65 マンティコア 4 モノクロームの世界
翌朝。
ごそごそと隣でシンハが動き出すのを感じた。
外ではピチュ、ピチュ、と小鳥の声も聞こえ始めた。
「ふあーあ。もう朝?まだ暗いよう。ふぁあ。」
『そろそろ起きろ。まもなく日の出だ。』
「ううー。わかった。」
朝に弱い僕は、仕方なくベッドから這い出す。
ほんと、このベッド、寝心地良すぎ。永遠に寝ていたくなる…。
「あ、おしっこしたい。」
『いちいち宣言せずともよい!』
「はーい。ふあーあ。」
僕はまだ眠い目をこすりながら、テントの奥の浴室エリアに設置してあるトイレで用を足した。知らない森で野○ソなんかしません。危険だし。ちゃんと手はクリーンしましたよ。
寝ぼけ眼でテントから出て竈に火をつける。昨日とは違うオニオンスープを亜空間収納から取りだし、竈にかける。それから縄張りの端っこで手から水を出して顔を洗い、歯磨きがわりのクリーン魔法をする。
生活魔法にも慣れてきたな。
僕が魔法を使うと、周囲の精霊さんたちが喜ぶ。ふよふよと光る球体が僕の回りをめぐっている。妖精の幼体たち、つまり光る球が寄ってくるんだ。ここでもそうだった。
「みんな、おはよ。」
と言って、少しだけ魔力をふうっと吐き出した息にまぜてわけてあげると、球体たちは喜んで、ぴょんぴょん飛んだりダンスを踊るようにして散っていく。いつもの光景だ。
『お前は何処に行っても、相変わらず妖精に大人気だな。』
と僕の後ろのほうでシンハがぼそりと言った。
「ふふん。モテないよりいいさ。」
『まあな。それより…煮立っているぞ。』
「ああ。今日はオニオンスープだよ。シンハはオニオン、大丈夫だよね。変なの。」
『変?何故だ。』
「だって犬にタマネギはダメって聞いたよ。消化酵素がないんだって。」
『俺は犬ではない。』
「そうだけど。苦手な食べ物、ないの?」
『人族が食べて不味いと感じるものは、俺も不味いと感じる。』
「つまり、美味いものならなんでもOKなんだね。」
『そういうことだ。』
「ていうか、僕が来る前は、ほとんど魔力を周囲から吸って糧にしてたんでしょ。あとは倒した魔獣の生肉とかで。」
『そうだな。』
「人族は生肉はさすがに食べないよね。」
『そうだな。たまに食らう奴もいたが。ほぼ必ず火を通していたな。』
「伝染病とか恐いからね。野生の肉は。」
『ああ。寄生魔獣のバルトベーダがいる場合もあるしな。…ところでこれは魔羊か?ふむ。なかなか美味いな。』
「魔羊肉の香草焼でございます。シンハさま。」
『うむ。褒めてつかわす。美味いぞ。』
「ありがたき幸せ。」
などと、茶番をしながら朝からがっつり魔羊肉で腹ごしらえをした。
『さて、そろそろ夜が明ける。行くか。』
「うん。腹ごなしに軽めに走るか。」
『ああ。お前も少し動いた方がいいだろう。このあたりは草原と森だから、お前も走りやすかろうしな。』
「わかった。」
『影渡りは禁止、だからな。』
「むう。わかったよ。」
竈を仕舞い、火の始末やテントをたたむと、僕たちはまた走り始めた。
『この調子で行くと、昼すぎには奴の縄張りに入る。そこからが正念場だ。気をつけろよ。』
「わかった。」
さすがに僕は真面目に答えた。
日の出を合図に、僕とシンハは黙々と走り続けた。
胸元中央には昨日作った浄化魔法入りブローチ。結界もすぐ10枚発動できるようにしてある。矢はミスリルを用意。自作の魔剣もすぐに亜空間収納からとりだせるようになっている。
最初はシンハも軽めに走っていたが、次第に加速し始めた。
僕はだまってそれに併走している。
もちろん、僕は肉体強化魔法を施しながらだが、MPは一秒に1減り、1回復するので問題はない。
2時間走り、さすがに休憩を入れた。
僕はオレンジジュース。シンハにはポムロル(リンゴ)と水をあげた。15分ほど休憩し、また走る。途中、僕を乗せて走りもしたが、相変わらずシンハは全然平気なようだった。
お昼になり、そろそろ昼食休憩にするか、と問いかけようとした時だった。
「ホー!」
という白フクロウの声。そして
ビィィィィン
と空気がなった気がした。はっとして僕もシンハも立ち止まる。
ずん!と空気が重くなった気がした。
白フクロウのハカセは、少し離れた後ろの枝にとまっていた。
『バウ!』
とシンハがハカセに声を掛ける。
お前も避難しろ!という意味の念話だった。
それを受けて、ハカセも「ホー」と鳴き、ようやく僕たちが来た後方へと飛んでいった。
今はもう、鳥たちの声も聞こえない。
獣が動く気配もない。
結界魔法を発動。僕だけでなくシンハにも10枚施した。魔剣を腰にセット。弓矢もセット。
『奴のテリトリーに入ったようだ。気をつけろ。目を保護しろ。』
「うん。シンハもね。」
僕が石化防止ゴーグルをつけ、シンハにも装着してあげる。
念のため、僕はマスク代わりに、浄化魔法を込めたアラクネ布手ぬぐいで口と鼻を覆い、後ろで縛る。
歩き始めるとほどなく紫っぽい霧がでてきた。魔毒の霧だ。だが、僕もシンハもなんともない。HPもMPも減ってもいない。どうやら浄化ブローチと浄化手ぬぐいがきちんと仕事をしているようだ。
『苦しくはないか?』
「(大丈夫。ブローチと手ぬぐいが効いてる。シンハは?)」
僕は口ではなく念話だけで尋ねた。ここからは声を出してしゃべらないほうがいいだろうから。
『俺は全く大丈夫だ。』
「(鳥も鳴かないね。)」
『ああ。妖精も、いないようだな。』
「(うん。おびえて逃げたのかな。)」
『だろうな。』
そのまま妙な空気の中をバリアでシンハも覆いながら進むと、紫っぽい霧がかかった、石しかない荒れ地に出た。そこには石像があちこちにあった。
魔兎、魔猪、魔狼、そしてワイバーン。
それらが、いくつかは完全体で。そしていくつかは風化し、ぼろぼろの状態で、荒涼とした霧の荒れ地にぽつりぽつりと存在している。
時折、大量のどす黒く変色した血がこびりついた岩があるだけ。
魔獣の遺骸はないが、激闘があったことはわかる。
今、動いているのは僕とシンハだけ…。
まるでモノクロームの別世界に入り込んでしまった感じだ。
『気をつけろ。気配が濃くなった。』
「(シンハ、この霧、僕たちのまわりでチリチリ言ってるよ。)」
『敵の魔法だろう。俺たちを霧で探っているようだ。』
「(気持ちわるっ!触られたくない。)」
僕はバリアを厚めにした。するとますますちりちりと火花が出た。
『奴はもう、我々を察知しているだろう。』
「(そうだね。っと言ってるうちに、ぐんぐん近づいてくるのがいる!あと1分ほどで遭遇だ。)」
『石化に気をつけろよ。』
「(了解!先手必勝で行くよっ)」
『おう!』
僕は弓に聖魔法を込めた穂先がミスリルの矢を3本立て続けにつがえ、魔法で追尾機能をつけて、紫の霧の中へと放った!
GYAAAAAAA!!
霧の奥から魔獣の声が聞こえた。
『どうやら矢が当たったらしいな。』
「(そうみたいだね。)」
『!来るぞっ!』
荒涼とした岩だらけの荒れ地に、突如上からどかっと魔物が現れた!
「でけえ。」
つい僕はつぶやいた。シンハが巨大になった時の2倍くらいはある。水牛の化け物みたいな、双頭の怪物だった。向かって右が山羊頭、左がグリフィン。グリフィンは獅子やトラに似た頭で、嘴がある。そしてやっかいな蛇頭の尻尾もあった。
僕の放った矢は、1本が右の翼に、もう1本がグリフィンの右目を潰していた。
僕としては大成果だ。しかも聖魔法を込めたから、奴にとっては毒矢と同じだろう。
ただ、手負いの獣は危険度があがると言われるように、それこそ殺気がすごかった。
FUUU…FUUU…。
鼻息が荒い。
GUGYAAAAAAAAAA!!
吠えた声だけで、体が麻痺しそうだ。
シンハはとっくに最大まででかくなっており、僕の前に陣取って、負けじと吠えた。
GRRRR!GAOOOONNN!
「(!蛇の頭、こっち見てる!気をつけて!)」
『おう!』
なにか邪気のようなものが飛んできた気がした。
しかし、サングラスがいい仕事をしてくれたようで、僕たちにはなんの異常も見られなかった。それだけでなく、蛇の頭が一瞬、石化したのだ!思惑どおり、サングラスに込めた魔法反射が作動したのだ!
だが、すぐに石化は解けた。どうやら自分の魔法には対応できる奴らしい。メデゥーサ戦法は効かないようだ。
GYURRR…。
それでも我々に石化が効かないのが不審らしい。用心したように、飛びかかっては来ない。一定の距離を保っている。
GRRRR!FUUU…FUUU
なんとも言えない強烈な獣臭がする。
「こいつ、くせえ。」
僕がたまらず言うと、
『呪いもちの強い魔物にありがちなことだ。慣れろ。』
「やだ。浄化!」
僕は臭い消しのために浄化を放った。
だが相手は高く跳躍し、浄化魔法の範囲から飛び退く。
「(もしかして、聖魔法、嫌いなのかな。)」
『かもしれん。』
「(ちょっといいこと思いついた。やってみる。数秒でいいから、あいつの気を引いてくれる?)」
『わかった。』
そう念話で答えると、シンハがGWAUOOOO!!と一声雄叫びを上げて突っ込んでいく。
岩場をマンティコアが軽々と飛び跳ねながら、シンハの突進を避け、蛇の尾でかみつこうとする。シンハが避ける。マンティコアの山羊がシンハを蹴り飛ばそうとする。それを躱すと今度はグリフォンが突こうとし、さらに前足から鋭い爪を出してシンハをひっかこうとする。シンハがさっと躱す。
そうした大魔獣どおしの攻防が繰り広げられている間に、僕は魔法の準備を整えた。
そして
「(シンハ!避けて!)」
『おぅ!』
さっとシンハが進路を避けると、僕は間髪を入れずに今作りたてほやほやの魔法をマンティコアにぶつける!
「聖炎!!」
唱えると同時に青い炎が飛んでいき、マンティコアを包んだ。
とたんに
GYAAAAAAA!!
苦しがって叫ぶ。じたばたと岩山に図体をこすりつけて聖炎を消そうとしているようだ。
「よっしゃ!浄化!!」
立て続けに浄化魔法を飛ばす。
GUGYAAAAAAAAAAAA!!
叫びのたうち回るマンティコアの山羊頭の首にシンハがかみついた。
すかさず僕も跳躍し、シンハを襲おうとしていた蛇の尾を剣で切り落とす。
ブヒュ!!
蛇の頭の尾は地べたに落ちてやがて動かなくなり、石になってから崩れるように滅んだ。
さらに後ろから本体に剣を突き立てようとしたときだった。
『!飛べ!サキ!』
というシンハの切羽詰まった声にとっさに飛び上がるも、僕の背後から体当たりしてきた何かがかすり、僕の体は横に吹っ飛び、大木にたたきつけられた。
ZUGAAANN!!
『サキ!!』
常時張っていた結界が、かろうじて僕の体を守った。
メキメキバリバリバリ!!
耐えられなかったのは大木のほう。
『サキ!!』
「うっく。だいじょう…ぶ」
すぐにシンハが僕をかばうように僕の前に立ちはだかる。
くっそ。結界10枚のうち2枚しか残らなかった。
「あっぶねえ。」
何が来たのか、目を開けると、シンハの向こう、瀕死のマンティコアの傍に、もう一体のマンティコアが!
もう1匹!?次回UPは明日!