6・ないもの②
「動いている。何かがこちらを見てる」
マノウの言葉と同時にネコの頭が左に振れた。扉の少し左の壁を縦に走る亀裂の隙間から何かが覗いているように見えたけど、移動したのかもう何も動くものは見えない。
「見間違えじゃなくて動いたよね。奥に誰かいるかもしれない」
ニーナが扉に近づき取っ手を掴んで開けようとしたが、この扉も簡単に動きそうにない。入口の扉と同じく三人の力でようやく開いた。慎重に奥を覗いてみたけれど動くものはなく何かの気配も感じなかった。奥には短い通路と階下へと行く階段が見える。
「このままここにいても埒が明かない。下に行ってみよう」
マヤマサギを眼の前にして手にできないニーナには、覗いていたのが誰でも捕まえたいんだろうけれども、私はあまり気が乗らないなぁ。などと思っているうちにも、ニーナはさっさと奥に進んでしまっていてその後にマノウが続いて行ってしまった。仕方ない、行きますか。
動いていたと思ったものが階段を下りていったとすると、この狭い場所で遭遇する可能性があるし、友好的であるとは限らない。異界生物体の可能性もあるので階段を降りていく動作は慎重になる。旅の目的が地上のマヤマサギを探すことで地下に入ることなどは想定していなかったので、戦闘になった時の前後の護りも心許ない。
警戒しながら階段を降りきると通路の左右に扉が見えた。これまでと変わらずの引き戸なのだが、左の方は既に扉が半分以上開きっぱなしになっている。
「真っ暗ですけど、ここにいるんでしょうか」
ニーナが手に持っていたシャインを床に置いて部屋の中に滑らせ入れた。上の部屋では灯りが勝手に点いたけどここでは暗いままで、シャインで照らされた部屋には灯りを中心に何かの物の影が伸びている。雑然と置かれている何かで影ができたようだ。誰かがいるような気配は感じられないのだけれども、かわりに部屋の奥の壁が普通じゃなかった。
「壁が崩れて穴になってますね。マノウとここで少し待っていてください。見てきます」
直ぐにでも部屋に入りそうなニーナの右腕を掴んで引き戻して、シャインを左手に持ち替えてからラウンドエッジを右手に抜いて素早く最小の足音で穴の近くに進んだ。大丈夫、近くに何かがいるような感じはしない。穴の中にシャインを入れて様子を確認してから二人のところに戻った。
「壁の向こう側に下に延びている坂がありました。どうします?」
と言い終わるのを待たずしてニーナが部屋に入りマノウが後を追っていく。まあそうなるよね。先に部屋を照らしていた灯りが大きく動いたのでシャインをニーナが回収したようだ。
暗い坂が三人それぞれ手にしているシャインで照らされているので動くことができるけれども、さっきの動くものもここを通っているとすると灯りを持っているのか、暗闇でも夜目がきく生物なのか。
「この足元も壁も、ただの石じゃなくてコンクリートっぽい。この世界じゃ今まで見たことないな」
今日はニーナから私の知らない言葉が良く出てくる。私と同じではじめての場所だろうに、この建物を知っているような言い方をする。こんくうーとが何かはわからないけれど、確かにここは石積みじゃなくて継ぎ目のないのっぺりとした壁が続いている変な感じの作りだ。坂を下って遠くの出口辺りがぼんやりと明るくなっているのが見えるまで、ニーナはブツブツとなにか呟いていた。何度も聞こえてくるのでこんくうーとではなくこんくりーとと言っているのもわかった。
坂を下り切った出口の先で見たのは三人とも頭の片隅にでさえ想定していなかった光景だった。
「こんなところに何で?」
「見てください。あそこから」
マノウが指を指した先の方にニーナと私は仰向けた。坂から見た出口が明るくなっていたのは、頭上高くに開いている穴から光が差し込んできていたからで、その光で地面がキラキラと輝いている。いや違う。輝いているのは地面じゃなくてほんの僅かに揺らいでいる水面だ。
「ニーナ!。マノウ!。水溜りです!。水、じゃなくて、池?」
地面の下に広がっている水に反射する光量が少なくて奥が暗く大きさの全容が捉らえられないのだけれども、かなりの広さがありそうだ。光が当たっている水の透明さは濁りもなく深くまで見ることができそうだ。しゃがみ込んで両手で掬ってみようとしたのだけれども身体が後ろに強く引かれ倒れた。マノウが私の右腕をその両手で掴んで引っ張ったようだ。
「なにしてるの!」
背中の方からニーナの大きな怒鳴り声が飛んできた。いつも声を荒らげるようなことがないので、それだけで驚いた。私が不用意に手を水に入れようとしたからだという。
「探索する未知の場所の液体にいきなり手を入れようなんて絶対にしちゃいけない。手か溶けてしまうかもしれないし毒に侵されてしまったかもしれないでしょ。ファイターとしては探索者としてやっていけるけれども、探索の知識や経験の蓄積は実践で身につけていくしかないから、はじめのうちはもっと慎重に行動して」
もの凄い早口で怒られた。怒られたのをボソッと愚痴ったら、怒っているんじゃなくて叱っているんです!、と追い怒られてしまった。気が沈み込む寸前。
ポチャン!
池の方から何かの入水音がして、三人ともそちらに振り向きながら瞬時に警戒態勢を取った。水面の波紋が近い。しかししばらく眼を凝らしていても変化がないので、上から土か小石か何かが水に落ちてきただけだったらしい。私はフゥーっとためていた息を吐き出した。
ジャブッ!!
三人とも一度気を抜いた態勢を一斉に戻した。音がした池の中から何かが跳ね出て私たちに向かってくる!。ネコもニーナの肩から私たちの眼の前に降りて向かってくる何かを見ている。黒く丸い塊だ。その塊が待ち受けて飛び跳ねたネコと衝突した!。衝突してそのまま床に落ちたけれども、そこには黒い塊はなくてネコだけがいて、もう一度飛び跳ねたネコはニーナの肩に音もなく乗っかってその顔をニーナの頬に擦りつけはじめた。えっと、水から出てきた塊はどこへいっちゃったんだろう。マノウの眼も警戒したままだ。
「二人とも大丈夫だから、ちょっと聴いて」
ニーナが私とマノウを交互に見ながらもその眼がちょっと泳いている感じに見える。それと大丈夫ってなにが、と思ったけれどもニーナの説明を聴いて取り敢えずの警戒を解いた。池に何かが飛び込んだ音はいつの間にか分裂したネコの一部で、池から出てきてネコと衝突して消えてしまったのも、ネコ本体と再び合体しただけだという。ネコ曰く池の水は無害の液体なので問題ないとのことだそうだ。
「それともう一つあって。池の奥の方に何かが浮いているってネコが伝えてきてるんだ。水の上に浮かんでいるって、もしかしたらマヤマサギかもしれない」
マヤマサギがあるはずだった目的の湖はなくなっていて、眼の前に広がっている池にマヤマサギがあるかもしれないって、もしかしてこれって頭上の穴は湖の底が抜けたもので、その水が落ちて溜まったのがこの池なんではないだろうか。
「よし、行ってみよう!」
いや、行こうと言われてもどうやって行くつもりなんだろう。左から右までどこを見ても水で満たされているし池の深さも足が届くような浅いものではないので歩いて行けそうにはない。だいだい今ここにいるのは、動いたと思う何かを追ってきたはずだったのに、目的がすり替わってしまっている。
「それじゃ脱いで水着だけになってね。武器はその上から付けて。服はゲートウィンドウにしまっておくから」
確かに今着けているのは水に入る前提のみずぅぎなんだろうけれども、泳げもしないのにみずぅぎになっただけで泳げるようになるわけがない。泳げないことをニーナに言おうとしたけれども、ニーナはもう脱いでいて言いだせなかった。仕方がないので私も装備を外した。
「それじゃあ、ネコ、お願いね」
ニーナの肩から降りていたネコがニーナの合図でジェル状にその姿を戻したあと、大きな塊と三つの小さな塊に分裂すると、大きな塊はその体組織を増殖させてからゆっくりと水の中に入っていき、小さな塊はそれぞれが再びネコの姿に変化すると、ニーナ、マノウ、私のそれぞれの肩に飛び乗ってきた。結構ずしんとくる重さだ。私やマノウに乗っかってくるのって初めてなんじゃないだろうか。
「二人が水に落ちても直ぐに助けてもらえるように頼んだから」
自分の意思で乗ってきたのじゃなくてニーナに頼まれたからきたのか。どうりで珍しいことをすると思った。珍しいついでにその小さな顔の部分を私の顔に擦ってきた。
<ミズ・ハイッタ・ミツケタ・オコラナイ>
えっ?。
<テ・ワスレタ・マヤマサギ・イシキ・シュウチュウ>
なに?、誰?。
どこからか声が聞こえてきた、というものではなく、頭の中に言葉が響いてきているようなおかしな感覚だ。廻りを見てもニーナとマノウだけだけれども、二人の声とは明らかに違うし私の方に顔が向いていない。
<ココ・イル・ワカル・ワカラナイ>
同じ感覚だ。耳に聞こえているんじゃない。どこから?、と左右に見廻した顔の動きに合わせてネコの顔の部分も私の頬にくっついたまま動いてくる。これってもしかして。
<キヅイタ・オソイ・ニブイ>
気づくのが遅いって突っ込まれてしまった。頭の中に響く言葉はネコからのもののようだ。ニーナからネコとの意思疎通は自分しかできないって聞いていたけれども、それって他の人で試してないだけで、直接接触ならネコはもともと思考を相手に伝えることができてたんじゃないだろうか。ネコの断片的な言葉を整理してみると、私が水のことでニーナに強く怒られていたので、気をそらそうとしてネコの分体が水に飛び込んだらしい。結果として水に何かの物体が浮かんでるのをネコが感じてそれをニーナに伝えたから、意識がそちらに移って怒ってたことなんて忘れちゃったでしょう。良かったね。ということらしい。
「ネコに気を使われちゃったよ、私」
ボートの形状じゃなくて筏のような平らな感じでもネコは水の上に浮かぶことはできるのだろうけれども、三人を乗せて水上を進むなら安定性のあるボートの方が良いだろうから、イメージをネコに伝えて水の中に入ってもらった。推進のためのスクリューと進行方向を決める舵のイメージも伝えているので、ネコボートは三人を乗せてゆっくり水の上を進んでいく。海が遠くて近くに大きな河もない土地に住んでいるとボートなど知る機会もなく、「勝手に前に進んでる、面白い」とか「なんで水に浮いているんですか」などと言いながらナッシュがはしゃいでボートが揺れるのは、多少は眼をつむってあげよう。速度は自分が声でネコに伝えるので、あとは浮いている何かを感じたネコの進行方向判断で良い具合にネコがボートを動かしてくれている。廻りが暗い場所でなにかを見つけようとするなら三人は探すことの方に集中したいものね。
「あれ。あそこ見て」
程なくしてマノウが前方の暗闇を指差した。シャインの輝きを強めると、指し示す先に小ぶりな丸い山のようなものが見えている。同じくらいの大きさでいくつもあるようだ。速度を落とすように伝えて、そのものに手が届きそうな位置まで進んでネコボートは停止した。
「これで合ってる。でもこんな色じゃなくて、なにか元気がない感じ」
今回の旅の目的を見つけた。ようやく見つかった!。これで地上にあった湖の底が抜けてここにその水が溜まっている推測は合っている気がする。おそらく地下のこの空間で湖底が耐えきれなかったんじゃないだろうか。湖の下にこんな広い空間がある理由は理解できないけれどもね。浮いていたマヤマサギも一緒に落ちたのだろうけれども、暗い空間に上の穴から差し込んでくる僅かな光では、植物には光合成もままならずに元気もなくなろうというものだ。
「さてどうしよう。必要な分を持っていくだけでも良いのだけれど、このままにしてたら枯れてなくなっちゃうかもしれない」
マノウがここでしか見たことがないと言っているのだから、この土地の固有種の可能性があるのに、折角マヤマサギでウィザードの杖が作れる見込みがあっても、枯れてしまったら二度と作れないかもしれない。一度ゲートウィンドウの中に入れてから地上に戻す・・・。いやいや、地上の湖がなくなっちゃってるんだ。他に移す場所を探すにしても生育に適した場所がすぐ見つかるとも思えないし、時間が掛かってそれで枯れちゃうかもしれないし。マノウの意見も欲しいかなと坐り位置を変えた左耳に、シュッ!、という空気を走る音が聞こえて。
「伏せてください!!」
ネコボートが左右に激しく揺れるとネコの一部が変形して自分とマノウを池に落ちないように護ってくれた。発した声とともに両手に持つラウンドエッジを操り、ナッシュが何かに激しく応戦して不安定な足場で揺れたのだ。その揺れもすぐにネコがナッシュの腰のあたりを包んで身体を支えたので、足場の負荷が減り小さくなった。空気を切り裂く音とラウンドエッジがぶつかる。動きが高速なので空気を鳴らしているんだ。
「奥。向こうから攻撃している。陰が複数」
マノウが池の奥を指差すと同時に火炎系魔法をその方向に放った。炎で明るくなった場所に何かいる。マヤマサギを見つけて浮かれてしまっていたよ。動いたと思ったものを追いかけてここにいるんだから、それがいる可能性を忘れてはいけなかったのに。続く火炎系魔法がさらに空間を明るくして相手の姿を映し出した。これはなんだろう。植物のようなものが地面から伸びていて、植物が成長していく様子を撮影した動画を早廻しで再生したように幹がウネウネとくねりまくり、幹から張り出した枝のような部分が振り廻されてこちらを狙ってきている。聞こえていた音の正体はこの枝のようなものか。あ、火炎系魔法が命中して枝のようなのが燃え上がった!。水の上ではこちらの方が不利なので、相手のいる地面の並びにネコボートを横付けしてもらうようネコにお願いした。相手の攻撃を右に左にと器用に避けて接岸する手前でネコボートからナッシュが弾みをつけて飛びあがり、ラウンドエッジを斬り掛ける。ひっくり返りそうになったボートはネコがカウンターバランスを取ったから大丈夫だったけれど、これはまたお説教かな。




