86 ヴィルド北門 列に並ぶ
僕たちはようやく領都に向かって草原を歩き出す。
「町、入っても大丈夫?嫌なら帰るよ。まじで。」
『大丈夫だ。俺はこう見えても、お前より都会暮らしが長いんだぞ。』
「あー。確かに。」
ふたりでくすくすと笑う。
そりゃそうだ。僕は街どころか、人間に会うのもはじめて。シンハは以前の飼い主?のセシルと一緒に旅していたのだから。
「あ!」
ぼくはとある重大なことに気付いて、思わず立ち止まり、声をあげた。
『?どうした。』
「あのさ、今気づいたんだけど…。」
『?』
「僕が、シンハの、眷属になれば良かったんじゃない!?」
シンハを見下ろしてもう一度問う。
「ねえ、シンハ、どうなの!?もう一回やり直せる??」
するとシンハは呆れたようにふりふりと首を横に振る。
「え、やり直し、きかない?あ、でもさ、シンハ聖獣だしもしかしたら」
『サキ。あきらめろ。やり直しはきかない。』
「えーでもさあ」
『あのな。サキ。お前、自覚がなさすぎるが、おそらく『この世界で唯一』の、『世界樹の息子』だぞ。お前は。』
「へ?」
『つまり、お前は、神様の子供。どこの王族より偉いのだ。』
「!?」
ぼくは面食らって目をぱちくり。
『いくら俺が神獣だといっても、どっちがアルジになるべきか、と言ったら、たとえまだひ弱だったとしても、お前のほうが魂の格が高いのだ!そこんところ、そろそろ自覚しろ。でないと、俺がだんだんみじめになる。』
「ど、どーしてシンハがみじめになるのさ。」
ぐちぐちと反論してみる。
『あたりまえだろう。いくら言ってもお前はユグディアルの子と自覚しない。そんなお前に従うことに決めた俺の身になれ!このトウヘンボク!』
「うぐ。」
『ユグディアル、すなわち世界樹は、お前の父親であり、母親なのだ。この世界ではいっとう偉い神様なのだ!その恩寵を色濃く持って生まれたのだぞ。お前は!もう少し、気高く生きようとは思わんのか!』
「うぐ。だ、だってさあ、会ったこともないもん世界樹。そういわれても…。」
いや、なんとなく会ったような記憶が…。いやいやあれは夢??
僕が考え込んでいると、はあーとシンハはため息をつき、意外に優しく僕を諭した。
『いずれ時がくれば、お前もきちんと会うことがあるだろう。そういじけるな。』
「むう。」
『とにかく。俺はお前の眷属になった。もう離れろといっても遅いからな。離れんぞ。』
「う、うん!ありがと!シンハ!」
僕は先のことなど考えないことにした。世界樹の子としての自覚についても、今は棚上げだ。とにかく、シンハは僕と別れない!そのことだけに集中すると、それは本当にうれしいことだった。そっか。シンハ、照れてるんだ。うれしいんだ。僕とこれからも一緒だと決まって。だからわざと怒ったふりをしてるんだ。
「これからもよろしく!相棒!」
『お、おう!まかせろ!』
ふふ。シンハが照れてる。可愛いんだ。
喜んでいる証拠に、尻尾はふっさふっさと揺れている。
るんるんと、気分もアゲアゲで僕はスキップしそうなくらい、軽い足取りで町へと向かう。草原を斜めに突っ切り、街道へ出ようとした時だった。
『サキ、首輪を俺にかけろ。』
「首輪?…そんなの、持ってない。」
『ないなら作れ。』
「え、やだよ。そんなの。」
『あのな、町に魔獣が入るには、テイムされていることの証拠に、首輪や鑑札が必要なのだ。鑑札は町へ入るときにもらえばいい。だが首輪なしでは俺は野良の魔獣として退治されるかもしれん。布でもなんでもいいから、首に巻け。』
「…判った。」
僕はシンハの言う意味をようやく理解して、亜空間を探した。そして以前暇にまかせてアラクネ糸で三つ編みにした直径7、8センチくらいの太めの紐を取り出す。
「これでいい?」
三つ編み紐を見せる。
『うむ。』
シンハの首に巻いた。
虹色の綺麗な三つ編み紐は、白いシンハをおしゃれに飾った。
「苦しくない?」
『ああ。大丈夫だ。』
「うん。なかなかいいじゃん。綺麗な色に染めておいてよかった。似合うよ。素敵だよ。」
『こほん。まあ俺はなんだって似合うのだ。ダンディだからな。』
「ふふ。はいはい。」
『ふふん。…そういえば、これはアラクネ糸だな。』
「うん。」
『ならなおさら都合がいい。』
「ん?」
『アラクネ糸なら俺が大きさを変える時、俺の魔力に反応するから、一緒に大きくなる。つまり俺の首を絞めないということだ。』
「あ、そか。そうだったね。」
アラクネ糸の不思議特性だ。
魔法で変身!なんていう時、服が破れないので裸になる心配がない。
黒龍の素材でシンハ用のレインコートを作った時、素材に魔力が通れば衣服も体に合わせて大きくなる、ということを聞いていた。それができるのが高位魔物素材や、アラクネ糸製の衣服だそうだ。
自分が変身して大きくとか小さくとかならない(できない)ので、すっかり忘れていた。
「あ、そういえば…今日これから冒険者ギルドに行く訳だけど、ステイタス、そのままでいいかなあ。」
『ああ、なるほどな。隠微はできるか?』
「まあ、ちょっとなら。」
『ちなみに今、お前のいうHPとかMPはどうなっている?』
「えーと、HPは180万、MPは800万かな。」
『ほう。多いな。』
「え、そう?比較対象がないから、よくわからないや。」
『黒龍も倒したからな。HPは1万、MPは10万くらいにしておけばいいんじゃないか?』
「そう。他は見ない?」
『ああ。適性くらいしか見ないだろう。』
「そか。んー、と。あれ。これ以上できない。隠微のレベルが低くて、あまり下げられなかった。」
『いくつだ?』
「HP5万、MP100万。」
『…。まあ、MPが多いが、いいだろう。エルフならありうる数字だからな。故郷で狩人だったから数値は高いということにしておけばいい。あ、隠微ができることは絶対隠せよ。』
「あ、そか。」
『それと、鑑定阻害もかけておけよ。』
「あ、うん。ありがとね。」
『ふん。』
町に近づくにつれ、ちらほらと旅人を複数見かけるようになってきた。さりげなく街道に上がり、旅人風情で歩いて行く。
人々の服装は、想像していた通りの、剣と魔法の世界にふさわしいもので、中世ヨーロッパ風だった。
今、僕が着ている緑グレーの、マントのようなゆったりローブも、さほど目立つ様子がなく、少しほっとした。
剣や斧などの武器を持った男たちが多いのは、冒険者の町だからだろう。
そうそう、結界は1枚だけのソフト仕様にする。僕の結界は、もちろん上質のものなので、誰にも見えないし感知も普通はできないもの、らしい。
1枚の結界は、もし町なかで人とぶつかっても、お互い怪我などしない程度の柔らかい結界だ。それでも鉄剣くらいは余裕で弾く。
森での探索や狩り、今回の旅の間は、必ず何重かのカッチカチの結界でガードしていた。だが住処の洞窟内では1枚だけで、しかもソフト仕様。虫刺され防止用に使っていた。
この「ソフト結界」は、体にフィットした結界なので、シンハをもふもふしてもお互い違和感もない。でも、強い力が急に加わると、ちゃんとプロテクトしてはねかえすスグレモノ。町なかで急にナイフで刺されても、たぶん大丈夫。っていうか、結界なしの生活をしてこなかったから、今更0枚にはできそうにない。
それに、僕の場合は結界をしていないと、すぐに妖精の子たちが寄ってきて、光っちゃうんだ。
世界樹の気配がするらしい。誘蛾灯みたい。やだなあ。
他の人はどうなんだろうと見渡すと、魔術師っぽい人でも結界を張っているふうではない。
そうだよね。魔力には限りがあるもんなあ。便利なんだけどな。結界。
門まではまだ結構距離がある。
これから入る人たちが並んでいるようだが、午後のせいもあってか、さほどでもない。
遠くから魔法で視力を強めて確認すると、その中に人族ではない人たちもいた。そう、獣人である。
「ふおお!獣人族だあ!ファンタジー、異世界!キタコレ!」
と僕。
『…おまえなあ。教えといただろう。獣人族もいると。』
「でもでも!見るのははじめてだもの!これは…うむ。なかなか新鮮な驚きだ。」
あの大きな商人風の男性は熊族だろうか。男の子を肩車している。相当高い位置だ。その前は人族との混合冒険者パーティーのようだ。狐族だろうか。ケモ耳がずりおちたフードからのぞいた。魔術師だろう。長い杖を持っている。
弓を担いだエルフの女性もいた。
「エルフもはじめて見たぁ。」
予想通りエルフは美人さんだ。
『あまりしゃべるな。おのぼりさんめ。』
「だって仕方ないだろ。本当に人里離れたところから来たんだから。」
と、ようやくたどり着いた列の最後尾に並びながらぶつぶつ言う。
街の入り口では入市審査をしているようだ。衛兵たちが何か手続きをしている。
と、重要なことを思い出した。
「あ、シンハ、そういえば僕、パスポー…じゃない、身分証明書かな?持ってない。大丈夫かな。」
『持ってなくとも大丈夫だ。農民は持っていないものも多いのだ。』
「そうなんだ。どきどき。」
『それより、あまり口を開くな。話しは念話だけでするほうがいい。変人にみられるぞ。』
「あ、そか。」
つい癖で、言葉を口に出してしまうが、そうだった。ひとりごとと思われてしまう。
「(これからは気をつけないとね。結構これ、慣れないと難しいかも。)」
『がんばれ。おのぼりさん。』
「(ちぇ。)」
そんな会話で緊張をごまかす。少し列が進む。
僕たちの前後は馬車で、前は人族の商人さん家族、後は複数台の馬車を連ねた、少し大きな商店の一行のようだった。護衛の人達は、きっと冒険者のパーティーだろう。
皆、なんとなく僕が白い大きな犬をつれていると思っているようで、ちらちら見ている。
魔獣と思っているのかどうかは判らないが、怯えていないから、犬と思っているのだろう。
シンハはいつもどおりの大きさまで小さくなっている。それでも大型犬くらいはあるが。
「(シンハのこと、犬かなにかだと思ってるのかな。みんな怯えてないね。)」
『当たり前だ。もっと凶悪な面がまえの魔獣をつれている奴だっているんだぞ。ほら、前のほうに、いるだろう。あれは魔狼だな。』
「(あ、ほんとだ。あれはさすがに狼だってわかるよね。)」
周囲の人は恐がっているようだった。
馬も怯えている。
「(シンハ、どうして前後の馬たち、シンハがいても怯えないの?)」
『それは俺が偉いからさ。』
「?」
『ちゃんと馬たちが安心できるような雰囲気にしてやってるのさ。』
雰囲気?ああ、なるほど、魔力を抑えているんだな。
「(なるほど。殺気とか魔力を抑えてくれてるんだね。)」
『そういった気遣いができるのが、都会慣れした魔獣なのだ。』
「(ふうん。てか、みんなただの大きな犬だと思ってるだけじゃないの?)」
『こら。』
「(えへへ。)」