87 ヴィルド北門の詰所
僕がシンハと念話で話し、笑顔でシンハのあごを撫でていると、前の商人の娘が、僕たちを見て笑った。どうやらシンハを撫でたいようだ。
「(あのお嬢さんが、君を撫でたいようだけど。どうする?)」
『まあ、女の子だしな。撫でられてやってもいい。』
「(偉そうに。)」
僕はその子に
「撫でてほしいって。僕の相棒が。」
と言ってみた。
言ってから、あ、この言語で通じるよね、とちらと思ったが、まあ大丈夫だろう。ちゃんとシンハから習った綺麗な人間語のはずだ。
シンハも演技が上手くて、尻尾を振ってアピール。
「くうん。」
わざとらしく可愛い声までだしちゃって。
8才くらいだろうか。
女の子が、母親を見上げて、おかあさん、いい?というようにした。
母親も笑顔で
「あらあら。すみませんね。大丈夫?噛んだりしないかしら。」
というので
「大丈夫ですよ。こう見えて結構おとなしいんです。特に女性や子供には優しいので。」
「ほほ。まあそうなの?ほんと、可愛いわんちゃんねえ。」
と言って、娘と一緒にシンハを撫でた。
娘が
「お手。」
と言った。
え、フェンリル君、お手、できたっけ?
とぎくりとしたが、シンハは慣れた様子でぱっとお手をしていた。
おお。やるやないか。
「まあ、いい子ね。ほんと。かしこいのね。お名前は?」
「シンハです。」
「そう。シンハちゃん。いいお名前ね。」
などとすっかり打ち解けてしまった。
「(名前、教えたら不味かった?)」
とそっと念話で尋ねると、
『いいや。構わん。というか、もう遅いだろうが。』
「(あは。ごめん。)」
でもおかげで、列が少し和んだ。
これぞ元日本人の処世術なり。えへん。
シンハが女の子と仲良しになったおかげで、待たされるのも苦にならなかった。
もう初夏だけど、太陽にはちょうど雲がかかって、日差しは強くはない。
のどかで、どこかで小鳥が啼いていたりする。
森に近いせいか涼しい風が通り、列に並ぶにはいい感じの日だ。
可愛い女の子はアリサちゃんというらしい。
おかあさんがそう呼んでいた。
商人さんは、隣の国から商売に来たようで、東の門がすっごい混んでいたから、こちらにまわってきたそうだ。
確かに、北の森側から来る人って、森やダンジョンに行っていた冒険者さんたちくらいのはず。でも、僕の前後もあわせて何組も商人さんたちがいる。東門を迂回した人たちなんだな。
列は長いが、意外にサクサク進む。
みんな身分証明書を持っているからだろう。
ちらと後ろを振り返ると、腕組みしたコワモテの冒険者さんたちの集団がいる。
結構早く帰ってくるんだな、と思って見ていたら、
「あれは泊まりだったんだろうな。」
と女の子のお父さんが教えてくれた。
「夕方はギルドが混むから、早めにあがったのだろう。」
「なるほど。」
それをきっかけに、少し商売の話を聞いた。
「此処には何か仕入れにですか?」
「ああ。このへんは魔獣がとれるからね。革を仕入れたいと思ってるんだ。」
「なるほど。たとえばどんな?」
「一番人気は魔兎かな。」
「え。一番人気!?」
ワイバーンとかじゃなくて?確かにお肉はそれなり美味しいけどさ。
「ん?」
「あ、いえ。」
「王都で貴族や上流階級のご婦人方に、魔兎のコートとかストールとかが流行りでね。どこへ行ってもひっぱりだこなんだ。でもそれなりに高いからね。此処なら少し安く質のいいものが仕入れられるから。」
「あーなるほど、毛皮ですか。」
たしかにワイバーンはもふもふしてないもんな。
でも…魔兎が高価?信じられない。森の奥にはわんさかいて、狩らないと増えて仕方がないザコ敵なのに。
「ああ。魔兎は冒険者にとってなかなか手強い敵だけどね。だからこそなお人気なんだ。」
「!手強いんですか?」
え?あれが手強い?森じゃあスライムの次に弱くて、チュートリアル用魔獣のはずですが???…。この辺の魔兎は森の奥の魔兎より強いのでせうか…。
ああ、そういえば、魔兎は森の奥ではザコ扱いだが、此処ではそうではないとか、シンハが言っていたような…。
「そうだよ。ああ、君は冒険者じゃないのかな?」
「あ、実はこれからなるところで。はは…。」
「そうなんだね。覚えておくといいよ。魔兎は強敵だから。すばしこいし、噛みつくからね。気をつけて。」
「は、はい。」
シンハが、ごろごろ言っている。これはくすくす笑っている時の鳴き声だ。
「(笑うなよ。)」
僕が念話で言うと
『ふふ。お前が驚いて目をまんまるにしているのがおかしくてな。ふっふ。いいか。森での常識は、此処では通用しないんだ。あんまりひとつひとつに驚いた顔するんじゃないぞ。おのぼりさんが。』
「(はあい。)」
『ふっふっ。』
「(笑うな。)」
シンハの顔をむにむにっとしてやった。
『それより…どうやら我の目の機能がわかってきたぞ。』
「(ん?)」
『聖なる目だ。魂のケガレが見える。人だとわかりやすい。』
「(ほう。どんなふうに?)」
『人殺しなどは黒い靄がまといつく。例えば…数人前にいる、黒いローブの商人ふうの男。あれは盗賊と商人の掛け持ちだろうな。』
「え!?」
「ん?どうかしましたか?」
とアリサちゃんのお父さんに尋ねられてしまった。
「へ?あ、いえ。なんでもないです。あはは。」
『まったく。気を抜くな。此処は森ではないのだぞ。』
「(う、うん。それより…盗賊?シーフという役割ではなく?ホンモノ?)」
『ああ。複数の人間を殺している。正当防衛ではなく、だ。もっとも、あの黒龍と比べたら、かわいいもんだがな。』
黒龍…。今、僕はそいつの鱗やら革やらでコーディネートしてるんですけどっ。腰には黒龍の牙製のジャンビーヤを差してるんですけどっ!
まさか僕から黒い靄なんかは…。
『ああ、もうそれらは単なる極上の素材にすぎない。お前が浄化してやっただろうに。』
「(ああ、うん。そうだった。)」
『とにかく。ああいうやからには関わるなよ。魂がケガレているというのは相当な悪人だ。』
「(わかったよ。気をつける。)」
よかった。僕から黒い靄が出てなくて。
試しに僕がそいつを鑑定しようとすると、なにか鑑定阻害の魔道具でも持っていたのか、鑑定はほとんどできず、しかもすぐにはっとしたように周囲を警戒しはじめた。
「(おっとー。やばいやばい。結構いい魔道具を持っているみたいだ。僕にはほとんど鑑定できなかった。)」
『お前の鑑定をはじくとは。相当な手練れだな。気をつけろよ。』
「(うん。)」
でも名前だけはかろうじて鑑定できた。クロード・ユイマンというらしい。顔もしっかり覚えた。鋭い目をした男だった。シンハと一緒に、目立たないようさりげなく商人さんの荷物の後ろに隠れたので、大丈夫だろう。
それから数分たって、その男は順番が来て、街中へと入っていった。
今の僕にはあいつが非道の極悪人でも、どうすることもできない。確たる証拠もないからな。
とりあえず、今は放置しかない。頭を切り替えよう。
さて。いよいよ門が近づいてきた。
町の門はとても大きくて立派なものだ。鉄とトレント材を使ったもので、頑丈にできているのは、戦争に備えるというより、魔獣に備えるためだろう。
門に張り紙がしてあって、「開門時間:朝6時から夜9時まで」「身分証明書をご準備ください」などとともに、「クリーンの上、入市すること」と書いてあるのが面白い。
クリーンは生活魔法の一つ。まあ、旅とか冒険をしていたら、風呂が発達していないらしいこの世界では、体臭が凄いことになるからな。
ちなみに生活魔法は両手一掬い程度の水を出すウォーター、種火程度を出すファイア、そして自分の汗や汚れを大まかに取る程度のクリーンの3つ。
これらは、人間族や獣人族、エルフ族、ドワーフ族(これらをまとめて「人族」という)なら、誰でも使えるそうだ。
ただし人によって威力はさまざま。
原則、ウォーターとクリーンは5才で教会にて授かる。ファイアは危険なので10才以上で教会で授かる。
教会に喜捨できなくとも親から教わってウォーターとクリーンは使えるようになるらしいし、大人になるまでにファイアも誰かから教わって覚えるらしいが。
このあたりの知識は、アカシックレコードに「この世界の常識」として教えてもらった。
なお、クリーンは自分に対しては誰でも使えるが、他人に対しては出来ない人もいる。たとえ出来ても、通常より多く魔力を使うらしい。
さて、ようやく前の商人さんたちの番になった。
門番が何か言う前に、さっとカードを出すと、役人が台帳のようなものにそれを書いた。それで終わり。
「じゃあ、またね。」
「はい。ありがとうございました。」
「ばいばい。わんわんもばいばい。」
「またね。」
「ばう。」
珍しくシンハが声を出してさよならを言った。
「次。」
門番の人の声が聞こえて、僕が進む。
「身分証明書を。」
「持ってないです。」
「…ちょっとこっちへ。」
「はい。」
門に接続する建物の、部屋の片隅につれていかれた。
「これ書いて。書ける?」
「あ、…はい。」
僕は書けるか心配だったが、そこに記されていた用語は読めたので大丈夫のようだ。シンハに習っておいて良かった。
ここは羽根ペンなんだな、と妙なことに感心する。
おー。羽根ペン、はじめて使ったし。
と感動。
紙は羊皮紙みたいなもので、しっかりしたものだ。
僕は丁寧に僕の名前「サキ・ユグディオ」と書いた。
ユグディリアとは書くなとシンハに言われていて、ユグディオとした。
これは、エルフには時折ある名字らしい。
僕はエルフではないが、エルフと人間のハーフだと言っておけ、とシンハに言われた。
そう見えるからと。
種族は「人族」と書いた。何か聞かれたらハーフといおうと思って。
年齢「14才」これも推定だが。
到底15才には見えないが、12才では何もさせてもらえないだろうから、ということで14才。
背丈はそれなりだから、そう見えなくもない。
それから職業「魔術師(予定)」とした。
「ん?予定なのか。」
「はい。これから冒険者ギルドに行って、冒険者登録をするんです。魔法がちょっと使えるし、腕力はないから、魔術師かなと。」
「なるほど。この出身の村『ハインツ』とはどこだ?」
「えーと。森の縁にある村で、もっとぐるっとまわって北の方です。」
この村名は事実だが、今は廃村。
「ああ、聞いたことあるぞ。たしか黒龍に全滅させられたとか…ああ、悪かったな。坊や。変なこと思い出させて。」
「いえ。いいんです。」
とちょっと悲しい顔をしてみせる。
この村の名はシンハが教えてくれたのだが、黒龍に、なんて聞いてねーぞ。おい。
『絶滅した村でないと、困るだろうが。』
まあ。確かにそうだが。
「じゃあ、中立地帯から来たのか。それはそれで大変だったなあ。坊主。行くあて、あるのか?」
「いえ。でも大丈夫です。かしこい相棒もいるから。」
とシンハを撫でる。
「なるほど。相棒君か。かしこそうな犬だな。」
「はい!」
「ああ、その子に鑑札がいるな。お金あるかい?発行しないといけないんだが。」
「いくらですか?」
「まずキミの仮身分証明書発行手数料が200ルビ。ワンちゃんの鑑札が100ルビ。仮身分証明書はこの町だけの効力だ。この町のギルドでカードが作られれば不要になるが、手数料は返金できない。ただしカード発行代は割引になるはずだ。それと、入市税が身元保証なしだと100ルビかかる。身元保証があれば無料だがな。」
「合計400ルビですね。…はい。」
高いのか安いのか判らない。まあ、入市税は農家の逃亡や都市への移住を防ぐための措置だろう。冒険者や商人以外はあまり遠くまで移動する前提ではない世界だ。物価の安さを考えたらこんなものか。
取りだした角銀貨が使えるかちょっと心配したけど、大丈夫だった。シンハに以前聞いていたとおりだ。
「いいのか?ここで払って大丈夫か?借金にしておくこともできるぞ?冒険者登録すれば、ギルドが肩代わりしてくれるからな。」
ほう。なかなか親切だ。
「いえ、大丈夫です。少し蓄えはあるので。」
「そうか…。計算もできるんだな。字も綺麗だ。」
「ありがとうございます。」
「犬をつれて泊まるなら、宿はマーサのところしかないだろう。おい、テッド。宿とギルド、案内してやれ。」
「ういっす。」
ついに!人間のいる街ヴィルドに入りました!