4・この世界
好き勝手に自分のペースですごしていた一人暮らしが少しばかり懐かしいと思ってしまう。部屋の天井のスリットから入ってくる陽の光で夜が明けたことはわかるのだが、ベッドに潜り込んだのが夜遅かったのでもう少し寝ていたいと思うのだけれども。自室の扉をコンコンコンと三度叩かれる。
「朝ですよ、起きてください」
自分がなにも言わないと、もう一度扉を叩いてくるので、もう起きていると寝ぼけ声でゆっくりこたえた。
「早く下りてきてくださいね」
仕方ない、起きますか。ベッドから立ち上がって部屋着に着替えてから一階に下りて先に顔を洗ってテーブルについた。眼の前には木の器によそられたお米っぽいもののスープリゾットと、この世界での野菜に相当する数種類のスティック状にカットされているサラダがサラダソースと一緒に木の皿に盛られていた。テーブルを挟んで眼の前には、ナッシュ。ナッシュ・レヴァン・マヌァンホーマが座っている。自分を起こしに来たのも朝食の支度をしたのもナッシュだ。
ナッシュを助け出した異界生物体の巣から戻って三人と別れた数日後にナッシュが岩盤洞窟の自宅を訪ねて来た。巣の中から無事に出られたのは自分のお陰だからとわざわざお礼を言いに来たのだそうだ。部屋に通すと、これでもかというくらいに感謝の言葉を浴びせてきて、これでもかというくらいガルスへの憤りを聞かされた。ガルス、今頃大きなくしゃみをしているかもしれない。
なんだかんだ長いこと話し込んでいるうちに辺りは暗くなっていたので、二人分の夕飯を準備しながら、もうこの時間は危ないから空き室はあるので泊まっていったらと勧めると嬉しそうにしていた。
翌朝起きてみると有り合わせものでナッシュが朝食を支度していた。勝手に台所をいじってもらっては困るのだけれど泊めてもらったお礼だと言うので余計なことは言わずに好意として受け取った。食事をしたら帰るものだろうと思っていたのに、しばらくしても一向にその気配がないのでどうしたのか訊ねてみると、ここにしばらく置いてほしいと言いだした。部屋の掃除も洗濯も食事の支度もいろいろ何でもしますからと。いやいやそんなことをしてもらう謂れはないからと何度断っても、私の命はあそこで終わっていたかもしれなかったのを救ってくれたのはあなたなので、感謝の意を示さなければ気が済まないと食い下がってくる。このまま断り続けても埒が明きそうにもないので、少しくらいでも家事手伝いをしてもらえば納得してもらえるだろうと思い、数日の間だけという条件でいてもらうことにした。
しかしながら何日経っても帰ろうとする気配はなく、それどころか自宅の家事全般も外の食性植物栽培の世話も、自分のやることがなくなるくらい毎日張り切って切り廻すものだから、もういいよとも言い出しにくくなってそのままになってしまった。
「朝は毎日規則正しく起きてください」
「今日の洗濯ものまだ出てませんよ」
「部屋を散らかさないでください。塵はちゃんと塵入れに」
「背中を流しますから向こう向いてください」
台所の調理器具は毎食後綺麗に整頓され、纏め洗いしていた洗濯ものは毎日バルコニーで風に揺られ、すぐ手に取りやすいように置いていた部屋の和綴じ本は本棚に整然と納まり、自分でできると断っても背中はお流ししますと入浴の手伝いをしにくる。メイドでも家政婦さんでも女中さんでも、言い方はどれでも良いけれども、なんだか住み込みで雇っているみたいになっている。
いつまで経っても終わりそうにないので、もう充分過ぎるお礼はしてもらったからと言ってみたけれども。
「このくらいじゃ私の思いは伝わりきれません。ニーナの生活の一部になれるよう頑張ってお世話しちゃいますよ」
これはいつまでも元の気楽な一人暮らしには戻れそうにない。こんな感じで四六時中一緒にいたがるのをライトノベルやアニメではなんて言ってたっけ?。そうそう、こういうのをたしか『懐かれた』って言うんだ。いやいや駄目駄目、なんとかしなきゃ。
「それでは出掛けてきます。食器は片づけてくださいね」
元々ナッシュはガルスの下でファイターの訓練を受けていたんだから、ここで御三どんをしている場合じゃない。アザの町の食事処ミランのご主人のミランに相談してみたところ、アザに腕の立つファイターが新人育成もしているので紹介してくれることになった。ナッシュに育成訓練の話しをしてみると、お世話ができなくなるからと難色を示したので、訓練する気がないなら無理にでも追い出すけれど、ファイターになる訓練をするなら気が済むまでいていいよと条件を出してみた。
「行きます!」
痛い!痛い!痛い!。思いっきり締め上げてくるように抱きついてきたので振りほどくのに一苦労だ。うーん、慕ってくれるのは良いんだけどねぇ。
それからはナッシュは毎日アザの町に出掛けるようになったので、夕方に帰って来るまでは仮の一人暮らしの時間ができるようになった。ナッシュがいないので、その分二人で当番表に振り分けた何らかの家事を片付けておかないと、帰って来たときに怒られてしまうけれど。ここ自分の家で元から気ままな一人暮らしで自由なはずのに、なんか納得できないのだが仕方ないか。
当番表の家事を済ませて二階の部屋に戻ると、机に向かって和綴じノートを開いた。受けた依頼はその内容を備忘録として記録を付けているのだが、今回のガルスの依頼分はまだ手を付けられていなかったので、一人になれる昼間のうちに書きはじめることにした。
依頼を受けた経緯からナッシュを巣から救出して町に戻る過程を詳細に記述するとともに、関わった主要人物についても後々どのような付き合いがあるかわからないので詳細に書き留めておく。
ガルスは実は依頼料を一括で払えるほどの手持ちがなかったので、ミランのご主人と相談して分割払いで代理人のミランに納めてもらうことにした。そのあとはヨキーマタタットの街に出掛けたそうだ。ヨキーマタタットにはヴィンゼンの家族が帰りを待っているはずなので、辛い報告をしに行くことになる。考えるより先に身体が動くような危なっかしい性格だが、責任感が強い仲間思いの人物だ。
待機期間が終わったマノウは、別のパーティーに加わって既に探索に出発しているとのことだ。言葉数は少ないが芯は強く冷静な性格で、今回見せてくれた魔法は火炎系と地岩系の二系統だった。マノウもガルスに雇われていたのだが、これもガルスは全てを支払えなかったので憤りの態度をガルスにぶつけていた。借金はこれもミラン経由で支払うことになった。
ナッシュについては改めて書いておく必要もないかもしれないけれど、自分のところに押しかけお世話三昧状態とファイターになる訓練中である旨を記述した。そのナッシュには少し気になることがある。自分の部屋の隣をナッシュの部屋に充てがったのだが、明け方近くになると天井のスリットの向こうから時折りナッシュの大きな寝言が聞こえてきてその声で起きてしまうことがある。気になるのはうなされているような声で悪夢でも見ているのだろうか。
「こんなところで!。ここでもまた!。またダメなの!!。また死ぬの!!」
鬼気迫るその声も言っている言葉も、以前にも自分は聞いたことがある。そう。今生きているこの異世界に転生する前のいろいろな転生先で、絶望的な状況の中で誰かが発したものによく似ている。
「もしかしたらナッシュもどこか別の世界から転生を繰り返していて、今ここにいるんじゃないだろうか」
地球上だけでも人間や動物、昆虫や節足動物、細菌その他多数の生物が、この瞬間にも大量に産まれて大量に死んでいくのに、その地球が属する天の川銀河だけでも地球に似た惑星は数百億個存在するといわれていて、生命が存在するだろう他惑星でも誕生と死滅が繰り返されていて、それが宇宙の無限に思われる他の銀河の中でも同じことが繰り返されているなら、前世の記憶の有無を問わずに、どの異世界でも実は転生者だらけなのかもしれない。
ナッシュが自分に妙に懐いてくるのは本人が知ってか知らずかわからないけれども、境遇が同じ臭いを感覚的に察知しているのかもしれない。
ガルスからの依頼内容については書き終えたので、今まで書き溜めたこの異世界のことについて追記や訂正すべき事項がないかどうか頁を繰りながら確認してみよう。時々振り返ってみないと思い込みをして書いてしまっている場合があるんだ。
明るいうちは上空に太陽系の太陽ほどの恒星が輝き、暗くなると地球から見る月よりも小さく見える衛星が三つ恒星の反射光で輝いて見える。恒星の大きさは兎も角、地球には月が一つしかないので、ここが地球以外の別の場所だと実感できる。恐らくは地球と同じ球形の惑星なのだと思う。
自分が住んでいるコーウェン村は、日本の春から夏の間のポカポカした陽気を思わせる気温のままの常春を保っているので、春夏秋冬の四季がない。もっとも日本も夏と冬の二季みたいなものだったけれど。
日本の四季は、地球が太陽の廻りを一年の約三百六十五点二四二二日で公転する公転面に対して、自転軸が二十三点四度傾いているために、太陽の光の照射角度や日照時間が変化するので、太陽を一周することにより熱くなったり寒くなったりする現象のことだけれども、この異世界の惑星の自転軸は垂直に近いから変化が感じられないのではないだろうか。行ったことはないけれども聞き伝によると、北極または南極に近づけば冬のような極寒でモコモコに着込んでも命の危険を感じ、逆に赤道に近づけば酷暑に一糸纏わず陽の当たらない場所にいても命が危ないと感じるとのことらしい。かなり極端な惑星なのかな。そう考えると地球というところは生物が生存するための奇跡の惑星なんだなあと改めて思う。
気温に変化がないということは食性植物の栽培時期にも変化がないということで、日本では米ならば春に田植えの時期を迎え秋に刈り取りを行うけれども、ここでは植物をいつ植えていつ収穫するかなど考えることもない。同じ植物の種を蒔くのと収穫が同時に行われることもある。いつでも食料が作れるならば≪年≫という単位にも≪月≫という単位にもあまり人々は考える必要がなくなる。
しかし知を探求する人々にとっては大きな問題になるようで、明るくなって暗くなって、また明るくなるまでを一日として、夜空に輝く星の位置が同じ位置にくるまでの日数を数えたところ、約四百三十八日で回帰することが観測された。これを一年の日数と定義し、十で除算してひと月は四十三日、残りの日数は調整の余剰月としたとのことだ。
一日の長さも当然ながら地球とは異なる。地球では地球が一回転するのに要する時間は二十三時間五十六分四秒だけれども、この世界は感覚的には一回転するのにもっと時間が掛かっているように思う。比較する手段がないのが残念だ。その一日を陽が昇ってから沈むまでの昼間を十分割。陽が沈んでから昇るまでの夜間を十分割して、ここでの一日は二十時間と決められている。
一日の時間数も長さも違っていてひと月の日数も月数も違っていて一年の日数にも大してこだわりがない世界だと、年齢にもこだわりがなく昔の日本の年齢の数え年のように余剰月の初日に皆一斉に一つ歳が加算されていくだけだ。以前お祖母ちゃんに誕生日を毎年お祝いしないのか聞いたことがあるのだけれども。
「お前が産まれた日はとっくの昔じゃないか。そんな昔の日に遡って今から祝えるわけないだろう?」
考え方自体が全くまるで違うのだ。
ライトノベルに書かれる異世界では、王国とか公国とか帝国とか法国とか、教国なんていうのも出てくるけれど、この世界には地球の≪国≫という単位は存在しない。あるのは街や町や村を一つとして各所に点在している、いわば大昔の日本の環濠集落のようなものと思えば良いだろうか。それらが近くの町や村などと言語や生活物資や通貨などを統一することで、協定を結んで生活をしている。人の数が増えていって生活圏が拡大していけば、将来は国というものもできてくるかもしれない。
遠い町や村の事情はわからないが、アザの町やホナンーヴの町、コーウェン村などの近隣は、数の単位は十進法が使われているので、日本で使い慣れている自分としても特段意識することなく不自由を感じないので助かる。十より少ない八進法とか、逆に多い十六進法とかが常用だったらいちいち頭の中で変換作業をする必要があっただろう。加減乗除に支障がないということはそれだけでもかなり重要なことだと思う。
この辺りの人の名前は、名・姓・現在の居住地、の順番に呼ぶようになっている。自分の名前のニーナ・パッシィフィールド・コーウェンを日本風に直してみると、コーウェン村に住んでいるパッシィフィールド・ニーナになる。もしコーウェン村の前に仮にホナンーヴの町に住んでいたとしたら、自分の名前はニーナ・パッシィフィールド・ホナンーヴ・コーウェンになる。今どこに住んでいるのかの地名が最後にくっつくのだ。ただし前に住んでいた場所については転居するたびに名前がどんどん長くなってしまうので、省略するのが一般的になっている。
それと基本的に敬称を付けて呼ぶことがない、というかそのような風習がない。なのでニーナ様とかニーナさんとか、ニーナちゃんなどという呼ばれ方ではなく、そのままニーナと呼ぶのが普通だ。目上だろうと年下だろうと職業職責が違っていてもそのまま名呼びになる。
地球だろうが異世界だろうが生きていくために必要なものは大して変わらないもので、衣食住の状態は重要だと思う。
ライトノベルのイラストに描かれているようなカラフルでしっかりとした布地の服を着ている人は多くはない。服の布地になるのは主に植物から抽出した繊維と動物の体毛を集めて作った動物繊維で、布が貴重なので華美なものより必要最低限に纏めているものの方が多い。地球で着ていた化学繊維が凄いものに思える。
食べるものにはあまり不自由はない。自宅庭で食性植物の栽培をしたり村や町の取り扱い店や露店に入ってくる植物を購入できるし、冒険者が狩ってくる野生動物とか怪動物とか超動物とかの肉や、食用可能な異界生物体の肉なども専門店や食事処に持ち込まれる。植物と動物が合体したような動き廻る植動物なんていうのも売られている。水生生物については川のものは手に入るが、海生生物は海が遠いので塩漬けになったものを行商人がたまに持ってくる程度だ。
自分の家は岩盤をくり抜いた他にあまりない特殊なものだけれども、一般的には木造のものや石造のものの建築物になる。地球なら大都会の狭い限られた土地に大量の人を収容する超高層マンションなんていうのを造っちゃうけれど、ここでは建物を建てる土地があるので苦労して高くする必要がなく、大きな街でも三階建てまでが主流になっている。
電気とかガスはないけれども水道設備は小さい村でも割と整っている。生きることにまず重要なのは水だと思う。実はコーウェン村の水源は自宅の奥の湧き水で、それを村全体に行き渡るようにしている。江戸の町もロンドンもパリも古くから重要な設備として発達させていった。ちなみに江戸の町の水道事業は徳川家康が始めたことなんだ。
衣食に関わる店以外でここが異世界なんだと実感するのは、ライトノベルやアニメでもお馴染みの武器屋とか防具屋とか鍛冶屋が普通に町中で店を開いていることだと思う。武器屋と防具屋は圧倒的に大きな街の店が選べる種類も質も豊富に取り揃えているけれども、魔法道具店や鍛冶屋などは職人の力量によるところが大きいので小さな村にもあるし、むしろこだわり職人は知る人ぞ知るような場所でひっそり店を出していたりする。
かく言う自分もひっそりとミランのご主人のところに自作の化学魔法を納めているし、新製品の化学魔法を研究したり作ったりしている。村でもそのことを知っているのは村長のワダマン他数人くらいだ。
異世界っぽさがないという部分もある。異世界に行ったら是非とも美麗で長命のエルフには出会ってみたいと思うんじゃないだろうか。しかしながらここにエルフは存在していないし、それだけでなくドワーフもノームもホビットも、いわゆる亜人に分類される種族は見られない。まあ地球の人々が作った空想上の種族なんだから、必ず登場するライトノベル的なことを期待しすぎても仕方がないけれど。
同じことが人の脅威となるものにも言えて、魔王も魔王軍も四天王とかもいないし、悪さするお馴染みのゴブリンもオークもコボルトもここにはいない。
その代わりに生息しているのはこの惑星固有の野生動物とか怪動物・超動物や植動物で、考えようによってはこれだけでも結構なファンタジーだと思う。そこに加えて、元々この惑星にいるはずのなかった生物がいつの間にか地の底から現れて増えていったので、どこか他の異界からやってくる生物という意味で異界生物体と呼んでいて、地球と違う生物体系は異世界感満載だと思う。
異界生物体についてはその生態は良くわかっていないことばかりなのだか、明るい場所とか地上には殆どその姿を現わさないのは知られている。なので生息地拡大には人の身体や動物の身体の中に異界生物体を寄生させて他の場所に運ばせているんだと思う。異界生物体に知性があるのではないかと言う人もいればそんなものあるわけないだろうと言う人もいるけれど、普通の野生動物たちよりは生息場所の勢力拡大ははやいので、知性までとは言わないけれど何かあるのではないかと感じられる。
それらの動物や異生物に対抗する人々が冒険者と探索者になる。冒険者でも探索者でも専門職は大して変わりはないので、例えば力を付けた冒険者ファイターが探索者のパーティーに参加して異界生物体の巣に潜ったり、逆に探索者ウィザードが冒険者に転向したりすることはある。
ファイターはパーティーの前衛を担う戦闘職で、武器名を付けて名乗ることで何を得意に扱うのかがわかる。ガルスはソードファイターを名乗っているのでロングソード使いだ。もちろん他の武器も訓練している可能性はある。ナッシュが受けている訓練もいろいろな武器で行われているはずで、一番馴染む武器を模索していると思う。
マノウは攻撃魔法専門のアタックウィザードだが治癒魔法専門のトリートメンターウィザードも存在する。この世界の魔法使いは魔法使いになりたいと勉強や修行・訓練をすればなれるというものではなく、代々その家系に受け継がれる資質によって発動する能力になる。
魔法を使おうと思うだけで頭の中に無限色のカラーチャートが浮かんできて使える魔法の色は明るく表示されるんだそうだ。赤系統を選択して念じることで攻撃でも補助でも炎に関わる魔法を発動することができる。青系統は水や氷の攻撃魔法だけではなく傷を癒す治癒魔法も発動する。使える魔法と色には他の人と同じである部分もあるが、個人個人で個性があって色と対応する魔法は違うようだ。
魔法の杖は補助的なもので必須道具ではなく魔法の詠唱もする必要はないが、戦闘時にパーティーの皆に使用魔法を知らせるために魔法名を叫ぶことはある。
パーティー後衛からの長距離攻撃はシューターが担う。オーソドックスなところではボウシューター。ライトノベルでお馴染みのアーチャーだけど、他にもクロスボウシューターや矢の代わりに爆弾や針を扱うシューターもいるんだそうだ。
その他にも罠を解除したり仕掛けたり探索したりする専門のトラッパーや自分のような荷物持ちのライフキーパーなど冒険者・探索者の職は多岐にわたる。もっとも自分は他のライフキーパーとはちょっと違うけれども。
魔法使いにはなれないけれども普通の人でも魔法を使うことはできる。自分が作ったり開発している化学魔法もそうなんだけれども、核には魔法が注入された石や金属などを使っていて発動させることで、特定の魔法を使う事ができる。シャインなどは辺りを明るくする化学魔法なので割と一般的に普及している。こんなことができるのも、石とか金属とか素材になるものに魔法を注入することができる特殊技能を持つ魔法使いがいてくれるからだ。
こんな感じなので、冒険者や探索者になるための訓練学校とか魔法学校のような纏まった専門機関は存在せず、ファイターやシューターなら育成してくれる先人について訓練したり、魔法使いなら各一族でその能力を向上させたりする。もちろん読み書き四則演算など生活に必要な知識については学校というほどの規模じゃないにしても、それぞれの町や村に昔の日本のような寺子屋のようなところは存在する。
折角異世界に転生したんだから魔法学校に入学して、優秀な魔法使いになって魔王なんかを倒しちゃうような面白い人生を送ってみたいけど、現実は厳しいなぁ。
「読み返してみたけれど、それほど訂正するような書き込みはないかな。あ、節足動物だらけなの書いてないや」
まだまだ書ききれていないことがあるなぁと思っていたら、自室の扉がコンコンコンと三度叩かれた。
「入りますよ!」
ナッシュの声だ。今日は帰るのが遅くなるはずなのにもう帰って来たのかな。
「ニーナ!、夕食の準備全然してないじゃないですか!。今日は遅くなるからってお願いしましたよね?」
扉が開くなりナッシュの顔が勢いよく迫ってくる。まずいまずい、もうそんなに経っている?。訓練が終わった後にミランに立ち寄って来てもらうから夕飯は自分が用意することにしてたんだっけ。うわ怒ったナッシュの顔が近い近い…。
食事の用意は結局ナッシュが全部やってしまった。前にも自分が化学魔法の開発研究に夢中になって夕飯作りを忘れたことがあったので、アザの町で出来合いの総菜を念のため一品買ってきたとのことだ。良くわかっているなぁ、じゃない!。食事中の会話なしの時間がちょっと身に堪える。食器の片づけくらいはやらねばと木の器と皿を洗っている間に、ナッシュはガムフレーバーリーフティーを淹れてテーブルについて自分を待っているようだ。帰りが遅くなったのはミランに行ってもらったからなのでその報告をするんだろうな。
「準備できなくてごめんね」
ガムフレーバーリーフティーをひと口含んでからもう一度謝罪する。
「それはもういいです。それよりミランから預かった言伝ですけれども」
声の抑揚がないのがちょっと気掛かりだけれども、大事なことはしっかり伝えてもらった。
以前から異界生物体について解決したい問題があるのだがその手段の見当がつかなかったのだけれども、解決できるかもしれない手掛かりが遠方よりもたらされたので、町村長の会議で真偽を確かめることになったという。そこで調査のための探索チームを作ることになったのだが、そのチームに会議に出席していた村長のワダマンが自分を推薦したとのことだった。
「結構遠いところだね。ナッシュも連れて行きたいところだけど、訓練の成果は」
どうなの?、と言い終わる前に。
「絶対についていきます!。ニーナのお役に立てる絶好の機会です!。留守番なんて嫌ですよ!。こういう時のための訓練してたんです!」
さっきまでの態度とは打って変わって椅子から立ち上がって意気揚々と捲し立ててくる。
「わかったわかった。出発までにナッシュに相性が良い武器で育成訓練の成果を見せてくれる?。連れて行けるレベルか見極めるから」
「大丈夫です!。任せてください!」
これで連れて行かなかったら調査から帰って来た時に家の中がえらいことになっていそうだ。