3・ライフキーパー②
二人には先に出てサンドル車に向かってもらった。探索着に着替えてから、首・腕・手首・腿に七つのリングを装着した。夜のうちに準備しておいた背負い袋にはライフキーパーとしての必需品と手作りの和綴じノートが入れてある。
岩盤洞窟の自宅を出て留守中の防犯トラップの起動と岩盤迷彩を施してから、しばらくの外出を告げに村長のワダマンに会いに行くと、留守中は任せて必ず生きてかえっておいでと日持ちする携行食としてラガァラミの甘菓子を寄越してくれた。小さい村だと全体が一つの家族のようでこういうときに助かる。三人と合流するとカトマミンにはアザに向かうように伝えた。巣へ直接向かうよりは若干遠廻りにはなるが、サンドルの速度なら立ち寄ってから巣に向かっても半工程も必要としない。アザの町ではガルスとマノウの着替えを入手した。巣の中で費やす時間がどのくらいになるかわからない以上替えはあったほうが良いし、体臭のついた衣類は囮として使うこともできる。すぐ見つけられるんなら着替えなんかいらないんじゃないのかとガルスが絡んできたが放っておいた。マノウも関わっても仕方ないとばかりそっぽを向いている。
アザの町を出発してしばらくは舗装された街道を進んだ。舗装されているといっても地面を上から押し付けて固めるだけの簡単なもので日本のアスファルト舗装のようなクオリティはないが、ノートの記述を眼でおっていくのに振動は大して気にならなかった。街道を外れて道のない荒れたところに入ったときには車体挙動の変化はあったが、車輪からの衝撃吸収の構造が良いのか、揺れが身体に丁度心地よく眼の前のノートに焦点がだんだんと合わなくなっていく。
「なんだ、寝落ちしてるじゃないか。随分と余裕だな」
車の揺れに手持ちしていたノートがゴトッとニーナの手から落ちると、その音に振り向いたガルスが不機嫌そうにつぶやいた。落ちたノートを拾ってペラペラと頁をめくってみると、見たことがない文字らしいものが手書きで書き込まれていた。
「こんなの見たことないぞ。読めやしない。誰が書いたんだ」
マノウがガルスの正面に来て、右手でペシッとガルスの前額を叩いた。
「痛て!、なにしやがる!」
隙をみてガルスが持っていたニーナのノートを素早く取り上げると、またなにか言いそうなのを遮った。
「他人のノートを勝手にジロジロ見るものじゃない」
「ただ拾っただけだろ!」
「それから」
「おい聞けよ!」
「ニーナは私たちが寝ていた間、ずっと寝ていない。多分朝方に少しウトウトしただけ」
それがどうした、と言いそうになったガルスでも、ニーナが夜通しなにをしていたかくらいは察しがついたようだ。
「しばらく寝かせておいてあげて」
顔どうしがくっつきそうな眼の前であっちゃんの眼から大粒の涙が流れ出ている。
知らないおじさんやお姉さんがマスクと帽子と青っぽい簡易な服のまま自分の廻りで騒いでいる。
お母さんの声やお父さんの声が聞こえてくる。なにか言っているけど遠いらしくてなんだかはわからない。
はっきり意識があったりぼんやりとしていたりの転生したのであろういろいろな世界にいる。
真っ二つになって終わった転生のあともいろいろなところに転生してはまた転生する。
ガタタタタタッと車輪が小石が多い砂利道を通ったところで目が覚めた。まともに寝てないから絶妙な振動加減でまた寝ちゃった。それに、このごろ夢で同じ場面を繰り返し見ることが多くなった。
「落ちてた」
声のする方に顔を向けると読んでいたはずのノートをマノウが自分に差し出していた。お礼を言って受け取る。まずいまずい。大切なノートなのにうっかり落としていた。中を見ただろうか。もっとも見たとしてもなにが書かれているのか理解できないだろうけれども。変なのを読んでいるおかしな人とは思われるかな。書かれているのは漢字と平仮名と片仮名とアルファベットに記号だ。うろ覚えの各々の転生世界での出来事と今いる世界で知り得たり学習したことを書き綴っている。この世界でのお祖母ちゃんから教えられて絶対に忘れてはいけないと言われたことも日本語で書いてある。他人が読み解いて理解することはできないだろうと思うけれども、図解だと勘が良い人には気づかれる可能性もあるので、面倒でも全部文章にしている。特に重要なことは簡単な暗号も使っている。
大事なノートを自宅から持ち出して車の中で開いていたのは、巣の中に入ってしまってからではノートを読んでいる時間はおそらくないだろうから、自分に必要な事柄を今のうちに再認識させるためだった。うん、ちゃんと覚えていたので大丈夫。
目的の異界生物体の巣は雑草と小石だらけの平原の真ん中に小さな入口が開いているだけとのことで、他の探索者が置いてくれた目印の岩を探した。マノウがその岩を見つけたがその近くにはテントのようなものも見える。
サンドル車を近くに寄せてもらい、降車したあとはカトマミンには町に戻ってもらった。今なら明るいうちに町に帰り着けるだろう。
背負い袋から消臭紛の袋を取り出し二人に渡してから入口に向かうと、テントから探索者が出てきて行く手をふさいだ。
「巣の中には入れないよ。今は立ち入り禁止だ」
アザの町長が討伐体制が完了するまでは何人も侵入させないようにと見張りに派遣した探索者だった。事情を話して警戒されても困るので、勇みそうなガルスを抑えて一度その場から離れた。
近くに二人が脱出時に上がってきた別の狭い裂け目口があるということなので廻ってみる。こちらには誰もいなかったがたしかに狭くて足元の悪い暗い急勾配に入っていくことになった。見張りのいた入口から続いている通路に下りると、ところどころに発光石が置いてあるので思っていたほどの暗さではなかった。見張りが設置したのかもしれない。
すぐにナッシュの捜索をはじめるつもりだったが、中型の異界生物体と遭遇した場所でヴィンゼンの遺品が回収できるかもしれないので、先にそこに行きたいとガルスが言ってきた。分岐だらけの巣でマッピングもせずに進んで行ったはずだが、ガルスなりのルールで進路を決めていたのでそこまでは問題なくたどり着けるということだ。ナッシュと別れたその開けた場所から捜索を開始した方が効率的かもしれないので特に反対はせずに向かうことにした。
中型異界生物体に奇襲された場所は通路より空気が少し涼しく感じられた。異界生物体が発光石を壁に埋めたのか視界には割と不自由がなく、その光が他より濃くなっている色の地面も照らしていて、ガルスが手をついて確認している。地面の色はここで喰われたヴィンゼンの体液が染み入った色かもしれない。
「くそっ、なにも残っていない。装備品もやつらに持っていかれている」
ヴィンゼンの家族になにか持ち帰りたかったガルスだが、かなわず悔しそうに地面を二度叩いていた。
「ニーナ、頼む、ナッシュのところに連れて行ってくれ」
こくんとうなずく。尖っていたガルスの態度がなんか和らいだ気がするけれど、気のせいか。
他のライフキーパーも普通に使う化学魔法、化法のトレーサーというものがある。生体から発せられているいろいろなエネルギーを過去にさかのぼって可視化して、その者のエネルギー生体の動きを追っていくという捜索方法だ。限られた範囲や時間をかけていられる場合には充分役に立つ。欠点としてはその対象者が半日かけて移動した道のりをトレーサーで追いかけようとすると、同じ半日をかけてその動きについていかなければならない。動画の倍速再生みたいなことができないのだ。ナッシュとこの場所で別れてからの日数分をトレースしていたのでは、例え今現在にナッシュが生存していたとしてもトレースして追跡した日数分の終わりには、異界生物体に喰われた残骸か死体になっているナッシュの姿しか見つけられない可能性が高い。
「少しの間だけむこうを向いていてくれない?」
語りかけると二人ともすんなりと反対側を向いてくれた。ガルスが随分と素直に言うことをきいてくれる。やっぱりなにかあったのかな。
ライフキーパーというプロフェッションの家系のパッシィフィールド家に転生して、自分は女の赤ん坊の姿でこの異世界に産まれてきた。横断歩道の事故からはじまった転生で、初めてのヒューマン形態への転生となった。パッシィフィールド家の女性にはこの世界で唯一無二の一代おきの隔世で特殊な能力が代々にわたって発動される。この世界にDNAとか遺伝子の概念があるのかはわからないけれど、地球の人間では女性だけからしか遺伝しないミトコンドリアDNAがあるように、この世界でも女性だけに引き継がれる遺伝子情報があって、その遺伝子能力の実際の発動が一代おき隔世だということかもしれない。自分の場合だとこの世界のお母さんにはその能力はなくて、お祖母ちゃんに出現していた能力を自分が引き継ぐこととなった。出発前に装着した七つのリングもお祖母ちゃんから渡されたものだ。
唯一無二の特殊能力といってもライトノベルではわりと頻繁に出てくるお馴染みのものだ。例えば手をかざして念を送ると何もないはずの空間に穴が開いて、その穴の中に武器や書物を自由に出し入れできたり、一見小さなショルダーバッグなのにコンパートメントの中は部屋くらいの大きさや無限の広さの空間に繋がっていて、絶対に入りそうにない大きさのものがバッグの中にしまえたりと、なにかと便利な能力だったりアイテムだったりするやつだ。パッシィフィールドの家系の自分にもそれと似たようなものを扱うことができる。
ライトノベルに出てくるチート能力としてはわりとベーシックな部類だと思うけれど、いろいろなライトノベルに書かれているほど取り扱いは簡単なものではなくて、お祖母ちゃんから教わったことの最初の重要な事柄は、ゲートウィンドウと呼んでいるそのものの危険性だった。
そのゲートウィンドウの一つをここで開く。開くには装着した七つのリング同士を決められた順番にぶつけていって、キーワードを解除することで特定のゲートウィンドウが出現する。危険なゲートウィンドウが安易に開かないようにかけられた安全装置だと思えばいい。もちろん誰も彼もがリングを装着すればキーワードを解除できるものではなく、そこにはパッシィフィールド家の遺伝子能力の発動が必須となる。振り向いて二人がこちらを見ていないのを確認してからキーワードの最後のリングをぶつける。瞬間で目の前にゲートウィンドウが出現した。覗き込むと漆黒の闇の向こうに無数の光が見える。
「ネコ、出てきてもらえる?」
ゲートウィンドウの中へ声をかけると、闇と同じく黒よりも黒いどろっとした液体のようなものがゲートウィンドウのふちからこぼれ出て地面に落ちてそこに溜まっていく。ジェル状に丸まった液体が徐々に形を変えて地球の猫のような姿になるや、自分の右肩に乗っかってきた。
「ありがとう。ネコ。見えないように透明になってね」
自分がネコと呼んだ真っ黒のその猫っぽい姿から色素が抜けていって透けて見えなくなった。見えないけど右肩に重さがしっかりかかっている。ネコは宇宙極限変態生物だ。自分がそう名付けた。ゲートウィンドウの中というか向こう側は、宇宙空間に浮かんでいる岩石小天体のゴツゴツした地面に繋がっている。実際にゲートをくぐって見てきたのだから間違いない。そこに生息しているのがこの不定形生物である。お祖母ちゃんのお祖母ちゃんの代よりも以前からずっとそこに生息していると聞いているので、不死に近い生物なのかもしれない。こちらに出てきてドロドロのまま傍にいられるのも嬉しくないので、地球の猫の姿を思考伝達して猫の姿になってもらっている。実際には自分はペットを飼ったことがないのでTVとか写真とか街中で見た猫の見た目を伝達しているに過ぎない。なのでその姿が正しいのか、触感は本物っぽいのかは全然確かではない。動物に名前も付けたことがないので猫のつもりだから≪ネコ≫にした。
ちなみに夕べ預かったレザーアーマーとウィザードローブの消臭は、ネコが出てきたゲートウィンドウとは別のゲートウィンドウを開いてその中に入れておいて、そこに生息している極微小の群体生物に臭いを処理してもらった結果である。消臭対象に群がって臭いを吸引し体内で生成された消臭物質を消臭対象にこすりつけていく。なので今着けている防具がまさか群体生物まみれになっていたなどということはガルスとマノウには知られない方が良いだろう。
背負い袋から手のひらサイズの木の枠にはまった透明の板を取り出すと、ガルスが手をついていた地面のあたりに向けてその板越しに覗いてみる。ヴィンゼンの近くにナッシュが立っていたということなので、生体エネルギーを可視化して見ることができる化法トレーサーのこの道具でナッシュのものと思われる生体エネルギーを捜した。ごく最近のことであれば生体エネルギーも強いので人物の区別がつくくらいに見ることができるが、時間の経過とともに残存エネルギーは薄れていくので見える姿もぼやけてしまう。あらかじめ聞いていた姿の特徴と位置関係からヴィンゼンとナッシュの残存エネルギーだろうと推定して化法トレーサーの中の時間を動かしてみる。
静かな空間を破って大きな残存エネルギーが別の小さな残存エネルギーの上に覆いかぶさっていく。大きい方が中型異界生物体で小さい方が多分ヴィンゼンだろう。大きな残存エネルギーに攻撃魔法が飛んでいく。ナッシュと思われる姿は一度その場を離れたあと立ち止まった。別の残存エネルギーが見える。これはおそらくガルスとマノウだ。その方向へナッシュらしい姿が移動したあと、攻撃魔法が再び放たれて間もなく、ナッシュだろう残存エネルギーがいくつか開いている通路穴の一つに入った。思考伝達で今見た光景をネコに伝える。
「お願い、ナッシュを追いかけて」
思考伝達すれば済むのについ声が出てしまった。ここからはネコの能力でナッシュのいるところを捜す。右肩のネコの肩のあたりが変形して長っぽそいものが突き出てきているのがネコとの感覚共有でわかる。その長っぽそくなった先端部分がナッシュの立っていた付近でナッシュの生体エネルギーの特徴を覚えると、次に勢いよくナッシュの入った穴に向かっていく。
「二人とも自分についてきて!」
ナッシュが入っていった通路は狭くあまり発光石も埋まっていないので暗いけれど、長っぽそい先端にも視覚的な感覚器官ができるようで、先端部分が進んでいく先の光景が感覚共有で自分にも見ることができる。ネコの肩から伸びて出ている胃カメラの光ファイバーを想像してしまって、その姿にちょっと引いてしまいそうだ。ガルスとマノウは自分が装着している七つのリングに埋まっている石の自発光を目印にしてついてきている。這わなければ通れない場所はガルスに無理にでも先頭を行かせた。暗いから見えないかもだけど、お尻をガルスに凝視されているような感覚のままでは進みたくはない。
狭いうえに通路の分岐がはげしいのでナッシュはいろいろな通路を行ったり来たり迷いながら進んでいたと推測できる。ネコは分岐があれば分岐分だけ身体を分裂させられるので、分裂してそれぞれに進んでみて行き止まりだった通路やナッシュの残存エネルギーが薄い通路は即座に選択からはずしていくことができるので、確実にナッシュがいる場所に近づいているはずだ。
途中、あたりを気にしながら背負い袋に入れてきた飲料とラガァラミの甘菓子を二人に渡して携行食を摂った。用も足しておく。臭いを消すためにみんな消臭紛を使用したので背負い袋から新しいものを取り出して渡しておく。いつ敵と遭遇することになるかわからないので、食事と用足しは短時間で極力一緒に済ませておいた方が良い。
順調に進んでいたネコの長っぽそい先端が急に止まって動かなくなった。その場所に三人が追いついたが空気感がなにか違って感じられる。気温もさらに低いようだ。ネコが見えない二人はニーナがなにも言わずにここで立ち止まったままなので訝しんだ。ニーナもネコがそこから動こうとしないので付近を詳しく調べる必要がありそうだと思った。
「灯りを灯してみます。このあたりになにかある」
異界生物体にこちらの存在を知らせてしまう危険があるので明るくしたくはないのだが、戦闘行為以外はニーナの判断に従うと約束しているので二人は黙ってうなずいた。あたりを目視確認するために背負い袋からキューブ型の木の枠に透明な球がはめられている化学魔法、化法のシャインを取り出して球に触れると球が淡く輝きだしてあたりを照らしだした。ネコの長っぽそい先端付近でシャインを右に左に振ってみると、通路の右側の方があまり明るくならない。今度は球に触れる時間を少し長くしてみると、球の輝きも強くなっていく。右側を照らしてみて一歩後退った。
「二人とも気を付けて!。右、急な崖になっている!」
一歩前に出て覗き込んでみると感覚で六十度から七十度くらいの落ち込み方に見える坂が下方の暗闇に向かって続いている。目視ではどのくらいの深さがあるのかわからない。ネコの先端が思いきり伸びて崖の下に向かっていくと、崖底が感覚共有で見えた。あたりを捜してみてもナッシュらしき姿は見当たらない。ガルスとマノウもシャインに照らされてもなお暗い崖下を覗き込んでいる。
ネコが観測した結果は、崖上から崖底までは三十三点五リーフトで急斜面だが岩肌はあまりゴツゴツと荒れていないとのことだ。リーフトとはこの世界で使っている長さの単位で、感覚で一リーフトは一メートルの一点六倍くらいだと思う。なのでメートル換算すると約五十三点六メートルくらいだろう。本当はメートルで考えた方が自分にはしっくりくるのだけれども、転生者が物差しやメジャーを持っているはずもなく、ならばと以前ネコに一メートルという長さの定義を教え込んでネコの身体で一メートルの長さになってもらえば良いじゃないかと考えたことがある。真空中を一秒間に光が進む距離の二億九千九百七十九万二千四百五十八分の一が一メートルなのだが、それを教えるためには地球で使っていた一秒とはなんぞやという定義を教える必要があった。しかしネコにはセシウム原子とか原子量が百三十三だとかが理解できるはずもなく、結局教えることは断念した。
さてどうしよう。自分一人だけならばこの崖を下りるのは割と簡単なのだけれども三人いっぺんにとなると方法は限られてくる。巣の中では探索者は一人だけになって行動してはならないという暗黙のルールがあるので、この場合は三人が一度に行動しなければならない。仮にどちらか一人を連れて化法のリフターを使って崖下に下りたとすると崖上で残っている人は一人になる。崖底で連れていった一人をおいて崖上に向かった時点で、三人が三人とも一人ずつに分かれてしまって暗黙のルールに抵触することになる。荒れていないとはいえ三人がいっぺんに七十度程の崖を滑ろうとしたら岩肌にこすれたりお互いぶつかったりで少々の怪我では済まないだろう。これは覚悟を決めなきゃ駄目かな。
「二人ともちょっと良いかな」
まだ崖下を見ていた二人が自分の方に振り向いた。
「今から二人の前に見たことないだろう生き物が現れるけれど、敵でも異界生物体でもないから、間違って攻撃しないようにしてね」
自分がなにを言いだしたのか理解できないであろうガルスとマノウはお互いの顔を見合わせた。それでも構わず自分は小声でネコに話しかけると、ネコは瞬間で黒く色づいてから自分の右肩を蹴って自分と二人の間の地面に飛び下りた。その姿は一応は猫なのだが肩のあたりから長っぽそいものが伸びているのを肉眼で見てあらためて引きそうだ。この世界に猫という生物は存在しないので二人にネコを紹介しようとしたら、ロングソードを構えているガルスが視界にはいってきた。
「ちょっとちょっとちょっと!!。敵じゃないって言ったでしょう、武器を収めて!!」
そのままネコに斬りかかってきても宇宙極限変態生物のネコが斬られるはずがないので何ということはないのだが、それでも気分が悪い。マノウがガルスの後ろから、右手で頭頂部をベシッと叩くのが見えた。
ネコが今度は自分の頭の上に飛び乗ってきたものだから首が痛い。そのまま丸まって猫が寝ている姿そのもので動かなくなった。自分が思っている猫のイメージを読み取ってまねているらしい。
ガルスとマノウにはゲートウィンドウのことは伏せて、あらためてネコが自分の探索仲間なのだと説明した。ネコの機嫌が悪くなるのでペットとは言わないようにしている。今まで出会ったことがない生物に二人とも疑問だらけのようだったが、ナッシュの探索の話しの方が重要でしょうと取り敢えずごまかした。
ナッシュはこの崖下に落ちていったこと。崖底にはナッシュはいないことを伝えると、すぐに下りるぞと崖に飛び込みそうなガルスのレザーアーマーを自分とマノウで掴んで後ろに引っ張った。この男は危なくて目が離せないよ。ネコにも気にしておくように思考伝達するとガルスを簀巻きにしたイメージがかえってきたので、それはやめてあげてとかえした。
「飛び降りないけれど下に下ります」
「言っていることがわからないぞ」
それには返事をせず、じっとしているネコに話しかけた。
「ネコ、お願い。三人を安全に崖の下に下して」
ネコはゆっくり起き上がると、せまい頭の上で伸びのポーズをとった。これも自分の猫のイメージどおりなんだろうな。そのまま自分の頭を後ろ蹴りして三人の真ん中あたりの地面に下りると、その姿が融けてジェル状の液体になった次に体積が膨張して三人をその液体の中に取り込んでいった。巨大なボールを形成している分厚いジェル状の中に三人の身体がはまっていて、顔だけが呼吸ができるように内側に空間があって、液体の中に沈んだシャインの淡い光で下から照らされた二人の顔だけが見える状態だ。すぐに液体ボール自体がずるずると下方向斜めに落ちていっている感覚を身体が受けた。崖の下に下りていっているのだろうけれど、それどころではないガルスはもう何を言っているか理解出来ない声をあげ、口数の少ないマノウはより無言状態だ。
崖下に到着して巨大なジェル状液体ボールから猫の姿に戻ったネコがまた右肩に飛び乗ってきた。液体の中から出て地面に残された興奮状態の二人が落ち着くまでに異界生物体に襲われやしないかとひやひやものである。
崖の下には別の通路が通っていて若干の勾配になっていた。ネコの長っぽそい先端はそのうちの下の方に緩やかに下っている通路を指し示している。敵に見つからないよう化法のシャインの輝きを止めるとここは発光石が全くない暗闇だったので、ナッシュの残存エネルギーを追うネコ頼りだ。たいした距離を進まずすぐにネコが止まったので再びシャインを輝かせてみると、岩だらけの通路の一部に不自然に泥壁が広がっている箇所が照らし出された。ネコの先端もその泥壁の方に向いている。泥壁そのものや泥壁の中に罠かなにかが仕掛けられてないか確認しようとその手段を考えていた矢先、自分の横をすり抜けてガルスが泥壁に左肩から体当たりしていった。
「何やってるの!」
と言った自分の言葉は果たしてガルスに届いたかどうか。なぜならガルスの身体は泥壁にめり込んで体当たりのエネルギーが吸収しきれずに崩れた泥壁ごと奥の方に倒れ込んでいったからだ。泥壁になにも仕掛けられていなかったのには安堵だが、なにも確認していない場所に突っ込んでいったガルスを一人にはできない。右手にシャインを持ち、左手でマノウの右手首を掴んですぐにガルスを追った。
中に入って割とすぐの地面にガルスは転がり倒れていて、ひざをぶつけたのか痛がって騒いでいる。異界生物体に遭遇しなかったのも、ガルスと離れ離れにならなかったのも幸いだ。
「本当、ろくなことしないなぁ」
聞こえそうにない小声でごちる。
泥壁の内側はまたさらに気温が下がっていて少し寒いくらいだ。湿度も他の場所より少ないようで肌が乾きそうに感じる。三人の近くでシャインの輝きを強くしてあたりを照らし出してみると、天井までは約二リーフト、三メートルくらいの高さがあり、天井も廻りも岩石で囲まれた部屋のようになっていた。
自分の指示を待たずにネコの先端が勢いよく伸びていって、約十リーフト、十六メートルくらいのところで横方向から下方向に先端が折れてそこでピタッと静止した。感覚共有でネコの先端が向いている光景が見える。
早足でネコの先端のところまで行こうとした自分を追い越して、またガルスが横を先に走っていって先にネコの先端の先を見ている。
「ナッシュ!!」
ガルスが叫ぶ。またこの男は勝手に行動して!。自分も走るがガルスの右手がネコの先端の下に伸びるのが見える。
「ダメ!!、近づかないで!!」
異界生物体の巣の中で一人になっていたナッシュに迂闊に近寄ってはいけないことくらい探索者なら解っているだろうに、この男はナッシュを見つけて熱くなって冷静さを欠いている。
間に合わない!、と思った次に見えたのは、ガルスがかなり良い音とともに自分の右側を吹っ飛んでいく光景だった。ネコの先端が大きく膨らんで勢いよくガルスの右頬にぶつかっていったのだ。ネコもガルスには思うところがあるらしい。ネコ良くやったよ、間に合って良かった。