、その『例の噂』をばらしてる魔道士団の人って、褐色の髪したギザギザ頭の阿呆男じゃなかった?」
何だそりゃ?
魔道士って阿呆でもなれるのかよ。
「その、阿呆かどうかはわかりませんが、特徴としては確かにそうだったと思います……」
「……そう、ありがとう。じゃあ、あたしたちは先に街に戻るわ。他の魔道士さんたちにもよろしく伝えておいて」
「はい。必ず」
その会話を最後に、俺とセレス嬢の乗った魔法陣、もとい転送陣が音を立てて輝きだす。
どうやらセレス嬢が杖の先端に触れて、何か呪文のようなものを呟いたようだ。それがこの転送陣を発動させる合言葉か……。
「名も知れぬ魔道士殿。どうか、お体をお大事に……」
次の瞬間、俺はその言葉に反応することもやむなく、視界を覆った眩い光によって思考を中断した。
相変わらず足元しか見えていなかった俺は、結局男性魔道士の顔を拝む事ができなかった。
ただ言えることは、その魔道士はとても親切なお人よしだったということだ。俺の態度とセレス嬢の動揺に何も関与しなかったのは、彼なりの配慮だったのかもしれないな……。
……そして場所は変わってグィスヴィアの街の繁華通り。
俺は過去の回想からさらに五分という時間単位を消費し、セレス嬢がこの場で待っていろと言って去ってから、既に三十五分が経過していた。
ちなみに俺たちが転送陣によって送られたのはこの街の一番大きな酒場、『失恋の青鳥』という幸せなのかそうでないのかよくわからない屋内の地下室だったりする。
なぜあの場所に繋がっているのか謎だったが、その場に転送されて早々、鼻を突くようなアルコール臭に二人揃って呻いたのは確かだった。レンガで作られた一室に酒樽が天井いっぱいにまで積み上げられているのだから、においが充満していて当然だった。けど全然良くない。酒臭くなったらどうするんだって話だ。
転送陣設置の許可は酒場のオーナーに取られていたため、俺たちは難なく酒場を出ることができた。
そして俺が立っている場所は、その酒場と雑貨屋が隣接した間の路地前である。
しかも格好はセレス嬢に渡された(被せられた)白いローブ姿のまま。
セレス嬢曰く、人通りが多いこの場所だと目立ちにくいけど激しい動作は禁止、とのことらしいので、俺はさっきから腕組みをした態勢で、目深に被ったフードの影から行き交う人の流れを目で追っていたのだ。
「…………」
……俺何処の暗殺者よ?
これ全然目立ってなくね? だってこのローブ真っ白なんだもん。こんなローブ着てるの俺だけなんだもん。これじゃあ嫌でも目に止まるぞ。前向いて歩いても視界の端に絶対映るって!
はぁ………いっその事魔術使って姿消そうかな。誰にも見えないように透明人間になってさあ、ステルスキリヤ、異常ありませんっ! とか言っちゃって………。
「ほほう……大人しく待っていたのね。感心感心…」
「………遅い」
何がほほう、だ! ホントおっせぇぞ!! 四十分も待たせる用事っていったい何してたんだ!
まさか街の外へ繰り出して魔獣倒しながら経験値上げしてたんじゃないだろうな!?
ならばその褒賞金として稼いだ金額の半分を俺に寄越しなっ! 待ち金だ! 利息は高くつくぜ。
「ちょ、冗談だって。そんなに睨まないでよ……」
セレス嬢が顔を引きつらせながら、後ず去る。
別にそこまで怯えることはないだろう? 何だか傷つく……。
「もういい……。それで、用とは何か?」
「あ、うん。そのことなんだけど……」
ちょっとこっち来て、といきなり俺の手首を掴んで路地へと駆け込むセレス嬢。
…ってうぎゃあああ!! た、頼むから俺に触らないでくれぇ! ふ、震えが、発作がぁあ…!
しかし俺の心の叫びとは裏腹に、俺の腕を引っ張り続けるセレス嬢は、やがてまったく人気のない細い路地に差し掛かった時に立ち止まった。
「な、何事だ? いったい……」
「よし。ここじゃ、誰にも見つかりそうにないわね」
だがセレス嬢は俺の問いには答えず、周囲を見渡して誰もいないことを確認する。
そしてその一安心した表情を引き締めると、俺の方を振り向いた。
「キリヤ君………」
ん? 何だあ? 珍しく真剣な顔して……。
何か悪いものでも食ったんじゃないか?
だが、彼女からはふざけているという意思が感じられないから本気なんだろうが、そうなると何が彼女を真剣にさせたのか?
セレス嬢は俺の前に一歩詰め寄ると、やがて意を決したのか、口を開いた。
「……脱いで」
「………は?」
「今すぐ脱いで。早くして……!」
セレス嬢がさらに一歩詰め寄ってくる。
その距離ほんの数センチ。互いの吐息が掛かるほどの至近距離で、しかも彼女は俺の肩を押さえ込んできた。
「早く………!」
「なっ………!」
ちょ、セレスさんっ!? あなたはいったい俺に何をしようとしているのですかっ!?
っていうか俺から手を離してくださいっ! 震えが起きますから! 発作の前兆がぁぁああ!
「もう、キリヤ君! 早くしないと誰か来るかもしれないわ!」
早く何をするって!?
それより俺を抑える手を離してくれっ! これじゃあ何をするにしても一切の行動ができんっ!
肩を押さえるなんて卑怯だろっ! 力入れようにも入らないじゃないか!
「おい…! 離せっ! 俺の貞操は…やらんぞ!」
「へ?」
俺の命の叫びを聞き、一瞬呆気に取られるセレス嬢。
しかしその顔に、みるみると赤みが増した瞬間、顔を怒らせて大声で怒鳴ってきた。
「ち、違うわよっ! 何勘違いしてんのっ! そのローブ脱いでって言ってるのよ! ほら、これキリヤ君の新しいローブッ!」
そう言っていつの間に出したのか、片手に握られた一着の黒いローブ。
それをセレス嬢が顔を真っ赤にしながらこちらに差し出してきた。
ああ、なるほど……。
要するに、人目があるところで着替えたら俺の黒目が必然的に外部へさらけ出されるわけであって、俺の顔を見た民衆が驚いて大騒ぎでも起こしたら、それこそ俺たちは混乱の極みに立たされることになる。俺の性格上、それは非常に危険すぎる。
「魔道具店で買った魔力付加の一級品ローブよ。最初は普通のマントにしようかと思ったんだけど、キリヤ君、古代魔道士でしょ。だから、その……キリヤ君に似合いそうなローブを探していたら、結構時間掛かっちゃって……」
赤らんだ顔を逸らして、おどおどしながら言い訳のような説明をするセレス嬢。
それがとても可愛らしく思え、同時に俺のために時間を掛けてローブを買ってくれたことに、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「……そうか。…わざわざすまない………」
俺はなるべく彼女の手に触れないように、そのローブを受け取った。
驚いたことにそれは羽のように軽く、広げると丁度俺の身長と同じぐらいの大きさがあった。
セレス嬢は寸法まできっちりと選んでくれたらしい。
「べ、別にいいのよ。……それに、キリヤ君はあたしの命の恩人なんだから……」
最後のはよく聞こえなかったが、彼女が誠意を持って俺に施しをしてくれたのには変わりない。
俺は早急にローブを着替えようと、セレス嬢の白いローブに手を伸ばしたのだが……
あ、そういえば俺魔術使えたじゃん……
そうだよ。俺の魔術でローブを入れ替えたらいいじゃないか。
白いローブをセレス嬢が。黒いローブを俺が着込むように想像して魔術を発動すれば、それで万事解決じゃん。
何で今まで気づかなかったんだ? そういえばこれまででも魔術使う機会が多いにあったじゃないか。考え事しすぎてその能力の存在をすっかり忘れていた。やっぱ俺って馬鹿だな……。
「キリヤ君?」
首を傾げるセレス嬢に苦笑し、目を閉じて意識を集中させる。
想像しろ。ローブを着込んだ姿を……。やましいことは考えるなよ。
俺は俄かに暖かくなった両の手の平を、二着のローブにあてがった。
そして告げる。発動の言葉を………
「替われ……」
まんまだが、終わり良ければ全て良しだ。
二着のローブが発光する。
そして次の瞬間には、黒いローブを俺が、白いローブをセレス嬢が身に纏っていた。
「ええっ!?」
セレス嬢が自分の身体を見下ろして驚きの声を上げる。
大げさだな。お嬢だって魔術使えるだろ……。
「これで……良いのだろ?」
「え? ええ……問題ないわ。うん……本当に何でもありなのね」
「……??」
どういう意味だ?
魔道士はみんなこういうことができるんだろ? 確かに俺も何でもありの世界だって気もするが。転送陣とかあるし……。
「あ! それとキリヤ君、これ……」
何か思い出したように、セレス嬢は懐をごそごそと探り、頭大の革鞄を取り出した。
「これは……俺の鞄か?」
「やっぱりキリヤ君のだった? 森の中に落ちてたんだけど、金具が壊れてて開かなかったのよ……。だからローブ買うついでにドワーフの工房に寄って直してもらったんだけど……そこの親方が驚いてたわよ。こんな精密な作りの金属部品なんて見たことがない、ってね。いったい何処で作られた特注品なの?」
精密なのは当たり前だな。なんたって機械で作ってるんだから……。
この世界の人たちにとって魔術は生活の要みたいだし、機械で大量生産されたなんて言っても信じてくれないだろうな。
仕方ない。上手いことはぐらかすか……。
「悪いが、詳細は言えない。……これは俺のいた国の機密に関わることだからな」
「え? そ、それじゃあ、あたしが工房の人に見せたのって、結構マズかったんじゃ……」
「さあな……」
「さあなって……。国家機密なんでしょ? そんな適当でいいの?」
だって俺、この世界のドワーフのこと知らないし。
もしドワーフの手先の器用さが、人間の能力を軽く凌駕しているんだとすれば、似たような部品ぐらい作れるのかもしれないが、俺そういうの詳しくないからなぁ……。工学には興味なかったし…。
俺はセレス嬢から渡された通学鞄の金具を外し、中を覗いてみる。
ふむ。全てあの時のままだな……。教科書、ノート、筆記具、あと図書館で借りた小説が二冊、と。
財布や携帯は家に置いたままだったはずだ。朝寝坊して急いでたから入れるのを忘れていた。
何もなくなっていないことを確認して、俺は鞄の金具を留めなおす。
「何が入ってるのか、聞いてもいい……?」
目の前でセレス嬢が遠慮がちに聞いてくる。
まあ、見たこともない鞄の中に入ってるものって気になるわな。しかし、ここで中身を見せれば質問攻めに遭うのは間違いない。だからこの世界についてそれっぽいことを言うことにしよう。
「ダメ……かな?」
「魔道書だ」
「え?」
俺は不敵に笑って、セレス嬢のとぼけた顔を見下ろす。
はぁ……。俺はいつからこんなキザ野郎になったんだか……。
「俺の人生の大半をつぎ込んだ魔術の全てが、この鞄の中に入っている。それだけだ……」
セレス嬢が大きく目を見開く。それは既に驚愕を通り超して信じられないというようであって、冗談で言ったつもりの俺は、その反応に逆に驚いてしまった。
ま、まずい! お嬢、まさか本気にしてるんじゃないか?
いかんぞこの反応はっ! 今すぐ取り消さなくては……!
俺は冗談だと、否定しようとした途端……
「す、すごいわね……。そ、そ、そんな、魔道士にとって、誰もが、あ、あ、憧れる魔道書を……それは、もう、その……あれよ! とってもすごいことだと思うわ! うん……」
「…………」
とっても動揺してるよ、セレス嬢……。
もう無理だ。こんな状態で今更嘘です、なんて言えるわけがない。だってこんな暗がりでも判るほどセレス嬢の蒼い瞳からキラッキラ光線が鞄に注がれてるんだぜ? 彼女が俺の魔道書(嘘)にとてつもなく興味を抱いているのが、オーラみたいな感覚でひしひしと伝わってくるよ……。
この瞬間、俺の鞄はこの世界の住人にとって未知のものと化し、俺にとっても気楽に開ける事のできない禁忌の私物に変貌した。
そして同時に決心したのが、俺はとんでもないことを口走ってしまったのだという罪悪感に、二度といらぬ嘘はつかないという固い信念だった。
少し道に迷いながらもなんとか路地を抜け出し、大通りを街の中心部に歩き出した俺とセレス嬢。
俺の格好は白いローブが黒に変わっただけだったが、黒いローブ、もしくはマントを着ている人はあちこちに見受けられたのでまだマシだった。
しかしセレス嬢の格好が白いローブ姿には変わりない。恥ずかしくないのだろうか……。
まあ、この世界の価値観とかよくわからないから、俺がどうこう言う筋合いはないんだが……。
それからしばらく歩いて俺たちがたどり着いたのは、大きな時計塔が建てられた広場だった。
たぶん時計と思うんだが、何せ針の数が六本もあったから、よくわからん……。
その時計塔の向かいには、これまた大きな建物があった。金持ちの屋敷だろうか……。
セレス嬢はそのまま広場の左を横切り、やがて立ち止まったのが三階建てのレンガ造りの建物の前だった。外装は至って普通。怪しい雰囲気を醸し出す古ぼけた感じはなく、何かしっかりとした目的があって作られたかのように思える。
「役所か……?」
「違うわ。庁舎は向こうの大きな建物。役場も一緒よ」
そうしてセレス嬢が指差したのは、さっき俺が金持ちの屋敷と勘違いした豪華な建物だった。
なるほど…。確かに街の治安を担っている場所としては向こうの方がしっくりくるな。
「ここはソーサラー教会グィアヴィア支部の王立魔道管理局。この国、ヴァレンシア王国に所属する魔道士たちが業務の依頼を受けたり、身元不明の魔道具を保管したりするところなの。まあ、それはほとんど庶務に近いんだけど……本業は転送陣の受付及び管理といったところかしら」
そう言ってセレス嬢は入り口の階段を上り、扉の前に立って俺を手招きした。
つまりはこの魔道管理局って所で管理されている転送陣を使い、王都まで一直線ってわけか……。
それは楽できていいな。俺も異存はない。
扉から出てくるローブの人たちを避けながら、俺たちは玄関ホールに入った。
外に比べて中は広々としているのかと思ったが、案外そうでもない。部屋の隅々には見たこともない機械(魔道具だっけ?)が所狭しと置かれていて、他の魔道士たちを含めると結構な圧迫感があった。
こういう狭苦しいところは苦手なんだよなぁ……。なるべく触れられないようにしないと……
俺はフードを深く被り直し、先へとズンズン進んで行くセレス嬢を見失わないように『影行動』を最大限に発揮して追いかけた。
そうして辿り着いたのが、一階吹き抜けホールの一番奥。
受付と思わしきカウンターが並ぶ一角、そこには一人のローブ姿の受付係が紙に筆を走らせながら、何やらぶつぶつと呟いていた。
セレス嬢はその前に立ち止まり、カウンターに肘をつき、受付の人の頭を……
がしっ!
「ふんぎゃ!?」
…鷲掴みにし、それに驚いたローブの人が慌てて頭を振る。
おや? 声からして女性のようだがかなり幼いな……。
然るに、受付嬢が顔を上げて言った第一声は……
「セレスさんっ! やって来て早々あたいの頭を鷲掴みって、いったいどういう了見ですかっ!」
……どうやらお二人は知り合いらしい。
しかし出会いの挨拶が頭鷲掴みって…この世界はいよいよわからなくなってきたぞ。
七話目終了……
ついに新編突入しました!
これより主人公は新たな動乱に巻き込まれていく……はず。